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一年の締めくくりに
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一年の締めくくりに
今年も終了しようとしています。皆さんにとってこの一年はどのような一年でしたでしょうか。健康的で楽しい一年だったでしょうか。
私にとっては大きな変動の年になりました。
現在。朝起きるのは午前7時になりました。8時ごろから食事をして9時から10時くらいまで仕事をしています。仕事といっても片づけをしたり、書類を整理する程度になりました。7時からお客さんが見えて対応していた時とは比べ物にならないくらいゆっくりとした時間を過ごしています。
それからテニスのある日はその時間に合わせて、午前10時からであれば、9時半ごろから家を出ます。午後1時からであればその30分前に支度を終えています。週に3日、ないし4日夏以降はテニスが出来ました。それまでは本を読んでいたり、テレビを見ています。
家に戻ってくれば、まずアイシングをして風呂に入ります。これもかなり長風呂になりました。夕食は基本的に午後6時です。従って9時には床に就くことになります。特に夜に用事がない場合はこのパターンが増えました。
60代も3年目が終わろうとしています。仕事を整理し始めて感じることは、体力が思っていた以上に落ちていることです。ある程度の水準をキープすることは大変です。そして無理をし過ぎると、今度は疲れが溜まります。このあたりのバランスをとりながらうまく人生を演出していかなくてはなりません。このあたりは若い時と違う所です。
さて、私の祖父は77歳でこの世を閉じました。76歳の夏にスイカを2つ手に持って転びました。スイカは大丈夫でしたが、おでこを割り、救急車で運ばれました。毎日お酒を飲み過ぎていたので、うなされて暴れました。ベッドに括り付けられていました。アルコール中毒の症状が出てしまいました。3か月ばかりして一度退院しましたが、翌年肝臓が肥大して亡くなりました。直接の死因は心不全ですが、お酒は最後までやめられなかったとのことです。
祖母は、血圧が高く、お昼までは元気でしたが、夕方にはなくなりました。脳溢血でした。
母親は、64歳で癌にかかり、66歳で生涯を終えました。その昔、我が家に占い師が来た時に、母親には「恵まれた人生は送れるが、寿命は65歳」と言われたことがありましたが、その通りになってしまいました。
父親は母が亡くなってから10年生きましたが、母が亡くなった直後から軽い脳梗塞にかかることが多く、救急車のお世話になることが数多くありました。10回くらいでしょうか。東京医大へ行ってその場で返される場合もあれば、朝まで点滴ないし、他の病院へ連れて行かれることもしばしばでした。亡くなる2年前には、軽い心筋梗塞を起こし、その時は医者からあと1週間、と言われて慌てましたが、薬が効いて、何とか持ち直しました。その時医者に言われたのは、生活のレベルがだんだんと落ちて、あと2年くらいの寿命だといわれました。結局、ほぼその通りになりました。
私もこの4つの遺伝子は確実に持っていますので、気を付けています。父は水を飲まなかったので、私は十分にとります。祖父はお酒をたくさん飲んだので、私は適量にとどめています。身体を動かし、頭も適当に使って、のんびり生きています。が、母と同じように膝が痛くなってきたので、体重を減らすことを心掛けています。体型もAB4が入るくらいまでが目標です。
さて、今年も終了です。来年からは断捨離の開始です。仕事も趣味も持ち物も来ているものも少しずつ整理を始めます。
そして目下の楽しみは、菜乃羽ちゃんと彩愛ちゃん顔を見ることです。来年も何回会えるかはわかりませんが、会った時には、遊んでもらうつもりです。あと2年くらいは向うも嫌がらないでしょう。そう期待しています。
今日は大みそか。玄関を片付けていたら、ほんのり青森ヒバの香りがしています。現在の家に引っ越してきたときに手作りで作った腰掛けの足を青森ヒバで作りましたが、その木の香りがいまだにします。雨の降る日は強く、寒い日はほんのり。この住まいを作ってからも早10年。木の持つ力はいまだに根強いです。そういう自然に囲まれて生活することが人間にとっては最高なのだということを伝えていかなければなりません。ほんの些細なところにでも木を使うことは、生活に潤いを与えます。
玄関には花もいけました。明日からは正月の到来です。2014年もよろしく。

2013/12/31(火)
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