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時々更新mn日記

( 2013/12 ← 2013/11 → 2013/10 )


[ 忘れていたこと ]
忘れたこと


家内から、使わなくなった換気扇フードを鳥などが入らないように「何か蓋をして」といわれていたのをすっかり忘れていました。
「何か忘れているでしょ」
と言われましたが、思い出せません。
ごみは捨てたし、高圧洗浄機は3Fの玄関の所まで持ってきたし、などと考えをめぐらせていましたが、全く思い出せません。

「換気扇の・・・」と言われて「あっ、そうだ」と思い出して見に行きましたが、すでに蓋がされていました。

彼女は有りあわせのビニールでものが入らないように留めてありました。

遅かりしですが、私なら、材木かベニヤを使っただろうと思います。というか、それしか言われた当時思いつきませんでした。発想が貧困と言われればその通りですが、そういうものを使うものだと、身にしみついています。見についたものはなかなか直せません。良くも悪くもそれを活用していくしかないのと、ひとは違う発想をするのだということを認めていかねばなりません。

それにしても物忘れがひどくなっています。今は日記をつけることと、手帳に予定を書き込んで、その日に朝に確認するようにしています。




2013/11/30(土) 晴れ


[ 喪中葉書がいっぱい ]
喪中葉書が一杯



11月も終盤になり、今年の終わりも見えてきました。そこで毎日届くのが、喪中葉書です。今年は特に多くなりました。その大半は、「親が亡くなった」というものです。まだ親なので、多少「仕方ない」という気はします。それと同時に自分自身も年を取ったのだということを知らされます。

私も今は、一年まえには想像していなかった生活をしていますが、このままいけるのか、まだ不安です。今はなるべく動いて体を鍛えていこうと思っています。寝込まないように・・・




2013/11/28(木) 晴れ


[ 自転車のライトがつかなくなりました ]
自転車のライトが点かなくなりました。



テニスの帰り道、夕方の五時を回った所です。すでに暗くなっていました。自転車を走らせていたら、前に居たおじさんから、「無灯火だ」といわれてしまい、あわてて前を見たら、自転車のライトが点かなくなっていました。

自宅近くの自転車屋さんに持っていきました。そこで買ったわけではありませんが、見ていただきました。

最近の自転車のライトも昔のように一つの部品を変えるだけで直るとは限りません。ライトに関するところを分解して、まずはヒューズを変えてみました。それでもつきません。これは全取り替えするようかなと、考えていたら、「あっ、ここだ」と自転車屋さんのおじさんが気付きました。

ライトの線が緩んでいて、タイヤと当り、摩擦を受けて線が切れていたのです。

原因が分かったので、すぐに直していただきました。これなどは初めに買ったところがきちんとした形で納車してくれていたら、防げたことだと思います。いい経験をしました。


2013/11/23(土) 晴れ


[ 散歩 ]
散歩



11月22日、午前中に電話が鳴らないので、昼ご飯を済ませると昼寝をしていました。一時前に起きると、こんなに良い天気なので、「散歩しよう」と思い立ちました。

上野の国立博物館で「京都洛中洛外図」の特別展に、以前から行きたいと思っていたので、行くことにしました。上野へは久しぶりです。

「平成館」で開かれている特別展には、予想を超えた人がいました。あまりの人の多さに辟易してしまいました。ノンビリ鑑賞できるかと思っていた私がバカでした。あまりゆっくりすることもなく、見終わって、ここを後にしました。

外は日差しが暖かく小春日和の言葉がぴったりです。博物館の前の大広場では「佐賀・長崎の物産展」が開かれていました。有明海の海苔や長崎のカステラなどを販売していました。人の集まるところに来れば「それなりに売れていく」ようです。

のんびりと歩いて、上野駅まで来てみると、今度は「長野県の物産展」が駅構内で開かれているではありませんか。「信州のおもてなし隊」も来ていて盛況でした。

人ごみに来たついでに、東京駅へと向かい、「エキナカ」も歩いてきました。お土産品から食べるものまでいろいろなものがあります。11月4日に京都まで行くときにお弁当を買った場所もわかりました。その時は見つけた所で買っただけでしたが、ゆっくり歩いてみると、いろいろなお店が並んでいることもわかります。「東京の一人勝ち」を再確認しました。地方は伸び代が少ないのはあたり前に映りました。私も東京にいるので、「何とか生きてこられたのだな」改めて思いました。

帰りに新宿へ寄り、バスを使って弥生町3丁目から川島通りを経て今日の散歩は終了しました。川島通りは人が少なくて寂しいです。上野や東京の十分の一くらいの人でもいいから、川島に来てくれないかな、とふと思いました。わが街は東京の中でもすっかり田舎です。



国立博物館にある「ユリノキ」の落葉が始まっていました。



上野駅構内では「信州おもてなし隊」が活躍していました。



2013/11/22(金) 晴れ


[ 変わってゆく ]
変わっていく


この所我が家の周りが急に変化しています。

第一に、自宅前の方がお亡くなりになりました。三軒隣の方も二か月前に亡くなり、先日、ご子息の方が、中にあるものを処分していました。同じく南に三軒隣のお宅は、今にも壊れそうなお宅で、屋根のトタン板は一部が飛んでめくれていました。昨年の今頃から、いつ壊れるのだろうかと思っていましたが、先日業者が来て解体していきました。

ここへきてどんどん変わってゆきます。

店主が年を取った所は、閉店し、次の代の若い方がその後にお店を出しました。当たり前ですが、変化が目立つこの頃です。

自転車で町を通っていると、古い家が壊され、その後にアパートないし、マンションが建ちます。東京は大きく変貌しています。怖いくらいの変化です。

さて、自宅の改装を考え始めてから10年が経ちました。10年前の今頃は、内部の解体を始めていました。設計士の方との打ち合わせやショールームめぐりも経験しました。その時のショールームで残っている所は「クリナップ」の新宿ショールームくらいでしょうか。設計をしていただいた方とも賀状の交換くらいしかありません。何よりも施工を担当していただいた篠原工務店の篠原正夫さんは、すでに他界されています。

完成から約9年半が過ぎ、壁のクロスの一部に剥がれが出てきました。当時の松下電工のドア枠材も一部変形しています。まだ、キッチンなど水回りの商品に故障はありませんが、給湯器をはじめエアコンなど、ぼちぼち悪くなってくるところが出るかと考えています。


そういうことを考えると、木材は価値が高いと感じます。

床板は杉材を用いた所は、日の当たるところは焼けていますし、また凹みなどの傷はついていますが、生活に支障はありません。同じく壁材の杉板は、こすり傷がありますが、もう少し気になるようでしたら、塗装をしても良いかと考えています。現在は無塗装のままです。

私もその時より10歳年を取りました。親世代も居なくなり、夫婦二人暮らしです。生活の形も変化していきます。どんどん変わっていきながら、私も対応していくことになります。


2013/11/21(木) 晴れ


[ 懐メロを歌ってきました。 ]
懐かしのメロディーを歌いに行きました。


昼間に時間が取れたので、「懐メロ」を歌うという集まりに顔を出してきました。最近歌うことはありませんが、声を出すことは健康にも良いので、参加してきました。

参加者は約60名。そのうち男性は7名。平均年齢は70歳くらいでしょうか。もう少し、上かもしれません。会費は1200円。司会と歌の指導をする方に、アコーディオンの伴奏者。プロジェクターに歌詞を映し出す人一名に、歌唱指導のできるアシスタントが2名いました。売り上げ7万円くらいなのにこれだでのスタッフを集めるのは、かなり大変だと思いました。

さて、二時間の間に約30曲。結構歌うものです。この日は島倉千代子の告別式があったので、「からたち日記」や「東京だよお母さん」もリクエストされました。

主に、大正の半ばから昭和の50年ころまでの歌を歌いました。一番新しい歌はおそらく尾崎紀代彦の「また逢う日まで」か都はるみの「二人の大阪」。今から40年近く前の曲になります。おそらく昭和20年代の歌が一番多かったと思います。

岡春夫の「青春のぱらだいす」や近江敏郎の「湯の町エレジー」、ディックミネの「或る日の午后」、岡本敦郎の「高原列車はゆく」などに加えて美空ひばりの「私は街の子」「港町十三番地」「女船頭さん」をみんなで歌いましたが、「女船頭さん」は難しい歌でした。

このあたりは生まれていませんが結構知っています。それは大学時代にラジオを聞いていたせいです。テレビは持っていなかったので、ラジオをかけっぱなしにしていました。フォークソングも聞いていましたが、結構懐メロも聞いていて、昭和の初期から昭和の40年代までの歌は結構知っています。歌えるのです。それはプロの作詞家が作った歌なので、誰もが口ずさめるように作ってあります。そういうものが人々の心の中に残っていくのだと、今回感じました。

人生、結局好きなことだけが残ります。さらに言えば、若いころに培ったものが中心を占めます。「何時の若き日に汝の神の名を憶えよ」という聖書の言葉(?)は確かです。「好きこそものの上手なれ」でもよいです。

歌を歌うと無心になります。段々と声が出てきます。テニスもそうですが、心を無にしていくと、体調の悪さとか、悩み事なども忘れます。それが心身の健康に、良いのだと思っています。


2013/11/15(金) 曇り時々雨


[ 「WOODS」から ]
「WOODS」から


新東京木材の機関紙である「WOODS」を読んでいたら、久しぶりに巻頭に業界のことが載っていました。

(株)星谷材木店さんの大倉勝美さんが書かれた「工務店さんと共に考える」という一文です。

いくつか書き出してみましょう。

「行政は消費者保護の名目のもとに、次々と法改正や制度の強化を打ち出し、・・・対応しきれない業者を締め出そうとしている」

「施主様の意識も建てるから買うへと変化し、職人さんの高度な技術や、地域と密着した永年のお付き合いだけでは通用しない、寂しい時代になっています」

「職人さんの建築技術以前に、展示場やプレゼンボードによる営業ツールが威力を発揮しています。」


などと書かれています。

彼が立派なのは、そこにとどまらず、「こうした事態を憂慮して、平成16年に若い人を中心にした勉強会を立ち上げました。省エネ法や建築基準法等の法律問題、あるいは大建工業のカベ大将やグラスウールの施工研修会等、テーマを設定して、二か月に一度開催しています」云々。

この中に出てくる窪寺伸浩さんもそうですが、こういう実践活動が素敵です。




2013/11/14(木) 晴れ


[ わが同志社 ]
我が同志社



11月6日、3年ぶりに同志社を訪ねました。地下鉄今出川駅に降り、新しい校舎を見て、新町校舎まで移動、さらに今出川に戻ってきてから、「モナミ」「わびすけ跡」「トリオ」と昔入った喫茶店をめぐって、今出川通りを東へ行き、正門から再び校舎に入りました。そこでまずは「良心の碑」を見て、神学館から至誠館、明徳館と進んで寒梅の碑を見学して同志社を去りました。

この間40分くらいでしたが、今年は「八重の桜」のお蔭で校内には、20人くらい説明を受けながら、進んでいく団体も居ました。

今回は行きませんでしたが、新島襄の旧宅やお墓などへ行く方も増えているとのことでした。

増えているといえば、文科系の学生は田辺校舎から、今出川校舎に移動したので、学生の数が増え、特に今出川校舎と新町校舎を結ぶ道は、学生が通るので、近隣から苦情が相次ぎ、とりあえず学校側としても何もしないわけにいかないので、警備員を立て(私が見ただけでも5人はいました)、「静かにお通りください」というプラカードを持ちながら交通整理をしていました。

実際一緒に歩いていると、確かにうるさいです。私たちの頃はもっとうるさかったと思いますが、これも時代ですかね。



新町校舎の正門前です。1969年入学したての頃の授業はほとんどこちらでした。今出川校舎は6月4日に封鎖されてしまい、当時の4回生と1回生の授業がここで優先的に行われました。もっとも夏休み以降は、こちらでの授業もありませんでした。再開されるのは、翌1970年の1月3日からです。そして日程的には、3月31日まで行ったことになっているはずです。
1月早々、東京から戻ってきて1月一杯授業を受けて、あとは適当にレポートでした。



ここへはよく通いました。コーヒー一杯で何時間も居ました。仲間と一緒に待ち合わせる場所の一つでした。月に一回くらい「ハムサラダ定食」を食べましたが、これはかなりの贅沢でした。





同じく「トリオ」です。裏通りまでお店が続いていて、裏側は「東天紅」という中華屋さんでした。どちらもサークル仲間と入りました。
他には「わびすけ」「芝」などがお気に入りでした。



再び同志社の中に入り、神学館を背景に1枚撮っていただきました。正面に写っている木は「歴研」の木でもあります。用事があるとこの木に居場所を書いておくと、そこにみんなが集まってきてくれました。当時は便利でした。今はそんなことをしなくても大丈夫な時代になりました。



2013/11/13(水) 晴れ


[ 島先生のお墓参り ]
島一郎先生の墓参り


2009年7月26日に亡くなられた島一郎先生のお墓参りに、島ゼミ5期生の6人が、さる11月4日に京都駅に集合して、宇治にある天ヶ瀬霊園に行きました。

私のほかの5人は以前にも来たことがあるとのことでしたが、私は初めて。一度は来ておきたかっただけに行くことが出来てホッとしました。

宇治駅からタクシーで移動。霊園にある駐車場で、タクシーを待たせて起きて、まずはお墓を探します。1区にあるとのことで、容易に見つかりました。30分ほどでお墓参りを済ませた後は、京都に戻って懇親会です。

当初予定していた「くらま」が満員だったので、急遽、京都タワーの北柄のビルの2階にある中華料理屋に入りました。ここ「彩花亭」(京都タワービル北新館3F)が空いていて、おいしいところでした。4時間ほど飲み食いして解散しました。

この仲間とは私は4年ぶりでした。








2013/11/12(火) 晴れ時々曇り


[ 大野家の法事 ]
法事



大野家の法事があり、護国寺並びに東京ドームホテルでの会食に参加してきました。

メインは大野治輔さんの二男である晃さんの13回忌ということでしたが、大野家全体としても集まりが少なくなったということから、にぎやかに行おうということで、傍系の私も参加させていただきました。



我が家の菊も花を咲かせ始めました。ピンク、黄色、白です。



護国寺の紅葉も始まりを見せていました。



東京ドームシティーホテルの42階で会食です。




2013/11/11(月) 晴れ


[ 旅フェスタと屋形船 ]
旅フェスタと屋形船



11月4日から6日まで、京都と琵琶湖の西で大学時代の方々と会ってきました。ゼミやサークルでご一緒した方々と楽しい時間を過ごしました。

そして、9日には、池袋サンシャインシティーで開かれている「旅フェスタ」に行きました。ここにも大学時代の友人が来ていましたが、時間的な都合でニアミスでした。近くにいてもなかなか会えません。





全国各地のご当地キャラが来ていました。



そんなこんなで、この所人との交流が中心の生活になりました。

さらにこの日の夜には、新東京木材中野支部の第2班の会合があり、屋形船で焼き肉という、豪華バージョンでした。





2013/11/10(日) 曇り


[ 第2回行灯際開かれる ]
第2回行灯際開かれる


11月2日と3日の日には、川島商店街で、第2回の行灯際が開かれました。若い芸術家の方が主体となって、古びた商店街の再生に一役買っています。その名の通り、商店街のいたるところを行灯で飾り、所々で、音楽や絵画などを使い、自分たちを主張していました。

若い人たちの力を借りて商店街に、若い人たちが集まってきました。路上で歌を歌うことが基本なので、聞いている方も基本的には、立っています。椅子などが今少し用意されていると良いと思いました。また、歌を歌っている方も小学生にいじられて、やりにくそうに歌っていましたが、それもいい経験だと思いました。

ただ、両日とも日本シリーズとかなさり、私も力を入れて見に行けませんでした。

日本シリーズは楽天の勝利で幕を閉じました。6戦と7戦はテレビに集中してしまいました。




2013/11/03(日) 曇り時々雨


[ 戦後日本史の考え方・学び方 ]
戦後日本史の考え方・学び方

成田龍一
河出書房新社


目次

はじめに 歴史って何だろう
第1章 戦争に負けてどうなった? 占領の話
第2章 知ってる?「55年体制」って何?
第3章 経済大国?それっていつのこと?
第4章 「もうひとつの」戦後日本を見てみよう
第5章 歴史は生きている これからの日本
おわりに 歴史は一つではないが、なんでもありでもない
あとがき
参考文献


成田龍一氏の近著である「戦後日本史の考え方・学び方」を読んでみました。成田氏は私と同じ1951年生まれの方です。成田氏とは、実は今から40年ほど前に一年ほど同じ研究会でご一緒したことがあります。早稲田大学の文学部出身で、在学当時は鹿野政直先生のゼミ生だったと思います。私は同志社を卒業して東京に戻ってきた時でした。その一年は東京の空気に触れながら、もう少し勉強を続けたいと思っていました。その当時の方とは、10人くらいの方がいたと思いますが、今では誰とも付き合いもつながりもありません。死ぬ前に一度くらい、飲み会を開きたいと思っています。誰かの下宿で、成田君と「4字固め」を掛け合った、そんなことを思い出しながら、近著を読んでみました。

戦後史もすでに歴史です。70年近い年月が経ちました。それを14歳の方にわかりやすく伝えようというのが本書です。実際読みやすいものです。

考え方の基本は、

歴史は、もう決まってしまったことを言うのではなく、ある出来事を選び出し、他の出来事と関連付けながら伝えること、です。言い換えれば(出来事を集めた)年表ではなく、出来事を選び出し説明することです。

としています。

また、3月11日に触れて、このように書いています。

東日本大震災、千年に一度といわれる大地震に、不幸にも私たちは遭遇してしまった。しかし、原発事故という、いまだかつて経験したことのない事態も起こってしまいました。「このままでいいのか」、そういうみんなが一瞬にして思ったわけですね。
これまでのエネルギーの使い方に問題はなかったのか、なぜ首都圏で使用する電力のための原発が福島と新潟にあるのか。まだ原発のリスクを回避するのか、豊かさを選択するのか。ひいては未来をどのように考えるのか。

こんな書き方をしています。3月11日は特別な日になりました。この日から導き出される一つの考え方は、ここに挙げられたように例えば、エネルギー政策に対してどのように考えるかです。それは未来をどのように描くかということになります。

原発をやめよう、と思うか、経済を安定させるために当面原発を続けようと思うか、それとも積極的に原発を推進しようとするか、その人の立つ位置で、その先が決まってきます。未来構想によって意見は異なります。

意見は異なっても今つきつけられている現実は一つです。原発に賛成する人も、今の福島の現実を何とかして解決しなくてはならないと思っています。そうであれば、現実の選択肢は限られてきます。著者は「歴史は一つではないが、何でもありでもない」と書いています。ある程度の方向性が決まってくることを言っているのだと思います。

私はそのうえで歴史は作っていくものだということを付け加えておきたいと思います。親子の歴史、夫婦の歴史、子供たちの成長など、身近なことを例に挙げても毎日歴史を作っていっています。それと同じことは社会に対しても言うことが出来ます。社会に目を向けて、日本が悪い方向に行かないようにいつも気にしていることが大事だと思います。14歳から、あるいは20代の多感な時期に、身体も頭もたくさん使うことで、未来を作る力を若い人にはつけていただきたいと思います。

昔の友人の本を読んでいると、若い時の気持ちに戻ります。いいものです。11月4日と5日には、同期会があります。元気をもらいに行ってきます。





2013/11/02(土) 曇り


[ おかげさまで完成しました。 ]

おかげで完成です。


大東建託株式会社に依頼して建てることになった「メゾンみのりU」が、10月31日に無事完成いたしました。

2月7日の解体開始から、3月15日の地鎮祭を経て、暑い夏を乗り切り、完成にこぎつけました。近隣へのあいさつも終了して、肩の荷を下ろしたところです。

工事期間中は、近隣の皆様の協力もあり、トラブルもなく、工事を進めることが出来ました。改めて感謝いたします。


営業マンの佐藤さんと。


現場監督の君塚さんです。本当にお世話になりました。



2013/11/01(金) 晴れ


( 2013/12 ← 2013/11 → 2013/10 )


[ 管理者:大野満生 ]


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