[
繋がりが切れた
]
|
繋がりが切れた
若い工務店さんの仕事のやり方は、自分とはかなり違います。それは特に木材の取り扱いにおいて顕著です。
まず木材は加工されていて、すぐに使えるものと思っています。またどんなサイズでもすぐに間にあるものだと考えています。
また日本の材料にこだわりません。節のあるなしについても深いこだわりはないように思います。生地で仕上げることが少なくて塗装されることを前提として使っているからだと思います。
こうなると杉や桧材を使う理由はなくなります。加工されていない「荒木」と呼ばれる状態のものを自分が使うサイズに自分で削って仕上げます。手鉋で仕上げることは今では少なくなりました。超仕上げで仕上げるのが普通になりました。
それも行われなくなりつつあります。こうなると一番使いやすいものはツーバイフォー材になるのでしょうか。幅の広いものもあり、ワンバイフォーのような手頃に使えるものもあります。
私なども乾燥材を要求しましたし、精度の高い木材もお願いしてきました。その結果機械に対応できる木材は供給されました。その行きつく先は集成材であることも理解出来ていました。ここまできた以上、また来たからこそ、これをもう一度ひっくり返すことが必要になりました。
何でもすぐに間に合わない。時間をかけないといい仕事は出来ない、そういう方向に行くようになるのだと思います。それは、大量に消費するという方向とは違うように思います。また大量に生産できません。
ますます材木では食えないという結論が出てきます。ここはひとつ林業から製材所くらいまでは国の保護をお願いしないと衰退ですまずに立ち枯れてしまいます。
材木屋は、本業であってそこから利益が出て給料が支払えればよいですが、だんだんとそうではなくなってくると、他の所で収入をあげて生活するようになります。私の所でも、昭和33年から、アパート経営を始め、昭和39年には三つ目のアパートを作り、現在でもそこの所は残って1階で材木屋をやり、2階の部屋をいくつか貸しています。それで生活が出来るわけではありませんが、固定資産税くらいは賄えます。都内の材木屋さんは、早くからこのように出来たので、自分は大学も出してもらえたし、何とかここまで材木屋として過ごせました。
「さおだけ屋はなぜ潰れないか」ではありませんが、さおだけを売るだけではなく、その裏側に裏付けとして「生活に余裕とゆとり」が必要なのでしょう。
私としては、手仕事の美しさを次の時代に繋げていきたいですね。
2010/04/30(金)
|
|