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時々更新mn日記

( 2010/03 ← 2010/02 → 2010/01 )


[ 1月と2月と ]
1月と2月と



1月と2月は例年仕事が少ない時期です。今年はそれにもまして少なくなっています。仕事を持っている所と持っていない所の差が広がっています。さらに請負金額の単価が下がっています。

12月の初めに4か所も5か所も仕事のあった工務店さんも今は全くなくなりました。集中して仕事が来てしまったために、応援の方を頼んで工期を間に合わせました。応援の方に手間を払ったら、自分の分は1日1万円にならなかったと言っています。さらに仕事が1月や2月にずれ込んでくれるとありがたいと話していましたが、実際はそうはいきませんでした。

2月の現在でも仕事が忙しくなった人には、仕事が集中しています。私の所はそれで助かっているのですが、順番に仕事が来るのが、一番ありがたいですね。昔はお客さんも大工さんの手の空いている時に仕事をしていただいていたのですが、今は決まればすぐに、という風になってしました。

個々人に対応するのが建築業の基本です。メールのように1度の10人でも100人でも送れるものとは違うのです。

ともあれ、1月と2月の落ち込みで12月までの黒字分が消えてしまいそうな雲行きです。


2010/02/25(木) 晴れ


[ 桜漫亭 ]
桜漫亭


ここを訪れるのは二度目になります。

比較的手ごろな値段でゆっくり食事ができます。
2月22日は私たちの記念日なので、再びここを訪れました。













のんびり食べたので、満腹になりました。



2010/02/23(火) 晴れ


[ もう十日も ]
もう十日も


もう十日も身体を動かしていません。

仕事で身体を動かしてはいますが、スポーツはこのままだと2週間しないで過ごすことになります。仕事と遊びでは使う筋肉も違い、また気分を変えるにも仕事以外で身体を使うことは大事です。だんだん遊ばなくなったり、身体を動かさなくなったりしています。

2月20日には、午後から千駄ヶ谷の東京体育館で実業団のテニスの試合の観戦。男子のシングルスやダブルスは、自分は見ても早すぎて参考になりませんが、女子のダブルスになると男子に比べて動きも緩やかだし、ロブをあげたり、ストレートを抜いたりするのを見ていて、気持ちが伝わってきます。微妙な判定に抗議をしたり、打ち損ねて相手のチャンスボールになってしまったりと、気持ちが入りこんでいくのがわかります。実業団の応援はうるさいくらいですが、「がんばれ頑張れアイちゃん」「がんばれ頑張れモエちゃん」の応援に交じって自分も見入っていました。

その後、新宿で「金の蔵」という居酒屋に入りましたが、ここのシステムは注文はタッチパネル式。席もコンピュータ管理されていて、「禁煙席、お願いします」と則ちゃんが言ったら、「禁煙席はありませんが、お隣に人を入れませんから」という返事。事実食べている時には、隣には誰も来ませんでした。このほうが効率的で、間違いも少ないのでしょう。


2010/02/21(日) 曇り


[ 様変わりするお客様 ]
様変わりするお客様



今年に入ってからの商況は「良くない」の一言になります。

その中でも特に従来の顧客の方の売り上げが少なくなってきました。変わって内装業者の仕事が増えています。また、年をとった大工の方で車の免許を持たない方や車を手放した方の配達が増えています。そういう仕事は細かくて忙しい、となりますが、反面確実であり、ありがたいと思っています。

さて、それでもまとまった仕事がないと細かい物の積み重ねだけでは仕事は成り立ちません。見積もり合わせの仕事も増えてきました。とりあえず見積もりだけでもするようにしていますが、その反面見積もりにも参加しないようにもしています。初めからそこのお客さんの仕事は敬遠する、ところも出てきています。「割が合わない」とか「危ない」とかあります。

見積もりをさせていただくのは、安全性の高い所になります。そういうお客さんであれば、取引先も複数であり、また仕入れるルートも数多くありますので、たまには見積もりに参加させてもらうことがあります。ただそうなると、利益率は落ちていく方向になります。売り上げ単価が落ちて、さらに利益率も落ちていくことになれば、会社としては、利益が落ちていきます。いままでの形で存続することが難しくなります。規模を小さくするか、少し方向転換しないとやっていけなくなります。いまはその境目に差し掛かっていると思います。私の所は現在一人ですので、そこまでの心配は少ないのですが、全体として負のスパイラルへ入ってしまいました。

ここから抜け出すのは、かなり違った方面からのアプローチがないと難しいのではと思います。



2010/02/18(木) 曇り


[ LIVE2010 ]
LIVE2010


「新たな栄光と伝説」と題した赤木圭一郎の50年の軌跡

赤木圭一郎の没後50年を記念するイベントが銀座マリオンで開かれ、参加してきました。私も表だったファンではありませんが、それでもファン歴40年以上になりますし、映画はほとんど見ております。歌も大抵わかります。イベントに参加するのはこれで5回目ですが、自分の人生の転機にふと出てきてホッとするなり、すごいなと思ったり、軌道修正してくれる人です。

若い時は彼の哀愁のほうが目につきましたが、今回は上映されるものを見て、彼の子供らしさ、素直さを強く感じました。何せ21歳で亡くなっているのですから、当然子供なのですが、そういうものを感じさせない大人びた風貌を持った方でした。最後の未完成作品「激流に生きる男」の撮影ラストのシーンでは、徹夜続きで寝ていない痩せた顔が印象的でした。いま見ると疲れが顔に出ています。それをやっと50年がたって普通に見ることができるようになったのでしょうか。

さて、当日は、三部構成で、第一部のゲストは、新沼謙治、松原智恵子、赤塚真人さんが歌とおしゃべりで会場を沸かせました。赤塚さんは根っからのファンで小さいころから赤木の記事のスクラップを作っているとのことで、この日も朝早く起きて、「霧笛が俺を呼んでいる」を一発見てきたとのことでした。

この映画の中のセリフで、

「そうさなあ 霧笛にでもきいてみな、どうやら霧笛が俺を呼んでいるらしいぜ」とか、芦川いずみさんとのラストシーンでの「めまぐるしい数日で悲しいことも多かったけど、あなたと一緒で楽しい時もありました。最初の霧の晩、ホテルの窓辺で初めてあなたとお会いした時の霧笛が今でも耳に残っています」「さよなら」「ごきげんよう」

などはほかの方ではイメージがわかないセリフです。

第二部では、赤木の実の妹さんの百合さんが究極のゲストとして登場され、お兄さんの思い出を話されました。4つ下の百合さんは、高校生の時に赤木を亡くしていますので、その思い出は、小学生時代のものが主でした。その中でも母親の教育や資質が大きく子供に影響したと話されていました。
それは、お父さんは三重県出身の方でしたが、お母さんは銀座の生まれで、お隣は洋食屋さんだったそうです。赤木が生まれたのは港区の麻布で、その後、葉山や鵠沼海岸といった湘南沿いに住んでいましたので、赤木の小さなころは海で泳いで遊ぶことが多かったそうです。ご両親は明治生まれですが、英語が堪能で、戦後進駐軍が江の島に来た時、将校の息子を助けたことや英語ができるということで、つながりができ、進駐軍から物資をいただいたりするようになったそうです。我が家などとくべると、かなり進歩的というか、そういう環境にあったようです。ですから、食べるものも洋食がメインで、赤木もハンバーグやコロッケにパンが好きだったと話されていました。
また、これも母さんお話ですが、昭和35年伊勢湾台風が名古屋を襲った時、被災された方に自分たちが使っている布団を被災地に寄付されたそうです。そのため、しばらく布団なしで家族で固まって寝ていたと話されていました。母は変わり者でした、と話されていましたが、その反面小さなころは寝る前に子供に読み聞かせをしていたとも話されていました。「アンクルトムの小屋」や「小公女」など、人道的な視線の下地がこのころに作られたようです。家族で話をするときでも南アフリカのアパルトヘイトの話などが話題に上り、「何故そういうものはあるんだ」と憤慨したと話されていました。
最後に百合さんは「皆様方に元気で幸せな生活を送ってください」と締められました。

第三部では、俳優仲間からのメッセージに続き、「激流に生きる男」の上映。ラストは今回の企画をされた野口氏に花束贈呈。さらに稲垣美穂子さんもこの会場に駆けつけられ、挨拶されて、今回お開きとなりました。

赤塚百合さんのお話を聞けたのが一番良かったかもしれません。

ともあれ、ほんとに楽しい一日でした。また緊張していたんでしょうね。やけに疲れました。


チケットです。



会場内はこんな感じ




会場入り口にて



2010/02/17(水) 曇り


[ 二月半ばは ]
二月の半ばは


毎年2月の半ばは忙しく過ごしています。仕事ばかりではなく、父や祖父の命日もあります。14日はバレンタインデーでしたが、小平の墓地へ墓参りに行って、お線香をあげてきました。年に4回行くのが目一杯になってきました。私行ったときには、すでにお花も上がっておりました。たぶん所沢のおじさんが見えたのだと思いますが、それから近くの薬屋のおじさんにも挨拶してきました。だんだんとおじさんたちが年をとってきました。自分のおじいさんになっているので仕方がない所ですが、ちょっぴりさみしくはなります。

さて、ここまで来たので、昼飯は、「マ・メゾン」へ行くことにしました。ここのコーヒーはお代わり自由で、しかも新しいカップで持ってきていただけます。ランチを二つ、肉と魚で注文して、分けて食べてきました。




2010/02/15(月) 曇り


[ 職業の道楽化 ]
職業の道楽化


2010年2月13日の朝日新聞のb3面に磯田道史の「この人、その言葉」というコーナーがあります。初めて目にとめたところですが、そこに今回紹介されていたのは、本多静六の「私の生活流儀」の一節が書かれてありました。「私の体験によれば、人生最大の幸福は家庭生活の円満と職業の道楽化にある」というものです。

磯田氏によると、

彼(本多)はまっとうな方法でサラリーマンが財産を作る方法なるものを考案。事実巨万の富を築き公共に寄付。奨学金制度を作った。<金というものは雪だるまのようなもので、初めはほんの小さな玉でも、その中心になる玉が出来上がるとあとは面白いように大きくなってくる>。まず節約して貯蓄=雪だるまの信を作り、貯金利子でも家賃収入でもいいから、お金がお金を生む仕組みを持てと説いた。経済的に自立すると、仕事がお金のためでなくなり、いよいよ面白く、人一倍働ける。これが「職業の道楽化」で、家庭円満なら人生は幸福といった。

こんな風に書かれておりました。

私ももうすぐ59歳。これくらいの年になると、本多さんの言うことも理解できます。面白く働けるというのは人生の中でも二番目に大切なことで、一番目が家族の健康なのでしょうが、それらがあれば、家庭も円満になり、人生の幸福も達成できるでしょう。

雪だるまの芯はそれを作るだけで一生を終えてしまう人も多くいます。作れずに生涯を終える方も数多くいます。また逆に借金の雪だるまを作ってしまう人もいます。これだけは避けたいですね。

私はと言えば、雪だるまの芯作りにいまだに励んでいるこのごろです。




2010/02/14(日) 曇り


[ 古い友人が来ました ]
古い友人が来ました。



2月9日の夜「法事で東京に行くけん、会われんか」という電話が入りました。
早速別の友人にも連絡を取ってもらい、11日の昼間ということで話がまとまりました。
お茶の水で待ち合わせをして、彼の希望で「かんだやぶそば」へ。



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さらに河岸を変えて居酒屋で一杯。

3人で集まって話すのは、おそらく30年ぶり。個別にしても彼とは広島の中国木材を見学した後に、
「酔心本店」へ迎えに来てもらって、別の所で飲んで以来。あれからでも5年はたっているかしら。
時間が過ぎるのを忘れて話し込んでいると、だんだんと昔の友人の名前が出てくるわ、出てくるわ、
「今年の夏には、京都へ行くけん、その時おおちゃろうと思うとる」と幾人かの名前を挙げたので、
「早く企画しないと、もう誰にも会えなくなるかも」と思うようになりました。

ともあれ、元気な彼の姿を見て、一安心したので美酒に酔いしれてしまいました。



2010/02/12(金) 曇り時々雨


[ 以前にも書きましたが ]
以前にも書きましたが


以前にも書きましたが、ここ半年でアパートやマンションの入居者の方がかなり変わりました。あいた所を直し終わると、別の所が空き、そこに手をつけると違うところの方が出ていくといった風でした。ようやくそれもおさまり始めました。いちばん身近な事務所の隣にある昔ながらのアパートの一部屋は畳の交換と電気の配線並びに物入れの中段や建具の直しなどは職人さんにお願いしましたが、壁のペンキ塗りや床下地の調整やカーテンの取り付けなどはほとんど則ちゃんが行いました。

その際材料はホームセンターで買い求めました。方南通り沿いの「島忠中野本店」で買ってきたものが大半です。ここはまだできたばかりなので、店員さんのレベルや品ぞろえなどはいまひとつですが、それでもアパートの直しくらいでしたら間に合います。

ついでに木材やベニヤ、フロアーなどの品ぞろえや販売単価を見てきましたが、自分のところで買えない値段で売られているものもあり、これから一層ホームセンターは脅威になるでしょう。F☆のコンパネや、ウレタンコート、安いフロアー、キッチンパネルなどは安いです。手すり材などもマツ六のものが置いてあり、種類も豊富で便利です。

材木屋さんが果たす役割は、品物を現場に運んだり、支払いの期限を延ばすだけになりそうです。

さて、それでも「島忠中野本店」では、欠品も多く、以前からある「中野駅近くの中野店」と比べると、置いてある品物の単価が少し高めになっています。どこかでバランスを取っているのでしょう。カーテンレールは方南通りのほうには無くて、中野駅のほうまで行って買いましたし、照明も方南通りのほうでは欠品だったので、やはり中野駅のほうまで行き直しました。どちらも島忠ですが、というより、こういうとこ以外で置いてあるお店が無くなってしまったというのが本当のところでしょう。



(壁を塗った後ですが、まだ畳はそのままです)

(畳を入れ替え、カーテンをつけると部屋らしくなりました)


さて、さる一月の28日には、新東京木材商業協同組合の中野市場で記念市が開かれました。冷え込んだ市況を反映して来場者も少なくなってきました。


(それでも50名は確保)


木造住宅の新築が少なくなっていており、また新築住宅はその多くがプレカット工場を経由するものになってしまい、構造材が売れず、造作材も同様となっていると、売れていくものはベニヤ、フロアーにボード並びに木材では下地材、羽柄材といわれるものに限定されてきています。それはまたホームセンターなどとも競合するものでもあります。

木材業者としては、ホームセンターとは違う視点で材料を販売する必要があると思います。国産材というものの果たしている役割を伝えないと、日本の木を使うことも面倒になってしまいます。利便性も大事ですが、それにもまして日本の自然環境の維持や地球環境まで視野に入れて、あるいはそんなに大きな話ではありませんが、身近にあるものをうまく利用しましょう。自分の身の回りにある環境を大事にすることがよいと思います。


一月には無尽の新年会も行われました。写真はあいさつに立つ岸会長。



2010/02/07(日) 晴れ


[ パソコン来ました。 ]
パソコン来ました。


しばらくぶりで更新になります。昨日パソコンが来て、昨日、今日とソフトを入れなおしたり、メールの設定をして何とか使える段階になりました。私には、ビスタは難しいので、XPです。

さて、まだ色々とやらなければならないことがたくさんありますが、とりあえず一回更新しておきたいと思い、書いてみました。今日は節分です。今年の住宅着工戸数の予想は昨年に同様、80万戸を上回るか下回るかの境目だそうですが、早くもその予想が当たりそうなくらい、仕事は甘いです。勢いがありません。仕事は細かくて、量的にも多くありません。今年はこれが普通になりそうです。

それでも、住まいを作ったり、直したりするお客さんはいるのですから、その人たちの要望、要求にこたえて行かなければなりません。住宅版エコポイントなども勉強しておかなくてはいけないでしょう。

さて、1月22日には、新東京木材の新年会が目黒の雅叙園でありました。




また、1月30日には、中野区立神明小学校のミニ同期会が、中野新橋の「タクティー」で開かれました。




ここのところ週に2回のペースでテニスをしているので、夜もよく眠れるし、朝も早く起きています。今日のように1日パソコンの前にいると、目が疲れて、早く解放されたくなります。パソコンの時間をきめて行うようにしていかないといけませんね。

アパートの直しも眼鼻がつきました。入居してくださる方も決まり始めています。

ここ半年でファックスを買い替え、携帯電話が壊れ、デジカメも冬の寒さで動かなくなり、そしてパソコンと、思わぬところでかなり投資するはめになりました。機械ものの寿命には勝てませんが、寿命のあることを意識してこれからを生きていかないといけませんね。自分の寿命も視野に入れなくてはいけない年になりました。中学生や高校生に交じってテニスをしているときが時間を忘れて楽しいのですが、自分の動きが遅いと「迷惑かけているかな」と思うこのごろです。頭の中での動きと実際の動きにずれが生じてきています。そういえば、小学校の仲間と話をしている時、駄菓子屋の話になりましたが、川島商店街の西の入り口付近に「イトウさん」というお店があったのですが、そこにいたおばさんお年はいくつくらいだったのでしょうか。小学生から見れば「おばさん」だったのですが、私と34歳違う甥がそのお店のおばさんのことを「イトババア」と呼んでいましたから、ひょっとすると40代だったかもしれません。

爺だ婆だと、悪口を言っているうちに自分のほうがもっとそういう存在になってしまいました。今年はその多くの仲間が還暦を迎えます。退職を視野に入れて、また自身の健康に気を使いながら生きていくことになります。

仕事はヒマなのに行うことは山ほど残っている、この頃です。今日はテニスを休んで則ちゃんと久しぶりにゆっくり家でご飯を食べたいと思います。「福は内」にあるのですから・・・



2010/02/03(水) 晴れ


( 2010/03 ← 2010/02 → 2010/01 )


[ 管理者:大野満生 ]


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