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時々更新mn日記

( 2014/03 ← 2014/02 → 2014/01 )


[ ガラ系の携帯が・・・ ]
ガラ系の携帯が・・・


一週間ほど前になりますが、私が使っている携帯の前面にある照明が暗くなってしまいました。ワンプッシュして中を開ければ普通に見える明るさです。「省エネモード」にしたのでは、と言われましたが、そんな操作をした覚えもなく、もっと言えば、どこにそのような機能があるのかもわからないので、「身に覚えがない」のでした。

そこで,ドコモショップへ行って「こんな感じなのだけど・・・」と話したところ、もうこの機種は作っていないし、中の照明は普通で、外だけ暗いという機能はないので、おそらくしばらくしたら、使えなくなると思います、と言われました。

携帯電話も仕事をこなしていた時から比べると9割減ですが、ないと不便です。その時は40分待ちだったので、すぐに帰ってきましたが、私の心の中では、新しいものに変えたい、という気持ちで一杯でした。午前中に何もない日があれば、その日に行って変えてこようと考えていました。

いよいよ明日行こうと思っていた日曜日。午後1時から5時まで4時間ほどテニスに誘われていました。月曜日は何もないので、朝から行けばそんなに待たずに機種変更が出来ると思って、テニスに興じていました。途中で、コートに入れておいた携帯を見てみると、表面の照明が明るくなっていました。「?」

何度か確かめてみました。元に戻っていました。

「きっと捨てられるのが嫌で、自己回復したのだろう」
そう思っています。携帯も馬鹿ではありません。もう少しこれを使おうかと思っています。

それにしても4時間テニスをしたら、午後9時から翌朝の7時20分まで眠ってしまったのにはびっくりです。



2014/02/24(月) 晴れ


[ 老いの歌 ]
老いの歌――新しく生きる時間へ

小高賢

岩波新書
1327

目次

序    老いの発見
第1章 老いの時代へ
1  相聞と挽歌を超えて
2  茂吉「つきかげ」問題
3  急増する高齢歌人
第2章 老いの百景
1  老いの時間――身体・病・・労働・食
2  悟れぬ、悟らぬ――渦巻く感情とエロス
3  戦後を生きながら――戦争の記憶、死者への思い
4  砦としての家族――親子・夫婦・そして・・・
第3章 老いというフロンティア
1  いくつもの私
2  名歌を超えた世界
3  口語調のもつ力
参考文献
あとがき


私も還暦を超えて、老いを感じることが多くなりました。身体が動かない、力が無くなった。集中力がない、いままで一時間でできた仕事が1日かけても出来ない。読みかけの本は半年ほったらかしになるなど、今までと違う自分で生きていくことを感じています。その反面、昔のことはよく思い出し、死んだ人が夢の中で元気です。親は若く話をすれば何でも教えてくれます。ならば、私も子供に帰って勉強を始めようかと思います。身体を動かすには、今はテニスです。週に3回は行っています。あとは頭をどう動かせていくかです。少し字を書く練習をしようと思っています。

さて、本書は老いを意識した短歌集です。有名な方から無名の方までの短歌を通じて「老いの歌」を語ります。それは個人的なものから社会性の高いものまであります。

私の気になったものをいくつか紹介してみます。

老いてこそ 心淋しく園内婚九十六歳かがやいており(中辻百合子・89歳)

施設などで同居する人を歌ったものです。

犯したる女は殺せ戦争はかかる不動の法則を生む

これは川口常孝「兵たりき」で自分の戦争体験をリアルに描いたものです。10首ほど紹介されていますが、どれもこれも凄い。私は戦後世代で戦争経験はありませんが、川口さんが晩年になって回顧して描き出したものだそうです。残しておきたかったのでしょう。

短歌は時折「滅亡論」が出ます。その度に新しい形が生まれてきました。57577という定型があることが大きいのでしょう。そして時折それを打ち破る自由詩や口語調のものが次を準備します。俵万智さんの「サラダ記念日」が有名ですが、「老いの歌」もその一つではないかと小高氏は語ります。






2014/02/23(日) 晴れ時々曇り


[ 今どきの若者は立派 ]
今どきの若者は立派


ソチで行われているオリンピックはもうすぐ終わってしましますが、3月になればパラリンピックも始まります。2月初めにオリンピックが始まった当初は、時間帯の違いもあり、見ることは少なかったのですが、スノーボードの男子ハーフタイプでメダルを取ったころから朝早く起きてテレビをつけることが増えました。徐々に興味がわいてきたということでしょうか。その一つのピークが羽生結弦選手の金メダルになると思います。メダルを取った方々のインタビューを聞いていると「今どきの若者は、立派」という気になります。人への感謝を口にし、応援していただいた方へのお礼なども忘れません。皆さんのコメントが素敵だと感じています。勿論惜しくもメダルを逃した方やそこまで届かなった方々もテレビカメラの前で話す姿を見ているだけで、人を感動させる力を持っています。オリンピックが良い、おそらく勝ち負けの勝負を超えた所に、(もちろん勝った方がいいのでしょうが、)残るものが人を感動に導くのだと思います。

さて、それに引き換え、最近の大人は態度はでかいが言葉は軽い、自己都合だけというのが目立ちます。NHKの会長に始まり、内閣補佐官、元首相など、そういう人の発言はとても人の上に立つ人のものではないと感じています。

さらにわが中野区でも一人困った人がいます。田中区長です。12年前に区長選に出る時には、自分自身の任期は二期8年と公約に掲げて当選しました。その一期目に「3期以内」とする規定を盛り込んだ条例を制定しました。そして3選を果たしました。それが今度は「4選出馬を目指します」と出馬表明した途端、「多選自粛」の規定を直そうとしています。自分で行って来たこととの整合性を問われないように手を打とうとしています。

言うことが、こうコロコロ変わる人がまた区長になったのでは中野区の発展もないと感じています。権力を手放したくなくなったのでしょう。それだけ区長は儲かる仕事ということでしょうか。

最近の大人は年を取っているだけで自己都合が目立ちます。私の年寄りなので、若者の謙虚さを見習わないといけないと感じています。



2014/02/22(土) 晴れ


[ かき小屋 ]
かき小屋



来る3月1日に新東京木材昭和会の「ボーリング大会」に則子さんが出るので、練習会をしてきました。中野サンプラザの地下一階にあるボーリング場へ行きました。一年ぶりのボーリングです。なかなか一番ピンに当たらず往生しましたが、4ゲームほど投げてきました。

それが終わり、夕食時だったので、何かおかずを買って家に帰ろうかと思っていましたが、「今日はおごってやる」と言われたので、方針を変え、中野のパスタ屋、「どん亭」、居酒屋などを見て回りました。

「第二力酒蔵」に入ろうと思いましたが、その向かい側に、以前は鰻屋さんだった所が、「かき小屋」というお店に変化しているではありませんか。表で立ち見をしていたら、お店の方が出てきて「どうぞ」というので入ってみました。焼き牡蠣、生ガキなど牡蠣を一人14個ほど食べてきました。

この店は昨年11月にオープンしたそうですが、全く気が付きませんでした。このあたりに来たのが久しぶりだったようです。木造の二階家で2階で食べましたが、築50年は経っているでしょうか。天井を取っ払い、小屋組みが見えましたが、使われている小屋材は太鼓梁ではなく、「丸太」でしたし、野地板も3分の耳付きでした。階段も急で、50年前の住まいがよくわかります。お客さんは女性が多く、私たちの隣は20歳くらいの4人組。自分たちの好きな飲み物を持ち込んで、ワイワイやっていました。




2014/02/21(金) 晴れ


[ 今年こそは本当にうんと働くぞ ]
今年こそは本当にうんと働くぞ


ここの所の雪で、で活動することが少なくなっています。その間のほとんどを自宅で過ごしています。確定申告の資料つくりも大まか終了して、今は音楽を聞きながら、ゲームに興じるというのが増えています。本を読んだりもしていますが、最近読む本は難しくて、何度も行ったり来たりしているうちに読み終わらないことが増えています。そんな時には、昔聞いた歌をかけています。

ここ数日のお気に入りは、まず、ぎら健壱。そして高田渡。

なぎら健壱は、「悲惨な戦い」で世に出たフォークシンガーですが、その前に「一本でも人参」を歌ったことでも有名です。この歌は買取にしてしまったそうですが、印税契約しておけばよかったと、これは歌の合間の語りの掴みとして使っています。というのは、そのA面は「泳げたいやき君」だったからです。

なぎらさんの唄には、「葛飾にバッタを見た」とか「四月十日のうた」などが私の好みですが、アルフィーの坂崎幸之助さんと組んで高田渡さんのまねをしたり、高田渡さんとのトークを聞いています。

その中にこの歌があります。「今年こそは本当にうんと働くぞ」があります。いつも新年には、こういう気持ちで臨むのですが、「年が終わるころには、大したことはしなかったなあ」と反省。何十年と経っても変化はありません。

それにしても20代に聞いた歌は、頭に残っていていいですね。



2014/02/17(月) 晴れ時々曇り


[ 床屋さん ]

床屋さん



今まで何十年と通っていた床屋さんが高齢を理由に廃業しました。床屋さんも定期的に通う所なので、どこにしようか考え中でしたが、川島にある床屋さんにしてみました。初めてなので、緊張していましたが、出てこられたのは女の方。生まれて初めて女性の方に髪を切っていただきました。(あるいは、母親以来といった方が良いかもしれません)

病み付きになりそうです。



2014/02/16(日) 曇り


[ 人の縁 ]
人の縁


仕事もひと段落してきました、とメールを送った友人から、「ソフトランディングできて良かった」と返事が来ました。ひと月前の話ですが・・・

仕事の引退を表明してから一年半。実際に会社を清算し始めてから10か月が経ちました。一年前には、材木置き場の移動や材木屋として使っていた所の解体が始まりました。現在そこにはマンションが建ち、売上の入金も始まりました。今年の税金の金額が決まれば、今後の予定も立ってきます。年収は半分になりましたが、人並み以上といった所でしょうか。

さて、仕事からみの人の縁は薄くなっています。それに代わって始まったのは、趣味と近所と昔からの友人になりました。一番会っているのは、テニスの方々です。が、どこに住んでいて何をしているのか、電話番号すら知らない方々です。キーマンの方のメールが頼りです。半年経ってきたので、私のアドレスも伝え始めていますが、コート上だけの友人です。

生活上での変化は時間ですね。ゆとりが出来ました。ゆとりが出来過ぎて、予定を忘れることも増えました。朝一番でその日の予定を確認して、動き出しますが、途中で忘れて予定をすっぽかすことも増えています。時間にゆとりがありすぎて、その途中を忘れてしまいます。その防止のために昨年から手帳を使っていますが、それでもだめです。年ですね。

さて、年齢と共に父がしていた仕草が自分に移ってきました。

祖父は私の年齢では一度倒れた後だったので、仕事を言えば、リアカーを使って「電話帳」の配達をしていました。朝6時前に仕事に出て12時前には、仕事を終えて家に居ました。夏でも堀炬燵に足を入れてテレビを見ていました。左には一升瓶、右にはレッドの大瓶がありました。夕方大石製麺所でうどんを買ってきて、風呂屋に行き、自分で作って食べた後は、寝ていました。夜中に起きてビールを二本空けてまた寝て、その繰り返しをしていました。75歳まで働きました。

父もそれにならって75歳まで働きました。父の70代は母を失い、娘と孫と共に住んでいましたが、初めの5年は軽い脳梗塞と結石。続いて疥癬の治療で寝たきりになり、歩くためのリハビリを行い、一度は普通に歩けるまで回復しました。それから3年は家で過ごし、デイサービスなども利用して老後を楽しんでいました。その後肺炎、そして心筋梗塞(これも軽かった)、右目の失明にパーキンソン症候群など病気続きでした。老健に入ってもらい、一年足らずで亡くなりました。若い時に結核を患っていたので、身体が基本的に弱かったのです。そのためその弱いところが晩年に出ました。

私も父ほどではありませんが、身体はあまり強くありません。そのため気を付けています。最近、あくびやせき込みなどあるいは首を回したりするようになりました。そのような動作は、今思えば父はおそらく体調の改善のための動きだったと思います。私も肩が張ったり、腰が痛くなったりしています。今日もう少し遅い昼寝をしたら、二時間半ほど爆睡です。そんなに疲れていたとは思えませんが、これも加齢によるものでしょうか。

ともあれ今日はバレンタインデー。妻からだけチョコレートをもらい、食べました。

天気はまた雪です。木曜日に建てた住宅の屋根にも雪が積もっています。





2014/02/14(金) 雪


[ バレンタインに川柳を ]
バレンタインに川柳を


バレンタインに合わせて川柳を作るという企画があります。テニスのサークルでの話です。そこで図書館から借りてきたのが高田純次の「適当川柳」。これは下ネタばかりで面白かったですが、川柳を作るという意味では役に立ちませんでした。それに代わって「川柳で乗り切る人生のデコボコ道」というのも借りて見ましたが、こちらの方が意味深ですね。


そこで私なりにいくつか作ってみました。川柳というほどではありませんが、こんな感じです。

妻からは なぜか二つの 義理のチョコ 

飲み屋のねーちゃんから 貰ったチョコは 十倍返し

チョコの数 減ってわが身の 年を知る

綺麗なものが出来ませんでした。

2014/02/13(木) 曇り


[ 雪のせいか ]
雪かきのせいか


昨日2月9日の日曜日に朝から通算2時間ほど「雪かき」をしたら、腕、手首、腰が張っています。そしてなぜか右肩もそうなっています。

都心で25センチを記録したそうですが、中野区でも当然そのくらいはあると思います。さらに風が強かったので、吹き溜まりの所はそれ以上積もっていたと思います。まず朝起きると3階にある自宅から2階に行くまで階段の雪かきから始めました。我が家は2階は屋根がありますが、2階から3階に上がるところには屋根がありません。そこにたまった雪を建物と塀の間に落として歩く場所を確保しました。次に屋根から落ちる雪の落下を防ぐために屋根の斜めの部分の雪を棒を使って落としました。ベランダや建物のわきに落としました。当然人は歩かない場所での話です。続いて霧除けの上にたまった雪を梯子を使って落としておきました。これなどは解け始めて雪がどさっと落ちるのを防ぐためです。そしてラストは、1階の出入り口の部分です。特に段差がある処は、そのふちをはっきりさせておきました。

ここで私は休憩。代わって則ちゃんが家の周りを一通り雪かきしてくれました。

それが終わると、メゾンみのりへ行き、階段にある雪を使用していない方の自転車置き場に移動しておきました。4階まであったので、汗をかいてしまいました。家に持って着替えをしてさっぱりしましたが、今朝になって色々と痛いところが出てきました。


いつもお世話になっている上高田テニスコートの2月10日の状況です。まだ雪もあり、水たまりも出来ています。あと3日くらい出来そうになりません。


代わって西落合テニスコートです。昨年1月14日の雪の後も、一番早くコート整備を終えて使えるようにした所です。今年も対応が早く明日あたりから、「ボレーボレー」くらいは出来るようにしていました。


昨年1月の雪のあと、1週間以上使えなかったコートです。おかげで昨年はやっと当たったテニスコートを使わせていただけませんでした。が、今年は、シートを敷いて「雪対応」したお蔭で1コートから3コートまでは、早めに使えそうです。今年は昨年の轍を踏まない、という意気込みが感じられます。




2014/02/10(月) 晴れ


[ 古い住まいが壊されて ]
古い住宅が壊されて


古い住まいが壊されるとそこに住んでいた住人がいなくなります。

二年ほど前になりますが、事務所の天井では、ネズミが運動会をしていました。そこを壊して新しい建物が出来ました。解体の時、片づけをしていた時、ネズミのミイラが二体ほど出てきました。

この一年で解体された建物はかなりの数になると思います。十年ほど前に、○○林業で建てた建物にお住まいの方から、天井裏でネズミが活躍しているというお話を聞きました。古い建物が壊されて引越しをしてきたようです。

○○林業の建物は通気性に優れた建物ですが、この建物も9か所ほど通気口があるとのことで、どうやらそこから侵入して住み始めたようです。出入りしているだろうと思われる所をふさぐのに14万円かかるといわれたので、三分の一ぐらいにしてほしいと話したところ、半分の負担で直すことが決まったようです。

最近古いアパートでもネズミの被害が多いと聞きます。鷺宮の不動産屋さんも話していました。私の古いアパートも6年ほど前にネズミの出入り口をふさぎました。今のところそれから出ていないようですが、このあたりも油断のならない所です。

ちなみに昨年作った事務所もネズミが出ます。正確に言えば出ました。何も食べるものがないので、本のカバーをかじられました。それ以後、今の所セーフです。




2014/02/09(日) 晴れ


[ 雪です。 ]
雪です。


雪です。
久しぶりに雪が降り続いています。夜明け前から降り続いて、日中も降っているのは東京では珍しいと思います。かなり積もりそうです。予報が当たりました。これでこのあと一週間はテニスはお休みになりそうです。

雪が止めば「雪かき」と思っていましたが、階段の雪の吹き込むところだけ、掻きましたが、すぐに溜まってしまいました。それだけ絶え間なく降っている証拠です。外気温も上がらないので、屋根の所につららが出来ています。

この分では明日の午前中は雪との格闘になりますね。


三角の所につららが出来ました。



まだしばらく雪は降り続きそうです。


2014/02/08(土) 雪


[ 父の本籍地 ]
父の本籍地


父の命日は2月17日です。祖父の命日は2月19日です。2月は何かと忙しい月なのです。本来であれば、明後日あたりに墓参りを予定していましたが、どうやら土曜日が雪のようで、そうなると、来週のどこかで掃除に行かないといけません。雪が大したことのないことを祈っています。

さて、父は荒川区尾久で生まれましたが、小さな時に祖父が中野に移り、その地で八百屋を開いています。「八百省」といいます。戦前のほんの十年で戦時統制のために閉鎖させられましたが、その地が父の本籍地になっていました。城山町47番地です。その住所を示している表札を見つけましたので、失礼とは思いましたが、写真を撮らせてもらいました。

さらに叔父から、父の出征前の写真も送っていただきました。これは初見です。もう70年も前のものですが、きれいに残っていました。





昭和19年くらいに写したものだと思われます。



2014/02/07(金) 曇り


[ 2月はチャンネルNEKOで ]
2月はチャンネルNEKOで


2月になりました。2月3日は節分です。この日、朝の6時から赤木圭一郎さんの「拳銃無頼帖」シリーズ全4作が一挙放映されました。「抜き打ちの竜」「電光石火の男」「不敵に笑う男」「明日なき男」の4作ですが、時間の関係で前の2作しか見られませんでしたが、赤木圭一郎の魅力満載で、しかも宍戸錠が光っています。わきでこそ光る人だったと改めて感じています。

この頃の映画は単純ですが、それなりに良く出来ていて、飽きさせません。今朝は山内賢・和泉雅子の「二人の銀座」です。



2014/02/04(火) 曇り時々雨


[ アパートの更新 ]
アパートの更新


アパートの更新が一つ決まってほっとしています。そこはとりあえず、直す所もないので、出費がありません。1月30日に更新が終わり、今日不動産屋さんに行ってきました。かなり手広く不動産業を行っていたところですが、昨年、今年と店に訪れて住むところを決める方が激減しているとのことです。また中野に大学が来たにもかかわらず、その影響は一部の業者だけで「私の所は関係ない」とのことでした。

これを聞いて、不動産業も勝ち負けがはっきりしてしまった業界になったことを感じました。一人住人が出ると、今までは直していましたが、簡単なリフォームでも50万円くらいかかるし、フルリフォームするとなると数百万円になってしまいます。それを出していくだけの力が自分に無くなりました。賃貸事業だけで生活するのは、大変です。なかなか虫のよい話はありません。

さて本日は節分です。皆様の所でも豆まきはしましたか。ささやかながら我が家でも豆まきをしました。「鬼は外」「福は内」ありふれた言葉ですが、これからの一年の福を呼び込みました。

後は年の数だけ豆を食べるだけです。



2014/02/03(月) 晴れ


[ シシド・完結編 ]
シシド完結編

小説・日活撮影所
宍戸 錠著


目次
プロローグ
第1章 主役(ヒーロー)
     「ろくでなし稼業」
     トニー
第2章 拳銃(リボルバー)
     QUICKDRAW
     SHOOT
     5−2=2
     主役の我
第3章 頑丈(タフ)
     チャンユウ復活
     剥がれた骨
     メキシコ無頼
     英樹と哲也
     「ウエストサイド物語」
第4章 頂点(トップ)
     日活国際会館
     反撃開始
     スター群像
     黄金時代
     1962年
第5章 社長(ワンマン)
     「日活50年史」
     テレビ登場
     転落の序曲
     人事崩壊
     本社売却
第6章 訣別(グットバイ)
     暗い影
    日活ロマンポルノ
    裕次郎の死
エピローグ


前作「シシド・小説日活撮影所」から十年。宍戸錠さんが完結篇を書いていました。全く気が付かずにいましたが、ネットで見つけて読んでみました。前作は、石原裕次郎がスキー事故で骨折したところで終了していましたが、その1961年から日活がロマンポルノに転換するまでを描いています。

1961年には、日活はダイヤモンドラインを作り男優を売り出しましたが、それは、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治、宍戸錠でしたが、裕次郎がスキー事故によって戦線を離脱。その後、裕次郎主演予定の映画「激流に生きる男」の主演を裕次郎から赤木に代えて、映画を撮りはじめますが、その途中、赤木がゴーカート事故によって亡くなってしまいます。ダイヤモンドラインは、5人いましたが、二人が欠けて小林旭を中心に、宍戸錠や二谷英明が主演を張って日活を支えます。そこへ高橋英樹と渡哲也が入ります。女優陣も浅丘ルリ子を筆頭に吉永小百合、松原智恵子、芦川いづみ、和泉雅子と少しずつ盛り返してきます。

が、日活の社長の堀久作の事業経営の失敗から、地方の直営映画館を売り、本社も売却し、そして、撮影所も1969年に電電公社の関連事業団に売却。開け渡しはその2年後になった。かくして1972年「8月の濡れた砂」をラストに日活は「ロマンポルノ」に路線を転換して借金返済路線へと進むと同時に多くの俳優もまた、日活から離れていった。

宍戸錠にとって17年いた職場でありながら、入社から1962年くらいまでの話が豊富でそれ以後のことがあまり書かれてはいません。ということは、宍戸にとっても日活は、1962年で終わっていたのかもしれません。






2014/02/02(日) 曇り時々雨


( 2014/03 ← 2014/02 → 2014/01 )


[ 管理者:大野満生 ]


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