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時々更新mn日記

( 2014/06 ← 2014/05 → 2014/04 )


[ 5月の日々 ]
5月の日々


今日は5月31日です。昼間の13時から15時までテニスをしてきましたが、暑いので疲れました。段々と13時よりも15時開始ないし、9時くらいからテニスを行いたい気持ちになっています。

5月28日は、組合の総会でした。参加するつもりでいましたが、仕事が入り、行けませんでした。夜は14日会があり、行ってきました。中野市場移転に伴い、方向性が問われる年になりそうです。私としては人間を入れ替えて続けていくのが良いと思いますが、それだけ余裕のある方がいなくなってきた感があります。

そんな中、30日には、久しぶりに小学校の同級生と飲みました。全員で4人というこじんまりとした集まりでしたが、それはそれで面白いものがあります。利害関係のない人たちと飲むのは、この年になると代えがたいものがあります。みんな問題は抱えていますが、それなりに生きています。中々進歩はしませんが、あるいはいつも同じ話で終了してしまいますが、その気兼ねのいらない関係がいいです。

仕事はたまには行ってきます。簡単なものしか行っていません。が、本当に少しずつ行っています。

また、小田急百貨店の北海道展は開かれているので、新宿まで自転車で行ってきました。片道3キロくらいでしょうか。車から自転車にシフトしているこの頃です。



久しぶりに食べました。昔の方が味が染みていた感じがするのですが、気のせいでしょうか。嫁さん用には、海鮮弁当を買ってきました。ゴマをすっております。



2014/05/31(土) 晴れ


[ めぐり巡って ]
めぐり巡って


若い時には時間が無限に開かれていました。それを実感するのは、63歳になって自分の部屋でパソコンに向かい、音楽を聴くときや昔の本を出してきてぱらぱらとめくる時です。

今日は久しぶりに「東京大衆歌謡楽団」をかけながら、昔の歌謡曲を聞いています。それは大学時代の下宿先でカセット付きのラジオから流れる深夜放送や懐メロを聞いていた時を思い出します。さらにその時にたくさん聞いた歌の大半をその後も繰り返し聞いているので、メロディーが流れると歌詞も付いてくるという状態になります。

その時に聞いていたものやその時に見ていた映画などがめぐり巡って私の人生を豊かにしてくれています。

大学卒業後もテレビの深夜放送で1950年代から60年代の映画を数多く見ましたが、今この年になって、再びその時代に見た映画をあるいは見損なった映画を見ています。チャンネルネコとか時代劇専門チャンネルなどで、です。

映画と歌がごっちゃになってしまいましたが、良い悪いを考慮に入れずに受け入れてきた歌や映画が自分の中に栄養分となって「楽しい気持ち」を拡大させてくれます。

今日聞いているのは、

「高原の駅よさようなら」作詞佐伯孝夫、作曲佐々木俊一、唄小畑実。
「緑の地平線」作詞佐藤惣之助、作曲 歌松平晃
「浅草の唄」作詞サトウハチロー、作曲万条目正、唄関敬六。
「青春のパラダイス」作詞吉川静夫、作曲福島正二、唄藤山一郎。
「急げ幌馬車」作詞島田芳文、作曲江口夜詩、唄松平晃。
「国境の町」作詞大木惇夫、作曲阿部武雄、唄東海林太郎。
「誰か故郷を想わざる」作詞西条八十、作曲古賀政男、唄霧島昇。

などです。いずれも耳が憶えています。(もちろん歌詞カードもあります)


今年の暮れに、山口県の柳井市という所に亡くなった友人の墓参りに行くという計画があります。その人、梅本君の言葉に「意義だけでなく、楽しめるものを」というものがあります。私の若いころには、何をやるにつけても「理由」が必要でした。今はそれだけでなく、それ以前にかもしれませんが、楽しむことはとても大切なことだと思うようになりました。

たぶん私も傍から見ると、楽しい人生を送っていると思われています。勿論そうだと思います。



2014/05/26(月) 晴れ


[ 吉田松陰 ]
吉田松陰

奈良本辰也


岩波新書
1951年1月20日初版発行

目次
1 時代の子
2 封建社会
   1  大勢
   2  1840年代
3 学問と実践
   1  学者の道
   2  飛躍
   3  断行
4 行動の原理
   1  公武合体思想
   2  松陰の政治思想
   3  幽囚の世界観
5 政治と実践
   1  風雲の動き
   2  藩勢の中に
   3  参画
6 対決
   1  再獄・孤立
   2  最後
年表
あとがき



私が生まれた年に発行された岩波新書の一冊で、著者の奈良本辰也氏は、その当時は新進気鋭の若き歴史学者です。

吉田松陰は1830年に萩で生まれ、幼くして山鹿流軍学師範となりますが、脱藩して諸国を遊学。世界の大勢を知るために下田でペリーの艦隊に乗り込もうとして失敗。自首して萩藩内に幽閉。その最中に松下村塾を開いて久坂玄瑞や高杉晋作などを養成します。

井伊直弼が通商条約を独断で調印したのをきっかけに再び政治行動に乗り出し、井伊大老の暗殺計画に関心を寄せ、老中、間部詮勝襲撃計画を松下村塾の門下生と共に立て、そのために長州藩では彼を幽閉し、幕府の命令に従って、江戸送りにします。

1859年に安政の大獄の最後の刑死者として刑場で打ち首になります。30年間の短い生涯を松陰が生まれた時代の社会情勢から話を始め、単なる学者の道から、実践と結びついた学問の提唱へ飛躍したのはなぜか、解き明かしていきます。

今年(2014年)の一月に、井伊家の井伊直弼の側近であった長野主膳の書き残したものの中に、
江戸での刑死直前に詠んだ「此程(このほど)に思定(おもいさだ)めし出立(いでたち)はけふきくこそ嬉(うれ)しかりける」

という松陰の辞世の歌が入っていたという新聞記事を目にしたことが有ります。いわば政敵からもその死を惜しまれた人だといいえます。

辞世のうたとしては

「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」
「親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 如何に聞くらむ」

が有名です。

さて、この本の途中に私自身が書いたメモが入っていました。そこには「坪井入院」と書かれてありました。坪井君は同志社時代からの友人でしたが、1989年1月23日に39歳で亡くなりました。この本はその頃、あるいは前年の11月か12月に読んだようです。あれから24年が経ちました。

2014/05/25(日) 晴れ


[ 吉田調書 ]
吉田調書


福島第一原発の所長だった故・吉田昌郎氏の福島第一原発の東日本大震災後のメルトダウンに関する調書が朝日新聞に掲載されています。

それによると、第一原発でメルトダウンが起こった時に、原発職員の90%が第二原発へ避難したことが書かれています。職員だからこそ、原発の危険性を認識していたことになります。「ここにいては危ない」と判断したことになります。

正常な判断といえばそうですし、職場放棄といえば、そういえます。おそらく問題はそれ以前にあるのでしょう。

原発が危険なものであるということです。このことが東電の職員にあったからこそ、このような行動になったのだと思います。まずは危険なものを取り除くこと。これこそが一番になります。そうすると原子力はまた人間は使うべきものではないという結論になります。遥か昔になりますが、私も原子力に期待をしていたことが有ります。勿論今もそうかもしれません。便利になるとそこから後退することがいかに難しいか、今の自分の暮らしを見てもわかります。テレビも冷蔵庫も電話もなく、もちろん冷暖房は団扇と炬燵という生活には戻れないということです。

原子力も平和利用や、あるいは良い人が使えば「立派に使えるものだ」という気がしていましたが、まだ人間は人間の力の及ぶ範囲が原子力には無効だ、と思います。昨日のことになりますが、映画「WOOD JOB」の中で山の中に入る前に山の神様にお祈りをする場面がありましたが、人の力の及ばないことはたくさんあるし、その前では人間は謙虚になるべきだと思っています。

今回の吉田調書で原発職員の行動の一部が明らかになりましたが、もっと公開して多くの人に判断していただくのが良いと思います。そうでないとお隣の国の沈没船の船長以下、どこの範囲までにするかは定かではありませんが、真っ先に逃げた人たちを非難することもできないと思います。

2014/05/24(土) 曇り


[ WOOD JOB ]
WOOD JOB


新東京木材の市場で杉並木材さんに頂いた映画のただ券で、新宿ピカデリーで映画を見てきました。「WOOD JOB」です。

一人の林業研修生を通して林業の現実をみていきます。40年ほど私も材木屋でしたが、林業体験はありません。わずかに枝打ちや下草刈りがあるくらいです。そういうものから見ても有意義な作品に仕上がっていると思います。またそれだけでなくユーモアが溢れております。平日の昼間に見に行ったので、観客数は席の半分くらい、年代層は50代から60代が大半を占めていたと思います。映画自体はユーモラスに描かれている所が多く、おばちゃん達には受けていました。

クライマックスでは、実際に大木を一本伐っています。その迫力は映画の中からも伝わってきます。樹齢200年は下らないと思われる木を伐りますが、正直に言って「よく伐らせてもらったなあ」という気がしました。

この映画の中でも出てきますが、農業は自分の作った作物の良い悪いで評価が下されますが、林業は自分が植えた苗木は孫子の代にならないと善し悪しが生まれません。気の長い話です。言い換えれば今伐っている木は、私は使ったり売ったりして生活の糧としてきたものは、50年から100年前に植えたものです。先祖のお蔭で今があることを教えてくれる職業です。今風でない話ですが、こんな仕事もあるのだということを一人で多くの方に知っていただけると嬉しいと思います。映画館でご覧ください。そして何かを感じてください。感じることが出来ると思います。





2014/05/23(金) 晴れ


[ 国会へ行こう ]
国会に行こう




新聞乗り込み広告で見た「ながつま昭と国会に行こう」に参加してきました。当日は国会議事堂第2議員会入り口で現地集合して、「国会議事堂見学」「国会議事堂正面で記念撮影」「議員会館にて食事」「本会議傍聴」の順で見学してきました。

今回の参加者は24名。私は国会議事堂へ行くのは初めてでした。議員会館入り口で荷物検査と入館証をいただいて、衆議院第2議員会館地下1階会議室に集合しました。ながつま昭本人は与野党協議の最中でまだ顔を見せていませんでしたが、奥さんと秘書の方2名の案内で地下通路を通ってまずは国会議事堂見学です。撮影は基本的に出来ません。

この日は午後一時から本会議が予定されていました。本会議場や予算委員会議室、それに正面玄関などを見学してきました。正面玄関の四隅には、3人の銅像が建っていますが、伊藤博文、板垣退助、大隈重信の3人です。一つ分あいています。この席にどなたの銅像が建つのか、楽しみですが、「死後100年を経た国民的政治家」に権利があるそうです。

さて、ながつま昭さんはこの日与野党協議で忙しく、途中からの合流となりました。予算委員会の部屋では、だれがどのあたりに座っているのか、とか、カメラの位置はどことどこにあるので、それを意識して質問をする人がいるなど、面白おかしく話してくれました。

また、議事堂の庭の案内では、1960年6月15日に亡くなった樺美智子さんに触れられて、「この辺り」という説明がありました。その前日がながつま昭氏の誕生日だそうです。

さらにその庭には、47都道府県の「県の花」が植えてありました。東京と大阪、神奈川の県の花は「銀杏」ですが、一説によると排気ガスに強いからだといわれています。また山形の県の花は「さくらんぼ」ですが、実が成ると小学生などの見学者に食べられてしまう、という話しもされました。この日も小中学生の見学者も多く、大人の団体も数多くいました。

議事堂の正面で記念撮影をしました。議事堂があまりにもきれいなので、則ちゃんが聞いてみると最近高圧洗浄したばかりとのことでした。私の国会議事堂のイメージは「灰色」でしたが、実際に行ってみると、ピンクでした。

この後、議員会館でお昼の弁当を食べましたが、1050円の割には、少し御粗末かと思いました。

最後に、午後一時から1時間半ほど本会議を傍聴してきましたが、傍聴席からは、議長と両翼ならびに前の方に座っている議員さんしか見えず、肝心の偉い人やながつま昭さんは見えませんでしたが、野党の党首クラスの方も本会議が始まるとすぐに会議場を出てしまうか、居眠りをしている人が目立ちました。実際本会議は儀式ですので、眠くなる気持ちもわかります。食後でしかもクーラーも聞いていましたので、私もしばし目を閉じていました。その中で初めから寝たままの方もいました。坊主頭でしたので、目がそこに行ってしまったこともありますが、あとで調べたら、堀井学でした。スポーツ枠で当選した人なので、仕方ないかとも思いますが、確かに眠くなる所です。

初めて行ってみて、国会はこういう所だったのか、といい経験をさせていただいたと思っています。とにかく、国会議事堂が美しかったのには驚きでした。皆さんも行ってみるといいですよ。




2014/05/20(火) 晴れ


[ 黒部アルペンルート ]
黒部アルペンルート



5月12日から14日まで、二泊三日でツアーに入り、黒部アルペンルートに行ってきました。立山駅から扇沢へ抜けるルートでした。立山駅からケーブルカーに乗り、美女平へ、そこで高原バスに乗り、弥陀ヶ原で一泊。翌日弥陀ヶ原から室堂へ行き、「雪の大谷」を歩きました。室堂からは、トンネルバスで大観峰へ。黒部湖を見下ろして、ロープウェーとケーブルカーを使って黒部湖へ。黒部ダムを見て、扇沢へと続きました。


時間にゆとりがあったので室堂で、大谷を歩く前に「みくりが池」や地獄谷温泉まで行きました。まだ積雪が2から3メートルあります。一面雪ですが、夏に歩く道はかなり下にあります。


このルートへ行ったのはたぶん3回目。以前5月の末に来たときは、まだ「雪の大谷」を歩くことはできなかったと思います。バスの中から雪の壁を見て写真を撮った記憶があります。今回は歩きました。


それにしても人が多かったです。台湾からの観光客や遠足の生徒など多彩でした。ゴールデンウィークは個人の方が多く、明けてからはツアー客が多いと話していた人がいましたが、このルートは個人で行くのは大変です。

今回は比較的ゆったりとしたツアーだったので、楽でしたが、それでも雪の上を小1時間ほど歩いたので、アキレス腱に疲れが溜まっています。


室堂駅から立山3山を見ました。




室堂駅の展望台から、地獄谷やみくりが池の方に雪道を歩きました。途中「雷鳥のつがいを見た」という方に出合ったので、そこまで歩きました。地獄谷温泉の所で立山を背景に1枚。


さらに歩いて「みくりが池」の所にライチョウのつがいがいました。カメラマンも10人ほどいました。天気の良い日に会えるのは珍しいと言われていただけに感激。羽が生え変わり始めています。



室堂駅に戻って「雪の大谷」の散策です。片側一車線を歩道として開放して、そこを歩きます。室堂駅から往復しても30分見れば行けます。この日は台湾からの観光客が目立ちました。


この日の気温は4度。雪の壁の高さは一番高いところで13.9メートルでした。今年も20メートルくらいまで壁が出来たそうですが、地元の方の話では、今年は雪が解けるのが早いと言っていました。


このあたりが本日の最高地点です。間近まで行くとその高さを感じることが出来ます。


気温は4度ということでしたが、雪の反射のためか、寒さを感じることなく、シャツに上着1枚で汗ばむほどでした。それでもこの日の一昨日には、10センチほども雪が降ったそうです。天気に恵まれました。良い日に行きました。


2014/05/15(木) 曇り時々雨


[ 鐘釣温泉 ]
鐘釣温泉


黒部峡谷鉄道で宇奈月駅から鐘釣駅まで行きました。新緑がきれいでした。



鐘釣駅に着きました。この電車に乗るのは3回目かと思いますが、大体片道一時間、往復2時間を行って帰ってくるだけの旅行です。今回も同じようでしたが、鐘釣駅で少し時間をいただいたので、鐘釣温泉まで歩いてみることにしました。



駅前には、万年雪がありました。



駅から徒歩10分ほどで温泉に着けます。温泉は川に沸きだすもので、普段は川沿いに身体を浸せる場所があるのですが、昨夜来の雨で川が増水しているために川に入ることはできませんでした。





脱衣する小屋があり、その横にはパイプで作った階段がありました。ここをさがれば下にあるのは温泉です。温かったです。



2014/05/14(水) 晴れ


[ 彩愛の誕生会 ]
彩愛の誕生会


姪夫婦の子供である彩愛ちゃん2歳の誕生会が、5月14日に開かれて参加して来ました。昨年の誕生会は直前に彩愛ちゃんが熱を出して中止になっただけに一度はお祝いをしたいと思っていました。

現在八王子に住んでいるので、年に4回ぐらいしか、顔を見ることはありませんが、久しぶりに会ってみるとやはり大きくなっていました。子供の成長は早いです。10年後が楽しみです。





2014/05/12(月) 曇り


[ ごきげんよう ]
ごきげんよう




今日は、赤木圭一郎さんの生まれた日です。生きていれば75歳になっています。

最近、朝ドラ「花子とアン」を見ていますが、そのラストに美輪明弘のナレーションで「ごきげんよう」というのがあります。

50年以上前の人は、こういう言葉を使っていたのですが、最近使われなくなっています。

赤木圭一郎も映画の中で用いています。例えば、「霧笛は俺を呼んで読んでいる」のラストシーンで、芦川いづみさんとの別れのシーンでは、「御機嫌よう」「さようなら」で終わります。赤木と云えば、「ごきげんよう」です。

今日も1日、御機嫌よう。
こんな風に1日を終わりたいですね。

我が家のベランダでは、今年も野菜を少しだけ作る予定です。




2014/05/08(木) 晴れ


[ 沼袋散策 ]
沼袋散策


5月4日には、中野駅北口の「クスクス」で昼飯をいただいた後、自転車で沼袋を散策しました。

沼袋駅北口の氷川神社から駅前の岡部材木店さん前を通り、実相院の北にある「なんじゃもんじゃの木」を探しに行きました。個人のお宅にある木ということで、あらかじめ、聞いておりましたが、何とか探し当てることが出来ました。



続いて、百観音のある明治寺へ。ここには、平成20年に落雷を受けた大銀杏があります。幹もだいぶやられてしまいましたが、枝の先から少しずつ葉が出てきています。このまま無事に育ってくれるといいのですが・・・



ラストは、禅定院です。外から見ても大きな銀杏の木が目印です。ここには、ボタン園がありますが、一週間ほどまで迄が見頃だったようで、ほぼ花は終わりかけでした。


来年は、4月の25日ごろに来てみたいと考えています。




2014/05/05(月) 晴れ


[ 5月になりました。 ]
5月になりました


早いもので5月になりました。桜の木も新緑となりました。日差しは強くなり、私も日焼け止めを塗ってテニスをしています。それにしても60歳を過ぎてから化粧水を塗ったり、日焼け止めを施したりのなるとは、想像すらしていませんでした。人生はどんどん変化していきます。

さて、毎日買い物をしていると、増税に少し慣れてきました。自分で請求書を書いてみても8%は計算が面倒です。見積もりの時などは、大まかに10%かけてそれより安いと、お客さんに説明しています。

スーパーなどでは、本体価格を大きく書いて、その下に税込み価格を小さく書いてあるところが増えました。新聞のチラシを見ると、曜日別に安売り商品が載せてあり、我が家の近くのスーパーも売り方はそれぞれですが、結果的には商品の単価はあげていないものが多くみられます。チラシを見ながらそれに合わせてこまめに買い物をすれば、あまり増税を意識しなくても良いようにできています。

飲食店も少しずつ値上げです。きりの良いところで金額を設定しているので、便乗値上げもあります。さらに量も減ってきているように思います。4月の後半は外食の機会が多かったので、普段いかない所でも食べてみました。

それにしても暖かくなりました。3日の日には、亀戸天神と根津神社へ行ってきました。前者は藤祭り。後者はつつじ祭りが開かれていました。両方とも人では最高潮でしたが、肝心の花は終わりかけでした。あと1週間早く来なければいけませんでした。

この日は亀戸に行った後に根津や千駄木あたりを散策しました。1万歩ほど歩きましたが、このくらい歩くと疲れます。夜は卓球のテレビ観戦。石川佳純ちゃんの涙までしっかり見ました。



亀戸神社の入り口です。



肝心の藤の花は終わりかけでした。



場所を移動して根津へ。根津神社も人がたくさん出ていました。



根津神社へは初めて行きましたが、大きな神社でした。山側をつつじが覆っていました。一人200円を支払ってつつじ園も見てきました。見頃は過ぎていましたが、満開ならば見ごたえがあるところだと思います。


2014/05/04(日) 晴れ


( 2014/06 ← 2014/05 → 2014/04 )


[ 管理者:大野満生 ]


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