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時々更新mn日記

( 2014/08 ← 2014/07 → 2014/06 )


[ MATATABI ]
MATATABI



「猫にマタタビ」という言葉がありますが、猫好きの店主が佼成病院近くに出したお店「MATATABI」に行ってきました。ブルガリアビールの飲めるお店です。

さらにシェフが八丈島出身ということで、八畳の焼酎や郷土料理も出してくれます。

この日は、ピザに、リヨンサラダ、鶏肉料理にトビウオフライを食べて帰ってきました。どれも美味しいですよ。

MATATABI 03-3380-0432



2014/07/31(木) 晴れ


[ 新東京中野市場の最終市開かれる。 ]
サヨナラ中野市場


毎年7月28日は、新東京木材商業協同組合の中野市場が開催されていました。が、今日を持って市場は終了し、これからは再開発へと向けた準備になります。ということで、最終市が開かれました。73人の買方が参加して、市を盛り上げていました。


ラスト市で思い出を語る細田木材工業会長。


この名前もここから消えるのだと思います。



ラスト市でセリをする亀田さん。




今から二十数年前にこの市場で、私も挨拶しました。


2014/07/28(月) 晴れ


[ 友からの便り ]
友からの便り


今日7月26日は、島一郎先生の命日です。2009年に亡くなられましたので、亡くなられてから5年が過ぎました。早いものです。

先生が亡くなってしまうと、先生と関係のあった人たちとも縁が遠くなっていきます。

そんなこともあり、月に一度くらいの割合で今までの友人に葉書や手紙を書こうと思い立ちました。まだ、数通しか書いていませんが、その友から、近況を知らせる便りが来ました。

一人は香川県の方です。学校の先生をしております。子供三人は皆独立して、今は夫婦とお母さんの三人暮らしだと書かれていました。元気で働いていると書かれていましたので、安心しています。

今一人は滋賀県の方です。3人の子供のうち、次男と長女が結婚して家を出て行ったことや趣味の登山・ハイキングに精を出していることなどが書かれていました。

最近、私自身もそうなのですが、パソコンで打つことばかりで、自筆で書くことをしなくなっています。パソコンは便利な道具ですが、たまには自分の手で、汚い字で書くと味わいも出る、と気づき始めています。短い葉書などで自分の字でこれからも友に近況を知らせようと思っています。

ともあれ、友からの近況を目にするにつけ、こちらも勇気づけられます。「あいつ、どうしているかな」が、「あいつも元気にしている」とわかってくるからです。縁のあった方々に一人ずつ葉書を書こうと思っています。


2014/07/27(日) 晴れ


[ エンディングノート ]
エンディングノート


昨年あたりから、「エンディングノート」を書くことを始めています。まだ下書きの所にしか書けていませんが、気持ちが乗ると書き足しています。自分史であり、友人について、家族関係などに加えて、「もしもの時に」備えて、葬儀に誰に連絡を取るのか、その連絡先なども書いてあります。さらに大まかな財産目録や、その渡す先についても大まかながら書いてあります。遺言書も一度書きましたが、そろそろ書き直そうかと考えています。

今持っている「エンディングノート」は、家の光協会の発行のものですが、なんでこれにしたのかは定かではありませんが、何冊か本屋の書棚にあったうち、自分にふさわしいと思って買い求めたものだと思います。

この本は章立てが出来ていて、
第1章 私に関すること
第2章 伝えておきたいこと
第3章 もしものときのこと
第4章 遺していくもの

となっています。

後ろ半分のページが、解説になっているので、その部分に、下書きを書いています。下書きには書けますが、本文の方には、なかなか手が入りません。おいおい書き進めていくつもりです。






2014/07/26(土) 晴れ


[ 準備を早く ]
悩みは前もって準備することで7割は解決する


仕事もそうですが、テニスも前もっての準備が大事です。私もテニスに行くときには、前もって準備体操をします。そして自転車で出かけるようにしています。テニス場についてトイレに行き、ストレッチをしてからコートに入ります。テニスが終わって家に戻ってきたら、まず膝や腕のアイシングをして、それから風呂に入ります。終わってからもストレッチをすればもっと良いのですが、あまりやりません。

テニスも十年続けていますので、少しは進歩していますが、まだまだの所がたくさんあります。まずはバック。バックボレーにスマッシュなどです。いろんな先輩からアドバイスを受けています。また今までコーチから言われたことを思い出しながらラケットを振っています。

その中で今一番聞いている言葉が、前もって準備することで、振り遅れも無くなるし、良いショットが打てるというものがあります。

気を付けて行っているのですが、なかなかできません。それでもチャレンジです。仕事をしている時もそうでしたが、予習が出来ていると仕事をスムースに運ぶことが出来ます。準備を早く。それが今の課題です。



2014/07/25(金) 晴れ


[ 朝起きると体が固まっています。 ]
朝起きると身体が固まっている




朝起きると身体が固まっています。そこで、首に始まり、肩や腰、さらに足を動かすようにしています。

つい最近までそんなことはありませんでしたが、これも通常の仕事をやめて、臨時でしか材木屋の仕事をしなくなった結果でしょうか。

特に骨折している小指は寒さに弱く、疲れのバロメーターです。指を一本ずつ動かして、とりあえず指の動きを良くしておきます。

そしてテニスの前には必ずストレッチをして臨みます。

先日の同期会の写真が来ました。



みんなそれなりに歳です。中央ネクタイ姿の方が校友会会長の住田さん。その左隣が和角仁先生。82歳です。歌舞伎の専門家で若い時に出した著書に「市川染五郎」があります。


2014/07/24(木) 晴れ


[ 自責の大根 ]
自責の大根


一週間ほど前に近くのスーパーで大根を買いました。やや太めでしたが、そこにあるものの中では一番良いかなと思い買い求めました。週に5回ほど朝にスープを作っていますが、その中で欠かせないのが人参、玉ねぎ、大根です。その材料にと買ってみたのですが、包丁を入れて見るとうまく入っていきません。固いのです。案の定煮てみても柔らかくなりません。

太いものを手に入れたので、毎朝、固い大根を食べる羽目になりました。二人分しか作りませんから、なかなか減りません。自己責任の大根です。そこで昨晩は豚シャブにして、大根はおろして使うことにしました。



この大根を全部下して使いました。おろしにすると甘みがあっておいしいのです。今まで使い方を間違えていたのかと思いました。おかげで自責の大根は食べ終わることが出来ました。



最近の朝飯です。パン一枚分減っています。


2014/07/19(土) 曇り


[ 石原裕次郎命日 ]
石原裕次郎命日


今朝起きてチャンネルネコをかけると「勝利者」という映画をやっていました。三橋達也、北原三枝、石原裕次郎の主演です。「花子とアン」を見てからまたチャンネルネコをかけてみると今度は「赤い波止場」でした。そして医者から戻ってきてテレビをつけると「男と男の生きる街」を放映していました。そこまで見て初めて、7月17日(今日)が裕次郎の命日だと気が付きました。

亡くなったのが昭和の終わりでした。その日若宮に用事があって、その帰りのタクシーの中で、第一報を聞きました。夜、雨の降る夜でした。タクシーの運転手さんは、裕次郎よりも大映の本郷功次郎の方が役者としては上だと、しきりに話していました。

昨年小樽で記念館を訪れましたが、入場者の数も少なく、裕次郎が亡くなった後に生まれたであろう女性の方が、受付に座っていました。もうだいぶ過去の人になってしまいましたが、映画の中では、若者です。彼自身はいいとこのお坊ちゃんでしたので映画の中の人物とは違いますが、そこを離れてもかっこいいです。多くの人を魅了した方にはオーラがあります。今日はすべてを見たわけではありませんが、所々見ながら昔の日活映画を楽しみました。



2014/07/18(金) 曇り時々雨


[ ひだまりや ]
ひだまりや


中野新橋に昨年12月にオープンしたお店です。徒歩5分の本郷通り沿いのお店です。

おいしいという話を聞いたので行ってみました。この場所は20年前は酒屋さんでした。それ以後、宝飾の販売をしていたお店があったのは記憶していましたが、いつの間にか「ひだまりや」になっていました。

この日、7月16日の6時過ぎにお店に入りました。店内は小ざっぱりした所で、片側の壁に日本酒のラベルが貼ってありました。日本酒と焼酎をメインの飲み物にしてつまみを食べるという感じのお店です。カウンターが7席。テーブルが10席。小上りが人ほど座れます。新しいせいもあり、感じの良いお店です。

メインは新鮮な魚介類でした。この日はカツオのたたきに、刺身の三種盛り。野菜サラダを頼みました。続いてイワシの梅煮。豚肉とネギの塩焼きと雲丹飯で〆ました。どれも美味しかったので、中野新橋にもまた通える店が出来ました。



ひだまりや 03−6382−4928


2014/07/17(木) 晴れ


[ 技術移転。しかし ]
技術は移転、しかし


川島商店街に魚屋さんがあります。かつてはこの商店街だけでも5件ほどあったと思いますが、今では一軒です。スーパーもありますから、その2軒で事足りています。

さて、一昨年、一軒の魚屋さんが辞めました。そこは魚だけでなく、惣菜なども販売していましたが、借りていたお店の建て替えに伴って廃業してしまいました。

その一方、後に残った魚屋さんも転機をむかえておりました。店主の病気です。そこのお店は店主が魚をさばいており、刺身の大変おいしい所でした。この方の病気に伴い、店主の弟さんが来てさばいておりました。しかし味はいまいち。
売上はみるみる下がりました。そこで、代わりの方を入れて、さばいていました。何とか持ち直していました。

そんな矢先、スーパーの経営が変わり、全体的に「安くておいしいもの」を提供するようになりました。そこでさばき手として選ばれたのが、廃業したお店のご主人です。立場は従業員になってしまいましたが、仕事力は健在です。

スーパーが盛り返しています。それらを考えると結局は人なのかと思いました。

しかし、この二軒とも浮き上がる方向には行かないように思います。もう少し大きな市場で見ていくと、周辺のスーパーのシェアが増えています。小さな商店街では、二つとも沈む可能性も残されています。それにどう立ち向かうのか。小売店は同じ悩みを抱えています。ニーズに合ったものを安い値段で売れるのか。もっと付加価値を付けてそこそこの利益を得られるのか。これからにかかっています。

堅実に進んでいければいいのですが・・・


2014/07/16(水) 晴れ


[ 早稲田高校同期会2 ]
早稲田高校同期会2


先ごろ早稲田高校同期会が開かれましたが、当時の在校生の数は349名となっています。そのうち物故者は20名を数えます。7クラスあったうち、私は高校2年と3年には、F組に在籍していました。先生は河原政隆先生です。そのクラス内でも4人ほど亡くなっています。伊瀬君。太田君。柳沢君。湯川君。柳沢君は背の高い人でした。いつ亡くなられたのか知りません。湯川君は27歳くらいで白血病だったと後から聞きました。太田君は医者の息子だったと思いますが、席順で私の前に座っていたと思います。40数歳で病死しました。伊瀬君はフェンシングで名をはせ、三宅一生とともにファッション界で活躍しておりましたが、50歳を過ぎて亡くなりました。40代の終わりごろに一度同期会で会っています。

登山部の影山君や、同じ歴史研究部の山崎君なども亡くなっております。山崎君は八ヶ岳で滑落死です。20歳でした。

そのあたりのことを考えると自身の死も頭に入れておかねばなりません。そういう意識が60歳を超えて一段と高まっています。



2014/07/14(月) 晴れ


[ ネットを彷徨っていたら ]
ネットを彷徨っていたら




ネットを彷徨っていたら、「メゾンみのりU」関連で、「都内の材木屋さんはいずれこのようになっていくのだろう」という記事に出合いました。このようにというのは、「材木屋の下小屋を無くしてそこにマンションを建設するというものです」

勿論力のある材木屋さんなら、もっと以前からそのようにしてきたし、今頃になってそうしている所は時代からは遅れているのだと思いますが、一昨年あたりから、都内の土地が注目されてきて「資産」としての価値に土地を取得することが、ステータスないし、安定した収入を得る仕掛けとして注目されているからだと思います。

私の所も50坪に満たない土地に建てましたが、それくらい小規模の所でも採算に乗るという、特殊東京的な要素があって初めて成り立ったのです。私の場合は、親からの相続財産ですが、相続する前も私自身が働き、税金(固定資産税等)を払い、私自身の名義で相続し、相続税も支払って自分の名義になりました。勿論何もないところから始めた方から比べれば、「有利」だと思います。が、私の父親は、「何もないところから始めたので、全部なくしても良い」と生前には言っていましたが、私としては、とりあえず「ある」所から始めたので、何とか繋げたいという気持ちがありました。

とりあえず、繋げる形の一つとして、マンション経営を選んだことは、今時点では正解です。さらに大東建託株式会社を選んだことも正解だと思っています。

大東建託の社員は会社員として基本的なところは「出来ていない」と思いますが、その意味では不満はたくさんありますが、「言えばわかる、理解してそのようにする」という基本姿勢は持っています。その意味では正しく導けば、良い会社になると思います。昨日の顧問会でも支店長のご挨拶も、さらにその横に着いた社員の方々(課長クラスでしたが)にも、足りない所が目立ちました。

それにもかかわらず、おそらく本社やそれに直接関係している所の考え方はレベルが高いのだと思います。本社の意向を一小さな支部がそのまま受け入れることは出来ていませんが、「会社をよくしていこう」という意気込みは顧問会でも感じることが出来ました。

建築業界は「人と人のつながり」を基本として成り立っている業界です。この人と人のつながりが意外な効果をもたらします。仕事をしているとそのつながりで仕事が続いていきます。

私の実際に仕事を頼んでみて、良い所と足りない所の両方を見ています。人間の行うことですから「足りない所」は当然のように出てきますが、それに対して「どのように対処をしていくかで、良い会社と悪い会社に分かれます。会社としてはまだまだですが、その分伸び代があるとも言えます。創業40周年だそうです。これからも良い会社を目指していただきたいと思います。



2014/07/13(日) 晴れ時々曇り


[ 大東建託株式会社中野支部顧問会 ]
大東建託株式会社中野支店顧問会



中野支店が発足して早いもので2年半近くになります。私の所も縁があって、下小屋にしていた場所に11戸のマンションを大東建託株式会社で建てていただきました。その上マンションの管理までお願いをしています。大東建託の呼び方では、「フルパッケージ」といいます。大東建託で建てるなら、フルパッケージはお勧めです。賃貸経営の苦労を感じずに安定収入が見込めます。

さて、中野支店も実績を積み上げて生きたので、支店の中に顧問会を発足させるだけの力を持つことになりました。三科支店長のお話では、今年度8名の方に顧問をお願いして、私もそのうちの一人として就任いたしました。期間は二年間です。

今回、7月11日に長者橋近くの「鈴家」にて初会合が開かれました。参加者は中野支店から4名と顧問4名の計8名でした。はじめに三科支店長から「中野でも顧問会を発足できる運びになった」お礼と共に「大東建託がまだまだ発展していくためにお力添えを」という話があり、さらに具体的なお話がありました。

例えば、中野区を例にとってみると、賃貸事業として成り立つ全体のパイを計算して、「1K、1DK、2DK」などの需要の戸数をあらかじめ算出して、そこからはみ出ないようにして事業を成り立たせているとのことでした。

ですから、例としては失礼になるかもしれませんが、青森県で大東建託が端から何万戸作るというようなことは考えていないとのことでした。適正な数字以上のものを作っても負担が増えるだけだとも話しておられました。あとは他社の物件を喰って数を増やしていくだけだとも話されました。

ただ東京の場合は事情が違っています。あと十年ないし十五年はまだまだ需要があるだろうとのことでした。かといって豊洲などの埋め立て地に高層ビルを建てても地震が起きた場合傾く可能性が高く、そのあたりを考えると地盤のしっかりした所に狙いを定めているとのことでした。

大東建託の社員の方は、一つの特徴として「人柄の良い」方が多いと思います。仕事が出来るかと聞かれれば、さほど目立った方は少ないかと思いますが、質問すれば、答えが返ってきますし、その質問が難しければ、上司と相談して答えを持ってきます。その意味では、信頼できる方と多く出会いました。

今回の顧問会でも、参加された4名の顧問の方それぞれに特徴があり、従来とは違う業種の方々と会うのは興味があります。とりあえず二年間務められるようにしていきたいと思っています。


2014/07/12(土) 晴れ


[ 台風一過 ]
台風一過


沖縄や九州、長野や新潟に多くの被害をもたらした台風8号が、関東から抜けました。これから東北や北海道で被害が報告されるかもしれませんが、ここ東京では、台風一過で34度という暑さに見舞われています。今日も9時から11時まで哲学堂でテニスをしてきましたが、帰って来るなりシャワーを浴びて昼寝をして体力の回復に努めています。

ここ一週間は前半が同期会とお葬式。後半がテニスとはっきり色分けされています。今日くらい暑くなると4時間は持たないかと思いますが、何とか熱中症にならない程度にテニスをがんばりたいと思います。

今日はこれから、大東建託株式会社の顧問会です。


2014/07/11(金) 曇り時々雨


[ 静岡県富士宮に行って ]
静岡県富士宮に行って



親戚の葬儀で静岡県の富士宮市に行きました。先方で宿をとっていただいたので、ご厚意に甘えて、富士宮駅前になる富士急ホテルに泊まってきました。8時半ごろに宿に着きましたが、駅前はがらんとしていて、開けているお店はほとんどありません。コンビニくらいでした。

それに引き換え、ホテルに車で通ってきた139号線沿いは、道の両方にお店が立ち並び、人と車で賑わいを見せていました。


私が小学生の頃には、夏休みに、この富士宮駅で降りてそこからバスに揺られて母の実家に行っていましたが、その頃は、もう50年も前でしたが、街に活気があり、通りの両側に多くの商店が並んでいました。おそらくその頃が最盛期で、その後を継いだ、たぶん私と同年代の方が年を取り、段々と店を閉めたのだと感じてきました。そして車社会の到来とともに駐車場が整備された所を中心に繁栄の場所が変化したのだと思いました。

それにしても駅前は寂しいものになりました。

泊まったホテルは朝食付きでした。朝食といってもパンにコーヒー、牛乳にゆで卵。ご飯にカレーでした。一通り食してきました。朝6時45分に朝食会場に行きましたが、そこにいたのは20人中半数以上が外国人でした。研修できているような女の子が6人ほど。それを取りまとめている人や、男の子が3人ほど。みんな東南アジア系かなと感じました。

繁栄の焦点は少しずつ変化していきます。北山という富士宮市内ですが、かなり北にあるところに親戚がいますが、そこの目の前にあったガソリンスタンドが最近廃業しました。この辺りは車がなければ移動が出来ませんが、その燃料を手に入れるために、今まで以上の労力がいるようになりました。

四万温泉に行ったときにも感じましたが、例えば群馬県には数多くの温泉地がありますが、草津や伊香保はともかくとして、猿ヶ京温泉とか、四万温泉とかは衰退の一途をたどるのではないかと感じました。夜泊まって朝早く出てくるところとしては残れるかと思いますが、昼間居たり、長逗留できる所ではなくなっていると思います。このままいけば、街ごと無くなってしまうかと感じてきました。

ともあれ形は変わっていくのだと思います。

ここで思い出したのが、母親のおじいさん(祖父)の話です。財産家の家に生まれた曾おじいさんは、毎晩のように、実家のある下條(地名)から富士宮の繁華街に出かけて、財産を無くしたという話です。現在でも下條から富士宮にタクシーを使って片道2000円はかかると思うので、かなり散財したのではないかと思っています。このおじいさんとは生きていた時代が違うので顔を合わせたことはありませんが、ふと思い出してしまいました。



2014/07/10(木) 曇り時々雨


[ 中里の伯父さん亡くなる ]
中里の伯父さん亡くなる

さる7月4日、母親の兄である伊東弘さんが亡くなりました。89歳でした。弘伯父さんは、「中里」という地名の所に住んでいるので、通称「中里の伯父さん」と呼んでいました。穏やかな人柄でしたが、3年前から寝込んでしまい、4日に帰らぬ人となりました。老衰でした。これでまた一人母の兄弟も減ってしまいました。7人兄弟もあと二人になってしまいました。幼いころからお世話になった方々が減っていくのは寂しいものです。






JA富士宮「思いやり会館」にて



2014/07/08(火) 晴れ


[ 早稲田高校71期生同期会 ]
早稲田高校71期生同期会


さる7月5日土曜日には、大手町サンケイビル6Fにある「古今」で早稲田高校71期生の同期会が開かれました。この期の生徒は350名ほどいたと思いますが、そのうち60名が参加してにぎやかに過ごしました。

また、伊藤先生や和角先生に加えて住田校友会会長さんも見えられ、会長さんからは現在の早稲田高校が学業の上でとても優秀になっているとのこと。「是非お孫さんを入学させてください」というご挨拶がありました。みんなからは「もう入れないなあ」というため息交じりの声しか上がりませんでした。この同期会は2年に一度定期的に行われているもので、私もここ3回は連続して参加しています。おかげで少しずつ友人の名前を思い出しています。でも話をする人は、同じ組の人中心になってしまます。

早稲田高校は、商店主の息子さんも数多く入学していた学校なので、跡をついた方々は現役で仕事をしている方が多く、そういう方と久しぶりに、あるいは初めて話をしてきました。参加すると2,3人友人が増えます。



.音響設備が不調のため、ハンドマイクでお話をする伊藤先生。



同期のみんな。先生と歳が変わらなくなりました。.

2014/07/06(日) 曇り


( 2014/08 ← 2014/07 → 2014/06 )


[ 管理者:大野満生 ]


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