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時々更新mn日記

( 2013/04 ← 2013/03 → 2013/02 )


[ 断捨離 ]
断捨離


事務所の引越しで、気を付けて片づけたつもりでしたが、いろいろなものが見当たりません。3か所に分散した上に段ボールにしまったものもあります。少しずついらないと思うものは捨てています。また段ボールの表面に中身を書くようにしています。それでもそのダンボール自体がどこにしまったのかわからない状態です。

今急ぎで探したいものは友達の名簿の一部とFAX機用のCDです。特にCDは大事なものだと思っていたので、しまってしまいました。それでどこにしまったのかわからなくなりました。あちこちの段ボールを移動しながら探していますが、今のところ見つかりません。こうしていろいろなものが無くなっていくのでしょう。そして見つからなくてもそれほど必要性の薄いものとしてどこかに行ってしまうのでしょう。

今年になって作業着の類はかなり捨てました。もう着ないと思う洋服も同様です。その代りテニスウエア―が増えています。これから一か月でもう少し整理をしたいと思います。今風の言葉でいえば断捨離ですか。

仕事に関するもの、遊びに関するもの、友人関係のもの。何を残すか、残さなくていいものは何か。これからの人生に必要なものは何か、じっくり考えているといつまでも進まないので、適当に走りながら進めることにします。

さて、昨日の写真ですが、ベランダでは、チューリップが歌の通り、赤、白、黄色の順番で咲きました。今朝は寒かったので、花は開くことはありませんでした。




また哲学堂のテニス場では、桜の花びらが少しの風ではらはらと散ってコートに落ちています。花見客も少ないですが、それもそのはず、今日は寒かったですね。3時から5時まで冬支度でテニスをしました。着込んだせいで思ったより汗をかきました。体重も減る傾向です。

明日は花散らしの雨が降るのでしょうか。そして3月も過ぎていきます。早いです。




2013/03/30(土) 曇り


[ ある手紙 ]
ある手紙

先日、昔の友人から手紙が届きました。そこには、北日本新聞の切り抜き記事が同封されていました。最初手にしたときには、よくわかりませんでしたが、読み返してみると「旅想」という同人誌のNさんで、私と同年代の方のご次男に関してのお話でした。

そこには20歳の時に心肺停止に陥り、脳にダメージを受けた。植物状態を宣告された。両親は息子の回復の可能性を信じて、倒れてから4か月後、重度意識障害者の積極的なリハビリに取り組み始めている病院に受け入れを依頼、自分たちもリハビリ技術を学んだ。

それから11年が過ぎた。

今年一月、様々な手法を使って重度障害児の言葉を引き出してきた教授を知ったNさんは「筋肉の僅かな動きを拾う特殊な器具を使い、50音を読み揚げる音声を聞かせ、思い描いたところで反応を感じ取る。その反応した文字がパソコン上に表示される。

どうしてわかるのですか
ゆめのようです。
なつかしいです
はなせたころのことが

意識がないと思われてきた重度意識障害者ですが、呼びかけていたことがずっとわかっていたとのことです。いつか誰かがわかってくれると思っていたとも言います。脳の回復力は、力強いものがあります。

言葉を取り戻してから一か月後、視力が回復したそうです。最初は明るさがわかる程度でしたが、今は本も読めるといいます。

はやくさくらみたい

この家族にとって12年越しの桜は一段と美しく映ると思います。あきらめずに進むこと。これは大事ですね。久しぶりにいいお話を送っていただきました。

2013/03/29(金) 曇り


[ 仕事の状況は ]
仕事の状況は


しばらく無くなっていたパーティクルボードやラーチ合板なども入荷してきたようです。ここ数か月続いた「円安」で輸入材は値上がりを余儀なくされています。赤松材や米松材、ホワイトウッドなども一割以上の値上げです。石油を原料とするものも上がります。4月からは値上げのラッシュになります。

仕事の量はかなり出てきているのでしょうか。昨年秋から見積もりをしていた仕事が少しずつ決まってきました。そのほとんどは手を離れていますが、多少は材料を収めるようになりそうです。

さて、近所のスーパーに久しぶりに行きました。2月末に新装開店した時以来です。このスーパーは、川島商店街の中にありますが、近くにより大型店が出来て一度は地盤沈下したところです。そこで改装してからは、品揃えを変え、また単価も以前よりも安いもので統一した感じです。事実かなり安くなった感じがしました。これで少しは以前のお客さんが戻って来るのではないかと思います。

ところがこれで影響を受けるのは、スーパーではなく、より小さな小売店になりそうです。実際商店街自体は地盤が沈下しています。小さな小売店はますます否定されていくようです。

もっと工夫をして、やる気を起こさないと、いけません。中野新橋商店街も食事をしに行くところが少なくなりました。外食すらままならなくなっています。食べに行けるところ、行きたいと思うところが減っています。



2013/03/25(月) 雨


[ 出雲と大和 ]
出雲と大和



村井康彦
岩波新書

目次
はじめに――備中国の惣社にて
序章    三輪山幻想
第1章   出雲王国論
  1 大国主神の分身たち
  2 磐座祭祀をたどる
  3 「出雲風土記」の地政学
  4 四隅突出墓をたずねて
第2章   邪馬台国の終焉
  1 北九州の古代遺跡を歩く
  2 邪馬台国はどこにあったか
  3 邪馬台国と大和朝廷
  4 邪馬台国の終焉
  5 「神武東征」説話
第3章   大和王権の確立
  1 「国譲り」とは何だったのか
  2 伊勢神宮の成立
  3 出雲系諸氏族の動向
  4 出雲系葛城氏の動向
  5 大和王権と吉備
第4章   出雲国造――その栄光と挫折
  1 国造の世界
  2 「神賀詞」奏上
  3 熊野大社
  4 出雲国造の本拠
  5 出雲大社はいつ創建されたのか
  6 国造の歴史に翳り
終章    再び惣社へ
あとがき

著者は82歳になる日本古代史の研究者です。長年いただいてきた「出雲」論をまとめたものです。著者は言います。古代の出雲世界とは何だったのだろうか。その答えを求めて各地を訪ねた。文字通り連歴の軌跡である。その中で得られた出雲理解の三つのデータをあげてみる。
一つは、三輪山の存在である。山自体がご神体で本殿はない、ということとその祭神・大物主神が出雲系の神であること。
二つは、8世紀の初め出雲国造が朝廷に出かけて奏上した神賀詞の中で「皇孫の命の近き守り神」が三輪山の大神神社、葛城の高鴨神社などいずれも出雲系の神々であったこと。
三つには、「魏志倭人伝」で知られる倭の女王、邪馬台国の卑弥呼の名が、「古事記」「日本書紀」に全く出てこないことである。「日本書紀」の編纂者たちは「魏志倭人伝」の内容も卑弥呼についても熟知していたはずである。それにもかかわらず卑弥呼の名を出さなかったのは卑弥呼と大和朝廷と無縁の存在であり、大王=皇統譜の載せられるべき人物ではなかったからである。
ここから邪馬台国は出雲勢力の立てたクニである、という結論をえた。

この結論は著者自身以外だった、と書いています。これまでの通説や定説から自由であることを言い聞かせながら取り組んできたら、こういう結論に至った、と書かれています。

大変面白く読ませていただきました。私自身は邪馬台国は九州説にいますが、奈良盆地に邪馬台国があったとするとスケールが大きくなります。

それにも増して、長年足で稼いだ備中の国の惣社めぐりを中心に細かな実証研究が積み重なって本書が出来上がっていることがわかります。





2013/03/24(日) 曇り


[ チューリップも咲きました。 ]
チューリップも咲き始めました。


我が家のベランダでは、3月の花であるムスカリがかなり伸びてきました。それにも増して、チューリップも咲き始めました。3月のこの時期にしては早いように思います。





中野通りの桜も、早満開に近づいています。

春らしくなってきました。身体も動き易くなってきました。やっと仕事が手に就くようになってきました。予定も埋まってきました。材料も少しずつですが、捌けています。歩みは鈍いですが、少しずつ片付いていきます。62歳の誕生日も無事にお祝いをしていただきました。

もう62歳になったのです。自分が一番びっくりです。


2013/03/23(土) 晴れ


[ サクラ咲く ]
サクラ咲く

今年は冬が寒く、急に暖かくなったためにサクラの開花が早まったように思います。東京では3月16日に開花宣言がなされましたが、その後も暖かい日が続いているので、近所の桜も哲学堂公園の桜も一気に咲いています。今週末が花見の見頃になりそうです。

3月20日の哲学堂公園は五分咲でしょうか。






2013/03/20(水) 晴れ


[ 彼岸で墓参り ]
彼岸で墓参り



3月17日は、お彼岸で上尾まで墓参りに行ってきました。私の住んでいる弥生町からは、中野長者橋というインターから高速に乗ることが出来ます。上尾まで40キロほどありますが、この高速が出来て上尾まで約一時間で行けるようになりました。(高速は与野までですが、)

いつものようにお墓詣りを済ませていつもの蕎麦屋で昼飯を食べた後、ふと、いつものように帰るのではなく、少し寄り道したいと思いました。

圏央道に桶川インターが出来たことを聞いていたからです。これを使って圏央道から関越に入り、練馬インターを目指すことにしました。少し遠回りですが、未知の道を走るのは楽しいものです。桶川、川島、とすぎて関越に入りました。このまま帰るには、惜しい気がして三芳のSAに入ることにしました。ここは軽井沢などの帰り道に入ることが多いですが、関越が混んでいるとスルーしてしまいます。ここしばらくドライブをしておりませんので、ここに入るのは二年ぶりくらいになると思います。

降りてみて驚きました。しばらく来ていない分だけ、このSAはすっかり「道の駅」状態になっていました。コンビニ、産直野菜、関越沿線の県産物の販売など、依然と比べ物にならないほど充実しています。野菜などもお手頃価格で販売されていました。人の集まるところにビジネスチャンスあり。まだ2時半だというのに混んでいました。

ゆっくり買い物をし、コーヒーを飲んでここを後にしました。おかげで練馬出口渋滞でした。


2013/03/18(月) 晴れ時々曇り


[ 地鎮祭 ]
地鎮祭


以前事務所のあった所の地鎮祭が無事終了しました。当日は、中野神明氷川神社の真壁宮司においでいただき、滞りなく終了することが出来ました。これでひと段落します。


さて、これが終了するといよいよ、仕事の方に力を注がなければなりません。次に何をするのか定かではありませんが、体調が良ければもう少し働きたいと思っています。4月からはまず体作りです。昨日、3月16日にテニスを4時間したら、9時間ほど眠ってしまいました。さらに昼寝を一時間。とにかく寝てしまいます。これを少し減らしたいです。

そして勉強する時間も増やしていきたいと思っています。新東京木材に機関誌である「WOODS」が来ましたが、北区の小川木材さんも立派ですね。仕事を取って良いものを売っていくことは基本なのでしょう。いつもそこに帰れるようにしていきたいと思っています。



地鎮祭が無事終了いたしました。

なお、神明氷川神社では、来る3月30日土曜日に、昨年と同様にイベントを企画しているとのことです。「また、馬が来ます」と真壁宮司は話されていました。天気が良いといいですね。



2013/03/17(日) 晴れ


[ 百人一首に隠された藤原定家の暗号 ]
百人一首に隠された藤原定家の暗号



関裕二
廣斉堂文庫

目次
はじめに
第1章 「百人一首」は謎めく歌集
第2章  愛された「百人一首」と忘れられた「万葉集」
第3章  なぜ、「百人一首」は名歌を捨てたのか?
第4章  歌を出世の道具にした藤原定家の生涯
第5章  藤原氏の盛衰と「百人一首」という歴史書
おわりに



百人一首にまつわる話や著作は数多くあります。「百人一首」では藤原定家は古代から定家の時代にまでの百人の家人を選んでおきながら、そこに登場する「歌」はその人たちの代表歌ではありません。駄歌が多いと言われています。

また百人一首には、似た言葉が多く使われています。カルタ取りでは、この似た言葉によって「お手付き」という減点をいただきます。お正月には、「坊主めくり」をして遊びました。坊主が出ると手持ちの札がとられ、お姫様が出ると出ている札が自分のものになります。
この本では、「青冠」という遊びが紹介されています。一番初めの歌の天智天皇と二番目の持統天皇の親子がキングとクイーンに擬せられた遊びだそうです。私は知りませんでした。

さて、天智天皇は、白村江の戦いで敗れ、九州から逃げ帰り、都を近江に移した天皇です。天皇としての在任期間は意外と短くて4年ですが、おそらく「日本国」という名の国を作った初めに位置する天皇になります。(日本を作ったのは、天智天皇ないし天武天皇だと思っています)。この天皇は藤原家とつながりが深く、天智天皇の場合は、中臣鎌足、持統天皇は鎌足の息子である不比等。お互いの持ちつ持たれつの関係で、姻戚関係も深めて血のつながりを濃くしながら、互いが繁栄していきます。

時代が下がって定家が生きた鎌倉時代は、そのどちらもの力が低下してきました。武家が社会の中心になってきました。定家のつかえた後鳥羽上皇は承久の乱以後、隠岐に流され、その力を失っていきます。それに対して定家は、鎌倉幕府にすり寄って出世をしていきます。

著者はその姿を追うことで、「百人一首」の目的は、後鳥羽上皇への慕情などよりも、後鳥羽天皇と袂を分かった定家が、後鳥羽上皇の怨念を恐れて「百人一首」を作ったのではないかと考えています。そのためか暗い歌が多いと述べています。

それでも、なぜやや時代順に一人一首なのか、また似たような言葉のある歌を採ったのか、そこには何も意味はないのか、など従来興味を持たれてきたことに対しては、著者の関心が薄いのか、「どちらかというとあまりありえない確率である」という立場をとられているように思いました。






2013/03/16(土) 晴れ


[ 定年退職を決めました。 ]
定年退職を決めて



今年の4月末で、退職を決めました。それに伴い、会社を整理します。4月末ないし、6月末になります。そのあとは、個人の店主として店を引き継ぎます。店名は「大喜」にいたします。

さて、昨年一年を振り返ると、売り上げの低下がまずありました。メインのお客さんの売り上げが落ちたことが主な原因だと思います。

さらに昨年1月、2月に売り上げた売掛金の回収がいくつも出来なくなりました。これは4社発生し、そのうち2社は4月5月に回収できました。これと同じことが3月、4月、6月に発生し、一年近くたった今でも4社分の回収ができていません。売り上げの低下に加えて、売掛金が回収できない状況が生まれました。

それに加えて私の年齢からくるものがありました。4月に二回ほど二トン車で流山まで配達に行きましたが、行って帰ってくると疲れが残りました。次の日に出るか、その次の日に出るか、わかりませんが、疲れが出ると眠ってしまうほどでした。それと同時に二トン車での遠い配達は、やりたくないと思いはじめました。

このあたりから、定年を考えるようになりました。

いざ、定年を決めてしまうと時間が余りすぎて、何から手を付けるかわからないところもありますが、少しはのんびりしようと思っています。まだ、配達や片づけが残っていますので、4月までは現状を続けます。材料もあと、50万円ないし100万円くらいは売って、会社の清算資金にしたいと思っています。

そのあと何をするかは、実は決まっていません。今までと同じことは何とかできるかと思いますが、違うことを始めるためには、かなりの力が必要です。準備もいります。さてどんなことが出来るのでしょうか。

店名は大喜です。
TEL&FAX 03−3372−5081になります。電話には出られないことが多いと思います。FAXは受け付けます。
また、メールアドレスは、mndaiki@nifty.comで変わりません。

とりあえず現状です。


2013/03/14(木) 雨


[ セルフモチベーション ]
セルフ・モチベーション


時間にゆとりができてまず始めなければならないことはいろいろなものを整理することです。会社の清算に始まって材木や新建材の整理。洋服やこれまでの人生に中でたまってしまった雑物など、様々あります。捨てがたいものもあります。残しておかなければならないものもあります。これを整理しようと思っています。

それとは別に今までと同じように時間を過ごしています。朝起きる時間と寝る時間に関しては同じように過ごしています。

そして今までと同じように体を動かしています。それでも力仕事をしなくなったせいか、筋肉が落ちています。いかに今まで体を動かせていたのかがよくわかりました。これからは今まで以上にモチベーションを上げたり、維持しなくてはなりません。今は日常のペースをどう作っていくのかに気を使っています。

簡単に言うと「よく学びよく遊び、よく動く」ということになります。

最近「セルフモチベーション」とか「60歳で夢を叶えよう」」など、定年物の本を読んでいます。触発されることがあります。刺激をたくさん受けるように生きていこうと思っています。

2013/03/13(水) 晴れ


[ 裕次郎記念館へ ]
裕次郎記念館へ


小樽に行ったら一度は行ってみたいところに石原裕次郎記念館がありました。もう十年前になりますが、小樽に行きましたが、そこへ寄ることはできませんでした。

そこで少ない時間でしたが今回十四日会の旅行中に寄ることにしました。すでに裕次郎没後から二十数年を経ていますので、知らない方も多いかと思いますが、今から50年60年前の映画スターです。私が実際にスクリーンで裕次郎を見たのは、「赤いハンカチ」か「夜霧の慕情」か「逃亡列車」か定かではありませんが、京都の通称「千中」にある映画館だったと思います。2本立てないし3本立てが中心でしたので、2本一緒に見たかもしれません。封切りではなくて、2番館3番館でした。

その後、深夜テレビなどで見たり、ビデオを借りて見たものが中心です。映画の中ではデビューして数年間のものが「若くてかっこいい」と思います。「赤い波止場」「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」「風速40米」「嵐を呼ぶ男」などでしょうか。

さて、話が飛びましたが、この記念館には、裕次郎の歴史と共に、裕次郎の私生活が再現されています。昔のスターの凄さがわかります。今回やっと行けて満足しています。ヨットの写真とレコードジャケットがいいですね。裕次郎も若い時の写真や姿がいいですね。自分にとっては、「太陽にほえろ」や「大都会」よりも「赤い波止場」です。





















2013/03/11(月) 晴れ


[ 十四日会の旅行 ]
十四日会の旅行


今年の十四日会の旅行は北海道の小樽・札幌と聞いていたのですが、詳しいことはあまり知らずに参加させていただきました。北海道には、日本が近代化するときにつくられた重要文化財や建物など近代化遺産がたくさん残されています。小樽の街並みやニシン御殿。札幌の定番である時計台や北海道庁などもそれに含まれます。

久しぶりにそういう所を見に行けるかと楽しみにしていました。が、羽田に着くと出発便は「雪のために引き返すことあり」の条件付きの出発になりました。私も冬の北海道へは5回ほど行っていますが、こういうことはなかったので「今年は例年に比べて雪が多い、寒い」というのがわかりました、

多少揺れながらも無事に着きましたが、今度は札幌行きの電車の出発が一時間遅れ。私たち小樽組は、一時間遅れで小樽に着きました。その結果、街並み見学はさておいて、まずは食事。その後、雪道を散策してまいりました。私は同行した金沢さんと「行ってみたいところ」があったので、そちらに行かせていただきました。それは「石原裕次郎記念館」です。以前小樽に来たときにも行けなかったので、今回は無理を言って少ない時間の中別行動をとりました。

ここで時間を使い果たしたので、夕食の合流場所までは大忙しでした。小樽から札幌へ。さらにすすきのへと移動して「氷雪の門」でみんなと合流しました。その後すすきのを散策してホテルへ入りました。

食事場所でも話されたのですが、その夜から20センチほど雪が降る予定なので、朝食の時間を朝の7時と決めて、その時にその後の行動を決めるということになりました。前日は列車も止まり、高速道路も通行止めになりましたので、下の道をタクシーに分乗していくことにしました。途中から高速道路が使えるというので、空港へは思ったよりも早く着くことが出来ました。そのため搭乗予定の飛行機の時間を早めていただくことにしました。15名という大所帯でしたが、数名ずつ座席を確保していただき帰ってくることが出来ました。

十四日会では、二十年前にも、岐阜県の下呂温泉に行きましたが、宿で雪見酒などとしゃれ込んでいたところ、翌朝起きたら東京雪。中央道も東名高速も通行止め。そのため下呂温泉から一般道をひたすら東京へ向けて帰って来たことがありました。その時の経験が生かされたと思います。

私は行こうと思っていた北海道開拓村へはいけませんでしたが、何よりもみんなで考えあって結論を出して、それの結論で行動しました。その結果無事東京へ帰ることが出来ました。見学する所へはほとんど行けませんでしたが、会としてのまとまりは出来たのではないかと思っています。幹事さんをはじめ、皆さんお疲れ様でした。


小樽の寿司屋通りも雪の中です。


屋根に積もった雪や道にあふれる雪。今年は雪が解けなかったそうです。


すすきのも雪の中。


「氷雪の門」で食事です。



2013/03/10(日) 晴れ時々曇り


[ 暖かくなってきました。 ]

暖かくなりました


3月の声を聞いて少しだけ暖かくなりました。
心新たに事に臨みたいと思います。

さて、3月2日は、新東京木材昭和会主催のボーリング大会。3日は姪夫婦の子供である。彩愛ちゃんの初節句。春の声を聞いて、明るい話題と身体を動かす用事が出始めました。ここのところ力仕事をしていないので身体が鈍ってきました。それには体を動かすのが一番です。少しずつ毎日運動して体力維持に努めたいところです。







2013/03/04(月) 晴れ


( 2013/04 ← 2013/03 → 2013/02 )


[ 管理者:大野満生 ]


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