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時々更新mn日記

( 2011/06 ← 2011/05 → 2011/04 )


[ 青春の門 ]
青春の門


今から30数年前の映画に「青春の門」があります。原作者は五木寛之氏で、私の十代から二十代の半ばくらいまで、多大な影響を受けました。慶応大学の面接試験の際に、尊敬する人物として「赤木圭一郎と五木寛之」と書いてしまいました。赤木は成城中退。五木は早稲田の中退ですから、何ら慶応大学に関係のない方を書いてしまいました。福沢諭吉と書かない所が私の良心的な所かもしれません。

さて、その五木の青春の門が映画化され、「筑豊偏」「自立編」と続きました。高瀬春奈がマドンナ役で出ていた映画のラストシーンで主人公とその友人が東京を離れ、北海道を目指します。そのラストにうたわれていた歌が気にいり、何と云う歌なのか探しました。

「黒き瞳いずこ わが故郷 いずこ ここは遠きブルガリア ドナウのかなた」

「はるばる越えし 山川幾千里 夢にも忘れざりき 恋し故郷」

「バルカンの星の下に」という曲でした。以前にも聞いたことがあったかもしれませんが、これ以来、時々思い出して口ずさんでいます。

今では、中年の門もくぐり終え、「老人の門」の真ん中にいますが、18歳の時に聞いた歌を歌えば18歳に戻ります。25歳の時に聞いた歌に出あえば、その時の自分に戻ります。18歳の自分の姿の写った写真を見てから、再びぐっと「青春」が戻ってきた感じです。


2011/05/29(日) 雨


[ 気仙杉の仮設住宅 ]
気仙杉の仮設住宅


昨日のテレビでは、岩手県の住田町の町長さんが仮設住宅を「岩手の木を使って建てる」と云う放送がなされていました。
見た方も多いと思いますが、床面積約30平米の木造の平屋で、建設費は一戸当たり約250万円と、他の仮設住宅と遜色ないもので、ばらして再利用が出来ると云うものです。

仮設住宅とはいえ、木の家の方が安らぐと思います。気仙杉の産地だからこそできることだと思いますが、このような住宅が少しでも多く建つことにより、将来住宅を建てる時にも、地元の未来材を使ってもらえるようになると良いと思います。

朝日新聞の記事


2011/05/28(土) 雨


[ 仕事は一進一退 ]
仕事は一進一退


関東地方も梅雨入りしてしまいました。
今週に入ってから、天気の悪い日が続いています。さらにこの梅雨入りで屋根関係の仕事は、また伸びそうです。

東日本を襲った地震以来、色々なメーカーの材料の入荷時期が遅れていましたが、段々品物も揃いつつあります。ナイスアドバンあたりを見ても震災影響のメーカーの数も少しずつ少なくなってきました。断熱材と水回りは相変わらずですが、それも6月に入れば、納期が見えてきます。ラーチ合板はまだ少ないですが、値段を出せば、揃えられそうな所にあるようです。

さて、そうは云っても、梅雨に入ってしまうと、また仕事が遅れそうです。わが社の倉庫はベニヤだらけになりました。一応注文を受けた段階で、納入するものはお客さんの倉庫に入れ、また、在庫のある問屋さんからも買うようにしていたので、満杯状態です。予定では、この材料も出ていて、あそこにおいてあるものも無くなっているはずでした。まだあります。

お客さんの倉庫を覗いたら、3月末に納めたものがまだ残っていました。なかなか仕事が進みません。昨日から始まったマンションリフォームもユニットバスが27日に入荷予定だとか。5月ではなくて6月27日です。まだ一カ月ありますが、仕事に取り掛かってしまいました。

マンションリフォームを専門的行っている会社の職人さんに聞いたら、「震災前と後では、仕事量が全く違う」「かなり量が落ちている」と話してくれました。実際わが社から買うものを少量ですが、それがさらに落ちています。

仕事は一進一退です。
早く梅雨が明けて、良い天気になればいいのでしょうが、今年は電力事情もあり、暑くならないで欲しい気もします。気持ちも一進一退です。


2011/05/27(金) 曇り時々雨


[ スンガリーで夕食を ]
スンガリーで夕食を



たまには外食ということになりました。近所へ行くよりも少し離れた所を考えました。その中で、5月21日は、新宿にある「スンガリー東口店」を選択しました。ここへは以前一度だけ来たことがあります。それはもう30年も前になると思います。新宿にはスンガリーがもう一つあります。新宿駅西口の「スバルビル」内です。則ちゃんはそちらの方には行ったことがあると話していましたので、東口店にしました。新宿と云うよりも新大久保に寄った方にあります。狭い階段を地下へ降りていくとレトロ調のお店が現れます。店内にはロシヤの音楽が流れ、その中で食事をしました。たまにはこういう雰囲気で食事をするのもいいものです。

マッシュルームの壺焼きクリーム煮と牛フィレ肉の串焼きが美味しかったですね。





翌日の朝、我が家の朝食に「ボルシチ風のスープ」が出てきたのには驚きました。昨日いただいたものと遜色ありませんでした。

2011/05/23(月) 曇り時々雨


[ 今週の昼飯は? ]
今週の昼飯は?



今週の昼飯のうち、一回は牛丼と決めていました。月曜日の昼に食べに行く予定が、忙しくなり、夜に行こうと二人で話していました。近所の友達が「松屋」に行って来たと云うので、その線を考えていましたが、その前日に買っておいた生姜焼き用の肉があったので、こちらにしようかと話し合っていました。

その日は仕事が忙しく、少し時がずれてしまったので、「松屋は今度」として「あるもの」で食事にしました。結局、生姜焼きもやめて、納豆と豆腐サラダになってしまいましたが・・・

次の日、中野新橋の駅前を通ると駅の隣にある「松屋」の様子がおかしいのです。人の出入りはあるものの・・・近づいてみてみると、店舗改修中、6月2日までお休みとあるではありませんか。昨日から牛丼の値下げをしたばかりなのに。二日目でお休みとは。則子もそれを見たらしく夕方になって、「だから早く行こうと言ったのに・・・」

値下げをしたとたんに改修に入るとは、敵もさる者。

翌日、中野富士見町の「松屋」へ昼飯を食べに行って、この件は一件落着。340円の大盛りを食べてきました。昼より少し前に入ると、サラリーマンや職人さんはまだいなくてすいていました。少しすると、女性のお一人の方が、5、6名入ってきました。せっかく値下げしたのですもの、食べにこなくては損ですよね。

中野新橋の「松屋」にはしてやられました。

してやられたといえば、方南通り沿いにマンションを新築中の工事関係者が隣の家のサイディングを誤って壊してしまい、「直す」という話がありましたが、今回の地震騒ぎでサイディングが欠品している間に、壊したサイディングの所をうまくブリキで全体を覆って、直してありました。当初これを直すには、足場もかけなければならないし、一枚だけ直すのも変だから、正面は全部直そうか、と請け負っていた人は話していたのですが、その人も知らないうちに直されてしまいました。これでサイディング補修の直しは無くなってしまいました。当初話を受けていた人は「相手の方が一枚上手だった」と話していました。




2011/05/19(木) 晴れ


[ 甦る青春 ]
甦る青春


大学に入学したころの痩せている写真をいただきました。

大学時代には、写真を撮ることは少なかったので、10枚とありません。そんな中、同級生から写真を二枚いただきました。一枚の写真には同級生が13名写っています。そのうち3人は何らかの形で今でも年賀状のやり取りをしていますが、他の9人は全くつながりも無く、まして写真なども手元にありませんでした。まして一同に会している写真など、私自身は想像もしませんでした。写した記憶すらないのですが、そこには18歳の私が確かに居ました。この写真が昨日の夜に手に入り、食い入るように見ています。名前全部わかります。当たり前かもしれませんが・・・

突然のプレゼントに感謝です。


二浪3人、一浪5人。現役5人の同期生。


先輩方と。特に左端の先輩の下宿にはよく出入りした。



2011/05/18(水) 晴れ


[ 仕事は延びて材料は溜まる ]
仕事は延びて材料が溜まる


東日本を襲った大地震以来、急激な材料不足や価格の高騰などが続いています。あるいは、ひと段落してきたかもしれません。
また水回り商品は、来週くらいから入荷してくるようです。注文して、7週間とか、9週間とか言われたものが、です。それくらいの時間が経ちました。この間仕事は、材料の確保が中心でした。確保はしましたが、実際には、そのまま進んだ仕事もあれば、材料を大幅に変更して進めたものもあります。延びてそのまま始まらないものもあります。
まだ、混乱の中にあるのでしょうか。仕事をする方も発注する側も一進一退を繰り返しています。

さて、昨日は、高野進氏の前夜式に参列してきました。高野氏は東京に生まれ、学習院中学・高校を出られ、東京大学卒業後、日本体育運営施設(株)の代表などを務められた方です。72歳でした。則子の元上司であり、私どもの結婚式の則子側の主賓でした。ご冥福をお祈りいたします。


2011/05/16(月) 晴れ時々曇り


[ 近所の建売 ]
近所の建売




中野新橋も様変わりの様相を呈しています。

モスバーガーやドトールコーヒー店は撤退しました。写真ショップも撤退しました。銀行はありません。信用金庫と信用組合があるだけです。ラーメン店も少なくなりました。整骨院と不動産屋さんとパチンコ店は多いですが・・・

そんな折、弥生町2丁目の交差点に14階建てのマンション建設の看板が出ました。この一角は木造家屋が6軒ほどありますが、ここにビルが建設されるようです。

また中野新橋にかかる橋も新しくなりました。連休明けから通れるようになりました。

中野新橋も変わっていきます。

最近、空き地も増えています。また不動産所有者が変わってしまった所に新たに建売住宅が建つようになっています。建売住宅は完成までが早いですね。ノウハウがあると云うことなのでしょうか。基礎もしっかりしていて、土台や柱もいいものを使っていますね。多少難点があるとすれば、屋根材でしょうか。あるいは、軒先の処理の仕方でしょうか。建て売りで育った大工さんだと気にしないで同じように作りますが、昔ながらの大工さんだと、後で治す時のことを考えているので、少し手を加えます。

そのあたりが少し違うのでしょうか。

建て売りも良く出来ている、この頃です。




2011/05/13(金) 曇り


[ 黄身がレモン色の卵を知っていますか ]
黄身がレモン色の卵を知っていますか。


お米をえさにした卵をいただきました。
まずはご飯にかけていただきました。その時、一緒にいただいたタケノコは炊き合わせにしていただきました。また大根はおろしていただきました。この大根は大変甘みが強くて、いいものでした。





次の日には卵をスクランブルエッグにしていただきました。これはどちらかと云うと、全体に白っぽくなってしまい、お勧めできません。
卵の黄身は、えさでその色が変わるそうです。今回いただいたレモン色の卵は、お米を食べて育ったものです。お米を食べてつくられた卵なので、安心感はあります。


雨が続きますが、近くのバラも沢山の花をつけています。花の下を通ると香りも楽しめますよ。






2011/05/12(木) 雨


[ 100球肩ならぬ ]
100球肩ならぬ、100枚手首



昔、100を超すボールを投げると肩が壊れてしまうと云うプロ野球選手がいました。が、今の私は一日100枚持つと手首が痛くなります。それは耐火ボードであり、ラーチ合板であり、ラワン合板であり、パーティクルボードなどです。一度に運ぶ量は20枚から40枚くらいまでにしていただいていますが、一日の積算量が100枚を超えると手首が痛くなります。放射線の線量のようですが、段々と限界が出来ています。これを超えると云うよりも、一日の量の目安を超えないようにしたいと思います。長く仕事をするために、あまり無理をしないようになってきました。



2011/05/11(水) 雨


[ ベランダでは ]
ベランダでは



ベランダでは、今年も野菜を作ろうと思っています。5日の日に、苗を買ってきました。キュウリ、ゴーヤ、シソ、トマトにピーマンです。キュウリとゴーヤは日よけも兼ねています。そこで、ツタが絡まりやすいようにベランダにネットを這わせました。








早速、ネットに絡んできました。植物の力は恐ろしいものがあります。これくらいでないと生きていけないのですね。


2011/05/10(火) 曇り時々雨


[ 丁子屋から三保へ ]
丁子屋から三保へ




安倍の大滝を後にして次の場所へと車を走らせました。そこは、今から二十年ほど前に、新東京木材商業協同組合の昭和会の旅行で一度訪れたことがある、この丁子屋さんです。東海道の鞠子宿(丸子宿)にあるとろろ汁のお店です。





一度来た所へもう一度来ると、その場所の様子が良くわかりますね。初めての時にはわからなかったとろろ汁の味など、またお店の様子などよくわかりました。

この日は、丸子宿を後にして、日本平へと車を進めました。日本平でロープウェイに乗り換えて久能山東照宮を目指します。この辺りは来たことがありません。またこの日はあいにく曇り空で、富士山は見えません。日本平からの景色はわずかに清水港が見える程度です。また晴れた日に来たいです。東照宮へお参りした後は、三保の松原へ。さらにこの日は「三保園ホテル」に泊まりました。








2011/05/09(月) 晴れ


[ 安倍の大滝 ]
安倍の大滝


静岡市の梅が島温泉で一泊した後、宿の方に、この辺りで見どころは?とお聞きしたところ、「安倍の大滝などは如何ですか」という答えでした。それなら早速出かけることにしましたが、いくつか難点がありました。一つは駐車場から片道徒歩40分かかること。今一つは吊橋を何カ所か越えなければならないことです。

せっかく梅が島まで来たのだから、というのりで行くことにしました。葵の森という所に車を止めて、大滝を目指します。まずは一つ目の吊橋を渡ります。これは鉄骨で出来ているので揺れません。






二つ目は細いロープに、真ん中に板が二枚。初めの一枚の端っこが腐っていました。「一人ずつお渡り下さい」の看板が目を引きます。一人ずつ渡りました。中央あたりまで来るとかなり揺れます。ロープに手を滑らせて進んでいきます。この吊橋はかなり長いです。ここを過ぎると山道になります。まずは階段。そのあとが石。それも細かく砕けているものが多くて、落石しやすいものでした。ここは林野庁の管轄らしく、道は比較的整備されていました。途中ヒノキの丸太が切り出されてそのままになっていました。











さらに私たちは進みます。いくつ橋や吊り橋を越えたでしょうか。段々と滝の音がして来ました。


やっと滝まで着きました。40分かかっています。今のところ誰もいません。貸し切り状態です。水しぶきが顔や体にかかりますが、気持ちの良いものです。しばし休憩していました。写真を撮ってのんびりして。一息ついた所で帰ってきました。帰りも40分ほど歩きました。







帰り路は慣れたものでした。




2011/05/08(日) 晴れ


[ 静岡行き ]
静岡行き


5月1日、今年のゴールデンウィークは悩んだ末に、静岡に決めました。静岡県の富士宮市は母親の実家がありますので、年に数回は出かけます。西の浜松地方もうなぎを食べに行く旅行などで幾度か行っています。その中で静岡市やその周辺あたりへはあまり縁が無くて行ったことがありません。今回はその間隙を埋めるために何カ所か、周ることにしました。

さてその日の東名高速はすいていたので、吉田インターで降りる予定を一つ伸ばして、牧ノ原まで行き、はじめに「お茶の郷」に入りました。今年は2日の日が八十八夜に当たりますが、すでに新茶の売り出しが始まっていました。いくつか試飲して、抹茶ひき体験もして来ました。







お昼も近づいてきたので、吉田のうなぎ屋「八木秀」を目指しました。途中「うな一」という所もありましたが、八木秀でお昼です。お腹があまりにすいていたので写真を撮り忘れました。

ここを出る時に女将さんに「この辺りで見るものはありますか」と聞いたところ、「林泉寺の藤が見ごろですよ」と教えていただき、早速そちらに出かけました。




雨の中で、「藤まつり」が行われていましたが、お客さんは3名の地元の方だけ。そこに交じって一緒に話をし、またおでんをいただいてしばらく過ごしました。ここの長藤は、有名らしく、いただいたご朱印にも「長藤林泉寺」とありました。花は見ごろで、素晴らしいものでした。何と行ってもその香りの柔らかさです。これは現場へ行かないと楽しめませんね。花が終わると翌年花を咲かせるために手入れを始めるそうです。綺麗なものを提供するにはそれだけ人の手がかかります。

吉田を後にした私たちは、今日の宿梅が島温泉「梅薫楼」へと車を進めました。静岡インターへ戻り、そこから約一時間半、一般道を北上します。途中の道が思った良いいも整備されていたので安心しました。どん詰まりにある温泉なので、観光ルートでは行くことが無いでしょう。自力で行く機会はもうあまりないと感じているので、今回頑張って見ました。ひなびた温泉ですが、お湯の温度はぬるめでちょうどよく、ゆっくり浸かることが出来ます。おまけに肌がつるつるになります。雨の中、しっとりとした一日を終えて、ビールで旅の疲れを取って見ました。




2011/05/07(土) 雨


[ 5月になってしまいました。 ]
5月になってしまいました。


あっという間に5月になってしまいました。連休前は忙しくしました。そして、5月2日をお休みにしたので5連休。今日6日は久しぶりに仕事ですが、休憩が取れません。おにぎり2個に稲荷ずし3個でしのいでいます。地震前からの仕事が今日の配達で大体終わりました。今日からは屋根の仕事が始まって忙しい思いをしました。直送の仕事もあったので、忙しく過ごせました。あすの土曜日は半日で終えられそうです。この日記も更新します。

さて、この連休中は、1日から3日が静岡県の真ん中あたりで過ごしました。雨や曇りの日ばかりで一度も富士山を見ることはできませんでしたが、しっとりとした日々を過ごしました。

帰ってきたら親友から「フェイスブック」を始めたから、参加するようにという依頼がありました。何となく彼の所を覗いてみると、彼も孫を連れて、静岡や清水にいたとのこと。日にちは少しずれていましたが、共通の話題で盛り上がりました。


2011/05/06(金) 曇り


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[ 管理者:大野満生 ]


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