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時々更新mn日記

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[ (株)沖倉製材所 ]
沖倉製材所

フェイスブックで友人となっている沖倉製材所は素晴らしい。いつも希望のある記事を送っていただいています。フェイスブックを使っている方は是非(株)沖倉製材所でアクセスして友達になってくあダサい。

ここでは木材の可能性のその現実的な可能性が多く語られています。先日も桧の丸太、直径60センチいやもっとあるかな、その丸太の芯の部分が腐った丸太を買って来て、60〜90センチに切断してその皮をはぎ、芯くりぬいていました。何に使うのでしょうか。昔だったら、火鉢にするのかなと思いながらその使い道を想像しています。その前に数年間乾かすのでしょうが。

若い時には、目の前のことばかりが気になっていましたが、それは稼いで生活を安定させるためでありましたが、先が見えてくると、もうちょっとゆっくりとしたスパンでものを考えるようになりました。木材はその一つ一つに個性を持っていますので、たとえ10センチ角でもその木材の持っている可能性を引き出せることができれば、十分満足できると思います。

今年は玄関の雨よけ屋根しか作らなかったので、今日は何か木材を使ったものを作って年納にしたいと思います。



今朝の景色ではありませんが、朝焼けがきれいな時期になりました。

2019/12/30(月) 曇り時々雨


[ 穴八幡へ ]
穴八幡へ

今年も残り少なくなりました。恒例の穴八幡へ今年も行きました。一陽来復をうけるためです。


今日も人出は多いと思います。


左肩回復のお願い。

例年なら「三朝庵」で融通そばですが、そこが廃業したので、今年は神楽坂まで行ってランチにしました。


高校の校門前で一枚。校舎の建て替えの看板がありました。卒業してから50年。私がいた頃の校舎は何も残っていませんが、卒業後に建てた校舎も建て替えの時期になりました。年を取った実感がしました。



神楽坂は例年よりも人が少ないかも。

その後「紀の善」であんみつを買い、その近くにある青森県のアンテナショップで県産品を仕入れて家に戻りました。そういえば神楽坂で甘酒と肉まんも仕入れてきました。お正月までもう少しですが、のんびりとしたお正月が送れそうです。


2019/12/29(日) 晴れ


[ 今年できなたっかこと ]
今年できなかったこと


沢山ありますが、一番は考えていたよりも断捨離をすすめられなかったことです。物を捨てるのは、時間がかかりますね。

それと部屋の片づけ、材木の片づけでしょうか。このあたりは来年に持ち越しになりました。来年の前半に何とか少しでも進めたいところです。

さて、クリスマスは、近所の「Meat Meet」で会食。義姉から今年も野菜をいただいたので自宅で食べることは増えていますが、肉の誘惑も抑えられません。今年あと一回行きたいと思います。




2019/12/25(水) 晴れ時々曇り


[ 恒例の記念市と理事会 ]
恒例の記念市と理事会


12月13日は毎年恒例の昭和会の記念市でした。この年末の市には多くの仲買さんで賑わいます。今年も80名近くが集まりました。



市の後は理事会です。今年最後の理事会でした。議題はなかなか決まらず、先へ進みません。組合の職員の数が減り、職員さんと組合員の関係が希薄になっているように思います。総じて組合員の現状を分かっている方が減っているのが気にかかります。

ただ事業は好調です。木材建材でも不動産でも利益が出そうです。そうなると組合員への利益還元が一番大きな仕事になります。その方法は如何に。

さて先日昔の中野市場の跡を通りました。



ここの土地利用もなかなか進展しません。



2019/12/17(火) 雨


[ 梅宮辰夫さん逝く ]
梅宮辰夫さん逝去



東映の映画スターで我が高校の先輩でもある梅宮辰さんが亡くなりました。81歳でした。映画界がまだ全盛期の頃に東映に入り、テレビや映画界で活躍されました。子供の頃はテレビ朝日では「遊星王子」。大学生になってからは「不良番長」シリーズや「仁義なき戦い」は見ています。

映画を見ていたころの私は山城新伍のファンで、そのテレビや映画を堪能していましたから、その奥にいる梅宮辰夫さんも当然たくさん見ています。料理好きで料理番組も持っていました。小林旭という日活出のスターさんがいますが、その方が梅宮さんの料理番組に出て出された料理を食べながらトークをする番組がありましたが、出されたものが熱々で小林旭さんは猫舌のため、手を付けられずに冷めるのを待ってから食べ始め「おいしいよ」と言っていたのを思い出します。

スターらしいスター、映画俳優という職業が似合う人がまた一人いなくなりました。残念です。ちなみにわが校の有名人は梅宮さんのほかには、ピンク映画の山本普也監督やプレーステーションを作った久夛良木健さんなどがいます。久夛良木さんは同期ですが、交流は全くありません。同期会で3度ほど顔を見た関係です。

さて、このところ急に寒くなりました。また暖かくもなりました。その関係もあり、亡くなる方も増えています。材木屋の友人のお母さん(お母さんといっても私と年は同じです)や近所の少し年上の知り合い方などです。年を取ってくるとこんな話ばかりだと思うようになりました。こうしてだんだんと免疫ができてきて死が近づくのだなと思います。昨日は二班の会合でした。おいしいものをいただきましたが、そのような時間は大変貴重なものだと思うようになりました。あと3年は頑張りたいところです。





2019/12/12(木) 晴れ


[ 忘年会と会合が続く ]
忘年会や会合が続く


12月は久しぶりに飲み会が続いています。テニスのものもあれば木材業界のものもあります。



テニスも材木屋も気の置けない仲間との語らいは愉しいものです。つい調子に乗って頓珍漢なことを言ってしまうこともあります。そんなしくじりを柔らかく受け止めていただけるとすごく助かります。

さて、「旅想」という同人誌に今回三陸に行った話を書きました。この日記に載せたものと中身は変わりません。この雑誌と付き合って18年くらいになります。だんだんと書くことが少なくなって同じような話ばかりになりました。こういうのをマンネリというのでしょうか。

所で、8日には、小平のお墓に行ってきました。10月の台風でお墓の木が倒れたとのこと。かなり前に従兄妹から電話をいただきておりましたが、やっと確認に行くことができました。




一番手前に左右一対づつあった「どうだんつつじ」が無くなりました。従兄妹が片付けてくれたとのことでした。なんとなくさみしげなお墓になりました。
2019/12/09(月) 曇り


[ この時期には ]
この時期には


毎年この時期には、喪中はがきが来ます。今年も数は多くはありませんが、届いています。その多くは、親の死を知らせるものでした。が、その中に混じって同級生の訃報も届きました。

家族の意向で密葬になりました。脳出血で死を迎えたそうです。その一か月前には元気で、みんなと酒を酌み交わしたのですが、あまりにも急に感じられたので、なんとなくその死を受け入れられない自分がいます。8月11日にクラス会で「大野は○○だよな」そんな言葉が最後になりました。その言葉が思い出せないまま、ここ数日もやもやしています。

今年はお世話になった方が3人ほど他界されて、同級生も彼を含めて2人になりました。これからこれが日常になると思うと気が重くなります。



2019/12/02(月) 雨


[ 間もなく閉店 ]
まもなく閉店


テニスに通う行き帰りの道に焼き鳥屋さんがあります。うまくて安いことからたまに買って帰ります。3時過ぎに行くと子供連れの親が子供のおやつに買ってゆきます。1本80円から100円まで。子供が3本買うと、飴が付きます。

ここが年内で閉店です。借りている店舗の老朽化で建て替えが予定されているとのことです。借りているのは一階の店舗部分だけなのでお店が無くなります。

創業53年と看板には書いてあります。このお店ができた頃にはこの通りもおそらく右も左も商店で埋まっていたことでしょう。小経営が十分成り立っていた時代と違い、人が街中にいない今では個人商店は成り立ちません。さらに商店街として組織しても歯抜け状態になり、衰退は否めません。小さな商売は成り立たないと思います。それでもまだ小さな商売が成立しているとすれば、その商売だけではなく、それ以外に収入の道があるからだと思います。我が父は一つの土地を借金して手に入れるとそれを人に貸し、あるいは一階を商売に使い、上の階を人に貸して、上の階のあがりで借金を返しながら、手を広げました。が、それも個人では限界にきて、現状維持から縮小へと舵を切りました。縮小した段階で私はバトンを受けましたので、気が楽な面もあります。

近所を見渡してもそう長く商売を続けていけそうなところが減っています。いわば、「まもなく閉店」です。

仕事の形態はかなり変わるのだと思いますが、人と対面して行う仕事がいいですよ。




2019/12/01(日) 晴れ時々曇り


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[ 管理者:大野満生 ]


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