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時々更新mn日記

( 2013/10 ← 2013/09 → 2013/08 )


[ 木と暮らしのふれあい展のご案内 ]
「木と暮らしのふれあい展」


来る10月5日(土曜日)と6日の日曜日の両日、木場公園におきまして「木と暮らしのふれあい展」が開かれます。33回目になるそうです。
マンネリ気味ではありますが、少しずつ変化しています。是非覗いてください。私も10月6日の日には行けそうです。









2013/09/26(木) 曇り時々雨


[ 9月23日はテニスの日 ]
9月23日はテニスの日


9月23日はテニスの日です。

それに先立ち、中野区テニス連盟では、9月16日に「エンジョイテニスフェスティバル」を予定していました。が、台風のため、開催日が9月23日に延期になりました。そのため出られなくなった方が出たので、私は補欠でしたが、繰り上がって試合に出ることが出来ました。

当日、朝9時に集合して、ひとチーム7人から8人。8チームがAとBの二つに分かれて、団体戦を行い、1位から4位を決めます。各チームの同じ順位同士が対戦して最終的な順位を決めます。試合は、女子ダブルス、ミックスダブルス、男子ダブルスの順で行い、6ゲーム先取です。

わがチームは1勝3敗で、5位6位戦に出て、結果は6位でした。

その中で私は、ペアに恵まれて男子ダブルス、1勝1敗。ミックスダブルス1勝という結果を残しました。

実は、私のこれまでの戦績は、過去5回ほど試合に出て、0勝2敗。0勝2敗。0勝2敗。0勝3敗と、勝ち星に恵まれたことがありませんでした。初勝利、ならびに2勝目を記念して、試合後は、近所の「タベルナパパ」で祝杯をあげました。自分で自分をほめるというやつです。

美酒に酔った後は、自宅ですぐに寝てしまいました。7時半を回ったころに寝て、気が付けば11時40分。起きるかと思えば、そのまま寝付いてしまい、5時半過ぎに目覚めました。

初めて勝ったので、もっと嬉しいものかと思いましたが、思ったほどではありません。試合内容は、6対1。6対2。0対6でした。この最後の試合の最初のゲームを自分のミスで落としたことが、自分の頭の中から抜けません。その後も大きなミスを2つ重ねてしまい、一つのゲームも取れずに負けたことが、頭に残りました。そのため次の課題も見つかりました。

ちなみに則子ちゃんもこの試合別のチームで頑張り、3勝1敗。36ゲーム行ったそうです。私は、21ゲーム。それしかこなしていないのに疲れが溜まってしまいました。今日は整体に行こうと思っています。

「継続は力なり」といいますが、今回初めて勝ったことで、杉のステップが見えてきたように思います。チャレンジする精神を失わないように今少し前を向いていきたいと思います。

ちなみに、この日の記念品としてバッチを付けて有明に行けば、テニスの試合を見ることが出来るそうです。が、日にちが重なってしまいました。新聞報道では、伊達と森田あゆみが勝ったそうです。伊達もよく頑張りますね。


2013/09/24(火) 曇り時々雨


[ 腰が落ちてきました。 ]
腰が落ちてきました。


写真に写った自身の姿を見て、年を感じています。それと一層親に似てきました。

父親も60歳を過ぎたころから、腰が落ちてきましたが、自分にも来ました。ちょっと気を抜いたら、来てしまいました。腰を持ち上げるように姿勢を正したいと思います。

さて、今日は、朝仕事を終えてから、新宿にあるNSビルまでテニス用品のバーゲンです。時間前に行き並びました。400人くらい並んでいたでしょうか。そのうち男性は20から30人でしょうか。従って、ならんでいる商品も女性ものが多いです。

一時間ちょっとで疲れてしまいました。何事も体力は大事です。もう少し鍛えないといけませんね。



2013/09/20(金) 晴れ


[ 満月で十五夜 ]
満月の十五夜


今日は十五夜で満月です。昨日の夜に満月かと思っていましたが、今日が十五夜でしかも満月です。

朝のニュースでもそのように言っていましたが、十五夜=満月だと思っていたので、何か不思議な気持ちです。

さて、私は、朝一時間仕事をして、一時間読書をします。二時間ほどテニスなどして体を動かし、二時間ほど飲んでいます。月2回の医者通い。週に一度の整骨院に、月2回の図書館通い。などと生活にリズムが出てきました。

マンションの完成も一か月後になりました。今年一番の出来事なので、完成が待たれます。

そんな折、今日の日刊木材新聞には、「柱の集成材比率、過去最高」の見出しが目に入りました。杉や桧の集成材が増加し、柱もその傾向にある、ということです。プレカット率が、上がる一方ですから、集成材がメインになるのは仕方ないことだと思いますが、材木を40年売ってきた立場からすると、寂しい気がします。集成材を「木材の内に含めたくない」という気がいつもしていましたが、時は流れ、そこが「中心になって」しまいました。

この流れはまだまだ加速こそすれ、落ちることはないと思います。

ますます昔の材木屋では生きていけない時代になりました。若い人の出番です。時代を切り開いていくのは何時も若い力です。年寄りは行き過ぎたと思えばブレーキをかけますが、大きな間違いがないと判断すれば、GOサインを出します。

まだ多少、役に立てると思います。(わかりませんが・・・)




2013/09/19(木) 晴れ


[ 空には満点の星 ]
空には満天の星


9月17日未明、台風一過の東京の夜空には星がたくさん輝いていました。これだけの数の星を見るのも久しぶりです。

昨日、一昨日と清里でしたから、本来であれば星の数では格段違う世界が広がっているはずですが、ここ数回、いやもっと前からかもしれませんが、夜空を眺めても星を数えられませんでした。そして今回も…

清里での帰り道。台風の通過を待って3時間ほどペンションで待機していた時、メールが入りました。大阪の友人から私の家の前の川があふれそうです。皆さんのところはどうですか。こんな内容だったと思います。静岡の人が今上空を通過中です。東京はいかが、と振られたので、こちらは「今清里で台風の通過待ちです」と返事をしました。

その後何通かのメールがありましたが、京都の人も滋賀の人も高槻の人も被害もなく過ごせていることが確認されました。

それでもこの日は朝からテレビにくぎ付けでした。台風情報では、京都の鴨川が今少しであふれそうであったり、桂川が渡月橋のあたりで床下浸水していました。このあたりの映像は私も考えていないものでした。

この日、9月16日は、同志社時代の恩師である島一郎先生の墓参の日でもありました。台風のこともあり、11月に延期したというメールも受け取りました。桂川右岸の氾濫したところには、島先生と共にOB会を行った「花筏」という旅館があります。おそらくは床下浸水したものと思われます。

被害は京都に留まらず、全国に広がっています。日本がどんどん変わっていく気がします。防げない被害が増えているように思います。

それにしても今日はいい天気です。テニス日和です。


2013/09/17(火) 晴れ


[ いつもの山荘でクラス会 ]
いつもの山荘でクラス会。


9月15日、16日の両日、いつもの清里にある山荘で恒例の6年3組のクラス会を開きました。

15日は、朝から台風18号のため、新宿駅に集合した時点で雨。私も朝4時過ぎには目が覚めてしまい、「いつ中止の連絡が来るか」待っていましたが、その連絡がないので、時間前に待っていると、10人揃ったので、いざ清里へ向けて出発しました。

中央道に入ると、府中から国立あたりでかなりの雨。こんな雨の中運転するのは初めてかと思うくらいでした。のんびり運転して談合坂のSAへ。続いて二葉SAを経て清里へ。このあたりから雨の勢いが多少少なくなりました。

昼飯に長野県の富士見高原にある「おっこと亭」という蕎麦屋へ。大きな店舗で、町営とか。信州そばでした。

ここを後にすると清里にある「萌え木の村」へ。このころには雨も上がり散策することが出来ました。その中にあるメリーゴーランドに乗り、のんびりしました。小さい子が引いてしまい、貸切でした。

その後は、山荘にて会食。宴会といつものコースでした。翌日は台風の進路にあたってしまい、私たちがいつも行く、甲斐大泉のペンション「いろり」に緊急避難させてもらい、台風が去るのを待って東京へ戻ってきました。

朝早く清里を発つか、しばらく清里で時間を過ごすか、全員の意見を聞いて、後者になりました。いい加減なようで結構結束の固い仲間です。みんなで解決していこうという姿勢は大事です。そういう意味ではリーダーの二人は大したものです。









2013/09/16(月) 台風


[ メゾンみのりU ]
メゾンみのりU(9月13日)


「メゾンみのりU」は、今材木置き場だったところに建てているマンションの名前です。大東建託株式会社の施工によるRC4階建ての建物です。5月の連休後から、コンクリを打ち始めて8月下旬に終わりました。今は内装工事や外装工事になっています。今まで中に入ることが出来ませんでしたが、とりあえずできばえも気になるので、お願いしていたところ、9月13日に中を見ることが出来ました。


ヘルメットをかぶって、中に入れていただきました。


間取りは同じですから、中はこんな感じ。


屋上へも登れたので、この機会を逃さずに行きました。お施主さんで屋上まで登る人は珍しいそうです。


表一面はタイル張りですが、色使いはこんな風になりました。あと一か月ちょっとで完成予定です。足場が外れれば、外観がわかるのですが・・・

こんな小さな建物でも、近隣の方の協力がなければ建ちません。もう少しお世話をかけますが、よろしくお願いいたします。




2013/09/14(土) 晴れ時々曇り


[ 西島三重子 ]
西島三重子



先日、たまたまメールを見ていると「You Tube」で西島三重子の曲を更新したというもの(人)に出合いました。この一週間くらい前に私が西島三重子を聞いたのが、その始まりだったのか、わかりませんが、インターネットは記憶として残るものですから、その私のきっかけに反応したものと思われます。

西島三重子さんといってもわからない方が多いと思いますが、代表曲は「池上線」。1970年代後半から活躍した人だと思います。私の二十代の半ばころからの人だと思います。西島さんの実際の年齢は知りませんが、ほぼ同年代だとと思います。

その二十代の頃に、レコードやカセットテープを買い、毎日聞いていた時代がありました。それは「池上線」でもあり、「千登勢橋」でもあります。二十代の半ばですから、「暇を持て余していた」ので、実際池上線に乗ってみたこともあります。

「古い電車のドアのそば 二人は黙って立っていた
話す言葉を探しながら 隙間風に震えて
いくつ駅を過ぎたのか 忘れてあなたに聞いたのに
じっとわたしを見つめながら ごめんねなんて言ったわ
泣いてはだめだと 胸に聞かせて 白いハンカチを握りしめたの
池上線が走る街に あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら 今日も帰るわたしなの」
(作詞佐藤順英。作曲西島三重子)

なんとなく青春がよみがえります。

ニューミュージックでもなく、フォークソングでもない、歌謡曲の延長線上にある抒情的な歌でした。

あれから三十年余りを経て、今回聞いてみると、やはり「響く」ものがあります。昔好きだったものはやはり好きなのです。それに加えて、今回はおまけがありました。「池上線 ふたたび」という曲が発売されていたのです。全く知りませんでした。

「池上線 ふたたび」は「池上線」のアンサーソングですが、歌詞はこんな感じです。

住宅街を走る電車の窓に たそがれ色の夕陽が落ちる
ドアに持たれる 若い恋人たちは 別れを惜しんで見つめ合う
小さな駅を降りた街に あなたはいつも通ってくれた
ずーとそのまま、そばにいたくて過ぎる時間さえ止めたかった
池上線にゆられながら 私はあの日に帰ってゆく
あなたとなら死んでもいい そんな時代もあった

私の胸に残る小さな傷は 月日がいつか癒してくれた
何も言わずに雨に消えてゆく背中 いまなら泣かずに見送れる 
電車の窓をよぎる路地に 一瞬見えたふたりの姿
それは昔の映画のように 恋の名残がうずくように
池上線にゆられながら 私はあの日に帰ってゆく
あなたとなら堕ちてもいい そんな季節もあった

一度捨てたら 二度と戻らない そんな落とし物知りませんか
池上線にゆられながら 私はあの日に帰ってゆく
あなたとなら死んでもいい そんな時代もあった
(門谷憲二作詞 西島三重子作曲)


いい歌詞ですね。私もいつの日か こんな歌を残したいと思っています。



2013/09/13(金) 晴れ


[ この所 ]
この所


この所、昼間にテニスをする機会が増えています。テニスをする場所は中野区にある哲学堂テニスコートか、新宿区にある西落合テニスコートになります。そこへ行くのはほとんど自転車を使います。自転車で行く場合は決まりきった道ばかりではなく、今まで通ったことの道を選んだりしています。そうすると見えてくるものがあります。

今は、古い建物が壊されて新しい建物がたくさん建てられています。そういう光景を目にすることが増えています。

壊されてゆく古い建物は、昔ながらの大工が建てた住まいやアパートのような気がします。さんざんそういう仕事をしてきましたが、時代の流れに逆らえずに、今は壊されてゆきます。自分で材料を運んだところも壊されたところがあります。かと思うと、建売2棟に変化しています。

そんな中、今日になって気が付いたことがあります。中野区中野1丁目47番地。これは実は、私の古い本籍地です。父親が育った場所でもあります。そこに祖父は八百屋を開き、数年を経て支店を出しました。支店の方は「何でもおいている万屋」でした。そちらの場所は宮園通りにある水道局ないし、その隣あたりにあったと住所から推察されます。そして今日、父親が育った城山の住所を何気なく見つけました。その通りは今も商店街ですので、おそらくその通り沿いにあったものと思います。

この通りはテニスに行くようになってからよく通っていたところです。

父親の育ったところを何気なく通っていました。祖父が八百屋をしていたころは、もう80年も前の事ですが、ふと、その80年が近づいた瞬間でした。

自転車に乗って動くといろいろな発見があるものです。



「八百省売り場」の開店祝いの写真。中央が祖父・祖母である省三・きの夫妻。父や叔父の年齢から祖父が31歳。祖母が27歳くらいだと考えられる。このころ祖父はまだお酒を飲んでいなかった。
2013/09/11(水) 雨


[ 東京オリンピックの招致が決まりました。 ]
東京オリンピックの招致が決まりました。


9月8日の午前5時半。テレビをつけると、2020年のオリンピックの招致場所が東京に決まったというニュースが流れていました。

当初の予想では、マドリードと接戦になると予想されていただけにイスタンブールとの決選投票での東京はやや意外でした。

1964年の東京オリンピックの際には私は中学2年生でした。東京の空に5輪の雲で幕開けし、授業中も携帯ラジオを離さずに聞いていた記憶があります。うきうきした二週間だったと思います。

戦後の復興が終わり、世界の中に出ていくきっかけになったと思います。やや中だるみになっていた高度経済成長をより軌道に乗せた効果はあったと思います。

今回も、懸念されていたことが福島原発事故による健康被害や海水の汚染など、主に原発関連だと思います。これについて安倍総理大臣が世界中を前にして、「政府がついている」と明言したことは、目の前の汚染水の問題だけでなく、東北の復興も加速させなければなりません。

日本の経済も勢いがつくかもしれません。ということは消費税は上がります。

私も再び東京でオリンピックを見られるかもしれませんが、そこへ向けて日本の立て直しをなお一層早く進めていただきたいと思います。

最後になりましたが、素晴らしいプレゼンテーションを用意してくださった方々の苦労が報われて良かったと思っています。



2013/09/08(日) 曇り時々雨


[ 月山の8合目を歩く ]
月山の8合目の湿原を歩く




弥陀ヶ原の木道を歩く



このあたりはお花畑です。エゾリンドウやウメバチソウ、ミヤマリンドウの小さな花も咲いていました。ハクサンフウロも残っていました。
「コバイケソウ」は「今晩行けそう」と覚えなさいとガイドさんが言っていました。


「池塘(ちとう」と呼ばれる池です。



この上の方が月山の頂上になります。あいにくの雲で見えません。



はるか上の方に「ニッコウキスゲ」が残っていました。写真ではわかりませんね。



雲がかかり、大雨になりました。合羽を着ていましたが、足元はびしょ濡れ。着替えました。



雲が上がり、1400メーターから下界が見えました。右奥に2236メーターの鳥海山が初めて顔を出しました。



この後、立石寺に行きました。雨の中、奥の院まで千段の階段を上りました。
良く歩いた3日間になりました。



2013/09/06(金) 曇り


[ 桑の木台湿原 ]
桑の木台湿原

桑の木台湿原は鳥海山の明田川のふもとである、由利本荘市の国定公園内にあります。6月の末に来ればワタスゲに囲まれた湿原越しに鳥海山が望める所だそうです。

さて、私が行ったのが9月1日。それはこんな感じでした。



桑の木台湿原駐車場まで行くには、大型バスではいけません。専用のシャトルバスに乗り換えていきます。バスの駐車場では林野庁の職員さんがテントを張って出迎えてくれました。湿原に出るまではブナ林です。このあたりはクマの出没するところです。爆竹を鳴らしてクマが近寄らないようにしてから進みます。


案内板です。パーキングからブナ林を通り抜けてから見晴らしの良い湿原出でます。そこには木道が作られており、一周出来ます。2時間くらいのコースでしょうか。案内板の左にカウンターがありました。入る時に自分自身で押して入ります。


湿原に入りました。湿原内の木道はこんな感じです。まだ新しいですね。


湿原の向こうには鳥海山が顔を出すはずでしたが、あいにくの雨のち曇り。雲の切れ間に少しだけ稜線を確認しました。
この湿原は、まだ手つかずの所が多く、公開されているのは4分の1程度とのことでした。


湿原に至る道はブナ林ですが、まだ整備されているとは言い難いものでした。杉の板を敷き詰めている所も多かったように思います。


中にはベニヤ板やSPFの2×4材を敷いている所もありました。「秋田県なのだから、ベニヤを敷くのはNGだよな、と思いました。予算がないのだと思います。

ここは、3年ほど前まで写真家が鳥海山と湿原を取るために湿原内に入り込んで写すことが多かったために一度閉鎖され、昨年の春から再び木道を作って入れるようにしたとのことです。湿原は1年で0.1ミリしか育ちません。10センチの湿原が出来るまでに100年かかります。
保護しながら、見学するにはマナーが必要です。

ちなみにパンフレットには、こんな感じの写真が写っていました。


晴れていればこんな風な鳥海山が見えたのですが・・・・


2013/09/05(木) 雨


[ 出羽三山神社 ]
出羽三山神社

出羽三山とは、羽黒山、月山、湯殿山の総称で、修験の道場があります。このうち羽黒山には三山の神をまつる三神合祭殿があります。そこへ至る賛同の途中、杉木立の中に五重塔が建っています。観光ツアーで8月31日に、ここを訪れました。



入口です。



平安時代に創建されたという五重塔です。現存するのは室町時代のものだと伝わっています。羽黒山といえばこの写真が出てきます。



五重塔から三山神社への石段 昔の人はここを登って行った。我々はツアーなのでいったん戻ってバスで移動です。



大きな杉の木は「爺杉」というそうです。ここから五重塔と一緒にカメラに収めました。



 出羽三山神社参集殿です。



参道の石段に33あるという「ひょうたん石」です。



釣鐘です。大晦日にはこの鐘の中継が良く映りますバスガイドさんの横顔が写ってしまいました。




2013/09/04(水) 曇り時々雨


( 2013/10 ← 2013/09 → 2013/08 )


[ 管理者:大野満生 ]


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