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時々更新mn日記

( 2013/01 ← 2012/12 → 2012/11 )


[ 地域を豊かにする働き方 ]
地域を豊かにする働き方

関満博
ちくまプリマー新書

目次
はじめに
第1章 震災で鮮明化した「地域」の大切さ

第2章 岩手県大槌町・津波災害と地域産業

    1 大槌町の被災と地域産業
    2 すべてを波にさらわれた跡地で
    3 被災を免れたモノつくり中小企業
    4 小さな港町の地域産業のあり方

第3章 福島県浪江町・原発災害と地域産業

    1 浪江町の被災と避難状況
    2 故郷を離れて
    3 避難した人を支えるサービス業、小売業
    4 すべてを失い、避難地で再開する製造業
    5 中小企業は地域の「力ある市民」

第4章 茨城県日立地区・地震災害と地域産業

    1 日立周辺の被災と復旧の状況
    2 ひたち立志塾とネットワーク
    3 驚異的なスピードで回復した製造業
    4 「近くの異業種、遠くの同業種」

第5章 地域産業と私たちのこれから

あとがき


著者は1948年生まれの地域経済論の専門家(名誉教授)です。しかも現場に身を置いて活動しています。2011年の3月11日には、岩手県の釜石市で講演会を前にして被災されたとのことです。

著者の考え方は、戦後50年続いた経済の高度成長による「大量生産」「大量販売」「大量消費」「大量廃棄」の時代が終了して人口減、高齢化、小資源、省エネを基準にしてこれからの時代をどう生きていくのかと云うことです。その中で地域の活性化のヒントをこの本は示していると思います。

これを著者は「身の回りを豊かにしていくこと」だと考えています。「人の姿の見える地域を豊かにしていく」ためには、人々が生きがいを抱いて仕事のできる環境の形成、人々に役立つ仕事の創造、そして、限りある資源を有効に活用して循環型の持続できる地域社会を形成していくこと。(7ページ)だと書かれています。

3つの地域が取り上げられていますが、どれも地域の特性を生かした考え方で仕事を創造しています。私は、その中でも岩手県奥州市の「千田精密工業」社長である千田伏二夫氏の「我々の会社は日本人のためにやっている会社」だという言葉が頭に残っています。

今私が籍を置いている木材業界も取扱商品は大半は輸入品です。売り上げの6割を占める建材類も日本で作っているものでは価格競争に勝てないので工場を海外に移転しました。しかしそうではなくて、自分の国や地域で作っているあるいは作ったものを堂々と売れる体質を作りあげたいものです。

 




2012/12/30(日) 雨


[ 今年も終了です ]
今年も終了です。


今年はカレンダーの関係で、わが社も29日の土曜日の午前中で終了です。私自身は昨日まで体調不良に苦しんでいましたが、やっと回復基調です。今日は、掃除をして書類を片づけて終わりにします。

思えば31日まで仕事で忙しくしていた時代もありましたが、あるいは正月の二日から仕事をした時もありましたが、今はそのような雰囲気もなく穏やかです。私自身年を重ねたので、やり残したこともなく、また無理をしたからといって良い結果が出ないこともわかってきました。やり過ぎれば「年寄りの冷や水」になります。来年の年賀状に「定年にして居所を変えます」とか「姪の下の子供にはおじいと呼ばせる」と書きましたが、偽わざる心境です。

また今年一年を思い出すと、若い時の友人たちと再会できたことがとてつもなく喜びでした。傍から見れば60代のオジンオバンですが、仲間と居る時は20歳になります。昔の雰囲気のままいられます。誠に不思議です。みんないろんなことがあったのだろうし、これからもまたあるのでしょうが、会っていると元気をもらえるのがよくわかります。皆さんにも友人は沢山いるでしょうが、幼い頃からの友人や若い時の友人の力は計り知れないものがあります。小学校、高校、大学時代の友人たちと交友を深められた一年でした。

来年からはフリーになる予定です。3月以降になると思います。時間にゆとりが出てきます。体調を整えてもうひと踏ん張りしたい所です。



2012/12/29(土) 晴れ


[ 精勤賞を逃す ]
精勤賞を逃す



今年も暮れようとしています。12月に入ってからの売り上げは思うようにいきませんでした。さらに20日過ぎからは全く仕事が無くなっています。そんな折、身体を冷やしたのがきっかけかと思いますが、風邪をひいてしまいました。今日28日には医者に行き、薬をいただいてきましたが、昨日は一日中寝ていました。仕事を休みました。11月5日に同期会のために一日休んだのに加えて、風邪で一日休みました。今年は2日休んでしまいました。仕事を休んでも支障が無くなりました。さみしい気持ちもありますが、自分も年になってきたので、生き方を変えようと思っています。今までとは違った仕事の仕方になると思います。

とにかく、体調を整えたい所です。



2012/12/28(金) 曇り時々雨


[ オセロゲーム ]
オセロゲーム


12月16日は、暖かくて良い天気でしたね。
この日は投票を済ませた後、神楽坂にあるアディダスジャパンの本社ビルで行われていたバーゲンに行ってきました。テニス用品を少しだけ買い求めて、神楽坂あたりを散策してきました。

この辺りを歩くのは久しぶりです。十年ちょっと前にはこの近くにある東京厚生年金病院に父がお世話になっていました。その後、父が二回、義母が二回お世話になりました。その頃が一番来ていたと思います。その病院ももうありません。

さて、神楽坂通りは、日曜日は歩行者天国になります。この日は暖かくて人もかなり出ていました。赤城神社でお参りをして、和菓子屋さんなどを中心に見て回りました。お昼ご飯を雑炊にして、ラストは「紀の善」のあん豆カンをお土産に買い求めてここを後にしました。梅花亭の生菓子やその隣のタイ焼きも捨てがたかったのですが、紀の善にしました。

家に帰ってからあん豆カンを食べましたが、寒天が美味しくて久しぶりに良いものを食べた感じがしました。餡もしつこくなくて、蜜をかけると寒天と餡と蜜のバランスが良いのです。幸せ感が口に充満しました。

また、この日は選挙でした。結果は夜八時過ぎにすぐに出ました。昔は夜中まで、あるいは朝方まで選挙速報が流れて楽しめましたが、今は結果の出るのが早すぎて、つまらなくなりました。結果は自民党、公明党の圧勝でした。予想通りでした。前々回の自民党の圧勝、前回の民主党の圧勝の裏返しなのでしょう。オセロゲームです。安倍さんも二回目になりますので、前回の時よりはよりましな政策を行うのではないかと思います。


2012/12/17(月) 雨


[ たまにホームセンターに行くと ]
たまにホームセンターに行くと


今年も終わりが近づきました。12月も半ばです。この所ホームセンターに行きます。事務用品や家庭用品を買い求めたりしています。そんな折には、ベニヤや木材の種類や単価が気になりますので、やはり少しは見てきます。そうすると「コンパネ」や「ラーチ合板」などは「私の仕入れ価格+少し」と云う形で販売されていることがわかります。この単価が私たちの小売り単価の基本線になります。そこで売られている値段では、われわれは商売として成り立ちません。売り上げが下がり利益が出ないからです。そこで、そういうものをあるいは対抗できないものは売らない方向で行くことにしました。
そうして考えると、ベニヤ、ボード、下地材、フロアー、キッチンパネル、ボンド、スタイロホーム、ケイカル板、断熱材など私が普段売っている大半のものが消えてしまいます。もっと高価なキッチンやトイレ、ユニットバスなどは論外ですので、後は、材工という「完成品ないし準完成品」で対抗するか、仕事の中身で相応のものを作るかになります。
ところが、お客さん、お施主さんの方が、一見賢くなっています。技術的な所に眼が行って、本当の所が見えなくなっています。
ドラム式の洗濯機の周りにある壁紙を張り替える仕事が大工さんの所に来ました。クロス屋を連れて行って、現場の工事にかかろうとすると、旦那さんがビデオで工事の模様を撮り始めたとのことです。洗濯機に傷がつかないかどうか、心配だったのでしょう。何とかやり終えてきたとのことでしたが、こういう施主と関係の出来ていない仕事は断るべきです。
無垢の床材をインターネットで仕入れて、張ってもらいたいと云うお客さんがいました。仕入れ先の「ウリ」は見本を送って、どの色で仕上げるか選んでもらうとのことでした。なかなかいいですね。見本を見せいただくと厚みは20ミリあり、幅は65ミリでした。樹種は良くわかりませんでしたが、かなり硬そうでした。しかも下穴もあいていないし、これを張るのは大変だなと思いました。ネットで発注して、届くのが18日とのことでした。しかし、65ミリのものは欠品中で、125ミリ幅のものが、来るそうです。ご自分で発注しているので、この辺りの変更は構わないのだと思います。
多分、もう少し仕事に余裕があって、施主との人間関係が出来てから仕事に入ることが無くなってきたからなのでしょう。そう考えると昔の大工はえらかったですね。施主と対等の関係を持っていたのですから。あるいは生徒と先生くらいだったのかと思います。材木屋さんもお客さんは弟子くらいに考えて「授業料」をいただく立場になって行くのが良いと思います。

2012/12/14(金) 晴れ


[ 引き際の美学 ]
引き際の美学


川北義則
朝日新書


目次
はじめに
第1章 引き際は潔くあれ
第2章 仕事は「終わり」を意識せよ
第3章 「ここ一番」の勝負を見極める
第4章 男と女の別れ際
第5章 いまわの際の、人生の幕引き


先月、琵琶湖で同期会がありましたが、その帰り路に買い求めた本です。今までの仕事を引退、あるいは卒業するにあたって考えておかなければならないことがあれば、今のうちに考えておこうと思いました。

いま61歳です。仕事の終わりと人生の終わりについては、自分の考えを纏めておかなければと思っています。そういう気持ちになりました。年を取ったということでしょうか。

年を取ったので、考えを纏めておかないと後の人が困ります。葬儀、お墓、処分してよいもの、引き継いでもらいたいもの、これは誰と誰にあげて下さいなど、申し述べておくことがたくさんあります。それがひと段落したら、62歳からどう生きていくのか、スパートをかけたいと思っています。





2012/12/12(水) 晴れ


[ 橋幸夫 ]
橋幸夫



今から50年前から活躍する歌い手さんです。1943年生まれですから私より8歳年上になります。また御三家と言われた舟木一夫が1945年、西郷輝彦が1947年生まれですので、少しお兄さんです。
1960年に「潮来笠」でデビューし。瞬く間にスター街道に乗りました。デビュー曲から父がレコードを買ってきて聞いていました。「おけさ唄えば」「南海の美少年天草四郎の唄」「花の白虎隊」「若い奴」などくらいまで記憶があります。その後は「江梨子」「いつでも夢を」「雨の中の二人」などがあって、1970年代には、「子連れ狼」があります。
 1960年は私は小学5年生でした。中学2年生の時舟木一夫が「高校3年生」でデビューし、高校1年生の時には西郷輝彦の「君だけを」が出てきます。高校2年生辺りからグループサウンズが全盛になり、高校3年生辺りからはフォークソングの時代へとはいって行きます。このめまぐるしくかった私の興味の移り変わりの中でも橋幸夫はいつもトップバッターでした。日曜日には「ロッテ歌のアルバム」というお昼の番組がありましたから、これが済まないと出かけない、そんな時期がありました。
最近になって、舟木一夫を聞き、西郷輝彦を聞いていたら、橋幸夫にもいい曲があったと思いだしてきました。当時には解らなかった橋幸夫の良さを今ならもっとわかるはずだと思い、最近ユーチューブをかけています。
ここには色々な先人がいます。代表曲をメドレーで聞けるので、1日中かけっぱなしにしています。そして自然に覚えます。橋幸夫には、「恋のメキシカンロック」「恋と涙と太陽」「恋をするなら」「チェッ・チェッ・チェッ」「スイムスイムスイム」「僕らはみんな恋人さ」など今聞いても新鮮なリズム歌謡があります。
また、「白い制服」や「赤いブラウス」「青いセーター」など色の名前のついた歌も記憶にあります。色々なカラーを持ち合わせた歌手だったのだと思います。私が橋幸夫から1曲選ぶとしたら、「江梨子」でしょうか。映画を見た記憶があるからです。単純ですが・・・

2012/12/11(火) 晴れ


[ 疲れ果てて見た夢は ]
疲れ果ててみた夢には



先週は、忘年会が二回にお通夜が一回ありました。それもあって夜のテニスは自重したのですが、疲れが出て、日曜日は一日中寝ていました。朝起きて、朝ご飯を食べると、一時間半寝て、お昼ご飯を食べ終わってからも4時間ほど爆睡。そして極めつけは9時過ぎには寝て朝起きたら5時半でした。疲れもすっかり取れて、と言いたい所ですが、なんだか首が疲れています。寝過ぎです。
そんな中で見る夢には、またしても昔住んでいた住まいが出てきました。木の引き戸を開け、引き戸の玄関を開けると、廊下があります。突きあたりに洗面所があって、そこを左に上がる階段がありました。七尺五寸で上がるという少し急な階段でした。手すりは桧の丸太、段板もケ込み板も桧材で出来ていました。そこを登るとふた部屋あり、八帖と四畳半。八帖は客間でした。小学校の高学年からこの四畳半が私の部屋になりました。三〇代の半ばにこの家は無くなりましたが、まだこの家に住んでいるようでした。もちろん夢の中ですが・・・
夢の中でも玄関にお客さんが来て、階段をおりてくる私がいました。お客さんは、今は二五歳になっている甥がまだ赤ちゃんでした。
実はこの日、姪の子供が近くに来ていてその子に会いたいと思っていました。上の子は五歳。下の子は今年生まれた子です。両方女の子です。夢の中でその子たちの顔を見たいと思ったのでしょう。実際には訪ねてきたのではありませんが、今私が住んでいる住まいに来たのでもありませんでした。多分私に一番影響を与えた住まいは、親が建てた家だったのだと思います。住まいはその住んでいる人に多大な影響を与えるものです。その人の人生と不可分の存在です。住まいの大切さを自覚しながら、住まい造りに取り組みましょう。
この日見た夢からそういう気持ちになりました。




2012/12/10(月) 晴れ


[ 歌いとしきものよ ]
「歌いとしきものよ」

星野哲郎
岩波現代文庫


目次
第1章  浪花節だよ人生は
第2章  北国の春
第3章  時には娼婦のように
第4章  今は幸せかい
第5章  北の宿から
附章  昔の名前で出ています


集英社から1984年に発売された本の文庫化です。星野哲郎氏は作詞家です。さらに故人となりました。その方が、古今東西の作詞家・作曲家と対談するというラジオ局の企画からこの本は生まれました。この元になったラジオ番組は、演歌を3番まで聞かせると銘打って、その作者たちを次々とスタジオにお招きして、ご本人の口から歌とのかかわりあいを語ってもらい、歌の誕生秘話を語ってもらうという趣向のものでした。

この中に出てくるのは、藤田まさとから阿久悠・星野哲郎までの32人名。西沢爽、吉田正。市川昭介。三木たかし、戸倉俊一。女性は山口洋子と安井かずみです。いずれも戦後の歌謡曲引っ張って来た方々です。章立てにどれだけの意味があるのかわかりませんが、章題についているものを書いているのは、それぞれ、1章は藤田まさと、2章は遠藤実。3章はなかにし礼。4章は中村泰士。5章は阿久悠。附章は星野哲郎です。

「恋のしずく」を書いた安井かずみが「瀬戸の花嫁」を書いていたり、ポップス系の作曲家だと思っていた三木たかしが「津軽海峡冬景色」を作っていたり、意外に感じたものも少なくありませんでした。

いずれにしてもこの頃の歌は「みんなで歌える」という共通点を持っていると感じるのは私だけでしょうか。






2012/12/09(日) 晴れ


[ 大工さん紹介してくれませんか ]
大工さん紹介していただけますか


時折、「大工さん紹介していただけますか」という話が出てきます。工務店さんであったり、内装業の方からなどです。床張りの仕事で年配の大工さんを手配した所、お施主さんから「もっと若いの、いないのか」と言われたという工務店の社長さんもいました。翌日、50代の大工さんを二人現場に行かせました。

私の目から見れば、年を取った方の方が、腕が確かだとは思いますが、一般的に見れば、若い人を好むのは当然なのでしょう。今から20年くらい前に[還暦大工」という言葉がありましたが、その年代がそのまま上がってしまいました。80歳を超えた方でも腕の確かな人はまだいます。ただ、あと数年で自然消滅になりますが・・・

戦後の発展期にあるいは高度成長期に出来た構図はあと少しで壊れてしまいます。その中から違う形が生まれるのだと思います。どういう形になるのはわかりませんが、私も多分、もっと仕事はいったん簡単になって行くのだと思います。より簡単になれば、誰にでも出来ます。簡単な仕事にまで落し込めば、再び複雑な仕事へと向かう人が出て来ると思います。人の一生は短いので、古いことが新しいことになり、新しいことが古くなります。輪廻転生です。

さて、大工さんを紹介していただけませんか、と言われましたが、丁重に断ることにしました。これしか今対応出来ません。

2012/12/07(金) 晴れ


[ ミニクラス会 ]
ミニクラス会


12月5日には、神田淡路町の「はんなり」で6年3組のミニクラス会が開かれました。
「はんなり」は、京都のおばんざい料理を中心としたお店で、おかみさんを中心にしたこじんまりとしたお店ですが、湯葉に始まり、お刺身や8寸、お豆腐にてんぷらなど京都の食材を使った料理をいただきながら、60代の叔父さん、おねーさんが話をして、あっという間の3時間でした。〆に出されたカレーうどんもおいしく、お腹が温まりました。そのあとの梅酒もいいものでした。全く〆を済ませてから、もう一杯行くなど、この回ならではのこだわりのない集まりになりました。次回正月に集合することを、決めて散会としました。




2012/12/06(木) 晴れ


[ 愛語回天 ]
愛語回天(あいごかいてん)


道元の言葉だそうです。
意味は「やさしい言葉には天を変える力がある」ということだそうです。
では、どんな言葉が愛語なのでしょうか。まだわかりません。

閑話休題。

憶えていますか あの頃に 
あなたと歌った「わたぼこ」は
私の心に残っています
歌えば今でもあの頃の
輝く未来が拡がっていた 
二十歳の頃に帰ります

歌っていますか 仲間達
みんなで歌った 二つの「友よ」
月日は流れ流れたけれど 
この国を希望ある国に
変えようと夢見ていた
若き日が蘇ります。

孫が生まれて思い出す
自分が幼い頃のこと
親が心血注いで育ててくれた
そのありがたさを
これから歌うその歌は
伝えていきたい「ふるさと」の歌

さて、選挙が始まりましたね。言葉には世界を変える力はありますが、政治家の言葉には「自己都合」が付き物です。見極めるだけの力を有権者の側が持たないといけません。

2012/12/05(水) 晴れ


[ 営業マネージャーが必ずやるべきこと ]
一年目から結果を出し続ける営業マネージャーが必ずやるべきこと


田原洋樹
日本実業出版社


目次
はじめに
第1章 トップセールス出身の営業マネージャーが陥るワナ
第2章 ストーリーでわかる営業マネージャーの仕事
第3章 営業マネージャーになる人が必ずつけておきたい資質
第4章 営業マネージャーが見直すべきメンバーへの接し方・育成法
第5章 戦略的に「業績をあげる仕組み」を作る
第6章 計画的に「営業プロセス」を回す
第7章 チームがスランプから抜け出すための奥の手
本書に寄せて  田原総一朗


田原洋樹さんは現在株式会社たはらの代表取締役さんです。私は面識はありませんが、一年ほど前に友人からフェイスブック上の友人として紹介を受けました。同じ同志社大学出身者です。1969年のお生まれですから、私が大学一年生の時に生まれたことになります。

その彼が本を出しました。早速買い求めて見ました。彼はJTBの営業マネージャーとして、当時最年少で課長になった方です。その経験をノウハウ化したのがこの本になります。私は営業という経験はないので、材木屋というのは「待ちの商売」なので、こちらから売り込んでいくというのはほとんどありませんが、彼の営業マネージャーとしての「腕や実力」は良くわかる本に仕上がっていると思います。

田原氏自身の失敗談なども語られていて面白くてわかりやすい構成になっています。是非ご一読を。




2012/12/01(土) 晴れ


( 2013/01 ← 2012/12 → 2012/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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