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時々更新mn日記

( 2012/09 ← 2012/08 → 2012/07 )


[ 悪い奴を見かける ]
悪い奴を見かける


全く暑いですね。夕方からは風も出てきますが、日中は静かにしています。我が街のお祭りも終わり、街は平穏を取り戻しています。仕事はまだ夏休みです。あるいはこのまま休みに入るかです。

そんな中、しばらくいなかった悪い奴を見かけるようになりました。一人はやくざです。刑務所から出てきたようです。もう一人は宅建主任者なのですが、家賃を払わないで有名な方です。ここ十年くらい見ないと思ったら、また近所に引っ越してきました。嫁さんと小さな子供はいなくなっていますので、多分別れたのでしょう。口を開けば、流暢にやさしい言葉で話しますが、家賃はどこでも溜める方で、その癖は直ったのでしょうか。他にも見た目は社長さんのように恰幅が良いのですが、普段はタクシーの運転手。時々務所に入っている方も元気で見かけます。

今年は暑かったせいもありますが、母の実家に行っていません。行かなければと思いつつやり過ごしています。どこかで行かなければと思っています。



2012/08/27(月) 晴れ


[ 風のワルツ ]
風のワルツ



風のワルツ 作詞 秋元康 作曲 徳久広司

まぶたを閉じれば 過ぎていく
花も流れた 時のせせらぎ
岸辺に一人 佇む陰
誰が歌うか 風のワルツ

昨日のことなら 忘れたが
遠い昔は 今も鮮やか
夕焼け空に 未練の雲
誰と歌おうか 風のワルツ

生まれて死んでいく その途中
人生なんて ただの幻
一番星が 輝くまで
ひとり歌おう 風のワルツ


この所急にお気に入りになった歌です。

今まで感じませんでしたが、この秋に40年ぶりに大学時代の同期生5人と会えると思った時から、感じるものがありました。彼らとはこの40年間、探せば探せたのかもしれませんが、そういうことの一切せずにこの年まで来ました。もう後が無くなって、会っておきたいと思っています。

風のワルツは秋元康氏の歌だったのですね。二番の歌詞がいいですね。

昔のことは鮮やかなのです。




2012/08/25(土) 晴れ


[ 新聞記事をそのまま ]
新聞記事をそのまま


私の若い頃は、コピーをすることが出来なくてノートは手書きで写したものですが、大学の途中からコピーが一般化してまだ値段は高かったですが、写すことが無くなりました。

今も、8月23日付の新聞記事をそのままコピーして見ました。自分なりに書き直しても同じものになってしまうので、読売新聞からのコピーですが、木材特にここの所へ来ての桧材の原木価格の下落はひどいものがあります。今から二十年くらい前にやはり値段が落ちてきた時には、大工さんに「桧材を使っていただきました」が、今では桧材を使うこと自体が無くなってしまいました。その意味では少しでも使っていただけるようにしていくことは大事です。うまくいくことを祈るばかりです。






読売新聞
 政府は、国産木材を使って住宅を建てた人に、家具や家電製品、地域通貨などと交換できるポイントを付与する制度を創設する方向で検討に入った。
 農林水産省が2013年度予算の概算要求に盛り込む。国産木材の利用を促すことで地域経済の活性化を図る狙いがあるほか、不況で冷え込んでいる住宅市場を下支えする効果も期待される。
 使用する国産木材の量に応じてポイントがもらえる仕組みとする。木造住宅の場合、1戸あたりの付与ポイントは、20万〜30万ポイント(1ポイント=1円)程度になるとみられる。
 東日本大震災の被災地以外からの申請が7月で打ち切られた「住宅版エコポイント制度」と同様に、受け取ったポイントは様々な商品と交換できるようにする。制度の詳細は今後詰めるが、予算要求額は100億円規模になる見通しだ。
 政府が国産木材の利用を後押しするのは、スギやヒノキなど国産木材の価格が急落し、地域経済に深刻な影響が及んでいるとの危機感があるためだ。急速に進んだ円高・ユーロ安を背景に、北欧などから安価な木材が流入。高級木材として知られるヒノキの価格(1立方メートルあたり)は7月時点で1万6800円と、ピークだった1980年ごろの約4分の1にまで値下がりしている。


2012/08/24(金) 晴れ


[ 川島商店街 ]
川島商店街夜店市が今年も開かれます。

今年も8月24日、25日と川島商店街の夜店市が開かれます。
45回を数えています。





24日から25日には、中野新橋でもカラオケ大会と盆踊りがあります。
2012/08/23(木) 晴れ


[ 近所の建前 ]
近所の建前



この所、近所でも沢山の建築物が建っております。鉄筋あり、鉄骨あり、木造ありです。そのどれにでも従来の地元の工務店が関与していないのは残念です。ふた昔前ならば、という感はありますが、この二十年で仕事のやり方も変化しましたし、それに伴い、何もかもが違ってしまいました。鉄骨や鉄筋の建築物もほとんど大手の建物です。木造もそれに限りなく近くなりました。

近所の建前が昨日から始まりました。昨日来たクレーンは小さなものでしたが、今日のものは二階建の建物を超えて材料を降ろせるほどの大型のものが来ています。職人さんも若い人が7人。それに監督やクレーンの運転手など総勢10名で仕事をしています。暑いので大変そうですが、今は組み立てていくだけなので、スムースに進んでいます。

使われているものも集成材ばかりです。クレームが少なくて十年はもつもの、と考えていくと一番安全な材料を使うことになります。これは我々も同じですね。お客さんからの要望がなければ「安全な方」を第一にしてしまいます。

先日内装に杉材を使う仕事をさせていただきましたが、杉を使いたいというお話でしたので、何か特別な思いれがあるのかを訪ねた所、設計士さんの好み、というお返事でした。お施主さんが育った環境とか、故郷の材料を使うのかなどとはじめは思いましたが、本物の木を使いたいということが一番のようでした。何とか仕事はまとまりました。

本物の木を使ってもらう、このこと自体が自分たちの課題になるとは思いませんでしたが、このことが忘れないように過ごしていきたいと思います。




2012/08/22(水) 晴れ


[ 9時から5時まで ]
9時から5時まで


ロンドンオリンピックが開催されてから、早寝の習慣が根付いてしまいました。一昨日は9時に寝て朝の5時起きでした。昨日は9時に床に入ったら、昔の友人から電話で起こされました。まだ9時ですから電話もかかってきます。中味は同期会をしますという話でした。出席するつもりです。私は40年ぶりの方が何人かいます。会えればですが・・・

そんな話の後に眠ったら、夜中に起きてしまいました。そうなると眠れません。しばらく本を読んでいましたが、やはりベッドの中で横になることにしました。3時前になると、ごみ収集の車が、止まってごみを収集していきます。3時を回ると牛乳屋さんが軽トラックで、配達です。4時20分になると二軒となりのおばあさんがテレビをつけます。大きな音を出すので、私まで聞こえます。

そんなことをしていたのに気がつけば6時です。その少し前までは変な夢でした。砂漠のような所を歩いたり、塀をよじ登って二人でたどり着いた建物の中では、パフェを食べている人がいました。私たちはガラス越しにそれを見た所で目が醒めました。以前は仕事の夢を見ましたが、最近は見ません。仕事が無いからかもしれません。

ともあれ、また昔の友人に会えそうなのでワクワクしています。



2012/08/21(火) 晴れ


[ 2の零乗から2の10乗までなど ]
2の零乗から2の10乗までなど



2の零乗は1で、自分自身です。2の一乗は2で両親です。2の10乗は10代遡ったご先祖様です。千人くらいになります。20代遡れば百万人を超えます。一代25年として、10代遡るということは、今から250年くらい前になります。同様に20代遡ると500年くらい前になります。500年くらい前の百万人の力がぶつかり合って、私は生を受けました。千年遡れば、当時の人口を軽く超えてしまいますから、実際それだけのご先祖はいませんが、それだけ血が濃いということになります。また、子供をもうけられるだけの資格は昔行けばいくほど厳しいものがあるでしょうから、(例えば、貧農では育てられない、次男三男では結婚できない、などです。)かなりの確率で狭い集合体の中で子孫は残されてきたことになります。同じ地域から考えるとほとんど親戚ということもあるでしょう。

さて、数学は早稲田高校の時代に古川秀穂先生に習いました。陸軍士官学校を卒業された新進気鋭の大柄な先生でした。私たちが習った頃は四十代の前半だと思いますが、すでに頭は禿げ上がり、貫禄がありました。怖いイメージがありましたが、大づかみに話す、その授業に魅力を感じていました。物理や化学は全く駄目でしたが、何となく数学が好きな科目になったのは古川先生のおかげです。今から二年前の早稲田高校71期生の集まりにはお元気な姿を見せていただき、またお話もさせていただきました。今年の集まりの時にも当然お会いできるものだと思っていましたが、残念なことに今年の4月8日に帰らぬ人になっていました。

先日の71期生の集まりの時には、ご遺族が作成された冊子を配っていただきました。その中には、先生が書かれたいくつかの文集が紹介されていました。授業の進め方について、「考えたいこと」、あだ名について、という3篇をまとめた冊子です。これらの中に先生の全てが表わされています。

あだ名については先生の容貌から「がんも」と云う名がつけられていました。丸顔の大柄な先生でしたから、そのあだ名は良くつけたものだと感心しました。そして最後に付けられたあだ名は「べんざ」だそうです。こちらは少しいただけないと思います。

今一つ「考えたいこと」と題したものが載っています。1977年9月10日という日付けがついています。わたちが習った時から十年経っていますが、先生の考えていたことがわかります。

それは、1938年に東京帝国大学に入学したA教授のお話から入ります。A教授はお父さんを早く亡くし、お母さんの手一つで育てられました。1941年12月に卒業し、軍隊に入らなければなりませんでした。そしていよいよ出征することになりました。その時、お母さんはA教授を呼んで、小さな声で「あきらはんや、無理に他人(敵)を殺したらあかんざ、無理に死んだらあかんざ」と言ったのです。
戦争中ですから少しでも戦争に批判的なことを言えば、非国民といわれた時代に「無理に殺すな、無理に死ぬな」と告げることは大変な勇気を必要としたことでしょう。しかし戦争というものの持つ意味を、人々の生命を奪うことの意味を果たしてどちらが深くつかんでいたでしょうか。
と書かれています。

ここからさらに先生は、知識の教育で受けた知識と自分の生きる目標というものを結び付けること、結びつけられることで本当の教育と呼べるものになるのではないかと書いています。

また、
一昔前までは身の回りの大部分のものは自分で作らねばなりませんでした。あなた方が成長して今日に至るまでに食べたり、着たりするもの、、総じて生活するために必要なものの中であなたが自分作ったと言えるものがあったかどうかということです。ほとんどないと思います。

そうであれば、
それらを生産し、あなた方が、十何年間も学ぶことに専念出来る条件を作っているあなた方の両親を含めた多くの働く人々に関心を持ち、それらの人々の期待に背かないようにしっかり学んでほしい

と結んでいます。


先生というものはいくつになっても越えられない存在です。その越えられない存在がいなくなるというのは寂しいものです。



古川先生の容貌を良く捉えていると思います。自画像でしょうか。


2012/08/18(土) 曇り


[ 今年の夏休みは ]
今年の夏休みは


今年の夏休みはいつもと趣向を変えて、家でゆっくり過ごしました。どこかに泊まりに行っても混んでいるだけなので、また一人どこかへ泊まれば一万円はかかるのでその分美味しいものを食べようということになり、結果そうしました。体重は増えてしまいましたが・・・・

予定していた所へもいつくか行けました。テニスをする、温泉に入る、などです。出来なかったことは母の実家の墓参りと「第2力酒造」での食事。これはまたあらためて行くことにしましょう。

段々と年を取ってくると、弱い所が一層弱くなってきます。大昔美空ひばりが、子供のころ巡業先の高知県内でバスの転落事故に遭い、竜神さんにお願いをして、もう少し歌を歌わせて下さいとお願いしたとか、

それから奇跡的に回復しましたが、それから40数年経って亡くなるきっかけとなったのは、その時に受けた股関節の変形からでした。

父も20代の頃結核をやりましたが、やはり年を取ってきて呼吸器系が弱くなりました。弱い所をカバーするように生きていかなければ長生きは出来ません。私も適度に無理をしてあまり体調を落とさないようにしたいと思っています。何せか弱いものですから。

そういえば我が家の雨漏りは止まっています。この分なら大丈夫だと思います。昔の建物は悪い所が見えたので、修理するのが当たり前でしたが、今の住まいは原因を探すのが一苦労です。昔の住まいは簡単で、直すのも簡単でした。と云うよりも直すこと前提として作っていたのだと思います。定期的に補修が必要な所をこまめに直していくことで維持していたものが、十年二十年に一度しか直さなくなりました。

そういえば自宅を作ってから8年半が過ぎました。悪い所が出てきても不思議ではありません。ただ年をとると直そうという気持ちが薄くなっています。それだけの力が無くなりました。そんなことを感じる年になりました。

今日も暑いです。倒れないように仕事をしないといけません。水分と塩分補給を怠らないように用心しながら過ごしたいと思います。



2012/08/17(金) 晴れ


[ 売上少々 ]
売上少々、入金激減



朝起きると、背伸びをします。外に出て朝の空気を吸って首を回します。軽くストレッチすることもあります。会社に出てきてからも材木を少し担いで汗をかきます。若い時と違い、少しでも準備をしてからでないと身体が動かなくなっています。

週2回ほどテニスをしていますが、それがいいのは、テニスをする前に準備体操することです。家を出る前に一度。テニス場で一度。帰ってきてからは風呂にゆっくり浸かります。また週に一度整体に通い、矯正していただいています。

週に2回するようになって、少しはうまくなったと思っています。が、少し若い方とラリーをすると5回目くらいでバテてしまいます。通常片足に体重を乗せてその移動でボールを打つのですが、段々と両足が揃ってしまいます。さらに打点も後ろになります。威力ある球が打てなくなっています。

両足が揃うのです。片方ずつ足を出せば、前にも後ろにも進むことが出来ますが、脚が揃います。この状態が年です。

同年代の方のテニスを見ていても、段々と疲れて来ると上体だけで動いていることがよくわかります。自分の姿もこうなのだろうと、思いながらスクールでは見ています。これを直すにはもう少し足を鍛えないといけないでしょう。打つ時に姿勢を低く保てるだけの体力が無いとテニスはうまくなりません。

さて、仕事はひと段落です。

この所、木材市場に数度行きましたが、木材の入荷が少ないですね。もうこのまま入荷しないのではないか、と思うくらいです。ちょっと特殊なものもありませんが、今まで普通に入ってきたものも無くなってきました。製材する所が限られ、地元で使いきれば東京まで持ってくる必要も無くなります。すべてが受注生産品になるような雰囲気です。

売り上げも落ちていますが、入金はもっと落ちています。今まで相手にしていた所へはもう売れなくなりました。

もうすぐ夏休みです。12日から16日を予定しております。皆さんも暑い夏ですが元気で乗り切ってください。



2012/08/12(日) 曇り時々雨


[ 歴代天皇総覧 ]
「歴代天皇総覧」皇位はどう継承されたか


笠原英彦
中公新書


目次

神話時代の天皇 神武天皇から仲哀天皇
古代の天皇   応神天皇から安徳天皇
中世の天皇   後鳥羽天皇から後陽成天皇
近世の天皇   後水尾天皇から孝明天皇
近現代の天皇  明治天皇から昭和天皇


本書は神武天皇から昭和天皇に至る歴代の天皇を取り上げ、その生涯と事績を簡潔にまとめたものである。その際、以上のような天皇権力の推移を念頭に置きながら、できうる限り皇位とその継承とその時々の政治権力との関係に触れた。

著者は前書きに置いて以上のように書いています。

また、
第一代神武天皇から第一四代仲哀天皇までは実在の確認できない天皇であり、したがって「神話時代の天皇」とした。また、各天皇の代数は「皇統譜」に基づく便宜的なものである。本書が多少なりとも天皇をめぐる諸問題を考察する手掛かりとなれば幸いである。
と結んでいます。

私は子供のころから系図を見ることが好きでした。天皇の名前をわら板紙に写して線を引っ張って親子関係を確認したりしていました。

私は、父親母親の第一子で長男。父方にとっては初孫にして初ヒ孫という、今にして思えば、恵まれた環境で育ちましたので、可愛がられたのは事実です。(今の愛梨みたいです)

そんな環境にいたせいか、「なんで天皇は長男が相続しないんだろうか」というのが気になっていました。また「家系が断絶した場合には、遡って誰かを探してくる」ということもわかりました。これなら続けることが出来ます。前者は皇子なり皇女を生んだ母親の身分が優先されていることもわかってきました。

といは云うものの例外もあります。

第49代の光仁天皇は称徳天皇の後、61歳で即位しています。今の私の歳です。光仁天皇は家系から考えると天智天皇の孫ですが、父親は天皇になっていません。また、称徳天皇から見ると祖父が「ハトコ」と、遠い関係です。が、称徳天皇の姉との間に男の子があり、光仁が天皇になったことにより、皇后と皇太子になります。ところが、光仁およびその姉を呪詛したとしてこの皇后と皇太子を幽閉してしまいます。(その後すぐに亡くなります。暗殺説あり)

そのため光仁は、山部親王(後の桓武天皇)を皇太子とします。この親王は、母親が高野新笠という百済系の帰化人であったために反対もあったとのことですが、44歳で山部親王は即位します。桓武天皇です。今の天皇が2002年のワールドカップの際に「私にも韓国の血が流れている」と言って話題になりましたが、今の天皇の凄い所はそういう所を隠さない姿勢です。ちなみにこの後、天皇家の血筋は半分は藤原氏。源氏も平氏も天皇家の子孫ですから、今生き残っている人たちの多くは何処かでこの血が流れていることでしょう。

さて、いまNHKの大河ドラマで「平清盛」が放映されていますが、松田翔太扮する後白河天皇は、28歳で天皇となり、31歳で譲位して上皇となります。それから34年間、浮き沈みはありますが、院政を行います。孫世代にあたる81代の安徳天皇が西国へ逃れた後、82代の後鳥羽天皇が即して、二年間ほど二人の天皇が並立していました。後白河院はこの時まだ生存中です。安徳天皇は3歳で即位し、後鳥羽天皇は4歳で即位します。即位は、自分の意思でないことは確かです。

この本は良く出来ていると思います。光仁天皇は天智天皇の皇子、施基皇子を父とし、云々。桓武天皇は光仁の王子。と、同じ「おうじ」でも字が違います。皇子は天皇の子供。王子は王族の子供。使い分けが出来ています。この辺りが歴史家ならではということでしょうか。面白い本です。話は変わりますが、明治天皇も謎の多い方で、「途中ですり変わった」という話があります。ひ弱な人が急に逞しくなり、字の上手な方が書を書かなくなります。写真も数少ない方です。もちろんすり変わったという方も天皇家の血筋はひいているのですが・・・政治とかかわりの強かった時代には色々なことがあります。天皇家も早く普通の人並みになれると日々の生活が楽なように思えます。





2012/08/11(土) 晴れ


[ ああ青春の胸の血は ]
ああ青春の胸の血は


今から50年近く前の歌に「ああ青春の胸の血は」があります。作詞 西沢爽、作曲 遠藤実、歌・舟木一夫です。

先日、Yuutube内で、この歌の替え歌バージョンを見つけました。それはこのメロディーに乗せて歌詞は当時のヒット曲で繋ぐというものでした。題して「ああ青春歌謡よ永遠に」です。

やられた、という感じになりました。
いい出来なのです。

ここに登場する歌の大半が今でも歌える、というのが私の青春時代の歌なのです。

以下、こんな感じです。

あゝ青春歌謡よ永遠に

学園広場 仲間たち 十七才は一度だけ 明日は咲こう花咲こう 涙をありがとう 光る海 美しい十代 君たちがいて僕がいた

いつでも夢を 女学生 十七才のこの胸に 恋をするなら 君だけを ごめんねチコちゃん アキとマキ 花咲く乙女たち 愛しあうには早すぎて

北国の街 寒い朝 あの娘たずねて わかれ道 チャペルに続く白い道 星空のあいつ 星娘 高原のお嬢さん まだみぬ君を恋うる歌

以上は、舟木一夫(7曲)、西郷輝彦(7曲)、三田明(3曲)、吉永小百合(3曲)、橋幸夫(3曲)、高田美和(2曲)、梶光夫(2曲)、本間千代子(1曲)、安達明(1曲)、佐々木新一(1曲)、北原謙二(1曲)さんの持ち歌をつなげたものでした。

「学園広場」も「仲間たち」も歌の題名です。この頃の歌はメロディーが簡単で、歌詞も75調なので、つけやすいものでした。それでも良くこのようにつなげたと感心しています。

またこれらの歌の大半は、「青春歌謡映画」として日活、東映、大映といった当時の映画会社で上映されていました。日活は吉永小百合や松原智恵子、伊藤るり子、和泉雅子。東映は断然本間千代子、大映は姿美千子さんでしょうか。

40年から50年前のことは鮮やかに残っています。


2012/08/10(金) 晴れ時々曇り


[ 創られた日本の心神話 ]
創られた「日本の心」神話
  「演歌をめぐる戦後大衆音楽史

光文社新書
輪島裕介著

目次

はじめに――美空ひばりは「演歌歌手」なのか

第1部 レコード歌謡の歴史と明治・大正期の「演歌」
第1章 近代日本大衆音楽史を三つに分ける
第2章 明治・大正期の「演歌」

第2部 「演歌」には様々な要素が流れ混んでいる
第3章 「演歌」イコール「日本調」ではない
第4章 昭和30年代の「流し」と「艶歌」
第5章 「作者不詳と競作」のヒット――1960年代前半の「艶歌」
第6章 ご当地ソング、盛り場歌謡、懐メロ
第7章 昭和40年代前後の「艶歌」「演歌」の用法

第3部「演歌」の誕生
第8章 対抗文化としてのレコード歌謡
第9章 五木寛之による「艶歌」の観念化
第10章  藤圭子と「艶歌」の受肉
第11章  「エンカ」という新語

第4部「演歌」から「昭和歌謡」へ
  第12章 1970年代以降の「演歌」
  第13章 「演歌」から「昭和歌謡」へ
  終章 「昭和歌謡の死」


著者は1974年生まれの大学準教授の方で、民族音楽や大衆歌謡史を専門としています。この本は「演歌」を取り上げて、それが昔からあるものではなくて、ある特定時時期に創られたものであることを証明しようとしています。主に対象としているのは戦後です。1950年代から70年代にかけてになります。著者にとっては生まれた頃のことを対象として書いています。目次を見てわかるように「演歌」の歴史を満遍なくたどっています。

私にとっては生まれた頃から20代の出来事が当時の流行歌の一つである「演歌」通じて甦ってきます。今では昭和歌謡としてくくられ、歴史上の出来事になっていますが、多彩な歌手の名前が出てきます。よくぞここまでまとめ上げたな、というが私の実感です。美空ひばり、鶴田浩二、石原裕次郎、小林旭、春日八郎、三橋美智也から八代亜紀、五木ひろし、森進一、青江三奈・・・

この時代で名前が出てこないのは郷ひろみくらいでしょうか。

ともあれ、1968年あたりから71年くらいにかけては時代の変わり目にあたり、演歌を日本人の心としたい人と、それから距離を置く人との対立の中で前者はそこをより強調し、創ってきたことを明らかにしていると思います。

「演歌は日本人の心」か

この問いに単純には答えられませんが、単純な否定も肯定も出来ないと著者は結んでいます。




2012/08/09(木) 晴れ


[ 早稲田高校同期会写真 ]
早稲田高校71期同期会写真




前列左より4番目が80歳になられる和角仁先生。こうして並ぶとどなたが先生で、誰が生徒か、わかりませんね。



2012/08/08(水) 晴れ時々曇り


[ 暦の上では立秋 ]
暦の上では立秋



暦の上では立秋になりましたが、暑いですね。如何お過ごしでしょうか。

こちらは夜中に起きてはオリンピックを見てから、明け方に眠りにつくといった生活が続いています。水泳、アーチェリー、サッカー、体操など日本人選手の活躍も沢山あり、見応えもあります。個人競技より団体競技にその活躍が見られるのは、昨年の大震災の経験からでしょうか。

さて、だいぶ長く生きてきましたが、うれしかったことは、則子さんとのことを除くと淳一が結婚したことです。これが第一です。第二には、愛梨が生まれたことです。修也が結婚すればそれが一番になると思います。

次の世代が着実に育ってきていることはうれしいことです。

逆に悲しいことも増えています。4月には高校時代に恩師が亡くなっていました。親戚の叔父さんもかなり年をとり、徐々に引退です。世の流れとはいうものの振り返ることが増えています。

今、舟木一夫のB面特集を聞きながらこれを書いていますが、B面にも良い歌がたくさんあります。先日の日曜日には、舟木一夫のファンの方を取り上げた番組が放映されていましたが、60代のファンの方の多さにびっくりしました。彼はもう67歳になりますから、一度くらいは生で聞いてみたいです。

舟木一夫のB面では、明るい歌と哀愁を帯びた歌の両方が聞けますが、今の私としては、「風のワルツ」や「京の恋唄」などよりも「青春の大阪」や「東京新宿恋の街」など明るい歌が好みです。もう少し青春していたいです。



2012/08/07(火) 晴れ


[ 飛鳥の木簡 ]
飛鳥の木簡――古代史の新たな解明



中公新書
市 大樹著


目次

序章  1300年の時を超えて
第1章 日本最古の木簡
   1.紀年銘木簡から探る
   2.考古学見地から探る
   3.日本における木簡使用の始まり
第2章 大化の改新はあったか
   1.改新の詔の信憑性
   2.「乙丑年」荷札木簡の衝撃
   3.荷札木簡から見た「国――評――五十戸」制
第3章 天武天皇と持統天皇の王宮
   1.日本最古の暦
   2.石神遺跡の性格
   3.飛鳥浄御原宮の姿
第4章 飛鳥の総合工房
   1.富本銭を厨造した工房
   2.飛鳥池工房の性格
第5章 飛鳥寺の多彩な活動
   1.飛鳥寺と道昭
   2.宗教・医療・経済活動
第6章 藤原京の誕生
   1.長い造営工事
   2.藤原京の街並み
   3.年問題の発生と信仰
第7章 日本古代国家の転換点
   1.1300年後の大発見
   2.画期としての701年
第8章 「飛鳥木簡」の意義
あとがき


著者は、奈良文化財研究所の飛鳥藤原宮跡発掘調査部に2002年から2009年まで在籍し、木簡を研究することになった方です。当初から木簡を研究していたわけではありませんが、そこに在籍していることで得難い経験をして、それがこの本に結びついたと書かれています。

話はさかのぼって。木簡が初めて発見された1964年には「木簡は木棺かと思われた」と書かれてあります。木の棺桶が見つかったのかと思われたそうです。それ以来発掘の度に木簡は発見され、今では37万点に及ぶそうです。その7割が古代の木簡です。このうち飛鳥木簡約1万5千点、藤原京木簡が約1万4千点、藤原宮木簡が約1万6千点にのぼるそうです。木簡の定義としては、「発掘調査で出土した、文字の書かれた木片」です。地中から掘り出されているということは日常の何気ない場面で使われて、最後はゴミとして捨てられていたものです。
発掘で見つかると、土ごと大型コンテナで持ち帰り、コンテナに水を入れて、毛筆や千枚通しなどを使って、根気よく泥を落として、出土地点ごとに小型コンテナに移動する。洗浄、収納が終了して初めて記帳が始まります。木簡を観察しながら、何が書かれているのか、一点一点読み取って行きます。まさに気の遠くなるような作業を通してその木簡がどのような中身で意味をもつものか、確定して行きます。

この木片から「日本書紀」の読み直しが出来るというのはすごいです。著者の他の著作も読んでみたくなりました。



2012/08/06(月) 晴れ


[ 今日も暑かったですね ]
今日も暑かったですね


今日も暑かったですね。動いているだけで一日が終わってしまいました。

朝一番の仕事は「ラスカットを切るには、特殊な丸鋸がいるのか」でした。続いて訪れた工務店の社長さんは、大工さんが数を間違えたので、「昨日持って行ったボードを返品していいか」でした。続いてのお客さんは貫を15メーター分欲しい、でした。

追加分の根太を持っていた所からは、家に戻るまでに追加がありました。

和室の天井を壊し始めたら、梁が腐っていたので交換しないと仕事が進まないということで、急遽梁を入れる現場もありました。幸い在庫しているもので間に合ったので、取りに来ていただきました。壁の点検口を言われた方もありました。「白の塗装の物が欲しい」とのことでしたが、在庫はしていないので、月曜日になると話したら、別のこところで買ったようです。それも普通の物を、でした。

引き取り3回に配達が4回。取りに来ていただいたのが、5件ほどありました。最後の物はベニヤ180枚ですので、売り上げに貢献していただきました。まして工務店の息子さんを助っ人に来ていただいたので、大変助かりました。一人手伝いの方がいると仕事がスムースで、楽です。この仕事も直送を予定していましたが、車が入らないということで積んでいただきました。二トン車なら何とか横付けできる、現場を見てきてそう言われたので、担ぎこみが無いことを祈っています。

今月はわが社の決算月です。今期の売り上げは過去最低。利益が出るとは思えませんが、ここ二カ月は平年並みです。大きく違うのは、まず材木が売れなくなっていること。次に高級品が売れなくなっていることです。さらに大工職への売り上げが無くなっていること。さらに大工さんが請けて来る仕事の大半は「下請け」としてのそれで、支払いが出来なくなってきていることです。次から売れない工務店、大工が増えています。優良工務店そうでない方の差が開いています。

大変厳しい夏です。暑さもそうですが、ここの所綱渡りをしながらの毎日でした。来週からは仕事も減り、少し楽になると思います。



2012/08/03(金) 晴れ


[ 暑いですね ]
暑いですね


ここの所暑い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか。

昼は仕事。夜はオリンピックとゆっくり眠れない日が続いています。そんな中での昼の暑さは堪えます。今日は特別忙しかったこともあり、すでに午後4時現在。3回シャワーを浴び、着替えも4回を数えています。上から下までそっくり替えました。洗濯物が増えるばかりです。

夏バテしないように土用の丑の日には鰻をいただき、一昨日は手作り餃子。昨日はトンシャブでした。10日前にはステーキでした。一人220グラムありましたので、少し多いかともいましたが、こなしてしまいました。おかげで夏バテはしていませんが、夏痩せもしません。

まあ何と身体は維持が出来ています。あまりクーラーは好きではありませんが、こう暑くなるとかけずにはいられません。

仕事は夏季休暇を前にして、追い込みが掛かっていますが、それが過ぎるとありません。全体としては売上少々です。

仕事はだいぶ落ち込んでいるように思います。他の材木屋さんの状況はどんなものでしょうか。日常の業務に追われて、仲間とも会っていません。こちらはこれからヒマになります。暑い盛りなので、少しゆっくりしようかと思います。それにしても暑いです。



2012/08/02(木) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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