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時々更新mn日記

( 2016/09 ← 2016/08 → 2016/07 )


[ 台風の最中 ]
台風の最中


今日も昨日も雨模様でしたが、テニスはできました。両日とも哲学堂公園テニス場でした。

昨日8月29日は、13時から15時を予定しておりました。前日より雨が降り、当日の朝には上がりました。それが12時前に降り始めたので、実施するかやめるかの判断が難しい所でした。一応行うことも考慮してテニスコートまで行くことにしました。

午後1時前に着くと、6コートあるうち、二つのコートでテニスを行っていました。7人がエントリーしていましたが、実際に来たのは4人。それでも4人揃ったので、二時間テニスを楽しみました。

そして今日。台風10号が東北地方に上陸か、という日に11時から2面とれていました。11時前に集まったのは5人。他のチームで来たけど他の人が来なかったところが2人。一緒に行いましょうと話はまとまりましたが、2面とるにはあと一人必要。そこで参加予定の方に電話して人数集め。

電話にすんなり出る人は自宅にいて「来ます」という返事はいただきましたが、30分ほど遅れます。電話をして出なかった人は、たぶんこちらに向かっているのだと判断して、2面を借り受けました。予定内の方で来られていない人にメールをしました。そのうちのおひとりからは13時から行きますという返事をいただきましたが、「今日は13時はありません」と返事をしました。

約30分遅れましたが、全員がそろうと12名になりました。そこで「もう一面増やして」3面使うことにしました。6コートあるうち、使っているのは私達だけでした。他の所は「雨中止」でした。

12名で3面使ったので、基本的に休みはメンバーチェンジの数分間になりました。実質一時間ちょっとだったので、無事にテニスは終了しました。

今日は雨の予定でしたが、どうしても開催したい理由がありました。それはテニス後の昼飯場所である「からこ」といラーメン屋さんが8月31日の昼で営業を終了するという話を聞いていたからです。数日前にも来ましたが、ラストに来て「あんかけ焼きそば」を食べたいと思ったからでした。これは手間暇がかかるので、ランチ時間には作ってくれない商品です。5人で食べに行って全員それを頼み、この店とお別れしました。

なんでもこの付近にあった会社が何件も移転して昼間はまだお客さんがいるけれども夜はさっぱりとのこと。店主も年を取ったので廃業を決めたとのこと。35人くらいは入るお店でしたが、このお店の代わりになるところをこれから探さなくてはなりません。時代がどんどん変わっていきます。




名物のあんかけ焼きそばです。



2016/08/30(火) 曇り時々雨


[ 方南町から歩く ]
方南町から歩く



愛車の点検を兼ねてディーラーに預けました。方南町にあります。この場所から地下鉄に乗って中野新橋に帰るつもりでした。地下鉄に乗れば方南町、中野富士見町、中野新橋と二駅で来ることが出来ます。時間にして10分ほどでしょうか。

しかしながら、地下鉄の方南町駅まで来ると、なんとなく付近を散策してみたくなりました。方南町は中野新橋と比べると開けています。松の家も吉野家もあります。マクドナルドもあれば、魚民もあります。オリジン弁当もあれば、串カツ田中もあります。三菱UFJもあればみずほ銀行もあります。都会です。カラオケもあればダーツバーもあります。

そんなこともあり少し歩いてみました。

環七沿いに数年前に整骨院を開いた知り合いの所まで来ました。が、今は薬局になっており、整骨院はありませんでした。方南通りまで戻り、東を目指します。トンカツサボテンがあります。川島通りにもありましたが、最近撤退しました。豆腐屋、八百屋とあって飲み屋が続きます。100メートルの長さの方南通りの両側に飲食店が続きます。

この商店が途切れたあたりから、洋服の青山があり、パチンコ屋があり、道を隔ててシマホがあります。そうして中野区に入ります。ちなみに方南町は杉並区です。

シマホを過ぎて南台という信号までは300メートルくらいですが、シマホの前には中野富士見町車庫という地下鉄の車庫があります。地下鉄の車両を地下に送り込むところです。ここは昔湿地帯でした。差別的な用語になってしまうかもしれませんが、朝鮮から来た人が多く住んだところです。ところどころにこういう場所があります。小学高時代は友人も住んでいました。土地も低い所にあります。ここを過ぎると上り坂です。車庫から100メートルも行くと、左側に材木問屋がありました。今はビルになり、その一階で書店を営んでいましたが、それも閉店になっていました。

最近、新宿の書店に行きましたが、様変わりしているのに驚きました。本の数はたいへん少なくなっていました。自分自身もそうですが、ネットで注文することが増えて、直に手に取って本を選ぶということは無くなっています。当然希望する書物を手にすることは無くなりました。変わって文具や喫茶店風になっていました。時代は変化していると感じることしきりです。

さて、脱線しましたが、南台の信号まで来ると交差するところは中野通りです。お店も飲食店などを含めてかなりありますがほとんど入ったことはありません。途中の花屋さんくらいですが、そこへも最近顔を出していません。自分の生活も変化しています。

西京信金の前を通って栄町公園に出ました。私が小学生の時にできた公園です。もう55年くらい経つのでしょうか。お祭りや盆踊りでにぎわうところです。その前を通って道なりに進むと東大付属前の信号に出ます。東大付属は双子の研究を行っていた中学校で、双子なら入れたところです。ここのグランドは今では位置も建物も昔とは違いますが、小学生時代野球に興じた場所です。先人がこさえた抜け穴を通って中に入り、遊んでいました。時には守衛さんに追いかけられるなどの経験もしています。戦争中からの古い建物が残っており、幽霊が出るのではと思ったのは55年まえの話です。

この東大付属の信号を左に曲がって柳通りに出ました。30メートルほど行くと車庫がありますが、小学生の一時期でしたが、ここに碁会所というか、将棋が指せる場所がありました。小さなところでしたが、ここに小林栄一君に連れてきてもらいました。その頃将棋を覚えたてでしたが、結構はまっていて、将来は米長邦雄クラスかと期待されましたが、途中で挫折しました。

話は横道にそれますが、去る7月に高校の同期会に出ましたが、その時卒業以来会った蛯子君に「大野君、良く将棋をやっていたね」といわれました。将棋歴も結構長いです。とびとびですが・・・

そんなことを思い出しながら川島商店街の入り口まで来ました。高木のパン屋さんや越中やふとん店を過ぎると信号があります。向かい側には今は整骨院になっていますが、昔は靴屋さんでした。そのビルのオーナーさんと友人という人とお酒を飲みましたが、それが誰だか思い出せません。

今日は小学校時代を思い出して、川島商店街の中を歩くことにしました。この商店街ヘは、近くの商店街なのでよく行きましたが、肉の松本さんがこの4月で閉店してから足が遠のいています。昨日一昨日と夜店市出来ましたが、何かイベントがないと来なくなりました。本当に昔は個人の商店が軒を並べていましたが、今はひっそりとしています。そういう商店街を午前10時半ごろ歩きました。これといったものを売っているところは無くなりました。とんかつのサボテンはいつの間にか、ジムに替わり、シャッターの降りたところも増えました。何か昼飯を買おうかとも思いましたが、特別なものもなく、行き過ぎるだけでした。小学生時代はこの通りを通ってから家に帰るのが日課でした。一番背の高い松島君と歩くことが多かったように思います。

個人の商店はその商店主の高齢化とともに店を閉めるところが多くなりました。またその商店主の年齢も70代というのは普通です。

この時は結局商店街では何も買わずに家に着きました。この商店街から外れること、約200メートルに我が家はあります。方南町から歩き始めて20分くらいでしょうか。いつもなら自転車を転がすところですが、自分で歩くといろいろなことが思い出されます。アトランダムに思い出すので伝えるのが難しいですが、この商店街の全盛期がよみがえります。

この商店街にはたくさんのお店がありました。子供のころからあり、今も残っているのは、大石製麺店と丸仁くらいでしょうか。65年も生きていると、古いことばかり思い出します。そしてたまには歩くのもいいかな、と思いました。


2016/08/28(日) 曇り時々雨


[ 川島商店街夜店市 ]
川島商店街夜店市



川島商店街の夜店市が8月26日、27日に開かれています。

26日に夕方に行ってきました。晴れているせいか、人通りも多くて混雑していました。夏休み中の開催とあって子供たちが大勢来ていました。当然母親に連れられてきている方々が多いように思いました。普段この街には、子供はいないのではないかと思っていましたが、この賑わいを見ると「夜店市」には力があることを感じます。愛ちゃんや彩愛ちゃんの顔も見ることが出来ました。

今日、27日は、雨模様ですが、夕方の数時間ほど晴れてくれたら、今日もにぎわうことでしょう。地元が賑やかなことは元気の源です。




川島商店街、東側近くでは、お好み焼き、綿あめ、フランクフルトです。今はお好み焼きを買うために並んでいます。



同じく西側入り口付近です。後ろ側では福島県塙町の方々の応援で農産物の販売を行っています。青年部のつくる焼きそばを買うために並んでいます。




2016/08/27(土) 曇り時々雨


[ 雨に見舞わられています。 ]

雨に見舞われています。


このところ哲学堂テニス場でテニスをしていると雨に降られることが増えました。台風の影響であったり前線の影響であったりします。

先週の土曜日は、午後3時からテニスの予定でしたが、中野新橋は晴れているので北へ向かいました。早稲田通りを過ぎることにポツリポツリと雨が降ってきたかと思うと哲学堂の手前で豪雨。テニスコートに着きましたが、コートはびしょ濡れ。水たまりが出来ていました。雨は小やみになりましたが、テニスは中止です。

その二日前にも二時間テニスをして次の時間に入り、小一時間したところから雨になりました。ぽつぽつ来たかと思うと土砂降り。テニスコートは一時間以内に雨のキャンセルをすると、半分お金が戻ってくる仕組みですが、雨が降り出したのは、65分を過ぎたときでした。30分ほどコート内で雨が止むのを待って帰りました。急に風が冷たくなると、雨のサイン。逆にやむときはセミが鳴きだします。

その一週間前も同じような出来事が。今年はテニス場で雨に降られて、合羽を着て帰ることが増えました。今日も13時から17時の予定ですが、11時からと15時からが雨の予定です。あまり強く降らなければいいのですが・・・



2016/08/24(水) 晴れ時々曇り


[ オリンピックは終わってしまいました。 ]
オリンピックが終わってしまいました。


2週間にわたるオリンピックも閉会式を迎えました。小池都知事に続き、安倍首相も出てきたのには興ざめでしたが、4年後は東京、というイメージを植え付けたことと思います。

さて、この二週間夜中に起きる習慣がついてしまいましたが、12時間違うというのはテレビを見る側からするとよかったのでないかと思います。寝る前に一回戦を見て、朝起きると決勝戦という構図でした。

印象に残っているのは、競泳、テニス、体操、卓球、バドミントン、シンクロ、陸上リレーといったところでしょうか。どれもこれも素晴らしいものだったと思います。それでも卓球とバドミントンは印象に残りました。逆転劇が見事だったからです。


2016/08/23(火) 曇り時々雨


[ 祭礼終了 ]
祭礼終了


去る8月19日から21日まで弥生町のお祭りでした。19日のカラオケ大会。20日と21日の盆踊りと続きました。一昔前から比べたら、こじんまりとしたものになっていますが、それでも若い人を中心に子供たちが喜んでいます。

20日は途中から雨。そしてお祭りが終わった22日は台風の到来です。何とか今年も無事に終わりました。どこの町会も高齢化が激しく、同じメンバーで30年ほど行っています。数年前から、各町会ではお祭りと夜店市、盆踊りなどを日にちをずらして行っています。従って夏休み中は何所かしらでイベントが行われるようになりました。これも中心メンバーの固定化と高齢化に対応した結果ですが、子供たちには好評です。また雨などでイベントが中止になることを考えるとこれもいいかなと思います。

来週末は、川島の夜店市になります。高円寺の阿波踊りも同じ日にちなので高円寺にも顔を出してみようと思います。



神明氷川神社のイベントです。舞台ではフラダンスを披露していました。


中野新橋商店街では盆踊りです。

この間食べたものは、焼きそば、お握り、唐揚げ、お赤飯にトン汁などお祭り仕様でした。


2016/08/22(月) 雨


[ お盆といえば ]
お盆といえば


お盆といえば、お墓参りです。
15日には上尾へ、21日には小平へと行ってきました。



義母の実家のお墓は圏央道が横を通りました。交通の便は良くなりましたが、景色が変化して、違和感があります。右のお堂は薬師堂といいます。その後ろ側にお墓が並んでいます。



両親や祖父母、大叔母の眠る小平霊園です。この日は暑くて掃除も汗だくです。一人で行ったので、いろいろな有名人のお墓も見てきました。佐野学、大山郁夫、松島詩子、山本七平さんなどです。有吉和佐子さんのお墓は、墓所の位置を間違えたらしくて見つかりませんでした。

2016/08/21(日) 晴れ


[ ミニクラス会を開きました。 ]
ミニクラス会


中野区立神明小学校6年3組のミニクラス会を開きました。連絡不足もあり、男性7人、女性4人の11名の参加。半年ぶりの会合で、中には十年ぶりに参加した方や3年ぶりに会えた人など、様々。境遇もかなり変わりました。本当に66歳ともなると、個人差が出てきます。一人一人の状況は若いころと違ってきています。それでもなんだかんだ言いあえる友人は貴重です。あと十年くらいみんなで頑張りたいと思った次第。





それにしても、65、66歳になっても働いているクラスメイトの方が多いというのには、驚きました。自営業は致し方ないですが、生活のため、健康のために、そして自分自身の成長のために働いています。今回の参加者で仕事をしていないのは、私だけでした。まだ動ける年ということでしょうか。

初孫が生まれて一歳になった。自分が病気になって一か月半入院した。旦那が毎日家にいて大変。娘がもう少しで結婚しそう。従って生活が変わりそう、などそれぞれ。年金額も多くないし、娘は戻ってくるし、息子はまだ一人身だし。相続が大変だった。中でも家族に入院された人は、これからが厳しくなりそうです。

年を重ねるにつれて、話の中身は重たくもなりますが、そこは昔からの仲間。助け合い、励ましあい、喧嘩もして、すぐに仲直りしてと、忙しいながらもまとまりはあります。飲んで騒いでいるだけですが、皆の顔を見るとホッとします。また半年後には会ってみたいと思います。みんなあと少しだけでも元気でいよう。

卒業以来、会っていない、田口公子さんにどうして会ってみたいというKさんの希望はかなえられるでしょうか。



2016/08/14(日) 晴れ


[ 縁のある人 ]
縁のある人


長く人間をしていると、良い人か悪い人かというよりは、自分に良い影響を与えてくれる人か、そうではない人か、とか、あの人とはうまくやれそうだ、と自分で勝手に考えてしまうことがあります。

もう十年ほど前になりますが、二人の方から、その当時久しぶりに年賀状をいただいて、すぐに返信しました。一人は浦安市で仕事をしています、ということでしたし、今一人は杉並区に引っ越してきました、というものでした。杉並区はすぐ隣の区ですから、すぐにでも会えるかと思いましたが、そのままにして一年が経ちました。

年賀状を出してみましたが、戻ってきてしまいました。そしてそれっきりになっています。共通の友人にも居所をあたったのですが、「わからない」という返事でした。

この二人はいずれも20代の前半に知り合って、30代の半ば過ぎに一度だけ会いました。大阪と盛岡でした。

それから20年近くになって連絡をいただいたのですが、私の方に余裕がなくてうまく連絡を取ることなく現在に至っています。

どうしているでしょう。せっかく連絡をしてくれたのにその時に対処できなくてはそれっきりになります。そういうことが60歳を過ぎてわかるようになりました。




2016/08/12(金) 晴れ


[ 真夏の昼寝の夢 ]
真夏の昼寝の夢


毎日暑いです。
こんなに夏は暑かったでしょうか。
今日は日曜日。ゆっくり起きてオリンピックを見て、昼にはカレー屋に来ました。
そして昼寝。
疲れていたのか、二時間近く寝てしまいました。
昼寝という範囲を超えてしまいました。
初めは冷房をかけていましたが、途中で切れ寝苦しくはなりましたが、それでもよく眠れた方だと思います。
夢の中で雨が降ってきました。「ああ雨音だ」と認識しましたが、起きることはできませんでした。「洗濯物が濡れる」「布団も干してしまった」といろいろと頭が回ります。
意を決して、洗濯物をしまうことにしました。物干し場から洗濯物を取り込み、「そう濡れているので、風呂場に乾そう」と考え、頭の中で家の風呂場に移動しました。
ところが、そこは「トイレ」
したかなく、というか、とりあえず初めに取り込んだものはそこへ置き、布団に取り掛かりました。重くて大きな布団でした。それを部屋の中に入れました。
さらに、洗濯物を取り込んでいましたが、ふと左側を見るとそこには小さな階段があり、4段ほど上ると3畳ほどの物干し場がありました。しかも屋根付き。
そこへ洗濯物をかけてひと段落。

目が覚めました。

何のことかわからないでしょうが、私の中で完結していることを書きましょう。

まず、初めに出てきた洗濯干し場は現在の私の家です。取り込んで今の家の風呂場まで行きました。そこに乾せばよいと考えました。習慣ですね。ところがそこにあったのは「トイレ」

その間取りは30年前まで住んでいた木造の家の間取りでした。夢の中で歩いて行ってたどり着いたのは私が二十代から三十代にかけて住んでいた、親の家の動線。現在の家から昔の住まいに戻ってしまいました。

しかも「布団」重たい布団が出てきました。これも今では全く使いません。やはり30年前までの経験。その頃は畳に布団でした。しかも大きめの掛布団は重たいものを使っていました。そういうものが夢には出てきます。

さらに取り込んだものを、部屋にではなくて左側を見て、階段を発見し、そこに乾そうと思ったことです。それは、私が十代から二十代にかけて、一部屋増築する前の昔の間取り。今から40年50年前は総二階よりも一部は一階だけであり、そこにヒノキ材で物干し場を作りました。1間半×1間くらいでしょうか。3寸角ないし、25角で作りました。夢の中でも途中からそういう物干し場があったことを思い出したようです。

しかし、物干し場に屋根はついては居ませんので、それは創作。脳が嘘をつきました。たぶん雨から逃れるという理由からでしょうか。

このように昔の住まいが私の頭のどこかにこびりついていて、何かの拍子に出てくるのです。この時空を超えた夢に自分が一番びっくりしているのですが、「住まいはそれくらい大事」ということでしょうか。

長年住んだところを離れると生活が変わり、慣れません。年寄りが新しい生活に親しめないと「昔は良かった」という風にしか総括しません。私の現在住んでいる住まいも12年半経ちました。クロスにしたところは継ぎ目が目立ってきました。パナソニックの枠材で引違の扉にしたところは枠材が下地に引っ張られて隙間が出来ています。

その反面、木を使ったところは自然に風化して年齢を重ねた風に変化してゆきました。本物の木は正直です。良い雰囲気を出しています。

さて、このところ、パソコンがかわり、テレビもここへきてから3代目。冷蔵庫や洗濯機が交代して、掃除機にスマートフォン、電子レンジも変わりました。新しい機能満載のスマートフォンやレンジの使い方がわかりません。従って「一つ覚え」で暮らしています。

ともあれ住まいは日常です。意識下に刻まれた「しわ」のようなものです。身体の延長線上ともいえます。大事なものです。あまり変化させないように暮らすのが穏やかだと思います。

真夏の昼寝の夢は、悪夢ではありませんでした。昔の暮らしをたくさん思い出してみました。しみついたものがたくさんあるということが年を重ねた証拠かもしれません。また、昔を時系列ではなくて思い出し、一部を創作してしまいました。だんだんとどこまでが事実でどこからが作り話であったかも、その境目もわからなくなっています。



2016/08/07(日) 晴れ


[ かわいいお客様 ]
かわいいお客様


姪の子供である愛ちゃんと彩愛ちゃんが来てくれました。夏休みになったので実家に来たついでに寄っていただきました。ほんの短い時間ですが、私にとっては至福の時間。美人姉妹の二人の顔を半年ぶりに見て感激。

愛ちゃんは大きくなりました。彩愛ちゃんは寝起きでご機嫌斜めでしたが、トマトとピーマンの収穫を行い、少し持ち直しました。

他の子には「おじさん」といわせていますが、彩愛の場合は「お爺さん」でもOKです。私もそんな年になりました。



女の子はかわいいです。



2016/08/06(土) 晴れ


[ アシスト自転車に乗って ]
アシスト自転車に乗って


毎日アシスト自転車に乗ってどこかに行きます。近くは日用品の買い物。遠くは中野区の北にある哲学堂公園テニス場など30分圏内なら自転車を使うことが増えています。自転車の良い所は当たりまえですが、小回りです。

いつもの道を哲学堂に行くと見せかけて、ひとつ路地を違えたり、あるいはまっすぐ行くところを左に曲がってわざと遠回りしています。その中で最近、江古田の「ありん堂」という和菓子屋さんに行きました。中野駅から北に走り、沼袋に出て西武線を横切り、クボデラ(株)の本社前を過ぎて、新青梅街道を突っ切り、斜め右にかじを取って目的地に着きました。

ここで、お握り2個とお稲荷さん2個、それに「すあま」と豆大福を買いました。いつもは自家製のおにぎりないし、コンビニのそれですが、最近口が奢ってきて、昼飯にはいろいろなものを試しています。少し高めのおにぎり屋さんで買ったり、おいしいケーキ屋さんのサンドイッチとか、おしゃれなパン屋さんで買い求めたりしています。その延長線上で、江古田まで来ました。

こうなるといつもより少し早めに、家を出て遠回りするという楽しみが出来ました。自転車を走らせていて一番感じるのは、住まいが壊されてどんどん新しくなっていくこと。一つ道を違えるだけで新たな住まいを見つけることが出来ます。一年前にはアパートが完成しましたが、その時も外壁材の色を求めて、あるいは郵便受けや自転車置き場の作り方などを見ていましたが、いまは「どれくらいの確率で入居しているのか」に興味が移っています。これだけ中野区でアパートやマンションが建設されていくと飽和状態になっているのでは、と思っているからです。

実際は古いものが壊されて新しいものに移っていくだけなのでしょうが、ものすごい勢いで変化しています。先日も中野駅北口の公園へ行きました。今日も行く予定です。中野駅周辺は午後の6時半ないし7時を過ぎたころから忙しく人通りも増えているように思います。立ち飲みが増えていますね。少しおしゃれな感じのお店も多くなりました。

そこで、四季の森公園内のビルにあるパンケーキ屋さんにも顔を出しました。ここがおいしいと教えてくれた方がいたからです。デザート用のパンケーキとやや主食用の全粒粉のパンケーキの二種類を注文して食べてきました。普通の3時のおやつ風のパンケーキのほうがおいしいと思いました。





2016/08/05(金) 晴れ


[ 思い出した話、思い出せないこと ]
思い出した話、思い出せないこと



先日、ある掲示板を見ていたら、「良ちゃんがギターを弾いてくれた」とか「私の歌をほめてくれた」というフレーズに出会いました。今から47年前の1969年の話です。が、当時一回生だった私たちと4回生だったはずの「良ちゃん」。その良ちゃんのことが、私にはまったく思い出せないのです。お会いしているのだろうけれども、私の記憶からは抜け落ちています。

最近、やたらと二十歳ぐらいまでのことを思い出すのですが、どれもこれも断片的で、しかも独りよがりです。早く共通の話が出てこないかと思っています。

さて、おとといになりますが、例によって哲学堂のテニスコートでテニスをしていました。たまたま相手ペアはB大学先輩+同志社の後輩。こちらはB大学の後輩と私つまり同志社の先輩」という対戦になりました。こちらは年も離れていますが、B大の方は7期と11期。年も近く影響力も違います。

さて、B大の7期の先輩が、バック側からサーブ。入りませんでした。フォールトです。セカンドサーブを行いました。私が何気なく返したボールがセンターに入りました。それをB大の先輩が、手で取ってしまいました。「フォールトなら、もっと大きな声で行ってよ」

一瞬他の3人が静まり返りました。誰も声をかけていませんし、フォールトのコールもしていません。なぜ、B大の先輩が手で取ってしまったのかも他の3人は、理解できませんでした。何か勘違いされたのだとは思いますが、この時のB大の後輩が何も言い返せず、困った顔をしていたのが、なんともおかしかったです。「サーブ、入ってましたよ」と同志社の後輩がいってくれて、収まりました。(こうしたことは年寄り同士なので結構あります)


これで思い出したのが、1969年入学した当時に聞いた話でした。私らは1回生。つまり新入生です。歴史学研究会に入りましたが、古代史部会の2回生にUさんとYOさん。その一年上にYAさんがいました。一年間の研究成果をまとめて論文にするのですが、2回生の書いた論文と3回生の書いた論文で、どう見ても2回生の方が出来が良くて、3回生の書いたものは書き直しをしていただかないとつじつまが合いません。そうこうしているうちに「春休み」になって3回生の先輩は郷里に帰ってしまいました。

二人の後輩は、相談しあい、先輩を追いかけて、先輩の田舎である岐阜へ、京都から追いかけて、行きました。二人で行って先輩のお宅までたどり着きましたが、論文の件は言い出せずに帰ってきました。

この二人の先輩は今どうしていらっしゃるのでしょうか。一人は英文の方で、今一人は文化史の方です。英文の方の文章は「目に浮かぶように」書かれており、文化史の方は論旨を忠実に追う、といった感じです。文化史の方は私が一週間かけて何とか書いた研究報告記を、もっと素晴らしいものを30分ほどで目の前で書き上げました。それ以来、この二人の後を追いかけようと、思いましたが、もっと楽な先輩の後を追いかけてしまい、現在に至っています。一年先輩の中ではずば抜けた二人だったと思っています。間近に見ているとそのすごさが記憶に残っています。



2016/08/04(木) 晴れ


( 2016/09 ← 2016/08 → 2016/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


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