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時々更新mn日記

( 2011/04 ← 2011/03 → 2011/02 )


[ マインドは冷えたか ]
マインドは冷えたか


ある設計士の方が見えて、「新築の見積もりをしていましたが、この地震でお客さんのマインドが冷えて、しばらく様子見になりました」と話していました。地震の影響は色々な所に影響を与えています。

私の職業に直接かかわる所だけでも、ラーチ合板、ラワン合板などの合板類。ケイカル板、グラスウール、スタイロホームなどの基礎的な資材が入荷しないか、入荷が薄くなってきています。

大手の建材問屋が地震後一週間営業せずに、品物を出さなかったことについて「震災後の復興のための備蓄」などと言っていましたが、ふた昔前の「千載一遇のチャンス」と言って檄を飛ばし、売り止めして値上がりを待ってから少しずつ供給していくやり方と何ら変わりないだけでなく、「いい顔」をする分だけ人間が悪くなっているのかもしれません。そうは言っても人と品物が一体にならなければ仕事はまとまりませんし、まとまらないとお金になりません。鋼材が三割上がり、ベニヤもその勢いです。システムキッチンやユニットバスも5月の連休明けにならないと入荷してきません。入荷するころにはどれくらい値上がりしているのでしょうか。そんなことを思うと、仕事をコンスタントに続けていけるのか不安な材料ばかりです。

2月の末の中間決算では、少し黒字になりましたが、これから先を考えるとどうなるのかわかりません。さらにいま、仕事を抱え過ぎている所は、確かに大変だと思います。そうでない私の所はそれなりですが、それでも気力を充実させておかないと萎えてしまいそうです。そんなこともあり、4月半ばには少し休憩を取ろうと思います。


2011/03/31(木) 晴れ


[ 久しぶりに ]
久しぶりに「金八」を見る



3月27日、武田鉄也の「3年B組金八先生」を久しぶりに見てしまいました。今回が最終回で定年を迎えて「桜中学」を卒業するのだそうです。このドラマが始まったのが今から32年前だそうです。第一シリーズと第二シリーズはよく見ました。田原俊彦や近藤真彦、杉田かおるに三原順子。第二シリーズが、沖田浩之と直江喜一。毎回生徒の1人を取り上げてドラマを構成させていたように思います。金曜八時に始まったので、「金八」、姓の坂本は武田鉄也が坂本竜馬のファンだったから、主人公の名前は「坂本金八」安易でした。が、面白いドラマというか、テレビの中と現実が入り混じってしまうドラマでした。つまり引き込まれました。

なかでも第二シリーズの「腐ったミカンの方程式」の回は良く覚えています。生徒が逮捕されるシーンでは中島みゆきの「世情」がかかっていました。

世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
そのたびくずれちゃそいつのせいにする
シュプレヒコールの波通り過ぎて行く
変わらない夢を流れに求めて
時の流れを止めて変わらない夢を
見たがる者たちと戦うため

「世情」を一躍有名にしたのも金八先生でした。



2011/03/29(火) 晴れ


[ 復旧から復興へ ]
復旧から復興へ



地震、津波、原発と三重苦にみまわれた我が国はどうなるのでしょうか。阪神淡路大震災後、3年を経た神戸の街を見に行きましたが、灘あたりの地区は新築住宅が立ち並んでいました。その反面、長田地区は相変わらずの焼け野原にバラック小屋が建ち、洗濯物を木でつくった物干しで干していました。それは私が子供の頃の昭和30年くらいの時の町と同じでした。市内の公園のあちらこちらではまだ仮設住宅に人が住んでいました。あれからどうなったのか、知らないのですが、今回は規模も大きいし、地域によって抱える問題も違うので、すぐに復興していける所とそうでない所の差が開いていくと思います。

さて、我が街での被害は、被災地と比べるとかなり小さなものになります。一番多いのが屋根瓦が落ちたり、ずれたりしたことでしょう。そこではベニヤ板や瓦、コロニアルなどの資材が必要とされています。ベニヤも割当制ですが、少しずつ入ってくるようになりました。コロニアルなどは工場が被災して作れなくなった所も出てきているという話を聞いています。さらに、瓦職人がたりません。材料が揃わないから仕事が出来ない、という所もあれば、材料はそろったけれども職人がいないとか、材料が値上がってしまい、仕事が進まないという所もあります。

でも、東京は何でも早いですね。二週間前にはガソリンの供給で、一時間は待ちましたが、一週間前は10分待ち。今では待たずに入れられます。ベニヤもラーチ合板などはまだ少ないようですが、ラワン合板などは、少しずつ入荷する目途がたって来ました。

被災地では、復旧も復興もまだ道のりすら見えていないのが現状だと思います。それでも三日、一週間とテレビから流される情報でも徐々に前に進んでいるのがわかります。そういう人々の姿を見ていると、「日本人も捨てたものではない」と思うようになっています。




2011/03/28(月) 晴れ


[ 仕事が止まるのか進むのか微妙 ]
仕事が進むのか止まるのか微妙。




地震から二週間が経ちました。
被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。

さて、私の住む中野区では、今の所計画停電も無く、その分普段通りの生活をしています。それでも不要な電気は使わないようにしています。コンセントに差し込んだままにするということも少なくなり、テレビなども見終われば主電源を落とします。街中を歩いていても電気を抑えている所が多くなりました。早い時間帯に店を閉める所も増えています。今の所、水道水のことが一番の気がかりです。

水と電気はタダ同然でしたが、生きて行く上で必要不可欠な大事ものだと改めて知らされている所です。

仕事の方も、進むのか止まるのかが微妙です。お客様には、わが社から買っていただける材料についてはあらかじめ、何をどれくらい必要なのか、出せていただいております。

コンパネ50枚に12.5ミリのボード30枚くらい。あとは木材の下地材。確保しました。

9ミリラワン構造用合板。50枚。「無理です。20枚ならお出し出来ます。」

9ミリラーチ合板3*6、30枚に3*10板8枚。確保しました。

12ミリラワン構造用合板100枚。パーティクルボード40枚。断熱材50ミリ、2本。大丈夫です。

12ミリラ―チ60枚に、ビルボード60枚。確保しました。

ラスカット30枚に81枚。確保しましたが、仕事が、行うのか辞めるのか分からなくなりました。

他にも床直しや外壁や根など直す所がありますが、材料は抑えましたが、仕事がどうなるのか話が進みません。大工さんも仕事をするなら、次の仕事になるけれど、伸ばすようだと「遊んでしまう」と話しています。大手の下請けなどの仕事も4月初めから入る予定の人も、いつになるのかわからなくなりました。

そんな中、一軒家の改築が始まりました。屋根も壁もおとして言葉は悪いですが、丸裸にした状態で、土台を入れ替えて、柱や梁を入れて作り変えていますが、3月初めに壊し終わった所で今回の地震です。やらないわけにはいきませんので、知恵を出し合って仕事が始まりました。材料のあちこちがまだそろわない状況ですが、とにかく出発です。


2011/03/26(土) 晴れ


[ 私の原点 ]
私の原点



「日本流行歌史」社会思想社刊


「日本流行歌史」は私が大学生時代に買い求めた一番高い本の中に入ります。当時1800円しました。生協でこれを買い求める時には、「清水の舞台から飛び降りるくらい」の気持ちで買ったのを覚えています。それが40年を経てまだ私の手元にあるのですから、安いものです。昭和45年9月30日の発行と奥付きに書かれていますので、私が大学2回生。1970年安保の年の秋になります。

当時私は京間の8畳で夕食一食がついて1万2500円という所にいました。仕送りが3万円。生活は楽でした。それでもお金が無くなり始めると、生協で「ライスに味噌汁=20円」などで過ごすこともありました。人からお金を借りたのは、東京へ帰る金が無くなった時くらいで過ごしました。そういえば昨年8月1日の故島一郎先生の「寒梅会」の集まりで、お金を借りる名人がいて、しかも返さないので、社会人になってからも、その彼の勤めている会社へ電話をしたという方がいました。そんな話をしていたら、自分も1千円貸しっぱなしで返してもらっていないことを思い出しました。
そのだらしない彼は島先生のゼミ生ではありませんが、同じ経済学部の同期生で、名古屋の段ボール屋のセガレで、大手の会社の重役になったと聞いています。H君です。

さて話がいきなり脱線しましたが、この本には、明治大正、昭和(44年まで)の主だった歌についての歌詞が載っています。その前には「歌の歴史」がまとめられています。「文明開化と流行歌」「自由民権運動と演歌」「唱歌から讃美歌まで」「民謡・俗謡の流行」「浅草オペラ」「枯れススキと関東大震災」「童謡の興隆」「労働歌からプロレタリア音楽運動へ」「昭和初期の歌謡と社会風潮」「レコード文化の発達」「楽器の流行と変遷――大正琴・ヴァイオリン・ハーモニカ・ギター」「臣民用運動の展開」「流行歌謡の興隆――映画主題歌の誕生」「ジャズ音楽の渡来」「シャンソンの移入」「非常時態勢と軍国歌謡も続出」「思想弾圧と生活統制」「紀元2600年奉祝歌」「えげつなき比島決戦の歌」「敗戦」「戦後音楽の概観――日本文化の植民地化」「アメリカニズムへの傾倒」「うたごえ運動と労音運動」「50年代の音楽状況――ジャズの氾濫・都会と農村を結ぶ歌・ロカビリー旋風」「コマーシャルソングの出現」「紅白歌合戦の変遷」「レコード大賞の制定」「レコード音楽倫理規定」「60年代の歌謡界――青春歌謡からマイホーム歌謡・第一次フォークと社会派歌謡曲・和製ポップスとグループサウンズ・第二次フォークとアングラソング」「70年代の歌謡界の動向」など、主な見出しを並べてみましたが、網羅的に書かれた本だということがお分かりになると思います。この後には、歌と歌詞が載っています。これを見ながら昭和44年までの歌を覚えています。戦後の昭和25年あたりから44年くらいまでの歌は耳で聞きおぼえているのとメロディーも簡単ですし、歌詞も憶えやすく出来ているので歌うことが出来ます。ヒマがあれば口ずさんでいます。

増補版が数年前に出ていますが、そちらは買い求めていません。私にはこの本こそが大事であり、思い出の詰まったものだからです。とりあえずとりとめなく・・・





2011/03/25(金) 晴れ


[ 仕事のやり方が変わる ]

仕事のやり方が変わる



60歳を迎えましたが、私自身は何ら変化はありません。世の中の状況が大きく変わってしまい、その対応にこれから頭を悩ませている所です。現在はまだ混乱する以前の話です。もう少し落ち着いてくると道筋も見えてくる反面、仕事が成り立たなくなるかもしれません。

地震で私の所も瓦屋根がずれてしまいました。応急処理はしていますが、直すとなると人はいません。材料はそろいません。結果いつになるのかわからない状況です。

やはり、屋根を直す仕事を始めるために屋根用のベニヤを用意して、仕事に取り掛かろうと思ったら、コロニアルがないので、仕事は中断です。

ユニットバスのトラップ材も大半は福島辺りで作って納めているものは、工場が稼働しなくなり、品薄になります。

もちろん、従来から欠品していたものは、今まで以上になくなってしまいます。

腰を据え直して仕事に向かわなければなりません。被災地の方々から比べればかなり低いのでしょうが、周辺部もその災難を受けています。

2011/03/23(水) 晴れ


[ 岡村光洋・加津子夫妻の披露宴 ]
岡村光洋・加津子夫妻の披露宴。



去る3月20日、港区西麻布の「わだ家」に於きまして、岡村光洋・加津子夫妻の結婚披露宴が開かれ、ゆかりの方々が出席をしました。




「わだ家」は和田アキ子さんのお店です。豚しゃぶしゃぶを中心に創作和食のお店です。この日は心行くまで飲んできました。



2011/03/21(月) 雨


[ 物が無くなっています。 ]
ものが無くなりました。



色々なものが一時的ですが、無くなりました。

私の身近な所では、まずベニヤでしょうか。今回の被災地の一つである石巻や大船渡などから入ってくるはずのベニヤが入ってこなくなりました。そこでわが社にある在庫をお客様にお分けをして、それぞれの会社や現場に納めさせていただいています。

また、建材問屋や市場から「受注残」として残っていたものを引き取って、それも分ける方向で動いています。

次に17日現在だとガソリンでしょうか。朝や昼からの一時間ほどガソリンの販売が行われていますが、「完売」で終了ですから、並んでいます。一時間待ちで20ℓ入れてもらえました。私の所は中野区ですが、まだいい方だと言われています。二時間待ちは「当たり前だ」と小平や川越街道沿いの方から云われました。

さらにトイレットペーパーや乾電池もお店から無くなりました。17日の夕方には川島商店街のお店で「乾電池入荷しました」のアナウンスがありました。トイレットペーパーは親戚の雑貨店に電話をした所、「毎日入荷している」とのことでしたが、近所では入荷していない所が多いです。

ものは無くなっています。

ものが無くなっても「愛」が生まれるといいですね。


2011/03/18(金) 晴れ


[ お客様各位 ]
お得意様各位


毎度ありがとうございます。

まずは今回の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

さて、この度の地震の被害が拡大するにつれてその被害が甚大であることが少しずつわかってきています。その結果、まだ初期の段階ではありますが、建築資材に関しての供給が止まることが予想されます。また、受発注に関してもオンラインは使えない。FAXは送信できないなどの現実に直面しています。

工場が動かない、ものを運べないなど、もうすでに14日現在、市場や問屋さんなどでも資材を配送することを辞めています。いたずらに煽ることはしませんが、最低でも今後、一、二週間は混乱が続くものと思われます。

さらに構造用合板などはラワン、ラーチ合板を問わず欠品しました。わが社でも発注していたものがありましたが、入荷のめどは立ちません。12ミリラワン構造用合板、12ミリラ―チ合板、15ミリ以上のラーチ合板などは入荷が数カ月ないと思います。

12ミリのコンパネも品薄になっています。9ミリラワン構造用合板、9ミリラーチ合板も同様です。今後の発注を受けられない場合がございますので、あらかじめお伝えしておきます。

また、建材メーカーにおきましても千葉県に生産拠点を持っている所は現在稼働していません。また、配送の手段も止まったままですので、今後の目途はたっておりません。木材に関しましても北関東・東北からの材は入荷がないと思われます。

以上、全般的に見て、品薄、欠品になります。さらに今後入荷するものに関しては値上がりも予想されます。ご注意ください。3月14日



2011/03/15(火) 曇り


[ 3月11日の大地震 ]
3月11日の大地震




3月11日午後2時46分、東日本を中心として、大きな地震がありました。一夜あけてその被害の甚大さが報告されています。

被災地の皆様には、まずはお見舞い申し上げます。

また、その被害が小さいものですむように願っております。

さて、私はその時には、車で出かける予定でしたが、お客さんが見えて注文を受けていたので、事務所の2階におりました。お客さんが帰られた後、トイレ行き、出たとたんに部屋のドアがガタガタ鳴りだしました。地震だとわからずに部屋の中の人がふざけているのかと気楽なものでした。電話をかけてお客さんと会話を始めたとたんに相手が「今8階にいるけれど、地震です。いったん切ります」と言われました。それからは揺れ始めたので、近くにある手すりにつかまってしのいでいました。

2、3分は続いたでしょうか。大きな横揺れが幾度となく続きました。弱くなってまた強く揺れるといった感じでした。横揺れが左右前後に来ました。揺れている時間が長かったので、船酔いのような感じになりました。目が回りました。今まで経験した中で一番大きなものでした。しかも時間が長かったです。

揺れが収まってから、下へ降りて行くと、作業場で加工していた大工さんは事務所前にあるコインパーキングに避難されていたので安心しました。

1階の作業場には、木材が立てかけてありますが、奥においてあったものは倒れているものや斜めになったものが多数ありました。(昨日と今日で大半は元に戻しました。)

それから、家に戻り自宅の状況を確認しました。出かけていた妻も2時ごろには家に戻っていましたので、無事を確認してから、再び事務所に戻りました。その後余震ならびに震源地の違う地震が、一夜明けた今朝まで断続的に続いています。
とりあえず、こちらは無事です。ガスが自動的に止まったくらいですみました。

私がいた事務所は築45年のものです。1階が鉄筋作りでその上に木造の2階が乗っています。2階が軽いので倒れることはありませんでしたが、古い住宅の耐震化が、今回の地震で進むものと思われます。




2011/03/12(土) 晴れ


[ この頃みる夢には ]
この頃みる夢には



朝方によく夢を見ます。中身はその時々で違いますが、共通して見るものがあります。それは自分が夢の中で移動している家は昔の家なのです。小学校へあがる頃から20代を過ごした住まいの間取りが出てきます。そんなに明確なものではありませんが、あとで振り返ると「あれは昔の家だったんだ」と思えるのです。そこには父も母も出てきません。夢の中の人は知らない人が多いですが、私がいる場所は確かに昔住んだ家なのです。二階に住んでいましたが、部屋は3部屋ありました。(2部屋だったのを建て増ししました)4畳半と8畳に建て増しした部分が4畳でした。

おとといの夢には4畳半に私は居ました。今朝の夢では4畳にいました。この4畳の方は西に面しており、二階でしたが、富士山が見えました。東にある4畳半は物干し場でした。真ん中の部屋は8畳で、客間でした。

ここには、母の義弟。母の義姉。母の姪などが代わり番こで来ていました。母の兄弟の関係者がひと通り泊まる場所でした。母の弟も近くに住んでいましたし、母の兄弟も折りに触れて遊びに来ていました。いま考えるとその時が一番楽しい時でした。女の人の縁続きで人は繋がるものだと感じています。

さて、昨日の夢も今朝の夢も良く覚えていません。ただ、昔暮らした住まいだけが私の記憶から離れないのだと思います。



2011/03/11(金) 晴れ


[ 風邪ひきました。 ]
風邪ひきました。




3月8日、風邪で仕事を休みました。年に1、2回は風邪をひきます。今年は大丈夫かと思っていましたが、やはりひいてしまいました。前日の雨の中の仕事がいけなかったのか、それとも日ごろの疲れが出たのかはわかりませんが、仕事を休みました。例年、一日か二日風邪で休みますが、今年も例年通りになりました。幸いインフルエンザではなかったので安心しています。

でも身体がだるいですね。

今回は発熱はあまり高くならずにすみました。お医者さんが言うには今流行りの風邪は一度熱が出て下がり、もう一度熱が出て終了とのことでした。足の指先が寒くてアンカが欲しいといいましたら、奥さんが即席で湯たんぽを作ってきてくれました。ペットボトルにお湯を入れて、ふたを閉め、布でくるんだものですが、かなり長い時間使えました。今更ながら彼女の才能にびっくり。

「逆も使えるね」とは彼女の言です。


トステムや三協アルミの樹脂サッシの防火基準外の話が新聞に載りました。こういう問題はこれから、沢山出てくるのでしょうね。




2011/03/10(木) 晴れ


[ ウッドライクマツムラ ]
ウッドライクマツムラ



練馬区にある木版画用品の専門店である「ウッドライク・マツムラ」さんの
ホームページがリニューアルされました。
今度のもいいですよ。
こちらから

2011/03/09(水) 晴れ


[ 仕事は順調か ]
仕事は順調か?



忙しい日とそうでない日の差がかなりあります。
見積もりには追われていますが、配達はヒマです。

この所中野新橋の商店街を見ていても、辞めて行くお店が多くなりました。お弁当屋さん、ラーメン店、飲み屋さん、写真屋さんなどです。いつの間にかなくなって、また同じようなお店が違う場所に出来て行きますが、全体的に見れば縮小されています。

川島商店街に面した所でも、一般の住まいや建売住宅が出来てしまいました。夕方の4時から7時までは車の入場禁止にしてありましたが、住んでいる人は別なので、いままで車が入らなかった時間帯でも車が往来するようになりました。
色々と変わっていきます。

古い木造住宅が壊されて、空き地になった所も増えました。持ち主が変わって建売住宅や駐車場になる所も増えています。近所の解体業者も忙しくなったと話しています。ボーリングを始めた所もあります。大局的に見ると私たちの業界の仕事は順調のようです。ただ今までのように大工・工務店経由というものがかなり減り、ハウスメーカー絡みのものが増えています。

2011/03/02(水) 晴れ


[ 十四日会の旅行2 ]
十四日会旅行その2



熊本城を出てから市電を使って熊本駅へ。さらにJR九州を利用して博多を目指します。博多では夕食を「稚加栄」で摂りました。イカや煮付けが美味しい料亭です。今回は烏賊やヒラメの刺身を中心に、ウニご飯やお汁粉までいただきました。少し残してしまう年になりました。





良い所へ来ました。


翌日は、朝早く起きて近くを散策。


櫛田神社


櫛田神社の中にある祇園「山笠」

少し離れた場所ですが、住吉神社へも足をのばしました。


住吉神社の境内。


博多の古地図
住吉神社がまだ海に面した所にあります。この頃は中州も天神はまだ海の中です。

皆さんと合流して、今日は西鉄に乗ります。目指すは柳川です。柳川では川下りを楽しみました。






(写真にずれがありますが、雰囲気を楽しんでください)



今回は、高速バスに始まり、JAL、バス、市電、JR、西鉄、舟、地下鉄などの交通機関を利用して、その間に徒歩とタクシーを織り交ぜて、乗り物好きなら応えられない旅になりました。熊本城の中を歩くなど良く頑張りました。おかげでマッサージにお金を使った二日間でした。


2011/03/01(火) 曇り時々雨


( 2011/04 ← 2011/03 → 2011/02 )


[ 管理者:大野満生 ]


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