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時々更新mn日記

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[ 年末恒例の穴八幡へ ]
年末恒例の穴八幡へ


年末恒例の穴八幡へと行きました。なんだかんだで35年ほど続いています。穴八幡は早稲田中学高校のすぐ近くにあり、通いなれたところです。が、今回は自転車で行きました。いつもなら地下鉄で行き、穴八幡の後は神楽坂へと繰り出して、「紀の膳」辺りで甘味をいただいて帰るのですが、今回は自転車ということもあり、徘徊してきました。

今年の穴八幡は、出店がなくて閑散としていました。お札をうけるのには時間がかからなかったのですが、お参りする方は行列が出来ていました。結果、お参りせずにここを後にしました。








我が母校に寄ってみると興風館建て替えの看板がありました。横へまわってみるとすでに取り壊されていました。校友会から募金の話はあったのでしょうか、気が付きませんでした。ともあれ、母校から早稲田大学の大隈重信公の銅像を左手に見ながら面影橋方面へと自転車を進めました。





2020/12/29(火) 晴れ


[ 昔の住まいには味があった ]
昔の住まいには、味があった。



私にはいくつかの住まい遍歴があります。生まれた家。育った住まい。その途中での下宿生活。一人暮らしした場所。住まいの建て替えに伴う仮住まいの所。結婚して住んだマンション。リフォームして暮らしている今の場所。その他親から頂いたアパートのリフォームや建て替え。今まで人生のほとんどを中野区弥生町、昔の名前でいうと本郷通りになりますが、その付近で暮らしています。

どの住まいにもたくさんの思い出があります。ただ年を取るにつれて昔の方が懐かしくなり、「暮らした家」といえば生まれた家か育った住まいになります。親がいてしかも若くて元気で、私自身も元気でした。こんなことを言うのもだんだんと弱ってきているからです。それは今までよりもという意味ですが、実際に友人たちが元気な人ばかりではなくなっています。幼稚園から一緒だった友人は昨年亡くなりました。中学高校時代の友人も病気がちです。そのうちのおひとりのお宅には屋根裏に梯子で上っていける遊び部屋がありました。彼の家に泊まるとそこで寝泊まりしていました。高校生だというのに酒を飲み、二人で過ごしました。

私が育った家には数多くの友人たちが来て母親がいつも朝飯を出してくれました。開放的なその住まいには二階に8畳の部屋がありそこが溜まり場でした。高校の友人、大学時代の京都の友人、大学の後輩、卒業後にできた早稲田大学の友人たちなど。早稲田の友人が結婚するというので、その披露宴を大隈庭園にあるホテルで行うために数か月をかけて「実行委員会」を作り、友人のために当時流行っていた「立看」といわれるベニヤ二枚に「結婚おめでとう」の文字を書き、大隈講堂の横に飾って写真を撮りました。

その住まいには何もなかったのですが、ゆとりがあり、開放感がありました。

そのあたりが今の住まい、これから作らなければならない東京の家、中野区の住まいで木造住宅を作るというと法規にのっとると自由度が減って木造で作る意味があるのだろうかと気がしています。耐火ボードの二重張りばかり目立ってしまいます。

もう少し好きなように作れないもんかと、考え込んでしまいます。自らが招いたことだとは理解していますが、「もっと自由に」と思うようになっています。

材木は人に害を与えない優れた素材です。その素材を活かせる住まいに少し近づかせたいと思っています。人生が終了するまでにあと一つ、造ってみたいのです。誰にでも作れるもので自分しか作れないもの。矛盾していますが、ありふれた、昔ありふれたものでよいと思っています。

今の住まいつくりはたぶん自分が望んで作り出したものだと思います。「合理化、標準化」などです。曲がった木を使うことよりも真っすぐな木材、乾燥材で同じ大きさですぐに使えるもの、それがどこにでもあって手に入るものであること。しかも安いなど、無理な要求を通してきました。「無理を通せば道理が引っ込む」のことわざ通り、その反動が来ています。柱といえば集成材、梁もそうです。土台といえば防腐剤入り。今のものは人体に影響が少ないとはいえ、長い目で見れば環境に良いものだとも言えないでしょう。

私もすぐ使える木を推奨してきました。25年くらい前の話です。「JASからJISへ」これが合言葉だった気がします。しかしながら工業化しない方があるいはできないもの、しない方が良いものがあることに気が付いていなかったと思います。一人一人の人間が違うように「個性を生かす」やり方が本来のものだと思います。これは面倒くさいやり方です。デジタルになれた方なら、コピーで住むものが、一つ一つ違うものだと認識していくやり方は手間がかかるだけでデジタルの恩恵が少ないものです。ということは「デジカル化出来る所はして、出来ないところはしない」というのが本来です。木材は個性の塊です。一本一本が違います。1枚1枚がその表情を変えます。そこな魅力になる訳です。その魅力を引き出すのが木材を使う醍醐味です。しかしそれで「食っていかねばならない」のをクリアーできていないのがここ30年です。

木材だけで食べていけた時代を生きさせていただきました。くる日も来る日も桁や梁を担いで移動させていました。それが仕事のようでした。木材も濡れていたものばかりでしたから、束のものはばらして乾かし、木目がきれいなものや節のないものは別に取っておいて高く売りました。間柱材などもばらして乾かし、奇麗なものは避けて、幅は機械で統一しました。そんなことばかりしていましたが、それで何となく本物に触れた過ごした40数年でした。もうそういう仕事はしませんし、出来ません。垂木一束担げなくなりました。そして最近、昔造った住まいが壊されて、更地になりました。そこに代替わりして新しい住まいが建ちます。それが来年の楽しみになりました。私はほとんど絡んでいません。それは楽しみであり、また不安でもあります。住み心地という点で前の住まいを超えることが出来るのか心配です。昔の住まいの方が味があるように思えてならないからです。


さて、クリスマスをしました。



来年にはコロナが収まって、人に会いたいと思います。良いお年を。



2020/12/27(日) 晴れ


[ 古い家の解体 ]
古い家の解体


我が家の斜め前のお宅が最近解体を始めました。お爺さんとその娘さんが住んでいたと思いますが、おそらくお爺さんが亡くなられて建て替えをするのかと思います。

解体業者は「湘南ナンバー」ここからは遠いですね。しかも見える方は外国人6人。日本の方が一人来るときもありますが、基本外人さんです。日本の若い人は汚い仕事は嫌がるのでしょうか。

その住まいは築60年くらい経っているのでしょうか。「小舞壁」でした。そのせいもあり埃はかなり出ます。

さて、今年はコロナ禍ということでまず飲み会が無くなりました。昨日テニスをした方とも以前は週2のペースで飲んでいました。4年前のことです。彼がその後仕事に復帰したので、水曜日にテニスのある時などにひと月かふた月に一度くらいのペースで飲みましたが、昨年12月から全くその機会は無くなりました。昨日も「コロナ禍が収まったら飲みましょう」といって別れました。

コロナで、人と人の結びつきが無くなりました。人に会わない生活が、逆に言うと妻としか話をしない生活が続いています。お出かけも御飯も二人でしか行きません。
というわけで、ごはんも二人だけです。






2020/12/20(日) 晴れ


[ 今年のトレンド ]
今年のトレンド



先日代官山まで行き、パンケーキを食べてきました。「フリッパーズ代官山店」です。



今年はパンケーキを憶えました。



2020年7月11日代官山「カフェクローバーズ」
2020年9月3日こだいら、コナズ珈琲店。人気店です。平日の昼間で車は満車。待ちました。受付の女の子が気が利いていて、美味しくいただきました。




2020年11月19日 小平エグー。ここが一番口に合いました。




2020/12/19(土) 晴れ


[ 古希祝い ]
古希祝い



先日11月28日の土曜日には、高校の同期生13名並びにその奥様方たち6名とで「古希祝い」をしてまいりました。

まずは東京タワーのある地下鉄御成門一番出口に集合してタワーのトップデッキを目指します。


150Mの展望台からさらに7人乗りのエレベーターで高さ223Mに登りました。この日は晴れていて見晴らしは最高。トップデッキへはたぶん始めて来たかと思います。













ここを後にすると先ずは、芝増上寺の徳川家の墓所へ。この近くで生まれ育った優等生のYさんの説明と共に、さらに芝大門、芝大神宮、芝離宮を経て、日の出からは「サンセットクルーズ」です。50人収容のデッキ付きの部屋に各テーブル2名ずつ座り、おいしい料理をいただきながら会食。デッキに出てゲートブリッジの真下を通りながら13夜を眺めてきました。








この日は、2万歩近く歩きました。みんなで元気でまた会いましょう。




2020/12/12(土) 晴れ


[ 理事会と鮭の市 ]
理事会と鮭の市


今年も早いもので終了が見えてきました。コロナ禍ということで、人と人の繋がりが分断されてしまいました。この一年は記憶に残ります。早く元の世界に戻りたいところです。

さて12月11日は、鮭の市と理事会でした。

市では、参加者65名を数え、昔ながらの「セリ」も再現されていました。「再現」というところが残念ではありますが、時代の流れです。つくばの市で桧の土台が5万円でも落ちなかったという話を聞いています。単価の低いものを扱うと売り上げは上がらず、利益を出すのが難しくなりました。「材木を売るためには、便器やユニットバス工事、空調設備工事を取る」そんな方向性しか残されていないようです。甥が設備屋に勤めていますが、その会社は設立10年で年商は新東京木材の本業を超えました。私たちが行っていることは自然の循環をより正しく回す仕事です。木材は人間に危害を加えない良いものだと、このところ改めて思います。

昨日より実家の解体が始まりました。世代が交代することで次い方々の住まいに生まれ変わります。私にとっては思い出の詰まった家でしたが、次の次の方にすべてをゆだねます。

さて、今回の市では、「鮭」の他にご褒美をいただいてしまいました。家に帰り、家内に正直に話したところ、「あなたの小遣いでよい」といわれ、クリスマスに使うことにしました。






2020/12/11(金) 晴れ


( 2021/01 ← 2020/12 → 2020/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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