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時々更新mn日記

( 2012/07 ← 2012/06 → 2012/05 )


[ 人の言っていることがわかるようになる。 ]
人の言っていることがわかるようになる


今年も半分が終了します。
早いものですね。何もしないうちに時間だけが過ぎて行きます。

何でも自己流で生きてきたので、人の言うことを聞かずに生きて来たように思っています。が、今テニスを習っていて、コーチの言っていることがわかるようになってきました。わかるからと云って出来るのではありませんが、今の自分のやり方よりもコーチの言っていることの方が、合理的乃至正しいと思えるようになりました。年を取ってきて少し素直になってきたのかもしれません。

それと同じことだと思いますが、今の自分の年の時の親の気持ちもわかるようになってきました。またその時の親はどんなことを考えていたのか、どんなふうに考えていたのか、思い描くことも多くなりました。自分のこと、配偶者のこと、子どもたちのこと。身の回りのことから日本の行く末まで。思いめぐらせる事は限りなくあります。その中で自分の進むべき道は。

もうあれもこれも出来る年ではありません。何かに絞ってそれだけに集中したとしても何も達成できないかもしれません。絞り込んで前へ進む。これしか残っていないので、あまり無駄なことはしたくはありませんが、無駄なことが一番面白くて記憶に残ってしまうから厄介です。

年をとることを受け入れられるといいのですが。受け入れつつ抵抗しているのが現状です。


2012/06/30(土) 晴れ


[ 年寄り仕事 ]
年寄り仕事



今年のゴールデンウイークには、小学校のミニクラス会がありましたが、その前日も清里でした。宿泊先はいつもの「いろり」です。いつものように近くの温泉へ行き、戻ってきてからいつものような食事をとり、いつもの部屋で就寝でした。

ゴールデンウイークと云うのにお客さんは私たちだけ。マスターは「年寄り仕事だ」と笑っていいました。

則子ちゃんは二十年以上通っていると思います。私でも12年経ちます。断られたのは一回だけ。どこかの合宿に重なって予約がとれませんでしたが、それ以外はいつでも大丈夫です。

ここ数年貸し切りになることが多くなりました。時と共に移り変わっていくものがあります。住まいの作り方も同じです。時代には完全に遅れてしまいました。もっと遅れれば、元に戻って先頭になるかもしれません。それを信じてもう少し精進してみます。




2012/06/26(火) 晴れ


[ 思いもよらない所から ]
思いもよらない所から


近くの建売住宅で、多分売れないであろうと勝手に思っていた所が売れました。しかも引っ越してきたのは知り合いでした。思いがけず、ご近所さんになりました。

ベランダのキューリも実りました。今年は二種類植えましたが、一つの方は、こんな大きな物が実っています。すでに4本ほど食べましたが、私の手と比べると大きさがわかるかと思います。30センチくらいになっています。おそらく2012年5月の連休に山梨県の清里で買ってきたものですが、こんなに大きなものが出来るとは想像していませんでした。



思いもよらない所から人生が変わってきます。半年前には想像もしていなかった世界に入りそうです。ついでに言うと、この所硬いものが噛みつらくなってきました。あまり硬いものだと敬遠してしまいます。またかむ時も慎重に噛むようにしています。ところが、数日前、全く別の歯が欠けてしまいました。これにはびっくり。思いもよらないことでした。

もう年ですね。




2012/06/25(月) 曇り


[ 人がいなくなりました。 ]
人がいなくなりました。



昔のアルバムを整理していたら、我が社の初期のお客さんの写真が出てきました。数え切れないほどの人に恵まれて今日まで来たことがわかります。30年勤めてくれた番頭さんの写真もありました。今から28年ほど前に66歳で亡くなりましたので、はるか遠い記憶の人になっていましたが、写真を見るとその当時のことを思い出します。

昭和24年に父が店を出して、その番頭さんが昭和30年ごろから働いてくれることになり、昭和39年に有限会社大喜を設立しました。が、その十年間が材木屋としての黄金期で、それからの50年は業態を変化させながら生き延びてきたことになります。

現在でもいち早くマンション経営者となり、それを継続できている方は優雅な生活を送っています。もちろん本業で大きくなってきた方もいます。

私の所も小さいなりに本業とアパート経営をバランスよく行っています。その結果大きくも小さくもならないで済みましたが、ここへきて支えてくれる人も少なくなりました。

一番減ったのは大工さんでしょうね。今朝も工務店社長さんが材料を取りに来て大工さんを頼んでいましたが、よその仕事に行っているので、間に合わなくなってしまい、その結果自分で「やる」と言って材料を持って行かれました。大丈夫かな、と心配していますが、職人さんの数が減って、あまりうまくない人を使うよりも自分で丁寧に行った方が、良いと思いました。

人間、いくつになっても勉強でして、経験していないことはやはり分かりません。行ってみれば、良い悪いの判断が出来ます。工務店の社長さんも設計士の方も段々と職人さんの仕事を手伝うようになると思います。そういうことがやらない人では、残れなくなったと感じています。支えてくれる人が少なくなりました。



中央が番頭さんだった根岸さん。背が高く、字も達筆な方でした。太平洋戦争で左目を失い、義眼を入れていました。それでもオートバイ付きのリヤカーで材料の配達をしてくれました。
教わったことはたくさんあります。

2012/06/20(水) 晴れ


[ 最近の事情 ]
最近の事情



商店街でも廃業する所が増えています。

コンビニを経営するAさんの所は親子を中心に家族や親せきでコンビニを経営してきました。コンビニということで24時間営業。
親子兄弟が若いうちは家族の手伝いもあり順調でした。それに十年過ぎて父親や母親が年をとり、働けなくなりました。当然のことのようにバイトの人の数が増えて行きます。売り上げに比べて人件費の割合が増えて行きます。ある時から赤字に転落しました。こうなるとマイナスは増えますが、以前のように黒字を出すことは無くなりました。結局6月18日を最後に店を閉じる決断をしました。

二十年前にはゆとりのあるシステムでしたが、年と共にこの形態は取れなくなりました。

材木屋からも人がいなくなっています。どこの業界でもそうですが、ここ十年で人件費を減らすことによって黒字経営していた所には人がいません。支えてくれる人がいなければ衰退は加速します。




2012/06/19(火) 曇り時々雨


[ あんみつが食べたい ]
あんみつが食べたい


この所遠出をしなくなっています。やるべきことが溜まっていることもありますが、疲れているのも一つの理由です。日曜日には午前中に仕事を済ませて、午後はのんびりしていました。夜には商店街の集まりがありますので、それまでの空いた時間をどう過ごすか、話し合った所。ドライブか散歩になりました。ドライブだと一時間以内の所へ行ってお茶でもして戻ってくる感じなので、散歩に決まりました。その際、「あんみつ」が食べたい、と私は希望を述べました。

今から40年も前なら、商店街の中に喫茶店なり、甘味処があり、そこで食べたものですが、今はこの辺りでは、ないと思います。頭に浮かびませんでした。新宿とか、中野とか、そこまで行けば食べられるでしょうが、それも億劫で、浮かんだのは、「藍屋」「ジョナサン」などでした。「藍屋」なら哲学堂から目白通りに出た方や高井戸に行くまでにあります。「ジョナサン」なら旧富士見中学の真前に有ります。そこなら歩いて行けるので、結論は歩いて行くことになりました。

我が家から約10分。そこまではかからないと思いますが、それくらいの道のりを歩いて行きます。「ここを入った所が上村さんの家だよね」とか、ここはお豆腐屋さんがあった所などと自分の記憶をたどりながら歩いて行きます。しばらくして松石君の家の南隣りに有る「ジョナサン」へ着きました。私はクリームあんみつ、彼女は白玉あんみつを注文して時を過ごしました。

「もう少し歩こうか」ということになりました。中野通りを南下して、脇道を歩いて、商店街へ出ては南台の商店街を散策しました。普段車で通ることはあってもこうして歩いてくることは稀です。いろんな発見があります。日曜日なので、開いている店は少ないですが、「今日は父の日」それで開けている所もあります。商店街とはよく言ったもので色々な商売のお店があります。日常生活はその小さな通りを行き来するだけで間に合うようになっています。

現在では、シャッターの閉まったお店も多くなりました。


道を歩いていると通りに面した所はたいていマンションに変貌しています。
私道を入った所も建売住宅が建っています。比較的広い地所には二分割三分割されてやはり建売住宅が建っています。大きな門構えのお宅もまだあります。その横にはその方の持ち物である駐車場が広がっています。

昭和の30年代に建てられたと思う住まいやアパートもまだまだ残っています。その頃の建物には味がありますが、如何せん、古くなりすぎています。もうそろそろ建て替えの時期かな、などと思いながら9千歩ほど歩いて散歩は終了しました。今日は蒸し暑い一日でした。

ひと風呂浴びたら、夜は夜で会合です。



2012/06/18(月) 曇り


[ 元請けに木工事無く ]
元請けに木工事なく、下請けは仕事に追われる


昨年末くらいから、仕事が延期になったり、あるいは駄目になったりしています。
「来週の半ばくらいから始める」などとお客さんから話があると、とりあえずの材料を用意してきましたが、仕事が思うように始まらなかったり、あるいはそのまま立ち消えになったりしています。従ってそのまま材料だけが残る、ということもあります。その材料をいかに売るかが課題ですが、思うように捌けていかないのが現実です。

さて、元請けさんに木工事がありません。今は外装工事をされている所が多いですね。また新築の仕事を逃した所もそれが決まって、細かい仕事も、と考えていたようで、この所大工さんが絡んだ仕事が切れています。

それに対して、下請けの方は平均して云仕事をしています。忙しい所の下についているので、仕事が切れないのでしょうが、材料が微妙に変わります。工期が決まっているので、それに合わせて仕事をするので、材料に変更があった場合、忙しくなります。

また、材料費はそのまま請求するようで、以前のように少し掛けるといったことも出来なくなっているようです。

この所大工に力が無くなったばかりではなく、工務店自体も地盤沈下しています。ここを相手にしていても現状維持が出来なくなりました。動いているお客さんの数も減りました。小さなパイを分けあう時代ではありません。少し違う所から突破口を見出さない限り維持も難しいでしょう。技術を持った人がいなくなっているので、ますます工場生産品になります。そのことがまた技術が人に伝わらない連鎖となるのではと心配しています。

2012/06/13(水) 曇り


[ 太陽光発電・私サイズ ]
太陽光発電・私サイズ



節電意識が高まり、自然エネルギーを活用する太陽光発電にも関心が高まっています。

昨日島忠へシーリング材を買いに行った所、パナソニックの太陽光発電のパンフレットが置いてありました。この所テレビのCMも太陽光発電に関するものが非常に増えてきたように思えます。私もいつかは屋上に乗せてみたいと思うようになってきました。

そんな折、6月9日の読売新聞には、「太陽光発電・私サイズ」と題した記事が載っていました。太陽光発電と云うと屋根の上に乗せる大きなものを想像しがちですが、52.5×35センチというポスターほどの大きさの太陽光パネルで発電する方が増えているそうです。「非常時の備えに」と買い求める方が増えているそうです。コンパネルは蓄電池とケーブルで結び、フル充電には二日かかりますが、そうすれば19型薄型テレビで約弐時間。LED電球で20時間使えるそうです。値段は約5万円。これなら私にも手が届きそうです。


2012/06/11(月) 晴れ


[ 商店街はなぜ滅びるのか ]
商店街はなぜ滅びるのか


新雅史
光文社新書

目次

序章 商店街の可能性
第1章 「両翼の安定」と商店街
1−1 「抜け道のない」日本社会
1−2 「雇用の安定」と「自営業の安定」
1−3 商店街は伝統なのか
1−4 近代家族と商店街
1−5 社会理論と商店街
1−6 本書の構成

第2章 商店街の胎動期(1920〜1945)商店街という理念の成立
2−1 発明された商店街
2−2 都市の拡大と零細小売商
2−3 「商店街」という理念
2−4 二つの商店街――「繁華街」の商店街」と「地元」の商店街

第3章 商店街の安定期(1946〜1973)――「両翼の安定」の成立
3−1 爛熟する商店街
3−2 経済成長と完全雇用の矛盾
3−3 小売商の保護施策
3−4 価格破壊と商店街

第4章 商店街の崩壊期(1974〜)――「両翼安定」の奈落
4−1 コンビニと商店街の凋落
4−2 日本型福祉社会論と企業中心主義
4−3 日本問題と構造改革
4−4 財政投融資と「地域」の崩壊
4−5 商店街の内部崩壊とコンビニ

第5章 「両翼の安定」をこえて――商店街の何を引き継げばよいのか
5−1 近代家族と日本型政治システムに支えられた商店街
5−2 規制と給付のバランスをめぐって

あとがき


「商店街」という存在を日本社会の変動からとらえ直した書です。著者自身九州の酒屋の息子に生まれて、お父様は今もなおコンビニとして事業を継続しているそうです。
そういう来歴を持っている方だけに商店街に対するとらえ方も新鮮です。商店街は都市化とともに作られました。さらに百貨店に対抗して、「横の百貨店」として誕生しました。戦後になって零細業者は「商店が」に組み込まれてきます。小売商業調整特別措置法の制定や商店街振興組合法などによって、保護されて発展していきます。自民党の保護政策の中で、自民党の支持基盤となって行くわけです。これが高度成長期になると「スーパー」が出てきます。

さらに1974年にはコンビニが誕生します。商店街は専門店が一つの街区に並ぶことで百貨店に対抗しました。先ほど申したように「横の百貨店」でした。それがコンビニという「万屋」が登場することによって煙草屋、酒屋、米屋、八百屋などの古い専門店は存在意義を失うことになります。こうして商店街は崩壊していきます。

「商店街」を構成する人が家族を中心とした形態であったこともこれに拍車をかけます。夫婦と子供という形態で行ってきたために経営権は親族以外に渡ることなく、跡継ぎがいなくなればそれまで、になります。逆に小売店がコンビニ化すれば、それは商店街の自己崩壊になります。

そこで、著者は再生への道として地域の協同組合や社会的企業に営業権を与えてはどうかと提案しています。また新しい商店街は、地域社会が土地を管理する仕組みを考えても良いだろうとしている。それは「まちづくり会社」が空き店舗を管理し、それを意欲ある若者に貸し出す方法などである、としている。

最後に、昨年東日本大震災を受けて著者は石巻市に入ります。そこで石巻商店街を見ます。震災から4か月ほどで、地域住民とボランティアの力によって、道路や側溝の瓦礫のほとんどが取り除かれ、また、街灯には、LEDが土地つけられ、街にひかりが戻りました。

その一方で対照的な光景が宮城県多賀城市に有った。
多賀城の駅前地区は、津波の被害をほとんど受けていないが、駅から徒歩10分ほどの郊外店舗――イオン、ヤマダ電機、マクドナルドなど――が津波の被害を受けた。震災から三カ月たって再会したのはヤマダ電機などごくわずかであり、イオンの周辺には泥だらけのショッピングカーが放置されたままだった。(P7から8)

この辺りに商店街の蘇生力と魅力を感じ、この本を著した旨を述べています。商店街の成り立ちを著した本として、面白いと感じています。この先生は40才を前にしてまだ独身だと言います。なるべく早く結婚できるといいなと思っています。






2012/06/09(土) 曇り時々雨


[ 山川は長くして万世なり ]
山川は長くして万世なり人は短くして百年なり



この所身体の衰えがひどく、ベニヤとボードの世界から足を洗おうと考えています。

人生百年としても、すでに6割は消化して、残りは4割になりました。父親の年までと考えても、あと二十年。そのうち元気な時だけを取り上げれば、十五年です。母親の方のことを考えると、あと3年です。あまり考えないようにしていましたが、この世界の先輩の坂本さんの倒れた年齢になって、「自分も年になったな」という実感を持っています。甥や姪に子供が生まれたこともそういう感じを強くすることになりました。

自分が行ってきたことを振り返ることが増えています。振り返りながら、この先のことを考えています。どういう形で納めて行くのがよいかはわかりませんが、強制終了も考えています。

「山川は長くして万世なり」

空海の言葉だそうです。その空海も60歳で亡くなっていますので、私はこの人も越えてしまいました。

やり残したことは何かあるのでしょうか。

若い時に出会った人にはもう一度会っておきたいですね。今年はあと3回同窓会・同期会のチャンスがあります。高校と大学ですが、大学入学してすぐの友人に会えるかもしれません。
実は会いたいのです。会いたい人が来るかどうかはわかりませんが、みんなどんな人生を送ってきたのか。ただ会ってみたいです。

昨年秋に、40年ぶりに同期生2人を含む5人に会えました。今年の2月には、二十年ぶり三十年ぶりの方に十数人と再会出来ました。今後、会える保証はないので、会えるチャンスには、何を指しおいても会いに行きたいと思っています。

人は財産です。



2012/06/08(金) 晴れ


[ 高校紛争 ]
高校紛争



小林哲夫著
中公新書


私にとっては衝撃的な本です。高校紛争は聞いたことはありましたが、実際にそういうことが行われていたというのは知りませんでした。私は69年に大学に入学してしまいます。68年ごろ、あるいは65年あたりから近くに早稲田大学があったこともあり、日韓条約反対デモとか、68年ごろから急速に先鋭化してくる学生運動は、当時高校生だった私たちにも影響を与えていました。それは、高校時代に「今日はデモが予定されているので、学校は早引けして下さい」という記憶です。何回かありました。
1968年10月21日の新宿騒乱と呼ばれた事件の後にはJR山手線も止まり、新宿駅から早稲田までバスで登校しました。まだ催涙ガスの白っぽい煙があったと思います。22日の朝のことでした。
もちろん69年一月の東大闘争から、入試の中止に至るまでは、自分自身の受験と重なって、興味深く見ていました。実際中央大学の受験場は、変更され、どこで受けたかもわかりません。記憶が確かではありませんが、機動隊に守られながら、あるいは教職員が両側に立っていて駅から試験場まで歩いた記憶があります。騒然としていたことだけを覚えています。

そんなことがありながらも、自分は大学生になってしまったので、高校の紛争についてはほとんど記憶がありません。そんなことをこの本は教えてくれます。期間としては69年から70年の二年間を取り扱った本ですが、それぞれの高校で問題意識も違えば、課題も違うし、成果も違うのですが、その時代の雰囲気は良く出ている本だと思います。

現在著名人になった方々の名前も出てきます。作家の村上龍や三田誠広、俳優の石田純一、衆議院議員の塩崎恭久さんなどです。中でも坂本龍一氏の登場場面は面白いです。それは読んでみてください。





2012/06/07(木) 晴れ


[ 変わる風景 ]
変わる風景


この所自転車を使って動くことや自らの足で近くの駅である中野坂上とか新中野まで行くようにしています。脚の衰えもありますが、車で行くと駐車違反も怖いので、車を使わなくなっています。私は今の所で生まれて60年間います。今材木屋をしている所は、私が10歳の時に父が買って、しばらくは古い家屋があって、人に貸していましたが、それを壊して下が鉄筋の下小屋、2階が木造のアパートという建物を作りました。そのあたりから我が街も変わり始めました。それまでは裏に行けば、畑や空き地が沢山ありましたが、軒並み住宅やアパートに変化しました。その時流に乗ったのが父の時代でした。

それからでも50年が過ぎました。古い木造住宅は壊されて再び空き地になった所が増えています。その多くは売却され、家の建ち始めた所もあります。表通りに面した所はビルになり、あるいは大手の住宅メーカーが建設する住まいになっています。ここ一年くらいでかなり変化していると感じています。地代の更新の時期に売っていく方も多いようです。

今住んでいる所の前も建売住宅が建ちましたが、2棟とも売れ残っています。値段が折り合わずに一つは売れませんでした。今一つは日当たりも悪いので、おそらく売れないと思います。その横のお宅の住人も骨折して入院されました。今年の1月には退院して帰ってくると言われていましたが、施設への入所が決まりました。その費用の捻出のために現在の住まいを売却すると聞いています。そのまた隣の家の屋根はトタンがはがれています。一部ははがれ、おそらく雨漏りもしていると思います。

そういう我が家の雨漏りは、一応止まりました。これから梅雨に入りますが、うまく止まったままでいてくれるとありがたいのですが。

さて、50年も経つと時代は変化する、と昔の歴史家が言っていたのを思い出しました。5年や10年では変わらないが、50年、100年という単位で考えていくと、その変わりようが良くわかるというものでした。60年も生きてきたので、わかることも多いです。先週の土曜日に、73歳の方と52歳の方と私の3人で話す機会がありましたが、環7が拡がった頃の話とか、昔の人の名前などは73歳の方とは話が通じましたが、52歳の方ではもうわからなかったですね。

商店街も青息吐息。すこしずつ抜けて行きます。その抜ける方に入ろうかと思っています。

窓から見る風景も変わりました。もう次の人の時代です。良い時代を用意してあげられなかった感はありますが、新しい舟を動かすのは古い水夫じゃないだろう。吉田拓郎でした。

2012/06/06(水) 曇り時々雨


[ 昔の言葉 ]
昔の言葉


もう二十年も前になりますが、その当時「これから材木屋が扱うものとして、プレカット、サイディング材工、水回り、床暖房、ドア・建具」だという話を今は亡き、山芳の社長さんが教えて下さいました。それから5年くらいは、こういう仕事が取れて安定した経営を行うことが出来ました。

それからは、そのどれもが取れなくなって行きました。これは私の場合です。

プレカット工場を経営するAさんは、土地を仕入れる所から始めて、新築なりリフォームして販売するという方法で売り上げを伸ばしていきました。
Bさんは住まいの大切さを研究し、その理論をもとにして住宅産業へと乗り出していきました。Cさんは設計事務所と提携してやはり請負まで手を広げました。Dさんは自分の特技を生かして水回りを中心に請け負える幅を広げています。

自分の特技なり、方向性を見つけてそのために努力を重ねた方々は、失敗はありながらも自分のオリジナルなものを掴んでいます。これが大事だと考えています。私も少し自分のことを考えてみます。




2012/06/05(火) 晴れ


[ 彩ちゃんと初対面 ]
彩ちゃんと初対面




姪夫婦に二人目の子供が生まれたのが、去る5月11日。この子に名前が付きました。その彩ちゃんに初めて会ってきました。一人目も二人目も女の子です。この度誕生した次女もお姉さんにそっくりでした。お姉さんよりも少し顔が濃いかな。





まだ海の物とも山の物ともわかりませんが、早くも大物のポーズも取ってくれました。




甥夫婦の子供である菜乃羽にも合うことが出来て孫世代に囲まれた幸せな一日でした。今回は泣かれませんでした。私としては一安心です。




孫世代は女の子3人になりました。

2012/06/04(月) 晴れ


[ 雨漏り ]
雨漏り




8年前に作った住まいの一部から雨漏りがするようになりました。住まいに関する問題の7割以上は水に関係するものですが、今回の雨漏りもその原因を突き止めるのが大変です。部屋の一部を壊して原因を探っていますが、よくわからないのが実情です。屋根、壁、サッシ周りなど、外部の必要と思われる所に防水剤を塗り、コーキングを施してみましたが、さて、どうなりますか。これで止まれば幸いですが・・・

今しばらく様子を見ることにしています。

さて、ベランダのキューリも花をつけました。5つばかり実も出来ています。今日から6月。梅雨に入る前に何とか漏らなくなるといいのですが・・・






2012/06/02(土) 晴れ


( 2012/07 ← 2012/06 → 2012/05 )


[ 管理者:大野満生 ]


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