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時々更新mn日記

( 2010/09 ← 2010/08 → 2010/07 )


[ うそとまこと ]
うそとまこと



「歴史家の嘘と真」というのが誰かの本の中にあったと思います。たしか福沢諭吉の「福翁自伝」を題材として「自伝は自分に都合のよい言葉ばかり書くので、注意深く読んでいかないと、嘘と真を見分けることはできない」といった内容だったと思います。

仮に私は自伝を書くとしても、やはり自分に都合のよい所はページ数もたっぷりとり、都合の悪い所は触れないか、または触れても一、二行になるでしょう。自伝はそういうものだと思って読んでください。

また日常生活の部分は確かに単調で、同じことの繰り返し多く、文章として残すということになると、字数が足りなくなります。その反対に、どこかへ行ったとか、特別な誰かに会ったとかいうことになると書くことが増えて沢山書くことが出来ます。

どう見分けるかは、読む人の力です。

木材の善し悪しを見分ける力と同じです。杉でも桧でも赤松でもよいものは良いものとして把握しておいてください。それには数多くの仕事をすることです。沢山木材自体を見ることです。目のつんだ年輪を重ねたものには木材自体から発するオーラがあります。木は見える所に使えないとその良さは半減以下になります。木材は見える所に使いたいですね。



2010/08/31(火) 晴れ


[ 珍しい ]
珍しい


材料を取りに来た大工さんや支払いに見えた方々が、「珍しいね」と言われます。この所増築ではありますが、手刻みをしている仕事をしている大工さんが来ています。
来る人は口々に「もう二十年は墨付けをしていない」とか「忘れた」とか言いながら昔の仕事のやり方を懐かしんでいます。そういえばここ五年くらい手刻みの仕事はしていないかもしれません。新築住宅は「プレカット」ですから、墨付けをして刻んで、という手順を踏む仕事自体が珍しくなってしまいました。私がこの仕事に就いた30数年前はほとんどが、このやり方で、月に4棟は新築していました。考える間もなく次から次へと仕事をこなしているだけで、一日が過ぎてしまい、夜食事をとれば、バタンと寝てしまったことを思いだします。例年4月から6月ごろまでがいつも忙しく、日曜日も配達がありました。夕方からもありました。二十代から三十代にかけての話です。その分、夏休みをずらして、一週間休んだり、10月の初めに旅行していました。

今では事務所にいることの方が多くなっています。年齢的にもその程度しか仕事が出来なくなっています。




さて、中野新橋では去る8月27日に「カラオケ大会」28、29日には「盆踊り」が行われました。

カラオケ大会では、まず初めに大会委員長のあいさつがあり、トップバッターは第一勧業信用組合の加藤さん。二番目は東京シティー信用金庫の小野寺さんと地元を回っている銀行員。両方とも知っているので写真を撮ってみました。


中野新橋のカラオケ大会です。




第一勧業信用組合の加藤さん。歌は「海雪」でした。



東京シティー信用金庫の小野寺さん。歌は「こころ凍らせて」でした。




神明神社にもお参りに行きましたが、子供のころと違って閑散としていて、さびしい限りです。小学生のころはあんなに待ち遠しかった夏祭りも、ただ通り過ぎるだけのものになりつつあります。

と云った所で、川島町の御神酒所で、写真を一枚撮っていただきました。「宮本の神輿」だから、撮っておけとのこと。携帯からなので、ピントや画素数がいまいちですが、残しておきましょう。




今週末に、また弥生1丁目のお祭りがあります。今週末も生ビールの世界です。


2010/08/30(月) 晴れ


[ 焼肉天国「かずん」 ]
焼肉天国「かずん」



中野新橋にある焼肉店です。

我が家では毎月生活費が余ったり、臨時収入があると、奥さんが夕飯をおごってくれます。この日も「今日は奢るから」と夕方になってから言われたので、何にしようか、迷った結果「焼肉・かずん」に決めました。
ここは中野新橋にある焼肉店です。他には「牛角」と「ホンコンさん」がありますが、ここもおいしいです。

早速、タンに始まりカルビ、ロース、ハラミにレバサシ。それにユッケとビビンバをつけたものですから、お腹がいっぱいになってしまい、満腹で動くこともままならず、そのまま夜の7時半には床についてしまいました。
食べた中でも「リブカルビ」は値段も安く、お得なものでした。





2010/08/28(土) 晴れ


[ 宮大工と歩く奈良の古寺 ]
「宮大工と歩く奈良の古寺」


小川三夫
文書新書

目次

はじめに
第一章 斑鳩の里 法隆寺 法輪寺 法起寺
第二章 西の京周辺 薬師寺 唐招提寺
第三章 奈良公園周辺 東大寺 興福寺 元興寺 十輪院
第四章 山の寺 室生寺
第五章 北部地域 秋篠寺 長弓寺


日本を代表する宮大工の棟梁が奈良の寺の見どころを案内します。
そううたい文句にあります。
また、裏表紙には、
古寺を観るのに様式論など無用です。素直な心で向き合えば、1300年前の人の声があなたにも聴こえてきます。
とあります。

著者は、西岡常一氏に弟子入りして、40年。現在では日本を代表する宮大工の一人です。60歳を少し過ぎた方で、この本の裏書には平成19年で現役を引退した、と書かれてあります。小川さんは薬師寺の東塔や法輪寺の修復に努めるなど実際にお寺を自分の力で完成させる人です。実際に絵を描き、木を刻んで組み合わせて完成させる人です。私などはそういう建物を前にすると「どうやって作るのだろう」「こんない太い柱は横になっているものを真っ直ぐに建てることはできない」などと二の足を踏んでしまいますが、仕事をこなして生きた方による奈良の古寺の案内です。語ることに重みがあります。

例えば66ページにはこんな記述があります。

法輪寺三重塔の構造の基本は、法隆寺の五重塔の初重、三重、五重を重ねたものです。寸法的にはそうです。ただ、そのままでは初重が大きく、安定はしているけれども、どこかずんぐりむっくりな形になってしまうんです。
だから、全体の塔の大きさは初重、三十、五重を乗せた姿にしてありますけれども、二重目の柱をちょっと切ってわずかに下げて、その分を三重目に乗せてあるんです。そうじゃないと三重目が潰れたように見えるんです。
二重目を五寸ほど縮め、その分を三重目に伸ばしてあるんです。
法輪寺は焼けてからの再建で、国宝や文化財ではないからそういうことも可能だったんです。西岡棟梁や竹島先生に相談して、許可をもらってやりました。

長い引用になってしまいましたが、法輪寺の再建に携わって出来あがりのバランスを考えて臨機応変に変更する、というのは実際に作り上げる人でないと出来ない発想です。

また、十輪院の所では、
(p214)

この(十輪院)すっきりした落ち着きは、木割といいますが、柱などの材が細いんです。建物の大きさに合った柱の太さなんですな。これまで見てきた多くの建物が柱に頼って太くがっしりしたものでしたから、違った感じを受けます。お寺と言うよりは民家のような、威圧感が無く、すっきりしていますな。
柱が建物の大きさに対して太すぎたりしなければ、すっきりしてきます。だから建築は難しいんですよ。柱でも梁でも桁でも大きければいいってもんじゃないんです。耐えられるんだったら細い方がいい。けれども細くすると今度は安定感というか、安心感が無くなる。
求めるものが安心の方が強いですからね。
それで安心させるために太くしすぎるとそれだけで済まないんです。柱が太くなれば、他の部材もみんな太くなるんです。・・・

この十輪院では、ここの本堂は太からず、細すぎず、安定感があって、安心感がある上に何かほっとさせる建物、だと小川氏は言います。これを読んで十輪院に一度行ってみたくなりました。






2010/08/27(金) 晴れ


[ 「奈良ー古代への旅」 ]
「奈良―古代史への旅」

岩波新書
直木孝次郎著

目次
序章
第一章 国つ神の里(三輪と磯城)
第二章 古墳と豪族(葛城)
第三章 后たちの墓(左紀楯列と和邇・石上)
第四章 神武伝説とその背景(初瀬・磐余・畝傍)
第五章 花ひらく(飛鳥・藤原)
第六章 国家興隆のかげに(斑鳩・平群・二上山)
第七章 都の明暗(平城京)
あとがき



1971年4月20日発行の岩波新書が手元にあります。大学3年生の時に買い求めたものだと思いますが、40年ぶりにひも解いてみました。そうすると40年も前に書かれたものにも関わらずポイントを突いた指摘で一気に読んでしまいました。まとまっています。さすがは直木孝次郎氏です。

第1章から第7章までは時系列を意識するとともに、奈良の主要な土地を取り上げて解説しています。副題に「古代史への旅」とありますが、これ一冊あれば、古代史への旅は整います。最近古代史ブームだと思いますが、ちゃんとした人が書いたものは色あせないものだとこの本を読んで感じています。

本物志向は大切です。偽物を追いかけないようにしましょう。





2010/08/26(木) 晴れ


[ 愛ちゃんが来ました。 ]
可愛い愛ちゃんが来ました。



今日は愛ちゃんが遊びに来ました。
ベランダにある、ミニトマトやピーマンを収穫し、
ニガウリに触ったり、キューリもトゲトゲに触れました。
愛ちゃんはかわいいです。

ピーマン片手に抱っこしましたが、抱っこされている方よりも
している方が、うれしい顔をしています。
この後、部屋の中でラケットで遊び、電卓の使い方を教えました。
また、愛ちゃんはひらがなが読めるようになりました。






この子とテニスをする日は来るのだろうか。
ともあれ、楽しいひと時でした。



2010/08/25(水) 晴れ


[ 仕事は ]
仕事は



仕事はいかがですか。
わが社では7月の後半から8月の前半は全く動きがありませんでしたが、夏休みが明けてからは少しずつ始まっています。

世の中は忙しい所とそうでない所が完全に二極化しています。忙しい所では、材料を用意するだけで大変になります。そうでない所はのんびり暇しています。材料の値段が上がるとか、欠品が増えるなどと言うことは全く関係なく過ごしています。

わが社は今月決算月です。大まかな予想では、久しぶりの赤字です。売り上げのある月と売れない月との差が激しい一年でした。あと一週間もう少し頑張ってみます。



2010/08/24(火) 晴れ


[ 川島夜店市は盛況 ]
川島夜店市は盛況



8月21日、22日に行われた川島夜店市は盛況のうちに幕を閉じました。


























今年は大道芸も増えました。





来週の土曜、日曜は町会のお祭りです。


2010/08/22(日) 晴れ


[ 川島夜店市 ]
川島夜店市

第43回を数える「川島夜店市」が8月21日、22日の両日開催されます。例年は氷川神社のお祭りと連動した開催なのですが、今年は単独開催です。来週の8月28日、29日は中野新橋商店街の「カラオケ大会」と氷川神社の祭礼があり、その翌週の9月4日、5日は弥生町西町会のお祭りと続きます。これから三週間、土曜日と日曜日は子供たちの天下でもあり、大人たちの息抜きの季節でもあります。







2010/08/21(土) 晴れ


[ 鈴幸木材株式会社の会長逝く ]
鈴幸木材株式会社の会長逝く


去る、8月14日、鈴幸木材株式会社の会長である伊藤孝好さまがご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

なお、8月19日お通夜、8月20日に告別式が中野宝仙寺にて滞りなく行われ、私はお通夜に参列させていただきました。ありし日を思い出しながらお焼香させていただきましたが、72歳はやはり若いです。

二年前には新東京木材中野支部の店主旅行で一緒でした。その頃はまだお元気でした。


新潟の月岡温泉にて


2010/08/20(金) 曇り


[ 避暑に行く ]
避暑に行く


今年の夏は休みをどこに行くか決めていませんでした。毎年夏の墓参りもあるので、これをこなすとなると、東海・中部地方に行くことになります。お墓は静岡の富士宮にあるからです。

15日の日朝からあまりに暑くて、クーラーもつけずに過ごしていましたら、汗が滴り落ちるだけで、温度計を見たら、34度ありました。東京がそんなに暑いのならば、やはり出かけることにしました。遠出は久しぶりです。

墓参りや従兄妹との語らいを済ませたのち、清里へと向かいました。毎年のようにお世話になっているペンション「いろり」に泊まることに・・・


「いろり」


小淵沢「山里」


まきば公園


清泉寮


「吐竜の滝」

数日でしたが、涼しい所で過ごしてきました。
今年の夏休みも終わりです。

2010/08/19(木) 曇り時々雨


[ 明日から ]
明日から



昔からの仲間はありがたいものです。
突然会っても昔からの関係に戻れます。









お茶を飲んで、おいしいお酒を飲めば、元気になれます。
7月末には、明日からの力を貰ってきました。



2010/08/10(火) 晴れ


[ 見積もりばかり ]
見積りばかり



仕事は忙しい所とそうでない所の二極化が進んでいます。

資材は八月に入ってから値上がりの傾向です。基礎的な資材の全般的に値上がりが目立ちます。

ここのところ、見積もりばかりですが、実際に決まって行きません。あるいは決まってしまえば利益を出さないまでもトントンに仕上げるのが大変になりそうです。そんな話をお客さんとしています。大工手間をかなり抑えないと仕事が取れそうにありません。

もうすぐに夏休みです。

大喜の夏休みは8月13日から18日の予定です。よろしくお願いいたします。


2010/08/09(月) 晴れ


[ 京都散歩 ]
京都散歩



「八月一日」と書いて「ホズミ」と読む珍名があるそうです。

その8月1日、前日から京都のホテルに泊まり、朝5時前に目を覚ましてしまいました。テレビを見たりシャワーを浴びたりしていましたが、昔通った同志社大学の南にある御所から今出川通りを東に歩いてみることにしました。

烏丸今出川から烏丸通を南に下り、そこのある門から東へと足を進めました。思えばこの辺りは学生時代によく歩いた所です。今出川御門へ向けて歩いていきますとブランコや遊具が置いてある公園があります。そこから今出川御門を渡り、同志社大学の有終館(?)の前に楠があります。ここの木の下に一年くらい通いました。そんなに大きな木ではなかったと思いましたが、すっかり幹も太り、40年の歳月を感じさせてくれました。







ここから東へ行くと「ほんやら洞」があります。1972年頃に出来た所で、今なおありました。73年に卒業していますので、ここへはあまりきませんでしたが、当時と雰囲気が変わっていませんでしたので、一枚写真をとってみました。




今少し行くと寺町通りです。
信号を南へ下がってみました。



この二つの建物のどちらかがお豆腐屋さんだったのですが、もう忘れました。今は食事を出す所になっていました。ただし建物は昔と変わっていません。40年経っても変わっていない所が京都の魅力の一つです。





その反対側には「司」がまだ残っていました。1969年に飲みに行って以来、入ったことはありませんが、外から見る限りでは昔と同じでした。

さらに東へと歩いて鴨川に来ました。出町柳の三角州にも思い出がありますが、その南側には石畳みが敷かれていて向う岸へと渡れるではありませんか。思わず下へ降りて渡ってきました。流れの穏やかな所もあれば急流もあるという風に一律ではありません。足を水辺につけている人たちもいました。まだ午前8時前です。






その後出町柳から京福電車に乗り、木野で降りて国際会館まで歩き、「ミセスリビング」の住まいを見てきました。「ミセスリビング」は「お母ちゃんが元気に住める住まい」を目指している会社で、近頃新聞やテレビで紹介された所です。




その後、東山三条へと戻り、「満足稲荷神社」を参拝してから寒梅会へと足を進めました。



満足しました。

2010/08/06(金) 晴れ


[ ある現場監督との話 ]
ある現場監督との話




毎日暑い日が続きます。外で仕事をする人は大変です。熱中症に気をつけましょう。新しく出来た議員会館ではシックハウスの症状が見られるとのこと。国土交通省からして本気でこの問題に取り組んでこなかったことがわかってしまいました。

その反面、公共施設や賃貸マンションでも杉や桧の床板を使う所が増えているそうです。節のある板材だからこそ本物感が出せるとのことです。

さて、ある現場監督さんと立ち話をしました。それによると、会社の方針で、「どんな仕事でもとってしまう」そうです。入札の場合もあれば、くじ引きというのもあるそうです。もちろん紹介やらもあるのですが、とにかく仕事をとってしまうのだそうです。

そして仕事を行います。追加工事込みの仕事が多いようです。仕事実際に請けた業者は当然のように赤字を出します。いくつか仕事が続くと赤字が膨らんでしまい、そこの仕事から手を引くそうです。すると代わりになる人が次に出てきてまた赤字を出して辞めていくそうです。それでも次から次へと仕事を求めてくる人はいるので、このやり方が通用しているそうです。

「でも、チームワークは無いし」「急な仕事や難しいものだと対応できなくて、まずいんだよな」と一言。

夏休みが明けると一斉に資材の値段が上がります。今は忙しい所が数はありませんが、極端に忙しく、そうでない所は全く仕事がありません。彼の所は忙しいといいます。だから段取りが難しくなったと話していました。


2010/08/05(木) 晴れ


[ 島先生亡き後の寒梅会 ]
島先生亡き後の寒梅会。




同志社時代の恩師である島一郎先生が亡くなられて一年が経ちました。

島先生は「島ゼミ」を一つの塊と考え、また、横だけでなく縦のつながりも大事にするために「寒梅会」を作りました。それは4年に一度開かれ、30年間続きました。昨年はその記念すべき第10回の寒梅会だったのですが、それは同時に島先生を送る会となってしまいました。

奥様によりますと、島先生は生前から「わしが死んで、寒梅会が無くなってしまうのは惜しい」「なんとか続けてほしい」と話されていたそうです。亡くなる少し前には「少しへそくりがある、せめてそれが無くなるまでは続けてほしい」と奥様に話されたそうです。

そして8月1日には同志社大学「寒梅館」において、島先生の一周忌を覚えての「寒梅会」が開かれました。68名が出席され、今後も二年に一度開いていくことが確認されました。

島先生の教え子は千人を数えます。島ゼミの後継ゼミである「横井ゼミ」の教え子まで参加していただけるような世界が展開できれば島先生も喜ばれると思います。また京都へ行きたいと思います。





寒梅会であいさつに立たれた島則子様(奥様)

2010/08/02(月) 晴れ


( 2010/09 ← 2010/08 → 2010/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


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