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時々更新mn日記

( 2012/01 ← 2011/12 → 2011/11 )


[ 今年ラストの更新です。 ]
今年ラストの更新です。



今年最後の更新になりました。来年は10日からの営業になります。長い休みになります。また喪中につき新年のご挨拶はご遠慮させていただきます。

さて、今年一年を振り返ると、何と行っても3月11日の震災があげられます。家内は2時半ごろに家に帰ってきていましたので、地震の際もテレビやタンスを抑えたくらいの記憶しかないとのことです。私も事務所のトイレでこの地震に会いましたが、もちろんその時には、今まで経験したことのない大きさであることはわかりましたが、幸い事務所も倒壊したわけでもなく、事務所内のサンプルなども棚から落ちませんでした。また一階の材木置場も少しは倒れましたが、斜めになったくらいで済みました。さらに私は中野の事務所から、池袋にある市場まで材料の引き取りに行きました。そして帰ってきました。道中渋滞も無く、戻ってきました。「歩いている人が多いな」くらいの印象しかもたないままに家に戻りましたので、この地震に対する実感は薄いものがあります。テレビで驚いたという感じです。友人なども水道橋から歩いた、あるいは東京駅から埼玉県の越谷まで歩いて、夜中の2時だったなどと云う話を聞いてもピンときません。わずかに携帯電話がつながらないので、人の安否を確認するのに自分の脚を使ったくらいでしょうか。
そんな感じなので、少し震災の影響をこれから自分の中に叩き込みたいと思っています。

次に義母が亡くなったことがあげられます。一月の初めでした。

また母の17回忌を10月に子供と孫全員で開けたのも私としては責任が果たせた感じでした。

5月の頭にフェイスブックへの登録を友人に勧められ、その中から40年ぶりに昔の友人と出会えたことがあげられます。この友人とは11月に再会出来ました。

その延長線上に私家版の「人生を振り返る」があります。私の還暦到達祝いでもあります。20代の頃には60歳まで生きられるといった感じはありませんでしたが、ここまで来られました。次の目標は母親の歳66歳になります。

今年記憶に残った所は以下の通りです。来年は少し自分の居場所を変えたいと思っています。皆さんも良いお年をお迎えください。



1月に行った、別府市内の「坊主地獄」です。


別名「舞鶴城」の異名を持つ唐津城は美しい城でした。


林泉寺の長藤も綺麗でした。雨の中でしたが、境内では地元の方により小さなお祭りが開かれていました。車だったので飲めませんでしたが、しばらく地元の方とお話をしながらおでんをいただいたのが思い出です。


三保の松原の「松」も三代目とか。


今年はベランダに格子を組んでキューリとゴーヤを楽しむことにしました。



夏の志賀高原ではよく歩きました。


足利市の「ばんな寺」の大銀杏は綺麗な黄色でした。


クリスマスで行った六本木。LEDは何となく寒々しいのであまり好きではありません。

来年はどんな年になりますやら・・・・


2011/12/30(金) 晴れ


[ もうひと踏ん張り ]
もうひと踏ん張り


今年もいよいよ押し詰まってまいりました。来年の仕事もぼつぼつ話が来るようになりました。例年に比べて少ないですが、少しずつはあります。決まるまでの時間が長くなっていることや請け負う金額が少なくなってきているのが特徴です。
さて、テニスも先週の土曜日で終了しました。身体を動かしていないので、何となく調子が出ません。そこで身体を動かすために片づけをしているのですが、これが思うように進みません。どこに何を置くのか、どれを捨てて何を残すのか、全体の構想が出来ないままに進めている結果だと思います。大雑把にあと十年と考えても、必要性のないものが増えています。仕事で残ってしまった在庫も同じです。使用価値の無くなったものは処分がいいようです。
今年ももうひと踏ん張りです。


2011/12/29(木) 晴れ


[ 細かい需要ならまだあるが・・・ ]
細かい需要ならまだあるが・・・


いよいよ年末が迫ってまいりました。12月23日の休みがあるおかげで仕事が年末の稼働日数がより一層少なくなっています。さらに来春も、所々に用事があり、その結果9日まで休むことにしました。いよいよ仕事をする日数が減っています。
そんな中、現金売りの方が増えています。それらの多くはホームセンターでは売っていないものです。風呂の蓋をプラスティックから桧材に変えたい、香りを放つ木が欲しいなどです。

需要は一層細かくなりました。

今年もあと一週間になりました。どちらかと云うと、もう明日が大晦日で、すぐにお正月と云った感じです。

イブを二人で過ごし、25日は(有)根岸建設様の餅つきでした。昨年は参加できませんでしたが、今年は何とか行くことが出来ました。





また、その日の夜は白川建設(株)様の会長のお通夜でした。91歳でした。会長様の自宅マンションのリフォームを行ったのが、もう二十年近く前になります。その頃のお元気な姿を思い出しながら、お焼香させていただきました。

2011/12/26(月) 晴れ時々曇り


[ プラスαが無くなった。 ]
プラスαが無くなった


近くの川島商店街も日曜日の夕方ともなると、お店の灯りのついている所が減りました。シャッターが降ろされっぱなしの所も増えました。この傾向は、今年の4月に近所にやや大型のスーパーが出店していから一層ひどくなりました。小さな所が肩を寄せ合って人を呼び込んでいたのが、一つ抜け、二つ抜けた段階で、違う所から「どっと人を引き抜かれた」ので人通りが大幅に減ってしまいました。今までは魚を買いに来て、ついでに「肉屋」に寄って、買い物をしてくれたのに、スーパー一店で終了と云うことになりました。
人の流れがすっかり変わってしまいました。
我々の業界にしても、消費者寄りの「ホームセンター」の台頭で、一般のお客さんは来なくなりました。また土木関係の品物もホームセンターの方が安くなりました。手すり材なども同様です。特定のベニヤも同じです。それだけを買えば、確実に安い存在になりました。力をつけてきたと思います。
また商売もうまいです。我が家のすぐ近くにセブンイレブンがあります。が、地域で一番安と云う触れ込みで売れ筋のパンを置いています。この単価は158円で、この近くのコンビニやスーパーのそれよりも確かに安いのです。ですからこれだけを買いに行くことがあります。
ところが、ついでに牛乳を買うとしましょう。私がいつも買っている牛乳はここでは258円で売られています。別のスーパーへ行けば、229円ないし239円で販売されています。パンと牛乳を一緒に買うとなると、別のスーパーに行く方が賢明になります。先のホームセンターも単価のつけ方はうまいです。よく研究されていて、「パンだけなら安いけど、パンと牛乳を買うと利益が確保できる」ようになっています。私たちもホームセンターに習って「パンの部分は下げて、牛乳の部分をあげる」方が良いのでしょうか。
もう少しするとホームセンターと同じ値段で売る、と云ったことが常識化するのではないかと思っています。その中では、大きな所だけ残して、大型店の材木屋だけを残す方が、賢いのかもしれません。小さな所の商売では、プラスαは無くなりました。




2011/12/19(月) 曇り


[ 今年も終了かも ]
今年も終了かも



12月15日で一つの現場の大工仕事が終わりました。これによりあといくつかの現場はありますが、もう材料を納めるといった所は期待できません。今年もあと半月あります。また正月休みも9日ほどあります。都合三週間強、どう過ごすかが問われています。

今年を振り返ると、3月の震災までは断熱材不足など資材を回してもらうことが第一でしたが、震災後はそれに加えてベニヤ類の入荷待ちや単価の値上がりなどが重なりました。ユニットバスや水回り部品が調達できないために、1カ月から1カ月半仕事が延びてしまいました。

夏場は比較的順調だったかと思いますが、10月後半から仕事は下り坂になりました。8月末の決算ではわが社は黒字を計上しましたが、これからを考える時、今期以降の先行きは赤信号になりました。存続できる条件がより少なくなってきました。

今年も終了です。来年はやり方も変えて、行くようです。




2011/12/17(土) 晴れ


[ 沈黙ずる工務店を ]
沈黙する工務店を



大工に力が無くなって久しいです。その上、工務店までもがお客さん直の仕事が取れなくなりました。取れたとしても単価が安いものになりました。あるいはその見積もりの金額では出来ないレベルの仕事しか取れなくなってきたように思います。私たちもそういう方を相手にする商売になっています。

例えば昨日お金を振り込んでいただいた工務店さんは、自分の仕事も多少ありますが、その多くはその上の工務店からの下請けです。クロス屋さんからの仕事もあります。この辺りは支払いのサイトが長いようで、元請けからいただけないうちは支払いも遅れがちになります。

また自分の仕事の場合でもすんなり仕事が進んでお金をいただける場合と、リフォーム仕事などで、追加追加で仕事が終わらなくなってしまったりするとその追加分をめぐって全額集金できるまでのタイムラグがあります。
そうは言っても昔は仕事の量が沢山ありましたから、自転車操業でも何とかなりました。しかし今は、その一つの仕事を終了させた段階で一つ一つ決めていかないと次がありません。一つの失敗が命取りになります。
 
 命取りになって、親から資金を調達してその場をしのいでいる人もいます。仕事は何もしなければ1円にもなりません。が、仕事をしてしまうと負債を抱える、借金を作ってしまうという所に来ています。良いお客さんから直での仕事。これをいただけるかどうかにかかっています。それも数は少なくなっています。そのことを考え合わせると私たちの業界も積極的に小さくなっていくことでしか残せないのではと思うようになってきました。つまり私たちも工務店になって行くか、設計士になって行くか、小さくて敷居の高い材木店として残るか、などです。従来の工務店は沈黙しています。
今までの所を相手にしていたのでは、売り上げは確保できない。材料の発注の単価の安いものだけ。配達料も取れないけれど、荷揚げは要求される。おまけに支払いは後回し。
そこを捨てるしかない所に来ているように思えます。




2011/12/15(木) 晴れ


[ ほっと一息 ]
ほっと一息



12日の月曜日には千葉県の四街道市まで片道2時間ほどかけて配達に行ってきましたが、前もって大まかな材料は積んでいたので、4時間ほどの拘束で帰ってきました。が、やはりこれくらいトラックに乗ると疲れますね。また首都高速から東関東道路は比較的すいていましたが、それでも車の量は多いですね。交通量の多い所をトラックで走るのも久しぶりでしたので、少し緊張しました。
さて、この夏からたまっていた所の集金が出来て、ホッと一息です。これで一月いっぱいは大丈夫でしょう。
今月も仕事が少ないです。職人さんは大変です。生活費を捻出するのが大変です。何せ来年の初めに休みが続きますから・・・
そういう私もお年玉が出せるか、否か、どのあたりに旅行へ行けるのか、至急に決めなければならないことが溜まっています。



2011/12/14(水) 曇り


[ たまには勉強も大切 ]
たまには勉強も大切



この所、午後3時を過ぎると特にすることも無くなるので、音楽を聞いていますが、ついでにその時間帯には本を読んだり、ネットの中の情報を見たりしています。

さて、最近買い求めた本の中に「奇跡の杉」があります。




日本には沢山の杉があります。これははげ山となった第二次大戦後、経済林として杉を植えたことに起因します。この安くて育ちの良い杉を「如何にして使うか」は山持ちから製材所、材木屋、施主、ひいては日本経済にとっても大きな課題です。

杉材は柔らかい材なので、狂いやすい、傷がつきやすいなど多くの欠点を持っています。我が家の床や壁などにも杉材を貼りましたが、床は完成前に物を落としてへこんだところがあります。その反面良い香りがする、温かいなどその欠点を気にしないだけの良さを持っています。

そんな杉に着目して、杉の本格的利用の一つとして、従来欠点をされていたものを克服する一つの方法がこの本に書かれてあります。杉材を45度と云う低温で乾燥することによって、杉の持っている効能を最大限に引き出すことが出来る、と云うのがこの本の主張です。高温で乾燥させると木の芯の方で割れてしまいますが、これを防ぐことが出来るとのことです。そうであれば、このやり方は日本を救う一つの道になるでしょう。

これを推進している方々の、HPなど参考になる資料はこちらから入手してください。

小川木材(株)HP

こちらから

適材適所の会

こちらから

加藤政実氏の論文

こちらから




2011/12/13(火) 曇り


[ みんなで月食。 ]
みんなで月食



12月10日の夜は綺麗な皆既月食を見ることが出来ましたか。私は多くの仲間とともに見ることが出来ました。

10日の夜は「6年3組」のクラス会でした。中野新橋にある「タクティー」で食事をして帰りがけに夜空を眺めて、月が欠け始めるのを確認しました。二次会を終えて外に出てみんなで皆既月食を見ました。幻想的なオレンジ色を見て解散しました。

その後、あっという間に月が明るさを取り戻してしまいました。クラス会も短い時間でしたが、会を重ねるごとに悩みも話題も少しずつ違ったものになりながら、みんなのつながりは深まっているように思います。次回は来年2月。そして5月の予定です。皆さん予定をあけておいてください。

さて、次の日は、同じ「6年3組」の真紀ちゃんの発表会でした。比較舞踊学会の第22回大会が「子ども教育宝仙大学」で行われていたので、そこへ行きました。真紀ちゃんと則子ちゃんは親友同士。長い時間はとれませんでしたが、3年ぶりの再会を果たしました。





2011/12/12(月) 晴れ


[ 少し前になりますが ]
少し前になりますが・・・



少し前のことになりますが、フォーク酒場へ行きました。そこでは、「山谷ブルース」や「竹田の子守唄」を歌いました。声は出ていませんでしたが、何年ぶりでしょうか。歌ってみました。風の「22歳の別れ」も歌いました。この歌は私が丁度22歳の時に流行った歌です。

そんなことが始まりで、うめまつりと云うグループの「北山杉」やタンポポの「嵯峨野さやさや」など、京都を舞台とした歌をユーチュブで聞いています。作られた年が1975年となっていますので、東京へ戻ってから聞いた歌になります。どちらも好きな歌です。(ちなみに1973年3月に東京へ戻ってきました)

その点、渚ゆう子の「京都の恋」などは大学一年生の時にはやった歌です。京都のラジオから流れる音楽を毎日聞いていました。京都でやや廃れたと思ったら、全国的にヒットしたので記憶に残っています。チェリッシュの「なのにあなたは京都へ行くの」などもリアルタイムで聞いていると思います。

その反面、聞きそびれている歌もたくさんあります。小林啓子の「比叡おろし」や舟木一夫の「京の恋歌」などは初めて聞いていると思います。前者は1970年、後者は1969年の発売ですから、聞いていてもおかしくないのですが、初めて聞くように思います。両方ともいい歌です。

そんな歌を次から次へと聞いています。とにかく京都に関する歌を沢山聞いています。懐かしさもありますが、今の年齢になったからこそ、もう一度聞いてみて何を感じるのか、確かめてみたい所です。



2011/12/08(木) 雨


[ 世間は忙しい ]
世間は忙しい


私の周りでは仕事が忙しいという話を耳にしませんが、東京は人手不足でマンション建築の現場が予定通りに進んでいないという話を聞きます。被災した宮城県の方が待遇が良いので多くの職人さんはそちらに行ってしまい、工事は遅れがちだと聞きます。この傾向はますます強まるでしょう。

さて、それに伴い、不足がちになるものがまた出そうです。昨年の今頃は、断熱材が無くて苦労しました。また震災の後では、合板を始め、各種部品が無くなりました。

これから東北の復興が本格的になってくると、同じような状況になるのでしょうか。

今世間は忙しいといいます。実際フロアーの受注は仮需を含めてかなりあるようです。問屋さんは納期一カ月待ちの状態なので、一カ月先の予測を建てて受注しているといいます。3坪5坪のフロアー材の受注に関しては納期数日で何とかしてくれますが、数の多いものは納期までの時間が欲しいといいます。一番足りないのは、中級品だといわれます。性能の割に単価が安いという品物になります。注文してもすぐに入ってきませんので用心しましょう。



2011/12/07(水) 曇り


[ 国道50号線を行く ]
国道50号線を行く。



12月4日には、のんびりドライブをして来ました。行き先は栃木県の足利学校と弓削道鏡の塚のある龍興寺ならびに龍興寺の近くにある「下野薬師寺跡」を中心に国道50号線を西から東へ走りました。

この辺りを走るのは、本当に久しぶりになります。8年ぶりないし20数年ぶりと云う感じです。最近記憶に迷いが生じていますので、かなりアバウトに言うと久しぶりと云うことになります。まして先にあげた所へは行ったことがありません。この辺りだと、我が街から行くと、「何もない」「近すぎる」などから敬遠されることが多いのです。しかしながらこの辺りが悪い場所ではありません。関東平野の北の端の方になりますが、まだ平野の中にだだっ広い平地が広がっているのです。

まずは足利学校とその裏手にある大日苑(鑁阿寺=ばんなじ)に行きました。どちらも紅葉の最中。というか、少し遅いくらいでしたが、今年初めての紅葉狩り。足利学校は孔子をお祭りしていることで有名です。ばんな寺は足利家の屋敷の中にお寺を作った所で、周りを濠に囲まれています。ばんな寺には、大銀杏が今を盛りに聳え立っていました。足利学校まで来たら、こちらまで足を延ばさないと損します。いい所でした。

ここから南下して国道50号線を目指します。車を走らせながら、ブルーシートのかぶった屋根はないか、探しながら走ったのですが、流石にもうありません。50号線を東に50キロ近く行った所に下野市はあります。次はここの「道鏡塚」に行ってみようと思っています。龍興寺の境内にそれはあると書いてありました。

生憎龍興寺は庫裏の工事中でしたが、道鏡塚はすぐに見つかりました。お寺の案内図だとかなり広い場所かと思っていましたら、工事をしているすぐ横にありました。道鏡は考謙天皇が没した後、下野の薬師寺に左遷され、2年後に死去したとものの本には書いてあります。そしてお墓はこの塚の後ろの古墳だといわれています。

こちらを見た後に、下野薬師寺へ足をのばしました。すぐ隣にある下野薬師寺歴史館に、詳しくその歴史が書かれてありましたが、この薬師寺跡がある一帯は関東平野のやや北側ではありますが、辺りが一望できるやや高台になります。二階に登ればこの一帯が見渡せる高さです。良い場所に寺を建てたことがわかります。1300年前の下野の国の中心地の一つでした。もっといえば、関東で一番開けた所だったと思います。

歴史館でゆっくりしたので、4時を回ってしまいました。すぐに夕暮れです。この辺りから見る山はあまり高くなく、夕日が山全体を覆って影絵のようなシルエットが浮かんでいます。今日は風が強かったので余計に綺麗でした。

そういえば、この下野辺りまで来た時に、屋根がわらが地震で移動した為に棟の所に重しを置いている家が4軒ほど目につきました。まだ修理が終わっていないようです。瓦屋さんが忙しいのでしょう。



足利学校




足利学校



足利学校




足利市のばんな寺。



下野市の龍興寺境内にある道鏡塚



同じく龍興寺にある鑑真和尚の碑



下野薬師寺跡の看板


そこから左にターンするとこんな感じです。右の奥に見えるのが、西の回廊の端です。お寺はこの写真の右手になります。もっと右を写せばよかったです。お寺の形式は、一塔三金堂と云う奈良県の飛鳥寺と同じ形式になります。




2011/12/06(火) 曇り時々雨


[ 永遠のマイトガイ ]
永遠のマイトガイ


小林旭著

著者小林旭さんは昭和30年代から40年代に大活躍した映画俳優です。「渡り鳥シリーズ」「流れ者のシリーズ」「銀座旋風児シリーズ」などのシリーズものや「絶唱」「南国土佐を後にして」などのヒットで戦後の映画会社である日活を大きくした俳優さんです。石原裕次郎と人気を二分したことでも有名です。リアルタイムで見た映画は「女の警察」とか「青春の門」辺りになります。それでも今から40年も前の話です。
裕次郎さんが明るい役を演じたのに対して、影のある役を数多く方です。日活の中では数少ない演技派です。その人の何冊目かの著作になります。映画の黄金時代を過ごす中で、また斜陽産業になってゴルフ場経営に失敗とか、大借金を抱えるとか、何かと話題性の大きな方でしたが、借金は「昔の名前で出ています」とか「熱き心に」など歌の分野で成功して返すという離れ業も経験されています。読んでいくとスケールの大きな俳優さんであったことが改めて感じられます。
今の日本で生き残っている数少ないスターさんだと私は思いますが、本人は、自分はあくまでも「役者」だと突っ張っている所が、何とも小林旭だと思います。

マイトガイと云うのは、日活が俳優を売り出すために「ダイアモンドライン」といのを作った時に名づけられた名前で、石原裕次郎がタフガイ、二谷英明がダンプガイ、宍戸錠がエースのジョー、赤木圭一郎がトニー、そして小林旭がマイトガイと名付けられたことに由来するようです。




2011/12/03(土) 雨


[ 早くも年末の雰囲気 ]
早くも年末の雰囲気。



今年6月にアパートの2階で水漏れ事故が発生して材料を濡らしてしまいました。早速保険を申請して、被害金額に見合ったものをいただきました。それからその材料を処分したかったのですが、なかなか忙しくてやっと11月の30日に処分出来ました。事故が起こってから保険がおりるまでに時間がかかりましたので、保険がおりるまではそのままにしてくださいという言葉に従ってあまり移動をしなかったために、カビが生えたりしました。それを一掃できたので、すっきりしました。

しかし、この時期にそのようなごみ片づけをすると、何となくもう年末か、と錯覚してしまいそうです。まして、この3日の日に我が母校である中野区立神明小学校では、イベントを予定していて、隣の氷川神社では。焼き芋を子供たち向けにふるまうための「薪」の手配を頼まれました。そこで思い切って曲がった木材やもう売れそうにないものを切断したので、余計にすっきりしてしまいました。

狭い下小屋だと思っていましたが、案外広いという気になってしまうのはうれしいようなさみしいような感じです。この狭い下小屋でも最高大工さんが9人入って仕事をしていたことがありました。木材も構造材や造作材もまだ豊富にありましたので、人で溢れ活気もありました。時代の変化を感じますね。


2011/12/02(金) 曇り時々雨


[ 3メーターものが好まれる ]
3メーターものが好まれる


 軽自動車のバンタイプの屋根に4メーターものの材料を積んで走っていた大工さんが警官に注意を受けた、と聞きました。3メーター65なら問題にはならないけれど4メーターだとちょっと危ないので、配達してくれませんか、などと言われることがあります。
また、職人さんも軽トラックよりも道具の濡れないバンタイプの車一台で仕事をするようになってきたので、材料もそれに積むことになります。3メーターものだと中に入って雨が降ってきても濡れません。また長さ的にも3800ミリくらいまで入るので、3650ミリのものもそのまま積めます。4メートルだと少し長さを切るようです。
こう見て来ると、3メーターものが好まれているように思われます。
まして、マンションリフォームなどでエレベーターの中に切って運ぶ場合と、階段を担いで登っていく場合などを考え合わせても3メーターものの優位性が目立つようになりました。
下地材だけでなく、造作材に関しても2200ミリや2500ミリのものが売れ筋として確立してきました。3600ミリやそれ以上長いものはごく少量になってきたと思います。
これは都会だけの現象かもしれませんが、そんなことを考え合わせると米栂材やヘムロック、スプルース材の加工してある箱入りの材料は良く研究して販売されているのだと思います。桧材は使われなくなりましたが、売れ筋とかけ離れた製材の仕方ではやむを得ないのかもしれません。
ともあれ、わが社の林場にも3メーターものが増えてきました。以前のように4メーター材を建てかけるように作った林場のでは上の方がすいてしまって埃が目立つようになってきました。想えば、もう何十年と直さなかった林場の埃が見えるようになっています。三十年なんて、あっという間だと思っています。



2011/12/01(木) 曇り時々雨


( 2012/01 ← 2011/12 → 2011/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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