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時々更新mn日記

( 2010/01 ← 2009/12 → 2009/11 )


[ 来年は7日より営業いたします。 ]
新年は7日より営業の予定です。


一年間のご愛顧、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。

来年は原点に回帰して、振り返る年になると思います。
みなさん良いお年を

今年久しぶりに行った懐かしい二つの場所の写真とその当時聞いていた歌詞の一部を書いて今年の終了と致します。



懐かしい「クラーク館」このキャンパスは好きな空間です。



三輪大社より大和三山を望む。来年は見瀬丸山古墳から甘樫の丘あたりへ行きたいですね。


やがて 夜明けの来るそれまでは
意地で支える夢一つ
背なで呼んでる唐獅子牡丹
(高倉健 唐獅子牡丹より)




2009/12/31(木) 曇り


[ 今年も終了です。 ]
今年も終了です


09年もっという間に過ぎて行きます。この約一ヶ月はベニヤとボードを運んだために左の手首が痛くなっていました。ここへきて仕事も減り、何とか痛みも少なくなってきました。

さて、今年一年を振り返ると住まい作りに於いては段取りが大事だと感じました。また弱い所を極力作らないようにしないと長持ちする住まいは作れないとも思いました。良い材料、よい大工を使いながら、35日現場を空けてしまったために床板のラーチ合板に水たまりを作った住まいは完成後もこの部分にひずみが来ると思います。またそういう段取りしかできない監督さんしか使えない工務店や請負店では長期優良住宅はできないのだと思います。
この春でしたか、ビル建設現場で監督さんが「派遣」の所がありましたが、この派遣された方の力が弱く、現場がスムースに回らなかった所もありました。
また床を張った後から断熱材を入れたいと言い出して、もう一度床をはがした所もありました。手間賃が無いから「出来ない」としてしなかった所もあります。段取り一つで住まいは変わっていきます。よくわかった人が仕事を進めて行かないと同じ材料や単価でも出来上がりが違うものになります。
自分にしても今から15年ほど前になりますが、新しいものを使ってみようと実験した所では、芳しくない結果が出始めています。15年もすると建材メーカーの品物は色や形はなくなり、ついでにその商品の寿命もなくなってしまいます。

ふた昔前までの住宅は、作り手が見える、作ったものが見える、という風なものでした。言い換えれば、悪くなったら、その部分を変えることもできました。それが住まいが長持ちした秘訣でもあったのです。そういうものが失われた二十年、三十年だったのかなと感じています。時代は変わりました。

ここの所で、安価で良質な住まいを提供してきた人たちが一斉に引退し、建材メーカーで育った方々に依る住まい作りが本格化します。再び木材に戻ることはないでしょう。木材は一部の愛好家によって次の時代に引き継がれていきます。再び木材が注目されるとしたら、どんな時でしょうか。たとえば、大径木材が搬出されるときでしょう。圧倒的な質感によって、見るものを抑えつけなければならないでしょう。それまでの間、ある程度の厚みと幅、30ミリの厚さと150ミリの幅、などという風に深みのある材料を用いることで、木を使った住まいを作り続けて行きましょう。良さは伝えないと伝わらなくなります。

それにしてもここの所の風の冷たさは師走と相まって身にしみます。仕事のない人からは売り上げが無く、仕事をした人からは「待った」がかかるこの頃です。懐の寒さは言うまでもなく、「どうすりゃいいのさ、思案橋」、今まで培ってきた仕事のやり方では、もう無理な所へ来ているので、我々の業界も「交代」しないといけなくなりました。どこに出口があるのでしょうか。

しかしながら、悩みのない所に進歩はありません。来年は、今まで行ってきたことと違うことを行ってみたいと思います。



2009/12/30(水) 晴れ


[ 根岸建設 ]
根岸建設の餅つき


12月27日には、(有)根岸建設恒例の餅つきが行われました。幸い風もなく、落ち着いた天気の中、150人以上の方が参加され、90キロついて終了しました。今年は弥生町3丁目町会とのコラボということもあり、例年に比べて子供の参加者が多かったように思いました。








2009/12/28(月) 晴れ


[ 例年なら ]
例年なら


今年も押し詰まってまいりました。年賀状を書き終えて、あとは請求書を配り、集金して掃除をするだけとなりました。
今年も昨年に引き続いて、喪中葉書がたくさん来ました。今年は母親を亡くしたというものが多かったように思います。どちらかというと、父親はすでに故人となっていたのでしょう。続いて、孫が生まれてその世話で忙しいという話もよく耳にしました。さらには親の介護の最中という人も増えています。60前後になると、その忙しさは自身のことよりもその周りでの出来事が中心になります。

三年間自宅で親を介護して看取った後、自分自身が少しうつ状態になったという人もいました。親の徘徊が始まり、ショートスティーを使い始めた方、老人保健施設に父親を預け、母親を自宅で見ている人。母親を特養で見てもらい、父親をデイサービスに通わせている方など、そのパターンは様々です。

年寄りはどうなるのか、をそれなりに見てきましたが、「お金が無くなった」「誰かいるから、怖くて眠れない」「家に帰る」などと言い出したら、それは年寄りとしての不安のサインなのでしょう。だんだんと一人で生活できなくなっています。

年寄りは自分が幼かったころの思い出や親のことをたくさん語るようになります。出来るだけ聞いておくのが良いと思います。その段階が終ると、しゃべらなくなります。言葉を忘れてしまいます。自分も親から聞いておけばよかったことがいくつもあります。自分も次の世代に伝えておきたいことがいくつもあります。文章で残すのも方法ですが、直に言葉で伝えておくと聞いた方が忘れることが無いので、効果的だと思いますのでぼちぼち話をしておかないといけませんね。



2009/12/27(日) 晴れ


[ 今年を代表するものは ]
今年を代表するものは


あっという間に1年が過ぎて行きます。
近場でおしいものを食べたり、見知らぬ土地を訪れて、初めて見る景色に感動したり、幾度か訪れた所をゆっくり見学したり、今年一年も楽しく過ごさせていただきました。23日には二人で少し早目のクリスマスを中野新橋で食事をして楽しみました。

家にいるのもよいし、出かけるのも刺激があって良いものです。今年は例年と比べて仕事の終わりがかなり早いです。あと二日くらいで片づけをするだけとなりました。今日のあいさつも「よいお年を」でした。

























2009/12/24(木) 晴れ


[ テニスの忘年会 ]
テニスの忘年会


今年の忘年会のラストは、テニスのそれでした。中野区の上高田にあるコートを利用している水曜ナイターの参加者によるものでした。上は81歳から下は高校生まで。コーチ3人も参加して18人でワイワイ行いました。もちろん高校生にお酒は飲んでいません。このコースに私は参加してから、早いもので7年になりますが、そのうち半分の三年半くらい通ったと思います。寒い時にはお休みして、仕事が忙しい時も行かなかったので、申し込みをして、お金を払っただけというのもありました。それでも今年の7月からは真面目に参加していました。7年前のメンバーもおり、また若くてフレッシュな人材ありで、コーチを交えてテニス談議や人生相談、高校生相手にY談など、わけのわからない時間を過ごし、十二時を回ったころにお開きとなりました。久しぶりにこのコースでの忘年会となりましたが、この10月に入られた方が、「忘年会をやりませんか」と声をかけていただいたのをきっかけに、都合の悪かった方数人を除いて参加して盛り上がりました。

盛り上がっ時に行うのが一番いですね。それにしてもテニスに負けない出席率でした。これも石黒、石川、武藤コーチの人望の結果だと思います。


2009/12/23(水) 晴れ


[ 遼君がいる ]
遼君がいる。


尊敬する人は「タイガー・ウッズ」というと、今なら語弊があります。石川遼といえば、話がまとまります。彼が出てくるまでゴルフ番組など見なかった私でも彼の出現で土日のテレビ中継を楽しみにするようになりました。気がつくとテレビに食い入っている時があります。彼の魅力は何と言っても攻めの強さです。ピンにまっすぐ向かう心です。向かうので入る可能性が増えてきます。ラフからのアプローチにしてもウオーターショットにしても、解説者が「ここは無理をすることはない」などといっていても、彼が果敢に攻めてそのラウンドをパーでまとめたりすると、「やったー」という感じになります。大したものです。

彼のように一人の天才が出てくることで、ゴルフ界も世界が変わります。彼を打ち負かそうとするライバルや後輩たち。ゴルフ場へ通う人から、グッズを求める人まで。そういえば、デパートのゴルフ用品売り場も面積が大きくなっています。

希望の光が必要です。


2009/12/21(月) 晴れ


[ アルバムの整理 ]
アルバムの整理


母の死去から14年、父を看取ってから三年半。少しずつ整理をしています。色々なものを捨てましたが、アルバム類などはこれから整理するようです。そんな中に新東京木材中野支部に関連する写真がいくつかありましたのでここに載せてみようと思います。私も初めて見ました。






今から50年ほど前の中野支部の様子です。若い支部員からすれば、祖父や祖母たちになるのでしょうか。私が見てもほとんど知らない方々ばかりです。


2009/12/20(日) 曇り


[ 現場へ直送 ]
現場へ直送




プレカット材は、現場へ直接配達していいただくのが基本です。仕事が決まるまでは打ち合わせに時間をかけるようにしています。プレカットの加工も必ずといってよいほど間違いがあり、それは打ち合わせの段階で、それを何回かしていくうちに変更されたことで起こるものが大半です。早めに気がつけばなんのことはないのですが、気がつくかどうかが問題です。

プレカット材の搬入に関しては、一度は建てる前に現場を見ることにしています。4トン車で配送できる現場であればよいですが、3トン車でもきついとか、2トン車しか入りませんという現場が多いので、下見をしてどこに卸すのか、どういう風にしたら車が入るのかを検討します。今から数年前に運んだ現場では、初めの一台は3トン車でも入ったのですが、翌日の荷物は3トン車では搬入できずに、2トン車に積みかえたり、現場へ行ってしまったものに関しては荷降ろしする方を2名頼んで、手降ろししました。運転手さんには半日待っていただきました。

初めの一回目の時には、現場の目の前にあった駐車場3台分の車がいなくて、そこに頭を入れてバックで入ったそうですが、次の日には車が止まっていて、何度切り返しても入りませんでした。入ると入らないとでは雲泥の差がありますので、気をつけましょう。

さて、10月には特定の日に配達が集中してしまったので、いくつか直送で現場へ配達していただきました。ベニヤや30×40が基本でした。耐火ボードなども4トン車で降ろせる所は直送してもらいようにしています。そのある現場の一回目には、荷受人さんが「聞いていないよ」と言い出して、だれも手伝ってくれなかったそうです。しかも車の入る所から荷を降ろす場所まで遠かったという、最悪の現場になってしまいました。あとから聞けば、荷を下ろす人は中にいたそうですが、連絡が悪かったようです。「声をかけてくれたら行ったのに・・・」とあとからいわれました。運転手さんには「ぶーぶー」、言われましたが、当然ですね。次の時には、気をつけて対応したら、「あんな楽な現場はない」といわれました。でも配達した方は違う人でした。

さてさて、そうこうしていると「どんなものを持って行ったのか」心配になりました。値段は先に決めてあったので、こちらも「いくらまでの材料」といって注文しただけだったので、それが果たしていいものであるのか、あるいはクレームにならないのか、を考えました。そこで、現場へ持っていっていただいたのと同じものを注文して会社に届けてもらうことにしました。その中の一つに赤松の垂木がありました。30×40です。降ろしてみて大変良いものでした。値段もこなれているし、別の現場でもその垂木は好評でした。それが(株)江守さんのものだと知るまでには少し時間がありましたが、良い材料でした。江守さんも何とか立ち直ってくれるといいのですが・・・

私には、自分の目で確かめたいという気がまだあるので、大きくは成れないですね。



2009/12/19(土) 晴れ


[ ある先輩の死 ]
ある先輩の死


早稲田中学・高校の先輩の一人である早津義男さんが亡くなられました。85歳でした。早津さんとは、この7年ほど前の早稲田高校の校友会で初めてお目にかかりました。ご近所の方でした。早津さんの方は私のことをよくご存じで、校友会の会場で声をかけていただき、それ以来お会いするたびに挨拶をしたり、お話をするようになりました。父と同じデイサービスを受けていたり、娘さんと私の妹が同級生であったり、私のクラスメートの上司であったり、よくよく話をしてみると私の高校の時の恩師である河原政隆先生の一年先輩で、「早稲田中学・高校」を巡って話題が広がりました。最近では足を悪くされて電動車いすで道を移動しておりましたが、ここの所見かけないと思っていたら、帰らぬ人となったという掲示板を見てお伺いすることにしました。

早津さんらしさが出ていたお通夜でした。お清め所には早稲田中学時代のアルバムのコピーをブックにしてありました。それに加えて琉球泡盛や薩摩焼酎、ウィスキーなどが並べられ、「お好きなものを開けて飲んでください」ということでした。粋でモダンな人でした。微笑みかける遺影からは、いまにも「おかわり、ツーフィンガーで」と声が聞こえてきそうです。



2009/12/18(金) 晴れ


[ 不用品交換 ]
不用品交換


ここの所、ヒマになってしまいました。

トイレドアの交換や床板を貼り替える話などがあったのですが、うまくまとまりませんでした。前者は以前大建工業の「ファインナチュラル」という色で納めた現場でしたが、この色がメーカーの都合で廃番になりました。まだ在庫が残っていたので、ひとつだけそれを使わせていただきましたが、今後はどうするのか、これから相談しないといけません。この色は床板は今の所残すそうですが、窓枠材や、ドア、巾木などもすでに無いので、これからこの色を使うということはなくなります。違う色ないし、ほかのメーカーを探すことになります。

この話を次には、パナソニック電工で決めようとも思ったのですが、来年の5月で「バーチ色」や「ナチュラルバーチ色」が無くなってしまうので、これもやめておきました。無くなることが分かっていて、その色を薦めることはできません。そうなると「ノダ」とか「トステム」とかで探すようになるのでしょうか。

同じことが床材でもありました。
12ミリの床材とリフォーム用の床材を組み合わせて使いたいという話がありましたが、パナソニック電工では、パナソニックでは希望の色が12ミリではありましたが、厚みの薄いものにはなかったので、話がそのままになっています。

大建工業のミラージの12ミリと6ミリを組み合わせて使った現場がありましたが、同じミラージの色でも表面の仕上がりが違っているので、肌触りを嫌われてしまい、結局12ミリのものを貼り直しました。もちろんそのために高さを合わせるための仕事が増えたのです。

無垢の木材ならなおさら同じものはないのですが、同一色と銘打った建材メーカーの商品でもかなり違いがあります。さらにここへきて大建工業やパナソニック電工が、色あいを変更するので、それにつれて窓枠材や巾木などの在庫品が不用品になってしまいます。

以前、練馬の松村さんが下小屋に眠っている不用品を公開し、それを必要な方々に提供しようとした試みがありましたが、それに近いことを仲間内で行って行きましょう。わが社でもスタイロホームが必要になった時には、(有)石又材木店さんへ取りに行きました。朝日ウッドテックのフロアーを(株)坂本材木店様から分けていただいたこともあります。急ぎであったり、近くの問屋さんに在庫が無い時には、近くの仲間が頼りです。そんな中野を中心とした仲間の忘年会が12月16日中野の宝仙寺近くの「加賀屋」で開かれました。焼きガニや牡蠣に比内地鶏でだしを取った鍋などおいしい食べ物でした。


2009/12/17(木) 晴れ


[ 売上ゼロの工務店と支払いゼロの業者 ]
売上ゼロの工務店と支払いゼロの業者



「会社の規模を縮小するので、この25日で退職することになりました」とある会社の社員の方が見えました。社員二人を退職させて会社の本体を守ることになったとのことでした。この会社は二年ほど前から仕事が減少し、この社長さんからは「この先どうなるのだろう」という話を聞いていたので、そんなには驚かなかったのですが、これが現実なのだと、改めて感じている所です。

ここへきて支払いの遅れる業者が増えています。仕事が忙しすぎて、支払いがもっと忙しくなり、支払えないものあり、仕事が途絶えてしまったので支払えないものあり、です。さらに売り上げに至らない工務店さんが増えました。

ますます厳しくなる師走です。



2009/12/16(水) 曇り


[ 今年の前半と後半 ]
今年の前半と後半


今年も残り少なくなってきました。年齢とともに時間の過ぎる感覚が早くなっていきます。特にこの一ヶ月は記憶に残らないくらいのスピードで過ぎて行きました。

今年は前半と後半で大きな違いはまず仕事の忙しさでしょう。前半は昨年からの見積もりをした仕事が決まって忙しくさせていただきました。その反面後半では、まるで反対の結果になっています。大変な落ち込みだと思います。8月のお盆の時がヒマでした。10月の下旬から11月の上旬にかけても下小屋の片づけをしていました。12月は何とか忙しく動いていますが、売り上げはかなり落ちています。売れていくものが下地材とベニヤないしボードばかりになりました。売り上げ単価の落ち込みで身体を使った割には、売り上げは多くありません。20日過ぎからは新規に始まる仕事も少なく、来年の1月10日を過ぎないと仕事も出てこないでしょうから、これからの一ヶ月は時間をもらうことになります。

さて、去る12月13日、箱根「パークス吉野」に於いて白川建設(株)の協力業者会である「白栄会」の忘年会が開かれ参加してきました。本来は6月に旅行を行っていたのですが、今年は本社ビル建築で忙しかったこともあり、一泊で忘年会という趣向に変わりました。箱根のお湯にゆっくりつかり、疲れを取って来ました。



あいさつに立つ白川社長。


もうすぐ完成の新しい箱根湯本駅。今年の一月に来た時とは違い、二階建てになっていました。


2009/12/15(火) 曇り


[ 変わる勇気 ]
変わる勇気


静岡県の天竜市を中心とする材木、製材業者の方々が、一般の方向けに「森のアウトレット」を開催しています。「天竜材を世に出す会」の主催ですが、年に二回の開催で今回で19回目になるそうです。12月の12月12日と、13日には梅林製材所で19回目が開催されます。東京でも、木場公園や新東京木材、東京新宿木材市場、東京木材相互市場、丸宇市場や都内の区民祭でも同様のことが行われています。個人の店舗でも工務店さんと両力して、あるいは町内のお祭りの時などに木工教室を開いている方々があります。地道な努力ですね。

世の中の景気が悪くなってくると、気が付いてくることがあります。それはたとえば、木材の利用の仕方であったりします。木材を用いた建築は、大量生産に向いているのだろうか、とか。木材とそれを利用する人間とが、どのようにしたら共存できるのか、そういうことが気になってしまいます。

ここ二十年間木材は大壁工法のリードのもと、乾燥材が求められるようになりました。天然乾燥で間に合わないものは人工乾燥品として利用してきましたが、人工乾燥では木材がその特性を活かせないことも見えてきました。今はまだクレームとしてはっきりした形になっていないかもしれませんが、天然乾燥品と比べるとその性能は落ちると思います。そうであれば、ただ経済的な理由で材料を納めたり、工期を優先させて行う住まい作りでは長持ちする住まいではなくなります。

また便利なものには落とし穴があります。たとえばべニアです。糊と単板の組み合わせですから糊の寿命とともにその生涯を終えることになります。まして水には弱いので、その点にも十分注意を向けて使いましょう。その点では集成材も同じですね。普段販売しているものですら、欠点をあげればキリがないようです。

あと十数年を経ると、昭和50年くらいから現在まで建てた建物のリフォームが始まります。寿命を迎えてもリフォームの出来ないツーバイフォー住宅や狭小地に建てられた木造三階建てなどはどんな風にテレビで取り上げられるのでしょうか。現在テレビ番組の「ビフォーアフター」などで改築される住まいは、その建物の大半が木造の在来工法で建てられた住まいです。それは悪いところだけ直すには適した作りだからです。簡単にはできているけれど、レベルは今の住宅と比べても過去の方が高いように思います。

レベルの高い住まいを提供して、しかも食べていくこと。ここへ行かないと先が見えません。実際現在の所先は見えてきません。自分たちの業界の外からの影響力で変わっていくのだろうと思います。少し違う業界から自分の業界を見ないと変わる勇気が生まれません。

2009/12/12(土) 晴れ


[ 他山の石 ]
他山の石


かかりつけの医者に数カ月に一度見てもらっていますが、診察するたびに「太りましたか」と聞かれます。私の答えは決まって「痩せました」です。実際少しずつですが、体重は減っています。にもかかわらずそう言われるのは、お腹あたりの肉がたるんできているせいだと思います。胸の筋肉が重力に勝てずにお腹あたりまで下りてきた証拠でしょうか。

バナナダイエットでは痩せなかったけど、ここの所、仕事をコンスタントにしたので体重は落ちました。ただその結果、疲れが溜まります。この疲れは眠っただけでは取れなくなりました。医者の先生ももう70歳になると思いますが、やはり同じように疲れが取れないそうです。先生と私はひと回りくらい違うと思いますが、先生が48歳の時、「48歳の抵抗といっていました。」それはからだの変わり目を意味するようでした。私もその時三十代の終わりでしたが、背中の肩甲骨の所に疲れがたまり、痛くなってよくマッサージしてもらいました。そこに懲りが溜まります。「このコリをとってくれたら、身体が楽になるのになあ」と思いつつ現在まで来ています。現在でも指圧に行って取ってもらいますが、すぐに溜まります。自分でストレッチすることも大事ですが・・・

さて、話は変わって。先日越谷に配達に行きました。平屋の新築をしていますが、屋根材や外部の壁下地材はラーチ合板を用いています。このラーチ合板は針葉樹でできていますが、水に濡れると曲がって固まることがあります。ベニヤですから表面の材料と中の芯材とで収縮したり膨張したりする力が違うので起こるのでしょうが、曲がって波を打って固まってしまうことがあります。お隣のベニヤがこの状態です。大工さんは「替えてもらう」といっていますが、さてどうなるでしょうか。越谷の大工さんは仕事に明るく、段取りも良いので、ちゃんとシートを用意していました。

私たちの仕事はちょっとしたことの積み重ねが大事です。昨日立ち話をしたお琴や三味線の会社の社長さんは二十年ほど前に、白川建設(株)様に住まいを建てていただいた、と話をしていましたが、いまだに台風や大風の後に、「(住まいは)大丈夫ですか」と電話が来るそうです。たかが一本の電話ですが、「大したものだね」と話してくれました。そういうものの積み重ねが大事なのだと思います。

お隣も十年保証はしているでしょうし、あるいは十年しか保証しないかもしれません。9年目あたりに総点検していただくのがよいと思います。



2009/12/11(金) 雨


[ 来年は ]
来年は


今年は、クラス会、同期会、同窓会などが数多く開かれましたが、参加したのは半分くらいでした。大学時代の方をのぞくと、大半の仲間が来年は還暦を迎える年になります。今年以上に会合が開かれると思います。
小学校のクラス会では来年の新年会や5月6月ごろの会合の話が持ち上がっています。多くの方を集めたいですね。この機を逃すと、ぼちぼち退職し始めるので、集まりにくくなると思うので・・・

また、来年は赤木圭一郎も没後50年になります。こちらも記念のイベントが開かれますので忙しくなりそうです。来年は一つの山ですね。

さて、仕事は今月いっぱいに終わるものがほとんどなので、追い込みで忙しくしています。人を使っていたときには、仕事を作ることが大変でしたが、一人になると自分で何でも動かないとならないので、それも大変です。大工さんはほとんど現場にかかりっきりになるので、配達することが増えました。最近は中野区内の仕事が少なくて配達に時間がかかります。私の稼ぎも「単純肉体労働者のそれ」になりましたので身体が資本です。

年末が近づいてきてせわしなくなっています。あと一週間くらいでしょうが・・・


2009/12/09(水) 曇り


[ 適当に ]
適当に


今ある見積もりをしています。

二十年ほど前にある有名な設計事務所が建てた建物を住む人の数が減ったので「減築」しようという見積です。図面をいただいて、そこから拾うだけですが、図面を見るだけでも豪邸です。「こんな立派な住まいを作った記憶は自分にはない」と思うのですが、住む人がいなくなったのでは、部屋数を少なくして住み心地の良いものにした方が、実際住む人は気が楽です。

住まいを建てるときには、子供にひと部屋ずつ与えて、二世帯住宅も考慮して、などと考えを巡らせて建てますが、子供は独立し、その家に住まなくなります。子供たちで賑わった時には住まいは狭いものでしたが、人の気配が無くなった部屋は物置と化します。二十年もたつと建てた時との状況の違いがはっきりしてしまいます。その時に一番ふさわしいものを作ったつもりでも、時間の経過とともに必要性のないものへと変化してしまうのが実情です。

どんどん変わっていきますね。
最近はプレカットの仕事でも、ひとつ間違えていると安心するようになりました。「その他には間違いはないだろう」という気になっています。自分自身でも完璧なものを目指さなくなりました。人間のすることだから、間違いも多々あるということを認めていかないと前に進めないように思っています。間違わなかったからよいのではなく、間違ったという重みをどうその後に活かしたかで次が出てきます。

最近のテニスでも少しずつ力が抜けてきました。小川さんとぜひ対戦したいです。

書き出しと、ここでは話が違ってしまいました。違ったついでにもっと話をそらしましょう。言葉は悪いですが、いい加減で丁度よい世界を目指したいと思います。
先日亡くなった森繁久弥の社長さんシリーズという映画のひとつの場面で、森繁の社長から、指令を受けた加藤大介ふんする部長さんは、社長秘書である小林圭樹さんに「適当にしておけ」と命令します。それを聞いた森繁社長は「適当にておけとは何だ」と怒りますが、加藤大介は「適宜に当を得た対応をするように命令した」と平然と言いのけます。

これ、結構気にいっています。50年前のギャグですが・・・



2009/12/04(金) 曇り


[ 今日は雨。 ]
今日は雨。


今日は雨です。11月から12月にかけてよく降っています。お隣の建物も28ミリのラーチ合板にも水たまりが出来るようになりました。建てたときには、通りかかりのみなさんやうちに来た工務店さんなども写真を取っていったり、「立派だね」という話をしていたのですが、あれから約一カ月経ちますが、仕事は進んでいません。床板は濡れっぱなしで、「ここまで何もしない現場も珍しいよな」とあきれ返っています。SE工法です。

さて、こちらもそんなことを言っていられる状況ではありません。雨の中での搬入が待っています。ここを無事に乗り切らないと明日の建て方がうまくいきません。雨の中の仕事は嫌なものです。

さて昨日は、マンションリフォームで木場の方まで行ってきました。下地材の搬入です。414世帯あるある大きなマンションでした。材木はエレベーターに収まるようにカットしてエレベーターに乗せて運びました。現場で一緒になった内装業者の方は、ウッドワンの枠材を運んでいました。巾木や回り縁はどうするのかと思っていたら、階段で運んで行きました。「どこから来たの」と聞いたら、「横須賀」との答え。二十代と思われる方二人で長いものは7階まで階段を上って行きました。

若いですね・・・

自分も30代の初めごろまで、5階や10階まで運んだ記憶があります。が、もうできません。材料を持ちながら階段を上がるだけの体力は無くなっています。

仕事が出来るのも若いうちだけですね。最近は過去を振り返る年になったようです。


2009/12/03(木) 雨


[ 58歳はどんな年か ]
58歳はどんな年か


58歳になって半年以上が経ちました。保険年齢では、59歳です。この58歳という年はどんな年なのでしょうか。
まず身体的な衰えです。足腰が弱って来ました。腕の力も衰えました。重たいものをもつときに腰に注意するようになりました。
噛む力が衰えました。この前も鮑を噛み切ろうとして切れずに、鮑でも柔らかなところを噛み切って後は飲み込みました。歯は父親が食べている最中に「ポキ」という音がして、「また折れた」と言って歯を出していたのを思い出しています。

これから寒くなると夜中にトイレに起きる割合が増えるのでしょうね。いま現在、朝トイレに行って歯を磨いていると、また行きたくなります。「さっき行ったばかりじゃなかった」と父や義母を叱っていたら、自分もそうなりました。因果応報です。

夢の中で、甥の修也君をおんぶしていたら、重たくなって歩けなくなってしまいました。「修也も重くなったなー」と思い、いくつだっけと考え直したら、22歳。当然重いです。それでも夢の中の修也は5歳くらいです。

夏祭りは修也と行くのが一番面白いです。修也といけなくなってからつまらなくなりました。

年を取ると心配事が増えます。
自分のことだけでも、跳ね返す力が失われつつあるのに、心配しなければならないことがいくつもあるのです。「年寄りに心配かけたらいけん」、といわれていたのを思い出します。

アンパンを食べなくなりました。あんパンは一つを二人で分け合うくらいが丁度よいのです。ロールケーキなどもそうですし、コロッケも一人一つで十分です。

身体が変わり目になっています。一段とレベルが低下しているのがわかります。
自分で進んでいく、力が無くなっています。あと残された時間は限られているのに、何をしようかという気分になれなくなってきています。これで丁度いろいろなものをあきらめることが出来るのだと思います。

生きると死ぬの絶妙なバランスの上で、これから生きていくのだと思います。悔いのないように。また一つ目的を果たしたら、次へ向かうように気力を充実させないと無為の人生に終わってしまいそうです。

そう言いながら朝になると元気に一日送ろうという気になるから不思議です。これは守るべき人がいる強さです。



2009/12/02(水) 晴れ


[ 経験することで ]
経験することで


一昨日は、亀田・内藤戦を見ていましたが、結果は予想通りでした。亀田は内藤を倒すことはできないだろうけど、内藤のボクシングは打たれてしまうものなので、ダメージが大きいのではないかと思っていたからです。

その前の前の番組では、レスキュー隊のことを流していました。一人の隊長が6人の見習いを指導しながら一人前にしていく過程をテレビは映し出していました。一週間とか二週間とかいう期間があったと思います。その中で感心したのは、ある程度できるようになると、隊員がほかの隊員を指導させていくそうです。隊長になるわけです。こうすることで、責任を持たせることで、各自に意識を持たせます。少し高い所からの視野を持つことになります。あるいは自分に足りない所を補足しようと自ら努力していくようになるそうです。一度や二度でうまくいくわけではありませんが、この経験が人を育てます。

あまり年を取らないうちに、いろいろと経験しておくと人間が豊かになると思いました。


2009/12/01(火) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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