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時々更新mn日記

( 2014/01 ← 2013/12 → 2013/11 )


[ 一年の締めくくりに ]
一年の締めくくりに


今年も終了しようとしています。皆さんにとってこの一年はどのような一年でしたでしょうか。健康的で楽しい一年だったでしょうか。

私にとっては大きな変動の年になりました。

現在。朝起きるのは午前7時になりました。8時ごろから食事をして9時から10時くらいまで仕事をしています。仕事といっても片づけをしたり、書類を整理する程度になりました。7時からお客さんが見えて対応していた時とは比べ物にならないくらいゆっくりとした時間を過ごしています。

それからテニスのある日はその時間に合わせて、午前10時からであれば、9時半ごろから家を出ます。午後1時からであればその30分前に支度を終えています。週に3日、ないし4日夏以降はテニスが出来ました。それまでは本を読んでいたり、テレビを見ています。

家に戻ってくれば、まずアイシングをして風呂に入ります。これもかなり長風呂になりました。夕食は基本的に午後6時です。従って9時には床に就くことになります。特に夜に用事がない場合はこのパターンが増えました。

60代も3年目が終わろうとしています。仕事を整理し始めて感じることは、体力が思っていた以上に落ちていることです。ある程度の水準をキープすることは大変です。そして無理をし過ぎると、今度は疲れが溜まります。このあたりのバランスをとりながらうまく人生を演出していかなくてはなりません。このあたりは若い時と違う所です。

さて、私の祖父は77歳でこの世を閉じました。76歳の夏にスイカを2つ手に持って転びました。スイカは大丈夫でしたが、おでこを割り、救急車で運ばれました。毎日お酒を飲み過ぎていたので、うなされて暴れました。ベッドに括り付けられていました。アルコール中毒の症状が出てしまいました。3か月ばかりして一度退院しましたが、翌年肝臓が肥大して亡くなりました。直接の死因は心不全ですが、お酒は最後までやめられなかったとのことです。

祖母は、血圧が高く、お昼までは元気でしたが、夕方にはなくなりました。脳溢血でした。

母親は、64歳で癌にかかり、66歳で生涯を終えました。その昔、我が家に占い師が来た時に、母親には「恵まれた人生は送れるが、寿命は65歳」と言われたことがありましたが、その通りになってしまいました。

父親は母が亡くなってから10年生きましたが、母が亡くなった直後から軽い脳梗塞にかかることが多く、救急車のお世話になることが数多くありました。10回くらいでしょうか。東京医大へ行ってその場で返される場合もあれば、朝まで点滴ないし、他の病院へ連れて行かれることもしばしばでした。亡くなる2年前には、軽い心筋梗塞を起こし、その時は医者からあと1週間、と言われて慌てましたが、薬が効いて、何とか持ち直しました。その時医者に言われたのは、生活のレベルがだんだんと落ちて、あと2年くらいの寿命だといわれました。結局、ほぼその通りになりました。

私もこの4つの遺伝子は確実に持っていますので、気を付けています。父は水を飲まなかったので、私は十分にとります。祖父はお酒をたくさん飲んだので、私は適量にとどめています。身体を動かし、頭も適当に使って、のんびり生きています。が、母と同じように膝が痛くなってきたので、体重を減らすことを心掛けています。体型もAB4が入るくらいまでが目標です。

さて、今年も終了です。来年からは断捨離の開始です。仕事も趣味も持ち物も来ているものも少しずつ整理を始めます。

そして目下の楽しみは、菜乃羽ちゃんと彩愛ちゃん顔を見ることです。来年も何回会えるかはわかりませんが、会った時には、遊んでもらうつもりです。あと2年くらいは向うも嫌がらないでしょう。そう期待しています。

今日は大みそか。玄関を片付けていたら、ほんのり青森ヒバの香りがしています。現在の家に引っ越してきたときに手作りで作った腰掛けの足を青森ヒバで作りましたが、その木の香りがいまだにします。雨の降る日は強く、寒い日はほんのり。この住まいを作ってからも早10年。木の持つ力はいまだに根強いです。そういう自然に囲まれて生活することが人間にとっては最高なのだということを伝えていかなければなりません。ほんの些細なところにでも木を使うことは、生活に潤いを与えます。

玄関には花もいけました。明日からは正月の到来です。2014年もよろしく。





2013/12/31(火) 晴れ


[ テニスも終了 ]
テニスも終了


12月28日をもって、今年のテニスは終了しました。思えば、8月からは週に3回ほど出来たので、かなり上達したのではないかと思っていますが、28日の練習では、上は抜かれる、横は取れないなど弱いところを見せてしまいました。これを反省して来年につなげたいと思います。

さて、29日には、恒例の早稲田にある穴八幡へ「一陽来福」を受けに行ってきました。二十年くらい前までは一時間待ちは当たり前だったのですが、最近はすぐに受けることが出来ます。

その帰り、早稲田車庫まで歩いて、新宿駅西口行きのバスに乗ってみました。これに乗るのは40数年ぶりでした。逆に新宿駅から早稲田行きに乗ったのは、いつだったでしょうか。記憶の残っているのは、1968年10月22日の朝、新宿駅が騒乱のためにJRが動かなくなった時にこのバスに乗りました。そういう時代を生きてきました。

今年も残す所二日半。皆さんの今年の一年はいかがでしたか。木材の業界は、消費税の料率上げに対する「駆け込み」とその結果としての国産材の不足と値上げ、またアベノミクスによる林野庁の予算が増えた結果として「木材利用ポイントの導入」による後押しなど、リーマンショック後としては一番の伸びを示せた年になりました。

しかしながら、量的に増えてもその取り分は大きな所が大多数を取り、小さなところへはなかなか分け前をいただけないという相変わらずの結果でした。この傾向は強まるばかりです。その結果、小さなところが生き残るのは一層難しくなったと思います。「隙間隙間」を追うしかなくなったと思います。それは私のような小さなところでは、その傾向以外に感じられなくなっています。それしか無くなっています。

今年は大型倒産が少なかったといいます。が、より身近なところ、より零細なところでは、淘汰される傾向が強まったと感じています。材木の業界も小経営が成り立たなくなったと思います。工務店はどんどんつぶれています。私たちの客さんはますます細っていると思います。アベノミクスは来年4月くらいで崩壊するのではないでしょうか。

もうじき、あまり期待できない来年が始まります。が、そうならないように孫子に禍根を残さないように「年寄り仕事」を来年はしていきたいと思います。ではあ、皆さん良いお年を。


穴八幡は例年よりも混んでいました。



わが母校早稲田中学・高校です。建物は昔とすっかり変わっていますが、母校は懐かしいところです。
2013/12/29(日) 晴れ


[ この所 ]
この所


この所、月、日、水と連続して昼間にテニスをしています。それだけ仕事も無くなりました。昼過ぎに家に帰ってきて、膝をアイシングして、それから風呂に入ります。若い時は、烏の行水でしたが、今はゆっくり浸かります。肩、腕、腰、膝と痛いところが増えてきました。それを直すためにもゆっくり浸かります。野沢温泉の猿の気持ちになって湯船でのんびりしています。

テニスをこうも続けていると少しはうまくなったかと思いますが、自分の中では、行ったり来たりです。うまくなったという気持ちとまだほんとに下手だな、というのが混じり合っています。

今日の昼間にスクールで一時間半ほどテニスをしましたが、ミスが目立ちました。初めて相手にする人ばかりということもあり、警戒しながら、打っていましたが、肝心なところでネット。空振りもありました。

それでも今年の春から比べれば、かなりうまくなっています。平均してテニスをしてくることが出来ました。継続は力なり、これは本当です。ゆっくりですが、らせんを描きながら少しずつ成長しています。もう少し集中してテニスが出来ればもっとうまくなると思いますが、最近では、疲れてしまう方が先に立つので、年齢に応じてほどほどに、を心掛けています。若い時のように急速な伸びは期待できません。

さて、今日はクリスマス。すでに4日続けてケーキを食べています。今日が誕生日の友人も孫に囲まれてクリスマスでしょう。60代半ばは充実しています。


2013/12/25(水) 晴れ


[ テニスウェアーのバーゲンに行ってきました。 ]
テニスウェアーのバーゲンに行ってきました。



12月19日には、築地までテニスウェアーのバーゲンに行ってきました。それが終了して少し遅めのお昼ご飯を頂くことにしました。築地といえば、当然のごとく寿司屋を選択しました。場外市場なら近いので、そこで黒瀬三郎鮮魚店という所で海鮮丼をいただきましたが、結果的にははずれでした。値段と量と美味しさがミスマッチでした。

食べ終わってから、途中でチラシをいただいた寿司屋なども覗いてみましたが、あまり大したことはないように思えました。こうなると大手の「すしざんまい」の方が当たりはずれがないかな、と思いましたが、後の祭り。大きなところでないと大量仕入れが出来ないから、満足できるものが提供できないのかと思いました。小さなところはもっと個性的に対応するしか無くなってきたのでしょうか。もう少しこの街を調べて、自分の足で見聞きしてみたいと思うようになりました。立ち食いの所などへも足を運びたいと思います。

さて、夕方には、今回お金を借りた群馬銀行の支店長さんが年末のご挨拶に見えました。立川支店の方になります。その方のお話によると、現在立川駅は、新宿駅に続いて乗降客数が多い所だそうで、立川駅周辺も開発がなされているそうです。北口のゴルフ練習場の所には「イケヤ」が出来るそうです。さらにはヤマダ電機の進出もあるとのことです。

ヤマダ電機といえば、群馬県の会社です。エスバイエルやハウステックなども傘下に収め、別にヤマダ・ウッドハウスという建築会社も持っています。これをさらに広げるために不動産ネットワーク「ヤマダ・エステートパートナーズ」の構築し、不動産事業も始めるようです。土地情報を手に入れて、やや高級な住宅はエスバイエルが、今少し経済的な住宅はヤマダ・ウッドハウスが担当するという棲み分けも考えているようです。住宅事業の業容を拡大していくと、日刊木材新聞は伝えています。

2013/12/20(金) 雨


[ 今年の重大ニュース ]
今年の重大ニュース


我が家の今年の重大ニュースに間違いなく入るのは、「メゾンみのりU」を建てたことでしょう。

大東建託にお願いして建てたこの建物は無事完成いたしました。はじめにこの建物の計画をしていただいた玉井課長(当時)はその年の暮れ(昨年12月)に転勤となりました。それからお会いしていませんでしたが、完成祝いをいただきました。その返礼をした所、お手紙をいただきました。

そこには、契約をいただきありがとうございました、という言葉とともに、そのことによって今までと同じ生活が出来なくなるという現実もある、と書かれていました。

安定した生活とともに訪れるのは、それを活用して前に進む人と、それがストレスとなって病気になる人の大きく分けて二つに分かれることを実感として見てきている人の玉井さんの感想でした。つまり、私の生活環境の変化による病気を心配していただきました。

その通りだと思っています。

今私は、自由を手に入れたかに思えますが、それは同時に「何もしない自由」でもありあます。最低限の生活を考えるならば、生活は成り立つかもしれませんが、そこから上を目指すとなると、次の道を開かなくてはなりません。現在模索中です。同じ形では食べていけません。そこがネックです。

ともあれ、大東建託にお願いした建物は完成しました。地鎮祭を済ませた所で、支店長と設計課長が転勤となり、玉井課長を含めて担当責任者が誰もいないという事態でしたが、それも乗り切り、完成しました。大東建託はその感想としては、「人はいいのですが、仕事が専門的か」と聞かれれば、イエスと言い難いものがあります。受託した仕事を完成まで、その人が責任を持って終了するという体制が出来ていません。

さらに言えば、うまく出来なかった所が、何か所か、ありました。特に階段の所は三回やり直しをしてもらいました。このあたりは、仕事に対して、協力業者に「三社見積もらせて、一番安いところに受注する」というシステムだけでは、うまくいかないことを示しています。

お客様は安いところではなく、「うまい」所を望んでいます。

このあたりは大東建託の「お客様アンケート」でも書かせていただきました。ともあれ完成して、落ち着き始めた所です。




2013/12/19(木) 曇り時々雨


[ 木材利用ポイント来年9月まで延長 ]
木材利用ポイント来年の9月まで延長


今日の木材新聞には、「木材利用ポイントの半年間の延長」という話が載っていました。林野庁の13年度補正予算が増えたことで、来年の消費増税の反動減を最小限にとどめようとする政策の一つです。

ここの所、毎日のように哲学堂テニス場まで自転車で通っていますが、目につくのは一つは古い家屋が解体されて、新しい住まいが数多く建てられていることです。

それと今一つは、道路工事や電線の工事がやたらと多いことです。

前者についていえば、住宅の着工戸数は多いのだという、実感を私も持っています。

最近の住宅はまず外装がきれいです。サイディングなどもきちっと貼られています。精度という点では上がっていると思います。それは設計の段階から完成されるまで図面で管理できるようになってきたからだと思います。そのため、これからは「資材の情報」なども管理されて、ますます計画生産になります。材料は木材は集成材になり、建材は部材化されたものを使うようになります。

我々木材業者はますます小さなところに追いやられます。細かいところばかり請け負うようになります。そのため、資材の業者は数が減り、やや規模が大きなところが残ることになります。それでも我々の武器は木材です。この天然素材を活かす、使う所からでしか社会的責任は果たせません。

私自身自宅に木材を使って、壁でも天井でも、あるいは床でもベニヤやクロスでは味わえない「恵み」を得ています。この面倒くさい、手間のかかる素材を使いこなさないといけません。木材はいいものですから・・・




2013/12/18(水) 曇り時々雨


[ 昔の友人に会いたくなった ]
昔の友人に会いたくなった


昨日、12月16日、今一緒にテニスを行っている人と話をしていたら、急に昔の友人と会いたくなりました。それも、もうほとんど会うことのできない方との再会が浮かんできました。

私の友人関係でその関係が切れてしまった方々がいくつかあります。もちろん賀状の交換をしている方も有れば、全く消息の分からない方までいます。小学校や大学時代の方とは今でもつながりがありますが、高校時代のサークル仲間や大学を卒業してからの友人とは会うことがありません。その所を解決すれば、私の人生は完結します。

高校時代のサークル仲間とは高校の2年生からつながりが出来ました。その当時の名簿には必ずその三人の名前が書かれてありました。そのうちの一人山崎正一郎君が、二十歳の時に八ヶ岳登山で滑落死してから、段々と離れてしまいました。就職が決まってそれぞれの道を歩むようになるとその傾向は一段と強くなりました。一人は池袋から町田市へ、さらに今では、金沢にいます。今一人は、札幌へ。そして東京へ戻ってきたときに一度会いました。

その二人とも数年前に校友会を通じて、共通の友人から住所を教えていただけたので、賀状の交換をしています。共通の友人も手元に有った住所を教えてよいか、訪ねてから、私に住所を知らせてくれたので、感謝しています。

面倒な時代になりましたが、それくらいはしないと個人の情報は守れないのでしょう。

今一つ、いや二つは、大学を卒業してからできた友人たちです。一つは早稲田大学の日本史研究会のメンバーです。そのサークルは二年後に無くなってしまいました。そこにしばらくいた時の友人たちです。全く疎遠です。

今一つもやはり早稲田大学関係です。法学部に在籍した人たちとも共通の友人を介して3、4年繋がりがありました。3年下の回生でしたので、彼らも卒業と共に各地に散って行きました。

その頃の友人たちが今どうしているのか、私自身ヒマになったので、会ってみたくなりました。そういう夢を見るようになりました。


2013/12/17(火) 晴れ


[ 八重の桜が終わりました。 ]
八重の桜が終了しました。


NHKの大河ドラマ、「八重の桜」が終了しました。同志社大学卒業組としては、欠かさずとは言いませんが、かなり見ました。校祖新島襄はあまり出てきませんでしたが、奥さんである新島八重さんの生涯を描きながら、1850年から1900年代までを描いていました。

11月6日に同志社の校内を訪ねた時に、正門の所に新島襄の石碑がありますが、その言葉を見てきました。

良心の全身に充満したる丈夫の起こり来たらんことを、と書かれてありました。

新島襄は、キリスト教の宣教師でしたので、キリスト教主義に基づく教育方針を同志社の基本方針として実践してきたのだと思いますが、キリスト教者ではない私から見ても、「良心」は大事だと思います。テレビで猪瀬都知事の顔色などを窺っていても、良心らしきものは感じられません。それを追及する方も解散が怖いように思われます。

さて、平均視聴率も前年の「平清盛」よりは良かったみたいですが、あまり高くなかったといいます。有名人ではないので、仕方ないかと思いますが、名の知られていない人を発掘していくのはこれからもいいと思います。来年の黒田官兵衛にも期待を寄せたいところです。

同志社はこの一年「八重の桜」で潤いました。同志社関係者は次の手も考えてほしいです。



2013/12/15(日) 晴れ


[ 新東京木材「鮭」の市 ]
新東京木材「鮭」の市


さる12月13日には、新東京木材商業協同組合池袋市場において、昭和会の記念市が開かれました。この市は別名「鮭の市」で、記念品として鮭が出るので人集めにはうってつけです。

市場も組合も市日に人を集めるのが大変な時代になりました。私も材木を買うだけならば、電話でもよいかと思っていましたが、人と人が顔を合わせて触れ合うことや情報を交換することの大切さも感じる年になりました。考えてみると特定の方以外に同業者が顔を合わせる機会がかなり減っていることに気が付きました。この日、クボデラ(有)の窪寺伸浩社長と顔を合わせましたが、よく考えてみると半年振りかと思います。今から二十年ほど前に「いやというほど、顔を合わせた結果」現在があるので、今は特段話をしなくても、大まかなことはわかるし、もっと詳しい話はフェイスブック上で情報を得ているので、元気な姿を確認するだけで良いと思うこともあります。

この日は大勢の買方さんが見えました。材料の値上がりと欠品という、忙しくなるといつも起こる現象は解決しませんが、それなりに仲間内で融通しあいながら行くのが良いのでしょう。それこそが協同組合です。




2013/12/14(土) 晴れ


[ 寒くなりました ]
寒くなりました


風が冷たくなりました。
自転車で新宿まで行きましたが、自転車を置いておく所がわからず路上に置きました。今までなら、地下鉄を使うことがほとんどだったのですが、アシスト自転車なので、このあたりまでは自転車が普通になりました。

新宿は人が多いですね。人が多いところには商売が成立します。食べ物屋さんだけを取ってみても様々なものがあります。中野新橋と比べても比べ物になりません。新宿から青梅街道を戻ってきましたが、昼時と重なり、どこもひと人でした。

自転車で新宿までは15分くらいですが、別の都市に来ている感覚です。

わが街に帰ってきて、外食しようと思うのですが、いつも同じところになりました。この十数年を考えてもいつも行くところは段々なくなり、新規に開店するところも数が少ないので、結果的に行くところが減り続けています。さらにそこで食べるものも同じものになりました。それでよいのかとも思いますが、「昔はもっとお店があった」「おいしいものがあった」と思ってしまします。年を取ると、昔が懐かしくなります。「昔はよかった」といことでしょうか。小規模経営の衰退を見てきたこの50年だったかと思います。

年寄りの生活スタイルに慣れてきたこの頃です。


2013/12/13(金) 晴れ


[ 健康法 ]
健康法


退職した友人の健康法の一つにラジオ体操第一を二回、朝起きたら行うというのがあります。わずか10分足らずの作業ですが、これを一生懸命行うと汗をかいて、血の巡りも良くなり、一日の始まりを告げてくれるというのです。

私も彼にならって、健康を維持したいと思って、朝起きたら、窓を開けて外の空気を胸いっぱい吸います。そしてストレッチ。足と手の筋を伸ばします。さあ一日の始まりです。

一昨日は、小学校のクラスの忘年会でした。夜中に帰ってきて、朝起きたら、9時40分。昼間のテニスも聞いて、疲れ果てていました。何とか起きましたが、何かをするという気も起こらなかったので、昼過ぎから散歩に出ることにしました。

午後一時前に自宅を出発して中野坂上を目指します。神田川沿いの道を通り山手通りに出る一本手前を左折し、すぐに右折して山手通りに出ました。この道は初めて通る道です。わずか一本入った道ですが、静かです。

そこから山手通りを北へ上り、東中野の氷川神社へお参りしてきました。丁度亀田材木店の向かい側になります。ここへも始めてきました。境内は銀杏の落葉で黄色く染まっていました。今日から気温が5度ほど下がった関係で冬を感じる陽気です。ここまで40分ほど歩いてやっと毛袋が取れました。身体も暖かくなってきました。氷川神社はご祭神がスサノオノミコトをはじめ、クシ稲田姫、オオナムチの命とアマテラスはあとから祭られてくることが重要です。

さて、おなかも空いてきたので東中野駅近くのレストランにいき、東中野の駅ビルである「アトレ」で買い物をして帰りました。その帰り道に亀田材木店の前を通りかかると金沢さんが、いるではありませんか。少し立ち話をしてここを後にしました。4時間ほど歩いたので、かなりおなかもすきましたが、今日からは減量も視野に入れて過ごすことになりました。

健康でいる事が一番お金がかからないので、歩いたり、身体を動かすことを忘れないように過ごしていきたいと思っています。ちなみに今日も明日も4時間ほどテニスの予定が入っています。

2013/12/09(月) 曇り


[ 今年も忘年会です。 ]
今年も忘年会


小学校のクラスの忘年会が今年も開かれました。今年は、毎週金曜日に自身のアトリエを「居酒屋」として商売を始めたIちゃんとKちゃんのお店で忘年会としました。杉並の久我山木材の横にあります。

このように、62歳を迎えたクラスのみんなもここへきて状況は少しずつ変わってきました。お店を出した2人だけでなく、退職した私や逆に会社社長に就任したN君、福島の原発から戻ってきたO君、など11人が顔をそろえました。仕事の関係で来られなかったA君や、お母さんを亡くされたばかりのT君は欠席でした。

午後6時過ぎから初めて12時を回ってしまいました。ワイワイガヤガヤ。よくしゃべって、かなり疲れましたが、同時に元気にもなります。

まだ現役の人は気が張っているせいか若く、仕事を終えた人はすっきりしていたように思います。そして女性群は相変わらず強いです。パワーがあります。






2013/12/08(日) 晴れ


[ 十四日会忘年会 ]
十四日会忘年会


十四日会の忘年会が西新宿にある居酒屋「ふらっと」で開かれました。幹事役の川堰さんのご紹介でこのお店で開催されたものです。15名の参加でした。おいしいお料理とお酒で、かなり予算をオーバーしたようですが、かなり食べさせていただいた気がします。

また久しぶりに新宿に出たので小田急百貨店やその10階にある紀伊國屋書店。あるいは西武新宿駅の上にある100円ショップやユニクロ。さらにテニス用品のウインザーなどへも足を延ばしてみました。

十四日会も若い方が元気なので頼もしい限りです。


2013/12/06(金) 晴れ


[ 小室山へ ]
小室山へ


伊豆の伊東に大室山があります。ここは有名ですが、その南の川奈には小室山があります。ここへ行きました。ここからは富士山も見えますし、天気が良ければ、伊豆大島や新島など伊豆の諸島を見ることが出来ます。

あまり有名なところではありませんが、周り四方が見える小高い山です。









眼下にはゴルフ場が3つほど目に留まりました。平日なのでプレーしている人の数もちらほらでした。




2013/12/05(木) 晴れ


[ 大雄山から小田原城へ ]
大雄山から小田原城へ


12月2日と3日、二人の予定に空きが出来たので、温泉旅行に行ってきました。初めは伊香保あたりと思っていましたが、今一歩気分が乗らなかったので、伊豆の伊東温泉にしました。

その手始めが大雄山です。箱根と大山に挟まれたこの場所には行ったことがありません。

大井松田で東名高速を降りて、どこまでも真っ直ぐに行って着きます。想像していたよりも大きなお寺でした。大雄山最乗寺といいます。紅葉も銀杏もまだ残っていてそれなりの秋でした。

奥の院まで階段を上って来ました。下からだと400段はあるそうです。途中でリタイアしたくなりましたが、二回目に来ることはないだろうと頑張りました。






日を浴びた紅葉が光っていました。


本堂へ続く階段です。この後、奥の院へ続く階段も登りました。勾配はもっときつかったです。


大きな下駄の前で一枚。

ここと後にした後、小田原城へと向かいました。小田原は近くて遠い街。行く売り散策したことなどありません。とにかく小田原城の天守閣までこちらも階段を上りました。





2013/12/04(水) 晴れ


[ 東京だよ おっかさん ]
東京だよ おっかさん



島倉千代子の代表作の一つに「東京だよ おっかさん」があります。この歌を聞くといつも思い出すことがあります。

それは母親の姉と妹が東京見物に来て「はとバス」に乗り、二重橋で記念写真を撮った思い出です。

その伯母は、通称「シタテヤ」の伯母さんで、今逆算すると当時40歳くらいでしょうか。7歳くらいの私にはかなり年の伯母さんに見えました。その伯母さんと二重橋を歩いた思い出がよみがえります。

「久しぶりに手を引いて 親子で歩ける うれしさに」

「あれが二重橋 記念の写真を撮りましょうか」

実際にそうしたとは言い切れませんが、そういう雰囲気が自分の思い出と重なってこの歌を聞くと、しあってやの伯母を思いまだします。伊東たみこさんといいます。

この伯母とは、富士宮の上野の家から、北山の家まで行きは歩いて一山超え、帰りはバスで戻ってきたこともあります。私が小学校3年生くらいの時だったと思います。夏なのか、正月なのかはわかりませんが、幼いころは母親の実家やその親戚にお世話になっていました。

ひとつの歌を聞くとそういう思い出が蘇ります。歌をうたった島倉さんも亡くなりましたね。

2013/12/03(火) 晴れ


[ 10月の新設住宅着工工数は ]
10月の新設住宅着工は


10月の新設住宅着工数は、9万戸を超え、月間着工戸数としては、2008年10月以来の9万戸超えとなりました。年率換算値は100万戸台を維持しており、好調といってよい、と日刊木材新聞は報じています。

このためもあり、杉や桧も丸太が高騰していることが報じられています。品物は少なくなり、製品価格も上昇しています。ふた昔前ならパニックでしょうが、今は代替品へと流れていきます。

新設住宅のうち、伝統工法によるものも大半は「プレカット工場」で生産されるものになりました。工場はラインを止めるわけにはいきませんので、作り続けます。作り続けることによって、単価は維持され、あるいは安くすることが出来ます。安定した需要をこなすことによってしか、安定や発展は望めません。考えて見れば大変なことです。余裕がないのです。今は好調と言えると思いますが、来年の4月以降、どれくらいの反動が来るのか、そのあたりも頭にいれながら仕事をこなしていかないとなりません。

なかなか平均的に伸びていかないこの業界です。もっと計画的に仕事をしたいものです。



2013/12/01(日) 晴れ


( 2014/01 ← 2013/12 → 2013/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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