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時々更新mn日記

( 2014/11 ← 2014/10 → 2014/09 )


[ 大東建託中野支部顧問会 ]
大東建託中野支店顧問会


10月27日の夜には、大東建託中野支店の顧問会が開かれて出席してきました。いずれも中野区を中心に建物を建てられた方でした。私などは初めの頃に大東建託と知り合っただけでしたが、この一年で建てはじめた方々はかなり有力な方々のようで、現在7名いるとのことでした。これも現在の支店長である三科政雄氏の力によるところが大きいと思います。

完成して入居者が入り始めた方。あと数か月で完成の方。3月完成予定で、工期を守っていただきたいと考えている方。それぞれでした。60代から70代にかけての年代の方々です。今回5名の方が参加されましたが、後の二名の方も公認会計士であったり、株長者の40代の方であったりと、こちらも刺激を受けることが出来ます。それぞれの持ち味を引き出せると顧問会も面白いものになりそうです。

大東建託関連では新しく信託事業を始めることになりました、と支店長から挨拶がありました。銀行関係以外では大東建託が初めてだと話されました。この事業は、これから伸びていく事業だと私も理解しております。






2014/10/30(木) 晴れ


[ メゾンみのりU完成から一年。 ]

メゾンみのりU完成から一年


今年の10月25日で、「メゾンみのりU」完成から一年が経ちます。早いものです。

この建物およびこの建物を建ててからの私自身の変化に着いて考えてみましょう。

まず、こういう建て方をお勧めできる方、できない方があります。人任せに出来る方なら私が選んだ30年一括受託システムは面白いです。勿論30年受託した会社が存続しているかどうかもわかりませんし、危険性を強く感じるのであればやめた方が良いでしょう。

また何でも自分でできる方もお勧めしません。人に任せるということは、それだけ人にお金を払うということです。その物件に関しては手取りの分が少なくなってしまいます。(それは建てる時から始まります。建築費用も割高です)

さらに30年一括といっても実際は10年ごと、ないし5年ごとの更新です。本当にこのシステムが良いと言えるのは私が死んでからでしょう。

そうは言いながらとりあえずこのシステムに飛び込んでみました。その当時課長だった方からは「今後、仕事はせんでほしい」と言われました。下手に事業に手を出して失敗されるとこの事業に支障をきたすことがあるからです。

その言いつけを守ったかどうかは別にして昨年末、および今年の3月末を過ぎた頃から仕事に依頼がめっきり減りました。携帯電話を使う頻度が極端に減りました。電話がかかってこないのは少しさびしいです。そこで気持ちを切り替えて昼間の時間をテニスを充てています。

そんなことをしていると、今まで行ってきた事業に関しての興味が減ってきました。今まで生業としてきたものに関心が持てなくなりました。半年が過ぎてようやく少し元に戻ってきましたが、気持ちがサポーターになってしまっています。

また、生活費も今までの半分以下になりましたので、こちらも大きな変化です。日常昼間テニスをして4時間過ごしたとしましょう。支払金額は600円以下です。自宅から持参した飲み物とおにぎりで腹を満たしています。行き帰りも自転車ですからこれだけでも6時間がつぶれ、お金も出ていきません。

日常をこのように過ごしてみると見えてくるものもあります。今までなんと贅沢な暮らしをしてきたのだろうと。

その反面、休みもなくよく働いたという気持ちもあります。50代で休んだのは、風邪ひきが2日。親知らずを抜いて出血が止まらなかった日と、血圧が上がってしまって休んだ二日。赤木圭一郎の没後50年集会の時と、親の葬式の時くらいです。土日を使っての旅行や正月旅行は何時もしていましたが、とにかく一人での営業でしたから「店を開ける」ことは最低限してきました。

今回そこから解放されたことが一番大きく感じています。責任からの解放です。これまでよく過ごせたなあというのが私の正直な気持ちです。妻の存在と仲間の助けがなければこういう結果をもたらすことが出来なかったと思います。

これからは少し立場が今までと違うかもしれませんが、もう少し頑張ってみたいと思っています。



2014/10/25(土) 晴れ


[ 昼飯は ]
昼飯は



昼飯はテニスをする日は大抵おにぎり持参です。自宅にいる時には大半がレトルトカレーです。

そこでたまには外食します。最近お気に入りのお店の一つに「ひだまりや」があります。ランチにも行ってきました。

ランチメニューは、その日は800円のから揚げ定食や千円のお刺身定食などでした。昼ともなると近くのガス屋の若い連中がたくさん来て、その多くはから揚げ定食を注文していました。から揚げはかなり大きくてボリュームがあります。

私たちはお刺身定食を注文しました。ここは生ものがおいしい店だと思っていますのでそれにしました。実際五点盛りでなかみも充実していました。

さてそれから半月を経て再びここを訪れましたが、生憎休みでした。そこで別のお店を求めて中野富士見町まで足を延ばしました。居酒屋さんのランチでお刺身定食を見つけそこに入りました。

お刺身は三点盛り。中身も少なくて物足りなさを感じてしまいました。「千円だとこれくらいなのかな」と感じてしまいました。

最近のテレビでは、夕飯時になると安くておいしくて盛りの多い食事店を紹介しています。テレビで見てはメモして「今度行こう」などと話していますが、実際に行くことは今の所ないです。それでも世の中の広さを情報として仕入れています。以前「玉ひで」に親子丼を食べに行きましたが、話の種にはなりましたが、それほどのものではありませんでした。「三代目たいめいけん」のお弁当も食べましたが、同様です。

そんなにめちゃくちゃおいしいものはないのでしょう。家で作ったおにぎりはおいしいですよ。組合でもらった新米を炊いて作っていますのでおいしいです。ほどほどで良いのでしょう。

さて、富士見町のお刺身定食のお店では、丁度商店街のくじ引きがありました。金券が当たるそれでした。二人でひいて金600円分確保しました。同じ商店街でそれで和菓子を買いました。かなり得した気分になれました。不思議なものです。



2014/10/24(金) 晴れ


[ 京都<千年の都>の歴史 ]
京都<千年の都>の歴史


岩波新書
高橋昌明


目次

第1章 平安京の誕生――始まりの時代
第2章 「花の都」の光と影
第3章 平安京から京都へ――中世の幕開け
第4章 京と六波羅――内乱と災厄を経て
第5章 武家の都として――南北朝から室町へ
第6章 都を改造する――信長と秀吉の京都
第7章 イメージとしての古都――江戸時代の京都
結び――「古都」京都のゆくえ
あとがき


岩波新書には林屋辰三郎さんの名著「京都」があります。それを意識して現代版を書かれたのは、日本中世史研究で有名な高橋昌明さんです。

京都と聞けば、現在ではまず観光地です。そしてその背景には千年間都だったという認識があります。数多くの神社仏閣をはじめとする歴史的建造物が残されていると思います。著者はこの認識の盲点から話を始めます。

京都洛中で一番古い歴史的建造物は、大報恩寺、通称を千本釈迦堂(上京区七本松通今出川上ル)で1227年の建築。鎌倉時代です。京都は平安京と言われていますが、平安時代の建物は、洛中にはなく、洛外にある醍醐寺の五重塔952年が最古である、という話から始まります。

以下、鎌倉、室町、桃山、江戸、明治と時代を追って「町」の変遷をその時期に建てられた建物を絡めて説明していきます。この構成が面白いのがこの本です。

それによると京都で一番寺社が建てられた時代は江戸時代で、しかも寛永期になります。町衆にお金があった時代で、さらに江戸幕府からもお金をいただけた時代だったそうです。余裕がないと大きな建物をは出来ないですね。それが大火や地震などで町の中心が少しずつずれていきます。

私が初めて今日に行ったのは中学三年生の時でしたが、その時不思議に思ったのは、東寺という建物が京都駅の西側にあったことでした。京都駅とそこから北へ走る烏丸通がメインストリートだと思っていました。御所も烏丸通沿いにありました。

しかし、よくよく考えてみると東寺は西寺と対のはずです。西寺は当然東寺の西にありました。そしてそれらの真ん中を通る朱雀大路とその突き当りの内裏が平安京の中心で、京都駅よりももっと西にあったはずです。

そのような平安京の成り立ちから歴史的な時間を経て現在に至る道を詳しく書いています。時代とともに中心地は変化していきます。平清盛など平家が力をつけていた時期には、洛外にあった六波羅、現在の祇園の南側が栄え、足利義満が幕府を構え、花の御所と言われた場所は以外にも同志社大学の寒梅館のあたりで、当時は毎日通っていました。そんなこともこの本を読んで初めて知りました。

懐かしい京都。京都について書かれた本はつい手に取ってしまいます。この本を読んで一つ思ったことは、どなたか女性の方が「京都」について歴史的な流れを踏みながら書いてほしいと思いました。高橋さんのようにここまで詳しく書ける方は多分いないと思いますが、女性的な視点がほしいとこの本を読んで感じました。それにしても著者は博学です。




2014/10/23(木) 雨


[ あの頃から ]
あの頃から


今から4年前の夏あたりから売掛金が溜まりはじめました。

今から十年くらい前には売り上げ上位5社で給料を確保できる売り上げがあったので無理な販売はせずに済みましたが、そのしっかりとした会社に仕事が減り、その周辺にいた方々に売ることによって売り上げの確保と利益を出すようになりました。メインだったお客さんから周辺への移行は私自身の配達量を増やすことになりました。

売れてゆくものはボードやベニアと下地材。メインのお客さんが元気なころには、リフォームであっても床やドアさらには水回りがありましたが、下地材は少しでもまとまると「配達する」ということが出てきます。かなりまとまると「直送」していただきましたが、その中間のものがどうしても多かったので、毎日飽きずにベニアやボードの配達をしていました。一つ一つの売る上げ金額は低くても積み上げていけばそれなりの金額になります。買っていただけるお客さんもホームセンター買いする人は、私にまで配達させることはありませんので、中野・杉並を中心に毎日配達していました。

それでも4年くらい前に数件支払困難者の方が出ました。一軒は夜逃げ。一軒はしばらくして集金に行ったら住まい自体が壊されていました。もっともバラックのような感じでしたのですぐに壊れるような建物でしたが、驚きました。

それから2年、いよいよ定年を決めた年には7件滞って、4件支払っていただけませんでした。そのうち3件の方はその2年前までは請求書を書いて当月内に現金乃至振込を頂いていた方でした。一つの仕事のつまずきでそれから支払いが滞りました。「待ってくれ」というので待ちましたが、希望は少ないです。もう立ち直れないのではと思っています。

60歳を過ぎると体力、気力を維持するのが大変です。本来持っているエネルギーの多い方なら元気でいられるのでしょうが、2年くらいから気落ちしています。

かなりいろいろなことが重なって二年が過ぎました。


2014/10/22(水) 雨


[ 久しぶり ]
久しぶり



10月18日は池袋市場で、久しぶりに一日「働いた」ので、家に戻ってきてから9時には就寝。夜中に目が覚めてしばらく眠れませんでしたが、朝方に再び眠りについて起床は午前7時でした。

疲れはしましたが、充実感もありました。

打って変わって、翌19日は小平にある霊園へ墓参りに行きました。明日10月20日が母親の祥月命日になります。早いもので19年が経ちました。私と母親は21歳違いですので、あと2年で母親の年に追い付きます。追いついて追い越すべくこれから精進しなければなりません。

今回は特に母親の願い事があって行きました。いくつになっても越えられない存在です。

小平にあるお墓は父の妹(喜美子)が昭和24年6月24日に亡くなっていて、仏様がいたので、小平霊園に入れました。早い時期に入れたので、1区2側という所にあります。入口からすぐです。昔は墓参りや法事といえば西武線を使って小平駅で降りました。そして駅前にある「ちば家」が石家さんになります。いつも「ちば家」に集合してから歩いてお墓まで行っていました。その「ちば家」も今月でお店を閉めるという案内が来ました。小平霊園自体が大きくて奥へ奥へと広がったために、また車で来るのが普通になったからだと思います。

時代の流れです。

それにしても今日はいい天気でした。草を抜いて伸びた枝を切っていると汗ばみます。以前はお墓の後ろに大きな松の木があって日よけになっていましたが、それが伐られて今ではお墓も日当たり良好です。

人生もこういう風に行きたいものです。



今月で営業を終了する「ちば屋」さんです。長い間お世話になりました。






2014/10/19(日) 晴れ


[ 第13回材木屋のい木い木ふれあい祭 ]
第13回材木屋の「い木い木ふれあい祭り」開かれる



今年で13回目となったふれあい祭りが新東京億財池袋市場で開かれました。今年は晴天に恵まれ、950人余りの来場者がありました。中野支部並びに渋谷支部、十四日会は例年通り木工教室を担当しました。

これに関わる準備の負担が大きくて支部や会に関しては通常の会合を削ることになりましたが、今年は何とかクリアーして開催にこぎつけました。


表玄関です。


十四日会は今年も木工教室です。


小さな子供たちが生き生きとトンカチを振っています。


やや大きなテーブルも完成に近づきました。


勿論紙芝居もありました。

盛況のうちに終了しました。



2014/10/18(土) 晴れ


[ 今日が誕生日 ]
今日が誕生日


今日10月17日が誕生日の方4人が友人です。誕生日の特異日です。そのうちお一人は故人となってしまいました。が、3人は健在です。お二人は大阪、今一人は北海道に居ります。この10月の時期になるとなぜか色色な方の誕生日を思い出しています。その多くは大学時代を共有した方々です。その頃から人の誕生日を大まかながら覚えるというのが癖になっていました。

あれから40年。

一昨年のことになりますが、この時期にある方に誕生日おめでとう。めでたく還暦ですね。とメールを送った所、「何か勘違いではありませんか」「私はまだ59歳です。」という返事が戻ってきました。私の全くの記憶違いでした。

それ以来あまり誕生日にメールを打つことは避けていたのですが、今日は思い切って打ってみました。

さて、私の誕生日は3月22日です。生まれた日はNHKの放送記念日です。同じ日生まれの著名人は大橋巨泉。業界で同じ日生まれはスーパー前田の前社長さんでした。この方もユニークでしたね。

同じ22日生まれは覚えやすいですね。神棚販売のKさんは一か月遅れ。一か月前は友人Hさんの奥さん。巨人の原監督が7月22日。8月22日には奈良県在住のAさん。大学時代の一年先輩です。もう30年近くあっていません。今年来年あたりで会わないともう一生会えなくなりそうです。

秋になると人恋しくなります。しばらく会っていない人の顔が浮かんで来ます。



2014/10/17(金) 晴れ


[ 昭和天皇二つの独白録 ]
昭和天皇「独白録」と昭和天皇二つの「独白録」

昭和天皇独白録 文春文庫
昭和天皇二つの「独白録」 NHK出版



昭和天皇実録が、さる9月9日に完成して、来年から順次出版されていくと言われています。すでに研究者たちは読み始めていますが、それに先立つこと34年前に「昭和天皇独白録」が文芸春秋に全文紹介されて大きな反響を呼びました。当時昭和天皇の御用掛だった寺崎英成の娘さんが保管していた書類の中に含まれていたものです。

この独白録は、昭和21年の3月から4月にかけて宮中にいた5人の側近が、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経過を4日間5回に分けて昭和天皇から直に聞き、まとめたものです。

なぜこのような独白録が作られたのか、「独白録」が発表された当時はわからなかったのですが、それから6年後、「独白録」の英語版が発見されて、この独白録が戦後の東京裁判で天皇の責任を問う際の資料として作られたことがわかりました。英語版も1種類ではなく、3種類あるということがわかりました。日本語版は比較的昭和天皇の肉声に近く描かれていますが、英語版は昭和天皇の戦争責任を軽くする材料として書かれているので、目的がはっきりしていたことがわかりました。

実際、東京裁判では東条元首相以下9人が絞首刑になりましたが、天皇が戦争責任を問われることはありませんでした。東京裁判自体は戦勝国が敗戦国を裁くという裁判でしたので、裁判としては片手落ちかと思いますが、満州事変から敗戦に至る過程は侵略戦争とされ、昭和天皇自身もそういう認識を示している処が興味を引きます。

されに、この独白録以後も、今度は天皇自身が主体となって「独白録」を敷衍して述べた「聖談拝聴録」が存在するということもわかってきました。この辺りが表舞台に出ると先に挙げた「昭和天皇実録」と合わせて読むことによって昭和天皇の実像並びに昭和史に残した足跡が確認されるのかと思います。

二つの本の中から出てくる昭和天皇像は、右翼が嫌いで、物事をてきぱきと進めていく革新官僚の系統が好きということになります。広田弘毅に期待しますが、思ったほど軍部への抵抗を見せなかったために広田に対する評価は低いものになります。その反面東条英機に対しては、絶大なる信頼を寄せていることがわかります。東條は東京裁判で自分の戦争責任が大きいと証言し、昭和天皇の責任を回避しましたが、そうした発言に至ったのは二人の信頼関係の深さだったのだと思います。





2014/10/16(木) 晴れ


[ 朝方の夢 ]

朝方の夢


今朝も朝方に夢を見ました。

牛のような豚のような猪のような獣が我が家の2階のベランダにいて、それと戦うというものでした。同じような動物が前の家の星野さんの屋根の上にもいました。星野さんは私が以前住んでいて親の住まいの通りを挟んだ真南の家です。従って夢の中の住まいも私が育った家ということになります。そこには、父と母と私しかいません。嫁さんもいなければ、妹も出てきません。

そして夢のラストは、トイレに行くというものでした。そのトイレも昔の家のそれでした。扉を開けると左に小便器。奥の扉を開けると大便用になっていました。ただ夢の中のそれは小便器が取り外されていて、奥まで行きましたが、その奥のトイレも普通のものではなくて、洗面化粧台のボウルが直置きしてあるようなものでした。

そのあたりで夢から覚めました。まずトイレに行きました。

朝方の夢は変な夢が多いです。そして出てくるものは私の若い頃の家です。家のもつ、住まいが人生に与える影響は計り知れないものがあると思っています。そして「あの日に帰りたい」のでしょうか。




2014/10/15(水) 雨


[ 小江戸川越へ ]
小江戸川越へ





近いけれどもなかなか行けない川越に、小江戸号に乗って川越に行ってきました。



本川越駅に着いて、まず訪れたのは熊野神社です。和歌山県の熊野本宮から勧請したと書いてありました。




この神社で感心したのは、この場所に留まれるように工夫をしていた所です。まずは「輪投げ」です。私も金200円を奉納して、この輪投げにチャレンジしましたが、金運ばかりを狙ったのが裏目に出て失敗しました。





次に、この境内には「銭洗い弁天」も併設されていています。私も500円玉を洗ってみました。





遅めのお昼を「深井屋」で食べました。柔らかな美味しいうなぎでした。タレが私にとっては少し醤油味が強かったと感じました。




深井屋を出て「時の鐘」を聞くころには、3時でした。鐘が自動で突かれていました。




本川越駅からメインストリートをのんびり歩き、蔵つくりの街並みや菓子屋横町へも行きました。そしてラストは喜多院でした。滞在時間5時間ほど。七福神めぐりをするまでには至りませんでしたが、よく歩きました。






2014/10/12(日) 晴れ時々曇り


[ 準備会 ]
準備会


来る10月18日に新東京木材商業協同組合池袋市場で行われる「い木い木まつり」の準備会がさる10月8日に行われました。この日は14日会の方々に加えて組合の職員さんも大勢参加して、準備を重ね当日に備えました。

十四日会は今年も木工教室を担当しますが、数年前から担当している方にかかる負担が増えてきました。その結果、木工教室・仕事・十四日会、三者ともに良い結果を生み出すことが出来なくなっています。

それでも毎年頑張って来ました。この準備会を行って18日に備えています。









2014/10/11(土) 晴れ


[ 「WOODS」に寄稿 ]
「WOODS」に寄稿


中野支部長の亀山さんから頼まれて「WOODS」に寄稿しました。題名は「フェイスブックあれこれ」です。今の私の現状を書いてみました。もっと仕事に精通している方でしたら別のものが出来たかと思いますが、私にはこれくらいしか書けません。今の状態です。

フェイスブックも善し悪しがあると思いますが、私は自分なりの基準で参加しています。そしてメインの友達からは有益な情報を手に入れています。それは必ずしも木材業界に限りませんが、確かな人が教えてくれることは大変ありがたいと思っています。

例えば、イベント情報。おいしいお店のことや観光に関するもの。そして木に関すること。住宅に関すること。などなどです。

季節柄尾瀬の紅葉が始まったとか、中山道サミットを行います、それに美味しいラーメンの話など、食べたり行ってみたくなる話が増えています。

このまえ「WOODS」に書けませんでしたが、「芋焼酎同好会」にも入っています。「森伊蔵」を手に入れたとか、「魔王」が買えたなどに加えて聞いたこともない焼酎の名前を教えてもらっています。

私も芋焼酎を飲み始めてから、8年半は経っていると思いますが、ここ二年ほどは自宅にも在庫を置いています。初めは飲みなれた「小鶴」がらはじめましたが、近くのスーパーや「カクヤス」。テニスが帰りに「酒のマチダヤ」によって買ってきたり、自転車で小田急百貨店に行き、珍しい焼酎を買い求めました。小田急なら1割引で買えるので、用事で出かけた帰りなどに買ってきたりしています。ここで教えていただいたものに、「うなぎ」「鶴見」「ないな」「「白玉の露」「黒帥」「紫黒帥」「界」などです。「うなぎ」はおいしいと思います。

「マチダヤ」では「海」を買います。鹿児島の焼酎です。「カクヤス」では「三岳」が安いです。屋久島のお酒です。そして宮崎の「宗一郎」も安くて飲みやすいです。「宗一郎」は友達の長男の名前なので飲みながら友人を思い出しています。「利八」も買いました。

焼酎も大体4合瓶で千円前後のものが中心です。そして膝を痛めて二週間禁酒しましたので、酒量は落としています。そんなこともあり、今は「小鶴くろ」を少しだけいただくようにしています。

さてさて、木材業界は不調です。住宅業界も建売が止まり始めたと聞きます。その中で地道に頑張っている方々とフェイスブック上で交流できるのはありがたいことです。その方々の情報に今夜も「いいね」を押したいと思います。



2014/10/10(金) 晴れ


[ 古い友達からの電話 ]
古くからの友達からの電話



先日、半年ぶりに友人から電話をいただきました。大学時代の一年間、いや半年ほどの付き合いでしたが、賀状は10年くらい続き、その後私が引っ越したためにつながりが切れてしまいました。それが3年前、共通の知り合いとフェイスブック上で「再会」したのをきっかけに、彼の消息も分かりメールや手紙を交換しています。さらに彼が千葉に来た際に一度、私が上洛した際に2度会えました。

そして今度は12月に同期会を兼ねて山口県の柳井市駅で「会おう」という話がまとまったので大野にも先に都合を聞いておきたいと、電話をくれました。「もちろん参加するよ」私は答えました。「ドタキャンはあるかもSれないけど」と付け加えましたが・・・

今回予定では十人くらいに声をかけるとのことでしたが、彼自身滋賀県に住み、親の介護を奥さんとしている関係で、いつ出かけられなくなるかわからない、という話でした。他にも2人同じ状況の方がいます。自分自身が病気のために参加できるかどうかという方もいます。勿論仕事をしている方もいますので、その方々は、休みが取れなければ参加はできません。それでもそういう風に誘っていただけるのはありがたいことです。12月に会えることを楽しみにした電話でした。



2014/10/09(木) 晴れ


[ 七五三まいり ]
七五三まいり



姪の子供たちの七五三参りが杉並にある大宮八幡宮で行われました。あいにくの雨でしたが、着飾った子供たちの成長していく様をみて、うれしい気持ちになりました。下の子はまだ二歳半ですが、お姉ちゃんが7歳なので、一緒に行いましたが、着物が窮屈なのか、なかなか良い表情を収めることが出来ませんでした。下の子に私は「おじさん」隣にいるのは「のりこちゃん」と教えてきました。







7歳のお姉ちゃんはぐっと女らしくなってきました。


2014/10/06(月) 台風


[ 太田智之助氏逝く ]
太田智之助氏逝く


中野支部の重鎮で、新東京木材本部の相談役である太田智之助氏が亡くなられました。86歳でした。中野支部長を経験して本部の常務になり、さらに中野支部のことをよく御存じの方でした。

初めて言葉を私が交わしたのは、今から30年くらい前の中野支部の従業員慰安会だったともいます。その二年後、父の代わりに急遽出席した支部旅行(伊豆でした)でなんと一緒の部屋に泊まることになりました。カリスの社長である西尾さんと3人部屋でした。父が来ると思っていたらしく良い部屋を用意していただきましたが、私はお茶くみに徹しました。太田、西尾両氏は当時中野支部内では双璧をなしており、会社からの収入も、方や月給60万円+家賃110万円。方や月給80万円+家賃60万円。いずれ劣らぬ両氏の話は延々と続き、ライバル心は競争力を高める、と思ったものでした。

「大野さん、年間3億売らないとだめだよ」「3億売ると商売は面白い」と言っていただきました。その頃のわが社は8千万円。それを超えることはほとんどありませんでした。

わが社の商売の形態は、ほとんどが大工さんだったので、大口の方はほとんどいませんでした。ただ安定的に仕事を持ってきていただけたので、平均して、売り上げはあまり落ち込まずに仕事を続けていました。その頃の新東京は都心の市場で良材を置いているけれども値段は高め、といった感じでした。

太田さんで思い出すのは、新東京の市場で栂の間柱を太田さんが買うと3万7千円。わが社が買うと4万5千円。単位は違うので一概には言えませんが、それを新宿市場で買うと4万2千円。どうしても安い方へ流れます。これはこの後、中野に十四日会が出来て改善されますが・・・(それからでも二十数年が経ちます)

さて、それから十数年が過ぎ、今から十年ほど前に中野支部長を引き受ける羽目になりました。その時の役員会では何の前触れもなく選ばれたのでお断りしたのですが、押し切られました。当時父親の介護もありましたので、とてもそのような役を受けられる状況にはなかったのです。

前任者からは何の書類もいただけず、前副支部長さんより、支部総会式次第やこれまで行った行事や旅行先の領収書を預かりました。そこで支部相談役の方々を回り、いろいろと教えていただきました。(後から聞いた話では、歴代の支部長さんが付けていた日誌があったそうですが、前任者が全部処分したとのことで、私は見たことがありません)

そのような中で、太田相談役は支部、本部事情に精通しており、いろいろなことを教えていただきました。なんでも詳しかったですね。節目節目で聞きに行きました。脳梗塞を患われていたので、言葉が聞き取れないこともありましたが、記憶力は確かでした。

ここ数年は大の田さんのお店に行ってお話を聞くこともなくご無沙汰してしまいました。今回の訃報は急だっただけにびっくりしています。今までお世話になったお礼と共にご冥福をお祈りいたします。



2014/10/03(金) 晴れ時々曇り


[ 木と暮らしのふれあい展 ]

木と暮らしのふれあい展


今年も「木と暮らしのふれあい展」が、江東区の木場公園で開かれます。ご参加のほどよろしくお願いいたします。10月はイベントがたくさんあります。







2014/10/01(水) 曇り


( 2014/11 ← 2014/10 → 2014/09 )


[ 管理者:大野満生 ]


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