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時々更新mn日記

( 2011/08 ← 2011/07 → 2011/06 )


[ 7月も終了 ]
7月も終了



時間の過ぎるのが早いですね。また一カ月が過ぎようとしています。今月は来月の決算を控えて、ある程度の売り上げを確保したかったのですが、結果的には、考えていたよりも下回りました。木材が売れていません。たぶん市場や組合の買い上げ金も減っていることでしょう。来月は休みも多いですので、売り上げは期待できませんので、来月は在庫を処分していこうと思っています。

さて、売れるものが限られてきました。

まずこれを突破している人を見てみましょう。

プレカット工場を経営しているAさんは、銀行から土地を紹介していただいて、そこに家を建てるなり、直しなりして、住まいごと売っています。

外国にも企業を持っているBさんは、木材の良さをPR出来る工務店部門を持って、住まい造りをしていく傍ら、木材販売のために新規の顧客を求めて、全国を飛び回っています。

設計事務所と提携しているCさんは、本格的な木造建築を作り続けています。

Dさんは、自ら改造であれ、新築であれ、仕事を取ってきます。さらに大工を使って、住まいを作り上げていきます。ユニットバスやキッチンの売り上げが大きな位置を占めると言います。

翻って、自分はかなりあいまいな位置にいます。どんどん消極的になっています。新築が無くなりました。水回りも少なくなりました。床暖房や建具は少しありますが、サイディング材工も無くなりました。造作材も減っています。そのような中では下地材を中心にして販売していますが、この所床材が取れなくなっています。無垢の床材、あるいは建材メーカーのものでも単価や使い勝手で、わが社のものでは、合わなくなっているようです。中にはお客さんが買っている価格の方がわが社の仕入れを下回るものまで出ています。安く買っていくか、品物を落としていくか、その両方なのか、分かれ目に来ています。

そんなときは、木材を見ると気が楽になります。癒されます。そういう木の良さを語り継ぐしか私たちに残された道はないのだと思います。今週の「マルホン」のHPでは、壁材に板を使うという特集でした。自分の自宅にも一部壁に板を貼りましたが、良い感じで経年変化が表れています。

床や壁に杉や桧材を貼ると、経年変化が楽しめます。チーク材のように貼って変わらないのもいいですが、少しずつ変化することも本物を使っていく楽しみです。思えば私も、だいぶ変化しました。もう若い方には入らないのだと思うと、さみしい気持ちもありますが、世代交代をしていかないと、活力が生まれません。少しずつ奥へ引っ込んでいきたいと思っています。



2011/07/30(土) 晴れ時々曇り


[ 現在の認識 ]
現在の認識



「木材が売れない」と云う言葉は今から二十年前くらいから出ています。もっと前から、すでに私がこの仕事に就いた三十数年前、すでにそういう言葉は囁かれていました。二度にわたる「オイルクライシス」と「バブル期」が終了してから、つまり下がって、上がって、その後は下がりどおしなのです。

木材が売れなくなると、材木屋としては、新建材を売る、住まいごと売る、と云う時代を経て、依然として木材は売れない時代を過ごしています。

その前提としては、工務店の力が落ちたことに起因すると思います。また材木屋もそこをお得様としていたことにより、良い時はそれでよかったのでしょうが、一旦落ちてしまうと、浮揚するきっかけを失ってしまいました。

そこで気の利いた方は、建築士の資格を取り、あるいは施工管理士などの資格を得て、より住まい造りに近い姿勢をとりました。大工を動かせて請け負う形を作りました。プレカットに始まり、水回り、サイディング材工、建具、床暖房、最近ではこれに太陽光発電などが入るかと思います。ここまで請け負えると金額は大きなものになります。わが社も一時この世界が見えましたが、一つ抜け、二つ抜けて木材をはじめとする単価の安いものが中心になりました。

二十年くらい前まで使われていた木材を構造材、造作材、下地材とわけると、構造材の多くはプレカット工場経由になりました。土台や柱なども数本ずつ増改築で使われるだけになりました。

造作材もその多くは建材メーカーのものにとって代わられました。建材メーカーのもので間に合わない所だけ、木材で加工すると云う時代になりました。その方が、「早くて安い」と云う要請にこたえるものになりました。

この結果、窓枠材やドア枠などは大半が建材メーカー品となりました。廻縁などは使わることが少なくなり、幅木もそれが建材メーカー品であっても「薄い」ものになりました。見た目のも貧弱なものが増えています。

こうしてつくられる住まいはリーズナブルですが、住まいとしては、そんなに長い時間もつものとは考えられなくなりました。

さて、木材市場には造作材が沢山在庫してあります。材木屋の目から見ると、かなり「お宝」に近いものもありますが、大半は、如何せん使われることが少なくなったものばかりです。本日は新東京木材商業協同組合で「新東京昭和会」の記念市がありました。が、造作材に関しては、「良いものだけれど、売れない」ものが沢山並んでいました。全く売れないわけではありませんし、いざ使いたいと思って探すと見合うものなかったりします。それでも引き合いがなければ、買いません。木材は加工の融通性を持っていますが、それゆえに注文される寸法も1ミリ単位で発注されます。同じものをたくさん作る仕事が以前にはありましたが、今は1丁ないし2丁などと云う風に個別に対応するしかなくなりました。これで大量に仕入れをすると採算に合わなくなったのです。

採算に合わなくなったことでより使われなくなりました。売れません。各材木店には少しずつあれば、間に合うものになりました。

この辺りから現在売れているものは、下地材を呼ばれる「隠れてしまう材料」です。材木屋は大半が目で見えるもの方見えないものを売る商売に変化してしまいました。この結果が、どこのお店も一人二人で仕事をする現状となったものと思います。

材木屋は楽をしすぎたのかもしれません。

2011/07/28(木) 曇り時々雨


[ 哀悼・原田芳雄、安達明 ]
哀悼・原田芳雄、安達明




原田芳雄さんが亡くなりましたね。最後に姿を見せた時の衰え方から、「長くはない」と思いましたが、果たしてその通りでした。映画にかける情熱は人一倍の方で、一カ月ほど前に放映されたフジテレビの朝の番組「ボクラの時代」では今回完成した映画の共演者とともに話をしておられましたが、その10日後の映画の試写会では、もう車いす姿で、声も出ない姿を見て、自分の父親の最後のころのことを思い出しました。

映画の世界では、「反逆のメロディー」「赤い鳥逃げた」「無宿人御子神の丈吉」「祭りの準備」辺りまでしか見ていません。「龍馬暗殺」も見ていませんが、映画の世界で見る彼はいつも同じ人でした。むさくるしい感じの人でした。
そんな彼の出演した「祭りの準備」のビデオを昨日今日と見なおしてみて、その土地土地に根ざした人間にあこがれと愛着を持っていた人だなと感じました。

さて、話は変わりますが、YouCubeで安達明の「友情」を聞こうとしたら、安達明さんの息子さんから、「去る5月20日に亡くなりました」と云うメッセージが入っていました。
63歳と云うのは若いです。自分に近い年代の方が亡くなると、こちらもガクッとします。安達明さんは昭和40年代の初頭を飾るヒット曲を次々に出した方です。舟木一夫さんや西郷輝彦さんの少し下の年代の方です。活躍した期間は長くはないですが、心に残こる歌をたくさん残してくれました。

「女学生」に始まり、「潮風を待つ少女」「明日と握手」「友情」「赤いカンナが咲いていた」「僕のカーネーション」などがお気に入りに入っています。

懐かしいものは青春時代です。


2011/07/25(月) 晴れ


[ 頭の中の単価表を訂正 ]
頭の中の単価を訂正



7月1日から値上がりしたものや21日から上がるものなど、建築資材も単価が値上がりしているものが沢山あります。
その反面、国内品と輸入品とが両方あったものでは、多くの問屋さんが単価の関係で輸入品を選択し、その結果、以前よりも下がったものあります。

それでもこのところの傾向は値上がりです。
そこで、わが社の単価表も手直しを迫られています。そして一番直さなければならないのが、私の頭の中の単価表です。

仕入れられない値段で話してしまったり、その逆もあります。単価が下がっていると云うか代替品に近いものでOKになったり、すると下がります。また先ほど話したように国内品から輸入品に変えただけでも、単純に値段が下がるものもあります。ベニヤなどでも国内のものと輸入されたものでは、その差が一段と開いています。製品に遜色が無くなったともいえますし、たいてい隠れてしまうものなので、特にこだわりがない、と云うこともあります。

また大量に仕入れをすれば、当然ながら下がるものがあります。木材はそうでもありませんが、建材の場合はその傾向は大です。こまめに単価に関する情報を仕入れるようにしていきましょう。

2011/07/22(金) 曇り


[ 新木場へ二度行く ]
新木場へ二度行く


この一週間で二度新木場へ引き取りに行きました。いずれも急ぎの品物が出たためです。

昨年夏に東京木材市場の中にいた「(株)ヤマコ」さんが辞めてから、初めてになります。久しぶりに行くと、まず湾岸線の高速の降り口が少し移動していたり、入口が休止していたりと、少し戸惑いました。いつも信号で右折していた所にも回転できる道が作られていて、しばらく来なかったことを実感しました。

新木場へは十四日会の研修で、細田木材工業や山万に来た時、あるいは辰巳にあった三関木材や田原商店さんなどへ、またもっと古くは、遠万さんへ来た時などが思い出されます。その時には、そこいら中が木材関係者で、今のように佐川急便や各種配送センターの拠点にはなっていませんでした。

その意味では栄枯盛衰を感じます。

さて、このところ、単価の問い合わせは多くなっています。リフォームの見積もりも出てきました。どれくらい決まるかで、秋の仕事量が図れます。安くないと決まらないでしょうが、安くすれば、こちらの生活が成り立たなくなります。木材やフロアー、ボードをホームセンターや建材デポで買う方も増えています。クロス屋から建材を仕入れる会社も多くなりました。建材のルートも壊されています。壊した方が伸びているかと云えば、そちらも引っかかって伸び悩んでいます。

新木場へ二度行きました。急ぎの品物を納めたので、二つの現場とももうすぐ終了です。




2011/07/21(木) 曇り時々雨


[ 縁の下の役割へ ]
縁の下の役割へ




大きな台風がやってきます。また世間的には、「なでしこジャパン」で湧きかえっています。昨日の未明は、起きてテレビを見ていました。9時半には寝て3時50分に起きてからテレビをつけました。ハーフタイムの時には、一旦休憩しましたが、また起きだして、それからはラストまで見ていました。
1対2になった時には、もうだめかと思いましたが、則子さんの予想通り、RK戦で勝ちました。
廻りから見ていると、あきらめない力が勝利を呼び込んだと思います。

さて、今月も忙しい思いをしましたが、請求書を書き始めてみると、意外に売り上げが伸びません。売れていくものの単価が下がってしまい、1カ月を通してみると忙しさが売り上げに反映されていません。

今、マンションリフォームをするとして、それがフルリフォームだとして以下のようなイメージです。

木材・新建材 15%
水回り商品  25%
サッシ    12%
大工手間   22%
設備工事   12%
その他


7年前に行った私の自宅のマンションリフォームでの大まかな割合です。木造の新築では、構造の部分が増えますが、それでも木材・新建材の部分は20%から22%くらいではないでしょうか。住まいを作るには、作る方の思いがありますから、どこに重きを置くかは、それぞれの方の考え方次第ですが、今一番重きを置かれているのは、水回りになるでしょう。そうだとすると、水回りを制しないと売り上げ増は望めないことになります。

住宅の大半が木造住宅で、しかも「どういう種類の木を使った」とか「柱の太さ」を競った時代から、設備にお金をかける時代です。

翻ってわが社を見ると、その世界から遠い所にいます。売れる部分はまだ広いのに、実際に売っている所は狭い範囲になってしまいました。それでも身体は忙しいから、仕事のやり方を変えないと売り上げ増にはならないように思います。木材も安くなりすぎました。

2011/07/19(火) 曇り時々雨


[ 大阪都市形成の歴史 ]
「大阪 都市形成の歴史」


横山好三著
文理閣

目次
はじめに
第1章 大阪の地形「なにわ」と上町台地
第2章 古代都城――難波の宮から四天王寺建立期
第3章 大阪石山本願寺の寺内町
第4章 大阪の都市計画――秀吉から徳川幕府
第5章 徳川幕府の直轄下町人町「大阪」
第6章 大阪三郷の暮らしと経済
第7章 「天下の台所」と「米相場」
第8章 幕末から明治へ「衰退する都市」
第9章 商業都市「大阪」から近代産業都市「大阪」へ
第10章 戦後から1970年代
第11章 1990年代以降
おわりに


「大阪」の都市がいかにして出来たのか。そういう視点で書かれた本はありそうで、ない。著者は大阪生まれで大阪育ち。大阪から出て生活したことのない、いわば生粋の「大阪っ子」である。その横山氏が、大阪の成り立ちを一冊の本にまとめました。
大阪は出来て、発展し、「天下の台所」と評されるまでになりましたが、明治になって衰退する姿も描かれている。明治後期から大正にかけて工業都市として盛り返す姿も描かれている。それも第二次世界大戦後、次第に低下して、東京の後を追うことになり、それは1970年代以降も続いている。

ここから脱却するには、なにが必要か。著者は大阪はいまだに軽工業を中心とする地域産業が主力である。それを都市型の産業に変換させていく産業政策が今大阪に求められている、と結んでいる。

この本を読んでいると著者が力を入れている所が「大阪三郷地域の町並みと水路のネットワーク」だと感じた。大阪は「八百八橋」と言われるように川の町である。そこから得られる景観や街並みを後世に残したいと云う著者の思いが伝わる一冊である。著者自身が写した写真や手作りの資料が満載の一冊である。是非、一読を。






2011/07/16(土) 晴れ


[ この夏で店じまい ]
この夏で店じまい?



中野新橋商店街や川島商店街を歩いていると、いつの間にかお店が無くなっているのに気がつきます。

川島商店街は大正時代から続く歴史ある商店街ですが、一番盛んだったのは昭和30年代だろうと思います。夕方には人であふれていました。お店の数も今の三倍はあったと思います。肉屋さんでも魚屋さんでも3店舗はありました。私の大好きな甘いものも「吉田屋」「兎月堂」「千耕堂」とあり、特に「吉田屋」の稲荷ずしは忘れがたいものがあります。甘さが私の好みでした。

さて、中野新橋も戦後になって、三業地になり、芸者さんが多い時では300人はいたといいます。我が家でも年に1度か2度、芸者を呼んで宴会がありました。三味線の弾けるおねえさんから、芸のない若い子まで、沢山いました。




芸者さんも100人を切ると「成り立たない」と言われていましたが、その通りで、昭和の50年代に「見番」が消え、そこは初代の貴乃花が相撲部屋を作りました。そのおかげで一時「若・貴ブーム」でこの町も盛り上がりましたが、ブームの終了とともに衰退の一途をたどっています。

商店街が歯抜けになっています。

昭和30年代から興隆したまた街が衰退しています。個人のお店の時代は終了し、ある程度の規模のスーパーが出来、増えています。また銀行のないこの町でもコンビニが5店ほどあります。さらにホームセンターの台頭で、小さな商店はより小さくなりました。私の商売に限ってもツーバイフォー材、F☆のコンパネ、ウレタンコート、耐火ボードなどはホームセンターの方が安くなりました。フロアー材なども特定の商品に限って見れば、その方向です。大きな所は安く売ることが出来ます。もちろん全部を安くしているわけではなく、私から見てもホームセンターの商品のうち利益率が80%はあると思うものがごろごろしています。5%しか乗せないものから80%のものまで提供して全体として15%とか25%とかの利益を得ているのだと思います。

話がそれましたが、ここのところ、店を閉じる所が増えてきました。近くの建材屋さんもこの8月で終了です。売り先の減少と責任者の定年だそうです。

土地を売って、いなくなってしまう方も増えました。わが社もぼちぼち代変わりになるのでしょうか。

2011/07/14(木) 晴れ


[ 屋根工事は ]
屋根工事は



3月11日の地震で、自分のアパートも屋根瓦がずれました。雪止に引っ掛かり、落ちる所までは行きませんでしたが、ずれてしまいました。すぐに大工さんに行っていただき、応急処置をしてもらいました。また、建物にもひびが何カ所か入りました。幸い地震保険に入っていたので、「一部損壊」と判断されました。通常、建物の被害写真をつけて、保険会社の担当者に来てもらって、現場を見ていただくのですが、今回はあまりにも件数が多いということで、専門のチームの方が、現場へ来て下さいました。その結果、一部損壊でした。

さて、それから二カ月が経ちましたが、まだ屋根は直せません。壁も同様です。屋根職人さんの順番が回ってこないのです。初めのころは、「2カ月待ち」と言われたので「OK」したのですが、その2カ月も軽く過ぎてしまいました。

この事態は何と言っても職人さん事態の数が減ってしまった結果です。その下の「手元」のできる人はまだいますが、並べられる人が少なくなりました。また年をとってしまったので、「上がりたくない」と言う方もいます。いずれにしても職人さんを育てられなかった結果です。

こうなってくると、「日本没落」も近いのではと思います。もう没落しているのかもしれません。没落するとその過程で、弱いものはより弱い立場に置かれてしまいます。そのことが一番の問題になるでしょう。

屋根一つ直せないで、4か月が過ぎました。

2011/07/13(水) 晴れ


[ 暑い日には ]
暑くなりました。



梅雨が明けました。暑くなりました。が、このところ、たっぷり栄養をつけてまずは体力の低下を防いでいます。
また、適度に仕事をして、さらにテニスも続けています。先週は、火、金、土曜日と3日も出来ました。その結果、日曜日の朝には、10時間ほど睡眠をとることになりました。良く眠りました。
睡眠も十分に取れたので、日曜日には、墓参りをして来ました。二月の父と祖父の命日近くに行ったきりでした。三月のお彼岸は、大地震の後でもあり、行くことが出来ませんでした。その結果、半年ぶりにお墓に行くと、やはりお墓の木は伸びていました。そこで、かなりカットしてさっぱりさせてきました。素人の切り方なので、多少難点はあるかもしれませんが、この5、6年はこれで済ませています。

二時間ほどかけてさっぱりさせました。十分に汗をかいたので、早速おふろに・・・

ずーっと「温泉に行きたい」を繰り返していたので、花小金井にある「おふろの王様」へ行きました。墓地のある小平から車で約10分。無事に着きました。以前何度か来ていますが、たぶん3年ぶりくらいでしょう。中に入ると、約10種類のお風呂があります。が、私は暑いのと冷たいのは避け、サウナも嫌いなので、ごく普通の所ばかりに入ってきました。寝転び湯や坪湯に入りたかったのですが、満員だったので、リラクジーションバスやジェットバスを中心に疲れた筋肉をほぐしてきました。

疲れが一気に飛び出した感じで、「やはり温泉はいい」と思いました。

さて、一日が過ぎて、仕事はまた少し始まりそうです。先週の半ばから時間に余裕が出来たと思ったら、なんとなく気ぜわしくなってきました。ありがたいことですが、同時に暑いので、「仕事は控えめに」したい所です。そういえば、昼休み前後に電話が少なくなりました。みんな暑いので、3時まで休憩しているのでしょうか。いい傾向です。身体を休めながら仕事をしていく方が長持ちしそうです。

自宅のベランダではニガウリが食べごろになりました。トマトも色づいてきました。








今日で大震災から4カ月になりました。仕事上では大きな問題は少なくなりました。材料も比較的順調な流れになっています。



2011/07/11(月) 晴れ


[ レストラン ]
レストランEAT



武蔵野ローンテニスクラブの斜め前にあるレストランEATが7月5日のテレビで紹介されました。ビーフシチューやタンステーキなどを手軽な価格で提供してくれる「昔ながらの洋食屋」さんです。ここへは以前訪れたことがありますが、テレビで放映されたこともあり、夏バテ予防を兼ねて早速訪れることにしました。

私の家からは車で25分くらいで到着です。前もって予約の電話を入れたのですが、「予約は受け付けておりません。空いているので大丈夫ですよ。」と云うママさんの言葉を信じて、行ってみました。6時半過ぎに着きましたが、7つあるテーブル席の6つまでお客さんが入っていました。

先にあげたものとエビグラタンをいただきました。タンステーキはにんにくの香りが強すぎデスガ、肉自体は柔らかくておいしいものでした。お店の食べ物なので、味自体は少し濃いと思いますが、洋食屋さんとしてはおいしい方だと思います。

先週から、豚シャブに始まり、焼肉2回に、トンカツ、そして今回のものと栄養をつけて夏バテを予防しています。

この日も放映後なので、次から次へとお客さんが見えていました。女将さんによると、放映直後の午後8時過ぎから電話が鳴り、お客さんが増えたとのことです。テレビの力は、大きいものです。


2011/07/08(金) 晴れ


[ 「わびすけ」閉店 ]
「わびすけ」閉店



「わびすけ」は同志社大学今出川校舎の西門の通りを挟んだ反対側にあります。1970年当時でも古ぼけた建物でした。それが味わいのある雰囲気を醸し出していました。それから40年が経ち、去る6月30日で閉店したと聞きました。ここにはいくつもの思い出があります。友人・仲間と訪れました。

中でも三島由紀夫が自決した翌日に飛鳥井さんと丁野君の3人で、その事件について話をしたこと。それは1970年でした。また1972年には安田君が四方君と私を写してくれた写真が、残っています。数少ない、私の在学中の写真です。


(1972年の夏だと思います。とにかく痩せていました。)

昨年の夏には、四方君を含めた友人の集まりで、楽しいひと時を持ちました。


(2010年7月31日です。)

老朽化したのか、儲からなくなったからか、跡継ぎがいなくなってしまったのか、わかりませんが、時代の変遷とともに店じまいをしたそうです。


(こんなマッチもありました。)



2011/07/04(月) 晴れ


[ 「リクシル」知ってる? ]
「リクシル」知ってる?


最近のコマーシャルの中では、面白いうちに入るものの一つに「リクシル」があります。
「リクシル」知っていますか。

「リクシル」は、トステム、INAX、新日軽、サンウェーブ、TOEXの5つの会社が合併してできた会社です。その上に「住生活グループ」があります。

さて、その「リクシル」のショールームで、勉強会が開かれました。今回は水回りです。旧サンウェーブと旧INAXのショールームが新宿駅南口の甲州街道を出た近所に並んでいます。この二つを見学し、また新商品の説明を受けました。十四日会の研修会でした。

その中では、キッチンは「サンウェーブブランド」に大きく統合し、「リシェル」と「アミィ」の二商品を主力として、強化する方向で進めているそうです。また、ユニットバスなどはINAXをメインとして、いずれも高級感あふれるものを主流として売り出そうとしています。

ユニットバスも、マンションの標準の1216サイズと比べると、1220サイズとか、1417サイズなどになると、解放感が違います。ショールームを見て、「売るための仕掛け」が沢山出来ていると感じてきました。

また、キッチンもI型2550辺りを基本として、「週能力」「清掃性」「インテリア性」を考え、それがまた「売れる商品づくり」と関係していると思いました。

女性の力や考え方を理解しないと、売れる商品は作れなくなったのだと思います。私たち材木屋も、工務店ルートが狭まり、水回りが売れなくなっています。(ご自身で工事まで手掛ける方は別かもしれませんが、)

年に数回はショールームめぐりをしないと、いけませんね。

当日のレジメから

(キッチンの新商品サマリー)




(お風呂はくつろげる雰囲気や姿勢を重視した中高級品を強化)



なお当日の説明者は、旧サンウェーブの松原さんでした。




2011/07/03(日) 晴れ時々曇り


[ 7月になって ]
7月になって



7月になりました。東京は三日続けての真夏日だったので、昨晩はクーラーをつけました。結果は音がうるさくて、返って寝むれませんでした。

7月になってわが街中野新橋もいよいよ変化をし始めました。まず、弥生町2丁目の交差点角に14建のビルが建ちますが、それに従い、既存の建物が壊され始めました。店の看板が外され始めました。木造の家屋には「ネズミ駆除中」とありました。ここには、5つの店舗と4階建てのマンションなどがありましたが、店舗はこれを機に廃業したり、他への移転をしたりしました。一年半後にどんなマンションが建っているのでしょうか。


(この角地に14階のビルが出現します)

地下鉄中野新橋駅のエレベーター工事はまだ始まりませんが、橋の架け替え工事は何とか終了します。「中野新橋」の赤い橋桁が目立つようになりました。



(中野新橋より新宿の高層ビル方面)


その反面、メインの通り沿いであっても、「空き店舗」が目立つようになりました。中野新橋駅を降りて、駅の目の前にあったラーメン屋の後もまだ空いています。「ヤフーグルメ」などで検索して、「中野新橋」の飲食店を見つけ出しても、すでに営業をしていない所が増えました。店が代わってしまった所もあります。

同様に中野区の商店街のHPである「ハートビート」でも飲食店は23店舗紹介されていますが、現在残っているのは、14店舗になりました。

情報が古くなってしまいましたね。

さて、我が業界の商品は、7月になって、あるいは6月21日から、値上げのラッシュです。石油が上がれば、関連製品の値段は上がります。ベニヤが上がれば、関連商品の値段はこれまた上がります。大体一割、価格上昇です。それほど売れていないのに、値上がりだけは早いようです。

これをうまく転嫁できるのか、難しいところです。新規の見積もりには、気をつけましょう。


2011/07/01(金) 晴れ


( 2011/08 ← 2011/07 → 2011/06 )


[ 管理者:大野満生 ]


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