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時々更新mn日記

( 2010/11 ← 2010/10 → 2010/09 )


[ 忙しい思いをしています。 ]
忙しい思いをしています。


段々と年を重ねてきたので、無理が利きません。ここの所三週続けて月曜日は死ぬ思いです。火曜日にひと段落ついて、水曜日は忙しいという風に仕事以外には何もしないでいたので、ストレスが溜まりました。一昨日は久しぶりにテニスに行きました。全く駄目になったかと思えば、それなりに動けたので、一安心して帰ってきました。

習い事は毎日少しずつでも続けていれば、いつの間にかうまくなるものだと思っていますが、15日もあいてしまうと不安になります。それでもまた始めれば、いい汗もかけます。お酒を飲んで早寝をすれば、夜も起きないでひと眠りで朝を迎えられます。今夜も仕事疲れで眠れそうです。

こんなに仕事をしてどうするのか、と聞かれそうですが、忙しいだけで、どれだけ実入りがあるのか、実際の所難しい所です。以前中華料理店で、毎回ラーメンだけを作っているようなものだ、と例えたことがありますが、単価の低いものばかりを材木屋が引き受けるようになってしまいました。

頭の良い人は、もっと違った道を選んだのでしょうが、身体を動かすことで生計を営んできたので、それ以外へは広がりませんでした。幸か不幸か、そういうものです。まだ恵まれた青春期を送ってきただけ得をしたのかと思っています。あるいは、今のように縮小しつつ着地点を見つけるといったままでは、たとえ泡でも拡大していた時代が懐かしくなります。「バブル期が恋しくなりそうです」。

もっとも仕事量は現在の倍くらいは動いていたでしょう。朝の5時くらいから仕事をしていましたし、夜中に見積もりも経験しました。夜中の3時頃に耐火ボードが欲しいと電話を受けたこともあります。さすがに断りましたが、まだ携帯電話も無く、FAXもコピー機も無かったわが社でした。



2010/10/28(木) 雨


[ 仕事に波が ]
仕事に波が


8月9月は記録的な「ヒマ」でしたが、10月に入って、仕事が出てきました。まとまった仕事もいくつかあります。が、2週間から3週間くらいのものが大半です。したがって10月末にはまた「ヒマ」になると思います。このところの仕事では、断熱材の不足に悩まされています。グラスウールやロックウールでは、まだ欠品も多く、先の仕事が決まれば必要不可欠のものですから、予約をしておくことになります。今行っているものには目鼻が付きました。断熱材では普段取引のない所からも問い合わせがありましたが、余裕がないので、お断りしました。お得意さんの現場で「断熱材は?」とお聞きしたところ、「入れない」と言われた所には感謝し、「ウールブレスにする」と言われた所には「助かった」と思った所です。

床の断熱材に関しても話があった段階で、買っています。これからまだ先のことを考えた場合、用意しなければならない所が現状でしょうか。二週間前に頼んだ、グラスウールは、来月半ばになっても入荷しないだろうと言われています。それが3本ほど入れば、今決まっている仕事は、確保できるのですから、我々の商売は小さなものです。品不足はそれを破壊する能力を持っています。

10月は忙しい思いをしました。今行っている仕事の大半は今月で終わります。来月になってからも仕事は出るのでしょうか。出なければ食えませんし、出たら出たで、品不足に悩まされるのでしょう。

台風は来るわ、雪は降るわの時代ですから、何でもありで臨まないといけませんね。



2010/10/27(水) 晴れ時々曇り


[ 決算終了 ]
決算終了



今年は赤字決算になりました。約92万円の赤字です。売り上げの低下に加えて利益率も下がっています。さらに入金のベースも落ちるという事態になりました。忙しい日とそうでない日の差が激しくなっています。売れていくものは素材を中心にしたもので、コンスタントには出て行きますが、単価が高くないのが特徴です。高いものが売れなくなって全体の売り上げが伸びない。買っていただける方の量が減って売り上げが確保できないといった感じになっています。安心して買っていただける方の年齢が60代以上になっています。

こうなってくると、2社ないし3社で一つになることを考えて行かないと残れなくなります。

また余計な出費も抑えたい所です。諸会費として支払っているものの見直しや積立金の取り崩しも始めました。仕事の場所も減らしたい所ですが、それはもう減らしきっているので、これ以上は無理になります。あとは3トン車くらいでしょうか。保険料に加えて車検代、駐車場などかなりかかっています。これを手放すメリットとデメリットを比べてみて、あるいは数人でシェアする形がとれれば、その方向も現実味を帯びてきました。

最近、過疎化が進む農村の中には、その活力が無くなってしまうまえに「持続的なコミュニティーと生活や文化の保全を目指す一つの方策として、積極的に撤退することを議論に登らせています。

私たちの業界で云うと、消費者の日常に使うものはホームセンターで間に合うようになりました。新築の住宅ではハウスメーカーやホームビルダーの力が大きくなりました。さらに、木造住宅の大半がプレカット工場を経由するようになったので、町場の大工やそれに連なる材木屋の仕事も変化してきました。材木屋もその拠点を残す方法を進めないと共倒れになります。

まして、現在のように仕事が出れば、基礎的な資材が間に合わなくなってくると、その悪影響は雪だるま式に増えます。今回のものは一時的なものにしても混乱はしばらく続くでしょう。その結果ますます大きな所のシェアが増えることになります。住宅製造のコンビニ状態が当たり前になりました。そのことは実は、木造住宅が持っていた多様性を失うことになります。どこに何を使うのか、色彩の工夫や個人の創意などは吹き飛んでしまします。どんなに機械化されても手作り感を維持することは、飽きのこない住まい作りには欠かせないものだと思います。木材を使うことでこの問題は解決できます。中でも国産材を用いることで、国土の保全からおいしい水まで保てます。

小さな国として生きていく方向をもう少し打ち出していきたいものです。


2010/10/23(土) 晴れ


[ 母の命日 ]
母の命日




10月20日は母親の命日になります。母が亡くなって早いもので15年になります。先日、お墓参りをした際には、いくつか頼みごとをして来ました。その一つは自分に関することなので話せますが、母と同じ病気にならないことと母親の年は越したいというものです。66歳で亡くなりましたが、元気で過ごしていたのは64歳までで、初めての入院が、絶望の始まりとなりました。

さて、母親の思い出は、まず元気で丈夫な人だったことです。気弱な父を助けて物事を進めていく姿は女丈夫そのものでした。父が初代で起こした材木屋も何回か大きな危機に見舞われました。そのたびに二人で乗り切ってきたのですから、誰にでも誇れる母親でした。

20歳で結婚して、22歳で私が生まれるのですから、私はかわいがられたと思います。しかし、母親の若い頃のことはほとんど知りません。戦争中の女子挺身隊の話。千葉にいたそうですが、静岡生まれの彼女がどうして千葉へ行ったのか知りません。戦後、日本橋の三越に勤めた経緯も知りません。深川の深沢みねさんの所で洋裁を習ったことやそこで働いていたこと。その家には幼い頃に良く連れて行ってもらいました。その後、下落合の佐藤多喜乃さんのお宅で父と知り合い結婚することになったと聞いています。佐藤さんの所は昭和24年当時、木材業を営んでいた、その関係だと聞いています。また佐藤さん一家は静岡県の同郷の方で、一度は没落しましたが、その後盛り返して現在息子さんが平塚に住んでおられます。

そんなことを思い出していると、あまり話を聞いていなかったことがわかります。良く「男の子はつまらない」と言っていました。

そんな母の思い出は数多くありますが、食べるものでは味噌にぎりとすいとんのお汁粉に稲荷ずしが好きです。

2010/10/20(水) 曇り時々雨


[ 身体が固くなってきました。 ]
身体が固くなってきました。




急に涼しくなってから、痛みの走る所が増えてきました。
ここ十年を見ても、左足に始まり、右ひざ、右手首、左膝に左肩、左手首に左の腰と痛い所が増えています。テニススクールに通う一つの理由は、練習前のストレッチにあります。自分ではなかなかしにくいストレッチをスクールが始まる前にはしますし、その前にも一度は必ず身体をほぐしてから現場に通うようにしています。ですから、今日はスクールがあると思えば、脚や肩などは十分に伸ばしておきます。

そんな中で、今日は仕事で腰を痛めてしまいました。すぐに行きつけの中新整骨院で見ていただいたので、大事ないと思いますが、ここの所急に仕事をした関係でしょうか。いつも仕事をしていれば、何のことはないのですが、たまに忙しくなった時には、気をつけましょう。

朝目覚めた時などベッドの上で、手や足を回転させてみますが、身体が固くなってきたことを実感しています。今まで以上に動かさないと、動かなくなります。動かなくなった状態が、すなわち死ですから、もう少し努力を重ねたいと思います。

「努力の努の字はどう書くの」などと言っては、則子さんに叱られています。当たり前ですね。



2010/10/19(火) 晴れ


[ 「い木い木ふれあい祭り」開かれる ]
「材木屋のい木い木ふれあい祭り」開かれる


10月16日土曜日に新東京木材池袋市場において、「い木い木ふれあい祭り」が開かれました。天気に恵まれ、900余名の参加を見ました。十四日会では昨年に続いて「木工教室」を担当し、完売することが出来ました。



今年のチラシです。



入口です。



中へ入っていきます。




左手は駄菓子屋コーナーです。




その横ではもちつきです。




奥まで行くと、木工教室の受付です。




木工教室の模様です




丸太切りもあります。女の子のリクエストが多いです。




紙芝居のコーナーです。




それを裏から見ると、こんな感じになります。




火おこしも例年同様です






問屋さんのコーナーです。



ネイチャークラフトのコーナーです。





今川焼もあります。


今年も圧巻は、これです。単純だけど、奥が深いです。
子供たちの集中した姿を見ることが出来ます。



解団式で、今年も終了です。皆さんお疲れさまでした。



2010/10/18(月) 晴れ


[ 景気は下振れ ]
景気は下振れ



高度成長期に青春を送ったものとしては、今の日本の落ち込みは少し信じられないものがあります。若い時から考えると「もう少し良い国へ」「もう少し希望の持てる国民へ」と現在ではなっているはずでしたが、うかれているうちにかなりへこみました。アメリカに頼りすぎた時代を反省して、かといって中国や韓国とも少し距離を置いて・・・などと難しい立場になってきました。

俗にいうリーマンショックまでが第一段階だとすれば、これからまだ、落ち込んでいきます。どれくらい沈めば底にたどり着くのか、その底が見えないことが一番の不安の要因でしょうか。今の若い人はかわいそうですね。働いてもその先に希望は見いだせにくくなっています。もうここが底だ、あとは上がるのみ、といった感じになればわかりやすいのでしょうが、今は下がりながらまた下がって少し上がってまた下がるといった感じになるのでしょうか。昔「一歩前進 二歩後退」という言葉がありましたが、そんな感じで下がり続けるのでしょう。

まだまだ長期に低落傾向は続きます。

そんな中でのこのところの資材の値上がりは、元気を取り戻す一因となるのでしょうか。デフレ傾向がこれ以上続けば、音をあげる所はその数が増します。年末にかけての仕事になお一層の注意が必要だと思います。



2010/10/17(日) 晴れ


[ 池袋市場において「い木い木まつり」が開催されます。 ]
池袋市場において「い木い木まつり」が開催されます。



「材木屋のい木い木まつり」は明日、10月16日土曜日、新東京木材池袋市場におきまして開催されます。午前10時から午後3時までです。お天気も良いとの予報ですので、お近くの方は是非ご来場ください。例年なら、チラシがあるのですが、今年は届きませんでしたので昨年のもので代用いたします。






2010/10/15(金) 晴れ


[ 新築住宅の見積もり ]
新築住宅の見積もり



材木屋さんの仕事は、簡単にいうと、運送業と倉庫業と金融業になります。もちろんそれを越えた所に商売としての面白みがあるのですが、面白い部分のウェイトは低くなっています。

大工さんが仕事を取って来た時には、あらかじめ仕様書と見積書がありました。真壁用の柱をどこのメーカー品にするのか、桧の柱であれば、吉野材なのか、尾鷲材なのか、それとも近県物で良いのかなど、予算や施主の好みに従って、市場をいくつか回って探したものです。ひと部屋の中でも、正面だけが見える柱や3方が見える所、正面と右の内法部分が見える所など、図面に従って、材料を探します。8畳ひと部屋分の柱が、10本として、吉野材の役柱であれば、一本25000円くらいの平均で探すことが出来ました。尾鷲材ならば、2万円平均くらいでしょうか。(大壁用の柱はもっと安いです)自分で選んだり、大工さんとともに選ぶのも楽しみの一つでした。(今は桧の単価も落ちましたので、もう少し安くできると思います。)

が、今は基本がプレカットで加工することになりました。新築木造住宅の8割以上がその世界に入っています。またそのほとんどが大壁工法です。さらに羽柄材と呼ばれる、屋根タルキ、間柱、筋違などに加えて、ベニヤ(屋根野地板、床材)なども加工して収めることが増えてきました。

その結果、在庫から構造材が消えました。造作材はほとんどが建材メーカーのものに代わりましたので、杉や桧の造作材の必要性のぐっと少なくなりました。根太が無くなり、筋違や間柱も現場へ直接行くので、これも数を持つ必要が無くなりました。総じて木材の在庫は少なくて済むことになりました。

材木屋から材木が少なくなり、それが連鎖して、市場やセンターの在庫も少なくなっています。市場から材木が無くなってきました。ますますプレカット工場の役割が大きくなってきます。その中では、「どの仕事にどの材料は振り向けるのか」という仕事をする人が必要になります。あるいは、すべてを集成材でまとめあげるか、「そんなの関係ない」と気にしないことを決め込むかです。気にしなくなっていきそうです。

新築住宅の見積もりをしていると、自分の方も現場に置く場所があるならば、「これは直送で」とか「これは建材課にもって行ってもらおう」とか、決まった場合の算段をしているのに気が付きます。自社から現場へ行くものが減りました。

今日も4階建の4階に運ぶ材料がありましたが、極力「軽い」材料を選んで自分が苦労しないように考えて積みましたが、その時点を越えると、全部人任せになってしまいます。だんだんとそちらの方が良くなってきています。

人に任せなければ沢山の仕事はできませんが、自分が参加する所も考えて仕事に臨みたいものです。少しでも良いものを作り上げるには、ここは妥協できない所にしたいです。




2010/10/14(木) 晴れ


[ 値上げを実感、忙しさを体感 ]
値上げを実感、忙しさを体感




この所、身体がヒマだったので、のんびりとした生活を送っていましたが、さる12日から一気に仕事が始まりました。一階の全面改装、マンションリフォーム、倉庫の改造、鉄骨の内部造作に破風板の取り換えと、12日の日はてんやわんやでした。そういう日には、見積もりや直送の依頼に加えて、現在行っている仕事の材料の手配なども重なり、夜の6時を回る頃には、すっかり疲れ果ててしまい、夜のテニスはお休みして、風呂を浴びて休むことにしました。サッカーの日韓戦も少し見ただけで、床に就くことにしました。そんな時には、仕事の手落ちがあったり、仕事を忘れたものも出てしまいました。

世の中が忙しいことを実感させていただきました。

これらの仕事は7月8月に見積もりしたものもありましたが、その頃見積もった値段と比べると、ここの所の資材の値上げですでに単価が違っていました。ボードやケイカルバンに断熱材などは自分の利益を削らないとならなくなりました。値上げを実感することになりました。

仕事が決まらなければ売り上げはゼロ円ですし、決まれば利益を圧縮して材料を納めなければなりません。ゆったりとした仕事をさせていただけません。

それに加えて、仕事が決まると材料の手配をしておかないといけません。断熱材が底をつきそうなので、早めに注文を入れておこうと頼んでみたら、「3週間待ちぐらいでしょう」と言われたので、それでお願いしておきました。

こうなってくると不足材はなお一層足りなくなります。

十数年前に杉の柱に始まり、サイディング、フロアー、断熱材に耐火ボードが無くなったことがありました。今回は同じ動きにはならないでしょうが、生産量も一度落ち込んでいるので、昔起こったことを思い出させるような感じです。仕事をする方はくれぐれも気をつけて。用心第一です。


2010/10/13(水) 晴れ


[ 歌を聞くことが増えています。 ]
歌を聞くことが増えています。



昨日でしたか、テレビで「竹田の子守唄」が流れていました。1969年に初めて聞きました。また歌いました。確か京都市の南にある竹田地区の古くからの子守唄を多泉和人(現尾上和彦)氏が発掘し、紹介したのがきっかけだと思います。その後「赤い鳥」が歌い、一世を風靡しました。私はその頃京都にいましたので、良く聞きました。嫁さんは東京にいたのですが、昨日一緒に聞いていても「知らない歌だ」と話してくれました。その頃の私の部屋にはテレビはありませんので、もっぱらラジオから流れてくる歌を聞いていました。その頃から歌を聞きながら過ごすということが多かったと思います。

最近時間にゆとりが出来始めて、また音楽を聞いています。原稿を書きながら、見積もりをしながら、請求書を書きながら、耳に音が届くたびに懐かしい曲が増えています。昨日は加山雄三、今日は青春歌謡です。今日選んだ青春歌謡曲の中には、戦前の歌も数多く含まれていました。私は戦後生まれですので、懐かしい曲にはなりませんが、私が子供の頃には、ラジオやテレビを通して聴いた曲も数多くあります。先ほどは高峰三枝子さんの「懐かしのブルース」や「別れのタンゴ」などもかかっていました。小夜福子さんが歌った「小雨の丘」なども流れていました。

そういえば、昨日の「竹田の子守唄」は放送禁止歌だった気がします。いつから放送できるようになったのでしょうか。放送されるようになって良かったと思います。

放送禁止歌には政治性の高いものやわいせつ性の高いものなどが含まれていました。私の時代ですと岡林信康さんの「手紙」高倉健の「網走番外地」フォーククルセダーズの「イムジン河」などでしょうか。

1960年代70年代の歌は則ちゃんと二人とも歌える歌が多いです。そういう歌番組を聞きながら、二人で口ずさんでいます。




2010/10/08(金) 晴れ


[ 還暦を祝う会 ]
還暦を祝う会





今年は高校、大学と同期会がつづきました。則ちゃんも高校のクラス会や、大学のクラス会が行われ、またその続きで、個人的な集まりも数多くなっています。
そんな中、小学校でも「還暦を祝う会」を開いてくれることになりました。幹事の鈴木さん、根本君ありがとう。11月21日です。中野区立神明小学校昭和38年3月卒業の「6年3組+α」のクラス会です。

最近は退職年齢に差し掛かり、これから先に顔を合わせる機会が増えるのか減るのか、その分岐点になりました。大勢の方が都合をつけて参加してくれるとうれしいのですが・・・

2名参加ではがきを投函しました。よろしく




2010/10/07(木) 晴れ


[ 時間にゆとりが出来ました ]
時間にゆとりが出来ました



9月は苦戦でした。10月もまた同じような状況です。配達も少なくなってきました。事務所にいる時間が長くなってきました。そこで以前から行っている片づけを始めています。いらなくなったものを少しずつ片づけ始めているのですが、これがまた、その時の思い出があるものだと、もう少しとっておこうとなって、ちっとも減りません。

時間にゆとりは出来たものの、なかなか前に進みません。忙しい仕事は忙しくしている時なら、パッパッと出来るのに、ゆとりがありすぎて、中途半端になってしまうようです。身体を動かして脳を活性化することから始めましょう。「きんさん、ぎんさん」の「きんさん」は頭がぼけ始めると足の曲げ伸ばしを一日に300回行ってボケを防いだそうです。

日々これ鍛錬です。



2010/10/06(水) 晴れ


[ 33回忌 ]
33回忌


私の祖父母である、徹翁省禅居士と慈祥妙蓮大姉の33回忌の法要を子供と孫で行いました。今から32年前に亡くなった祖父と31年前に亡くなった祖母を同時に弔いました。これで大野家としてもひと段落です。私にとっては、来年の母の17回忌、再来年の父の7回忌を残すのみとなりました。







2010/10/04(月) 曇り時々雨


[ 木と暮らしのふれあい展 ]
「木と暮らしのふれあい展」



去る10月2日3日の両日木場公園において「木と暮らしのふれあい展」が開催されました。3日の日に行ってきましたが、イベントの数も豊富になり、食べるものも増えた気がします。東西線の木場駅で降りて、南の方からイベント会場に入りましたが、前方には「スカイツリー」が見えて、新しい東京の名所も背景の一つとなりました。



























今回の特徴は先に書きましたが、それに加えて、「ものを作る」作業が増えたような気がします。「椅子作り」「踏み台」「時計」「竹トンボ」など、だんだんと素材を提供して、自由制作の部分が増えているように思います。


2010/10/03(日) 晴れ


[ 食欲の秋、スポーツの秋、そして仕事の秋 ]
食欲の秋、スポーツの秋、そして仕事の秋







木材青年クラブの木材講習会の案内が届きました。思えば今から35年前に一度参加したことがあります。「木材入門」なる本をいただき、また講師の方のお話を伺った気がします。バス見学は記憶がありませんが、これは十数年たってから、中野十四日会で行きましたので、みんな行っていますが、今回は講習会はなくてバス見学だけのようですが、何でも一度見ておくと、仕事上で大変参考になります。参加を希望される方は一度行っておくと良い所がリストアップされていますので、参加してみてください。

さて、今から35年まえに参加した時には、一人で参加し、誰も知り合いがいませんでしたが、当日会場で、一人の方に声をかけていただきました。「大喜さんの息子さんですよね」「お父さんにはお世話になっています」と私は初対面だったと思いますが、田原商店の田原栄一社長さんでした。

そういう関係もあって、この後田原商店さんには大変お世話になりました。配達、直送、引き取りなど。同じ材木屋仲間の(有)原康材木店さんも取引があり、田原さんの材料をわが社に卸してから、原康さんが取りに来たこともありました。その田原さんも東京木材市場から撤退を決めました。35年も経つと時代は変わるのだと、改めて感じています。

さてさて、気候も良くなってきました。食べて動いて、そして仕事をするのに良い季節です。もうひと踏ん張りしないといけません。まだ60歳の手前ですから。


2010/10/01(金) 曇り


( 2010/11 ← 2010/10 → 2010/09 )


[ 管理者:大野満生 ]


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