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時々更新mn日記

( 2010/07 ← 2010/06 → 2010/05 )


[ たまには第二力酒蔵で ]
たまには「第二力酒蔵」で



久しぶりに、中野支部第2班の会合が「第二力酒蔵」で開かれました。ここは魚関係が美味しいのと7、8人でコース料理を食べるとかなりお得になります。さらに二階の堀炬燵の部屋なら足も伸ばせて落ち着いて話をすることもできます。

さて、この中でも色々な話は出てきます。仕事の話としては「建材デポ」は使いつらいとのことでした。また新東京木材の位置についても井上さんから一言ありました。それは、値段の高さについてでした。良く使われる30ミリ×40ミリなどもその作っているメーカーメーカーで独自のランクづけをしています。それを俗にAランク、Bランク、Cランク、Dランクとした場合に製材する丸太や盤から出来てくるものは,Aランクを頭にピラミッド型になります。ランクの低いものを沢山仕入れ、裁くことが出来れば高いランクのものを手頃な値段で提供することは出来るのでしょうが、新東京木材では、全体のパイが小さいのに加えて良材志向が強いので、基本的に仕入れを出来るものはAとBランクのものに限られます。その結果、安くならないとのことでした。確かに大量にさばける所でないと単価は融通が利かないのだと思います。

それでもこれだけ売れなくなってくると、そんなことを言っている余裕すら無くなってきました。まだまだデフレ傾向は続きます。ワールドカップでは日本は大健闘しましたが、日本経済の回復には私のレベルでは程遠い感じです。計理士さんと話をした際に店舗を持って販売している所で売り上げを伸ばしている所はほとんどないとのこと。話の中で出た「このまま行っちゃうのですかね」という言葉には変に現実味があります。

それでも、2*6のコンパネやウレタンコートは1000枚単位の見積もりは出来ないとのこと。大きな仕事を抱えている所はまだあるそうですが、自分の周りでは見当たりません。だいぶ仕事が片付いてきました。まとまった見積もりもなくなってきましたが、細かいものはまだまだあってそれに追われています。

今年も半分終わってしまいました。何もしなかったせいか、ほんとに時間が早く過ぎていきます。窪寺伸浩さんを見習って、経営計画を立てましょうか。


2010/06/30(水) 晴れ時々曇り


[ ほとんどが配送費 ]
ほとんどが配送費





毎日配達する回数も減り始めていますが、配達する量も減っています。少量の配達などでも配達料をいただければよいのでしょうが、このところの景気の状態ではそれどころではありません。気の利いた大工さんは配達料などと言って別途お金をくれますが、そういう人も少なくなりました。電話すればすぐに材料が現場に届くと思っている方もいます。最近は難しい材料は少ないので、定番ばかりだとすぐに間に合います。そういう商品を運んで売り上げや利益を計算して、さらに配送にかかった時間や手間を計算してみると、ほとんどが配送費で消えるようになりました。最もわが社では、自分で配送しますから、こういう話も成立するようなしないような話ではありますが、たとえば運送屋さんを頼んで仕事が成り立つかと考えてみると、厳しいものになりました。もう頼むことも無い、と思うくらいです。

「TOTO」などという会社は、小さな部材に関しては卸売りに対しても定価販売で配送費別、などと云うものもあります。お客さんに直に配送していただく方が仕事が安く早くなります。

小さなもの、軽いものなら宅配便は便利でしょうが、ある程度の大きさや重さがあるもの、あるいは長さが4500ミリとか一人では持てなくらいのものに対しては特別な配送費を考えなくてはいけませんね。どれもこれも別途運賃がつきます、と言っておかないといけない時代になりました。

今日も二トン車を使って二トンくらいは配達しましたが、売り上げは10万円強。マンションリフォームの荷揚げ付きです。現場も中野区内で荷揚げの方を頼んでいただいているので、1時間半くらいで終了。比較的楽でしたが、現場が遠ければ、考えものです。

そうは言っても末端の仕事は軽トラックも入らないような路地の奥とかが多いので、注文をいただいた方との信頼関係が第一になります。そういう関係が築けない仕事はやらない方がましになってきました。



2010/06/29(火) 曇り時々雨


[ 久しぶりに早起きして ]
久しぶりに早起きして


今朝はサッカーを見るために早起きしました。昨夜は9時半ごろに眠ったと思いますが、今朝起きた時は4時45分。すでに奥さんがテレビ中継に夢中でした。私の朝方の夢では日本が3対1でリードしていましたが、画面を見たときには2対ゼロでしたので安心してテレビを見ていました。そのせいか今日は全般的に眠くて、昼からは事務仕事に明け暮れていました。

岡田ジャパンもチームのまとまりが出来て良いチームになりました。もう「岡ちゃん」とは呼べませんね。

さて話は変わって中野支部でエースストライカーを選ぶとしたら、誰になるのでしょうか。キーパーは竹内木材の亀山社長だとすると、クボデラ(有)の社長辺りになるのでしょうか。窪寺社長のブログも面白いです。

竹内木材工業株式会社


クボデラ(有)のブログ


2010/06/25(金) 晴れ


[ 年を感じる時 ]
年を感じる時




祖父が75歳まで仕事に就いていた関係で、父も75歳まで店に出ていました。私はとてもその歳まで働けそうにありません。後1年か2年くらいが限界です。いつまでも若く元気でいたいのですが、現実は厳しいです。しかも少しずつ年を取っているつもりでも、半年一年前と比べてみると、「ガクッと落ちている」のがわかるとなおさらです。増してこの4、5年の間に左膝、右肘、左ひじに左の腰などと痛めた所が増えています。15年ほど前に折ってしまった左の小指は私の疲れのバロメーターになっています。

年を感じるのは自分の友達を見ていると余計に感じます。同世代の人と話をしたりするのは楽しいものですが、時々「ドキッと」するくらい年を取っています。自分も相手からみればそういう存在なのでしょう。

さて、仕事が少なくなって、仕事のわかる人の数も減りました。仕事のわからない人の数は増えているかもしれません。先日も木材の切れ端を持ってきて「これ何ですか」とか「これに似たのをください」などと言われました。また、ベランダの境に張ってあったのですが、「厚みを測ると7ミリあります。これ何でしょうか」などと聞かれます。前者はアガチスのようでした。後者はおそらくパルプセメント板で、6ミリないし6.5ミリのものなのでしょうが、厚く出来てしまったものだと思います。「6ミリのフレキシフルボードかケイカル板ならすぐに揃えられますが」で会話を終えました。

また、最近「ツーバイフォーってなんでそういう風に言うのでしょうか」と聞かれたこともあります。材料の大きさが2インチ×4インチくらいだから「ツーバーフォー」と云うのだと思います。削ってあるので実寸では2インチ×4インチになりませんが・・・元々それに近い材料と云う意味でそういう言い方になったのではないでしょうか。etc

職人さんも大工さん上がりの人は少なくて、他の業種からの転職者やちょっと器用な人が職人さんになっていく時代です。仕事もビス止めが出来れば済むようなものもあります。材料は出来上がっているものであり、それを止めるだけだと考えている人も多くなりました。木材のサイズを話しただけですぐにその材料が出てくると考えている人も多くなりました。材料は自分で加工して作るもの、材料を作る道具も自分で工夫して作るもの。そうしないと自分なりの仕事は出来ない、と教えられました。若い人相手に話をしていると、そんなことも分からなくなったのか、と思いますが、伝えなかった結果そうなったのであり、自分たちの責任も重大かと思いました。

それにしても材料も少し前までそこいら辺りにあったものが、姿を消して受注生産品になっています。あるいは建材類で云えば、工場在庫品となっています。発注してから2日ないし3日はかかります。今日頼まれて明日欲しいという仕事が増えていますが、そういう方にはあまり対応したく無くなりました。越谷まで車を走らせれば間に合うとか、久喜まで行こうとか、相模原までとかいう気持ちも薄くなっています。府中に行くのでも躊躇します。

最近はパッパッと動くことが少なくなりました。

今晩は早寝をして早起きしてテレビを見る予定です。まあ、遅くまで起きていようとしても早く眠くなるし、遅く起きようとしても目が覚める年になっています。サッカー終了以前に目は覚めると思いますが・・・

ともかく良く寝ておきましょう。

2010/06/24(木) 晴れ


[ ベランダのキュウリは ]
ベランダのキュウリは


ベランダのキュウリは今月の初めと比べてどんどん伸びています。すでに5本の収穫があり、さらに5、6本は直に取れるでしょう。一本40円として、現在の収穫高は200円。今年は、トマトにニガウリ、ピーマンにキュウリですが、これに投資した金額がおよそ3千円。まだ元は取れませんが、緑のカーテンが南側のベランダを覆えば、日差しを避けてくれるので、そちらの方に効果を期待しています。


6月5日の写真


6月22日の写真(5日に比べるとだいぶ伸びてきました。植物の成長は早いです。)




さて仕事は止まってしまいました。新築も改造もいくつか見積もったものは決まりませんでした。後は耐震工事絡みの仕事だけになりました。



2010/06/23(水) 雨


[ S木材 ]
S木材



杉並区にあるD木材の会長さんが現役の頃、S木材で買っていた栂の間柱が4万円。わが社が買うと4万8千円。買い方も買う量も違うので一概にどうこう言う必要もありません。それでも木場や新宿木材から買えば、4万5千円までしません。とすれば木場や新宿市場から買うのもうなずけるでしょう。だからわが社の基本線はS木材、木場、新宿市場のどれからも買える状態にしておくことでした。

木場までは1時間かかります。

新宿市場は私仕事に就いた頃には、新宿区の清水橋付近にありました。それが上北沢に移って、またしばらくすると埼玉県の鶴ヶ島にも市場を出しました。上北沢へは20分も走れば着くので大変便利でした。まとまった仕事の際には木場から材料を取るか、北沢で買ってくるか、市日に顔を出してうまくいけば買ってこられました。欲しいものは皆競争だったので、必ず落とせるとは限りませんでした。うまく落とせればいいのですが、他の人に買われて別の市場まで仕入れに行き直したことなど何度もあります。

さて、S木材は板橋市場、中野市場、蒲田市場、五反田市場に市場があり、どれも行ったことがあります。五反田市場が当時の理事長の失敗から無くなってしまい、今では中野市場と板橋(現池袋市場)に、川崎にセンターがありますが、中野も池袋もわが社から近い所にあります。これは便利です。近いというのは大変便利で、夕方急に頼まれたものでも当日中に揃えておくことが出来ます。材料の値段に替えられない利便性があります。

今から20年くらい前と比べて何が違うと聞かれれば、売り上げが違うとまず答えます。わが社のような小さな所でも木材の売り上げが年間ベースで5千万円は落ちています。木場からまとめてわが社に配達してもらうことが無くなりました。それは木材の新築住宅の大半がプレカット工場経由になり、わが社で刻んでから再配達することがきわめて少なくなったからです。次に鉄筋や鉄骨系の新築住宅では、木で間仕切りすることが少なくなって木材を運ぶことが無くなりました。

さらに、木材が使われなくなったために、新宿市場などは北沢市場から木材部が撤退してしまいました。そうなると、木材を常備買える場所としてS木材は一層便利な所になってきました。量的にも少なくなったので小口で買えるS木材はありがたい存在でした。そのためこの5年間に限って言えば、木材の多くはS木材経由です。特にプレカットに関する仕事では丁寧に対応していただき、他では出来ないレベルの高さを感じています。

それが時代の移り変わりとともに少し変化してきています。全体に売れなくなってきて埼玉に移った新宿木材や木場や新木場の問屋さんも従来の商圏を超えて売り先を探しています。今まで環状7号線の外までだった所がその内側までに、内側からは環状6号線までだった所が環状7号線まで、と云った風に北からは南下し、北東からは西北へと販路を広げています。今までよりのちょっと車を走らせればそこにたどり着きます。それらの市場や問屋では大口の販路もあり、取り扱う量も多いことから「良いものを手頃な値段で」提供してくれます。もちろん、いつまで続くかはわかりませんが・・・


2010/06/22(火) 晴れ時々曇り


[ テニスドック ]
テニスドック




テニスのラケット選びに行ってきました。テニスワンが主催するもので、その人のテニススタイルに見合ったラケットを見つけ出してくれるものです。最近上手くなりたくなってきたので、どんな感じなのか受講料を支払って参加してきました。

王子にあるテニスコートで先生やコーチが二人。二時間の中で受講生五人が基本です。主催者側はラケットを40本ほど用意してくれます。その中から自分が気になっているラケットを数本選んで試し打ちをします。その中から自分になじんだものを使ってコーチとラリーします。先生はその様子を見ながらその受講生が、どのような打ち方をしているのか見ながらその受講生に見合ったラケットを渡します。
「このラケットで打ってください」という形で次々にラケットを交換して、その人に見合ったものを探し出してくれます。則子さんは8本目、私は3本目で「オンリーワン」を手に入れました。

さてさてこのラケットは有効なのでしょうか。他人の方が振っているのを見ているとその方に「合っている」と思うのですが、自分のことはなかなかわからないものです。自分が持っている欲眼が邪魔をしているのでしょう。

それはともかく少し上達したいと思っているので、このラケットを使ってみようと思っています。自分では選ぶことは無かったと思うウイルソンの「SIX・ONE105BLX」になりました。

2010/06/21(月) 晴れ


[ 買い物難民 ]
買い物難民



小さな経営は歴史的に見ればこれから消滅していくものだと思います。もちろん全くなくなるわけではありませんが、影響力が小さくなると考えてください。ところが小さな所が無くなって、大きな所に集約されて、それがもっと大きな所にまとめられたとします。それに伴って拠点となる所も移動します。

山村から人が少なくなれば、商店は消え、学校は無くなり、年寄りだけの部落が出来上がります。そういう所に移動販売の車で食料を中心に生活必需品を売っている方が先ごろのテレビで紹介されていました。ある時は特定の集合場所でお客さんに待っていただき、そこで販売し、ある時は住んでいるお宅の一軒一軒を尋ねて声をかけて売り歩きます。ものを販売するだけでなく、無事の確認も行っています。そのようにして販売を続けている方も将来的には、「先細りで無くなるだろう」と話していました。

町一軒のスーパーが閉店して生活必需品を町の外まで買いに行くようになったので町の取り組みとして、パソコンを使って発注し、宅配便を使って宅配をし始めた所もそのテレビで紹介していました。

さてわが街中野区でも北西部にあるW町では、最寄りの駅や商店街へ行くのに15分ほどかかる所があります。15年ほど前にはまだ近くに市場があり、肉屋、八百屋、魚屋、酒屋がありました。米屋も近くにありました。都営住宅もあったので結構繁盛していたと思っていましたが、そのあたりが壊されて、建て直される頃から「陸の孤島」化していました。「何でも置いてある雑貨屋」が無くなり、風呂屋が姿を消し、廃れていくばかりかと思っていましたが、先ごろ工場の跡地にスーパーが開店しました。

不便な所が一転して便利な所に変わりました。都会の中の難民は便利な所に住む住人に変わりました。物や人の流れは変わっていくでしょう。それとともにまだ残っていた米屋などは生きていく道を変えなくてはならないかもしれません。



2010/06/20(日) 晴れ


[ 木材を取り扱いながら ]
木材を取り扱いながら


材木屋に生まれたために木材とともに育ってきました。父が初代です。第二次世界大戦後に雨後の竹のこのように出てきた材木屋に生まれました。龍馬伝に出てくる岩崎弥太郎の子供の世界です。父親もはじめは運転免許がなく、オートバイを使ったリアカーで配達していました。1960年ころになってNHK教育テレビの「運転免許」の講座を見ながら勉強して免許を取りました。試験場で出来ない所がいくつかあったそうですが、講習を見逃した所だと言っていたのを思い出します。夜の7時半くらいからテレビで講習していました。その頃の我が家は夜の9時までお店は営業していましたし、人が来てはお酒を飲んでいたり、見積もりをしたり、世間話に来る人やお勘定を支払いに来る人のために店は開けていました。夜の9時を過ぎて店を閉めてから、お酒を飲むのが習慣でした。酒の肴は焼き鳥かお刺身だったと思います。まだ私が小学生で、今から50年前の話です。

中学生になってからは全く商売にタッチしませんでしたが、高校生になると、それなりに手伝わされました。夕方4時くらいから材料を積んで、千葉とか、神奈川とかなどと云う遠い現場への配達の助手でした。現場でトラックの上から下ろすだけとか、あるいは懐中電灯を持っているだけという世界でした。夏休みなどと云うとそれなりに使われました。その頃は番頭さんが二人と、忙しい時には、バイトの学生さんも頼んでいましたので、それなりに仕事量はありました。自分がトラックの隣に乗って行くのは夜とか日曜日とかでした。

これは自分も二人の甥に行いました。上の子は中学生になってから高校を卒業するまで夏休みや冬休みは手伝わせました。二十歳で就職するすこし前には軽トラックに荷物を乗せて、現場へ行かせました。大変助かりました。パーティクルボードや耐火ボードの荷揚げを中心に木材も運ばせました。一人いると、材料を積ませたり、降ろしたり出来るので、特に暑い夏などは重宝しました。今思っても結構頑張ってくれたのではないかと思います。おかげで彼は現在、空調関係の仕事についていますが、あまり音をあげないで頑張っています。

もう一人の甥の方はお兄ちゃんを比べると、この仕事はあまり向いていないように思いました。トラックに材料を積ませても降ろさせても根気がないというか、頑張り度が少ないというか、自分に興味がないことには力を出さないタイプでした。マイペースな子です。

さて、材木を取り扱うにしてもわが社のように小さな規模の所では、ロスの少ない材料を仕入れして、バラ出しもするけど、単価は安くないという商売をしてきました。ですから大量に買うお客さんは離れていきます。置いている材料に見合うお客さんを中心に販売してきたので大きくもなりませんが、何とかつぶれずに続けてこられたと思います。その意味ではずっと二番手、三番手の材木店です。

後は現場へ行く時間を考えながら仕事をしてきたことでしょうか。少ない人数で仕事をしてきたので、現場で職人さんに手伝っていただかないといけませんでした。そのために現場へ到着する時間は11時半や午後一時5分過ぎ。三時半などと云う風に着くように逆算して材料を積みます。積むのに一時間、配達時間が一時間と考えれば、たとえば11時半に着くためには9時半には積み始めていないといけないので、それが間に合わないと感じていれば、前の日の夕方に半分積んでおくこともありました。

平塚へ9時、甲府へ8時半などと云う仕事も嫁さんに留守番をお願いしながらこなしてきました。それ以前の時には、遠い配達は水曜日と土曜日と決めていました。大磯あたりの新築の時には、毎週土曜日に朝一番で行きました。4月半ばに建て始めて夏が終わるころまでかかりました。配達帰りに海岸を走ろうと思って車を走らせたら、江の島あたりで渋滞にはまり、えらい目にあいました。

また、今でもお昼の時間帯を使って仕事をしています。草加のパナソニック電工の倉庫へ行き取りに行く時などはお昼の一時間を有効に使わないと時間がもったいないです。草加の倉庫は昼休みでも荷物を出してくれるので大変助かります。

全体としては良い材料を比較的手ごろな値段で提供したいと思っています。心がけることがこれくらいしかなくなってきました。最近はホームセンターや建材デポなどの品ぞろえや単価が気になってきました。木材もそういう所でおいてあるものも良品になってきたと思います。

さてさて、父が仕事をしている時でも、日曜日に仕事をしないと食っていけないだろうと話していたので、日曜日に仕事をしなくなった現在では材木屋が担っていた部分をホームセンターがになうようになってきたのだと思います。それは小さな商店が姿を消しつつあるのと期を一にしていると思います。


2010/06/19(土) 晴れ


[ 暮らしをシンプルに ]
暮らしをシンプルに



年齢も60歳に近付いてきて、だんだんと思ったように身体が動かなくなってきています。これから年を取ることを前提にして自分たちの暮らしをシンプルにしようと思っています。

まずベランダにラチスを取り付けていましたが、これを外して解体することにしました。





ビスを抜いて、燃やすごみとして出してみます。

このラチスの寿命は約5年でした。5年もたつと一部がボロボロになります。ホームセンターで買い求めたものですが、元々の値段も安く、5年ほど使ったので元は取ったと思います。これからもっと年を取ってからでは、これらを解体したり、移動したりするのが大変になると思い始めました。そこで今回壊してみました。

これからは必要性のうすいものは処分していきたいと思います。暮らしをシンプルにして高齢化に備えたいと思います。



2010/06/18(金) 曇り時々雨


[ 日本国家の起源 ]

「日本国家の起源」(私の本棚)
井上光貞
岩波新書



岩波新書1969年に買った「日本国家の起源」を読み返しています。奥付き1969年9月とありますので買ったのはその年の秋以降になります。大学の一年生でした。歴史には興味があったので買い求め、しかも現在でも書棚にありました。その本が書かれたのは1960年となっていますので、今から50年も前の本になります。

この本は日本国家の誕生を描くために4世紀ないし5世紀を対象としています。日本であらわされている書物は、古事記や日本書紀しかありませんが、外国書に朝鮮半島の国々や中国の当時の国において書かれた書物を史料批判しながら、日本列島では5世紀ごろに国家統一がなされ、「国土を統一したものは征服王朝か?」、とまとめています。

井上光貞氏の著作は、その数年後に中央公論社から出版された「日本の歴史 神話から歴史へ」を読んだことがあり、その流れでこの本も買い求めたものだと思います。50年も前に書かれた本ですが、私がここ数年間で読んで来たものよりよっぽどまとまりもあります。内容的にも深いものがあります。読み返してみて資料操作にしても、よく心得ていて、とても50年前に書かれたものと思えない内容でした。新しいものばかり追い求めてはいけませんね。いつも基本に立ち返らないと王道が見えなくなってしまいます。脇道ばかりを歩いて行くようになります。ちゃんとした人が書いたものを読み返す方がよっぽど為になります。

故きを温ねて新しきを知る、でした。





2010/06/16(水) 曇り時々雨


[ 大工三人来れば ]
大工3人来れば




昔から大工が3人来れば一人はあまり仕事が出来ないといわれています。かといって出来る人が3人集まっても良い仕事が出来るとは限りません。一つはチームワークです。いま一つは仕事の内容によって人を使い分けていくことです。それは例えば私に材木を7階まで担いで上がれ、と言われても決して効率が良くないと思います。若い人や力のある人に任せた方が仕事としては進むのだと思います。もちろんそれに対する報酬は私よりも疲れた人により多くの報酬が行き届くのが自然でしょう。

仕事には、単純なものから複雑なものまであります。和室の内部造作のように技術と経験が備わっていないとまとまらないものがあります。経験と云うか、やり慣れている人が作った和室などは「いい出来栄えだ」と感心します。今私がこれを書いている事務所は東京オリンピックの頃に建てられたアパートの一室です。床は少し落ちている所がありますが、鴨居も隙間なくついていますし、長押も開いていません。柱は節はありますが見えていて削れています。50年近くたった今でも役に立っています。

和室も少なくなりましたが、数をこなした方に作っていただくとレベルの高いものが出来ます。あるいはレベルの高い仕事をしようとしている人に頼むと良い仕上がりになるでしょう。

大工さんが一人前だと判断されるのは、昔は水車と廻り階段を作らせればわかると言われました。今はどうでしょうか。水車を作る機会など無くなりましたし、廻り階段も基本はプレカットです。プレカットされたものを取り付けるのにも出来上がりがわかっていないと出来ません。いくつかの現場を見ても廻り階段を、たとえプレカットされたものでも、年を取った方が取りつけしていることが多いですね。これは若い時からの経験の数がそうさせるのでしょう。若い人に任せて失敗させるだけの時間的な余裕が無くなってきたからでしょう。

大工が3人来れば、その中でも優劣は出来ます。任せられる仕事も違います。そうだとすると手間はひとりいくらではなくて、3人でいくらになるか、その仕事全体でいくら、という方へ行くのでしょう。能力に応じて働き、収入もそれに準じたものになっていくのでしょう。

一人ひとりの人にふさわしい仕事を提供できるくらいの仕事量があると仕事は単純なものから複雑なものまで種類が多くなりますので、能力差が気にならなくなります。量が安定していないと人もこの仕事にとどまれません。仕事量が減り、高齢化による転業廃業によって、私たちの業界である、木材業界や建築業界が小さくなって行くのは長年この業界にいるだけにさびしい気がします。

それにしても自分に見合った仕事を見つけていくことは一生のうちでもほとんど一番大事なことだと思います。

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思う(啄木)





2010/06/15(火) 晴れ


[ 仕事を簡単に考える人 ]
仕事を簡単に考える人




すこし前ならあの問屋に行けばあったと思ったものがない。問屋自体が無かったり、在庫品でなくなったりしているからです。その結果、ご注文を受けてもあれもありません、これもありません、ということが増えてきました。もちろん建材メーカーの製品でも廃番や欠品もあり、時間を要することも増えています。用心深い工務店さんの社長さんは、仕事が決まれば、必要なものを前もって言っていただけますし、それは出ていく予定品なので私どもでも安心して、取り寄せておくことが出来ます。まだ仕事にかかる前にわが社に入っていますから、その商品が一般的なものであれば、他の方に回すことも出来ます。これはありがたいことです。そういう仕事が少なくなってきています。

以前は材木は前もって注文を受けることが出来ました。わが社の下小屋で墨付けをして、刻む材料は前もって大工さんが注文しておいていただけましたので、桧の土台が14本に杉の桁が10本、梁が6種類くらいあり、柱は一階がヒノキで、二階を杉にする。そのうち一階の柱のうち10本は見える。一方が見えるものが2本、正面とヨコの内法が見えるものが4本。3方見えるものが2本。柱の角だけが見えるものが2本などわかっていました。まだすぐに使うわけではありませんが、使うことが分かっていて、しかも予算も決まっていますので、その範囲で材料を見つけておく楽しさがありました。

「まだ先の話だけど、桧の柱の役物を10本くらい欲しい」と問屋さんに話をしてみると、「今なら16本ほど、手頃なのがあるよ」と林場へ連れて行かれ、上にかぶせてあった古い木材をどけると、下から良質な桧の柱材が出てきたこともありました。思わず買ってしまいました。前もってわかっていることで見合う材料を手当てできることは材木屋としてうれしいことです。

さて、そういう余裕がなくなってきました。大工さんや設計士の方は余裕を持った仕事をしてくれますが、「言えばすぐに出来る」と思っている人も少なくありません。自分に自信のある方は特にその傾向があります。自分ならすぐに出来る、簡単だと思っている人は仕事は簡単だと思いこんでいるようです。自分だけで仕事が完成するなら、そういうこともあるでしょうけど、実際に仕事は多くの人の手を経て完成していきます。仕事が早い人、遅い人、うまい人、不慣れな人、さまざまです。そういう人の手を経て作られていきます。

材料も注文を受けたものに対して適材のものがあるのか、ないのか、いつなら揃うのか、またさらにそれを加工するにはどれくらいの日時が必要なのか、など手間や時間がかかります。よりベストに近いものを選ぼうとすればなおさらです。3メーターの75ミリ角を一本注文されました。仕上がり寸法です。当初ペンキ仕上げなので、材質は問わないから早く、という話でしたが、途中から仕上がった寸法で欠節の無いこととなりました。集成材で作っていただくことを勧めましたが、時間が無いので早い方を優先させるとのこと。お客さんの言う通りに作りました。栂材で加工しました。90ミリ角を75ミリまで削ってしかも節の出ないものを利用して加工しました。これなどもうまい材料があったのですぐに出来ましたが、注文に見合う材料が揃わなければ時間がかかります。時間に余裕を持てる人が仕事を順調に進めていける人なのだと思います。


2010/06/14(月) 雨


[ 丁寧な仕事 ]
丁寧な仕事



なんでも鑑定団の中島誠之助氏が陶磁器などを見て「いい仕事してますねー」とテレビで話しておられますが、そこまで行かなくても丁寧な仕事をする大工さんは数多くいます。またそこまでの意識を持っていない人がいることも事実です。

さて、木材の加工頼まれることが増えました。量的にはともかく、単純に四方加工するだけでなく、敷居や鴨居の加工なども頼まれます。一昔前であれば、みんな大工さんの仕事でした。材木屋が敷居や鴨居に使う材料を仕入れて、それを大工さんが木を目で見ながら、使い勝手を確認しながら、どれをどこに使うのか決めていきます。敷居であれば桧や松系統のものを使います、長さを切り、幅を決め、敷居の溝をしゃくります。片引きであれば一本溝、引違いであれば二本溝になります。仕上げのカンナを使って表面や側面を削り、今度は溝の部分に手カンナをかけます。底をとるもの、溝の左の側面を仕上げるもの、右の部分と加工する場所によって使う道具が違います。さらに「面取りカンナ」を使って角を丸くします。その丸くする大きさも部材の全体の大きさによって違いをつけます。また個人的な好みも絡むことでしょう。薄いものであれば、糸のように細い「面」をつけます。30ミリくらい厚いものであれば、2ミリくらいのものになるのでしょうか。見た目や他とのバランスになるのでしょう。出来上がると、トノコをつけて傷がつかないようにします。

今ではこの作業を、材料を指定して、加工図を書いていただき、加工屋さんに発注します。表面は手カンナではなく、超仕上げの機械で仕上げたものになります。丁寧に何回か機械を通していただければすべすべになります。ただし、面取りや底取り、側取りは出来ません。その部分は手の労働になるので、人間が一本一本その木材を見ながら出ないと出来ないからです。

古い大工さんから、加工を頼まれると、底取りや側取りが出来ていないので、「なあんだ、加工が出来ていないじゃないか」と怒られます。高いレベルの仕事を自分でもしている人は、この加工では満足できずに、現場で底取りなどをしています。

その反面、そのまま取り付ける人もいます。

桧のフローリングと云う無垢の床板材があります。等級は特一等材、上小節材、無節材などです。また産地は天竜材や高知などの少し硬めの材質のものから吉野材に代表される少しや柔らかめのものなどがあります。赤味ばかりで作った高級品から赤と白が混ざった一般品まであります。30平米張るとしたら10ケース=33平米分は必要になります。用心深い仕事をする人なら、あと2ケースはじめに発注します。少しあまるくらいの数量を注文してくれます。

最近では超仕上げ付きのものも出回っていますが、実際に使う頃になって超仕上げを頼まれます。(もうご自分で削るという方はなくなってしましましたが、以前は自分で削ることも大工さんの仕事でした。)現場へ運ぶようになって、いざ使い始める時には、全体をばらして「木の善し悪し」を見ます。長く使う所と長さを短くして使う所を分けます。張る部屋の長さや幅を確認して最後に狭い切れ端が入るような張り方はしないように気をつけます。いざ張り始める時になって桧の加工板の面をとります。その前に取る人もいますが、小さな面=糸面を取ってから張ります。本物の木ですから、一枚一枚違います。貼り上がりのバランスを考えていただければ、なおいいものが出来上がるでしょう。

まだ丁寧な仕事でないと納得しない大工さんはいます。丁寧な仕事をした現場に15年経って行ってみました。経年変化はあるもののちゃんとしているのを確認すると、あの人はうまかったのだな、と今頃になって再確認するのです。丁寧な仕事をする人を一人でも多く残したいと思っています。



2010/06/13(日) 晴れ


[ 今仕事を始めると ]
今仕事を始めると



今この仕事を始めるには、多少の土地が必要ですが、思ったほどの資金もいらないでは、ないでしょうか。もちろん都内で20坪とか、それ以上の土地を手に入れるとなると大変ですが、空き家や倉庫、駐車場などを借りて行うとすれば難しくはないでしょう。

木材は基本的には、30×40があれば大丈夫です。36×45や20×40も少しあれば良いでしょう。建材は素材を置いて後は取り寄せる形にすれば良いとして、その素材も12ミリコンパネ、12ミリラワン構造用、9ミリラワン構造用、15ミリラワン構造用、9ミリラーチ、12ミリラ―チ、9.5ミリボード、12.5ミリボード、ラワンランバーコア12ミリから30ミリ、同じくシナランバーコア12ミリから30ミリ、これは3×6だけでなく、3×8や4×8も少し在庫が必要になるでしょう。白ポリランバーを置いてシナとポリのテープも数本置けば、あとはケイカル板にスタイロホームなど断熱材関係で済みます。これを新規に調達すると計算してみると、300万円くらいになりました。

この辺りが基本です。良い売り先を持っている人なら仕事を始められます。もっともこれはまだ絵に描いた餅ですが・・・
それでも実際に材木屋に卸したり、地元の工務店相手に仕事をしている人ならこのやり方で仕事を成功に導けるでしょう。やはり売り先が安定していないと良い結果は得られません。

地元のサッシ屋が潰れました。負債を抱えたようで、全体を整理しています。少し離れた金物屋も引っかかりが多くて社員を頸にしたと聞きました。ガス屋も水道屋も同じような話を聞きます。そしてわが社にもその傾向が始まりました。気をつけましょう。

一方でホームセンターは元気なようです。工務店向けのそれもこれから力をつけるのでしょう。材木屋以外のルートは乱戦模様です。勝ちぬける所はあるのか。全体的に沈みそうな雰囲気です。

翻って、今ベランダの防水工事に奥さんが挑んでいます。水漏れしやすい所を見つけて、そこを剥がして乾かせる。水が乾いたら上から防水性の塗料を塗る、といった工程ですが、雨が降るといえば工事箇所が濡れないように養生をし、天気になればはがして乾かす。週間予報を見ながらいつ下塗りして、この日で完成させる、出来上がりを想像しながら、それこそお天気と睨め子をしながら仕事をしています。単純作業でありながら、全体を掴んでいないといつまでたっても出来上がりません。私たちの仕事はマニュファクチャーです。そのほとんどが手仕事です。機械で出来ない所を人間の手で作っていくのです。ですから出来上がればうれしいし、機械では出来ないオリジナルなものが生まれるのです。ともに喜べるものを作り出していくのです。手間と暇がかかります。この部分に対する理解を持っていただくには、たとえばお施主さんとともに、壁塗りをするなどと云うのは、良いことだと思います。同じ体験をすればその大変さもわかります。

世田谷の小川木材さんが木育と称して、壁塗りをしたり、北区の小川木材商店さんが漆喰カフェを開いたりと活躍しています。ともに作るという視点で始められているのは素晴らしいことだと思います。

そういう中からはじめは簡単だけど奥の深い仕事だということがわかっていただけると、われわれの仕事に対しての理解も深まるのではないでしょうか。材木屋さんも工事に、建築に、住宅に利き足を乗せないと踏み出せない所に来ています。


2010/06/11(金) 晴れ


[ 床の断熱材とエコポイント ]
床の断熱材
断熱材発行エコポイントチェッカー



リフォーム現場で、「床に断熱材を入れようと思っているのですが、エコポイントを使えますか」という質問を受けたので、住宅のエコポイントについてのHPがあるので、そちらをご覧になって、計算をされたらどうですか、と話してみました。

そういった手前、自分でも試してみました。
使用する製品の型番をこのHPの中から探します。その品番をコピーして所定の場所に貼り付け、使用平米数を入力して、「計算をする」を押した所、めでたくゼロポイントと表示されました。

エコポイントもリフォーム現場で床断熱材などでは、3立方からですので絶対的な平米数が足りなくて、ポイントが発生しません。大規模リフォームでないとエコポイントも関係ありません。


計算は
こちらから




2010/06/09(水) 曇り時々雨


[ 角館 ]
角館



今年の5月2日の日に北東北へツアー旅行しましたが、その最初の行き先は角館でした。桧木内川沿いの桜はまだ少し早かったようですが、角館の武家屋敷沿いの所はいずれも満開でした。

角館では約一時間強しか滞在できませんでしたが、武家屋敷「青柳家」の中を見学してきました。



差鴨居をご覧ください。


梁と梁を繋ぐのにこんな風にしていたのですね。


青柳家1階の内部。実はこの右横では、結婚式が行われておりました。さすがにそちらにはカメラを向けられませんでした。


しだれが桜が満開でした。

角館へは私は二回目。過去の一回は一月だった記憶があります。桜の季節は「春が来た」感じが強くします。春はやはりいいですね。



2010/06/08(火) 曇り


[ 売れる速度は低下 ]
売れる速度は低下




毎日10人から15人くらいの客さんがわが社には見えますが、ここの所へ来て一人のお客さんの売り上げ単価が極端に下がっています。今日も工務店の社長さんが近頃の景気について聞きに来たり、材料を引き取りがてら仕事の少なさを嘆いていました。また仕事が細かすぎて対応の追われる人や、そういう細かな仕事をいくつこなしてもまとまった仕事は他所に取られてしまうと話す工務店の社長さんもおりました。

材料の売れる速度が落ちました。今まで一カ月でさばけていた材料を売り切るのに倍の時間がかかります。その部分では単純に売り上げは半分です。

この所見積もりは多かったのですが、決まって行きません。そのため、どの工務店でも社長自ら営業に精を出しています。ワイシャツにネクタイ、その上に作業服と言った形が多くなりました。現場へ出る時と恰好が変化しています。私はと言えば、Tシャツかポロシャツ姿。汗をかいたら着替えて過ごしています。仕事量が減りました。また何でもいいからといった仕事をとることも出来ません。

押し入れ内部の壁に空いた穴を埋める話もありましたが、大工さんを使って今使ってある材料と同じものを使用して埋めるのと、少し大きめに穴をあけてボードを張り、クロスで仕上げるのと、どちらが安く上がるのか、検討した結果、クロスを張ってもらう方が安いのではという結論になりました。その工務店さんはお客さんにその旨を話しました。「ボードなら、9.5ミリが使ってあっても12.5ミリが使ってあってもすぐに対応できますね」と私が言うと、「クロスにするなら、私ではなく、ほかの業者が入っています」と云う返事でした。「まあ、仕事をした方が良いが悪いか、わからないくらいの仕事ですから」それで良いのかと思いました。

さて、昨日は、北区にある「古河庭園」に行ってきました。ここへは来たことがありませんでした。一昨年はまだバラが終わっている時期でした。昨年は電話で問い合わせをしたら、時期尚早で咲いていないといわれていました。6月6日ではもう遅いくらいでしたが、まだバラも残っていました。写真で見たときには、もっと広い所かと思いましたが、実際にはそんなに広い所ではありません。入場料150円に見合う所で、憩いの場としては最適かと思ってここを後にしました。




2010/06/07(月) 晴れ


[ 今年もキュウリを ]
今年もキュウリを



今年もキュウリを作ることにしました。今までと違って南側のベランダを選びました。
今まで北のベランダで作っていましたが、今年は南側で作ってみることにしました。緑のカーテンはどのように張れるのでしょうか。また出来具合はどう変わるのか楽しみです。




2010/06/06(日) 晴れ


[ 次の世代へバトンタッチ ]
次の時代へバトンタッチ



5月末には小学校のクラス会があり、7月の頭には高校の同期会、その末には大学のゼミの集まりがあります。それらはもう40年も前から知っている人たちとの集まりです。これまでの間は疎遠になっている人も数多くいますが、だんだんと年を経るに従って付き合いも深まり、つながりも出来てきました。

こうしてみると仕事をしているこの35年間は、あっという間に過ぎていたことが実感できます。

そしてまた仕事も35年前とは比べようのないくらい変わりました。下小屋を片づけていたら、秋田杉の赤柾の板の切れ端が出てきました。これは多分私が仕事に就く以前からわが社にあったものだと思います。そういうものも少なくなりました。お客様から注文を受けて仕入れたはずのベイヒバの梁も一丁残っています。15尺の杉の周り縁もすっかり色が変化してしまいました。桧の内法2寸の4寸とか、3.5の4寸とかいうものも出てきました。これらは再割しても元の色が出ないでしょう。脂っけもなくなっています。

近くのサッシ屋が潰れて片づけをしているのを見て、処分しなくてはいけないものが増えているのを感じています。それは木材や建材など仕事に関するものだけでなく、個人的なものもその対象となっています。いらないもの必要としないもの、他の方に有効利用してもらいたいものなど、それらを、片づけておくのが良いと判断しています。部屋もいらないもので溢れかえっています。これらをすっきりさせて、次の時代にバトンタッチしていきたいです。

世代交代を早めましょう。






2010/06/05(土) 晴れ


[ つれづれ帖 ]
つれづれ帖



「つくば緑友会」のHPの中に「つれづれ帖」なるコーナーが出来て早いもので一カ月になりました。その中に、現在残っている会員は皆「建築士」の資格を持っていると書かれています。通常材木屋は、何も資格を持っていませんが、緑友会のレベルの高さがわかります。当然材木も担ぎますが、設計から、施工管理までひと通り出来ないと材木屋としての価値も発揮できないことになります。そういう人をこれからどれだけ育てられるのかが課題です。木材のわかる人を、木材を使える人を少しでも増やしたいですね。

さて、昨年末には、80万円ほどの利益が出ていたのですが、4月末現在でトントン。8月末の決算時までにこれを維持できるのか、大幅な赤字に陥るのか、後者の可能性が増えています。それと云うのも売り上げ単価が下がっています。売れていくものの量も減っています。例え話で、中華料理店でラーメンしか売れない、と言ったことがありますが、このままでは縮小するしかないでしょう。

そういうことも手伝ってか、木材や建材の問屋、ならびに関連業種の方も今まで営業のエリア以外だった所へ木材や建材の「売り込み」が増えてきました。これは仕入れの単価を下げる方向に働くでしょう。あるいは同じ値段であれば品物の良いものが手に入るのではと思います。ただこう云ったデフレ傾向は経済を活性化するわけではありませんから、全体としてみれば一時しのぎなのだと思いますが、今はそれも必要とされていると思います。



2010/06/04(金) 晴れ


[ 円環運動 ]
円環運動



この所やっと陽気が良くなってきました。通常の季節になってきたように思えます。これから夏が来て暑くなり、やがて秋となり冬が来ては春がめぐってくるという具合に一年一年が過ぎていきます。
毎年同じように仕事をしているつもりでしたが、気持ちが変わるものだと感じています。
わが社の下小屋が、人で埋まっていた時と比べると、大工さんが音を出す機会ががくんと減りました。下小屋は倉庫になりました。その分だけ広さもいらなくなりました。

大工さんの高齢化も止まりません。還暦大工という言い方がありましたが、今は古希大工、喜寿大工です。自分もそうですが、還暦近くなると、スピードを要求されるものには対応できません。自分もだんだんと仕事をするスピードが遅くなりました。

さて、少しずつ仕事が始まっています。見積もりをしたものはさっぱり音沙汰がありませんが、細かなリフォームがいくつか始まりました。床を直したり、屋根を直したり、間仕切りの変更などです。床を直し始めた所は土台が腐って半分無くなっていました。柱がボロボロになっている所もあります。壊す前に見積もってあればよいのでしょうが、壊して初めてわかる所もあります。それでもそのまま何もしないでふさいでしまう、ということは町場の仕事では考えられないので、直します。材料の追加があります。予定した工程は延びます。工事の金額も上がります。この辺りの判断を素早く下せる人がいる現場は進みますが、そうでない所はそれなりに・・・

今日は同じリフォーム現場に三回行きました。二回の所もありました。昨日は同じ大工さんが三回引き取りに来ました。この仕事はそういうことの積み重ねです。リフォーム工事でも請け負った方や設計士の方は、水回りや建具材などは自分の伝手で仕入れをして、材木だけ大工さんに頼む方がいます。木材以外は材料の選択も簡単です。水回りなどはショールームへ行けば、そこで図面を書いてくれます。しかし、材木は、その使う量などは、請け負う方や設計士の方では把握できない方が多くいます。把握できる人の方が少ないと思います。そこで「いい大工さんはいないか」とか「若い大工さんが欲しい」という声が上がるのです。比較的若い大工さんは引っ張りだこです。



2010/06/03(木) 晴れ


[ 6月1日 ]
6月1日




月が変わって6月になりました。今月には嬉しいことがあります。また、7月には同期会が二つあります。その反面6月は固定資産税の払いや車検に加えて自動車保険が二つあります。いつもこの時期には、昨年1年間の貯えを吐き出すことになります。今年の状況も変わりがないようです。

さて仕事がほとんどひと段落しました。新規に始まる予定はまだありません。ここ1週間はゆっくりお休みできそうです。少し片づけをすることにします。バーベキュー用の薪を作ってくれないかという話もありましたので、少し整理です。

5月末には、6年3組で遊んできました。甥にも参加してもらいました。みんなサンキュー。




2010/06/01(火) 晴れ


( 2010/07 ← 2010/06 → 2010/05 )


[ 管理者:大野満生 ]


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