[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2014/04 ← 2014/03 → 2014/02 )


[ 弥生町まちづくり ]
弥生町まちづくり



4月1日から東京都の「不燃化特区」に指定されている「弥生町3丁目周辺地区」で、一定の要件を満たす戸建て住宅の建て替え等を行う場合、区の補助を受けることが出来ます。私が住んでいる弥生町2丁目もこの特区の地域に該当します。現在マンションですが、戸建て住宅として建て代えればその要件を満たす地域に住んでいます。このあたりは中野区の中でも道が狭く、消防車が通り抜けることのできない場所がいくつかあります。不燃化とともに、消防車などが通ることが出来るように道幅の拡幅も計画されています。この計画が出始めたのは、今から3年ほど前でしょうか。川島に有った都営住宅が解体されて、その空地の利用を考えていく中で出てきたものだと思います。現在では大まかな道路計画は出来ていて、もう少し具体化すれば、始まると思います。が、実際に出来上がるまでには、10年くらいかかるのではないかと思います。

現在古い住宅は壊されて建て直されている所が多くありますが、わが街では消費増税後も建て替えを増進する制度が始まることになります。これに期待をしましょう。








2014/03/31(月) 晴れ


[ テニス4時間・飲み4時間 ]
テニス4時間・飲み4時間


3月29日は天気も良く、哲学堂公園の桜も一気に開花しました。その桜の花の下でテニスを4時間愉しみました。初めの二時間は元気よく行っていましたが、3時間を過ぎるころからガソリンが切れはじめ終了するころには疲れ切っていました。

ところが、久しぶりだから飲みに行きませんか、一杯だけでも、という声に誘われて4時間ほど飲んでしまいました。

報いは翌日に来ています。幸い雨なので、一日家にいる事にしました。のんびりして体力の回復を図りたいと思います。また明日から4時間が始まります。



2014/03/30(日) 雨


[ 支部役員会開かれる ]
支部役員会ひらかれる


中野支部の役員会が開かれました。4月の総会の日時や議題についてあらかじめ役員の中で話し合われました。その中で感じることは「今までどおりではやっていけなくなった」ことを感じました。中野支部の会員数も減りはじめましたし、支部の行事に対しても参加していただける方も決まってきました。だからと言って急激に変えることも難しく、これから数年はフレシキフルに考えて現実直視になると思います。まず現実ありき、で行くことになると思います。

それは同時に組合の本部の行事や方向性についても同じことが言えます。長期的に見れば都内での木材業界の地位は低下し、木材業だけでは生活が成り立たないと思います。それに代わるものの一つとして、土地の有効活用があげられます。これを進めていくことの中でしか、木材販売を考える事が出来なくなっています。

そこへ行くまでのこれから十年くらいが、木材も扱えて土地の活用も出来るという道筋を作り出す大事な時期に来ていると思います。前者をあきらめると組合は無くなりますし、後者がうまくいかないと安定的な経営が成り立ちません。ましてこれから数年は土地の値上がりもあれば、相続税課税の強化もあります。これに対応するしかありません。

私は今テニスを楽しんでいますが、テニスコート一面作るのに250坪くらいは必要です。公共のテニスコートは別としても民間のコートやクラブは減り続けています。相続があれば、無くなっていくのが現状です。土地を多く使う商売や事業の継続は難しいものがあります。

そのほかいろいろな課題が話された役員会でした。総会ではより突っ込んだ話が出来るといいですね。


2014/03/29(土) 晴れ


[ 増税前の買いだめは ]
増税前の買いだめは


消費税の増税を前にして、買いだめをしているという人をテレビで放映していますが、我が家でもトイレットペーパーや洗剤など日常使っていくものは少し買いました。あとはあまりしていません。あとはガソリンを満タンにしておくことくらいでしょうか。ビールや焼酎も買おうかと思いましたが、これはむしろ少なくする方向を選んだ方が、身体によさそうなので控えました。

ここの所の日常は至って平凡。しかもかなりヒマ。世の中の喧騒がわかりません。そういえば手紙を書こうと思い立ち、2円切手を買いました。年賀状のやり取りをしていた人とも縁が薄くなっていきますし、メールでは書きにくいことも手紙にしたためたいと思っています。段々と自分の手で、字で書くということが少なくなっているので、パソコンで打つだけでなく、自筆で書くことも必要だと思っています。それくらい時間は有り余っています。

さて、スイカを作ってもらいました。私の分ではなく、彼女の分です。今までは二人で出かける時には、一人分の乗り物代は切符を買っていましたが、これからは二人ともスイカを使うことになると思います。消費税の値上げによって一円単位での請求にはカードで対応できます。電子マネーは飛躍的に伸びるかもしれませんね。カードが決済できるためには、預金がなければなりません。引き落としをする銀行を絞ってそこにお金を集中するようになります。銀行の優劣も、力の差もこれからは大きく変わりそうです。

4月5月は仕事は少なくなるのでしょうか。今日は中野支部の役員会があります。私も出ますので、皆さんに聞いてみたいと思います。


2014/03/28(金) 晴れ


[ 散歩 ]
散歩


仕事が早く終わったので、メインバンクである群馬銀行の四谷支店に通帳の記帳を兼ねて行ってきました。そこは四ツ谷駅から3分ほどのビルの2階にありました。このあたりは通り過ぎるだけで歩くことはなかったので、新宿まで散歩することにしました。上智大学を上に眺めながらビル街を歩き始めました。

四谷から四谷見附、新宿御苑、三丁目と歩いて新宿へ辿りついたのが丁度お昼。何か食べていこうかと思いましたが、追分団子を買い求めてから、しばしデパート見物。デパ地下は魅力ある商品が揃っています。焼酎や肉、野菜などの値段を確認すると、近所で買うよりも安いものがたくさんあることに気が付きました。デパートといえば高級品のイメージがありましたが、案外手ごろになっています。

少し世間を広く見ていかないと時代に乗り遅れます。乗り遅れるのは良いのですが、わからなくなるのが怖いです。追分団子では桜餅を買い求めましたが、おつりを多くいただいてしまいました。後で気が付きました。

大分暖かくなったので、散歩しながら東京見物やおいしいものを見つけたいと思います。もう少し遅い時間帯に歩けば、「四谷とんかつ三金」で食べてこられたのですが、営業時間が11時半からなので今回はあきらめました。



2014/03/27(木) 雨


[ 弱者99%社会 ]
弱者99%社会 日本復興のための生活保障

宮本太郎編
幻冬舎新書

目次

序章  「同時多発不安」を超えて
第1章 経済成長と両立できるか
第2章 現役世代をどう支えるか
第3章 つながりは再生できるか
第4章 子どもの未来を開けるか
第5章 財源をどうするのか
第6章 政治をどう変えるのか


現在の日本を、「安心が遠のく社会」と考えて、そこから脱却するために4つの提言をされています。
キーワードで云えば「全員参加型社会」「社会保障と経済の相乗的発展」「つながりの再構築」「次世代育成」となります。


この本は2010年の12月から翌年の2月までに章ごとに宮本太郎さんがコーディネーターとなってそれぞれの分野の専門家の意見を聞きながらまとめたものです。出版される前に東日本大震災が起こりました。その震災からの復興も視野に入れて、格差社会を無くす方向性を模索しています。

仕事をリタイアして現在休憩中の私ですが、気になることはたくさんあります。身近なところから言えば、親戚の従兄弟やまた従兄弟に当たる人に独身の方が多くなったことです。叔父や叔母の世代はもう80代ですから、その面倒は結婚していない人が見ていくことになります。勿論老人ホームなり、関連施設や病気等をすれば介護施設という手もありますが、元気なうちは家で見ることが基本になります。

年老いた親を独身の子供が見るという状態の所がかなり知り合いでもあります。男性でも女性でも50歳に差し掛かるころから、親の面倒を見るという形で、親と同居を始める人が増えています。この形態は、両親が亡くなってしまうとすぐに人口減となります。働き手がいなくなります。親が生きている家は親の年金があてになりますが、病気をすればたちどころに今までの生活が出来なくなります。

そのすれすれのところを生きています。私もリタイアしたので、かなりそこに近いところにいます。ただ親世代は誰もいないので、自分のことを優先して考えればよいのが、救いです。

今年はすでに不動産取得税を納めましたが、あとは固定資産税がどれくらいになるのかが心配の種になります。それでも全体で見れば私の収入は平均以上です。好きなことをしています。自分の生活から考えても、すれすれの方の生活がいかに苦しいかが推測できます。収入が伸び悩み、支出は必要以上に増えていく社会では、生活保障を確保するシステムが不可欠になります。ただでさえ生まれながらの格差が広がった国になっているので、その提言は差し迫ったものになっていると思います。






2014/03/26(水) 曇り時々雨


[ ハッピーバースデー ]
パッピーバースデー


さる3月22日で、63歳になりました。当日は、テニスが4時間あり、張り切って過ごしました。若い人との戦いは燃えました。(すぐに敗れましたが)

夜は外食でしたが、当初予定していたところはあいにくふさがっていて、別の所で食べました。

さて、4時間頑張ったせいか、よく眠れました。9時過ぎに床について、朝方の四時半。そこからさらに三時間。朝飯と昼飯に散歩を終えてから、また一時間ほど眠りました。

すごく疲れた。たくさん眠った。記憶に残る一日でした。

ベランダのムスカリも花を開いています。




2014/03/24(月) 晴れ


[ 消費増税は ]
消費増税は


この4月から消費税が8%に増税されます。これに伴い、木材業者のための「消費税の円滑かつ適正な転嫁のために」という小冊子が組合から送られてきました。農林水産省が作ったものです。それを林業関係者や木材業者用にアレンジしたものだと思います。
これはその名の通り、消費税の仕組みからに始まり、転嫁の方法など、ちゃんと8%の消費税を請求してくださいという冊子です。




さて、今回の増税をどう考えていくかは人それぞれですが、これによって4月以降消費が落ち込むことは確かでしょう。力のある方には、ほぼ関係ないですが、増税されると弱い方によりしわ寄せが来ます。ここらあたりをどうするかが当面必要なことでしょう。私にとっても今回の増税で、マンション収入が約一万円ほど減ります。これが10%にまで増えるとあと5千円ほど減ることになります。大きいといえば大きいです。

増税前に必要なものを買うことにしましたが、今とりあえず必要なものは14年間使った炊飯器を買い替えることくらいでした。実際ビッグカメラで買い求めました。2月の末の事です。販売員の進めたものを買いましたが、その一週間後のヨドバシカメラの広告では、さらに3千円ほど安くなっていました。(まあ、しょうがないか)おかげで、今食べているご飯はおいしくなっています。

昼間にテニスをするときには、昼飯用にセブンイレブンのおにぎり(126円から150円くらい)を買うことが多かったのですが、やがてもっと安いスーパーのそれに代わり、さすがに69円のものはおいしくないと思いましたが、100円を切るくらいのものなら食べられます。それが炊飯器で炊いたおにぎりに変化しています。単価的には変わらないかもしれませんが、おいしいです。

今回の増税で、景気の失速が一番心配です。特に住宅・木材業界はかなり落ち込むと思います。昨年お世話になった大東建託鰍フ話でも4月以降の契約は約3割ほどアップしなければ儲けがないと言っていました。こうなってしまうと、東北の復興はますます遅れます。入札にならない所が多いとの報道も聞いています。人手不足と資材の高騰ンダブルパンチはまだ続きそうです。
上手くいかないものですね。

力のある人は、この機会に富を集積して大きくなります。そういうものですが、あまり人の不幸の上に立った幸せはうれしいものではありません。私はそう思います。

お彼岸に上尾の墓参りを終えたのでほっとしています。あとは4月の静岡の伯母の一周忌が控えています。




2014/03/22(土) 晴れ


[ 雨休み ]
雨休み


雨でテニスはお休み。ゆっくり寝ていようかと思いましたが、ニューバランスのバーゲンに行ってきました。一週間前にはテニスショップのウインザーのバーゲンに行きました。着るものはユニクロか「きくまつや」になりましたので、低価格商品主体です。それに加えてテニスで着るものは基本バーゲンです。

バーゲンをうまく使うには、自分の身体のサイズを知らなくてはいけません。私は身長が162センチ。体重が63キロから65キロくらいですので、ほぼMサイズですみます。ユニクロは少し細身に出来ているのでLサイズを買うことにしています。

テニス用品は大抵Mサイズで間に合います。ただしズボン関係は直しが必要です。買った後から直せるものないし、初めから7分丈のものに限ります。その場合はLサイズを買います。ウエストの問題です。

さてバーゲン会場は築地にありました。地下鉄を利用して築地の本願寺前で降りて会場に入りましたが、なんと商品が少ないのです。今日は二日目で、その開店とともに行ったのですが、昨日の開店時の初めの1時間で、かなりのものが売れてしまったそうです。今回のものは「サンプル品」を基本にしたもので、激安だったので、早いもの勝ちでした。結局1000円のシャツを1枚買っただけでした。(私はですが…)

バーゲン会場を後にして、築地の「鈴木水産」という所で「鮪・雲丹・いくら丼」を食べてきました。ウニも鮪も素材の味が出ていておいしかったです。

これも雨のお蔭です。



2014/03/21(金) 曇り


[ 東京大衆歌謡楽団 ]

東京大衆歌謡楽団


ふとしたきっかけで、「東京大衆歌謡楽団」をYouTubeで見つけました。昭和初期から昭和40年ごろまでの「流行歌・歌謡曲」を街頭で歌ってお金をいただくという何か「昭和」を感じさせる趣の4人ないし、5人組です。ボーカル、ギター、アコーデエオンにベース。さらに太鼓が入ることもあります。40代くらいのボーカルの方のうたごえが素晴らしく、思わず聞きいってしまいます。

私も昭和の初期から昭和40年くらいの歌謡曲なら大抵のものは口ずさめるので、You Tubeを見ながら口ずさんでいます。
「急げ幌馬車」(島田芳文作詞)「緑の地平線」(佐藤惣之助作詞)「三百六十五夜」(西条八十作詞)「純情二重奏」(西条八十作詞)「誰か故郷を想わざる」(西条八十作詞)「国境の町」「青春のパラダイス」(吉川静夫作詞)

この時代の歌はみんなが口ずさめるのがいいですね。私は昔の流行歌が好きなのです。


2014/03/20(木) 雨


[ 人の役に立っているか ]
人の役に立っているか


昨年8月から60代から70代のおじいさんばかりのテニス仲間と週に3回ほどテニスを行っています。退職者から70過ぎても現役の方まで十数人います。主に平日の昼間に行っています。テニスコート代は一回千円から千五百円くらいになります。参加人数での頭割りです。今日はコート代が千円で、4人でしたので、250円で2時間遊んできました。

テニスの合間にいろいろな話をします。昔話が多いですが、「昭和の戦後史」は大抵わかります。高校生の時に起きた「三億円事件」や「大学紛争・学生運動」そして今の時期だと「賃上げ闘争・労働運動」などです。

当時はストライキというものがあり、交渉が妥結しなければ、交通機関が止まることもしばしばでした。西武関係はストをしなかったので、西武線沿いに会社の人は迎えに来たり、会社に一週間泊り込んだ、などという話もしてくれました。私はまだ高校生ぐらいでしたから、歩いて通ったのか、休みになったのか記憶が確かではありませんが、3月から4月にはストライキが「年中行事」でした。

こんな昔話をしながらテニスをしています。「ウクライナ情勢は?」「中野区長の4選は是か非か(私は非ですが)」などという話もしていますが、それにしても働かずに「こう毎日、遊んでいていいのだろうか」「人の役に立っているのか」などという危機感も持っています。

何しろ話は、まず「金がない」から始まります。生活のために働いている人から、年金暮らしの方ばかりなので、「飲みに行く」などということもなく、いずれ行きたいで終わってしまいます。それでも年に一度くらいは行こうよと話しています。

各自の状況は様々ですが、楽しく体を動かしていることに変わりはありません。


2014/03/19(水) 晴れ


[ 親子舟歌 ]
親子舟歌



田端義夫と白鳥みづえさんが歌う「親子舟歌」がここの所のお気に入りです。藤田まさと作詞、大久保徳二郎作曲のこの歌は昭和30年の発売と書いてあります。
私は昭和26年生まれですが、子供頃には全く聞いた憶えはありませんが、今年、田端義夫さんが亡くなられて彼の代表作を聞いていると、良い歌がたくさんあることに気が付きました。歌自体もうまい方でしたね。「かえり船」「玄海ブルース」「大利根月夜」「ふるさとの灯台」そして、「親子舟歌」です。「かえり船」もいいですが、「ふるさとの灯台」と「親子舟歌」は秀逸です。

藤田まさと作詞の親子舟歌の一番は、こんな感じです。

舟は櫓まかせ 櫓は親まかせ
親は子まかせ 歌まかせヨー
一里聞こえて ギッチラコ ギッチラコ
三里流れて  ギッチラコ ギッチラコ
唄はどこまで 行くのやら

唄の流れといい、ギッチラコという合いの手といい、うまいですね。
作家の杉本浩平氏が、最近は作曲家はたくさんいるけれど、作詞家がいない、いい詩を書ける人が足らないといっていましたが、昔のプロの作詞家というのは力があります。

風もないのに 心がさわぐ
なぜか今夜は 櫓がきなぬよー
二日月だよ ギッチラコ ギッチラコ
暗い波間を ギッチラコ ギッチラコ
今日はどこまで 行くのやら

これらの歌が入ったLPの名前が「心の唄」と題しているのは当然という気がしています。日本の文化の奥行きの深さを感じています。


2014/03/18(火) 晴れ


[ 万座温泉日進館 ]
万座温泉日進館



3月14日から16日まで万座温泉の日進館に湯治に行ってきましたが、一番リーズナブルの「湯けむり館」という所に泊まりました。あいにく満室で初めの日に泊まった所は、湯けむり館の65という部屋で、一番隅っこでした。暖房が壊れていて、音がうるさくて眠れませんでした。2日目は則子さんが交渉して、湯けむり館の18号室に入りましたが、こちらはフロントやお風呂にも近くて楽でした。

さて、湯けむり館の65という部屋も、本来ならここから、外の露天風呂である「極楽湯」まで階段を使っていける所でした。さらに言えば「極楽湯」にいちばん近い所でした。が、2月の大雪で極楽湯に続く屋根が壊れて、通行禁止になっていました。そのため、フロントに行くにも階段を3回上がり、さらにエレベーターで1階から3階へ。そこから平行移動して本館へと足を勧め、もう一段上の階まで行かなくてはなりません。お風呂も食事場所もフロントもお土産屋さんもそこに集中しています。風呂に行くまでに息を切らしてしまいました。


日進館の看板も雪で半分隠れています。


中央下部の屋根に雪の積もった所が「湯けむり館」です。階段を挟んで右側が本館になります。高さがだいぶ違いますね。この写真は外湯である「極楽湯」の前で撮りました。この写真のすぐ左に「極楽湯」があります。



湯けむり館から、通路を使ってこの階段を登れば、「極楽湯」の到着です。



大雪で屋根のグラスライトが壊れていました。極楽湯の入り口で撮りました。このような場所はここだけではありませんでした。雪の力は大きいですね。


2014/03/17(月) 晴れ


[ 万座温泉へ ]
万座温泉へ


3月14日、群馬県の万座温泉へ湯治に行ってきました。
万座温泉にはいくつかの旅館・ホテルがありますが、その中で古い日進館に泊まり、お風呂に入ってきました。夏場にはここへ来たことはありますが、冬は初めてです。

ここには、長寿の湯の中に6つの湯。貸切風呂と露天風呂の「極楽湯」があります。今回貸切風呂を除いて7つの湯に入ってきました。長寿の湯の中にある「姥湯」「姥苦湯」「ささ湯」「苦湯」「滝湯」「真湯」そして外にある露天風呂「極楽湯」です。

この万座温泉は標高1800メートルにある高地の温泉です。この2月半ばの大雪では一晩に2メートルの雪が降り、3日間ほど交通が遮断され孤島になったそうです。その時のお客さんも足止めを食らってシーツも変えられない状態で過ごしたと宿の方はおっしゃっていました。





宿から少し下がった所に「極楽湯」はあります。



午前10時ごろに入りましたが、しばし貸切状態でした。前面にはスキー場が見え、雪の中のお湯は気持ちの良いものでした。白濁湯は生き返る気がしました。


枝に雪が凍り付いて風情のある所でした。



ひなびた温泉でした。


スキー場も近くにあります。
人は少なかったですが・・・
2014/03/16(日) 晴れ


[ やっと墓参りに行けました。 ]
やっと墓参りに行けました。


今年は2月の2回の雪で予定がかなり狂いました。
まず土曜日のテニスが無くなりました。そして墓参りも延期していました。例年2月の初めには、一度小平霊園に行き、お墓の状態を見に行き、掃除をして、父と祖父の命日にどなたが見えても良いようにしていたのですが、3月9日にいてくることが出来ました。これで一安心です。

さて、これに先立ち、昼飯には、ラーメンを食べることにしました。小金井街道と東八道路の交差するところから近い、「江川亭」のこってり系のラーメンです。「中華麺」や「もやし麺」がお勧めとのことでしたが、「チャーシュー麺」と「ワンタン麺」を頼みました。見た目ほどスープはしつこくなく、おいしくいただきました。

ここへ来たのは3回目か4回目。このあたりに来た時だけ、寄ってみる所です。




2014/03/10(月) 晴れ


[ もうすぐ大震災から3年です。 ]
もうすぐ大震災から3年です


もうすぐ3月11日が来ます。大震災から3年が経ちました。テレビでは震災後の復興の話や大震災の時の映像がたくさん流れています。どの町にしても人々の努力が、沢山のエネルギーを費やしているのですが、まだまだ空回りしているように思います。

進みませんね。

可愛そうなくらい遅々として進まずの感想を持ちます。阪神大震災の時にも「震災後三年を経た神戸」を見に行きましたが、もとに回復した所、復興しつつあるところ、そして後年の仮設住宅に住んでいる方や、長田地区のようにバラック住まいの方も見てきました。格差が広がっているのがわかりました。

東日本大震災の場合は、範囲が広く、復興に向けての状況が個別過ぎて、仙台は復興していると思いますが、そのほかは依然マイナス状態が続いているように思います。とりあえず原発の問題は少し横において考えますが、街づくりがかなり進んでいたと思っていた女川町も、当初よりも人口の流出が予測されて、街づくり自体も縮小しながら、前を向いています。急ぐことと住民の意見を取り上げながら進むという、相反することを行っています。議論を重ねないと後で後悔するし、時間がかかればかかるほど住民の数は減ってしまうと思います。女川町長さんはまだお若い方なので、職員や住民と共に頑張っていると思います。

石巻市や女川町など、自分の目で見た所は「あれからどれくらい復興したのだろう」と気にかかります。そのほかの所も同様ですが、これからも見守りたいと思います。今年も東北には行きたいと思います。





2014/03/09(日) 晴れ


[ 東京大空襲2 ]
東京大空襲2

早乙女勝元著
岩波新書



目次
序章   傷跡は今なお深く
第1章  警報発令
第2章  生と死
第3章  火の輪
第4章  惨禍の朝
第5章  米空軍の“火攻め”戦略
終章   苦難を生き抜く庶民



1945年3月10日以前のB29は、一万メートル以上の高度を飛び、爆弾、焼夷弾を大量に投下したが、それは一応軍事目標に向けられたものといっていい。米空軍が、日本の戦力玄出る主力工業地帯の破壊から、非戦闘員を対象とした無差別焼夷弾爆撃へと踏み切ったのは、昭和20年3月十日未明の東京下町大空襲からである。この日は北風の強い日だった。334機のB29は低空飛行して江東一帯に焼夷弾を落とし、焼き尽くしたのである。作者である早乙女さんはこの時12歳。

夜中に父に起こされ、父母、二人の姉と共に一家5人は、リアカーに荷物を載せて、向島の家を後にして、水戸街道を南へと風下に進んだ。火の手の付いた風上に上ることなどできずに、火に追われて南下し、東武、京成と二つの私鉄線の踏切を超え、火の勢いの弱いところを見つけては一息ついてから、さらに足を延ばして明治通りに出、寺島広小路を超えて、一路隅田川を目指した。そしてやっとのことで、白鬚橋のたもとの小さな公園までたどり着いた。

気が付いてみると、いつの間にか、しらじら夜が明けて、父も母も、姉たちの顔も、みなけむりですすけてまっくろ。手はあるか、足はあるかと、目の前へ手をかざせば、あることはあったが、私の手袋は指の部分がすべて焼け落ちてしまい、かろうじて手の甲だけ布が残っていた。今は父が引いていたリアカーも、荷物も、煙のように消えていた。(123ページ)

この夜の“無縁仏”を含めた大多数の死者は、火葬場が消失して火葬能力なかったために都内67か所の公園、寺院、学校などに一週間がかりの作業で仮埋葬された。都の死体処理班の指揮により、収容埋葬した遺体は、7万7000体以上になり、特にひどかった下町では、錦糸公園一万3000体。上野公園8400体など、空地という空地は、一時ほとんど墓地に早変わりしてしまった。(173ページ)

この後、東京には、4月13日と4月15日、さらに5月23日と29日の夜にも全部で一万トン以上の焼夷弾を落とされ、約40平方キロの市街が焼かれた。(201ページ)

僅か、二時間半の出来事で始まった大空襲の事を忘れずに伝えていくことためにもこの本は良い本だと思います。図書館などで探して手に取ってください。

戦後日本政府は、昭和39年佐藤首相の時に、この大空襲の指揮を執ったカーチス・ルイ将軍に「戦後日本の航空自衛隊の育成に努力した」という理由で「勲一等旭日大綬章」をわたした。このあたりが今なお続く政府関係者の「感覚の悪さ」なのだろう、と思います。



焼け野原になった江東区の地図です。この本には、焼け焦げになった死体の写真も入っています。20年も経ってから読むと、父親や祖父になった感じで読んでしまいます。自分ならどこに逃げただろう。みんなを無事に避難させられただろうか、一人でも多くの人間を助けられただろうか。




2014/03/06(木) 晴れ


[ 東京大空襲 ]
東京大空襲


早乙女勝元著
岩波新書


1945年3月10日の東京大空襲について書かれた本です。
東京大空襲とは、アメリカのB29による東京の下町無差別攻撃により、8万8千人強の方が、わずか2時間22分の空襲で亡くなった事件を言います。3月一〇日の午前零時15分から二時37分までの正味142分間の間の出来事でした。

この本が書かれたのは、1970年。出版は71年です。戦争が終わって25年経った頃に著者の早乙女さんが東京大空襲を語り継ぐために記録を残しておきたいとの思いからこの本を書かれました。早乙女さんは、東京空襲の、主として3月10日の大空襲の遺族を訪ね歩いて、聞き書きをしました。

ここには、当時12歳の少年だった早乙女さんをはじめ、8人の下町庶民が登場します。その方々の証言を通じて無差別爆撃の夜に迫る、ドキュメンタリーチックな本です。

40年前に一度読んでいますが、今回改めて読み返してみて、この大空襲が広島の原爆に迫る(広島原爆の直接的な死者は10万人といわれている)に匹敵する大事件であり、どのような前線での戦闘よりも短い時間で多くの人命が奪われたことが理解できます。

戦後25年経ってからですが、その時のこと、当時の事を生々しく証言してくださり、この本で紹介されている方は、著者である早乙女さんを含めて8人いなります。

橋本代志子さん(三ノ橋から竪川に飛び込み、1歳になる赤ん坊の命を守った主婦だが、両親と妹を失った)、武者みよさん(両親と夫と12人の子供を失った)斉藤うた子さん、菊島幸治さん(両親と姉弟と別れ、8歳の妹と二人だけ生き残った)、石橋静江さん、小久保たか子さん、梶山森二郎さんです。


それぞれの思いを持ちながら、さらに大空襲後の人生に触れてこの本は書かれています。それは苦労の連続といてよいでしょう。それは家も無くなれば家族もいなくなったわけですから…

プーチンやオバマさんにも読んでいただきたい内容です。70年前には日本でもこのようなことを経験していることを若い方にも知っていただきたいと思います。本もそういう私も戦後生まれですが、戦争を経験した方から、少しはお話を聞いています。

もうすぐ、3月11日が来ます。もう3年が経ちます。以降に進展しない復興にいらだちを憶えますが、その前日にもこういう悲劇があったことは知っておいた方が良いと思います。

久しぶりに昔の本を読んでみました。





2014/03/05(水) 雨


[ 第21回昭和会ボーリング大会 ]
第21回昭和会ボーイングに参加


さる3月1日、第21回の昭和会ボーリングに中野支部として参加してきました。これに先立ち、練習会を個人的に開いて当て方を研究してきましたが、二軍だろうと思っていたので気楽に行きました。ところがエントリーされているのにびっくり。一ゲームは投げようと始めましたが、いきなりガーター。それにめげずに何とか投げ切り、100を超えました。

2ゲーム目も3ゲーム目も投げ切り、トータルピン403ピンでした。おそらく過去最高でゲームを終えることが出来ました。88名の参加中40位。40位の賞金もいただいてきました。今回は隣が渋谷・目黒支部のうまいチームに挟まれて個人的にも力を出し切ったと思います。

懇親会も例年通り行われて、中野・渋谷支部チームは仲良く集合写真も撮りました。





今回の印象は、全体的に若返った気がしました。あるいは私が年を取ったのかもしれません。


2014/03/02(日) 雨


[ 今日の仕事はつらかった ]
今日の仕事はつらかった


私が生涯で一番うたった歌はおそらく岡林信康の「山谷ブルース」だと思います。仕事が終わると風呂に入りながら「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ」と歌ってから夕食に入るからです。

2月は2回の雪がありましたが、テニスは13日間出来ました。テニスをした日は、風呂に入って歌を歌い、焼酎をあおって一段落して眠ってしまいます。良く眠れます。

昨日は、テニスがなくて、昼間ボーリングの練習をしましたが、夜中に起きてしまい、かなりの時間眠ることが出来ませんでした。眠れないと「なんとなくつらい」ものです。

最も朝方には、2時間ぐらい熟睡なのですが、私の気持ちの中では、「うとうと」なのです。人間自分自身の達成感というか、納得感が大事なのだと思います。あるいは錯覚といっても良いのですが、「よく眠れた」とか「熟睡できた」と納得できれば、それが二時間でもOKなのだと思います。

私の友人にも3時間眠れば十分という人が二人います。うらやましいです。一緒に泊まっても夜中に起きて、早くから活動したり、あるいはみんなが寝ているので、目は覚めているけれど、寝床でじっとしたりしています。私は朝方に大きな鼾をかくことが多いようです。

さて、今日の仕事はつらくはありませんでした。振込の仕事と集金して入金したお金を銀行に入金してくるだけでした。どこが「今日の仕事はつらかった」のだと妻からいわれています。

今日のテニスは、少しずつ減って6人でラストを迎えたので、少しつらかったのです。今週は日曜日に4時間、月曜日に2時間、火曜日に3時間半。水曜日に1時間半。そして今日金曜日が4時間。さすがに腰は疲れ、足、特に膝が痛いです。アイシングしてモーラステープを張っていますが、疲れていると思います。

話は変わりますが、先日の雪で太陽光発電を使用していたお宅で屋根の雪か滑り落ちて車のフロントガラスを割ってしまった方があります。屋根のパネルも一部交換しなくてはならないし、車の修理費で大変だと話していました。合計約20万円。雪のせいで思わぬところで出費をしたとのことでした。



2014/03/01(土) 雨


( 2014/04 ← 2014/03 → 2014/02 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy