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時々更新mn日記

( 2012/02 ← 2012/01 → 2011/12 )


[ 大寒を過ぎてかなり寒い ]
大寒を過ぎてかなり寒い。


このところの気温はかなり下がっています。大寒ころが一番寒いとは聞いていましたが、今年は本当に寒く感じます。我が家の電気代も月あたり1万5千円を超えました。ガス代も5千円を超えて非常事態?です。少し節約しなくてはなりません。少しまえに、北海道に住む先輩が、年金暮らしには、北海道の冬は燃料代がかさんで辛いとメールくれましたが、その話を思い出すほど寒さを感じています。

外でのテニスの際には風避けを1枚余計に持って行っています。段々と夜のテニスは遠慮がちになります。それでも風邪をひかずに過ごせています。今の所ですが・・・

さて、仕事もひと段落してしまいました。久しぶりに自分の時間が持てそうです。と思いきや、いくつか見積もりが入ってきました。あまり木造住宅に関連性のないものばかりですが、あまり手をかけないで、売り上げにはなります。手をかけない分手元に残る金額は少ないですが、その方が今の私にとってはありがたい仕事になります。



2012/01/31(火) 晴れ


[ ほっと一息 ]
ほっと一息


1月29日は父の7回忌でした。また1月15日には、義母の一周忌も済ませました。2月4日には、伯父の一周忌もありますが、父の7回忌を終えホッとした所です。

私のとっての叔父や叔母を始め、子供、孫、ひ孫と、関係者が揃って参列していただきましたので、これでひとまず自分の役割は果たせたのかな、と思っています。





さて、この所パソコンの調子が悪く、時々止まります。買い換えてから3年が経ちましたので、そろそろ次の準備に入らないと急に駄目になるかもしれません。

仕事の方も、同様です。

2012/01/30(月) 晴れ


[ 今日は雪です。 ]
今日は雪です。寒いです。



今朝の東京は初雪です。積もるほどではなさそうですが、寒いです。寒いのは不得意なので身体を温めるものが欲しいです。

さて、昨日は、今年の売り上げを聞かれて、昨年よりも2割くらい落ちるではないかと答えました。理由は、まとまった仕事が少なくなっていることや買っていただける人の数も昨年よりも少なくなってきていることです。昨年も亡くなった方や引退した職人さんがいました。こちらは毎年少しずついなくなり、気がつけば、元気な人も80歳になっています。今から二十年ほど前に「還暦大工」と云う言葉がありましたが、そのまま二十年が経過した感じです。何も手を施さなかったわけではありませんが、結果として職人さんの数は減りました。しかも仕事のできる人が減っています。このことはかなり深刻なのではと思います。私自身がもう還暦なので、出来る仕事は限られていると思いますが、一気に収縮する時が来そうです。

もちろんその反対に、こういう時期は伸びる方も出てきます。周りを吸収して伸びて来る人もいます。その人に未来を託す方法もあると思います。段々とそちら方に力を注ぐ年になりました。

昨年の売り上げを聞いてきた問屋さんは、そこそこ仕事は出るだろうと話していました。今年は売れる所と売れない所の格差が広がる年になりそうです。若い人にはチャンスも沢山あるのでは、と思います。

さてさて、これからお得意さんの新年会へ行ってきます。今年の仕事がどれくらい出るのか、現在決まっているものがあるのか、あるいいは3月にならないと始まらないのか、など、その雰囲気を掴んでこようと思っています。でも今日は寒いです。




2012/01/21(土) 雪


[ 正月の売れ行きは? ]
正月の売れ行きは?



初詣でお会いしたペンキ屋さんは、昨年売り上げは過去最高、と話してくれました。木造の新築物件の内部のペンキ塗りの仕事が無くなってきたので、数年前から、足場、屋根、外壁と仕事の中身を増やしていき、その結果昨年は中低層のマンションの外壁工事が沢山出た結果、売り上げが上がったと話してくれました。金額がまとまるので、利益率は少し下がったと話していましたが、好調さをアピールする話しぶりでした。
しかし、同じペンキ屋仲間でも「良いところと悪い所が両極端」と話していましたので、どこも良いというわけではなさそうです。
それをわれわれ材木屋に話をすると、良いという所が極端に少ないと思います。特に国産材を用いたり、販売している所にその傾向が強いように思えます。実際、国産材の売れ行きが下がる一方です。木材販売の低下が言われ出してから、早二十年。私の材木屋生活の大半は、木材特にいかにして国産材を活用していただくかに微力を尽くしてきたと思っていますが、全く後退する一方でした。ドル安円高が進めば、アメリカやカナダ材が、安く流入してきます。現在のようにユーロ安が進めば、ホワイトウッド材が安くなって大量に入荷してきます。その中で国産材を守るためには、国策として保護される以外にないのだと思います。まして福島県の木などは、汚染木材として燃やすことも使用することも出来そうになりません。
一月の売れ行きは、ペンキ屋さんのように行かない我が社です。





2012/01/17(火) 曇り


[ 女川街道を東へ ]
女川街道東へ


石巻を後にしてから、女川街道を東へ向かいました。



合板工場から東へ向かいましたが、女川町に入る手前は平地でもあり、また外海と繋がっている関係もあって、被害は甚大です。約10ヶ月たった時点でも
片づけないままのものがあります。


車中からの写真です。


石巻線の「渡波」「沢田」辺りは万石浦という内海沿いは津波の被害はないように思えました。地震で壊れた家や地盤沈下は見られましたが、浦宿までは穏やかでした。場所を変えて再開された「マリンパルおさかな市場」です。


女川港につきました。卸売市場の建物も被災していました。二階の窓上に喫水線が出ています。水はもっと上まで行ったのだと思います。



卸売市場の一階の天井も壊れたままでした。



車には「がんばる女川」「希望の烽火」のステッカーが貼ってありました。


建物を解体していました。解体したものを運ぶトラックが行きかっていました。
また作る段階ではなくて、壊す段階なのだと感じてきました。


海は静かでした。

女川町は平地が少なく山に向かって谷沿いに街が開けていた所だけに津波の被害はかなり奥まで、かなり高い所まで広がっていました。10か月を経て行きましたが、使えなくなってしまった建物の大半は壊されています。何も無くなってしまったというのが実感です。


2012/01/14(土) 晴れ


[ 石巻へ ]
石巻へ



1月6日、作並温泉からレンタカーで石巻を目指しました。滞在時間があまりないのでまずは日和山公園を目指します。ここは石巻城址でもあります。市内が一望できるので、ここにしました。

初めて来た所ですが、市内を見ると無残なものでした。津波で流された住まいが大半で、残っている所もその後近づいてみると一階は壊滅状態でした。

鹿島御児神社で絵馬をあげ、ご朱印をいただいてから、ここから見える景色を頭に焼きつけました。

 次に向かったのは「石巻合板工業」の工場です。日本製紙の大きな工場の並びにありました。ここも被災しましたが、工場は再開されていました。これで多分ラーチ合板が不足するということはないでしょう。広い道の反対側には丸太、社員用の駐車場、そして被災した車などが積み上げられていました。

 


日和山につきました。


目の前に現れたのは、散乱した墓石と大半が無くなってしまった廃墟です。


石巻、鹿島御児神社の手水舎も凍っています。 


鹿島御児神社の本殿です。



中の島のドーム型の建物が石森萬画館です。もちろん被災して開かれてはおりません。


日和山には芭蕉と曽良もいます。桜の名所としても有名な所です。


日和山から下りて東に向かうと日本製紙の工場がありますが、そのあたりの風景は目を覆うばかりのものです。


後ろが「石巻合板工業」の工場です。ここでラーチ合板が作られています。工場が再会したので、ラーチ合板の不足もしばらくはないでしょう。



反対側の海沿いの場所には、数多くの車が積み上げられていました。


その左隣には、社員用の車とその奥に数多くの丸太が山積みしてありました。

ここを後にして、女川街道を東へ走りました。



2012/01/11(水) 晴れ


[ 中野支部新年会2012年 ]
中野支部新年会



1月8日、毎年恒例の新東京木材中野支部の新年会に参加してきました。今年も箱根湯本の「ホテルおかだ」での開催、参加者も12名になりました。支部員が23名ですので、約半数の参加です。なかなか人を集めるのが大変になっていますが、集まっていただいた方々とは、和気あいあい、楽しい新年会でした。





ラストは、最長老の豊玉木材様の「磯節」で。




2012/01/10(火) 晴れ


[ 仙台にある作並温泉へ ]
仙台にある作並温泉へ



仙台にある作並温泉へ2泊3日の旅をしました。1月5日から7日までの平日料金でのツアー旅行に申し込んで、移動は仙台でレンタカーを借りました。

まずは駅ナカで牛たん定食をいただきました。



次は、青葉城址。伊達正宗公の銅像です。




近くにある昭忠碑の上の金鵄と呼ばれる大きな鳶の像は落ちてしまってシートがかけられていました。地震の大きさを物語っています。





作並温泉に近づくに従って雪が舞い落ちてきました。雪道運転も久しぶりです。スタッドレスをはいているので安心です。

宿泊した「一の坊」は料理はともかく、お風呂の良い所でした。雪を見ながらのんびり湯につかっていると疲れも取れます。朝は「つらら」も見ることが出来ました。

部屋は洋間で、床も「悪い所だけ取り換えられる」ようになっていました。その他かなり簡便になっていると感じました。






今年の初雪です。

2012/01/08(日) 晴れ


[ 穴八幡へ ]
穴八幡へ



毎年恒例となっている穴八幡へは、昨年12月31日に行きました。冬至から節分までの間に「一陽来復」を受けて来ることがここ二十年くらい続いているいわば、行事です。穴八幡は私の卒業した中学の斜め前にあります。したがって48年くらい前から行っている所です。その頃はまだ五木寛之氏が、野宿していたという伝説の庫裏も残っていました。私のそれをまねて京都で野宿したことが一度あります。夏でしたが、清水焼の窯近くの御堂の所で寝ていました。夜中に見廻りの方が来て「酔っ払いか」と注意を受けましたが、そのままそこで寝かせていただきました。小説とか、テレビで野宿しているシーンを再現してみただけなのですが、実際の野宿は、真夏でしたので蚊に刺されっぱなしの厳しいものでした。顔をビニールのようなもので覆いながら過ごしました。暗いうちは動こうにも右も左もわかりませんでした。高校生の頃の話です。

さて、穴八幡からは高田馬場まで歩きました。中学高校時代の通いなれた道なので私には苦はありませんでした。途中お茶を飲んで休憩をはさんで高田馬場まで来ましたが、その手前の馬場口には、大学を卒業した年から数年友人が住んでいた関係で、よく通ったラーメン屋がありました。「エゾ菊」といいます。こってりとした味噌ラーメンでした。ラーメンの味と共にその頃一緒に食べた友人の顔が浮かびます。「みんなどうしているのだろうか」「元気で暮らしているのだろうか」

そうです。みんな60歳を過ぎてしまいまいました。


馬場口の交差点です。


その少し手前の写真です。中央に「エゾ菊」がありますが、わかりにくいかもしれません。


穴八幡には、数多くの「ハート型」があります。これを探すという寺社巡りもあるそうです。


2012/01/06(金) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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