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時々更新mn日記

( 2012/12 ← 2012/11 → 2012/10 )


[ 昔の仲間 ]
昔の仲間



69年同期会を行ってから、昔の仲間に会いたくなりました。

小学校時代もそうですが、中学・高校の友人とも会ってみたいです。大学時代の方とも今年は2回会えましたが、まだ会えないでいる人も多いです。さらに大学を卒業してから知り合った日本史研究会の方々や早稲田の法学部の方々とも今どんな暮らしをしているのか、顔を合わせる機会があれば、会ってみたいです。現実的な話をすれば、もう会えないかもしれないという所まで来ました。「なんで昔は人と会っている時が楽しかったのだろう」と思いますが、今会っても特別な話は無いのだと、そう思うのですが、それでも会う機会があればあって見たいです。自分で企画しないと会えないのでしょうか。

そんな折小学校のクラス忘年会の話が来ました。


2012/11/29(木) 晴れ


[ のぼうの城 ]
「のぼうの城」



11月24日には昼間テニスを二時間した所、すっかり疲れて午後8時には寝てしまいました。眼が覚めると2時半。仕方なくまたうとうとしていましたが、午前5時過ぎから再び爆睡。起きると8時過ぎでした。25日には、朝早く起きて出かけようと云う気持ちもありましたが、一カ月ぶりに映画を見たいと思い行くことにしました。題名は「のぼうの城」。10月には、「踊る大捜査線」を見ましたが、その時に、こちらも見たいと思っていました。場所はいつもの新宿ピカデリー。ネットで予約して、シニア料金で見ます。

一回見るごとにポイントがついてきます。それが溜まって一人分タダで映画が見られるつもりで8月に行った所、前回から一年見ていなかったので、ポイントは終了していました。(この時見たのは「るろうに剣心」です)

それに懲りて、映画を見た時に飲み物で、ポイントを使うようにしています。今回も4ポイントたまったので、2ポイントずつを使って飲み物をオーダー。それを持ちながら二時間半を過ごしました。映画自体も面白く、飽きないで集中出来ました。

映画は、秀吉の小田原攻めの際、北条氏の支城の一つである「忍城」の攻防を描いたものです。結果は小田原城が先に落ちて、「忍城」は落ちずにすみます。「木偶の坊」の異名を取った城代成田長束の知略がさえます。

2時間半飽きずに見た後は、疲れた足を使って散歩。新宿の街をぶらぶら。新宿ピカデリーから、靖国通りを東に、新宿2丁目の交差点を右に、新宿通りに出て、追分団子で一服。伊勢丹を見て、丸井を見て、三越が無くなったことを確認して、紀伊国屋アドホックビルへ。

この間、丸井の所は40年前は新宿日活という映画館があり、私は赤木圭一郎の「紅の拳銃」をここで見ました。向かいにある伊勢丹はそれよりも前の50年くらいまでには、屋上に遊園地がありました。8回にはレストランがあり、ここナ、三平食堂ないし、新宿東口駅前に会った「娶楽」というお店あたりでご飯を食べるのが贅沢でした。年に数回は云ったと思います。

さて、紀伊国屋のアドホックビルも、一番初めに出来た時には、材料を納めさせていただきました。後に社長になった松原治氏と知り合いの大工さんがいたからです。

新宿を散歩してからは、西口に出て小田急へ。靴とテニス用品を買っていつものスパッソで食事。スパゲッティーを食べて新宿を後にしました。




2012/11/26(月) 曇り時々雨


[ 若者を殺すのは誰か ]
若者を殺すのは誰か?



城 繁幸
扶桑社新書


はじめに
第1章 ますます拡大する世代間格差
第2章 終身雇用が若者の未来を奪う
第3章 「クビ切り」でなぜ若者の職が増えるのか?
第4章 若者にツケを押しつける政治
第5章 社会に存在する虚構と空気
第6章 若者自身の責任
第7章 これから
あとがき


著者は、1973年生まれの方です。富士通退職後に人事コンサルタント会社の代表を務めていると経歴に書かれています。
魅力的な題名の本です。

最後の方にこんな風に書かれています。

平均年齢25歳の国が選挙を行えば、若い人の意見が中心になった国が出来るが、平均年齢45歳の日本では普通に選挙を行っても高齢者に勝てない。
例えば年金だって、「20年後に破たんする」と断言する状況なのに高齢者向けの年金カットを言わない。仕方ないから支給年齢を65歳に引き上げる。そうすると50代の連中から文句が出るから、65歳まで定年を引き上げる。その結果、若者の雇用が失われる。
筆者には、今の日本の若者が見せる「幸福度」の下には、絶望の海が深く静かに広がっているように見えてならない。
(注=すべてが原文ではありません)

世代間格差を解消するという課題を前面に掲げた本です。40代の方の考え方がわかって面白く読みました。この世代は、戦争はおろか、闘争も、紛争も直接知らない年代なのだと思いました。そうした中で、40代より若い方は、これから闘争を始めるのだとも感じました。戦わなければ何も得るものが無いのだということ知ることが大事です。

この本の中に出て来る、明治維新も下級武士が主導したと私も思いますが、その前提には、百姓一揆や打ち壊しなどもっと広範な戦いが拡がっていました。それは明治維新後も自由民権運動という形で引き継がれます。

鞍馬天狗のおじさんは明治維新を迎えた時、「桂さん、私たちの目指した維新はこんなものだったか」という感想を漏らしますが、これはもちろん大仏次郎氏の小説の中ですが、いつも戦いの成果は小さなもので敗北しますが、それが繰り返されることによって、以前よりも大きな力になって行くのだと思います。今の日本の人も決して馬鹿ではないともいます。

もう少しで選挙に入りますね。選挙で一票入れてもそれが何処とそこがくっつくかで違う方向に行ってしまう、情けない状況の選挙になりますが、それでも棄権して、結果的に自分の思わない所へ行っても「自己責任」になります。とりあえず投票して自己責任を果たしておきましょう。



2012/11/24(土) 曇り


[ 京都物語 ]
京都物語


杉本浩平
編集工房ノア


目次
練習曲
前奏曲
狂想曲
無言歌
輪舞曲


杉本浩平氏の「京都物語」を読む機会を得ました。先に「よこはま物語」を読んでいたので、こちらの本にも興味がありました。発行が1999年1月となっていて著者50歳の時に出された、あるいは40代のラストに出された本になります。

「前奏曲」と「無言歌」はそれぞれ、1983年、1995年に発表されたもので、その前後を埋める3作品は書き下ろしです。著者の20代半ばにおきたことを小説にしたものだと思います。何処までが事実で、どこまでが小説なのかは明かりませんが、一気に読ませてくれました。

どの作品も導入部から起承転結がはっきりしていて、無駄が無く、筋の進め方がうまいです。これは前作「よこはま物語」では感じなかった印象です。「前奏曲」は「第18回関西文学賞受賞」と言うだけあって、読み応えがありました。私は小説は読まない方で、どちらかというと途中で投げてしまう方ですが、集中して読めました。

「無言歌」もいい転開ですね。少し悲しい話題ですが、プロの作家の書く文章には平易でありながら、目をそらさせない力を持っています。昔、今から45年近く前になると思いますが、早稲田高校時代に作家の方の講演を学校の講堂で聴く機会がありました。多分教育の一環だったのだと思います。その方のお話も飽きさせずに集中して聞いた覚えがあります。(ただし中身については全く記憶しておりませんが)それと同じように集中させてくれる物を持っていると思います。

私は若い時、大学の4年間を京都で過ごしました。今でも京都は好きな町です。もちろん、良い思い出だけではありませんが、時間の経過とともに懐かしさは増します。京都物語には、色々な街が登場します。大原、寂光院、古知谷阿弥陀寺、室町通りや新町通り。東高瀬川はよくわかりませんでしたが、この本を読んでいると自分がその街を歩いているかの錯覚にとらわれてしまいます。

とくに鞍馬を描いた作品「狂想曲」では、一度火祭りを見たいと云う気になりました。「大文字焼き」「やすらい祭」などは、あるいはこの本には出てきませんでしたが、葵祭りや時代まつりは見たことがありますが、まだ鞍馬の火祭りは経験が無いので一度見たいと思いました。私の好みとしては「狂想曲」がいいと思いました。




2012/11/23(金) 曇り時々雨


[ 親は子供の鏡 ]
親は子供の鏡



61歳もあと少しで終了します。この年になるとあちこち悪い所が出てきます。そうでなくても足は弱り、手に力が入らない時が出てきます。父親は私の今の年に腰痛で入院しました。母親は急に老けました。頭がぼーっとするとか、めまいや肩こりなど、今まで経験したことが無い痛さで襲ってくることがあります。荷物を持って歩くことなども今までよりもキツイものが出てきました。思えば親のそのあたりの年には、「何をやっているんだ」という気持ちが私の方にありましたが、親と同じ年になって見ると、色々なことが見えてきます。「なるほど、こういうことか」
と実感しています。幸い親が色々なことを見せてくれているので、私も気をつけて過ごしていきたいと思います。親の有難さがわかる年になりました。




2012/11/22(木) 晴れ


[ やっぱり面白かった源氏物語 ]
やっぱり面白かった源氏物語


吉海直人
PHP文庫

序章  「源氏物語」の基礎知識
第1章 光源氏の誕生から青春期
第2章 光源氏の青年期から円熟期
第3章 光源氏の壮年期から晩年
第4章 匂宮三帖・宇治十帖
第5章 もっと知りたい「源氏物語」


「源氏物語」は日本文学の古典です。が、私はまだ読んだことがありません。死ぬまでには一度と思っていましたが、そう思ってからでもすでに数十年過ぎました。そこで、とりあえず紹介本を開くことにしました。吉海直人さんは、百人一首の研究などで知られる方です。新島八重さんの生涯も書いています。

さて、この本は光源氏を始め、葵の上や桐壺の更衣など源氏物語に登場する56人のキャラクター別に項目を建てて、全体として光源氏の誕生から晩年、さらには光源氏の亡きあと、薫と匂宮を中心とするラストの13帖までを解説しています。


初めて読むには面白い本だと思います。マンがなども交えて描かれています。
さらに「あなたに近いタイプの登場人物は誰?」というチャートが男性用と女性用に分かれ書かれています。クイズ形式ですね。それによると、私は「薫」だそうです。



2012/11/21(水) 晴れ


[ 中野駅北口散歩 ]
中野駅北口散歩



11月18日には、中野駅の北口を少しだけ散歩してきました。

この日は、木枯らし一番が吹く風の冷たい日でした。新しく出来た「中野セントラルパーク」を歩きましたが、このビルの北側にある中野四季の森公園は、ビル自体の陰になり、寒さは増すばかりでした。おまけにマクドナルドなどの店舗もビルの中にあるのではなくて、外部に面していて、雨の日などは中に入るまでは濡れる作りでした。駅からせめてこのビルまでは雨に濡れないで行けるように作らないとこの道を一般の人が利用するのはかなり限られるのではないかという印象を持ちました。まあ、夏の暑い日は日陰になって過ごしやすいかもしれませんが・・・




来年春に開校する平成帝京大学と明治大学はほぼ完成です。



ビルの陰でお日様が当りません。寒いです。風も強いです。雨が降れば濡れます。全く凄いビルを作ったものです。おまけにテナントも当初の金額では入ってくれません。結局は無駄使いに終わりそうです。
こうなると、壊すはずの区役所やサンプラザなどは現在のままにしておいた方が利便性は高いのではないかと思います。



さて、我が家のカマキリは、この枝が気に入ったらしく、ずっといます。隣の菊に来る虫を取ろうとして頭をもたげ、前足をフリーにして捕まえようとしていましたが、20分くらいであきらめて、また頭を下にしてとまっています。
いったい何を食べて生きているのか、心配になるほど、ここから動いた気配がありません。



2012/11/19(月) 曇り時々雨


[ 先日新幹線で ]
先日新幹線で


私は人見知りする方で、あまり人と話をしないのですが、先日新幹線で京都まで行った際、隣に座られたご婦人から話しかけられました。名古屋を過ぎる頃だったと思います。その方はハイキング姿で新幹線に乗って来られたので、少し違和感はありましたが、「どちらへ行かれるのですか」と私が返した所「京都へ行きます」ということでした。
彼女は私よりも10歳近く年上で、親の介護の合間に1人旅をしているとのことでした。私も同様の経験をしましたので話が弾み、京都まで退屈せずに過ごすことが出来ました。
今回の彼女は、大原野あたりを歩くのだと話してくれました。ふだん源氏物語の読み会に参加しているので、ゆかりの地を歩いていると言っていました。また三尾(高雄・栂尾・槇尾)もよかったですね、話してくれました。私も高山寺と神護寺へ行ったことがあったので、その時の風景を思い浮かべていました。この紅葉の季節なら、大原野から「光明寺へ足を延ばされたら」と申しましたら、予定に入っているとのことでした。京都の紅葉はこれからが盛りになります。来年は11月半ばというこれからの季節に京都を訪れて見たいと思っています。


2012/11/18(日) 曇り時々雨


[ 古今和歌集 ]
古今和歌集(仮名序)



和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける、で始まる古今和歌集の仮名序の作者は紀貫之です。仮名序にはその言葉に続いて

世の中にある人、事、業しげきものなれば、心に思ふこと、見るもの聞くものにつけて、言い出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはずのこえをきけば、生きとし生けるもの、いずれか歌をよまざりける。力を入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやわらげ、猛き武士の心をもなぐさむるものは、歌なり。

今、手元にある古今和歌集は岩波文庫で1982年6月の奥付きがあります。今から30ほど前に読んでみたいと思ったのでしょう。おそらくその頃の心境としては、万葉集を読み始めて、その補佐的なものとして古今和歌集を手に取ったと思いますが、紀貫之の仮名序を読み返してみると改めて深いものがあります。

紀貫之は和歌だけでなく万葉集の成り立ちなども知っていたと思われます。もう少し色々と書いて残してくれたら、現在の研究ももっと進むと思いますが、それは言っても仕方ないことですが、残された言葉から私たちが掴み取って行くものだと思います。

それにしても歌は、和歌は、あるいは言葉は、力があるものだと思わせてくれます。





2012/11/17(土) 曇り時々雨


[ NPO法人結から ]
ユニバーサルデザインを使った仮設住宅の提言



NPO法人ユニバーサルデザイン・結では、今年の3月に仮設住宅に対してある提言をしました。
この会は、福島県でユニバーサルデザインの考え方で、建物やまちづくりに住環境の整備に尽力している所ですが、この度、応急仮設住宅に対してユニバーサルデザインの観点から、「住まい」として調査しました。
福島県内の10か所の仮設住宅を調査し、自治会長さんなどへのインタビューなども交えて、そこから見えてくる問題点を明らかにしています。
その結果、福島県のように仮設住宅と言っても先が見えずに長期にわたって住むことが予想される所では、住む人の立場に立って仮設住宅を作ることが大切であり、一般的な、3間×3間=9坪のうちに納めることをしないで、4間×4間のスペースの確保と、その上に立って、流し台の調理スペースの確保、暖房便座、段差のないユニットバスや給排水管の凍結防止策など、具体的に提言を行っています。



夏暑くて冬の寒い仮設住宅。それを直していくにはそんなに難しいことではないと思います。標準仕様を変えさえすれば出来ることです。そんな気がします。またこの考え方は、私たちが住まいを作る上でも参考にしなければならないものだと思います。この中にあげられた10か所の仮設住宅は、大きく分けて、「プレハブ造応急仮設住宅」「準プレハブ造応急仮設住宅」「木造応急仮設住宅」でしたが、住民の声では、木造造りのものが冬でも暖かいと云うお話が多かったのは、木造住宅の優位性の結果だと思います。


なお、この提言は全文はHPからダウンロードできます。

こちらから

2012/11/16(金) 晴れ


[ 僕たちはいつまでこんな生き方を続けるのか ]
僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?


小暮太一
星海社新書

はじめに しんどい働き方は根本から変えていこう
第1章 僕たちの「給料」はなぜ、その金額なのか?
第2章 僕たちは「利益」のために限界まで働かされる
第3章 僕たちはどうすれば「高い給料」をもらえるようになるのか?
第4章 年収1000万円になっても、僕たちには「激務」だけが残る
第5章 僕たちが目指すべき「自己内利益」の増やし方
第6章 僕たちは、どういう「働き方」を選択すべきか」

おわりに 働き方を変えて、生き方を変えよう


作者の小暮氏は1977年生まれ。30代半ばの方です。学生時代にマルクスの資本論とハワイ在住のロバート・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」を読みこんで、二つの著書が同じことを言っていることに気付き、どういう生きたかをすればラットレースに巻き込まれずに幸せに暮らして行けるのかをこの本は説いています。
その反面、最後にこの本に書かれたことは、答えではなくて、答えを導き出すための本である、と書かれています。
要は自分の頭で考えて、自分に見合ったものを見つけないといけないと書かれてありました。何でも自分の力で努力を重ねなければ、見につかないと言うことでしょう。それにしても今の社会の仕組みについては知っておいた方が良いと思います。








2012/11/15(木) 晴れ


[ 菜乃羽は ]
菜の羽は


杉本浩平氏の「よこはま物語」を読んでいました。その中に「いちめんなのはな」と言う題名の小説がありました。そこで、甥夫婦の子供である「菜乃羽」を思い出しました。菜乃羽は今頃何をしているのでしょうか。だいぶ大きくなったと聞いています。また会ってみたいと思っています。

最近はつかまり立ちをしているとのことでした。子供はどんどん大きくなります。





2012/11/14(水) 晴れ


[ 「よこはま物語」 ]
よこはま物語



杉本浩平
関西書院

目次
よこはま物語
いちめんなのはな
春前線
祝祭

著者が生まれた横浜、青春時代を過ごした京都、一面菜の花の咲いた房総を背景にした著者の自伝的小説。普段小説を読まない私ですが、彼の小説を読みながら、自分の人生をそこに重ね合わせています。自分の生き方や親との関係など考えさせられることがいくつも出てきます。




2012/11/13(火) 曇り


[ ちょっとした買い物 ]
ちょっとした買い物


会社の領収書を切らしてしまいました。そこで市販の領収書を買いに近くの用品店に買いに行きました。自分の欲しいものがあると信じて行ったのですが、生憎ありませんでした。そこで、別の買い物をと思ってカレンダーを送る筒を買うことにしました。昨年はここ家買い求めたと思います。が、やはり今は置いていませんでした。そこで別の所に行くことにしました。その結果、ホームセンターまで足を延ばすことになりました。
同じことですが、立場を変えて、私が売る方であったとします。現実に商売をしていますので、売る方ですが、我が社の場合も在庫はどんどん減らしています。今まで、あるいは少し前まで置いていたものでも在庫をやめ、取り寄せにして会社の負担を減らす方向にあります。それだけ商売も厳しくなっているのだと思います。大きな所だけ残ることになると、住んでいる人にとっては、ホームセンターが近いか遠いかが恩恵を受けられるか否かの分かれ道になります。そのホームセンターがより大きな所に吸収されれば、またそれだけ買いものは大変になります。もちろんそのあたりまでくれば、隙間を埋める人が出てきて、それが一つの商売になるのだと思います。

さて、我が家のベランダでは菊が盛りを迎えました。つい最近までつぼみだったものが花を咲かせました。白とオレンジにややピンクがかったものと3色咲いています。その横にはパプリカがありますが、そこにカマキリが逆立ちしてとまっているではありませんか。思わずカメラを持て来て一枚写しました。カマキリはこの形が楽なのでしょうか。数週間前にもカマキリを見つけた時に横に渡した小割の下側にとまっていました。






中央部にとまっています。



2012/11/12(月) 曇り


[ 道が語る日本古代史 ]
道が語る日本古代史



近江俊秀
朝日新聞出版

序 道路は社会を映し出す鏡

第1章 葛城の道
  1 古墳時代にも頑丈な道路を作る技術があった
     1古墳時代の道路の発見
     2鴨神遺跡の道路の正体は

  2 造ったのは誰か
     1古代の大豪族葛城氏
     2渡来人がもたらした技術
     3葛城氏の勢力を支えた道

  3 付け替えられた国道
     1雄略天皇の誕生
     2葛城氏滅亡と道路の行方

第2章 大和・河内の直線古道
  1 6世紀の道路
     1壬申の乱に見える道路から
     2今でも残る古代道路

  2 いつ造られたのか
     1史料が語る敷設時期
     2発掘調査の成果から

  3 なぜ造られたのか
     1直線道路の特徴
     2推古朝の政策
     3道路網成立の契機
  4 聖徳太子と蘇我馬子
     1推古朝の立役者
     2蘇我氏の政策
     3大和・河内の直線道路の意義

第3章 七道駅路
  1古代のハイウエイ
     1直線道路網
     2七道駅路の構造

  2律令国家と駅路
     1律令国家への歩み
     2新たな国家建設に向けて
  3古代国家と道路
     1駅路から見える天武朝の政策
     2律令国家の変遷と駅路


道は権力者が作ります。その権力が落ちれば何時か道も無くなってしまいます。古代の道にはそうした歴史がいくつもあります。その中で著者は「葛城の道」「平城京の道」「律令国家形成期の道」の三つを取り上げ、それに成り経ち、発展、そして無くなり方を解説してくれます。

特に第2章で語られていますが、飛鳥に「下つ道・中つ道・上つ道」があります。起点は「下つ道」の欽明天皇になりますので、これを企画し作った方は欽明天皇の子孫だったと考えられます。南北に直線で造られた道です。幅約34メートルと言われています。それと直角に交わる「横大路」は幅が35メートルと一番広い道になります。さらに「下つ道」の東には、それと一定の間隔を経て造られた「中つ道」と「上つ道」があります。よくまあこんなに広い直線道路を造ったものだと思いますが、「上つ道」は箸墓のあたりで少し曲がっています。箸墓の方が前に出来ていたことがわかります。その一方で少し避けた所に造らずに下つ道、中つ道との間隔を重視したこともわかります。一定の間隔に特別な意味があるのでしょう。
今一つ、横大路は大阪にある「難波の宮」に通じています。難波の宮から山越えをして横大路へ入ります。下つ道で左に曲がると遥か彼方に朱雀大路を経て平城京が見える仕組みになっています。平城京が造られるのは下つ道が出来てからざっと100年の年月を経てからですが、それくらいのスパンで道は造られていきます。今では中つ道は跡かたもありませんが、上つ道は今でも使われています。








2012/11/11(日) 曇り


[ テニス帰りの運転は霧の中 ]
テニス帰りの運転は霧の中


11月6日から7日にかけては中野では珍しく霧がかかりました。6日の午後8時半過ぎに車を走らせている時もそうでしたが、7日の朝の7時ごろまで霧がかかって少しだけ幻想的でした。

霧のつく歌は「霧にむせぶ夜」「夜霧のブルース」「霧笛が俺を呼んでいる」「霧の中の少女」「霧子」「霧の摩周湖」などが思い浮かびます。

さて、仕事はお客さんが直で請けて来るものが少なくなりました。孫請けないし、それ以下です。従って材料も高価なものは支給されてしまいます。一番数の拾いにくいもので安いものだけが買ってもらえるものになりました。それは限りなく肉体労働だけを要求されます。



2012/11/08(木) 晴れ


[ 日吉大社へ行く ]
日吉大社へ行く



2012年11月4日に大学時代同期の仲間と滋賀県の雄琴温泉に泊まり、翌日は坂本にある日吉大社を見学してきました。歴女となったバコちゃんの案内と説明で、レジュメを片手に東大本宮から白山宮、宇佐宮を経て西本宮本殿をお参りしてきました。日吉大社は東日本系の産土神を祀る4社と三輪明神を勧請した西日本系の3社の計7社、いわば日本中の神様を一か所に集めて、ここをお参りすれば事足りる、といった感じになっています。山王鳥居に始まり、日吉三橋、社殿の日吉造などもバコちゃんに説明していただきました。
しかし時間が足りなくなって、日光よりも早く造られたという東照宮や裏山に連なる68基以上の後期古墳群などへはいけませんでした。が、これは次回にまわしたいと思います。広々とした境内を一周しながら、滋賀県は京都以上に昔のままのものが残されていると感じてきました。何処へ行っても人の多い、京都よりも大人の静けさを求めるならば、滋賀県は良い所です。
少しマイナーな分だけ雰囲気を楽しめます。



まずは出発するまでに少し時間があったので新しくなった東京駅を写しました。




次は京都タワーです。京都で3人と待ち合わせて4人で動きました。京都からは、湖西線に乗って蓬莱を目指します。




蓬莱で2名と合流して、お昼御飯をいただき、琵琶湖の散策です。この日は波も穏やかでした。北に見えるは近江舞子です。




雄琴温泉で一泊した後、日吉神社です。



日吉大社の鳥居は明神鳥居の上に三角形の屋根が乗っています。




境内の塀も苔や草が生えていました。


菊祭りが開かれていましたが、私にはその後ろにある塀が腐っている方が気になりました。



紅葉が始まっていました。見ごろは二週間先でしょうか。


「鶴喜」という有名なお蕎麦屋です。建物の写真がぼけてしまいましたが、おいしい所でした。


穴太(あのう)衆が造った、石垣の見える部屋でお蕎麦をいただきました。
石垣にピントが合っています。


食後は、竹林庵でお茶をいただきました。


2012/11/07(水) 晴れ


[ あれから40数年 ]
あれから40数年


11月4日には、大学時代の仲間達と一夜を過ごしましたが、その時に大学時代に今の仲間たちと私が唯一参加した夏合宿の写真を何枚か見せていただくことが出来ました。以前にも紹介したことがありますが、間違いなく私にも18歳の時がありました。その時の友人と40数年ぶりに会うことが出来ました。私も私としてはよく話して来ました。


私も痩せていました。今25歳の甥にそっくりです。




鳥取県の浜坂海岸です。1969年のことでした。


この仲間達も間違いなく私の宝物です。



2012/11/06(火) 雨


[ 11月になりました。 ]
11月になりました。



土曜日の十三夜はご覧になりましたか。美しかったですね。

この日はテニスを4時間ほどした関係で夜の9時には眠りにつき、起きたのは午前5時。朝ご飯を食べて、7時から8時半までふたたび眠りました。体力が落ちています。

その関係もあり、日曜日は映画観賞になりました。8月に行って以来二カ月ぶりになります。一人1000円で見られるので、もっと行きたい気持ちはありますが、これくらいのペースになります。

さて、11月になりました。急に寒くなった気がしています。今朝は有明の月も美しく見ることができました。空気はおいしい季節になりました。昨日の夜はおでんでしたが、今夜からは鍋もいいですね。

盟友の窪寺伸浩さんが新東京木材の「WOODS」に神棚マイスターとして原稿を書いたそうです。楽しみにしていましょう。彼くらい得意技を持っている方も少ないですが、自分の得意な方面を私も伸ばしてみようと思っています。




2012/11/01(木) 晴れ


( 2012/12 ← 2012/11 → 2012/10 )


[ 管理者:大野満生 ]


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