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時々更新mn日記

( 2023/01 ← 2022/12 → 2022/11 )


[ この一年を振り返って ]


この一年を振り返って


 この一年を振り返るといくつかリフォームや賃貸経営に関しての相談を受けましたが、決まりませんでした。賃貸経営も建築費が上がり、それに対して家賃が相応しているわけではないので「手残り」は増えません。それに加えて金利も上がりました。住宅市場は縮小傾向です。

さて、木材業界のこの一年は、ウッドショックは収まりつつあるのでしょうが、木材は輸入木材の在庫増、建材は針葉樹合板の値上げ。パーティクルボードはまだしばらくは供給不足。これらの単価は一昔前の倍になりましたので、経常利益はどこの会社も出ていますが、これから先はかなり不透明です。来年はあまり仕事がないかもしれません。

皆さんよいお年を。



2022/12/31(土) 晴れ


[ 一年一年が早くなっています。 ]
一年一年が早くなっています。


40歳を過ぎたら1日を10日と思え、と言われたのはついこの間。それでも30年以上が経ちました。過ぎてゆく日の速さは止められません。小さな子の成長を見るたびにそれを感じてしまいます。甥や姪の誕生日は覚えているのですが、年齢がすぐに言えなくなりました。

今年も何とか一年間無事に過ごせました。今日は高田馬場でとんかつをいただき、



穴八幡で一陽来復をうけて




恒例の、母校前での写真で締めくくります。左手上がっています。リハビリを続けないとすぐに痛くなってしまう困りものと一生付き合うつもりです。




2022/12/29(木) 晴れ


[ 書類が見つからない ]
書類が見つからない


いつも大事、大事ではないにかかわらず、自分あてに来た書類や手紙は同じところにいったん入れておきます。そして暇を見つけては綴じます。



ところがこのところ一つ二つと書類、領収書などが見つかりません。幸い再発行のきくものもあり、事なきを得ていますが、今一つ要領が悪くなりました。仕事のスピードがかなり落ちています。友人から来た手紙の返事などは先延ばしにしているものもあり、これが年なのかと思うようになりました。

二重三重の手立てを考えなければいけません。



2022/12/26(月) 晴れ


[ 日記以外のところを閉じようと思っています。 ]
情報が古くなり過ぎたので、HPを閉じようと思っています。

前々から考えていたのですが、「大喜」のHPは更新日記のほかは情報が古くなりすぎて、現状には全く合わないので閉じようと思います。

ここ数年来の「ウッドショック」並びに円安傾向による木材建材の価格上昇や住宅機器の物不足など、建築を取り巻く情勢はかなり変わりました。HPをこのまま残しておくのは、その当時の「情報」としての価値はあるかもしれませんが、混乱を招くこともあるので、日記以外のところは閉じようを思います。

あしからず。



2022/12/24(土) 晴れ


[ 14日会の忘年会 ]
14日会の忘年会



去る12月22日の冬至の日には、麻布十番「すぎ乃」で14日会の忘年会が開かれました。当日には先だっての研修旅行の立役者である山本さんも参加されて和やかな雰囲気の中、美味しいおでんと豚しゃぶをいただきました。






奈良県の三室杉も飲みました。今西酒造さんです。

板橋支部の横田さんにもご参加いただきました。



2022/12/23(金) 晴れ


[ 私が知っている薬師寺 ]
私の知っている薬師寺



去る2022年11月5日に薬師寺に行き副住職さんの案内を聞きながら薬師寺の中のすべてを見ていただきましたけど、私の中の薬師寺は高校の修学旅行で高校仲間といった記憶が一番残っています。

それは1968年の5月か6月ですが、当時薬師寺は東の塔しかなくて、あとの記憶はありません。西の塔跡に石の基礎が残っていて、その礎石から東の塔を見ると鏡に映ったように塔が見えるのです。

当時は高田好胤という名物管主がいてその方の力で金堂が建ち、西塔ができ、今回廊やそのほかの施設が出来て来ました。その方の手法は寄付を募るのではなく、写経を勧めるというものでした。写経をお金で買っていただきそれを送り返していただくことで、その写経をお寺に収めて、結果的に寄付を募った形にしていくものです。今回もその手法を用いていました。何十年を経ても変わらないものだと思いました。如何に高田好胤さんが偉かったかを再確認してきました。

さて、何もなかった薬師寺には、唐招提寺に行き、会津八一の「まろき柱」をみてから、歩いて薬師寺に言った記憶です。

同時に薬師寺近くのお弁当屋さんを外から眺めていて店員さんが落としたおかずを拾って箱に詰めていた記憶があります。これは今となっては本当か記憶違いかは判りませんが、私の頭の中にはそれが残っています。変な記憶ですが。

というわけで昔の薬師寺とこの前に行った薬師寺の同じ写真をアップしてみます。








2022/12/17(土) 曇り


[ 笑えない同期生の近況 ]
笑えない同期生の近況


小学校のクラス会が開けないままで3年近くが経ちました。そこでこのところ中学高校時代の仲間との付き合いが増えています。

しかしながら近況は笑えないものが増えました。同期会当日に出欠はがきを持ってきて「今日、俺、出席な」と言うくらいは可愛いもので、会合の当日家を出ようと思って玄関で転んで骨折。結果二か月入院。当然会には不参加。

ゴルフコンペでゴルフ場の中で道に迷ってI君遅刻。
女好きのT君は死んだ。
25歳年下女性と付き合い続けるK君。
ゴルフ当日朝に電話をもらい、取ろうとしてM君ぎっくり腰。結果欠席。
寝たきりになってしまったO君。
肺がんで好きなゴルフを止められたS君。
うつ病に悩むM君。
親の介護で九州から帰ってきたら自分が胆嚢を取る羽目になり、酒も飲めず、油っこい物も食べられなくなったK君。
入院しいなくらいに元気と便りあり。しかしモーラステープは必需品とM君。


350人いた同期生も早くに亡くなった藤木、山崎、太田、湯川などを除けばここしばらくはあまり音沙汰なかったのに急にいろいろな情報が増えました。病気と訃報がこれから増えるのでしょうね。

というわけで、テニス会やゴルフ会やお散歩の会、その他理由をつけては、集まる機会を持ち始めました。そして少しでも元気でいるために身体をうごかせしています。

いろんな話をしますが、病気の話は一番多く、医者は「加齢」としか言わないとか、物忘れ、人の名前が出てこないなど、同じ悩みばかりで話題が盛り上がります。

そして最後は「生きていたら、また会いましょう」で終わります。


中野区の哲学堂公園のもみじは「ここだけ」きれいです。


たまにはゴルフ練習もしないといけません。一向にうまくならないゴルフ。始めてもう二年になりますが。


2022/12/16(金) 晴れ時々曇り


[ 全国旅行支援を使う ]
全国旅行支援を使う



ここのところ全国旅行支援を使って11月には埼玉県に2泊、12月には群馬県に1泊してきました。宿は割引、さらにクーポン券をいただいて、野菜、肉、酒にお米、そしてお土産に化けました。元は税金ですが、有効に使えました。
秩父では雲海を見、



長瀞では夕焼けと紅葉。





そして妙義では山の美しさを堪能してきました。





お天気に恵まれた今年の秋から冬でした。

お土産として買ってきた皆野町の山本製麺所のおそば。秩父や群馬の豚のみそ漬け。下仁田の納豆など、おいしい食品に出会えました。群馬県に「ふるさと納税」して豚のみそ漬けを頼みました。

2022/12/09(金) 晴れ時々曇り


[ 2班の会合 ]
2班の会合


去る12月1日には新東京木材中野支部2班の会合が7名で開催されました。開催は久しぶりでした。今年の春にメンバーであるハラヤスさん、山宮勇さんが亡くなり7名となりましたが、全員参加で開かれました。新宿にある「明月館」という焼肉屋さんでした。なぜかもう私が最年長になりました。比較的若い現役の方がいるので、今回は焼肉になりました。




7名といえば、新東京木材の中では一つの支部に相当します。中野支部は会員が多かった時代を反映して「支部会」を持ちませんでしたが、亀山支部長伊藤支部長の時代になり「支部会」を持ち始めました。ただし折からのコロナ禍で、支部会や班会が開けずにいましたが、今回かなり久しぶりに開くことが出来ました。支部費とは別に班費を取っているので個人あるいは会社の負担はありますが、開けばほぼ全員集合するので貴重な集まりです。親睦と情報交換には最適な集まりです。



2022/12/05(月) 晴れ


[ さか子叔母さん逝く ]
さか子叔母さん逝去



 母の妹で静岡に住むさか子叔母さんが亡くなりました。サル11月7日に倒れ12日に亡くなりました。90歳でした。
 さか子叔母さんは私が生まれて時には東京に来て私の子守をしてくれた方です。23歳で結婚し富士宮市の北山に住んでからもおよそ70年近くを過ごしました。
 ここ3年はコロナ禍ということもあり、お目にかかっていませんでしたが、突然の訃報です。身近な方がどんどん亡くなっています。70代を生きるということは、こういうことばかりを経験しながら生きるということなのでしょうか。なかなか辛いです。




中央の帽子をかぶっているのがさか子叔母さん。前列は、父喜平、伯父堯、伯母文枝。

今から20年ほど前に母親の実家を父と訪ねた時のものです。私たち以外、みんな故人となりました。



2022/12/04(日) 曇り


[ 豊玉木材佐藤幸市さまご逝去 ]
豊玉木材佐藤浩市様ご逝去


 去る11月7日に豊玉木材佐藤浩市さまは97歳のご生涯を閉じられました。私は父親とともに二代にわたって公私ともにお世話になった方でした。
 茨城県の常陸太田市で材木屋の長男として生を受け、水戸商業を経て明治大学在学中に学徒出陣し、中国大陸で戦争に参加し、戦後もすぐには日本に戻れずいたことが幸いして蒋介石や毛沢東という歴史的な人物とも交流があったとお聞きしています。陸軍少尉でした。
 その後明治大学に復学卒業したのちは、一時吉田茂の書生を経験そののち、材木屋になったとのことです。天沼にお店を構えのちに環七沿いの豊玉南に移り新東京木材中野支部では月報委員として活躍されておりました。70歳を境に第一線から身を引き、主に練馬警察関係のボランティアと明治神宮の総代をして活躍されました。勿論それに加えて中野支部の最長老として、新年会や班活動にご参加いただきました。佐藤さんは4班に属しておりましたが、班の会合には私も時々参加させていただき、世界情勢から昔の材木屋の話まで幅広きお話ししていただきました。
 ご逝去をお聞きしてご自宅を訪ねた際、事務所兼書斎には多くの本が並んでいました。茨城県関係のもの、佐藤一族に関するものがありました。茨城県水戸時代の同期生のお店である「丸金」もご紹介していただきました。茨城県は徳川の世になる前は佐竹氏が善政を行っていました。その佐竹氏を秋田に追いやって入ってきた水戸徳川家はその地を収めるのに苦労してというお話も数十年前にお聞きした覚えがあります。
 今回お嬢さんとお話ししていて突然盛り上がったのは佐竹氏が持っていた「佐竹版三十六歌仙絵巻」のうち30枚ほどを今から3年ほど前に京都国立博物館で公開した話でした。36枚の絵巻を切り離し、競売し、36人の持ち主のうち30枚を一緒公開する機会にお嬢さんが行かれていたことです。私もその期間中に偶然京都に行き、入館する機会を持ったことでした。そんな話をして佐藤家を後にしました。


40年なんか一瞬ですね。






中野支部での新年会の一幕。芸者さんの三味線に合わせて磯節をうなっているところです。粋な佐藤さんのお姿。こういう材木屋さんもいなくなりましたね。自分も真似できません。



2022/12/03(土) 曇り


[ 飛鳥井さん逝く ]
飛鳥井さん逝く


飛鳥井進次さんが亡くなられたとの突然の喪中はがきに動揺しています。
飛鳥井さんは、1969年10月に初めてお会いした時は同志社大学の一年先輩で、歴史学研究会の席でした。同期の丁野朗君が飛鳥井さんと同じ現代史部会で、私は近代史部会というところに在籍しておりましたので、お目にかかる機会ができたのは初めのころには数少ないものでした。それが類は友を呼ぶではありませんが、八木さん(4回生)、貴田さん(3回生)、山本さん(3回生)、飛鳥井さん(2回生)、そして大野(1回生)と気の合ったもの同士で飲み会をする機会が増え、飛鳥井さんが卒業するまでの2年間大変お世話になりました。飛鳥井さんは大食漢だったので、飲み会の、当時は「コンパ」といいましたが、その前には腹が減るので「パン買うて来い」といわれ買いに行ったこともあります。
その縁で卒業後もお付き合いさせていただきました。橿原の実家にも泊めていただきましたし、結婚式にも呼んでいただきました。ご結婚後も新居に泊めていただきました。その際、八木周辺の居酒屋や寿司屋に連れて行っていただいたことも今は思い出となりました。
寛さんが生まれた後にも、もうその時には現在のご自宅だと思いますが、「息子が生まれた。菊池寛の寛じゃ」といって名前の由来を教えてくれました。
近くに来たら「定宿にしろ」といわれて4,5回は泊めていただいたと思います。
36歳ごろ(1987年後頃か)に一度泊めていただいた後には、お会いする機会がなくなり、つぎはそれから二十年以上経ってしまいました。2017年3月に京都で、昔の研究会仲間で集まりを持った時に京都で再会しました。変わらぬお姿を拝見し、久しぶりに昔話をしました。
そして今から3年前になりますが、私が関西へ行ったときに橿原駅で待ち合わせをして室生寺、聖林寺、談山神社へと車で案内していただきました。室生寺へは行きたかったそうです。その時も「もう車に乗るのは無理かな」とおっしゃっていましたが、「お孫さんに乗せてきてもらえばいいじゃないですか」とお話ししました。お孫さんももう20歳になられるでしょうか。
室生寺の門前でいただいた食事が思いのほか美味しかったのを思い出しています。
心にぽっかり穴が開いた気分です。改めてご冥福をお祈りいたします。合掌。





右端の帽子をかぶった方です。


後日お電話で最後のご様子などを聞くことが出来ました。親戚の庭いじりをしていて突然倒れてそのままだったそうです。豪快な人柄だったのでさみしい気持ちは倍増です。
2022/12/01(木) 晴れ


( 2023/01 ← 2022/12 → 2022/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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