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最近分かってきたこと
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最近分かってきたこと
二十代の後半から時折ですが、万葉集を読み、古事記に接し、日本書紀は嘘が多いと感じながら過ごしてきました。万葉集は学生時代の後輩が「万葉集を弁証法的に読みたい」と訳の分からないことを言っていたのを受けて、この言葉が頭に残っていていつか万葉集を「読むぞ」と思ってきました。
20代の後半乃至30代の初めにNHKで梅原猛さんが「柿本人麻呂の歌」について解説していたのを噛り付いて見ていました。その頃は人麻呂に興味がありました。日本書紀には出てこない、正史に出てこない謎の歌人ですが、その歌には迫力があり、万葉集第一の歌人とされるほど多くの歌が万葉集には収められています。
その頃古事記と万葉集を読みました。良くわかりませんでした。膨大な量の歌を擁する万葉集に太刀打ちできるはずもなく、そのごく一部の巻1とか2乃至、巻11あたりを読んでいました。
それでも巻1と2は特別なメッセージを託した書だと感じていました。それから今回、渡辺康則さんの書に接して万葉集は日本書紀に対するアンチテーゼとして作られた書(全体ではありませんが)であり、日本書紀の記述の仕方にクレームをつけている書だとわかりました。その書き方は、史実の中に、そうではないものを含ませるというやり方です。一見するとすべてが史実に見えますが、よく読むと必ずしもそうは言っていない、という記述になります。嘘は最低限にして読む人を惑わせて、うわべを読んだだけではわからないという手法をとっているのだということです。
作った人のレベルの高さを感じます。見抜けないように改ざんしています。その人こそ、藤原不比等という人です。いつかこの方についても勉強していきたいです。歴史をつくりかえた政治家です。この方が藤原氏の母体をつくりました。この人の手法をもっと知る必要を感じています。その裏側に隠したかったものが見えてくると思います。そして時の権力者はいつもこういう風に歴史をつくりかえていくのです。
2014/11/30(日)
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