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時々更新mn日記

( 2010/10 ← 2010/09 → 2010/08 )


[ 9月も大したことはなく ]
9月も大したことは無く



9月も大したことなく過ぎました。わが社の決算も概要が出てきました。何年振りかで赤字決算になると思います。売り上げの減少。木材の販売量の減少。プレカットの仕事もサイディング工事も、水回りもなく、建具の売り上げもめっきり落ちています。床暖房の工事なども無く、これらの事象はまとまった仕事が無くなったことを示しています。大工さんが仕事を取る時代が終了したことを示しています。

それでも仕事がなくなるわけではありません。
斬新な切り口で仕事を掴んでいる所はあります。

斬新な切り口といえば、最近読んだ本にもありました。





関裕二さんは沢山の本を出していますが、関さんの中でも久しぶりのヒットかなと思います。



2010/09/29(水) 雨


[ 夏から秋へ ]
夏から秋へ



つい一週間ほど前までは、冷房をつけていましたが、おとつい辺りから暖房をつけるようになりました。寝る時も布団をかけて寝ないと風邪をひきそうです。急速に冷え込んできました。

冷え込んでいるのは景気も同じです。末端の動きは芳しくありません。その反面、大きな所は好調のようです。この落差がもたらすものは何なのでしょうか。

さて秋になると、値上げの季節です。原材料の値上げと運賃等の上昇により、値上げされるものが沢山あります。基礎的な資材のほとんどが値上げです。

また、製品を作っている所が減ってしまいました。建材はもちろん、木材も同様です。さらに販売している所も減ってきました。仕入れ先は希少価値がつくようになりそうです。どこでも売ってくれる所は大事にしなくてはなりません。さらに現金で買える所も、必要になりました。例えばホームセンターなども仕入れ先の一つとして頭に入れておく必要があります。どこのホームセンターに何があって、どれくらいの値段か、などです。2×4材やウレタンコートなどは安いので、頭に入れておいた方が良くなります。

そのためには、現金を持たなければなりません。
現金を大事にしましょう。

知り合いの工務店に手伝いに行っていた大工さんが、「半分しか貰えなかったよ」と嘆いていました。以前勤めていた建築会社が廃業したので、次のI社に行っていましたが、そこも仕事が無くなり、次に紹介された所へ手伝いに行っていたのですが、手間はI社会社経由で支払われたために、吸い取られたようです。実際に仕事をするものを泣かすようではいけませんね。

さてさて、実りの秋は来るのでしょうか。最近は懐疑的です。冷え込んできました。仕事は年末の仕事の見積もりになりました。



2010/09/27(月) 雨


[ レストランEAT ]
レストランEAT




人見街道沿いにあるレストランEATは、武蔵野ローンテニスクラブの斜め前にあります。一階が駐車場で、その隣も「EAT」の専用の駐車場です。閑静な場所にあるレストランで、二階がお店ということで、なかなか入る機会がありませんでした。

去る9月23日に、武蔵野ドームテニススクールで、「テニスまつり」があり、その中でコーチ同士の「ガチンコ勝負」という企画がありました。普段習っているコーチの実力を見る良い機会だと思い、夕方に行ってきました。男子ダブルス、ミックスダブルスなど4試合が行われましたが、中でも「塚田・若林」対「林・牛田」戦はお互い一歩も譲らない好試合で、お互いにサービスゲームを落とさないまま、第10ゲームに入りました。6ゲーム先取です。これを取ってさらに続くのかと思われましたが、ラストにミスが出て「塚田・若林」ペアの勝利となりました。サーブ、レシーブ、リターンといい、見事なもので、これくらい打てたら、テニスは楽しいと思います。もっといえば疲れます。久しぶりに目の前の試合に興奮しました。

さて、お腹もすいたので、「EAT」に入ることにしました。皆さんが頼んでいる「ビーフシチュー」にエビのピザを食べて食してまいりました。出てき食べましたが、味は少し濃い目。ピザはチーズの香りが良いと思いましたが、少し小さ目。それよりもおかみさんの声がでかくて、そちらの方が気になるレストランでした。レストランというよりも食堂といった感じでした。少し不満が残りました。


2010/09/25(土) 曇り時々雨


[ 在庫の木材が減りません ]
在庫の木材が減りません。



このところ仕事量の減少で、在庫の木材が減りません。仕事は延びるし、変更はあるしで、在庫の木材が減りません。世の中が忙しいのに対して、町場といわれる所はすっかりヒマになってしまいました。町場のお客さんでは食えなくなりました。

ある建材問屋の社長さんも「9月はとても暇」「どうなっているの?」と不安を隠せません。9月20日あたりから資材は値上がりばかりですが、少しずつ値上げを待ってもらいながら販売しているとのことでした。しかしそれも限界に近付いています。

かなりこの一年間我慢してきたけれど、限界点が近づいているように思います。

在庫の木材が減りません。減るペースが遅すぎます。これから一層在庫をしなくなるように思います。


2010/09/24(金) 曇り時々雨


[ 男 高倉健 ]
男 高倉健


今から40年まえの話です。

二十代に見た映画の傾向は当時を反映してやくざ映画が主流でした。その中でも出色だったのが男ざかりの高倉健さんでしょうか。ニヒルな鶴田浩二に対して真っ向から「男」を表現する高倉健は「網走番外地」と「昭和残狭伝」「日本侠客伝」というシリーズを持ち、年に6本の割合で劇場にかかっていました。封切りで見るということは少なかったのですが、三番館くらいの位置にあったのが、京都の一乗寺という所にあった「京一会館」という劇場で、4本立てで、150円から250円くらいで見ることが出来ました。そこでかなり見ております。

最近、YOUTUBEで検索した所、「昭和残狭伝」はそのいくつかが映像でも楽しむことができ、また歌も聴くことができました。当時の高倉健は30代の半ばから40才くらいにかけての年齢でした。まさに男盛りです。

「昭和残狭伝」はラストシーンがいつも同じで、高倉健が悪いやつらの所へ殴り込みに行くと、「唐獅子牡丹」が流れます。その直前ないし、途中から、池部良が合流するのです。この道行のシーンが歌と相俟ってなかなかうまい演出になっています。いいですよ。




2010/09/23(木) 雨


[ 季のある住まい ]
「季のある住まい」あなたにもわかる木造住宅

つくば緑友会発行

近所の木材店が書いた本
木材と木造住宅を知ってもらうための本


数日前のことですが、夕方に一本の電話がありました。HPを見たのですが、HPの中に載っていた「樹づかいの家」や「季のある住まい」をまだ販売していますか、というものでした。女性の方からでした。生憎その日は用事があり、大した対応は出来なかったのですが、(相手の名前とか、なにもお聞きするとこともありませんでした。)まだ販売していることやHP上に載せてあるものを一冊の冊子に編集しなおしたものがあるので、そちらを薦めました。

さらに、発行元のつくば緑友会の益子さんの電話番号を伝えて、その電話は終了しました。その方にその気があれば、もっと丁寧な説明を受けたり、勉強会へ参加するなど、次の段階が考えられると思ったからでした。

結果はわかりませんが、住まいを求める人は数多くいます。今年の流行としては、エコポイントであり、太陽光発電などになるのでしょうが、それはそれとして大事でしょうが、その基礎となるべき住まいの構造や木の使い方、間取りの考え方を知っておきたいという方もまだまだいます。その人たちに向けて情報を発信することは大事なことだと思います。



つくば緑友会
茨城県守谷市小山386
TEL0297−48−1270

2010/09/22(水) 晴れ


[ バイオオイルと香杉 ]
バイオオイルと香杉


19日の日曜日の朝だったと思いますが、何気なくテレビを見ていて、映っていたのは「バイオオイルと香杉」の話でした。

前者は、間伐材や廃材を利用して燃料を作ろうとする試みで、新日鉄化学がプラントを本格稼働させています。プラントでは、木くずと溶媒を混ぜたものに、電子レンジなどで利用されるマイクロ波を照射して木材の成分を分解し、液状のバイオオイルに変えるものです。間伐材は現在では使い道が無くなってきており、これを活用して荒れた森林を再生するとともに、二酸化炭素の排出量を抑える道を開いています。

後者は、尾鷲の畦地製材所の話です。
畦地製材所ではスギ乾燥機「愛工房」を使って、杉(スギ)の養分や香りは残したまま45℃の低温乾燥により、割れにくくて強い「杉」木材を作っている会社で、“尾鷲香杉”というブランド名で通常の1.5〜2倍で売れるとのことです。

東京では、「適材適所の会」が取り扱っています。事務局は世田谷の小川木材(株)です。


また、畦地製材所は以下の住所となります。
〒519-3643 三重県尾鷲市南浦小原野1675
TEL:0597-22-0212
FAX:0597-22-0308

色々な試みがなされています。



2010/09/21(火) 晴れ


[ てん鈴 ]
てん鈴



まだ秋まつりのシーズンです。中野新橋では8月下旬でしたが、9月の頭は少し北に上がり本町になり、9月18、19日は青梅街道や大宮八幡宮のお祭りが続きます。大宮八幡宮へも行きましたが、18日には、青梅街道にある杉山公園まで歩いてお祭りを見学して、新中野にある「てん鈴」で食事をして来ました。ここは刺身にてんぷら、うなぎなどを一品でも定食でも出してくれるお店です。特別な料理ではありませんが、庶民の味というか、お腹一杯食べるにはもってこいの所です。いつも込んでいるので夕方6時ごろに行って定食を食べてきましたが、少し残すようになってきました。だんだんと年寄りの体に変化しつつあるようです。




2010/09/20(月) 曇り時々雨


[ 久しぶりの荷揚げ ]
久しぶりの荷揚げ



今から15年くらい前の話ですが、当時の廣瀬材木店さんの社長さんが「足が悪いので、ボードの荷揚げは勘弁してもらっている」と言われました。当時社長さんは50代の終わりころだと思いますが、私もその歳になって見て初めて「荷揚げは勘弁してもらいたい」と思うようになりました。若い人がいる現場では若い人に任せるようにしていましたが、そうでない現場はそれなりに対処しています。

さて、午前中に野方で少しばかりの荷揚げを行い、午後からもボードを載せて中野の新井まで行くことになりました。久しぶりに暑くなってきました。現場について荷受人の方に電話をすると、少し太めの屈強な若者が二人降りてきました。これは期待できると感じました。すると、その一人が「ここは食品会社なので仮置きできません。すみませんが上へ上げていただけませんか」というので、3人いれば、手伝っても大丈夫だろうと、一緒になってあげてきました。1階が工場なので高めに出来ています。中二階を過ぎて2階に上がり、ここからもう一段上の屋上までボードを上げてきました。一人は途中でバテて、水を飲んだり休憩したりで、日陰で座り込んでしまいました。もう一人と私で、上げてきました。私は12.5ミリのボード1枚ずつもって上がりました。効率は悪いですが、平均して動けば、まだ何とか上げられます。何とか上げてここを後にしました。

ここは大成食品(株)と行ってラーメンや餃子などの食品を製造販売している所です。前日の木曜日に則ちゃんが買ってきて食べたばかりでした。焼き豚もシューマイもあります。麺の種類も多いですが、我が家ではやや細めの麺が好みです。

翌日ふくらはぎといい、左肩といい、大胸筋といい、筋肉痛でした。



2010/09/18(土) 晴れ


[ 「激ヒマ、激イソ」 ]
「激ヒマ、激イソ」



静岡県富士宮市の駅前には小中学生のころ夏に行きました。昭和30年代の後半の話ですが、富士山の中腹にある母親の実家から町に降りてきて、ラーメンを食べたり、映画を見たりすることが娯楽でした。ラーメンはインスタントで、麺を入れてお湯を注ぐだけ。映画は「網走番外地」だけ覚えています。高倉健に嵐寛十郎が出ていました。富士宮駅まえから西富士宮駅前までは、商店街が繋がっています。親戚が出していたお店もありました。そんな富士宮駅前も十年ほど前に行った時には、外国人労働者で歩道橋の上は賑わっていました。どちらかというとフィリピンから東南アジア系かと思いました。その頃は昔の商店街はシャッター通りでした。最近でも「ジャスコの所だけが人だかりがする」と、浅間神社近くにお店を出しているHさんは言われます。他の所は、流行っていませんと。

近くの解体屋さんはいつも忙しくしています。時々とても忙しくなります。「なぜですか」と聞いたら、自分の仕事が少なくなってきたので人の仕事を手伝うようになったからだと言われました。何でも朝7時に朝霞に集合して、そこから散っていくのですが、仕事を終えて中野に帰ってくるのが7時、8時。確かに私からみたら、お忙しく見えてしまいます。元締めの所は「安く仕事を取るので遠方からも問い合わせがある」とのこと。「鎌倉まで行って来た」というのも聞きました。そういえばここの所の仕事は、青葉台、相武台、仙石原と遠い所がありました。どこへも私は行っていませんが、前の日に材料を用意しておりたり、朝早く店を開けて、材料を積んでいただいたりしました。が、「遠い」のは効率が悪いと思います。近い所で仕事を見つけられるといいのですが・・・

忙しい所とそうでない所の差が一層開きました。

さて、10月3日に法事を行うことになり、祖父母の生まれ故郷である飯能に行き、お寺さんと打ち合わせをしてきました。今年はこちらも暑くて、扇風機だけでは間に合わなくなったと言われました。また、シカやイノシシが畑を荒らすので、作物が出来なかった。「今年は野菜を買うようだ」とも話されました。山村でもっといえば寒村です。山と山の間にポツンと家が建っている所です。昼前の11時ごろから陽が当り出し、二時半を過ぎる頃には日没です。コンビニも名栗川まで出ないとありません。何もない村です。私は小学生の頃には、それでも人も多く住み、川の水ももっと豊かで魚なども取れました。青梅から秩父やその先の村々は明治の初年から生糸で生活を立てましたので、祖母の実家である「戸丸」は昔は宿屋だったそうです。その家は二十数年前に焼けて亡くなってしまいましたが、そう言われてみると玄関を入ると大広間があり、右か左に階段がついていたような気がします。部屋の天井は低くて2メーターくらいしかなかったのは、小屋裏で蚕を買っていたのと関係するかもしれません。この大広間には私の宗祖母が寝ていました。(寝かされていました)

川に仕掛けを作っておいて、その中にうなぎが入っていれば、捌いて食べさせてくれたのも良い思い出です。代も変わり付き合いも薄くなりました。

それでもお寺さんへはこれからも通うようです。お寺の名前は「宗穏寺」といいます。





2010/09/16(木) 雨


[ 出荷証明書 ]
出荷証明書



学校の修繕や新築ビルに使用した材料の出荷証明書を工事が終わった頃に要求されることがあります。良くわかっている方だと工事にかかる時に「後で出荷照明や品質証明書が必要だ」と言ってくれるのですが、あとから言って明日までに届くように、という方もあります。そんな時は新東京商業協同組合の建材課に頼んで、出していただきます。すぐに出していただけるので、大変助かります。もちろんそのためには、通常の取引をしておいたり、現場への直送を頼んでおきますが・・・

さて、市況を見ると世間的には忙しいようです。新築物件を取り扱っている所は動きが活発だそうです。その反対に町場は動きが見られません。売れ行き不振という所が少なくありません。

また大工さんの方も遊んでいるよりもいいということで、仕事を取る方もでてき始めました。ゼロ円よりもいくらかでも稼ぎになれば、と始めていますが、さていくらになるでしょうか。数日前に来た人が7月に行った現場は、建売でしたが、材料は支給して、大工に何でもやらせるという所で、精算すると一日一万円には届かないそうです。その上、ほぼ完成してから監督が来て、あれをやりなおせ、ここも、という風に、やり直しをさせていくそうで、同じ大工が二度と来ないので有名な会社だそうです。「奴隷工場」か「女工哀史」にでもでてきそうな話です。(そこまではいかないか)

今日来た大工さんも人に手伝ってもらって、近所の人の下請けをしたけれど、日当としては一万円は無理だと言っていました。

昨日来た監督さんも自分の仕事ではないけれど、段取りを手伝うことを条件に手間請けの仕事を取って、大工に渡したと話していました。大工にもかなり手間を負けてもらったけれど、それでも自分が監督仕事を手伝うので、安いのを我慢してもらった、と話していました。

仕事量が少なくて我慢比べになっています。

決まりそうな見積もりがありましたが、今度は指定された材料が廃番予定品になっているとの連絡を受けました。また余計な仕事をしないといけません。仕事を決めて苦労するか、仕事をやらないであきらめてしまうか、もっと良い仕事を探すか、岐路に立っています。

でもまだ食えるだけ良いのでしょうか。私の友人に職業的にもあるいは社会的地位も高くなっている人がいますが、年収の8割は借金の返済で消えていく、という方がいます。「ACカード」「AICカード」「LCカード」などのカードを使いまわしながら生活していると話されました。その世界には行きたくないですね。




2010/09/14(火) 晴れ


[ 張替利夫様逝く ]
張替工務店社長 張替利夫様逝く




張替利夫さまが去る9月5日に亡くなりました。76歳でした。

張替さんは、大工さんとして若くして東京に出てこられ、杉並で修業され、その後独立した時には、初めは豊島の木村材木店との取引が初めだと聞いています。わが社との取引は川島商店街にある、お煎餅屋さんの新築工事からです。それ以来40数年、ご自分の仕事がある時には、わが社を利用していただきました。弥生町2丁目のご自宅の新築工事も材料を買っていただきました。この会社には、金丸さんというどんな難しい墨付けでもできる職人さんがいらしたので、書院作りの住まいとか、玄関を入ると大きな木が建っていてその周りを階段で上がっていくものなどがありました。最盛期には13人もの職人を抱えて集金先で「お前は仕事に来ないで、集金だけ来るのか」とお施主さんに言われた話などを思い出します。

晩年は病気がちでしたが、今年の3月に増築仕事をしている際に、肺炎で倒れ、その後他の病気も発覚して帰らぬ人となりました。

おしゃれな方で、洋服も配色のコーディネイトを良く考えられていました。最大の特徴は帽子でしょうか。40代半ばまではちょび髭も蓄えておりましたので、さしずめ、シルクハットの大親分といった風貌でした。

お酒は飲めませんでしたが、曲がったことの嫌いな方で、筋を通す気持ちは人一倍強かったと思います。ご冥福をお祈りいたします。




2010/09/11(土) 晴れ


[ ネットで探します。 ]
ネットで探します




住まいを探す方法としてネットを利用する人が大半、という時代に入りました。自分の希望する条件を入れて検索すれば、見合う物件が見つかりその中なら絞り込むことによって住まいを見つけるということです。

自分の所でも若いお客さんは商品をネットで探してきたりしています。現場の写真を添付したメールを送ってきて、探してくれというのもあります。その見つけた商品がオープン価格だとすると「いくらで入るか」聞かれます。

ネットを活用する時代になりました。

今日も現場ではずしてきた材料を持ってきて、「こういうものはありますか。」と聞かれました。同じものは見つかりませんが、代用するものであれば、いくつかやり方があるでしょう、といったら、「ネットで探してみます」と答えてくれました。

さて、自分の探しもので三鷹にある「Jマート」に行きました。「島忠」などでも探してみたのですが、なかったので、三鷹まで行きましたが、やはり気にいったものは見つかりませんでした。この所時間には余裕があるので、ネットで探したり、自分の目で探したりしていますが、私の場合だと、まだ自分の目で確かめたい年頃です。

最近同級生が相次いで退職しています。残った人は、たいていどこかの代表取締役です。教授や校長先生に理事長などもいます。高校や大学の時の友人やそれ以降に知り合った人の名前を入れて検索していると、昔の友人が顔写真入りで見つかり、「変わっていないなあ」と懐かしんでいます。人間三十年や四十年では変わらないのだと思っています。



2010/09/10(金) 曇り


[ トク・得大セール ]
トク・得第セール


9月10日には、新東京木材池袋市場におきまして、下記の催しが開かれます。仕入れのチャンスでもありますから、顔を出してやってください。




2010/09/08(水) 雨


[ 花埋み ]

花埋み(私の本棚)


渡辺淳一
新潮文庫


京都で同級生との会話の中で出てきた「花埋み」「荻野吟子」の名前もその小説の名前も初めて耳にするものでした。

早速京都からの帰りの新幹線の中で読み始め、2週間ほどかかって何とかラストへたどり着きました。

はじめは日本で初めての女性のお医者さんという所まで読み進んで、少し時間をおいてから読み続けていくと海老名弾正(同社者大学の総長をしたことのある方)が出てきて、キリスト教者になり、女医とキリスト教者という最先端を歩いていたことがわかりました。これが前半だとすると同志社の学生である志方之善と出会い、彼と結婚して、志方の理想に従って北海道へ布教と開拓に出向き、その地で理想郷をつくろうと努力をしてく姿が後半のメインです。その志方と死別し、失意のうちに東京へ戻る、といった展開になっています。

16歳で結婚し、その相手から濃淋病をうつされ、離縁となりますが、その際に男性医師に診察されたことをきっかけとして二十歳を過ぎてから女医を目指します。日本で初めての女医さんとして開業し、成功をおさめます。初めは女医さんになってそのままの一生かと思っていましたが、海老名弾正が出てきて、キリスト教徒になり、同志社の学生との出会いが、彼女をして北海道へ向かわせるなどということは、前半では想像もつきませんでした。北海道での生活も傍からみていると決して喜ばれるものではなかったと思います。でも幸せだったのだと思うのです。自分も好きな人と一緒にいられというのは何物にも代えがたいものだと思うようになっています。いい本を教えてもらいました。

この本を読みながら、主人公の旦那になり切って北海度の原野を切り開いている所を想像してみました。この旦那さんは「なんでこの困難な方へ行くのだろう」と思いながら読みました。ここまで困難な方に行くというのは私には理解できない所になります。先駆者と言われる人には、こういう常人ではわからな所を持っているものなのでしょう。

旦那が倒れたあと、荻野は北海道の田舎町で開業します。札幌に来ていた昔の同僚に「東京へ出て医者に戻りたい」と話しますが、その方は今の方が良いでしょう、と答えます。荻野が努力して取得した医者としての技術が二十年の歳月を経て時代遅れとなっていたからです。この後、失意のうちに東京へ帰る、と云う所が一番せつないですね。渡辺淳一もはじめの頃にはいいものを書いていたことがわかります。



2010/09/07(火) 晴れ


[ 「錆びた鎖」を見る ]
「錆びた鎖」を見る


銀座シネパトスで行われている「加山雄三×赤木圭一郎50th」を見に行きました。二人は同世代の映画俳優で、生まれや育ちなどで共通する所があって、個人的な付き合いもあった方々です。加山のデビュー50周年と、赤木の没後50周年を記念して、この企画が生まれました。

9月5日は赤木の「錆びた鎖」を見てきました。日本版「エデンの東」ですが、赤木の魅力が良く出ていると思います。それまでの「やくざとか殺し屋」と云った役ではなくて、お坊ちゃんでありながら、労働者に近い、労働者に共感している役どころでした。実年齢に近い学生と云う設定でした。1960年11月の公開作品で、60年安保の影響も多少あったのかな、と云う印象を持ちました。この映画を大画面で見るのは二度目か三度目ですが、親の立場から映画の中に入り込んでしまいます。それにしても50年まえの日本の景色はまだきれいでしたね。そして映画に出てくる人の言葉使いも美しいです。この五十年で忘れてしまったものを甦らせてくれます。







前日の朝からきて深江章喜さんのトークもお聞きしたかったのですが、果たせませんでした。その代わり銀座を少し散歩しました。5年ほど前まで通っていた「ユア指圧センター」は別の場所に引っ越して営業していました。同じく居酒屋「蔵人」はもう営業していませんでした。ここの女将は富山の八尾の出身で、富山の友人の知り合いでした。銀座松屋の地下に「五十番」の肉まんを見つけて則ちゃんのお土産としました。


2010/09/06(月) 晴れ


[ 日々の鍛錬が大事です。 ]
日々の鍛錬が大事です。



毎日、暑いですね。
週末が近づくと疲れがたまって休みたくなるこの頃です。昼前から3時近くまでのんびりして、それから仕事に復帰しています。お客さんも良くしたもので、大体二時半を過ぎると携帯が鳴り、FAXがきます。それからかなり忙しい時間を過ごすことになります。圧倒的に多いのは見積もりです。単価の問い合わせです。10月くらいの仕事だけど、いくらぐらいか、と云うのが多いです。今今現在の話は少ないです。私の所は仕事が少ないですが、世の中の流れからすると、「納期待ち」の時代に入っています。気をつけましょう。

気をつけるのは大事です。この暑さの中気分を悪くしたり、倒れてしまう方もいます。私も今から二十五年ほど前に、気分が悪くなって入院した記憶があります。いまで云えば熱中症でしょうか。数日間の入院でしたが、よく眠ってきました。退院して日差しを浴びたら、ドッと疲れが出ました。涼しい所にいると、ちょっと暑くても応えます。

さて、夕方涼しくなってから、材料を片づけて一汗かいたり、朝の涼しいうちに材料を動かして身体を動かすようにしています。毎日少しずつ体を使っていかないと身体の機能が落ちてきます。年を感じれば感じるほどこの必要性が増します。

さてさて今年もあと一ヶ月経つと、「木とくらしの祭典」が開催されます。本物の木を見るというのには少し遠いかもしれませんが、「木に触れる」ことのできる数少ない場所です。ぜひご来場ください。私もそちらか一日は行けると思っています。




2010/09/02(木) 晴れ


[ 勧誘の電話ばかり ]
勧誘の電話ばかり




今年の夏は暑いばかりで、仕事が来ません。進みません。年を取った大工さんではなおさらです。マンションリフォームでクーラーの利いている所で仕事をしている人もいますが、少数です。

わが社の決算月が終わり新しい期に入りました。売り上げは頭打ち、利益は出そうもありません。儲からない仕事や危ない仕事はありますが、これらには手を出さないようにすることにします。

小さなころから慣れ親しんできた木材がだんだんと受け入れられないものになってしまったのでしょうか。使われなくなってしまいました。人間に害を及ぼさない自然のものをないがしろにしているとどこかでしっぺ返しが来るでしょう。

この前床屋談義をしていたのですが、そこのオヤジの云う所によると、
日本の若い子が子供を作らなくなってしまったので、私だったら、例えば私が中国の指導者だったら、優秀な若い子を日本に移住させて、50年経ったら日本人の大多数を中国系に替えてしまおう・・・
云々

中国系でなくてもアジア系でもアフリカ系でもよいのですが、集団移住で小さなクニを作ることも可能です。元々日本がある地域は東のはずれですから、北から南からひとが移住してきて成り立っているはずです。朝鮮半島からの方が数が最も多いと思います。

今の天皇家も半分は百済系です。天皇自身が表明していますので、間違いないでしょう。えらいですね。取り巻きは認めたくないみたいですが、皇統も何度か途絶えたり、入れ替わったりしていますが、遠い昔の桓武天皇の母親は百済の人です。そのあたりを今の天皇は自分の中にも朝鮮半島の血が流れている、と自ら言うのですから、大したものです。これも戦争を体験しているからでしょうか。

さて、電話は勧誘のものばかりです。注文のFAXが少しと、これまた仕入れ先からのFAXが多くなりました。



2010/09/01(水) 晴れ


( 2010/10 ← 2010/09 → 2010/08 )


[ 管理者:大野満生 ]


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