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元気です。
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元気です。
吉田拓郎の「元気です」を聞いたのは大学を卒業して数年を経たころだと思います。
「22歳の別れ」を初めて聞いたのは22歳から23歳になるときでした。それから数年後のことだと思います。
当時家業を継ぎましたが、とても継いだなどといえる代物ではなくて、やせっぽっちには担げない、すぐに疲れるの繰り返しだったことだけ覚えています。それが数年間で何とか材木を持てるようになるのですから不思議なものです。体重が増えて胸板が厚くなり、筋肉量が増えてなんとなく格好がつくようになりました。
そのころ聞いた歌が「元気です」でした。
最近聞き直すとその頃の気持ちに戻ります。 「誰もこっちを向いてはくれません。一年目の春立ち尽くす私」
しばらくは「立ち尽くして」いましたが、それだけというわけにもいかずに、来た仕事に精を出していました。とにかくその頃の仕事は売り上げの大半が木材で、材木を引き取ってきてわが社に立てかけて、大工さんが「刻み」という「墨付け、穴掘り、刻み」の工程をするときに必要な本数を横に寝かせて、大工さんの作業を助けます。それを配達しての繰り返しでした。わが社には下小屋が二つありましたので、そこへの配達(移動)がかなり仕事に占める割合が多くて、効率の悪い仕事をしていました。
あれから40年。
下小屋は実家とマンションに変化しました。細かく持っていたのが今のところ我が家を助ける結果になっています。
せんだって3月の大学のOB会の写真が届きました。プロ級になった二年後輩がとってくれたものです。あれから45年以上たちましたが、みんなの顔を見ると元気になります。ありがたい存在です。
2017/05/22(月)
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