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時々更新mn日記

( 2014/05 ← 2014/04 → 2014/03 )


[ 平穏な日々 ]
平穏な日々


この所、外で食事することが多くて、家で食べる機会が減っています。が、それを除いては平穏な日々です。少しだけ仕事をして、テニスをする日常です。

4月29日は、知り合いがテニスの試合に出るので見学してきました。男子ダブルスです。第一ゲームは三セットマッチでフルセットの末、2対1で勝ちましたが、第二試合は0−6、0−6で一ゲームも取れずに敗退しました。相手が勝りました。

知り合いで私が感心したのは、一ゲーム目を終えて、第二試合が始まるまでの休憩時間です。水分補給をしてから身体を冷やさないようにズボンや上着を着、さらに靴のひもを緩めてリラックスする形に入りました。

第二試合は強豪でした。現役の大学生で、このチームはおそらく準決勝までは勝ちあがるかと思います。私が応援したチームはジュースまでは行くのですが、あと一本が取れずに負けました。この差は大きいのです。

それでも、「いい時もあれば悪い時もある」「流れを引き寄せるために力を尽くす」知り合いの試合後のコメントですが、そのようにつないだり、決めに行ったりと多彩な攻めを試みましたが、相手が上回って敗退しました。それでもすがすがしさの残る試合でした。



2014/04/30(水) 雨


[ 法事とお通夜 ]
法事とお通夜


ある程度の年になったと感じるのは、まず親がいなくなって順番からすると、「次は自分か」と思うようになったことと、子供のころからお世話になった人が、亡くなっていくのを目の当たりにしていくことです。

4月20は、母親の実家の伯母さんの一周忌でした。昨年4月27日に82歳で亡くなりました。この家は親の実家ですから、夏といえば、この静岡県富士宮市の実家に行って遊んでくるのが楽しみでした。中学の上がることから行くことは極端に減りましたが、30代半ばから私も毎年のように行くようになりました。

伯父さんやおばさんが亡くなったり、従兄弟やその次の世代の方の結婚式が主な理由でした。そうして19年前に母が亡くなると、親に代わってお盆のあいさつに行くのが日課の一つになりました。行けなかった年もあるかと思いますが、その時は時期をずらして行っていると思います。

今回も参列させていただきましたが、みんな一年づつ年を取っていますが、大きな変化もなく無事に過ごしていたので安心して帰ってきました。



桜の花びらが舞い散る、静岡県の「大石寺」です。


さて、法事が終了して東京に引き返してきて、そのまま護国寺のお通夜に参列させていただきました。亡くなった方は、大野鐵男さんと云って、私の祖父の弟にあたる方です。私の父にとって叔父にあたりますが、叔父といっても父との年齢差は4歳。兄弟みたいな年齢差です。

そのため、父がお見合いをする時には、見届け人として、一緒に行っていただいた方でした。

その後、祖父、祖母、母、父と4人の葬儀委員長を務めていただきました。

大野家の男子としてはおそらく一番長生きかと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。後日お別れ会を開く予定だとお聞きしております。案内状をいただければ伺いたいと思っております。


2014/04/21(月) 曇り時々雨


[ 中野支部定期総会開かれる ]
新東京木材中野支部総会開かれる。


さる4月19日土曜日に、新東京木材中野支部定期総会が開かれました。議案はすべて審議ののちに可決されました。役員改選の年ではありませんので、引き続き亀山支部長に支部を引っ張っていただくことになりました。

消費税増税後の仕事の状況は、建売関係は依然として好調のようですが、それ以外の町場の工務店さんの仕事は増えていないようです。



2014/04/20(日) 曇り時々雨


[ 席を譲られました ]
席を譲られました


金曜日は小雨が降っていました。地下鉄に乗って後楽園で降り、東京ドームで野球観戦(巨人対中日)の予定です。途中、新宿で一つ席が空いたので則子に座ってもらいましたが、その隣にいた若い女性に私の分の席を譲っていただきました。疲れた年寄りに見えたのでしょう。ありがたく座らせていただきました。

さて、読売新聞でただ券をいただいたので、午後二時からの引き換えに備えて一時過ぎにドームに着いて一時間ほど並んで入場券を手に入れました。それでも3時前なので、お店に入り、時間をつぶしていました。試合開始は6時なので待っている時間の方が長く、時間に余裕がなければ、こういう生活はできません。

試合は5対3で読売の勝ち。両軍ともホームランが出ました。2年前なら、ホームラン賞としてマクドナルド株式会社からビックマックの無料券が観客全員に付いていたのですが、今回もありません。景気が悪いのですかしら・・・






オレンジ一色に染まった東京ドーム。私たちもオレンジのTシャツを着ながらの応援でした。




2014/04/19(土) 晴れ時々曇り


[ 親の家を片付ける ]
親の家を片付ける



上記と同名の本があることを新聞の書評で知りました。本の内容は、相続で親が住んでいた住まいを壊してしまうことを指しています。来年から相続税の強化がなされると相続税に関しても知っておいた方が良いことはたくさんあります。

さて、私も、母が亡くなって早19年。父も9年になりました。父も母も知らない若いひ孫が増え、それにしたがって、父も母も「過去」になってしまいました。相続によって住まいを無くしてしまうことは免れましたが、無くなってしまったものもたくさんあります。

父の持ち物も母のそれも、それぞれ死後一年ぐらいの間に大半を片付けました。形見分けしたものもありますが、大半は捨てました。たぶん自分が死んでも、ただ捨てられていくものばかりかと思います。それを見越して、自分の死後、奥さんが困らないように自分の荷物を整理した学者さんがおりました。所蔵していた書物を売り払ったそうです。私の身近な所にも、自分の死期を察して、自分の持ち物を少しずつ処分していった人がいます。数年をかけて・・・

だんだんそのように行動していかなくてはいけないと思っています。

しかしながらいつまでも捨てられないものもあります。まず写真ですね。旅行した時の写真や冠婚葬祭にかかわる写真です。次に直筆の手紙やはがきなどになります。このあたりは、少しずつ減らしていますが、なかなか思いっきりよく処分できません。写真を見ても誰だかわからない人にとっては、何の価値もないものですが、身近な人間にとっては大事なものです。

今年も少し父と母のものを処分したいと思っています。


2014/04/17(木) 晴れ


[ 消された覇王 ]
消された覇王
伝承が語るスサノオとニギハヤヒ

小椋一葉
河出文庫

この本は、1988年に河出書房新社から発行されたものを文庫化したものです。この頃の私は体調を壊していて本を読むことはありませんでした。その前はバブル期で、仕事も忙しく、結局私の30代は何をしていたのか、よくわからない時でした。

さて、日本には、古事記や日本書紀という歴史書があります。日本の歴史として習うのは主にそれからです。日本という名の国が701年に出来たとして、それ以前のその中に神話として語られている話がたくさんあります。

その多くが史実を基にしていることを神社の伝承と祭神の分布、系統の分析によって明らかにしています。誰をお祭りした神社が多いかといえば、スサノオとニギハヤヒの親子です。その二人と天照大神や神武天皇の関係などもこの本は明らかにしています。10年位前に読んだ時には、よくわかりませんでしたが、今回改めて読んでみて、この本に近いことが2世紀から3世紀に起こったのではないかと思っています。

この本によれば、スサノオは出雲から出て九州を席巻し、その時アマテラスと姻戚関係を持ち、その子、ニギハヤヒの時代に大和を治め、西日本を全体を手に入れた、とするものです。アマテラスを邪馬台国の女王、卑弥呼に比定しています。神武はアマテラスのひ孫。そしてスサノオの孫、ニギハヤヒの子供であるミトシの入り婿になる形で、大和に入ったとしています。大和の「かしはら」は橿原神宮の橿原よりも御所市の柏原の方がより事実に近いのではないかと書いてあったのが気になりました。




2014/04/16(水) 晴れ


[ 二班の会合と昭和会の記念市 ]
二班の会合と新東京昭和会の市


4月3日には中野支部第2班の会合が開かれました。参加者は7名。全員参加です。中野駅北口にある焼肉屋さんでした。この集まりは50年以上長く続いています。私も二代目として20数年前から参加させていただいておりますが、二十年も経つといつしか古株の方になります。時間の経つのはあっという間です。

さて、4月11日は、新東京木材の昭和会の市でした。市へ行くのは12月以来です。この池袋市へは30年くらい前から通っています。その頃は、古い木造の事務所並びに材木を建てかける「縦林場」が立ち並んでいましたが、今ではフォークリフトで積み下ろし出来る「横置き」が多くなりました。この池袋市場でも縦林場を壊して新建材を置く倉庫が建設されます。時代とともに変化していきます。


第108回昭和会記念市の式典模様です。


(古い林場は壊されました。ここに建材の倉庫が建つ予定です。)



都内で材木屋や材木市場を経営していくには、一つには別の収入源があること。土地を活かしたマンション経営などが一つあって、その上でしか成り立たなくなっていると思います。この傾向は年々高まるばかりです。

それにしても、毎日自転車であちこち行きますが、その大半はテニスコートないし図書館ですが、4月に入っても古い住まいはどんどん壊されています。新しい建物が建てられていきます。夏場までは仕事が切れることがないのでしょうが、その大半は大手のハウスメーカーの建物です。町場の工務店の仕事はほとんど見当たりません。木造住宅は数が少なくなりました。軽量鉄骨系の工場生産品が多くなりました。手仕事の部分はますます少なくなっていきます。

我々の生き残る道は、リフォーム工事くらいしかないのでしょうか。



2014/04/11(金) 晴れ


[ 本能寺の変431年目の真実 ]

本能寺の変 431年目の真実


明智憲三郎
文芸社文庫


明智光秀の末裔による「本能寺の変の真実」の推理本です。本能寺の変に対してはすでにたくさんの本が出ていますが、主な説は、光秀謀反説に始まり、足利義昭説、朝廷黒幕説、イエスズ会黒幕説、家康・光秀共謀説、羽柴秀吉説などがありますが、著者は、明智光秀の末裔ということもあって、またいわばその視点から本能寺の変を語ります。私も大筋で「そうだ」と思いました。

信長は「天下布武」です。武を持って天下を治めていきます。そして平定した所のうち、畿内は自分の息子たちに領地として与え、家臣にはその周りを与えていきます。その延長線上に「唐入り」があります。信長はイエスズ会を通じて広い世界があることを知っていましたから、狭い日本だけではいずれ領地が足りなくなっていくこと知っていました。

そこで信長としては一番の強敵である家康を消すこと。武田氏を滅ぼした後、隣接する家康の領地を治めれば、日本中心部を完全に掌握できます。そのことによってまず自分の家を守るつもりがあったのでしょう。信長の家康を消すための仕掛けが、家康と光秀が共謀することによって信長自身が歴史から姿を消していきます。著者の描くストーリーは大変魅力的だと思います。信長打ちは光秀、家康、斉藤利三、そして細川幽斎の共謀。そして幽斎の離脱によって、秀吉の天下が来ます。

さらに秀吉の死後、家康の天下が来ます。その中でエピソードが一つ紹介されています。信長打ちの首謀者の一人である斉藤利三の娘に「ふく」という方がいます。光秀の親戚筋に当たりますが、のちに「春日局」といわれる方です。三代将軍家光の乳母といわれる人です。大奥の要の人になります。

家康は子供をたくさん作った人ですが、長男は信康、次男は秀康といいます。それぞれ、信長と秀吉から一字もらって名づけています。この本の中でも三代将軍家光は、家康と春日局の子ではないかという話が出てきます。三代将軍は家光といいますが、家康の「家」と光秀も「光」から名付けたのではないかという所が特に面白かったです。家康と光秀の本能寺の変での共謀説を裏付ける傍証として出てきます。

私は、本能寺の変で一番怪しいのは、秀吉だと思います。結果的に天下人になったのですから。そして自分に都合の悪いことは消してしまったと思います。ただしその前に信長の家康打ちならびに、光秀と家康の共謀は十分あり得たと思っています。著者の前作である「本能寺の変427年目の真実」も読んでみたいと思います。




2014/04/10(木) 晴れ


[ 消費税増税後の初めての買い物 ]
消費税引き上げ後の初買い物


消費税が上がってからの初買い物は、パンに、切手に、床屋にビールでしょうか。パンは外税になり、床屋やビールはそれぞれ50円と100円上がりました。ビールはケース単位ですが・・・

確かに上がっていますが、まだ実感はないですね。今までと200円くらいしかアップしていませんので・・・

月単位や年単位で考えていくと大きな金額になるのだと思います。

約一週間が過ぎて少しずつ慣れてきています。大抵のお店はまだ覗いて見るだけということもありますが、まずはほとんどが外税ですね。8%がいつまでも続かないことを意識しています。8%は計算が面倒なので、10%になる日も近いかと思います。消費税は公平な税金だとは思いますが、税率が上がる過程で収入の少ない方にしわ寄せが行くのが気にかかります。そういう私の所でも大東建託で建てた建物の管理料のうち消費税増税分が、今までよりかかりますので、手取りが減りました。




2014/04/06(日) 曇り


[ 住宅の好み ]
住宅の好み


人間の命に限りあるように住まいの生命もまたあるのだと思います。今自分たちで作った住まいの十年を迎えて、少しずつ痛んできました。それは主に住宅機器に関するところです。次に壁のクロスは剥がれ始めています。さらに床鳴りをし始めた所も出てきています。そしてパナソニックのドア枠材は曲がりはじめました。一間の引き戸の枠ですが、枠の厚みは25ミリですが、これが曲がりはじめました。隣室の明かりが漏れるようになりました。こんな風に壊れていくのだと自分でも感じでいています。そういう住まいを数多く作ってきました。

それを考えると、無垢の木材を使った所は、経年変化で色は変わってきましたが、「悪い」と感じる所はありません。30ミリ厚のサッシの枠材はタモの無垢材で作りましたが、全く変わりなく存在しています。玄関に使った青森ヒバは湿気を感じるとヒバ特有の香りを発してくれます。洗面所のチーク材も変化が見られません。

風通しの良い所なので、また日も良く当たりますので、住まいとしては良い条件で暮らしていると思います。木材を使えるところには使ってみたのは私が材木屋の息子として生まれたことと関係が深いと思います。あまり意識していないうちから木材の良さを「体感」してたからだと思います」

それは夢の中でも出てきます。幼いころの家。次に父親が30代半ばで建てた家。この後者の住まいが私に一番影響を与えています。そして私の好みにも影響しています。その住まいは真壁つくりで柱が見えていました。天井材も2分3厘で、天井を見上げるとどこか人の顔に見えてしまうような家でした。
床柱があり、床の間がありました。そこには、静岡のおじさんが仕留めた「雉のはく製」が飾られていました。その隣の4畳半が私の部屋でした。小学校の5年生くらいからそこに寝ていました。それまでは両親と妹と4人で下の部屋で川の字で寝ていました。

そしてその家で過ごした頃が一番楽しかったことが一番なのだと思います。つまり一人ではなく、家族がいて、生活をしている、一生懸命に生きているそんな充実感を記憶として持っている住まいが一番良い住まいなのだと思います。私の住宅の好みは昔住んでいた住まいです。それを継承している住まいに住んでいれば気持ちも落ち着くし、安らぎも得られます。そしてそこにはいつも無垢の木材がいるのです。木材のもつ力は偉大だと、今の住まいに住んでいても感じています。木材を住まいに使いましょう。そこまでできないなら木材を部屋の中におきましょう。それだけでも時間の過ごし方や気分が変わると思います。



2014/04/05(土) 晴れ時々曇り


[ 桜3 ]
桜3

近所の正蔵院から栄町公園、そして神明小学校へと桜見物に出かけました。今日は風も強く、明日の桜祭りまで花が持つかどうか心配です。落ちてくる花びらを手で受けて、それを食べました。特に意味はありませんが、春を感じています。



正蔵院と併設されているこまどり幼稚園にある桜の木です。こまどり幼稚園には、5歳の途中から入りました。松石君や大矢君とはいまだに付き合っています。考えてみれば60年近くになります。


栄町公園の桜です。この公園は私が小学校の通っているときに出来ました。50数年の歴史があります。


そして神明小学校の東門にある桜です。昔はここが正門でした。


校庭の中に入ってみました。卒業してから52年。神明小学校も創立から91年を数えるそうです。

桜を求めて散歩してみました。




2014/04/04(金) 曇り時々雨


[ 桜2 ]
桜2


中野区の桜も満開です。今日は哲学堂庭球場で、お昼からテニスの予定が入っています。そこで少し早く家を出て、中野通りと新青梅街道の桜並木を見た後で、哲学堂公園と上高田庭球場に行きました。何処も桜は満開でした。


中野通りの歩道橋から撮りました。哲学堂へ向かう道です。


哲学堂庭球場の桜も満開です。テニスをしていると風で花弁が落ちてきます。


上高田庭球場では、しだれ桜が満開です。ピンク色がいいですね。


2014/04/02(水) 晴れ


[ 桜見物 ]
桜見物


4月1日は、ツアーで桜見物に出かけました。風の無い穏やかな1日でした。

まずは、東京タワーと桜。芝の増上寺で桜見物。徳川家の墓所も見学してきました。



続いてスカイツリーと桜。ここは隅田公園です。



さらに柴又の帝釈天の参道。団子も買いました。



千鳥ヶ淵へ移動して、まずは田安門前。



千鳥ヶ淵のボートは30分以上待ちでした。


ラストは靖国神社の標準木。満開でした。


今日は桜一色でした。



2014/04/01(火) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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