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時々更新mn日記

( 2012/03 ← 2012/02 → 2012/01 )


[ バスを乗り継いで京都散策 ]
バスを乗り継いで京都散策





2月26日は、金閣寺を皮切りに、竜安寺、仁和寺、妙心寺、嵐山、車折神社、広隆寺と廻って、さながら、二度目の修学旅行の感じでした。バスを乗り継ぎ、よく歩きました。万歩計を忘れたので、数字はわかりませんが、8時半から3時過ぎまで足を動かしました。毎日これくらい動かないと、痩せません。金閣寺から、立命館を経て、竜安寺につくまで登りも多く、荷物も持ったままだったので、「人生は重い荷物を背負って、坂道を登るがごとし」という家康の人生訓を思い出しながら、「大野君頑張れ、大野君頑張れ」と云う気持ちで歩きました。

歩き始めれば、身体に活気も生まれ、時折落ちてきた霙交じりの小雨も気にならずに石庭、八方睨みの龍、弥勒菩薩像など見ることが出来ました。「何処へ行っても何年振りだろう?」の世界でした。

今度行くときは、花の咲いている時にしようと話していましたが、広隆寺では、蝋梅が咲いていてその前で記念撮影してきました。

よく歩いたので、すっかり疲れ果てました。


午前9時の開門と同時に入場して、まずは平和の鐘を撞かせていただきました。


みぞれ交じりの小雨が降っていましたが、金閣はその美しい姿を見せていました。


竜安寺の石庭です。ここも二十年ぶりくらいでしょうか。いつ訪れても趣のある所です。


「吾唯足ルヲ知ル」の手水鉢です。足るを知ることは大事です。


仁和寺の仁王門です。大きいですね。


仁和寺境内の「御室桜」です。4月の半ばには満開になります。


妙心寺では、「八方睨みの龍」を見てきました。



渡月橋へは十一年前にも来ましたし、八年前にも訪れました。



時間が余ったので、こちらの広隆寺へも行くことが出来ました。



半跏像が収められている建物に前には、蝋梅が咲いていました。文殊菩薩半跏像は細い菩薩様です。国宝第一号と書いてありました。




2012/02/27(月) 曇り


[ 大学時代のサークルのつどい ]
大学時代のサークルのつどい



同志社大学時代に在籍したサークルのOB会が開かれ参加してきました。はるか昔40年も前の入学生ですが、年と共に懐かしさも深まり、急遽参加することになりました。第3回目になるとのことでしたが、一回目には連絡が来ませんでしたし、二回目は行けませんでした。今回で最後と云われていたので、行くのが良いと思っていました。1回目も2回目も35名前後。今回も33名の参加者でしたが、上は1953年度生から下は1977年度生までと幅広い年代の方が参加されました。
初めてお会いする方も多く、また在籍中にお世話になった方々や卒業後に知り合った方々ともお話しする機会が持てて大変有意義でした。大学や高校の教師になられた方の参加が多く、その中でも社会科の先生が「最近の子供は日本がアメリカと戦争したことすら知らない」「歴史も最近のことからさかのぼって教えていかないと時代に遅れた人間を作り出していくだけではないか」といった趣旨の発言をされたことが頭に残っています。
先ほどのアメリカとの戦争も「どっちが勝ったの?」と聞かれて「アメリカ」と答えたそうですが、第二次世界大戦も70年前の出来ごとになりますから、「知らせる」ことがまず大事で、次に「どう知らせるのか」を考えるので良いと思うようになりました。多分自分たちの代でも伝わっていないことは多いと思いますが、自分の仕事的にいえば、「木造住宅の作り方」「仕口」「大工道具」なども伝えないと伝わらなくなりました。
基調講演をされた先輩の方は、長崎で5歳の時に被爆された方で、そのことは大学在籍中は隠していた、とのことでした。その被爆者の立場から、現在の福島の原発事故、あるいはこれからもっと広く出て来る影響を見ると、原発はいらない、人類と共存できないのではないかと思う反面、被曝する人が増えて来ることも何かやる瀬ない気持ちになってしまうと、いう意味のことを話されました。
東京湾にはセシウムが堆積し始めています。江戸前の魚を食べることはしばらく無くなるでしょう。福島県や茨城県の野菜や木材など農林水産物はどういう扱いを受けるのでしょうか。それはどこまで広がるのでしょうか。原爆の被爆国として日本は、福島の原発ひとつとっても廃炉に向けてこれから30年40年を過ごしていかなくてはなりません。
今生まれてきている子供たちが平穏に生きていける条件を残していくのが一人の年寄りとしての義務になると思います。


2012/02/26(日) 曇り


[ マンションリフォームが増えています。 ]
マンションリフォームが増えています。




木造の新築住宅の話は全くなくなりました。基本はマンションリフォームです。増築や改築もありますが、規模が小さなものになりました。

先日平和台で、マンションのフルリフォームをしている現場がありました。そのうち下地材とボードだけを注文いただけたので、配達してきました。知り合いの大工さんが下請けないし孫請けで一部屋分を一式幾らで、請けてきたものです。パナソニック電工の造作材は建設会社が直に入れて、足りないものは、別の所から入っていました。パーティクルボードも材料は会社持ちで、仕事は大工さんが勤めます。外部に面した窓枠材は、そこだけはスプルースを使うとのことで、その配達に来た人に声をかけられました。「トラックに、大喜って書いてある」と云ったその方は、どこかで見覚えのある人でした。

しばらく顔を見ていたら、思い出しました。深川のS木材の社長さんでした。私とは同年代で、15年ほど前までは、わが社もお得意さんの一人でした。ほとんど買わなくなってしまいました。が、顔はわかりました。「携帯の番号変わっていない?」と聞くと、「大喜さんのはまだ入っていますよ」と言ってかけてくれました。私の方にも、名前が出ましたので、安心しました。「もう少し早く来てくれれば、荷揚げを手伝ってもらったのに・・・」

それでも情報交換し、またどこかで会おうと話して、わかれました。その当時この会社の支払いを一カ月延ばしていれば、今頃ビルの一つや二つ手に入れることは簡単だったのですが、そういうこともできずに来てしまいました。今となってはそれでよかったのだと思います。

さて、マンションリフォームが増えて、3メーターものの材料が売れています。エレベーターに入るように2400ミリでカットして持って行くことも増えています。さらに、材料も少しでも安いものに移行しつつあります。材料は一層短くなり、小さくなっています。




2012/02/24(金) 晴れ


[ 三丁目の夕日64 ]
「三丁目の夕日64」を見る。



シニア料金になってから、なかなか映画を見る機会が少なくなっていましたが、久しぶりの予定のない一日を映画で楽しむことにしました。肩の凝らない映画と云うことで、「三丁目の夕日64」にしました。
いつもの新宿ピカデリーで席を予約して二時間半を楽しみました。前作も前々回作も見ています。時代背景が昭和の30年代、東京に生まれた私にとっては、東京タワーの誕生や東京オリンピックは生で接しています。子供心に大きなものが出来ていくのを東京タワーには感じました。今のスカイツリーと同じです。友人の親戚が最近東京へ来てどこへ行きたいか、と聞いたら、「スカイツリー」と言われて連れて行ったという話を聞きましたが、私らのころは、そういう意味では、皇居ないし、東京タワーでした。東京タワーが出来たのが、昭和33年。私は小学2年生でした。さらに東京オリンピックが昭和39年。私は中学2年生でした。「三丁目の夕日」の主人公の子供たちの設定が、昭和22,23年生まれくらいですから、私よりも少し先輩になります。ベビーブームの方々ですね。この映画を見ていると自分の子供のころを思い出します。懐かしい光景に出くわします。そのせいかこの日も同年代の方の姿を沢山見ました。東京オリンピックもエポックですよね。映画の中でもありましたが、飛行機で5輪のマークをかきましたが、その色鮮やかな5色は私も生で見ています。昼間の空を見上げたものでした。
さて、そんな映画でしたが、この年代になって見ていると、どうしても親の世代の方に気持ちが流れます。このところ、身の回りにいた子供たちの世代が巣立って行き、それぞれ独立し始めました。自分の家族を持ち、あるいは自立し始めています。さみしい気持ちもありますが、うれしくもあります。映画の中でも「ろくちゃん」が結婚します。その家を離れる時の挨拶に思わず私が涙したのを、嫁さんに見つかってしまいました。
のんびりと映画に浸った一日でした。




2012/02/20(月) 晴れ


[ 全体のレベルが下がっています。 ]
全体のレベルが下がっています。



去る2月11日、12日伊豆半島へ行きました。春を求めてのドライブです。先月31日に甥に女の子が生まれて菜の花にちなんだ名前になったので、菜の花も見てこようと思っていました。
11日の日には、沼津から伊豆縦貫道を経て、浄蓮の滝へ。






そこからさらに河津を目指します。河津桜は今年はまだ本当の咲き始めでした。桜まつりは行われていましたが、肝心の桜はまだでした。あと二週間しないと満開にならないようです。









桜祭り会場でB級グルメをいただきましたが、B級グルメはやはりB級でした。それで特別悪いというのではありませんが、そこそこでした。
ここを後にして下田を経て弓が浜に宿をとりました。





そこでは金目の煮付けと高足がにをいただきました。料理はおいしかったのですが、その温泉民宿も人手がいなくて、布団を敷くのと料理を運ぶのはお客さんがするというスタイルでした。これには驚きましたが、翌々考えてみると、わが社と変わりがないことに気がつきました。わが社でも私が配達中の時には、お客さんが自己申告で、材料を積んでいく場合があります。
学生時代以来になるかと思いますが、料理をもらいに行き、また布団の上げ下ろしも自分で行いました。

次の日、下賀茂温泉湯の花と云う道の駅で行われていた、「みなみ桜と菜の花まつり」へ行きました。こちらも桜の開花はまだでしたが、誘発剤を使った2本の木だけは花が開いていました。






ここで、土肥にある土肥桜なら開いているという情報をいただいたので、そちらに向かいました。「萬福寺」と云うお寺の土肥桜は満開でした。山を背にしたそのお寺の一本桜にはメジロが10数羽、蜜を求めて寄ってきます。心和む風景でした。







ここを後にして、いよいよ昼飯です。5%の割引券を使える店にしました。地魚のお寿司にしました。先客が4組。内ひと組は食事中だったので、8人目と9人目に私たちはなります。ここでまさかの展開。待ち時間が1時間10分。またされました。次に入って来たお客さんは「何名ですか」「10人です」「無理」の店主の一声で、帰りましたし、そのあとに入ってきた4人には、「少々時間がかかりますが」と言っていたのですが、私たちには、何も無く・・・
よく待ちました。初めにどれだけかかるかを話してくれれば、止めたのに、と思いました。料理はおいしく、また手のかかる作業には納得しますが、如何せん、人を待たせるにも限度があると思いました。セットについてきたおそばもおいしかったのに、おいしさも2割引き、でした。

ここで時間を使い果たしたので、帰路につきました。沼津から乗った東名高速は事故渋滞。2週連続で渋滞に巻き込まれました。走行距離400キロ。何とか帰ってきました。


2012/02/13(月) 晴れ


[ ここのところ ]
ここのところ



ここのところ少し風邪気味で、しかも疲れがたまっていたせいか、口内炎が出来てしまいました。それも唇の外側まではみ出してしまって、情けないものでした。薬をつけてマスクをして普段を過ごしています。寝るときも同様でした。治りかけては上のうす皮がはがれて出血。再び薬を塗るという繰り返しでした。人に会うのも億劫で、ドームテニスもお休みしたいと、言いましたら、「口内炎でテニスを休むなんて、聞いたことが無い」と反対されて行きました。途中で出血したらどうしよう、などど考えていましたが、杞憂でした。

また、口内炎の薬をポケットにしまっておいたはずなのに見つからずに、どこに置き忘れたのか、探しました。寒さ対策でしていたマフラーも何処へ行ったか、わからないままでした。

物忘れが始まったのかと思いました。実際父も、大事なものを大事に隠し過ぎて、朝から晩まで探しものばかりしていたことがありました。書類を封筒に入れて、さらに金庫にでも入れれば良かったのでしょうが、一般の種類用の引き出しに入れたので、端から出して、やっと見つけた記憶があります。もっとも小さく畳んだ千円札を開いてみたら、中に一万円札がしまってあったということもありました。

幸い、マフラーは食事に行った所で、おき忘れ、薬も別の所から出てきました。こんな些細なことでしたが、昨日の午後は憂鬱でした。自分の記憶をたどりながら、一生懸命思いだそうとしましたが、そう思えば思うほど悪い方にしか考えられないのです。年寄りが良く物忘れをするようになっても家人の方は強く怒らないでもらいたいと思います。一番ショックなのはご自身ですから。

でも見つかってしまうと、すっきりしました。気持ちも晴れて、楽になりました。

このところ仕事の方は、自分が動かなくても済むような仕事が決まっていきます。仕事量割と多くて私の手では負えないので、断ろうとしたものを引き受けていただける所が出来て、仕事が取れました。助かりました。今月は日日も少なく、また用事も多いので、自然と休む日が増えています。売上的には期待できませんが、とりあえず、仕事は少しずつ出てきています。早く暖かくなると身体も楽になっていいのですが・・・


2012/02/09(木) 晴れ


[ コッパや切れ端が出なくなりました。 ]
コッパや切れ端が出なくなりました。



木材の売れ行きが落ち込んでいます。さらに大工さんが下小屋に来て加工することがなくなりました。もちろん刻みと云われる木材を加工することも無くなりました。そのため、木材の切れ端が出なくなりました。

このため、以前は大晦日などに新年の初詣客が寒くないように火をおこして暖をとるのに用いていた木材の切れ端なども、プレカット工場へお願いして必要分をいただいてくるようになりました。

そのもう少し少ない使用方法にキャンプファイヤーなどがあります。こちらはあらかじめ言われていることが多いので、その時までに必要なものを用意しますが、切れ端だけではない時には、曲がってしまった木材を薪様にカットして出してしまうこともあります。

昨年の11月にはこれでかなり曲がってしまったものを処分しました。

私もこの仕事について35年になりますが、前半と後半に分けた場合、前半ではまだ木造住宅があり、切れ端も出ましたし、下小屋では大工さんの声が響いていましたが、後半では、規格化されたものが幅を利かすようになり、人の声もしなくなりました。下小屋はトラック置き場になり、またベニヤの置き場になりました。

35年も経つと変化します。変化に対応出来るうちは仕事もこなさないといけないと思うこの頃です。





2012/02/07(火) 雨


[ 法事 ]
法事



2月4日は亡き母の一番上のお兄さんの一周忌で、静岡県の富士宮市に行ってきました。昨年2月13日に92歳で亡くなられましたが、今年は兄弟、子供、孫、ひ孫に親戚一同40数人で一周忌を行い、私も参列してきました。自宅で法要。お墓に移動して、塔婆を建て、お焼香をしてから、会食してきました。これだけの人数が集まる機会も法事以外に無くなってきました。私のとっての叔父さん、おばさんも元気な人が多く、大半は半年ぶりの再会でしたが、少しずつ変化してきています。いとこの子供が大きくなっていて、たばこを吸っているのを見ては、こいつも二十歳を超えたのか、あるいは孫世代も増えてきて、どんどんおじいちゃんになっていくのが、よくわかります。従兄妹連中はみなさん元気なので、安心しました。

夕方になって東名高速を使って帰りましたが、乗ってから直に事故渋滞の表示。秦野中井を過ぎたころからぴったり止まり、久しぶりの本格的な渋滞を経験してきました。


足柄サービスエリアから見た富士。寒いせいか雪も多く感じられました。



伯父の家近くから見た富士山。地震の影響か、富士山が活動期に入ったせいか、南側は雪が少ないといいます。


今少し北側にあるレストラン「ニュー富士」からの景色。やはり雪が少ないですね。しかし景色としては良い立地にありました。料理もおいしく頂きました。



2012/02/06(月) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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