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時々更新mn日記

( 2014/10 ← 2014/09 → 2014/08 )


[ 「るろうに剣心 伝説の最期編」 ]
「るろうに剣心 伝説の最期編」


先月の「るろうに剣心 京都大火編」に引き続き最後編を見てきました。京都大火編を見てから一か月半ですが、前作が中途半端なところで終わっているので、早くラストを見てすっきりしたいと思っていました。

私は二十日ほど前に膝を痛めたので、予定より伸びてしまいましたが、9月30日に見に行くことが出来ました。ラストは予測がつくとはいうもの、それなりにドキドキしながら見てきました。面白かったですよ。

荒唐無稽といえばそれまでですが、余り考えずに見れば楽しいものです。主人公を演じた佐藤健の甘い魅力も良いと思います。

火曜日ということもあって空いていました。

見終わってから「追分団子」あんみつを食べましたが、映画がシニア料金で1100円。あんみつが875円。

1100円で二時間半遊べる娯楽である映画は安いと感じてきました。

月に一度くらいは映画を見たいものです。


2014/09/30(火) 晴れ


[ 十年一昔 ]
十年一昔


十年は一昔です。
今日は昔の書類を整理していました。もう捨てても良いもの。まだとっておきものを分けています。いらないと思うものは積極的に捨てています。それでも沢山あります。会社関係のものは過去5年は捨てられませんし、決算書などは処分しないでしまってあります。

さて、今日は近くの川島商店街の朝市に行ってきました。十年前ならもっと混んでいたろうに、すっかり人出が少なくなりました。二十年前ならまだもっと盛り上がっていたのに、という感じです。お店もとびとびになり、朝市に参加するお店自体が少なくなっております。以前はその日の買い物はその日にしていましたので、毎日買わなければならないものが数多くあったと思いますが、冷蔵庫の発達で「日売り」のものはスーパーに行ってしまうようになりました。

お店を継いでいる人たちも高齢化し、さらに従業員を抱えていた所も人出を少しずつ減らし、親子で商売している所ばかりになっています。

こう考えると材木屋さんは先駆けのような気がしてきます。

今から二十五年くらい前から材木が売れなくなり、新建材をメインにして売り、さらに住宅に重点を移して、その中で成功した方々が残っているように思えます。まだ従来の物販だけで事業を成り立たせている所があれば立派です。わが社はもう会社組織ではありませんが、一つの目安として、使用していた土地が約50坪だったので、一坪当たりの売り上げが一万円を切るようなことがあればそれが転機だろうと考えていました。つまりひと月の売り上げが500万円を切る事態。年商6千万円でした。父が生きていたころには何とかそのあたりを行ったり来たりでしたので、給料が出ました。その後一人で営業してみると、年商が落ちてもやり方次第で、つまり利益率の良いものを売ることで売り上げが減っても利益を残せることがわかりました。しかしその道は、体力勝負でした。

例えば耐火ボートなどは単価は安いですが、配達込の値段ならば利益率はいいものです。毎日50枚位配達していました。100枚とか62枚とかまとまると直送をお願いしましたが、置く場所が狭いとか、道路幅が入れないとか、現場はいろいろな問題があって考えた通りにはいきません。

が、手っ取り早いベニアとボードが稼ぎ頭になりました。そのついでに木材が売れていたように思います。

新築の仕事がほとんど無くなり、下地材ばかりの販売では、売り上げは伸びませんが、仕事は楽です。一番簡単なものを売っていくのは、材木屋には似合っています。そこで儲かれば割の良い仕事に見えました。

そこから抜け出す方は、神棚マイスターになったり、地元の町会長を引き受けたりとスペシャリストの活躍が必要です。凡人にはなかなか抜け出せません。抜け出せないまま、還暦が過ぎたのが私の仕事人生のような気がします。実際、ラストの3年間でかなりの貸し倒れを経験し、信頼していた工務店から債権が溜まりました。結果的に4件が貸し倒れ状態です。

そのため信頼できる方には次の材木屋さんを紹介しましたが、危ない所にはやめました。その中でもしっかりした所は次の材木屋さんからも売っていただいているようですが、幾軒かは、それもダメなようです。自業自得です。

工務店を育てる予定でしたが、育てられずに失敗した感じです。それでも借金せずに過ごせてきたのは今考えるとラッキーでした。ここ数年は体力的にかなり大変でしたが、今は休憩をいただいています。「楽」を憶えました。楽から再び苦の世界へはいけません。もっと楽しい世界へと足を進めたいと思います。それが今までの仕事の延長線上にあると、いいなと思っています。

十年は一昔。二十年はふた昔です。時の流れは速いです。木材の業界も足場を固めて地道に歩きながら進むしかありません。今残っている方はその方向にいる方だと信じています。健闘を祈ります。



2014/09/29(月) 晴れ


[ 二時間歩く ]
二時間歩く


運動不足にならないように少し歩いています。

今日も二時間くらい歩きました。まず、自宅から都営地下鉄の西新宿駅まで歩きました。せっかく歩くのですから、今まで歩いたことのない道を歩いてみました。大通りから路地に入ってみました。前に歩いていた女の方が、左に曲がったので、私は右を選びました。するとしばらくして元のお通りに出てしまいました。左に曲がればよかった。

そんなことをしながら西新宿から代々木の駅まで地下鉄に乗り、代々木の駅から明治通り経由で新宿方面へと足を進めました。途中家から持参した飲み物とおにぎりを口に入れながら歩きました。明治通りでは大きなビルに囲まれた二階建ての家や三階建てのビルなどを見ながら進んでいきました。隣が建てる時に一緒に建てればよかったのに、と思いながらもそれぞれの事情で、現在に至ったのだなあと感じながら歩いていました。

全く住まいつくりは自分の意志とは必ずしも一致せずに進むことがあります。また実際に住まいとつくる時は「勢い」です。迷う暇がない時ほどスムーズに事が運びます。

高島屋のビルの横にある「紀伊國屋書店」に入り、しばらく本を探してみました。今朝の新聞に高橋昌明さんの「京都千年の都の歴史」を買いました。そのビルのテラスで残りのおにぎりを食べていました。この日の天気は雨のち晴れでした。またビル風が強く吹いていました。テラスの床は耐久性の高いウッドデッキでしたが、雨に当たる所、雪が積もりそうなところは腐り始めていました。このビルが出来てから二十年は経つでしょうから、大体二十年というとウッドデッキも腐りはじめるのか、と感じてきました。

そこからサザンタワーに出てその先にある宮崎県のショップにも立ち寄りました。特に買いませんでしたが、イモ焼酎の銘柄をチェックしてきました。単価はカクヤスで置いているものはそちらの不が安いのでやめました。

新宿から中野坂上まで地下鉄を使い、坂上で降りて自宅のある中野新橋まで戻ってきました。大体二時間歩き、二時間、書店やデパートにいました。二時間歩くと汗もかきます。足も疲れました。そしてこれから足をケアして風呂に入ります。のんびりとした一日を送っています。

さて、今から一年ちょっと前ならば、まだマンションの建設途中だったので、人の家の外壁を見てこんな色に仕上げようかとか、塀はこれがいいとか、ネームプレートはこんな感じなど、多くの楽しみがありました。そういうことが解決してしまうと住まいに対する関心も少し違ったものになりました。

それでも次に向かって今建てられている住宅などを見ています。テニスの行き帰りも道を一筋ちがえて見たりして、今まで通ったことのない道を好んで進んでいきます。本当に住宅が建っていますね。これらのうち何%が地元の工務店が建てるのでしょうか。大半というか、ほとんどがハウスメーカーのものになった感があります。さらに一戸建ての住宅であれば木材をたくさん使うことが考えられますが、アパートや建売では瑕疵を恐れて使われないものになりました。

私自身、住まいやマンション建築に携わってきましたが、2000年くらいを境として木材を使わない住まい、新建材だらけの住まいが仕事の中心をなしてきました。そう考えると木材を見える所に使う建築はより一層減ったことだと思います。木材はやはり見える所に使ってこそ、映えるものだと思います。見える所に木材を使うと、人間の技術が進歩する、より素材の良さが引き出せるなど利点が多いと思いますが、コストはかかります。コストをかけても木材を使いたい人を探すことが一番大事なことになりそうです。

尚我が家の壁には、杉の板や珪藻土の所がありますが、空気が穏やかな気がしています。これも木材を使ったお蔭だと思っています。

今日は二時間歩きました。足にダメージが残っていないようなので安心しています。また明日も小一時間歩くことにしましょう。




2014/09/25(木) 曇り時々雨


[ 二週間ぶりのテニス ]
二週間ぶりのテニス


二週間ぶりにテニスをしました。考えていたよりかは動けたので安心しました。それに先立ち、9月21日には、有明にパンパシを見に行ってきました。入場券をいただいたのでいけました。11時半前に到着して、試合開始が12時だったので間に合うかと思っていきましたが、思っていたよりかは行列が長くて第一セットの第4ゲームから見ることが出来ました。

席は東北の上の方でした。日陰に座れたのでラッキーでした。イバノビッチとウオズニアッキの対戦でしたが、イバノビッチの勝利でした。全体的にイバノビッチの方が余裕があるように思えました。それにしても球は速いです。サーブにしてもバックのリターンにしてもスピードが違います。

本戦が終了してエキシビジョンマッチでマレーバとヒンギスが対戦しましたが、ヒンギスは一回り若いだけあって終始余裕で試合を盛り上げてくれました。47歳のマレーバは現役のヒンギスと比べてしまうと見劣りがしました。年には勝てないものだと思ってここを後にしました。

さて、9月23日にテニスに復帰しましたが、テニスが終わり家に戻って、アイシングをして風呂に入って相撲を見ていたら、急に眠くなってしまい、椅子に座ったままウトウト。食事を挟んで9時前に就寝。朝までぐっすりでした。

もう少し様子を見ながら、この秋もテニスに励みたいと思っています。



2014/09/24(水) 曇り時々雨


[ 今日は敬老の日 ]
今日は敬老の日


今日9月15日は敬老の日です。両親の敬老祝いをした記憶はありませんが、いつの間にか自分が対象になりました。気分は敬老です。まだたぶん実年齢では足りないのだと思いますが、母の元気だった年まであと一年。父が元気だったときまであと十二年。最近は父に似てきたと思うようにしています。が、身体はどこが痛くてもさえないものです。右ひざも腫れが曳き、痛みはありますが、自然と右足が上がるようになりました。これで多くの方に迷惑をかけてしまいました。これを機に少し体をいたわってみます。それにしても最近よく眠れます。気候が良いのだと思います。

さて、最近読んでいる本は「木造建築を見直す」(坂本功)や「昭和天皇」(原武史)です。いずれも岩波新書になります。前者は今から14年前に書かれた本ですが、従来の本とは少し変わっていて面白いです。例えば、お寺です。奈良にある唐招提寺を例にとって、創建当時の大屋根はもっと軽かったそうです。それが江戸時代の元禄期に大修理をした際に、現状に近い重たい屋根になったそうです。そのため屋根が崩れないように四隅に棒を立てて倒壊を防ぐようにしてあったのを明治の終わりの大修理の時に小屋組みを洋風に直して、なんと用小屋組みにしたそうです。

それは東大寺の金堂も明治の大修理の際に、小屋組みを洋風にしたとのことでした。私の奈良の大仏は見に行きましたが、あの大仏の上にある屋根を支えているのが、洋小屋組みと知って、驚きです。あまり日本的にこだわっていない所が面白いですね。その当時の最新技術を取り入れたということになるのでしょうか。

随所にこういうことが出てきます。

それは後者の「昭和天皇」でも同じでした。最近「昭和天皇実録」なるものが完成し、来年から随時本になっていくそうですが、それと合わせてこの本を読むといいと思います。昭和天皇が、母親である貞明皇后との対立していたことや一歳下の秩父宮との軋轢などが描かれていて、戦後皇后が1950年に、秩父宮が1951年に亡くなるとそこから解放されていくことなどが描かれています。

そういうことを知って昭和天皇実録を読むと終戦直前に一方で戦争の終結を願い、その一方で、「御祭文」で戦勝祈願しているという矛盾した行動も母親への配慮を感じます。この辺りをどう読み解いていくか、面白い所です。

さらに昭和天皇は敗戦国の代表として退位とキリスト教への改宗を自分なりの責任として考えていたといわれています。

もしキリスト教への改宗がなされていたら、神棚を飾るものは十字架だったかもしれません。混乱している時期というのは、いろんなことがあるのだと思います。

さて、今私はある方の年譜を調べています。一応その方の年譜は出来上がって製本されているものですが(今は絶版となっていますが)、その方にとって都合の悪い所がすっぽり落ちているのに気が付きました。大事な所ばかり要所要所で抜け落ちています。

もし自分が自伝を書いたとしても都合の悪いところは書かないか、落とすか、さらりと触れるくらいで紙面を割かないと思いますが、それと同じことがこの方の場合も行われていました。誰しも自分に都合の悪いことは後世に残したくないのでしょう。

お寺の改修に話を戻すと、必ずしも日本的なものが継続されているのではなく、最新のものを活用して今日があるとすれば、新しいものから学ぶ姿勢と余裕を持たないと後退する、退化すると感じました。私も身体も退化中ですが、何とかあと十年持たせるように、踏みとどまっていきたいと思っています。


2014/09/15(月) 晴れ時々曇り


[ 銀山温泉共同浴場 ]
銀山温泉共同浴場

銀山温泉には、三つの共同浴場があります。地元の方や観光客の方が利用しています。

まずは、「しろがね湯」
受付におねーさんがいます。入浴料大人500円です。






かじか湯
無人のお風呂です。入口にお金を入れる箱があります。300円です。






おもかげ湯
貸切風呂です。50分で料金は2000円だったと思います。(忘れました)





白銀湯に入ってきました。3人ほど入っておられましたが、その方々達が上がるのを待ってのんびりと入りました。

風呂上りには、「野川とうふ店」の豆腐を川べりのベンチに腰を掛けていただきました。



のんびりしてから、ここを後にしました。9月1日のことでした。



2014/09/14(日) 晴れ


[ 全くの休日 ]
全くの休日


日頃の疲れからか、テニスのやり過ぎなのか、今一つ原因がはっきりしませんが、右ひざを痛めてしまいました。

夜中の二時に目覚めると、右足が曲がりません。曲げると痛いのです。初めは冷えたのかなと思いましたが、右足が言うことを聞きません。寝付かれないまま、朝を迎えました。少しは寝たのですが・・・

朝になって何とか起きてトイレに行きました。右足に体重を乗せられません。「これは参ったなあ」と思いました。左ひざ、左腰、右肩、左ひじに続いて左ん膝が痛くなりました。住まいには手すりを付けてありますので、これは助かりました。手すりは必要です。

9時前に整骨院に行き見ていただきました。捻挫だろうということで治療を受けました。行くのにも階段を一段一段おりました。これが結構つらいものがあります。そして片足を引きずりながら歩くと、左の腰に負担がかかります。人間ちょこっとしたことでも、動けなくなるものだと感じています。

このお蔭で予定が大幅にくるってしまいました。組合の鮎祭りに出かけようと思っていましたが、駄目でした。さらにテニスは向こう一週間全部お休みです。いろいろな方にご迷惑をおかけしています。さらに楽しみにしていたテニスの試合のも不参加の連絡をしました。今月末にはドライブも考えていましたが、気持ちが乗りません。そして禁酒です。これから一週間は慎重に過ごして早く治したいです。

ここ二日、家にいて整骨院に行っただけです。引きこもりです。そのおかげでテレビばかり見ています。CS放送では「るろうに剣心」の1作目を放映していたので、見てしまいました。昼は何とか過ごせますが、夜が長くなります。飲み疲れて眠るというわけにはいきませんので…



2014/09/13(土) 晴れ


[ 東根市の大ケヤキ ]
東根市の大ケヤキ



サクランボで有名な東根市には「大ケヤキ」があると天童から銀山温泉に向かう車の中から、見えました。

そこで銀山温泉からの帰り道,そこに寄りたいと思いました。、

銀山温泉から徳良湖経由で尾花沢そば街道へ。そこでお蕎麦をいただいた後、東根市に入り「大ケヤキ」を探しました。案内板に従って探したつもりでしたが、間違えてしまいました。行き過ぎてしまい、戻りかけた所で案内板を見つけ、そこを入っていきました。

「大ケヤキ」は東根小学校の敷地の内部にありました。目の前のお宅には、「大ケヤキを見に来られた方は、ここに車を止めてください。無料です。」の看板があり、そのお宅の敷地内に止めてケヤキを見に行きました。そこは大ケヤキの正面に当たる場所でした。こういう心使いが出来る街でした。

小学校の中に入ってみると本当に大きな欅でした。風で葉が揺すられて「ざわざわ」と音を立てていました。今の時間は午後の三時半です。学校にはもう生徒はあまり残っていないようでした。このケヤキを見学していると生徒が出てきて、おそらく家に帰るのだと思いますが、「ケヤキを見に来られたのですか」と気軽に声をかけてもらいました。「そうでよ。本当に大きですね」そう坊主頭の男の子に声をかけました。

山形はフルーツ王国。米どころ。そして人の良さも感じてきました。






2014/09/11(木) 曇り時々雨


[ 錦織圭、惜しかったですね。 ]
錦織圭惜しかったですね。


テニスの錦織圭は惜しかったですね。全米オープン、惜しくも準優勝でした。今朝、9月10日付の新聞は、錦織圭のスポンサーの広告が大半を占めていました。錦織の活躍でテニスが少しはメジャーになっていくと私としては、うれしい所です。

さて、建築の業界は、仕事としてはまだ仕事を抱えているという状態みたいですが、「人がいない」といわれています。契約は取れるけれど、銀行関係もお金は出せるけれども、人がいないので、工期は長くとらないとできないと言われています。

小さな工務店では、大工が移動すればその工務店は仕事を続けていけない、とも言われるようになりました。

大工さんの平均年齢は今、どれくらいなのでしょうか。私が頼りにしていた方々は60代の後半の方が一番若い方でした。その方々なら難しい仕事でもなんとかこなしてくれると思っています。が、それより若い方でそのように頼りに出来る人は、ほぼいなくなっています。この辺りを解決できないと木造建築に未来はありません。

さて今日は中野新橋の整骨院に行ってきましたが、雨のせいもあり、空いていました。中野新橋もお店の入れ替わりが激しいこの頃です。売れ行き不振と店主の高齢化による転廃業です。

日本全体の力が落ちているのでしょうか。若い人たちにチャンスが訪れていますよ。


2014/09/10(水) 曇り時々雨


[ 夢の中に出てくる人々 ]

夢に出てくる人々



この所、涼しくなったのでよく眠れます。テニスをした日や歩いた日などは特にその傾向があります。朝一度起きてからもう一度寝る、「二度寝」も気持ちの良いものです。

さて、私は毎日夢を見ます。眠りの浅くなった朝方だと思います。夢に出てくる人はその殆どが同じ人です。両親や兄弟、妻に友人です。友人も小学生の時から大学卒業後の方まで様々です。一緒に会ったことのないはずの人が夢の中では一緒です。

そして今みたいに涼しくなってくると夢の中でトイレに入ります。用を足すか、たさないかの所で、現実に戻ります。何とか眠りから覚めてトイレに行きます。

そうすると今までみていた夢の世界が消えて、再び戻れません。不思議なものです。




2014/09/08(月) 曇り時々雨


[ 天童市 ]
天童市



銀山温泉に行きましたが、その前日には天童市にいました。

天童では、まず将棋資料館に足を進めました。といっても駅を降りて一階に降りればそこにあります。

将棋は若い頃に一度習い、20代の頃にもテレビで見ていたので興味があります。私の年だと大山康晴対升田幸三といった所が一番の思い出でしょうか。

近年では羽生善治さんに代表されると思います。天童は将棋の駒つくり日本一で、駒の95%はこの土地で作られているそうです。それでも作っている所は10数軒だと聞きました。駒の材質もそうですが、表面の仕上げの仕方や文字の塗り方、さらに書体など奥深いものがあります。

将棋の駒つくりを始めたのは、天童に織田氏が移ってからと書いてありました。通称天童織田藩と云って織田信長の次男である信雄(のぶかつ)を祖とする織田氏です。藩の財政難を立て直すために駒つくりを始めたとのことです。

その関係で、天童には織田信長を祀った「建勲神社」があります。そしてここには織田信長の肖像画(の写し)が残っています。その写真がこれですが、こちらの方が教科書に載っている信長よりも威厳も風格もあります。



ここにもお参りに行ってきました。

さらに安藤広重美術館へも足を運びました。歌川広重と安藤広重が同一人物だと知りました。また広重も初代が有名ですが、5代まで名乗った方がいたそうです。

広重と云えば、東海道53次や中山道69次などが有名ですね。広重と天童とのかかわりあいも織田藩と関係があります。織田藩は財政難で裕福な商人や農民から献金を受けたり借金をしましたが、その返礼として広重に書いてもらって農民や商人に与えたということです。その結果、書かれたものは「天童もの」と言われ、天童に美術館が出来るきっかけになったそうです。

広重生誕200年を記念して「広重美術館」がこの天童で誕生したとのことでした。

その広重美術館の目の前には、「水車そば」があります。大きな蕎麦屋さんです。十割そばです。こちらも食べてきました。かなりしっかりした蕎麦でした。さらにここでは
「鳥中華」というラーメンを頼む人がいました。若い方に多く見られました。山形B級グルメでランキング上位だそうです。この後別の蕎麦屋にも行きましたが、そこでもラーメンがメニューに入っていたので、こちらでは蕎麦屋でもラーメンを注文できる所が多いようです。

8月31日に天童にいましたが、気候も良く過ごしやすい所でしたが、街中は閑散としており、天童温泉も宿泊するだけの土地のようでした。


2014/09/06(土) 晴れ


[ 落ち着きを取り戻しています。 ]
落ち着きを取り戻しています。


暑い夏が過ぎて少し楽になってきました。錦織圭の快挙に興奮しています。体力的に劣る錦織圭がベスト4まで進みました。これで日曜日に行われるジョコビッチ戦が楽しみになってきました。

私も暑い夏が過ぎて身体が楽になってきました。このまま暑くならないといいのですが・・・

日常は至って平凡です。銀山温泉には行きましたが、その他はのんびりしています。身体を動かし、本を読んでいます。仕事も整理する時期が来たようです。こちらの悩みも差し迫っています。




2014/09/05(金) 晴れ


[ 銀山温泉その2 ]
銀山温泉その2


9月1日、銀山温泉の旅館街を抜けて、裏山や銀坑後などの散策をしてきました。

まずは「はいからさん通り」から少し上った所にある「疎水口」へ。さらに石段を登って「せとこい橋」へ。

はいからさん通り




疎水口


せとこい橋



さらに「かじか橋」へ。ここからさらに上って「夏しらず坑」へ。さらに道なりに行くと 広い所に出ます。そこが「おもかげ園」です。ここから銀山の坑道へと入れるようになっていました。入口は青森ヒバの丸太で人が立って入れる高さに作られていました。暗がりに所々にライトが照らされていました。鉄骨の階段を下りていきます。この銀山はとうの昔に閉鎖されていますが、水を使って表面削っていったそうで、岩の壁が縦割れしている所ばかりでした。地震が来れば崩れてしまいそうな感じです。しばらく下っていきましたが、下り終えたかと思いきや今度は上りです。登り階段がありました。

登り切って別の坑道出入口に着きました。太陽の光がまぶしいです。さらにここから石段を登っていくと山の頂上に銅像が建っていました。「儀賀市郎左衛門」と云って、この銀山を発見した方でした。谷から上ってくる風は心地よいものでした。



この後「河鹿橋」まで戻り、別の道を選択して、「こうもり穴」「鬼子母神」さらに「白銀の滝」を見渡せる滝見台をへて「ハイカラさん通り」に戻りました。そこにあるお店でカレーパンを食べ、尾花沢のスイカをいただき再び温泉街を散策しました。



(白銀の滝)



(尾花沢スイカは甘くておいしいです)

川の風に誘われながらのんびり散策してきました。


2014/09/04(木) 晴れ


[ 山形県銀山温泉へ ]
銀山温泉へ9月1日


山形県にある銀山温泉へ行ってきました。9月1日です。共同の駐車場に車を止めて歩いてゆきます。
途中に案内板がありました。



いよいよ銀山温泉です。向うに見える橋が白銀橋です。


銀山川の両側に旅館が立ち並んでいます。木造住宅の3層4層の建物です。



昭和館の建物です。築70年経っているとのことでした。




いつも写真に出てくる「能登屋」さんです。




旅館「永澤平八」です。痛んだ箇所を直したようです。材は青森ヒバでしょうか。



2014/09/03(水) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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