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時々更新mn日記

( 2016/10 ← 2016/09 → 2016/08 )


[ 夏は終わりました。 ]
夏は終わりました。


台風はまだ来ますが、今日はかなり涼しくなって夏が終わったのを感じています。今週は月曜日から金曜日まで毎日テニスでした。明日も雨が降らなければテニスです。その中で今日はよく走りました。2時間だけでしたが、疲れました。
ただ心地よかったのも確かです。気温22度。湿度54%。だいぶ楽です。昨日までが気温29度、湿度90%以上でした。

毎日体を動かせているので、身体が動くようになった気がしています。夏が終わると衣替えや冬支度などやるべきことが増えてゆきます。

ベランダのゴーヤやキュウリ、トマトは片付けました。あと残っているのはピーマンだけになりました。






2016/09/30(金) 晴れ時々曇り


[ 忍者を科学する ]
忍者を科学する


中島篤己著


私の本棚

子供のころ、将来なりたいものの一つに忍者がありました。テレビで見る忍者の活躍に心惹かれ、体を鍛えた時期がありました。身体を鍛えたといっても歩く、ぶら下がる、飛び降りる、といった類です。我が家は材木屋だったので母屋に隣接する林場と呼ばれる材木置き場がありました。通常の住まいの天井高は2400ミリくらいですが、材木のサイズは3650ないし、その半分の長さのものが基本サイズでした。それを立てかけておくために、林場の高さは4000ミリから4500ミリくらいありました。ところどころに短いサイズのものをおくために、中二階くらいの所に踊り場を作り、その右左に、4段梯子で登れる2階というか3階がありました。中二階までも梯子で登り、またその上も短い梯子で登るようにできていました。その3階の所にも材料は置かれていました。もちろんそこまで梯子で担いで登るのですから、そんなに重いものはなかったと思います。

さて、その中二階の所から飛び降りるのが好きでした。2400ミリくらいはあったでしょうか。地面は土でした。飛び降りる練習をしていました。小学生の時だったと思います。

それと同じことですが、家の中でも二階に和室の8畳間がありました。ここは客間として設計されており、長押もついており、4尺5寸の地袋付きの床の間がありました。もちろん真壁用の柱でヒノキ材でした。天井の高さは2400ミリで、秋田杉の4分板が張られてありました。1800ミリの所にある長押に手をかけて、長押まで登りました。今考えてもどうやって上ったかは思い出せません。でも忍者が時代劇でするように長押に両足を乗せて天井の桟につかまっていました。そして最終的にそこから飛び降りるのです。どこかで反転しなくてはならないので、登り方は思い出せません。

これは下に響くので、親に怒られました。

身長が130センチ、体重30キロ台のころの話です。雲梯とか、ジャングルジムとかも好きでした。かなり素早く動くことが出来ました。

数年前とある小学校で雲梯にぶら下がりましたが、一歩も進めず30秒もぶら下がっていることが出来ませんでした。隣で遊んでいた小学生に、これ見よがしに右から左に雲梯で移動されて、落ち込みました。

身長163センチ体重65キロ。小学生のころとは違っていました。

話がそれましたが、この本を読みながら、私にはこんな化学的な知識はないので忍者は無理だなと思いましたが、昔の夢は捨てがたいものがあります。それでも海水を真水にする方法やのどの渇きを解消する「水喝丸」の作り方など参考になります。




2016/09/26(月) 晴れ


[ 鼻歌 ]
鼻歌


家やテニスの行き帰りに鼻歌がでます。気がつけば懐メロを口にしていることが多くなりました。

家で歌っていると「ご機嫌じゃん」と家内に言われています。

私の好きな歌は、「山谷ブルース」「唐獅子牡丹」「わたぼこの中に咲いた恋」などです。石原裕次郎や舟木一夫も良く歌います。自転車に乗っていると橋幸夫の「子連れ狼」とか、小林旭の「も一度一から出直します」とか、田畑義夫の「かえり船」、春日八郎の「赤いランプの終列車」などを口ずさんでいます。

私は1951年生まれです。生まれた年のヒット曲は「芸者ワルツ」。この歌は友人の結婚式で披露しました。小さなころには家で年に一度お客さんを集めて宴会をしました。近所の方や親戚、お得意さんとともに中野新橋の芸者さんが3、4人来てにぎやかに歌い踊りました。そこで聞いたのが芸者ワルツ。

トンコ節などもそのあたりで覚えていたと思います。1950年代の後半に鈴木三重子さんが歌った「愛ちゃんはお嫁に」という歌が記憶に残っています。

そうして60年代に入ると我が家でもレコードプレーヤーを買いました。橋幸夫の「潮来傘」や北島三郎の「なみだ船」など父親が買ってきてよく聞いていました。私はテレビから流れてくる橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、それに三田明。前者が御三家。後者を入れると四天王という時代でした。私は舟木、西郷は好きでしたが、他の2人は少し距離がありました。そこではむしろ安達明や久保浩の方が好きでした。中学の終わりくらいからビートルズが全盛期を迎えましたが、私は聞いてはいましたが、のめりこむことはありませんでした。英語が嫌いだったからだと思います。ですからGSはかなり聞いていました。その後受験を控えるようになるとラジオから聞こえてくる関西フォークが自分にあっていると思いました。高石友也、岡林信康、ザフォーククルセダーズなどの歌がしっくり来ていました。

だから京都へ行ったわけではありませんが、気になる存在だったのだと思います。同志社ではひょんなことから歌声も知りました。昨晩は武田鉄矢さんの司会でロシア民謡から芹洋子さんの「四季の歌」なども紹介していました。

その前の高校時代でもコーラス部にいた友人から「星に祈りを」などを教えてもらった記憶はあります。

大学3年生の時から体調不良で約一年半、何もしない日が続きました。その時にしたことの一つが映画を見ることで、今一つはラジオを聞いていたことでした。映画に関してはこのHPでもアップしていますが、大半が日本映画でしかもB級映画というのが私の特徴です。ラジオで聞いていたのも似たようなものでした。戦前の流行歌、榎本健一のコミックソング、戦時歌謡、戦後の歌謡曲など、自分が生まれる前の歌に興味を示しました。

そして大学生活を終えて東京へと帰ってくると、吉田拓郎や泉谷しげるなどのフォークソングを追いかけていました。その反面、新宿にあった「カチューシャ」や「ともしび」など歌を歌う場にも顔を出していました。

中学に入るころから15年間。今でも口ずさめる歌はこの期間に覚えたものばかりになりました。きっと私の青春だったのでしょう。

それらもいまからみれば、30年も前の歌になりました。歌とともに思い出もついてきます。思い出とともにのんきな歌を歌っていきたいと思います。のんきな歌を歌えるのは私が戦争を知らないで代だからです。その意味では、「戦争を知らない子供たち」も歌うことにしましょう。



2016/09/24(土) 曇り時々雨


[ お風呂の温度を41度にしました。 ]
おふろの温度を41度にしました。



19日には小雨の降る中テニスの試合でしたが、20日ははっきり雨。テニスの予定は流れて、家でのんびり。銀行関係や支払いを済ませて今月も無事に過ごせました。ただ寒くなりましたね。少し前まで窓を開けて寝ていましたが、涼しい風が入ってきて気持ちが良い、という状態から寒いという風に変化しました。

おふろの温度を41度にしました。

1日1回湯船につかって瞑想するのが日課です。といってもあまり長く浸かっていないのも事実です。

さて、今は全自動でお風呂を沸かせていますが、子供のころには風呂は自宅にはなく、銭湯通いでした。良く行くのは川中湯か清春湯でした。40年前に亡くなった祖父が近くに越してきて、一緒に風呂屋に行くこともありました。祖父は死ぬまで「6尺ふんどし」でしたが、私は締めたことがないので感覚はわかりませんが、そんなことを思い出します。

そして、父が家を建てたのが昭和33年。私が小学校に上がってしばらくした時でした。35歳になっていないと思いますが、その頃です。家にお風呂もできました。職業が材木屋という関係から、木材の切れ端がたくさん出ます。それをみかん箱に入れておいて、鉈で割って火をつけます。マキが燃料のお風呂でした。小学校の半ばくらいから二十歳ぐらいまで風呂当番でした。鉋屑や燃えやすい乾燥した気を細かく裂いたものを先に入れて火をおこします。火がつけばマキをくべてお風呂を沸かします。家族4人に住み込みの番頭さんがいました。5人が入れば火を消して1日が終了です。

ガス給湯器からお湯が出るようになり、台所からホースを使ってお湯を風呂桶に入れていた時代がありました。ぬるくなるとマキを使って沸かし直ししました。今風に云うと「追い炊き」です。

昭和の終わりころからは、マキを使うことは無くなりました。追い炊き式のガス給湯器に変わり、12年前からはそれが我が家でも全自動になりました。風呂とトイレは少し大きめに造っているので、いつもお風呂にはゆったりして入ります。



2016/09/20(火) 雨


[ 敬老の日 ]
敬老の日


65歳になって高齢者の仲間入りをしました。今日は敬老の日。時折小雨の降る中、上高田のコートで団体戦に出てきました。結果は8チーム中4位。いい所でしょうか。個人的には1勝2敗。これも妥当なところでしょうか。一番最後に行った男子ダブルスの試合では圧倒的に負けてしまい、何が通用して何が通用しないのか、したがってどこで踏ん張らなければ勝てないのかを考えさせられました。ひとことで言えば力負けでした。もっとストロークの腕を磨かなければなりません。甘い球を運ばないようにしなければなりません。ということで、まだしばらくはテニスを続けようと思っています。





さて、今日は、チャンネルネコでは、石原裕次郎特集です石原元東京都知事は違うところで老害を見せていますが、今晩は裕次郎の若い時の映画の特集があります。少しだけ見ました。北原三枝はきれいですね。かっこいいです。当時の近代的な女性を体現しているようであこがれてしまいます。

話は変わって
さる17日には、ウインザーのバーゲンに行きました。新宿のNSビルというところでの開催でした。
また18日には、やはり新宿で昼飯を食べて、小田急で買い物。昼飯は行きたかった「牛カツもと村」にしました。おいしかったです。

小田急百貨店では、本館10階の三省堂書店やその隣の伊東屋文具店に行きましたが、本屋さんは様変わりでした。本が置いていません。売り上げの大半がネット注文になったからでしょうか。私自身もこのところアマゾンを使うことが増えました。ほとんど中古品ですが・・・

18日は新宿もお祭り。これが終わるといよいよ秋です。









2016/09/19(月) 曇り時々雨


[ 自転車で早稲田まで ]
自転車で早稲田まで


午前11時から時間が出来たので新大久保駅から早稲田までとりあえず行きました。新大久保辺りは韓国系のメッカ。半年ぶりにこのあたりへ来ましたが、観光バスで乗り付けた韓国系の観光客の団体さんがカメラ片手にバスから降りてきました。我々がどこか外国へ行ったと思えば、納得できます。今日はそちらには興味がないのでそのあたりは通り抜けて新宿区の「レガス新宿」という新宿区の施設申し込みをする場所まで書類を取りに行きました。

ここまで約30分。まっすぐ来れば意外に近いものです。せっかくここまで来たのだからとさらに自転車を走らせました。地下鉄副都心線西早稲田駅にあるラーメン屋を目指しました。この駅近くには「えぞ菊」というラーメン屋がありました。10年ほど前に一度来ています。創業48年全盛期にはハワイに支店を出していました。

そこが本店で、早稲田にはもう一軒支店がありました。本店の場所まで来ると店は別のラーメン店に替わっていました。そこに入る気もしなかったので支店を目指しました。明治通りから早稲田通りに入ると「えぞ菊」が目に入りました。ためらうことなくお店に入りました。味噌ラーメン800円。昔から高い所でしたが、今も変わっていません。店の位置は変わっていませんが、店の作りは変わっています。味は変わりませんでした。4日ほど前にも中野新橋で「麺好」というラーメン屋に入りましたが、このところ涼しくなってきて、ラーメンも食べたくなる季節です。

さて、ここを、この場所を初めて訪れたのは、今から43年前です。そのあたりからその後5年間くらいはかなり通いました。10枚溜まると一杯無料というサービス券で食べたこともあります。基本味噌ラーメンです。ここへは同志社を卒業した後に知り合った早稲田の学生さんと良く来ました。

ついでにその時一緒に食べた平木君の下宿も探してみました。この近くにあったのです。記憶をたどって道を進みましたが、もうすでに面影もなく、私の記憶もたぶんこの辺り、というレベルのものでした。結局わかりませんでした。

そこで、もう少し早稲田通りを東へ下りました。そこは40数年前は古本屋街でした。大小100店舗くらいあったと思います。今でもかなりの数があると思いますが、今回顔を出したところは「虹書店」。もちろんご主人も代替わりしていて、今は女店主でした。ここで気に入った本を買い、来た道を戻りました。アシスト自転車の電池の残量が乏しくなったからです。


明治通りから早稲田通りに入ったところからの写真です。向かいに見える「伊勢屋」さんは昔からあるお店です。稲荷ずしや和菓子、赤飯などを売っているお店で、中でも食べられます。


その反対側にあるのが「えぞ菊」です。


「えぞ菊」から、2本目の通りを左に降りて行ったところに平木君の下宿先があったと思いますが・・・記憶ではこのあたりかと・・・


足を延ばして「虹書店」まで。もう少し下っていくと右に穴八幡。左前に早稲田高校があります。今回は、その手前で引き返しました。



帰り道はいつもと違う道を、坂を下っていくと右手に神社がありました。この辺りの地名諏訪町のもとになって「諏訪神社」でした。ここにあるとは全く知りませんでした。たまには違う道を通るのがいいですね。

今日も新しい発見がありました。



2016/09/14(水) 曇り


[ 雨でテニスは中止です。 ]
雨でテニスは中止


このところの秋雨前線の影響で、今日から雨。テニスは中止です。のんびりすることにします。平日昼間のテニスは、台風にも負けずに開催していますが、さすがに今日の雨では誰も出てくる方はいないと思います。

さて、夏も終わりです。そろそろ衣替えを考えなくては、と思います。仕事をしていた時には、夏場は7時から仕事を始めるために、朝一でシャワー。次が10時。そして昼飯の前と3時過ぎ。そのたびに着替えていましたから洗濯物はかなりの量でした。それだけ汗はかきました。従ってTシャツやポロシャツはかなりの量を持っていました。Tシャツはかなり捨てましたが、まだポロシャツはあります。衣替えの時に出しましたが、今年実際に着たのは5枚くらいでした。

体型が変わってきているのとそもそもあまり着なくなったからです。あるテニス仲間に言われてしまいました。「大野さんは、パジャマとテニス用品しか着ない」と。

かなり正解です。

そのパジャマも今年は2セット捨てました。15年も着ましたのでさすがに傷んでおりました。夏物はあと2セットしかありません。が。今年は涼しくなったので、もう買わなくても大丈夫でしょう。

着るものも良く着るものは早く痛んでしまい、捨てなくてはなりません。あまり着たくないものは着ないままで一年が過ぎ、そしてまたしまってしまいます。そうしてマイナス思考のものばかり残るので、たまには新しいものを買おうと思います。


2016/09/13(火) 雨


[ だいぶ涼しくなってきました ]
だいぶ涼しくなってきました。


暑いさなか、テニスに興じる日を送ってきましたが、ここの所その暑さもひと段落、湿気はまだ多いですが、だいぶ楽になりました。

今主に哲学堂テニス場と上高田テニス場、並びに西落合公園内のテニス場を利用しています。
一日2時間ないし、4時間、週に4回のペースで行っています。退職者がほとんどのテニス仲間ですので、平日昼間が基本です。土日はコートが取れません。楽しく汗をかけばそのあとのビールがおいしいです。

その行き帰りには自転車を使います。約20分間。いろいろな道を通るのでかなり道を覚えました。いつも通る道を一本外していくとまた違った景色が現れます。新井薬師前駅を少し南に行ったところを左に曲がると住友林業が建てている住まいがあります。もうすぐ完成ですが、ここはなぜか2×4でした。住友林業で建てるのなら国産材がいいのでは、と思いますが、SPF材でした。そんなことを考えていたら、すぐ手前の古い住まいが壊されて空き地になりました。そのあと、どんな住まいが建つのか、またこの道を通ってみたいと思います。



新宿の西落合テニスコートです。南北に2面あります。


2016/09/12(月) 晴れ時々曇り


[ 法事の案内が来ました。 ]
法事

母方の祖父母の50回忌のお知らせが届きました。もうそんなになるのかと思いますが、大伯父の7回忌もかねて親戚が集まる予定です。伺おうと思っています。

そういえば母が亡くなってもう直に21年が経ちます。早いものです。生きていたら87歳です。まだ健在でもおかしくない歳ですが、病気に倒れこの世からいなくなりました。そして21年も経つと母を知らない人たちが増えています。当然のことですが、母から見て孫の世代は幼かったし、ひ孫はその存在すら知りません。

さらに仏壇に飾ってある写真も、母なのですが、ちょっと違う、というか、雰囲気が出ていないと思っています。かといって探すと案外ないものです。自分自身のものも用意しておかねばなりません。

さて、このところ見る夢の一つに、姪が小さな時の夢が多くなりました。札幌で生まれ、親の転勤で8か月の時に我が家の近くに越してきました。一年後に弟が生まれ、さらにその二年後に弟が生まれるまで、我が家の近くで過ごしました。従って私も接する機会が一番多いのがこの姪でした。私の所は自営業ですから、仕事がひと段落するとこの姪を見たり、抱っこしたりするのが大好きでした。夜中に姪が眠らない時には、おんぶして、寝るまで家の中を歩いておりました。寝たかなと思って、布団におろすと目が覚めてしまう子でした。

その姪も33歳。二児の母親になりました。人生はあっという間に過ぎてゆきます。

今回の50回忌の祖父母が亡くなったのは私が中学から高校生の時でした。時の流れの速さだけを感じるこの頃です。



2016/09/11(日) 曇り時々雨


[ トク・特ビアパーティー ]
トク・特ビアパーティー



新東京木材商業協同組合の「トク・特ビアパーティー」が去る9月9日金曜日に開かれました。第14回を数えるそうです。

久しぶりに市場に行き、木材の香りにふれました。



だいぶ量的には少なくなりましたが、都会の中では林場に入るとオアシス感があります。木の香りにふれる機会の必要性を感じます。




ビアパーティーの終盤恒例の「セリ」です。活気にあふれます。




2016/09/10(土) 晴れ


[ 夏休み中の読書 ]
夏休みの読書


8月のお盆休みも終了して、またテニスの生活に戻りました。というと嘘になります。テニスの生活を続けながら、お墓参りに行き、また読書もしています。祭礼も終わり、雨が続くと読書になります。そしてあっという間に9月になりました。

ネットで買った「日本の一番醜い日」鬼塚英昭著を読みました。明治維新のことを調べようと買ったのですが、実際は1945年8月14日から15日にかけてのいわゆる「日本の一番長い日」を取り扱ったものでした。私の興味とは少し違いましたが、鬼塚さんの視点が面白いと感じ、また知りたいことが出来たので、教えてもらうのに手紙を書きたいと思いましたが、この方は今年の1月に亡くなられた方でした。この本自体が10年も前に出たものですので、したかないですが、惜しいことをしました。

そのほかアトランダムに描くと、「歴史の流れの中に 最後の内務大臣安倍源基」(阿部基雄)、日本共産党の研究(立花隆)、天皇が19人いた(保坂正康)、皇太子婚約解消事件(浅見正男)、日本史のタブーに挑んだ男(松重楊江)に「忍者を科学する」(中島篤巳)です。

近代以降の日本の歴史には、欠かせないものの一つに山口の周防地方、それに南朝系の天皇です。前者と後者は重なり合っていますが、明治政府の天皇制論は、南朝正統論です。今の天皇は北朝系では、と疑問を持たれる方もおられるでしょうが、正統は南朝系です。

北朝系である孝明天皇は暗殺され、その子睦仁親王も同様。後を継いだのが周防の力士隊隊員で、その方が明治天皇になってゆく、その方は南朝の血をひいています。その天皇と系図上つながっていくのは、伊藤博文、難波大助、河上肇、宮本顕治、木戸幸一などです。この明治天皇の地縁関係者には、安倍源基、岸信介などがいます。みんな周防地方の方々です。「日本の一番醜い日」では、この辺りのことは書いてありますが、論証はできていません。

南朝正統論は、明治天皇が自身の出目を明らかにしておきたいと思ったから言い出したことなのでしょうか。そのあたりはまだわかりません。


ありていに言えば、地縁と血縁です。

孝明天皇と明治天皇に血のつながりはなく、大正天皇と昭和天皇も同様です。今上天皇と秋篠宮もそういわれています。そんな本ばかり読みました。果たして真相は?

今、遠山茂樹氏の「明治維新と現代」を読み返しています。


2016/09/06(火) 晴れ


[ 最近物忘れが・・・ ]
最近物忘れが・・・


テニスの試合をしていると、かならずカウントを確認します。人のサーブの時には現在のカウントはわかるのですが、自分のサーブの時には、忘れてしまうことが多くなりました。長いラリーが続いたときなど、まったくわからなくなります。そこで聞き直します。味方の方よりも相手の方が、覚えてくれています。昨日の試合でも途中でカウントがわからなくなりました。自分でも物忘れが多くなったと感じます。

そこで活用している一つにカレンダーがあります。手帳も持っていますが、使いこなせなくて一年のうちの数か月分しか記入できません。そこへいくとカレンダーは机の前においてありますし、毎日の予定が書きこんであります。追加やキャンセルなども書き加えて、上書きできるので、当初の予定もわかります。それでも書き忘れもあり、さらに9月28日の予定を10月28日に書き込んだりしています。

まあ、年なのでしょうね。

朝は目覚めが良い方でしたが、朝起きても身体が固まっていることも増えました。ベッドの上で軽く体操してから起き出しています。

人にメールを送ったり、手紙を書いたりしていると、途中でやめてしまうとそれっきりになって時間だけが過ぎてしまうことが多くなりました。

逆にそれを防ごうとして、葉書の返事をすぐにしたりすると、書き忘れたり、違う表現の方が良かったり、文章として成り立っていなかったなあ、などと反省しきりです。

ちょうどよいというのが少なくなっています。昨日の夜もメールの返事を書きましたが、実は書いた記憶すらなくなっていました。「何かメールが来た」という感覚は残っていたのですが、誰からか、どんな内容だったのか、そのあたりがあいまいです。半日過ぎて受信メールと送信メールを確認して赤面しました。私が返信したメールは、字は間違っているし、話の筋道は理解しがたいものでした。送った記憶が定かではないのも怖い話ですが、残ったものを素面で見ると「よく考えてから、自分の体調の良い時に落ち着いて書いたものだけを送りなさい」と云われているようです。

テニスもそうですが、安全で確実、無事に一日を終えるには、もっともっと気を使わないとだめなのでしょう。昨日のテニスのしくじりをいくつか引きずっています。失敗したショットが夢に出てきました。現実だけでなく夢の中でも失敗しています。



2016/09/05(月) 晴れ


[ 中野区のテニスの試合で準優勝しました。 ]
テニスの試合で準優勝しました。


9月4日、中野区の大会の一つに出て、壮年ミックスですが、準優勝しました。則子さんと出て1位トーナメントに出たのは初めてでした。優勝は逃しましたが、少し自信がつきました。もう少し頑張りたいと思います。




テニスの試合で、賞状と賞品をゲットするのも初めての出来事でした。今晩は祝勝会です。



2016/09/04(日) 晴れ


[ 超参勤交代リターンズ ]
超高速参勤交代リターンズ



9月2日はジェイコムの無料試写会券が当たったので久しぶりに夜の新宿で映画鑑賞です。夕方5時前に着いて軽く食事。「アカシア」というレトロなロールキャベツをいただきました。塩味がややきついのですが、コロッケを付けて洋食を楽しみました。昔々こういう洋食屋さんへ来て食べるのは贅沢でしたが、その感じは今もって抜けません。オムライス、お子様ランチ、ハンバーグ、メロンソーダなど豪華な感じがいまだにします。

さて食事は終わりましたが、まだ映画の開始時間には早いので、新宿の街をぶらつくことに・・・

20年くらい前までは良く来ましたが、最近ご無沙汰で、人ごみの中を歩くのも下手になりました。昔新宿コマの会ったところにはゴジラのビルが建ち、昔からのお店やビルが少なくなりました。こうして私も一人前の「田舎者」になりました。

さて、映画は娯楽作品なので、気軽にみることが出来、楽しかったです。あまり突き詰めると変なところばかりになりますが、そういうことは考えずに見てきました。

映画が終わると夜の9時。小腹がすいたので中野新橋に戻り、夜食を買い込んで家に着きました。










2016/09/03(土) 晴れ


[ 中野新橋に「串カツ田中」新規開店 ]
中野新橋に「串カツ田中」開店



9月1日夕方5時から中野新橋に串カツ田中が新規開店しました。食べに行きました。開店早々でしたが、50席も小一時間して満席となりました。

方南町にあるお店と同じメニューですが、今までかなり開いていたビルの一階に新規オープンです。これで少し中野新橋が活気づけば御の字です。






お腹に溜まりました。



2016/09/01(木) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy