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時々更新mn日記

( 2014/09 ← 2014/08 → 2014/07 )


[ せわしなく過ぎた8月」 ]
せわしなく過ぎた八月


この夏はせわしなく過ぎてしまいました。あっという間に過ぎていきました。映画を一度見ましたが、あとは墓参りをして、用事に追われ、そのほかの時間には、テニスをしていました。テニスが出来ただけで幸せだとは思いますが、忙しい8月でした。9月からは今少しのんびり過ごしたいと思います。




2014/08/31(日) 晴れ時々曇り


[ 広島での被害が拡がっています。 ]
広島での災害が拡がっています。


広島での災害の被害が拡がっています。大災害になっています。土砂災害ですので、雨が降れば、被害は拡大し、土砂をよけたり、人を探す作業も中断します。多くのボランティアの方が現地へ行かれたようですが、天気次第です。

さて、ここ数年の雨の降り方は集中して一か所を襲うものが増えました。今年に入ってからも高知、沖縄、京都に北海道。大阪でもありました。日本の各地で起こるようになりました。

今回の広島の災害を見ていると、一つには人が住んではいけない所まで人が住むようになったことが大きな被害をもたらしていると思います。

3年前の東日本大震災においても三陸地方で「ここより下に家を建ててはいけない」という教えを守った村から死者を一人も出さなかったことがありました。

住む場所の選択は大事です。

今回広島の災害を見て、開発してはいけない場所を開発してきた歴史を感じています。

今日8月30日現在で、死者72名。不明者2名。避難者1146人。避難所11か所。(以上読売新聞より)です。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに避難されている方々のご健康と、一刻も早い復旧をお祈りしております。



2014/08/30(土) 晴れ時々曇り


[ 懐かしい人や街を訪ねて ]
懐かしい人や街を訪ねて


「懐かしい人や街を訪ねて」で始まる歌があります。吉田拓郎の「シンシア」です。南沙織の愛称「シンシア」から歌を作りました。私も若い頃、拓郎のファンで南沙織のファンでした。

拓郎の「今日までそして明日から」は大学4年の時に聞きました。同期生の安田和生君の下宿でした。衝撃を受けました。そして学生生活を終えて、東京に戻ってきて、数年後に聞いた曲の一つが「シンシア」でした。

そしてそれから40年。綾小路きみまろではありませんが、「あれから40年」です。懐かしい人や街を訪ねてみたいのですが、そこに懐かしい人や街があるとは限らなくなりました。そんなことを考えると人がいて初めて、知っている人がいて、会ってくれる人がいて初めていろいろなことが成り立っていることを思い知らされます。

会ってみたい人はたくさんいますが、現実的に会える人は少なくなっています。勇気を奮って、会ってみたい気持ちを告げて、それで会っていただけるのなら良いですが、反対の答えもあるので、怖くてできなくなっている自分もいます。従って個人的には会えなくなっています。誰かしらがセットしていただければ会いたいと思っています。

誰にでしょうか。

やはり、今は会えなくなっている人になります。大学時代の人にはつながりがありますので、会うことはできますが。卒業してからの数年間に出合った人には、全く40年間いや、30年は音沙汰無しで過ごしましたので、そのあたりの人がどうしているのか、元気に過ごしているのかが知りたいところです。

有名になった方。例えば成田龍一さんとか、鶴園裕さんとかなら、あるいは増倉康久さんなら連絡できるかと思いますが、森田君とか、山脇君とか、井野君とか、吉田さんとかは、消息が分かりません。

繋がりが無くなってしまった人とも、再会したいと思うこの頃です。


2014/08/21(木) 晴れ


[ 三島敏夫逝く ]
三島敏夫逝く


ハワイアンやムード歌謡で活躍した三島敏夫さんが亡くなられました。87歳でした。やさしい甘さのある歌声で一世を風靡しました。私は「女ってかわいいね」や「面影」が好きです。

いまは、YOU TUBEで検索して、いくつか聞いています。やはり「面影」がいいですね。女の人を虜にするような甘いうたごえです。

面影の歌詞はこんな感じです。

作詞 水島 哲
作曲 狛林 正一

1=北国の 春浅い川岸 涙をこらえ ちぎれた雲を じっと見ていた あの娘よ おくれ毛が おくれ毛が 風に吹かれ 白いうなじが奮えてた

2=北国の アカシアの並木よ 二人の愛の イニシャルきざみ 恋をちぎった 思い出 あの頃は あの頃は 若い胸が いつもせつなく 燃えていた。

3=北国の 春浅くめぐって 別れたあの娘 面影だけが 今日も心に しみるよ 淋しそな 淋しそな 影のあった 可愛いあの娘の 面影よ


2番の歌詞が好きです。


2014/08/19(火) 晴れ


[ るろうに剣心 ]
るろうに剣心



映画「るろうに剣心 京都大火編」を見てきました。8月17日は、雨の予報だったので映画をあらかじめ予約してあったので見やすい席で見ることが出来ました。

前作からの殺陣のシーンが面白くてすっかりこの映画にはまっています。

さて今日の、映画の中で主人公の緋村剣心が語る言葉があります。「死んだものが望むのは生きているものの幸福」という言葉があります。いい言葉だと思います。

9月13日からは完結編も上映されるので、こちらもぜひ見たいと思っています。

終わって出た所で、妹夫婦とバッタリ。同じ映画を見たのかと思いましたが、これから「ドラえもん」とのこと。びっくり。



2014/08/18(月) 晴れ


[ 戦争と人間 ]
戦争と人間



1970年から73年に作られた映画「戦争と人間」を日本映画専門チャンネルで8月になって放映されていました。第1部、2部、3部の三部作です。すべて熱中してみたわけではありませんが、昨日(8月15日)の完結編は見ました。北大路欣也演ずる五代俊介と山本圭演ずる標公平がメインになっていると思います。私は20代前半で一度見ましたが、その二人に共感できる所が数多くあったことを憶えています。

と同時に、改めて見てみると、滝沢修演ずる五代由介の言葉一つ一つに重みがあって、これは自分の年齢との関係かと思いました。あれから40年です。

たとえばその言葉の中に、中国大陸での戦線拡大に反対する論理として「軍人さんは、金の卵を産むガチョウを絞め殺してしまう」というものがあります。戦線を拡大していき、戦力の補給が出来なくなっていくとき、残るのは崩壊のみです。資本家としても戦線の拡大は好ましいものではありません。まして、ソ連と中国を相手にし、さらに英米仏に対しても戦争を仕掛けていくとき、それらの国と日本との国力の違い、その差は歴然としたものがあります。

その意味では五大俊介が、軍人の前で、数字を並べてアメリカやソ連との国力の差を並べ立てる場面は圧巻でした。しかし、その結果俊介は前線へ行かされる羽目になるのですが・・・

そして、吉永小百合演ずる五代順子(標順子)が、戦死したはずの標公平からの手紙を憲兵隊が探しに来る場面で、標からの手紙を順子が暗唱している所がこの映画の中心部分をなす所だと思います。

小説「戦争と人間」の原作者の五味川純平さんは中国戦線に送られた方だけに見てきたこと、経験してきたことを中心に小説を書いているので、また、それが書かれた40年前には、戦争経験者がまだ数多く生きておられて、多くの共感があったと思います。

戦争で亡くなられた日本人は約230万人と言われています。そのうち6割の方が、餓死者と言われています。派手なドンパチだけではなくて、死者が出ていることにもっと耳を傾けましょう。戦争とは、直接に闘っているものだけではなく、闘いから置いてきぼりを食ったものも死ななければならないし、銃後にいた人も原爆や爆撃で死ななければならなかったし、沖縄戦では、一般市民に対しても死を要求しました。捕虜となることを禁じた戦前の思想教育も戦争を推進する力になったのだと思います。

この絵映画は予算などの関係で、昭和14年のノモンハン事件で終わっています。その後、南方への進出や太平洋戦争へと進んでいきます。戦争が終結するまでに、まだ6年あります。先日、私より12年先輩の話をお聞きしました。その方は学童疎開で、会津の北の喜多方へ疎開されたそうですが、食べるものがなくて、戦争があと半年延びていたら、餓死していただろうと話してくれました。

現在のアジア・アフリカでは依然として戦争はあります。私は戦争を知らない軟弱な世代かもしれませんが、戦争をしないと暮らしを豊かにすることが出来る、と思います。そんなことを思いながらこの映画を見ていました。



2014/08/16(土) 曇り時々雨


[ 孫もどきの力 ]
孫もどきの力


上尾へ墓参りに行った後、妹の子供や孫が集まったので、そこへ合流しました。7歳の愛梨、2歳の菜乃羽と彩愛。3人が顔をそろえました。10か月ぶりかしら…

子供は駆け回るし、仲良くしたり、喧嘩したり、騒いだりとせわしないですが、2歳の子供二人が私の所へ来て、膝の上の座ってもらっただけでこちらは元気をもらいました。いわば「孫もどきの力」です。

30年前ならば、こちらも一緒に駆けずり回ったり、頭をゴツンとしたりなどできましたが、さすがにそういう気にはならず、転んで怪我をしなければいいと思うようになりました。見てるだけになりました。

最後は、三人の子供とハイタッチをしてお別れしました。また、ときどきはこうして顔を見たいと思っています。



2014/08/15(金) 晴れ


[ 八月朔日 ]
八月朔日


「八月朔日」と書いて「ほずみ」という名字の方がいるそうです。他の読み方もあるようですが、世の中には難しい苗字や名前がたくさんあります。

さて今年の8月1日には驚くことがありました。詳細は物事が解決してからになります。今は書けません。そのこともあり、大変忙しい日々を過ごしました。

しかしその間でも会合へ行ったり、東京ドームへの野球観戦に加えてテニスも行っていました。

野球の観戦は8月8日でした。6対1で巨人が中日を下しました。東京ドームは雨中止がないので観戦するものや主催者にとっては大変ありがたい仕組みです。この日もお弁当はともかくおつまみは売り切れでした。

今日は上尾へ墓参りに行きました。今月の前半はせわしなく過ぎました。夏休みもあと数日。のんびりと過ごしたいと思います。


2014/08/14(木) 曇り時々雨


[ 2・26事件 ]
2.26事件


目次
序章
1  新聞記事にみる2・26事件
2  2月26日朝まで
3  事件の収拾経過
4  2・26事件に至る諸事件
5  軍部内対立と抗争
6  彼らをつき動かしたもの――昭和維新
7  特設軍法会議
8  処刑
結び
増補版追記  命令・絶対服従


この本は1965年8月に初版が発行され、1994年2月に増補版が発行されています。私が持っているものは2007年4月15日発行の増補改版10版です。これを買い求めてあったのは後で書いてみたいと思っていますが、読んでみたいと思ったのは、先日渡辺京子さんがテレビに出られていたのを拝見したからです。

渡辺京子さんは2.26事件で亡くなられた渡辺錠太郎氏の次女ですが、目の前で父上が殺されたのを目撃した方です。「2.26事件」は青年将校によるクーデターと言われておりますし、この本の中では「真崎甚三郎の野心と重なり合った青年将校の維新運動」と結論付けています。事件は昭和11年(1936年)2月26日に起こります。皇道派青年将校が、1400人余の部隊を率いて当時の首相や内大臣、大蔵大臣、教育総監などを銃撃して、これを殺傷せしめたものです。襲った側の論理で云うと「天誅」を加えたことになります。永田町一帯を占拠した軍事クーデターです。

東京に戒厳令が敷かれました。事態は昭和天皇が激怒して、皇道派の青年将校らを「反乱軍」としたことで2月29日に収まります。現在では、昭和天皇が激怒した理由の一つに昭和天皇と弟宮である秩父宮との確執なども解明されていますが、この本ではそこまで追求していません。時代ですね。

また、この事件の関係者が5・15事件とは違い、処刑された


さて、この本にというか、2・26事件に興味を持ったのは妻の父が、昭和11年1月10日に招集、入隊して、同年2月26日の2.26事件に関わっていたからです。

「歩兵第3連隊第一中隊」入隊しました。上官は坂井直中尉です。資料によれば、斉藤実内大臣を襲撃し、これを殺し、叛乱軍にくみしました。史料によれば兵は総勢154名、うち初年兵は109名となっています。そのうちの一人だったと思います。だから、「歩兵第3連隊第一中隊」と履歴書に書けば、「そう人だ」と前歴がわかったことでしょう。

そのため、その年(昭和11年)5月24日には満州へ派遣の為、広島の宇品港を出発して、同月末にはハルピンの先の斉斉哈爾(チチハル)に赴きました。翌昭和12年7月7日の盧溝橋事件の勃発から、支那事変参加の為、満支国境を超え、天津から杭州に入り、武昌あたりまで警護や戦闘、あるいは討伐に参加しました。それは昭和14年9月28日まで満期で除隊するまで断続的に続きました。都合17回の戦闘に参加したと軍隊手牃に書かれてありました。

さてさて、最近「太平洋戦争」という言い方を否定し、大東亜戦争を美化する論調が増えつつあります。大東亜戦争でアジアを欧米列強の植民地から解放したという論調が多くありますが、それは例えば日本に中国の人が来て「日本を解放する。明日からは中国語が基本です」と言われることや、アメリカに人が来て「日本を解放するから、公用語は英語です。アメリカの文化は先進的だからこれに倣いましょう」と言われることを考えれば、多くの人は同意しないと私は思います。日本語を話して暮らしていきたいと考えています。

戦前のこの時代には私は生きていませんが、「日本良い国、神の国」といってアジアの中ではすぐれた国だと自負して「アジア解放」の為に戦ったという言い方は現地に住む人を下に見る考え方です。

たぶんこれは、日本が幕末から明治維新にかけて欧米列強に追い付け追い越せと富国強兵政策をとってきたことと、幕末の不平等条約から逃れていくことを第一としたことで、やむを得ぬこともあったでしょうが、それをつき進めていくと、戦争を第一に進む国になってしまします。

今日は8月六日、広島に原爆が落とされた日です。罪なき民が昭和20年だけでも死者の数は14万人と言われています。2・26事件と話は変わってしまいましたが、戦争を避ける道があるならそちらを選ぶことを真剣に考え、行動していなければ、その道を進むことはできません。そんなことを思うこの頃です。






2014/08/06(水) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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