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時々更新mn日記

( 2013/03 ← 2013/02 → 2013/01 )


[ 2月も終了です ]
2月も終了です


今年は事務所部分の建て替えにためにあわただしい日々を過ごしています。2月7日から解体が始まりました。二階の木造部分がおわり一階の鉄筋の部分を壊しています。

懐かしいものが壊されていく寂しさもありますが、この建て替えまでが自分のなすべき仕事だと思っていますので、気持ちを引き締めています。

そうこうしているうちに2月も終了です。解体に入るまでの引越しなどの忙しさに比べると、仕事も少なく、電話のかかってくる回数も極端に減っているので、身体を持て余し気味です。今までが時間通りに、いくつかの仕事をこなしていたとすると、今は二つか三つの仕事を一日のうちにはめ込むだけです。それが朝のうちに終わるのか、10時、13時、16時というようにばらけるか、そこが読めないので、結局事務所に座りっぱなしでいます。出かけるタイミングがまだつかめないのです。

今日で2月も終わりです。寒かった冬がやっと終わってだんだんと暖かくなってきます。


2月25日には屋根が無くなりました。



2月28日には、表のシャッターも無くなり、一階の骨組みだけになりました。



2013/02/28(木) 晴れ


[ 小沢昭一的流行歌・昭和のこころ ]
小沢昭一的流行歌・昭和のこころ

小沢昭一・大倉徹也
新潮社
2000年8月発行

目次

柳青める日 藤山一郎について考える
ああそれなのに 美ち奴について考える
なぜか忘れぬ人ゆえに 楠木繁夫について考える
荒野の涯に日は落ちて 松平晃について考える
パピプペパピプペパピプペポ 杉狂児について考える
私の青空 二村定一について考える
ハアー 小唄勝太郎について考える
ほろほろこぼれる白い花を 灰田勝彦について考える
花も嵐も踏み越えて 霧島昇・松原操夫妻について考える
ダイナ・私の恋人 ディック・ミネについて考える
口笛吹いたら小窓が開いた 美空ひばりについて考える


先日亡くなった小沢昭一氏の本を探していたところ、本棚から一冊出てきました。2000年8月発行の奥書がありますので、この本を買ったのは約10年前になります。

小沢昭一さんは俳優でもありますが芸能史に詳しい方で、数多くの著作があります。その中でも俳句や大道芸そして昭和の流行歌に関しては第一人者でしょう。この本の中には、11人の歌手の方が紹介されています。個人的には東海林太郎を加えると昭和歌謡史としては良いのではないかと思いますが、これはあくまでも個人の考えです。

さて、私も今から40数年前大学生時代にラジオから流れる戦前の流行歌を聞いて育ちました。それ故にこの本の中で紹介されている人もわかりますし、歌も大抵わかります。メロディーも歌詞も覚えているものが多くあります。もしかして、小沢昭一さんと同じ年かと間違うほど、聞いたことのある歌がほとんどです。.歌いやすい歌や覚えやすい歌詞が昭和歌謡の特徴でしょうか。ときどき難しい歌もありますが、一度聞けばなんとなく口ずさめるものが多いので、私も覚えたのだともいます。歌から入ってその方の生涯を語るという手法で主に戦前になりますが、流行歌手を紹介しています。そしてラストに、「何百年後に昭和歌謡史という紹介される部分があったら、間違いなく美空ひばりなどの歌手が活躍した」と書かれると結んで美空ひばりを紹介しています。もっともだと思いました。



2013/02/25(月) 晴れ


[ 解放感 ]
解放感



今でも6時前に起きて22時以前に休むという規則正しい生活をしていますが、変わってきたこともあります。一番の変化は、今までは一日にトン車一台分売らないと給料が出ないと思っていたのですが、タルキ一束売れれば、今日のご飯は食べられるかなと思えるようになってきたことです。この気持ちの変化は今では楽なことの一番になります。

近くの商店街を見ても一番感じることは売り上げが目標に届かないことです。あるいは利益率落ちていることです。ここをクリアーできていない。そのため支払いができなかったり、先ほどあげたように給料が出ないということになります。私も実際、毎日のように耐火ボードやベニヤ類を一日に100枚くらいは売っていましたが、売り上げがそれだけになると一日の売り上げが10万円に満たなくなります。これでは、消耗戦に入るだけなので、ここからは退却しようと思いました。

今の所少しの売り上げがあれば当面食えるというのはありがたいことです。

さて、2月23日には、私の退職祝いを開いていただきました。姪や甥からプレゼントをいただきました。


退職祝いは開いていただきましたが、実際の退職はまだ先になります。今でも残務整理を始めていますが、これを仕上げるにはまだ数か月はかかります。そして会社の整理をして、初めて、退職します。が、退職と同時に個人の資格で、仕事自体は続けるつもりでいます。それこそ、あまり売り上げにこだわらない形で進めていくことになると思います。




2013/02/24(日) 晴れ


[ 山崎正徳君を偲ぶ会 ]
山崎正徳君を偲ぶ会



昨年12月28日脳腫瘍のため亡くなられた山崎正徳君を偲ぶ会が新宿で開かれました。早稲田高等学校の71回同期生8人が集まりました。

彼は図書委員会の委員長として活躍されましたが、シャイな性格のため、対外的な場で人前で話すときには、副委員長の加藤君が代行していたということです。その話の通り私の記憶でも穏やかな背の高い人、というイメージでした。

彼は京秀商店という材木問屋の二男か三男に生まれたので、家業につかれ、主に埼玉県の営業所を中心に材木問屋の仕事をしていたそうですが、私とは接点が全くありませんでした。

彼も発病してから半年足らずで亡くなられたということですから、体のケアには十分用心しなければならない年齢になりました。

7月に再会することを約束して、偲ぶ会を終えました。


2013/02/21(木) 晴れ


[ ガッテン寿司から ]
ガッテン寿司から



ガッテン寿司で応募した日帰り旅行が当たったというので、2月19日、平日にもかかわらず仕事を休んで行ってきました。お一人はご招待。一人連れてくるとその方は、5800円という企画です。池袋でバスに乗って、横浜経由で沼津へ。お土産屋周りをして、クルージングと食事が付くというバス旅行です。

まずは横浜へ。ここにはこの企画のスポンサーである宝石会社の見学及び講習に宝石の販売と一時間半ほどの時間を費やしました。

この後は、沼津へ。食事をして、クルージングです。食事は海鮮焼きとお寿司という触れ込みでしたが、「違う」とは言いませんが、納得のいくものではありませんでした。

この後、三津浜でクルージングです。カモメの餌やりなど童心に帰って楽しんできました。寄る所はお土産屋さんが基本でしたが、ここと柿田川公園がメインの場所。あいにくの雪まじりの雨でしたが、一日で二人で一万円もかけないで楽しんできました。たまにはバス旅行もいいです。



三津浜からのクルージング。短時間でしたが、楽しんできました。


見事、キャッチです。



2013/02/19(火) 雨


[ 多摩六都科学館 ]
多摩六都科学館


父の命日なので、小平にあるお墓に行ってきました。その二日後は祖父の命日でもあります。先週中に行く予定でしたが、予定がずれ込んで17日になってしまいました。お墓にはすでに花が飾られていました。おそらく叔父さんが二、三日前に見えて済ませたのだと思います。

その帰り道、鈴幸木材の伊藤さんが工事を請け負ったという西東京市にある多摩六都科学館に「木道」を見てきました。もちろん科学館へも入りました。

プラネタリュームは時間の関係でみることができませんでしたが、展示室を回るだけでも興味深いものがあります。子供連れでいけば一日楽しんでこられるところだと思いました。

また、「木の見櫓」なる建物の階段もその作り方が参考になりました。行ってみて体験してみてください。


伊藤さんの仕事はこちらから

こちら




2013/02/18(月) 曇り時々雨


[ パスワード忘れました。 ]
パスワード、忘れました



個人でも会社でもカードで決済するものが増えてきました。私も年も上がってきたことだし、カードなども整理を始めています。その際、印鑑などもそうなのですが、パスワードがわからなくなっているものが増えています。初期の頃は誕生日などで作っていましたが、今ではそういうもののなくて逆に何を使ったのかが、不明のものが増えています。みんな同じにしておけばよかった、という気持ちと「そういうわけにはいかない」という気持ちもあります。

カードを作った時期で変えていたので、こんがらがっているのが実情です。カードも整理しますので、その際もっとシンプルなものだけにしておきたいと思います。

と思いつつ、最近作ったカードのパスワードを忘れてしまいました。忘れないようにと手帳に書き留めておいたのですが、これが違っていたようでアクセスできません。参りました。認知症の始まりかと少し気落ちしています。

こんなことをしていたら、携帯電話の料金が普段より一万円も高い請求が来たので、ドコモにかけて、小一時間話しました。請求明細はもらうことにしましたが、「パケット」料金から発生したものだそうで、とりあえず固定の料金にしておきました。メールを受信した際、圧縮されていない画像を受信したのではないかと言われました。気軽にメールに写真などを添付してはいけませんね。

わからないことや忘れることが増えました。気を引き締めて過ごさないと老後は厳しいものがあります。



2013/02/17(日) 晴れ


[ 毎日が土曜日・日曜日 ]
毎日が土曜日・日曜日


自分で選んだことながら、毎日が土曜日・日曜日になりました。

電話が入り、仕事があれば仕事をしますが、一日の中で用事が入っているのは、「人が来る」「銀行へ行く」「飲み会がある」「病院へ行く」「テニスをする」などの特定されたことだけです。


朝、6時に起きて、ご飯を食べて、のんびりしています。もう少し暖かくなれば、散歩に出るのもいいのでしょうが、まだ寒いので、テレビを見たり、事務処理をしたりしています。本を読んだりもしています。10時くらいになって電話がかかってこなければ、おそらく今日一日は「何もない」と判断して、自分の用事をします。

今日は同じ銀行に二度行ってしまいました。昨日の支払いを忘れて取引先まで支払いに行きました。以前なら、もう少し計画的に動いていたのですが、慣れないせいか、物忘れも多く、忘れることが増えました。

まだ一週間なのでペースがつかめませんが、意外に自由がきかないという感じです。



2013/02/15(金) 曇り時々雨


[ あなたのところから買いたいとお客に言われる小さな会社 ]
「あなたの所から買いたい」とお客に言われる小さな会社


佐藤元相
フォレスト出版

目次
はじめに
こんな時代でも儲けている会社はいくらでもある
お客の本当の気持ちを知れば答えは見えてくる
お客とつながる「感性マーケッティング」で効果20倍の仕組み
お客の感性に訴える「ストーリーチラシ」の作り方
どんなツールを使ってもうまくいく「感性マーケッティング」
本物でなければ売れない時代に求められる「感性マーケッティング」
これから10年先も仕事を続けていくために大切なこと
おわりに


この本はアマゾンで買いました。これ以降は私に時間のゆとりができたので、買うことよりも図書館で借りる方が増えると思います。

さて、表題にあるように仕事は人とどのようにしてつながるかです。そこそこ以上の本物を取り扱っていれば、まず売る方には心配はいりません。これをたくさん売っていく、あるいは楽しく売っていくためには、仕掛けが必要です。その仕掛けについて書かれた本です。私はあまり仕掛けもせずに過ごしてきたので、新鮮さはあります。

が、要は自分自身をどう売り込むかという所に落ち着くと思いますので、仕事に対する姿勢、自分の人生観、あるいは生き方そのものを明らかにして自分に自信をつけることが第一のように思いました。

この本の中には新聞販売店や焼き鳥店などの具体例が紹介されています。とりわけ工務店や建築会社の紹介が多いので、建築業界はまだまだ一旗揚げるには適した仕事のうちに入るのだと思いました。




2013/02/13(水) 曇り


[ 日本史の誕生 ]
日本史の誕生


岡田英弘
ちくま文庫

目次
序章  日本の歴史をどう見るか
第一部  倭国は中国世界の一部だった

第1章 邪馬台国は中国世界の一部だった
第2章 邪馬台国の位置
第3章 親魏倭王・卑弥呼と西域
第4章 倭人とシルクロード
第5章 日本建国前のアジア情勢
第6章 中国側から見た遣唐使
第7章 「魏志倭人伝」の世界

第二部 日本が外圧のもとに成立した

第8章 日本誕生
第9章 神託が作った「大和朝廷」
第10章 新しい神話――騎馬民族説
第11章 日本人は単一民族か
第12章 日本語は人造語だ
第13章 歴史の見方について

文庫版あとがき

著者はモンゴル史や満州史の専門家です。その著者から見た「日本史」の誕生です。魏志に頃の「日本」には、まだ日本という国名はありませんが、この本ではその時代の九州なり西日本は中国世界の一部であったことを明らかにしています。

それが中国世界と距離を置くのは西暦661年の百済の滅亡から663年の白村江の役を経て、668年の天智天皇の即位。この668年を岡田氏は日本の始まりと考えています。従って日本を作ったのは天智天皇。天皇という称号も天智天皇が始まりと考えています。そういう意味では、2月11日は「建国記念の日」でしたが、正しい意味では、日本の建国記念日ではありません。その頃にはまだ日本はありません。私も「日本の誕生」は7世紀後半としかまだ言えないレベルですが、この本から受ける刺激は大きいものがありました。

そのほか、「古事記」偽書説や「日本語は人造語だ」という指摘も今一度古事記や日本語を考え直す意味では興味深い考え方だと思います。久しぶりに重みのある本に出合いました。





2013/02/11(月) 晴れ


[ 無花粉スギを作る ]
無花粉スギを作る


花粉症の季節がやってきました。私も昨年あたりから、朝起きると、鼻水が流れるということが増えてきました。累積したものがいよいよ質的な変化をし始めたようです。
これに対して今から二十年ほど前から、花粉症の根絶のため、杉花粉を放出しない杉の木を作り出す試みが始まっています。富山県の森林研究所の職員の方が、大学院時代からずーっとこの研究を続けられています。その話をテレビで放映していました。2月10日の事です。
それによると、今から21年前に、杉花粉を放出しない杉の木を発見された方がおりました。その方の発見をもとにある大学院生の方が、遺伝の法則を適用して杉花粉を持たない杉の木と従来の杉の木を掛け合わせることで、子孫に花粉を放出しない木を作り出すという、壮大な計画に挑戦し始めました。
木はご承知のように一年に一度年輪を作り出して、大きくなるものなので、掛け合わせた木が成長するだけでも5年、10年かかります。その間、花粉を出さない木を作り出しても重たい雪のせいで木自体が倒れてしまうこともあります。また、この事業が成功して、喜自体が建築用材として使用可能にならなければ、ただ大きくなっただけになります。
このような困難を乗り越えて花粉を放出しない木を作り出す未来が見え始めたので、今回の放映になったものと感じています。現在多くの方が花粉症で悩んでいます。その方に朗報というだけでなく、杉の木や植物の力を、自然の中から探し出す努力をすれば、未来は、違った未来が作れるような気がして、大変頼もしく思いました。研究は地道なものです。まだ実際に使えるようになるまでには、30年、50年かかると思いますが、未来にそれだけの光が見えるとすれば、将来は明るいものだと感じています。(夢の扉+ 無花粉スギ花粉根絶の切り札!より)



2013/02/10(日) 晴れ


[ モックのボーリング大会 ]
モックのボーリング大会



新東京モックのボーリング大会に十四日会から、伊藤さんと石橋さん、それに大野二人が参加してきました。
私は二日前に腰を痛めていましたが、何とか2ゲーム投げることが出来ました。しかもスコアも考えていたよいかは良いものでした。かなり安心しました。
終了後は、池袋の「俺たちのトリトン」なるところで、打ち上げをしました。9時からの飲み会のため、お開きは午前0時を回ってしまいました。こんなに遅くまで起きていたのは久しぶりだったので、翌日はずーっと寝ていました。15名の参加者の皆さん、お疲れ様でした。




2013/02/09(土) 晴れ時々曇り


[ 解体が始まりました ]
解体が始まります。



今まで作業場や事務所に使っていた建物を壊すことにしましたが、7日からその解体が始まります。前日の雪も大したことはなかったので、スムースに進むことを期待しています。

約50年を経た建物ですが、2年まえの大震災では、被害がなくて、地震保険適用をしていただけませんでした。瓦も2枚ずれただけでした。壁に亀裂も入りませんでした。下で仕事をしていた大工さんもけがをすることなくその場を逃れましたので丈夫にできていたのだとその時感じました。

この建物を作っていたころは、まだ東京オリンピックの前で、私は小学生でした。子供心に建築は大変だと感じました。そのほとんどが手作業でした。そのあたりから考えると、今の作り方はだいぶ楽です。

さて、長年お世話になった建物ですから、愛着もありますが、次の世代に先延ばしするより自分の手で建て替える方を選びました。解体が始まりました。





2013/02/08(金) 晴れ


[ 焼酎を飲むようになりました ]
焼酎を飲むようになりました。


ここ8年くらい前から焼酎を飲むようになりました。それ以前にもたまには飲んでいましたが、ここのところはコンスタントになりました。

焼酎を飲んだ初めは、25才の頃でしょうか。鹿児島の小鶴酒造の「さつま小鶴」を飲んだことが始まりでした。それでもまだお酒が飲めなかった頃の話なので、普段はビールをコップに一、二杯の世界でした。バブルの頃が30代の初めでしたが、その頃もビールくらいしか飲めませんでした。40歳の時に練馬二十人会の九州旅行に連れて行っていただき、その際熊本で山林を見た際に、お茶代わりに出てきたものは焼酎でした。朝から焼酎は正直きつかったです。

50歳を過ぎるころから、ビールが入らなくなりました。そこで、初めはビールで途中から、焼酎に変えることにしました。麦が多かったと思います。「いいちこ」などを好んで飲んでいました。「魔王」や「紫美」などをいただいてもまだ有難味のわかる歳に届いていませんでした。

55歳を過ぎるころから、近くのスーパーで焼酎を順番に買い求め飲んでいると、麦よりも芋の方がおいしいと感じるようになりました。そうなると、どこで飲んでも芋が中心になります。水でかなり薄めたものからだんだんと濃いものに変化してきました。銘柄にもこだわりが出てくるようになりました。また今まで飲んだことのないものを飲むことも増えました。旅行先で買い求めてきます。京都へ行ったときには、「芋たん」という焼酎を買ってきました。伊豆へ行ったときにも車で出かけた時には、帰りの車の中には焼酎が積まれています。

最近買い求めたものは、「屋久の島」「三岳」など鹿児島のものが大半です。飲み屋では相変わらず「小鶴」を飲んでいます。昔飲んだ、慣れたものには安心感がるのだと思います。


2013/02/05(火) 晴れ


[ だいぶすっきりしました。 ]
大分すっきりしました。


2月5日現在ではだいぶ片付きました。


片づけは大分進みました。


幅広のラワン板も出てきました。使ってもらえそうな方に渡しました。


あと少しで終了です。


今まで木材でふさがれていた隣との境も見通しがよくなりました。


2013/02/04(月) 晴れ時々曇り


[ 一番好きな歌は ]
一番好きな歌は



拠点を自宅に移しています。今までの事務所から、自宅へものを移動させました。その関係で、書類や請求書なども移し替えました。その結果、どこに何があるのか、一部ですが混乱しています。自分の記憶はあてにならなくなりました。段ボールに入れて移動したものは、最悪です。いちいち開けてみないといけません。これはもうしばらくしてから整理することにします。

さて、私の一番好きな歌はなんでしょう。子供の頃には、童謡を聞きました。小鳩くるみさんや川田正子さんの「みかんの花咲くころ」あたりがはじめでしょうか。歌謡曲は「潮来花嫁さん」あたりから始まります。家にテレビが入り、私もテレビっ子の走りでした。今でも日曜日の朝には、午前6時から「隠密剣士」を見ています。大瀬康一さんの主演です。「ジャガーの眼」や「月光仮面」も見ます。テレビの主題歌を聞いて育ちました。「怪傑ハリマオ」「アラーの使者」「七色仮面」「風小僧」と芋づる式に名前が出てきます。

小学校の高学年がら中学に入るころには、御三家の時代でした。橋幸夫、舟木和夫、西郷輝彦をはじめとする青春歌謡ですね。ユーチューブで今は楽しめます。そしてビートルズに、グループサウンズ、フォークソングと続きます。高校2年生の時に、フォーククルセイダーズや岡林信康の音楽がラジオから流れてきました。高石友也の「受験生ブルース」は時代とぴったり重なってテレビで楽しめました。

1969年大学に入ります。下宿生活をしました。テレビはなく、もっぱらラジオから流れる音楽を聴くことと、自分で声を出して歌うことが増えました。自分で歌った歌は「友よ」が一番おおいと思います。岡林信康です。

69年に流行った歌は、アン真理子の「悲しみは駆け足でやってくる」、天地茂の「昭和ブルース」、藤圭子の「新宿の女」などでしょうか。渚ゆう子の「京都の恋」は京都でブームが去ったころから全国区になったのを覚えています。

深夜放送を聞きながら過ごした4年間で一番印象に残っている歌は、「わたぼこに中に咲いた花」でしょうか。「竹田の子守唄」もそうですね。

ところが、私はこの時期にB級映画にはまっていたために、そしてそれと並行してコミックソングや放送禁止歌もよく聞きました。映画は高倉健。放送禁止歌は「イムジンガン」。コミックソングは少し遅れるかもしれませんが、泉谷しげるやなぎらけんいちになるでしょうか。

カラオケが始まるまでには、まだ5年10年かかります。みんなで集まって酒を飲めばみんなで歌を歌いました。その当時のはやり歌を歌いました。月に一度か2か月に一度くらいだったと思いますが、今考えても楽しい日々でした。

そのころに歌った歌が、いまだに一番口ずさむし、好きな歌になります。具体的には先に挙げたもの以外では、岡林信康「山谷ブルース」、高倉健「獅子牡丹」、吉田拓郎「人生を語らず」でしょうか。鶴田浩二の「名もない男のブルース」も好きです。

夕方になるとつい「今日の仕事はつらかった。あとは焼酎をあおるだけ」と声に出してしまいますが、これは発泡酒だけでなく、焼酎を飲むようになったので、「今日も飲むか」という、いわば号令のようなものです。


2013/02/03(日) 晴れ


[ 引っ越しは疲れる ]
引越しは疲れます。


1月29日に20箇所ほどサインをして、銀行関係の種類は終了です。2月7日から今までの事務所の所の解体を始めることにしました。そのためその前日までに引越しを済ませなければなりません。そのためあらかじめ段取りを考え、計画的に進めています。やっと先が見えてきました。あと一息で引越しは終了します。なんとか、なりそうなので安心してきました。その分疲れも出てきました。あまり出歩かずにのんびりしています。

新しく何かを行うには、体力と気力が必要です。若くないとできないことを実感しています。




2013/02/02(土) 晴れ


( 2013/03 ← 2013/02 → 2013/01 )


[ 管理者:大野満生 ]


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