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時々更新mn日記

( 2014/02 ← 2014/01 → 2013/12 )


[ つなぐ、作る、決める ]
繋ぐ、作る、決める


この所、週に4日位ほどテニスをして、体調を整えています。私はどちらかというと冬場は不得意で、実際寒いのは好きではありません。朝ものんびり起きたいし、夜外へ出るのも好みません。まして夜遅くなると、眠くなってしまいます。

それでも、朝に、昼に、夜にとテニスをしています。体調が悪くても体を動かせて汗をかくと、すっきりします。そして風呂にゆっくり浸かると気持ちが落ち着きます。

28日には、午前中にテニスをして、一度家に戻ってから中野市場に顔を出そうと思っていましたが、帰り道、お客さんに久しぶりに会ってしまいました。それも二人に立て続けに・・・

もう半年以上顔を合わせていなかったので、長話をしました。このお二方とも3月いっぱいは仕事が入っていて、現在は忙しいとのこと。材料が、特に断熱材が入らないとこ。それを職人さんの不足を嘆いていました。仕事のできる人が少なっているとのことでした。人材不足はよくわかります。腕の良い大工さんを求める人はたくさんいますが、現実には、それまでに一緒に仕事をしたことのある人以外に、使えません。優秀な人や重宝な人がヒマなわけがありません。

さて、テニスをしていると、とにかく返すボールや決め球を打つためにその前に作るボールがあることがだんだんとわかって来ました。相手がサービスであれば、まずとにかくリターンして返す。相手のバックに返すように心がけますが、バックが得意な人に対してはフォア側に返します。その後、戻ってきたボールをセンターないし相手のバック側に返して、できればボールを浮かせます。浮いたボールを決めて1ポイントとります。

まあ、実際は繋いで繋いで、繋いでいるうちに相手に決められてしまうことが多いのですが、段々と理論も理解してきました。まだつまらない癖が残っていますが、それは私の得意ショットということで、ひと試合に一回くらい使ってみます。以前はうまくいっていたのですが、最近はきちっと打つことが出来るようになってきたので、それなりに面白さがわかってきました。

2手先のイメージを持って、リターンに臨めるようになってきました。


2014/01/30(木) 曇り時々雨


[ トイレの水漏れ ]
トイレ水漏れ


我が家もリフォームから早いもので十年が経ちました。そろそろ直さなければいけない所が出ると思っていたら、早速トイレから水が漏れてきました。初めは、トイレマットが濡れたので、何かこぼしたのか、あるいはウォシュレットを使った時に便器の外側を濡らしたのかと思っていました。

早速、製造元であるTOTOの修理に電話をして聞いてみました。我が家のトイレは、ネオレストの2003年製造のタイプで、新しいものは製造していないとのことでした。ただ、水漏れの原因は、バルブユニットであり、それを交換すれば直るだろうとのこと。金額も1万2,3000円だろうというのでお願いしました。

数日後直営店の方が見えて、1時間足らずで直していきました。交換したバルブユニットはあと何年くらい部品として作っていくのだろうか、と質問したところ、あと4,5年は残してると思いますとのこと。

それを聞いて、あと3年くらいしたら、この部品だけでも確保しておこうかと思いました。

我が家も40年近く前の鉄筋の建物です。外部の照明に使っている蛍光灯も製造が終了になり、その時に2本ほど余分に買い置きしてあります。

ちなみに、このトイレもその部品が無くなると、トイレそのものを交換する必要が出てきます。同程度のものだと20万円の上、かかるといわれています。上手く今度の部品が10年持って、予備に買っておく予定のものが10年持てば、30年。その頃なら私も居ないので、大丈夫だと、変に安心しました。

とにかく今回は安く済みましたが、この先、給湯器、キッチンをいろんなものが壊れていくのだと思います。

2014/01/29(水) 晴れ


[ 散歩 ]
散歩


「奈良まほろば館」へ行ってきました。
中野新橋駅から地下鉄に乗って三越前で降りると、1番出口を登った眼の前に有りました。ここは、奈良県のアンテナショップです。今日は當麻寺の紹介を行っていました。曼荼羅と中将姫伝説の當麻寺へは私はまだ行ったことがありません。今年あたり行きたいと思っています。そんなこともあり、まほろば館を訪れました。思ったよりも小さなスペースでしたが、奈良県の物産も置いていました。何も買わずに来ましたが、また訪れたいと思いました。

せっかくここまで来たので、少し日本橋を歩くことにしました。今日は日曜日。中高年のご夫婦連れの方も歩いています。2,3分歩くと、今度は島根県のアンテナショップにたどり着きました。今までこのあたりに来たことはないのですが、通りを挟んで反対側には、日本橋三越があります。ここは戦後すぐに母親が務めていたことがあります。昭和24年に結婚しますので、半年か一年くらいしかいなかったと思います。(すみません、詳しいことは聞いたことがありません。屋上で同僚と撮った写真が残っています。)




さて、そのまま直進してJR神田の駅に出ました。いま少し直進して左折すると、神田淡路町に至ります。ここへ一年と少し前に仲間で飲みに来ました。そのお店「なんなり」を探してみました。記憶をたどりながら進んでいくと、ありました。が、今日はお休みです。というかまだ午後の2時過ぎです。



そのまま須田町から神保町へと進みました。神保町といえば、スポーツ点か古本屋です。スキーシーズンなので、板やウェアーが所狭しと言った感じで売られています。ここへウエア―などを買いに来たのはもう十年も前になりました。ここ4年ほど滑っていないので、何もかもが中古品になっています。

さて、そのまま古本屋街へと足を進めてみました。途中、「書泉」のビルを写してみました。このビルが新築された時には、この本屋さんまでよく買いに来ました。まだ、インターネットなどというものも発達していなくて、本を置いている所を探して、神保町にはよく通いました。なんだかんだ30年から35年くらい前の話になりました。その後も訪れてはいますが、こうして改めてこのビルを見ると、なんだか古ぼけているなあ、と思いました。時の流れですね。



そのまま岩波書店に行き、かなりの時間を使いました。立ち読み風に色々な本を探してみました。基本は歴史の本です。古代史に関するものが好きです。ちなみに今日持ち歩いていたのは、「物部氏の伝承」という本で、昭和52年にはじめに発売されたものを、近年講談社文庫の中に入れられてものです。万葉集や古事記に見られるわけのわからない言葉を朝鮮語読みをするとその言葉の持つ意味が解る、といったものです。この本が出された後に、一度万葉集を「朝鮮語に置き直して読む」というブームが来ますが、その先駆けとなった本でした。

この後、小腹がすいたので、吉牛と思いましたが、近くに「てんや」があったのでそちらに入りましたが、失敗でした。若いころと違って胃が負けてしまいました。



2014/01/27(月) 晴れ


[ 光が丘に行く ]
光が丘に行く



1月23日には、練馬区光が丘にある「ホテルカデンツァ光が丘」で、大東建託(株)の練馬支部の報告会が開かれ、この種の集まりには初めて参加してきました。私も大東建託鰍ノお願いして、賃貸事業を始めた関係で、「オーナー」ということでこの集まりに来ています。今回は、練馬区を中心にして、23区の西側と新座市など隣接した地域の方約90人が参加されました。

大東建託鰍フ練馬支店長ならびに大東建物管理株の練馬所長のあいさつやDVDを経て懇親会へと移りました。大東建託は6期連続増収増益。気になる入居率も96%をキープしているとのことでした。練馬支店管轄の中野区に限って云えば、管理している部屋が222室。空き部屋が18戸。8.11%の空室率だという説明がありました。この空き部屋のいくつかは、わがマンションだと思いながら聞いていました。

さて、この会社に問題点があるとすれば、一つは建物の設計と施工でしょうか。画一的な設計では、その土地に溶け込んだ建物をつくることは難しいでしょう。あるオーナー様からこんなお話がありました。建託で建てて建物管理にお願いしている建物を持っているのですが、エントランスの所にゴミがたまるのだそうです。丁度吹き溜まりになっているのだそうです。そこ住んでいるので、毎朝家内が掃除していると。隣の三菱地所で建てた建物には、そういったことは起きていないと。だから「設計が悪いのではないかと…」

今一つは、管理に関してです。管理業務は基本的に月2回です。実際それくらいの回数で掃除も行われていますが、ゴミとか落ち葉といったものに関してはこの回数では間に合わないのではないかというご意見がありました。私も同感です。各マンションで状況は違いますので、例えばごみなどをカラスが突っつくようなところに関しては、清掃の回数を増やす必要があると思います。

そんな話を聞いてから懇親会へと移りました。右隣の方は板橋の方。左隣は中野区の野方の方でした。右のご婦人は二年前に建てたそうで、左の方は昨年暮れに完成されたばかりだと話されていました。それだと私の所とほぼ同じ時期です。「支店長、設計課長、担当課長、変わりましたか」と聞きすると「そうです。営業マンだけは変わらなかったけど」と話されていました。転勤が多いのもこの会社の特徴です。ちなみに練馬の支店長さんもここ3年で3人だそうです。

光が丘の街を少し歩きましたが、中高層の団地が多いこと。道路には自転車置き場が整備されていて、自転車の数は半端なく多いこと。このあたりだけでも5万人が住んでいるそうです。中野新橋のような田舎に住んでいると別の星に来た感じで圧倒されます。


2014/01/24(金) 晴れ


[ 雲太、和二、京三 ]
雲太、和二、京三


日本国内の大きな建築物は、という問いに「雲太、和二、京三」があります。平安時代の俗謡に歌われています。建物の大きな順に並べた「口遊」になります。覚えやすいように太郎、二郎、三郎と名付けられています。

雲太は出雲大社、和二は東大寺の大仏殿、京三は京都の大極殿になります。出雲大社が一番大きな建物だといわれていたことになります。

東大寺の大仏殿は、46mありますから、出雲大社はそれよりも大きいと歌われていたことになります。現在の出雲大社の高さは24メートルですので、この俗謡は「うそだろう」と思われていました。

ところが、2000年に出雲大社境内から、直径1,35メートルの柱を3本束ねた柱の跡が出てきました。実際、出雲大社には、平安時代の末にできたといわれる平面図が残されていました。なを、「金輪造営図」といいます。3本の柱を金の輪で縛ったものを9か所に建ててその上に社を作ったものです。そこでこんな形が想像されています。


それによれば高さは48メートルを予想されています。これを見ただけでも「どのようにして作ったのだろうか」という疑問を持つと同時に「古代の力恐るべし」と思います。まだ原生林の巨木がたくさんあったとは思いますが、それを伐り、建物として完成させるには、施工する力が必要です。

昨年出雲大社に行った時に、この3本柱を束ねた跡が、本殿の入り口の所に残してありました。その時写真を撮ったと思うのですが、カメラには残っていませんでした。そこで、サイトからの借り物です。

出雲大社は台風などの襲来で、何度か倒壊しているという記録があります。建て代えるたびに小さくなっていったようで、本居宣長の「玉勝間」には、「出雲大社、上小のものは、32丈、中古のものは、16丈、今の世のは8丈といった記載があります。今風に言えば、今のものは24メートル。中古のものは48メートル。上小のものは96メートルといったところです。これが本当ならば、現在の建物の4倍の高さがあったことになります。遥か天にどどかんばかりの所に社があったことになります。日本の建築文化は(その頃はまだ日本国ではありませんが、)恐ろしくまた奥深いものを持っていたことになります。

社に届く階段を作ることを想像するだけでも、気が遠くなります。



「金輪造営図」になります。


本殿のすぐ手前の所から出てきた柱跡。人と比べるとその大きさがわかります。



想像されるかつての出雲大社です。上古のものはこの二倍あったと思われます。
が、私には想像が出来ません。ただ、代々伝わって来たものは全くの嘘ではないということはわかります。




2014/01/22(水) 晴れ


[ 板倉工法 ]
板倉工法


1月19日のテレビを見ていたら、「夢の扉」という番組で「板倉工法」の住まいについて放映されていました。

板倉工法とは、柱と柱の間に厚み3センチの木材を落とし込んでいく工法でほとんど木材だけで住まいを建てる工法を言います。今回紹介されていたのは、筑波大学名誉教授の安藤邦廣さんでした。安藤さんのものは外部にも厚み3センチの木材を張り、壁厚を60ミリにして耐震、防音、断熱、調湿性能を高めようとするものです。

現在、戦後の植えた杉材が、伐採期を迎えています。が、これらを有効に使う方法がいまいちでした。丸太の径が、20センチから30センチくらいのものが豊富にあります。柱は一本の木から一本取りますので、柱を取るには太すぎて、板材にしかならないのです。その板を使えるのが、この板倉工法です。

代表的な建築では、正倉院ですが、倉庫などに用いられた工法でした。つくばの(有)ヒダさんも、この工法を用いて、住宅を建てています。

今まで使われなかった杉の中目材を用い、しかも大量にある資源を大量に使うというこの工法は、もっと宣伝して、沢山の所で作ってほしいと思います。

特に、被災地では、仮設住宅にこれを用いてほしいと思っています。暖かいし、過ごしやすい住宅になると思います。機械加工に対応できるようにキッド化していけば、大量に供給できると思います。

こちらから


2014/01/20(月) 晴れ


[ 消費税増税後の住宅需要 ]
消費税増税後の住宅需要


かつて人で賑わっていた近くの商店街も、昼間の人通りは少なくなりました。さらに、昼にお弁当を買おうと思っても売っている所が数件になりました。それに代わってお弁当などを販売するようになったのは、スーパーです。そして昼飯はコンビニが一番売れています。

60年も生きていると自然と見えてくるものがあります。世の中の移り変わりです。

40年前には、木造住宅は小さな工務店・大工が担当していました。道具を用いて、木材を加工し、住まいに仕上げました。それから5年くらいすると、機械を多用する仕事が増えてきました。その5年後はバブル期です。この時は木造住宅よりも鉄筋・鉄骨の住宅の内部造作が増えました。それこそ朝から仕事をして、夕方からは見積もり、時間があればお客さんと夜中まで飲んでいました。

このバブル期以降、木材を使う仕事が少なくなりました。まずは量的に「建築にかかわる棟数」が減りました。プレカット工場から構造材を供給してもらう仕事も増えて、構造材が売れなくなりました。それでもこの頃は、内部の造作に無垢の木材を使ったので、比較的高級品が売れて売り上げ的には、極端に落ち込まずに済みました。大工さんが手カンナで材木を仕上げたのはこの頃までです。それ以降は自動カンナで木材を削り、超仕上げという機械でつるつるに仕上げました。それでも手加工に比べたら、仕上げのレベルは落ちます。この頃にお願いしていたのは、見える所の柱と造作材の最終仕上げは「手カンナでお願い」でした。それは瞬く間に無くなりました。

柱を見せる建物が極端に減ったからです。柱を見せない「大壁つくり」が建物の大半を占め、私ども材木屋がかかわる仕事は、「より住宅そのものに接近」しました。「トータル受注」というものです。わが社でも「プレカットで建てて、外部はサイディング材工、内部のドアや窓枠は大建工業とかパナソニックなどのいわゆる既製品。水回りのキッチンやトイレにユニットバスの材工を注文していただくと、今まで一棟で木材だけだと20坪の住まいで200万円だとするとその4倍も5倍もの金額になりました。

ですから粗利は少なくてもそれらを扱うことで売り上げに貢献しました。この流れで、住宅を扱う材木店が増えました。建築の免許をとり住まいを作るという方向です。プレカットでは加工しにくい仕口を使って構造材を組んでいく従来の工法から、土地から手当をしてプレカットで建てて、販売していくものまで、様々です。工務店かというか、建売業者というのか、そういう形に生き延びる道を見出したところが多いように思います。実際、大規模化に対抗するには、同じような規模にしていくしかありません。一年間に扱えるボリュームが優先されてきます。

私の所などは、扱うものが、プレカットで建てるのもほかの工場で行われ、水回りの商品もその取り扱う量や高が少ないので、大量に扱う所に移行してしまいました。その結果、人が一番嫌がるようなものしか売れなくなりました。単価の低いものを体力の続く限り販売していく方向です。

ここ十年で、材木屋は二極分化しました。小さな所がより小さくなりました。小さくなった所には従業員がいません。跡継ぎもいなくなりました。私自身学んできたものはもう時代遅れです。時代に遅れたからと言って間違ったものでもありませんし、時代に遅れた人たちの方が、確かな仕事は出来ます。ただ食っていけない。

話がそれてしまいましたが、戻すと私が経験してきたこの40年のうち、ここ二十年で大手のハウスメーカーが小さな仕事まで確保するようになって、建築業界自体を再編成したところに始まりがあって、それを行政が後押しするといった構図がありました。ここ5年くらいを見るとこの流れはほぼ完成されてきたように思います。住宅用資材・製品を作り続ける所は、売れなければ話になりませんので、安定的に買っていただけるところを優先します。年間計画が基本になりました。これの凄いところは現在のように消費税の駆け込み需要によって資材が品薄になっても「安定供給される」という所です。

今木材の業界は、品薄状態が続いています。2月いっぱいは解消されないでしょうが、3月半ば以降、4月になれば品物もだぶついてきます。そして消費増税後の需要は、やはり落ち込むのでしょう。落ち込まないように政府も「すまい給付金」なども予算に計上してみますが、どうなるでしょうか。

木材利用ポイント制度も半年の延長がすでに決まっていますが、これに加えて、米国産構造材も利用すれば、木材ポイントを使えることが決まっており、これによりポイント利用は格段と増えると思いますが、これは本来的なものではありません。

木材利用ポイントを獲得するための初めの要件が現状に合わないものだったからだと思います。今朝の日刊木材新聞によると平成11年に供給した住宅の平均延べ床面積は約120平米。主要構造材の総材積は16.15立方。この場合管柱、間柱、土台すべてに対象地域材を使っても6,5立方。合板を加えないと基準の7立方を満たすことが出来ない。それを米国産米松を加えることによって(これが平均5,49立方あるので)、管柱、間柱、国産基材の合板のどれかを用いれば、基準をクリアーします。役人の発想とはいえ、これで木材利用ポイントは利用者が今までよりかは増える事でしょう。それでも予算は消化しきれないくらいあるそうなので、たぶん次の手を作り出してくるのだと思います。横架梁材に国産の松を使っていたのは、もう30年も前のことになります。よほど特殊な仕事でないと国産材で梁材を使うことは無くなりました。


2014/01/18(土) 晴れ


[ 最近はまっていること ]
最近はまっている事


箱根の新年会でカラオケを歌おうとしたら、声が出ないことに気が付きました。もう一年も声を出して歌を歌っていなかったら、音域も狭くなり、声も出なくなりました。

そんなことがあり、この所You Tubeを使って歌を聞いています。その大半が戦後から40年代までの歌。私で云うと生まれたころから二十歳ぐらいまでに聞いた歌です。このあたりなら大抵歌えるし、今のように難しくないので、聞いたり部屋で歌ったりしています。

さて、どんな歌を聞いているかといえば、一人は田端義夫。昨年亡くなりましたが、「かえり船」「親子舟唄」などを手始めに三橋美智也や春日八郎を聞いています。「新選組のうた」「おんな船頭唄」「哀愁列車」「赤いランプの終列車」などです。

そうこうしていると同じ歌を違う歌手が歌う「聴き比べ」というものに出合いました。「カスバの女」「かえり船」「哀愁列車」「唐獅子牡丹」「網走番外地」と自分の好きなものへ移っていきます。江利チエミの唄う「唐獅子牡丹」もいいですよ。健さん大好き、が伝わります。

さて、少し声を出さないと、声が出なくなります。ラケットを振っていないとボールに当たらなくなるのと一緒です。




2014/01/17(金) 晴れ時々曇り


[ 沖縄2 ]
沖縄2



古宇利島
沖縄の真ん中あたり、東シナ海側にある島です。橋で本島と繋がっています。海がとてもきれいで、沖縄に来た気がしました。




万座毛
一万人が座れるというのでこの名がついたという「万座毛」



道の駅嘉手納
ここの屋上からは嘉手納基地を見ることが出来ます。見学した時には、飛行機もヘリコプターも飛んでいませんでした。


首里城公園
守礼の門です。首里城は広くて大きな所です。やはり昔からの中心部であることがわかります。


琉球舞踊も見ました。


国際通りにある「牧志」ではモノレールも通っています。那覇空港から首里まで、牧志はその中間にあります。



沖縄の住宅は?

沖縄の住宅はバスで走っている所を見る限りでは、街中で住んでいる方の住まいは、鉄筋造りの2階建て、屋上には高架水槽が設置されており、それも外から見えないように囲んでいました。この写真を2階建てに直していただければ、雰囲気が出ます。
街中では木造の住宅は見ませんでした。
また、材木店もバスの中から見た限りでは、3店舗確認しただけです。那覇のそれは10階建てのビルでした。一軒だけ一昔前の材木店のように木材を建てかけていたところがありましたが、そういう風景も少なくなったものだと感じました。
木造で建てた住まいがあまり見かけなかったことが意外といえば意外でした。沖縄では建築用の木材はあまり育たないのだと思います。大径木を見かけませんでした。
もっとのんびり歩かなくてはいけませんね。




2014/01/15(水) 曇り


[ 中野支部の新年会 ]
新東京木材中野支部の新年会ひらかれる



さる1月12日と13日の両日、箱根で新東京木材中野支部の新年会が開かれました。支部の中堅から大先輩まで12人が集まり、楽しいひと時を過ごしました。

年に一度にするのが勿体ないほど含蓄にあふれた諸先輩方のお話や支部の歴史。そして本部に対しても、その事業のやり方についても忌憚のない意見。そして個々人の本音など、親睦は深まる一方です。

それに加えて昨年から三味線の引ける若いお姉さんをお座敷に呼んで「座敷遊び」の真似事も経験させていただいております。なかなか楽しいものがあります。この和気藹々さが中野支部の特徴です。

さて、業界は、まだアベノミクスの恩恵を受けていないようです。私のこの業界に40年おりますが、良い時悪い時、それぞれ経験しています。バブル期の忙しさもその反動も経験しました。良いと思って始めたことが失敗し苦しむこともあります。それでも「チャレンジしたからこそ」の結果であって、挑戦しない人は失敗もしません。失敗しない代わりに人間としての深みを増やすこともできません。多少の失敗を恐れずに、仲間を信じて、進むことです。

問屋から小売店へ変化した人も、木材業界から建築に乗り出した人も行政が進める大きな枠組みの中に入るために途方もない苦労をしています。従来型の材木屋も顧客の減少でその存在を脅かされています。それでもこのやり方は悪いものではありません。私たちの仕事のやり方には、色々な知恵が詰まっています。そこを伝え残していきながら


今は社会全体の流れが、小さな経営に厳しい時代になっています。法整備の充実は一見素晴らしいように思えますが、あまり必要性のない所まで厳しくしてそれに合致しないものは篩にかけてきます。その結果我々は減少の一途です。その反面資源としても森林や木材は人間に害をなさないものとしてその活用が望まれています。材木屋は小さくなりながらも「木材の良さ」を知っています。これがこれからの地球に人類に必要なものであることを知っています。ここにこそ、材木屋の社会的精勤もあります。小さな禍福にとらわれず、良い顧客を探していこうと思います。

ともあれ、新年から楽しい時間を過ごしました。この楽しいということがどれだけ私たちの実際の力になるか、いや本当に大きな力になると思います。

役員さんには今年一年、また乗り切っていただきたいと思います。







今年9月で90歳になられる佐藤さまの「磯節」


2014/01/13(月) 晴れ


[ 沖縄へ行く ]
沖縄へ行く


退職していちばん変わったのは生活のリズムです。今回月曜日から金曜日まで沖縄へ行きました。ツアーですが、参加者は90名強。大半は私よりも年上のご夫婦。5日間も行くと、初めに行ったところの印象が薄く、どんな形のホテルだか思い出せなくなっています。今回のツアーは、沖縄本島だけを回るもので、しかも「ひめゆりの塔」は含まれていません。悲惨さが先に立ってみんな引いてしまうからだと後から聞きました。次回に回したいと思います。

北かから南までくまなく回るコースのうち、今回これを選んだのは、一番北の辺戸岬まで行くからです。それでは簡単に思い出に残った所を書いてみたいと思います。

まずは、1月7日勝連城跡


有名な美ら海水族館です。



続いて1月8日、辺戸岬。向かいには、与論島が見えました。



これが沖縄本島最北端にある自動販売機です。



恩納村のホテルのプライベートビーチ。この時には、水着で海に入った若い女の子もいました。写真を撮った後、直に雨が降り、やがて暴風雨になりました。全体として東シナ海側の海の色はきれいですね。

また行きたいと思いました。今度は4月か11月ですね。



2014/01/11(土) 晴れ


[ 先祖の供養を ]
先祖の供養を


もうそろそろ先祖の供養を考えなければならない。あたり前の事だが、若い時には考えもしなかった「自分の時間が限られている」ことに気がついて、後を託すには、その前に自分のなすべきことをしていかなければならないと感じています。それだけ時間に余裕が出来たとも言えるし、自分自身が年を取った証拠になるかもしれません。

昨日1月4日、妹の自宅で家族の新年会を開いていただきましたが、その際仏壇の中から出てきた幾枚かの写真を見せられました。そこには、私にとっての祖父母、曾祖父母、さらに父の妹である叔母の写真を見ることが出来ました。勿論、初めて見る写真ではありませんが、忘れていた写真でもあります。これらを見て、もうそろそろ先祖全員の供養をしておかないといけないと思いました。

特に叔母は私が生まれる前に、戦後の昭和23年6月24日に25歳くらいで亡くなっております。昭和26年生まれの私は顔を見たことはなく、写真でしか知りません。戦後すぐに食糧難の時期に、占領軍から物資を融通してもらい、家族を助けたことくらいしか、この叔母さんの話は知りません。さらにこの叔母さんの供養をした記憶もありません。今から15年位前に先祖の供養をしたときにもこの叔母さんの名前を挙げて供養しておりません。このことが私の心の中にずーっと残っていて、さらに言えば、私には、妹がもう一人いたということを聞いたことがあります。名前も残っていませんが、その子も合わせて一度正式な形で供養したいと思っています。そのようにして、一つ一つ気になっていることを解決していきたいと思っています。

私もそういう年齢になったということでしょうか。



曾祖父大野波蔵さん、も登さん夫妻。


曾祖父大野波蔵さん、も登さん夫妻。最晩年の時でしょうか。この波蔵さんは私が10歳の時に亡くなっています。数えで92歳。



祖父省三、きの夫妻。



叔母大野喜美子さん。



私の父喜平と母久江です。若いころの写真ですね。



2014/01/05(日) 曇り


[ 明けましておめでとうございます。 ]
明けましておめでとうございます。


本年もよろしくお願いいたします。

今年は元日に地元の神社へまずお参りをしました。夜中にもかかわらずたくさんの方が訪れていました。この日は暖かかったです。

二日には映画を見てから原宿にある東郷神社へお参り。十数年前に結婚式をあげてから三回目になりますが、約十年ぶりです。原宿が変わってしまったというか、新しいお店が増えているのに驚きました。そして私もすっかり「おのぼりさん」してきました。

3日は、テニスの初打ち。上手い方に振り回されて、足が疲れています。今日4日は整骨院へ行こうと思っています。

さて、今年の木材業界は?

まず再生可能な資源としての木材の利用は増えるでしょう。その意味では木材の時代が到来したということは言えると思います。

問題はそれを支える作り手が足りるかでしょう。林業・材木屋・大工など地道な努力する人間をどれだけ育てられるかでしょう。外国人労働者ももちろん必要でしょうが、基本は日本の人になります。それは短期間で育てられるものではなく、私にとってみれば、孫の世代へとつながる道を開かなければなりません。待遇改善を表に出していかなければ、ならないと思います。

そしてもっと大事になるのは、木を育てたり、使ったりすることが好きな人を育てることになります。

今年も自分の事だけではなく、良質な住宅に関する話もしていきたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。



原宿の竹下通りは人で一杯でした。たまにはこういう場所にも顔を出したいですね。



東郷神社です。


2014/01/04(土) 晴れ


( 2014/02 ← 2014/01 → 2013/12 )


[ 管理者:大野満生 ]


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