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時々更新mn日記

( 2009/11 ← 2009/10 → 2009/09 )


[ 絶対数 ]
絶対数


少し前の話ですが、米栂の45×105を30丁くらい使うというので仕入れておきました。それは3メートルだったのですが、4メーターにしてくれと言われ、最終的に納めることになったのは、3メートルで防腐加工したものでした。所が、実際に元請けさんからの要望は「イペ」のようなウッドデッキ材を使って、作ってほしいということだったようで、そのあたりのちぐはぐさは、どうなっているのかわかりませんが、こちらとしては、そのまま納めて終了しました。

元請けがいて、下請けがいて、孫請けがいて、その下あたりにわが社と直接取引をする会社があるので、何を要求されているのか、つかむのが先決になりました。

もちろん街の中の大工さんや工務店さんは元請けさんが多くいます。ただし、ここ一年くらいでコンスタントに仕事を取ってくる工務店さんの数は減っています。さらにまとまった木造の新築であったり、鉄骨の内部造作であったりするものも減りました。コンスタントに仕事をいただいていた所もその数が減り続けています。また高齢化も進んでいます。

昨日来た大工さんも自分で栂材で敷居と鴨居を作っていきましたが、こういうことの出来る人も減り続けています。図面を書いてきて「加工まで頼む」スタイルが定着しています。新東京木材のセンターや問屋である「細田木材工業」や「新里木材」などで加工は頼めるので助かっています。それでもだんだんと「加工されたもの」を買うようになっています。

さて、この一カ月はその木材の売れ行きが不振で、これは経験したことのない様です。10月の売り上げはとりあえず基準線を越えましたが、建材と木材の比率は、建材が8割、木材が2割、それも大半が下地材です。ベニヤと下地材で売り上げをコンスタントにこなすのは至難の業です。



2009/10/29(木) 晴れ


[ 苦々しくもをかしかりけり ]
苦々しくもをかしかりけり


にがにがしくもをかしかりけり

我が親の死ぬる時にも屁をこきて

山崎宗鑑がまとめたという「新撰犬つくば集」の中のある、俳諧連歌のひとつですが、高校生の時に古典の先生から聞いたのがいまだに頭に残っていて、何かにつけて思い出しています。
また伊東四朗さんは、どの上の句につけても合う下の句として「それにつけても金のほしさよ」をあげます。

生きていると実際そうです。

この所、半端に時間があるので、何をするにつけても、気持ちが乗りません。時間に追われていると仕事はスイスイ進みます。「急ぎの仕事は忙しいやつに頼め」とはよく言ったものです。
そこでとにかく予定を作って仕事をこなすようにすると集中感が戻って来ます。今行っているのは、身辺整理や不用品の片づけなどです。また身体の調子が今一歩すぐれない時でも、テニス教室へ行って体を動かし汗をかいてみると、調子の悪かったことをだんだんと忘れてボールに集中するようになります。汗をかくのも大事ですね。

さて、親が亡くなって14年、3年と経ちました。最近自分より10歳以上若い人たちの親が介護状態になってきました。「そういう年になったのだね」と、多少経験してきたものとしては思います。大変だけどまだ介護する方が若いから、大丈夫かな、などとも感じています。一人の大人を介護するには、三人以上の大人が必要です。出来るだけ他人の力を借りて介護していかないと、する方が先に疲れ果てます。その結果は悲惨です。自宅で十年面倒を見てきたという方は、尊敬できます。でも自分にはできません。介護は先の見通しがないので、いつまでも続くものだと思えば、早めに他人の力を借りることです。それでも2年3年と過ぎていくと、見えない疲労がたまっていて、理屈ではなくて体が拒否します。

私がそういう状態になった時には、出来るだけ若い看護婦さんのいる所に入れてくださいと、今から頼んでいます。一つ二つくらい若いのでは、困りますが・・・

今テニス教室に二か所通っていますが、一つの所では、中学生の女子の方が二人いて、その子とペアを組んだりすると普段取れない所まで走って行くから不思議です。愛ちゃんと十年後にテニスができたらいいなと、思っています。愛ちゃんも会うたびに大きくなり、良くおしゃべりをします。一週間くらい前にあった時には、その前日公園でボールを片足で蹴った時に「すってんころりん」と後頭部から落ちて、痛かった模様を再現してくれました。

さて、親の世代や叔父さんの世代が前線から撤退し、自分が第一線にいるようになりました。親たちの世代が自分たちにしてくれたように、次の世代にしたいと考えていますが、何もできないままです。則ちゃんや愛ちゃんのためにも気合を入れなおして頑張ってみたいと思います。

「まだ努力が足りないのかね」
これは母親の最晩年の言葉です。今月の20日で、亡くなってからまる14年が経ちました。「それにつけても親の偉さよ」父親だけでなく母親に関しても少し書かないといけませんね。



2009/10/28(水) 晴れ


[ ]


10月も終わりの方に近づいてまいりました。24日の夕方から降り始めた雨は、昨日は途中やみましたが、26日月曜日は、どうやら一日中雨のようです。朝晩もだいぶ冷え込むようになりました。羽毛布団の上に毛布をかけて寝ていても寒いくらいになりました。あっという間に過ごしやすい季節は去っていきます。寸暇を惜しんで遊ばないと良い季節がなくなってしまいます。

さて、8月末締めの会社の決算も終わりました。若干のプラスでした。予想よりもかなり下の方でした。6月くらいからの落ち込みがずっと響いています。それでも、9月もプラスになっていると計理士さんは言います。実感ないですけど・・・

また新しい期になって、ひと踏ん張りしなくてはなりません。

9月の五連休前はひどかったのですが、9月末より仕事が出始めています。我が社のレベルでの話ですが。ここ一カ月には、特徴的なことがあります。それは「木材が全く売れない」ことです。これだけ売れなかったのは記憶にありません。その代わり、この一カ月で売ったものは、ベニヤです。フロアーやボード類もありました。そのあたりでまとまった仕事があったので、売り上げとしては何とか基準線を越えたようです。でも木材は全く売れません。下小屋の材木置場もかつて材木があった所にべニアが置かれるようになりました。

2009/10/26(月) 雨


[ 自転車に乗って ]
自転車に乗って



気候が良くなってきたので、自転車に乗って動いています。普段軽自動車で配っていた請求書なども自転車で配っています。一方通行などは自転車では逆走(?)しています。普段と違う景色を楽しんだり、あまり通らなかった道を走っています。すると、いままで気のつかなかったことが見えてきます。

住宅街の中にぽつんとお店が出来ていたりします。それはランチを食べさせる所であったり、パン屋さんであったりします。「今度入ってみよう」という気になります。

中野新橋や川島商店街あたりは、まだ商店街の中に食べ物屋さんやパン屋さんなどがありますが、自転車で通ると、少し外れた所に新しくできていたりします。その多くはおいしい所で、少しバターを効かせてあったり、素材を工夫したものであったりします。そのパン屋さんの一つ、佼成病院の真向かいにあるパン屋さんは「クロワッサン」が有名です。今日杉板を買いに来たお客さんにはそこで買っている所を見られたようで、「奥さんが中で買っていて、旦那さんは外で待っている」と言われてしまいました。人に見られているという記憶は全くないので、ちょっとびっくり。

さて、中野新橋商店街にも撤退する店も多くありますが、その後にできるお店もあります。そのひとつが「あしながおじさん」の後にできた「パティストリー アスカ」です。パンとケーキのお店でした。ケーキは小さめで少し高いかな。見た目の美しさとか味はいいと思いますが、この街に合うかどうか。この街にもかつては、いくつものケーキ屋さんがあって、「白十字」とか「モンスニ」などはよく食べましたが、かなり昔の話。今では、南台商店街の「オザワ」が一番ですね。アシスト自転車なので今度行ってみましょう。


2009/10/23(金) 晴れ


[ 「木材と住宅のトラブル回避」 ]
「木材と住宅のトラブル回避」


著 秋野卓生
発行 社団法人全国木材組合連合会
定価 (本体952円+税)


弁護士の先生が書かれた「木材業者・工務店が最低限知っておきたい法律知識」です。「木は割れたら瑕疵なのか」この古くて新しい問題をはじめ、住宅作りにはトラブルがつきものになっています。木材という自然物を素材として作られる住宅には味があり、また住み心地も良いものです。実際木でできた寺社やお城の内部などを見ても柱は同じ大きさではありませんし、割れてもいます。曲がってもいますが、みんなそれなりも役割を果たしています。それを十派一絡げにして、「瑕疵だ」と言い始めたらきりがないと思います。
とはいうものの一生に一度建てるか建てないかの住まいがそういう状況であれば、クレームは付けたくなります。それがクレームになるのか、あるいはそこまでの責任のないものなのか、高等裁判所の判決を元に検討を重ねたものが本書の土台となっています。

最近の仕事は、人間関係の出来ていないものが多く、クレーマーらしき方もいます。「常識の範囲内」で話をする下地として、あるいは表題通りトラブルを回避するための知識として本書が活用されればよいと思います。

今なら、先着50名様に進呈と、新東京木材商業協同組合が発行する機関誌「WOODS」に書いてあったので、いただいてみました。手元に置かれてぱらぱらとめくっていると参考になると思います。





2009/10/22(木) 晴れ


[ 売れ筋中心の仲介業 ]
売れ筋中心の仲介業


我が業界の中でも比較的うまく立ち回っていると思う方がおられます。その方は建材の問屋業が本業で、建材問屋から独立して数年が経ちます。当初は、従来からのお客さんが中心でしたが、「現場配達」「直送値の安さ」「ご近所割引」などが利いて少しずつ商売を大きくされてきました。その甲斐あって最近では、近所の工務店さんや材木店さんなどへの影響力を持っています。頼まれたものを納めるというスタイルで、当初はベニヤ類が主なものでしたが、パーチクルボード、スタイロホームに加えて頼まれた木材を置くようになっています。
木材といっても現在売れていくものは、30*40、36*45の3メーターと4メーター位で事が足ります。それ以外のものは材木屋に任せて、自分の範囲を決め、扱えるものは扱っていくというスタイルです。
現在あるまとまった仕事は、マンションリフォームであり、フリーフロアーの脚、パーティクルボード、12ミリラワン構造用合板、フロアー、耐火ボードなどは現場へ直接納入することを頼めます。足りなくなったものや木材などを工務店さんなり、材木屋さんが運びますが、その量は知れたものです。売り上げの多くは直送になります。
こういうスタイルはその仕事の中味を限定した場合、すぐれたものになります。

こういう売れ筋だけの仲介業という手もあります。
需要にこたえている点では、私とそんなに違わない所にいます。とはいうものの、違和感はあります。



2009/10/21(水) 晴れ


[ 目で見る「い木い木まつり」 ]
目で見る「い木い木まつり」


「材木屋のい木い木まつり」が、さる10月17日(土曜日)に新東京木材池袋市場におきまして、開催されました。今回の入場者は昨年よりも二割ほど少なかったのですが、そこそこの賑わいを見せていました。十四日会が担当した「木工教室」では、キットから作るだけでなく、完成品を売ることもしたので、二か所に分かれての担当でしたが、完成品は完売。キットもかなり捌いてお持ち帰りの数も減り、大成功だっと思います。私は受付に座っていただけでしたが、みなさんよく動かれていました。会長さんの初め、会員各位並びにお手伝いをいただいた会員各位に感謝です。



入り口です。


すぐ左手に十四日会の完成品を売るコーナーがありました。


奥では「木工教室」を担当してます。


例年通りの「餅まき」もありました。


紙芝居もあります。




上の写真のものがオークションにかけられました。


無事解団式です。



今回の私のお気に入りは「多摩産材で遊ぼう」のコーナーでした。



2009/10/20(火) 晴れ


[ 木工事は少なく ]
木工事は少なく



ある工務店の社長さんとお話をしていて、「ここ一年、お仕事が順調で良かったですね」と言いましたら、「仕事はあったけれど、資材の値上がりと重なってしまったので利益が少ない」と話されていました。
「それよりも、これからが少ないので心配している」と話されました。

また、ある大工さんと話していると、まず「建材メーカーの品物は特注品が増えて、やたら納期がかかりすぎて困っている」とか、「それまでつないでいく仕事が少ないので、現場に取り掛かってしまうと、終了までの時間がかかりすぎて、手間で赤字を出してしまう」などと話されています。

仕事の絶対量が少なくなっています。その中でも大工さんの仕事が減っています。以前であれば、木材を刻んだりしていましたが、プレカットの普及で、そういう仕事はなくなりました。また、造作材の加工に材木屋の下小屋で材木を削ったものですが、そういう仕事もなくなりました。大工仕事の基本線の取付屋になってしまったので、大工さんが仕事を取るよりも、水道屋さんやガス屋さんが仕事を平均して取るようになりました。

ある水道屋さんの仕事は、マンションリフォームが主体。その中でもユニットバスとキッチン、トイレのリフォームですが、「必要な時に必要な日数だけ」大工さんを頼みます。間仕切りをしたり、枠をつけたり、水道屋さんの職人さんではできない所だけ大工さんが来ます。常用で抱えている工務店と比べると、人件費は少なくて済みます。

工務店さんでも、今までいた大工さんを離し、仕事のあるときだけ頼む、という形態が増えています。仕事が決まると、材料を手配し、材料の入荷に合わせて仕事を進めていく所です。もう少し要領がよいと、「いつから仕事を始めます。それまでに材料の用意をしてください」を話してくれます。ありがたい所です。

それでも実際仕事をする大工さんの都合で、「あと一週間伸びた」などと言われることもあります。そうなると受注されたもので、下小屋が賑わってしまいます。「すぐに出るものの上に後回しの材料を置かないように気を配っています。」たまに在庫の予定で買ったものをどかさないと次に使うものが入荷してきてしまうので、また下小屋の片づけを始めています。木材の在庫がかなり減りました。

それがここ一週間です。

2009/10/19(月) 晴れ時々曇り


[ 発注者が素人になりました。 ]
発注者が素人になりました。

昨日の夜の雨の降り方は「どしゃぶり」でした。ちょうどテニスコート上にいたのですが、コーチの判断で「雷も鳴っているので、ここらでやめましょう」と決めてから、駐車場に着くまでの間に降り出しました。すぐにどしゃ降りになりました。私たちは車に乗って帰ってしまったのですが、歩きや自転車の方はずぶぬれだったのではないでしょうか。一時的でしたが、強い雨でした。

さて、発注者が素人になりました。

最近、売り上げの多くを占めるようになった方々は、大工・工務店さんではなく、内装業者であったり、従来下職と呼ばれた方々です。そのため、電話がかかってきても商品に対する知識が薄かったりします。相手が何を要求しているのかを知り、今わが社の手持ちで紹介できるものは何かをつかむ必要に迫られます。「9ミリベニヤがほしい」と言われたとすると、それが何に使われるのか、隠れてしまう所に使うのか、見せて使うのかによって推薦するものが違います。見える所であれば、ラワンべニアのTP1ないし、シナベニヤになるのでしょうし、下地に使うのであれば、ラーチ合板ないし、ラワンの構造用合板になります。
「コンパネ、いただけますか」という言い方は多いですね。こちらも種類がありますので、留意して取りかからないと、要求しているものにたどり着けません。ここ一週間は、見積もりや発注に追われていました。運ぶものもベニヤやボード類が多く、木材を売っていないのが特徴的です。

先ほどの電話では、「耐火ボードで、通常よりも硬いやつがほしい」とのこと。もう少し具体的に商品名まで教えていただけないと、「わからない」と答えたのですが、「野丁場では、ほとんどこれ」になったとのこと。硬質耐火ボードや強化石膏ボードですかと聞いてみたのですが、答えは同じでした。「値段は普通のものと変わらない」と言われたので、「それならなおさらわかりません」と答えました。強化石膏ボードでも通常のものより倍はしますから。

最近は疲れる仕事が増えました。

さてさて、17日には、新東京木材池袋市場で「い木い木まつり」が開催されます。中野支部と十四日会は今年も「木工教室」担当とのことです。

こちらは、昨年の模様。





是非、ご来場を


2009/10/15(木) 晴れ


[ ある日の売り上げ単価 ]
ある日の売り上げ単価


最近の売り上げは、少なくもないが多いものではありません。傾向としては値段の張るものが売れにくくなっていると思います。限られた予算の中で、材料費を捻出していくのですから自ずから値段の高いものから安いものへと移行していきます。

少し前までは、システムキッチンやユニットバスなども初めの見積よりも定価の高いものを好む傾向にありましたが、初めから「一番安いもの」でしかも「もう少しまけられないか」という所へ来ています。ですから「これは合わない」と感じた工務店さんは仕事を取ることをやめています。

わが社においても、この所平均して売れていくものは決まり切ったものです。高いフロアーや建具のセットものが売れたりすれば別ですが、平均して安いものにシフトしています。そこで、ある日の二日間の売り上げと売れた数量を出してみて、割ってみました。平均単価が出てくるはずです。束になっているものは一束にすればよいのでしょうが、木材はばら売りもしていますので、30×40や36×45なども一本にして数えてみました。

その結果、一つの日が1010円。耐火ボードを売った日のそれは670円でした。ちなみに床暖房6畳1式分やサイディング30枚、建具が3本などが売れた時の単価は三千円弱になりました。何を一枚何を一本にするのかで、この金額は変化してしまいますが、大まかな傾向はつかめるでしょう。

一つは「木材は安い」のでしょうね。
次に、付加価値の付いたものを売らないと売上には貢献しなくなりました。
三つ目には、工事が絡んで完成まで手をかけられれば、売り上げは伸びます。その分のリスクも当然増えますが・・・・

けさ、支払いに来たお客さんはこう言っていました。
「仕事を紹介していただいた方へのお礼がばかにならない」「ここを差し引いて実行予算を出すので、結局一番安ものしか納められない」
このあたりもつらい所です。


2009/10/13(火) 晴れ


[ 中野まつりへ ]
中野まつりへ


10日からの三連休は、どこへも行かずに、家にいるつもりでした。が、天気も良いようだし、少しは外へでないと健康に良くないということで、出かけました。

10日は映画に、11日は「中野まつり」へ。12日は自転車に乗って大宮公園まで行き、武蔵野園で釣り。その前には「松の木小学校」の校庭で、二人でテニスをしてきました。この校庭では、鉄棒や「うんてい」などもあり、自分も試してみましたが、できませんでした。いかに自重が重くなっているかがわかりました。

さて、中野まつりは盛況でした。天気も良く、サンプラザ前の公園では、地域から出展されたで店が賑わっていました。隣の駐車場でも近隣の県からの特産品で人がたくさん出ていました。税務署前では、昔ながらの「ポン菓子」の実演も行われており、子供たちの反応も良かったです。

のんびりしたので、仕事に復帰するのが嫌になりそうです。






私が子供のころには、この機械を持ったおじさんが街に来て
実演して販売してくれたものです。


2009/10/12(月) 晴れ


[ 「い木い木まつり」 ]
「い木い木まつり」


二年ぶりの本土直撃の台風が東京の街から去りました。まだ、東北地方などで猛威をふるっているようですが、全国的にみると大変ですが、東京での被害は思ったよりのなかったのでは、と思っています。雨よりも風が強かったですね。
台風が来るというので、一昨日の夕方と昨日の午前中に仕事が集中しましたが、今日はひとり来ただけという状態です。

さて、来る10月17日、土曜日午前十時より午後3時まで新東京木材池袋市場におきまして「材木屋のい木い木まつり」が開催されます。あと、一週間になりました。
奮ってご参加ください。
天気が良いといいですね。



2009/10/09(金) 晴れ


[ 安倍文殊院から飛鳥へ ]
文殊院から飛鳥資料館へ


安倍の文殊院へつきました。



おひとり700円で本堂内陣の特別拝観を行っておりました。
私も中に入って、近くで拝見してきました。



境内で開かれていた「コスモス迷路」です。約30種類のコスモスで迷路を作ってありました。迷路の行きどまりにはスタンプラリー用のスタンプが置いてあり、迷わないとスタンプが完成しないように工夫されていました。お子さんが多かったですね。



安倍の文殊院から歩き始めると、「奈良県銘木協同組合」の文字が・・・
敷地がとにかく広いです。



「いわれ」の地に入ってまずは「山田寺跡」です。



創建当時の模様が復元されていました。
この東側の回廊が1982年に当時のまま発見されました。
現在では、飛鳥資料館の第二展示室に復元されています。




飛鳥資料館へつきました。お出迎えは「亀石」
以前「橘寺」に置かれていたと記憶しています。



飛鳥資料館を出るときに撮った一枚です。



資料館からバスに乗り、橿原神宮へ向かいました。
飛鳥らしい景色ですね。




2009/10/08(木) 雨


[ 巻向から飛鳥へ ]
巻向から山の辺の道へ


巻向の駅を降りると、南側に箸墓が見えます。


その反対側は、こんな感じです。




周辺は古墳群です。


巻向駅から東の山側を登って行きました。
まずは松岡製材所。ヒノキの香りが強いです。
この香りだけでも周辺の環境に貢献している感じです。


コスモスも咲いています。


やっと山の辺の道に入りました。
木陰があって、気持ちの良い空間です。


大和の青垣の看板です。



木漏れ日がハイカーを和ませます。

石畳の所もあります。


大神神社の展望台からは飛鳥の地が一望できます。


桧原神社まで来ました。
このしめ縄の正面に二上山がそびえています。


大神神社(三輪明神)の拝殿です。
大和一之宮だけあって、境内も広いですね。


しめ縄も貫禄があります。
ここで「山の辺の道」から退却しました。




2009/10/07(水) 雨


[ 飛鳥へ ]
飛鳥へ


久しぶりに時間が出来たので、京都に行ったついでに、京都見物ではなく、飛鳥まで足を延ばしたくなりました。10月3日に、島先生のお別れ会に参加し、その後同期の連中と飲んで、夜は京都ガーデンホテルに泊まりました。そのホテルは何回か利用したことのある所で、交通の便の良い所にあります。備え付けの宇治茶のパックを飲んで、何気なしに裏を見ると、「おふく園」の文字。学生時代からの親友が京都山科の下宿にいたときのオーナーさんがここの社長。4回生の時によく泊まりに行っていました。今まで気が付きませんでしたが、これを見ていると、山科の下宿や四宮駅前の「ソレイユ」の美人姉妹などが懐かしく思い出されます。

さて、早く寝たのはいいのですが、朝飯を買ってくるのを忘れて5時前に腹が減って目が覚め、その後朝風呂に入ったりしましたが、6時半過ぎにここを出立することにしました。

一応頭の中での予定は京都から近鉄を使って大和八木を経て桜井へ。JRに乗り換えて巻向まで行く。ここから歩き始めて纒向遺跡(まきむく)遺跡へ。ここを見てから山の辺の道に入って、この道を南下する。桧原神社から三輪明神(大神神社)をへて海柘榴市(つばいち)へ。ここから桜井へ戻り、安倍の文殊院へ。山田寺跡から飛鳥資料館へ。ここでレンタサイクルを借りて飛鳥を見て回り、橿原神宮ないし大和八木まで戻る。ここから名古屋に抜け、味噌カツ弁当を手にしながら新幹線に乗る。と、まあ、こんな感じでした。

京都駅で切符と弁当を買い、近鉄に乗り、大和八木へ。ここで荷物をコインロッカーへ入れて近鉄名古屋線に乗り換えて桜井へ。途中耳梨山がすぐ近くに見えました。桜井からJR線に乗り換えて巻向へ。といっても電車の本数が少ないので結構時間はかかります。9時半前に巻向に着いて、歩き始めました。

巻向へは一度も来たことがないのでどんな感じなのかを確かめるだけでしたが、畑の真ん中にいくつかの古墳群が見えたばかりでした。東田古墳まで足を延ばすだけの余裕もなく、畑の真ん中というか、平地の田んぼを見ただけに終わりました。南に見える箸墓を確認し、巻向駅に戻り、東の山側へ向かって歩き始めました。軽い登りの道です。三輪そうめんの製麺所や製材所がありました。このあたりはヒノキを製材している所が多く、その香りは豊かなものでした。まだ稲の刈られていない田んぼを見ながら、あるいはコスモスが揺れるのを眺めながら、歩いています。柿が実っています。まだ山の辺の道へは到達しません。民家の軒先では朝どり野菜や柿を売っている所があります。山の辺の道を歩く人が多いのだと思います。やがて左に行けば景行天皇陵という標識に出会い、山の辺の道に入ったことを確認しました。ここまでは舗装された道でしたが、ここからは、木漏れ日の漏れる土の所だったり、石畳であったりします。

以前、といっても40年ほど前ですが、ここを訪れた時は、天理市の石上神宮から南下して、竹之内環濠集落、崇神天皇陵や、景行天皇陵などを見ながら、桜井に行った記憶があります。ただし、今回目指す三輪神宮や海柘榴市跡などは全く記憶に残っていません。桜井まで来て、談山神社まで行ってから橘寺へ行く組と桜井から電車に乗って岡寺経由で橘寺まで行く組に分かれて楽な方と取った記憶があります。

ですから、今回歩いた所も、恐らく通ったことはあるのだろうけれど、初めての感覚です。山の辺の道に入ってすぐに台杉の林に出ました。今日は天気が素晴らしく、またここまで日のあたる所を歩いてきたので、汗をびっしょりかいてしまったのですが、この道に入ると、気持ちの良いものに変わります。ハイカーにも数多くすれ違います。やがて檜原神社へ。ここからは二上山がきれいに見えます。遥かかなたなので写真に写すとほとんど目立ちませんが、ラクダのこぶのような二つの山があるのでこの名前が付けられたと書いてありました。玄賓庵を経て、三輪神社の境内へ。といっても三輪神社は三輪山全体がご神体なので本殿はありませんが、いくつかの摂社を持っています。その一つの久延彦神社(くえひこ)まで来ました。文殊の神様と書いてあったのでウサギ年の私としては、ご挨拶をしといた方がよろしいと思い、お参りしました。ここから無料の双眼鏡でみる景色も素晴らしいのですが、もうすこし上の方に展望台があると聞いて登ってみました。そこは大和三山を一望できる場所でした。

三輪神社ではいくつもの結婚式に出会いました。本日は大安とのこと。ご朱印をいただき、時計を見ると11時。三輪そうめんでも食べようかと思いましたが、後の予定を考えるとそんなにのんびりしていられません。二の鳥居まで行くと、14分発の桜井行きのバスがあるとのこと。山の辺の道とおさらばして、バスに乗って桜井へ戻ることにしました。桜井駅は近鉄とJRの両方の駅があります。そのくらいの所なので、肌着を売っている所くらいすぐに見つかるだろうと思っていたのですが、スーパーの中にはありませんでした。とりあえずそのスーパーの中にあったマクドナルドで腹ごしらえをして時計を見ると12時。安倍の文殊院行きのバスが5分発だったので、バス乗り場へと向かいました。

三つ目の停留所が文殊院前でした。ここは丹後の智恩寺、奥州亀岡の大聖寺と並んで、三大文殊の数えられる所です。安倍仲麻呂や安倍清明が誕生した地としても知られた所です。特別拝観料をお支払いして、お抹茶をいただき、また本堂にて文殊菩薩様にも対面してきました。住職のお話の中に普段は獅子の上に菩薩様は乗っていますが、本堂修繕のため、獅子の前に鎮座しておりました。光背も左手におろされていました。「そのため、普段よりもよりお近くで拝むことができます」と話されていました。「11月から2月のかけては合格祈願、4月から9月にはぼけ封じの依頼が多い」とのこと。実際ぼけ封じの祈祷も行われていました。私もそちらの方が気になる年齢になりました。

さて、ここでは「花の広場」があり、コスモス迷路なるイベントが行われていました。迷路の中を約30種類のコスモスの花で埋め尽くすといった趣向でした。またスタンプラリーも行われており、5つ集めると数珠がいただけるとの話でした。私は境内の柿の落葉を一枚お土産にいただき、ここを後にしました。が、バスはあと一時間半またないと来ません。そこで、飛鳥資料館へ向けて歩きだすことにしました。途中奈良県の銘木市場やその近くの棚田を見ながら登りの道を歩いていました。3キロほど歩いた所で「←山田寺跡」の看板を目にしたので、そちらに向かいました。

山田寺は教科書にその塔頭が載っていました。昔来た時には、「山田寺跡」という石塔が建っていただけだと記憶していますが、1982年の発掘調査の際、その東回廊が、倒れた状態で地中に埋もれていたのが見つかりました。これは飛鳥資料館の第二展示室に復元されて展示されています。そこには、現存する木造建築の最古のものになると書かれていました。

さて、ここから飛鳥資料館までは500メートルです。時間は二時近くになりました。とりあえず、飛鳥資料館まで行き、また見学して、その後を考えることにしました。駆け足で資料館を見て、レンタサイクルを借りてどこかで乗り捨てよう、と思い、サイクルセンターのおじさんに声をかけたら、「乗り捨てはできまへんのや。4時までにここに戻ってきてもらわにゃあ」「どこまで行きますの」と聞かれ、思わず樫原神宮と答えると、もう少し待っていたら、ここへバスが入って来ますよ。それ乗っていかはったらよろしい」と教えていただいたので、そうすることにしました。歩き疲れてきたのと着替えもしたいので、だんだん里心が付いてきました。

おじさんに「今日いい天気でしたね、自転車たくさん出ましたか」と声をかけると、「暑すぎて、二台しかでまへん。十台はいけると思っとったんけど」今日は暑かったのです。

そうこうしているうちに、バスが来て乗りました。西へまっすぐに行けば橿原神宮です。バスは雷丘で右に曲がり、藤原宮の方へ向かい、「小山」という所でUターンして、先ほどの雷丘を通り過ぎて甘樫丘の横を通り、豊浦宮跡を経て、橿原神宮前まで来ました。まっすぐに行かないで観光地に寄るようにできていました。ここから大和八木へ出て名古屋に向かおうかと思いましたが、着替えもしたいし風呂にも入りたいと思い、京都駅に駅前温泉があったのを思い出し、また近鉄を降りたところに「ユニクロ」があったので、そこで着替えを買えばよいという判断で、京都まで戻って来ました。「ユニクロ」でお着替えセットを1000円ちょうどで買いましたが、風呂に入る元気もなくなり、トイレで着替えて新幹線で帰って来ました。

予定通りにはいきませんでしたが、5時間ほど歩いたし、次のチャンスへの希望も生まれたので満足しています。次は高松塚から、石舞台ですね。



2009/10/06(火) 雨


[ お別れ会 ]
お別れ会


去る7月26日にご逝去された島一郎さんのお別れ会が、10月3日「ホテル日航プリンセス京都」三階ローズの間で開かれました。島一郎さんは私の大学時代の恩師です。1970年から73年にかけてゼミを担当していただきました。5期生になります。当日は、友人、教え子をはじめとして300人余りがこの「お別れ会」に参列し、私もその一人として先生にお別れをしてきました。

島先生は2003年に肺腫瘍のため入院、余命三カ月と言われましたが、苦しい治療にも「もう一度、教え子に会いたい」と頑張られ、奇跡的に回復されました。我々五期生も04年の夏、05年の一月に先生の宇治のご自宅を訪ね、お会いしてきました。さらに、06年12月と07年12月には、学生時代には果たせなかった「ゼミ合宿」を実現させました。先生も体調を回復され、京都、大阪、四国、北陸、九州、東海と各地で先生の作られた「寒梅会」の地方版を開催され、また今年は4年一度の「寒梅会」の年でもあり、それに向けて大変楽しみにされておられましたが、その寒梅会がお別れ会になってしまいました。昨年12月の腰を痛められ、また今年の3月には、再発され、病状が油断ならぬものになってから、「どうしても自宅に帰って、人生の整理をしたい」と自宅治療されていました。

お別れ会のご挨拶も、パソコンの中に打ち込まれていたそうですし、最後のメッセージもなくなられる一週間前のものです。

島先生は、大変人間のお好きな先生で、大変まめな方でもありました。12月の初めになると、年賀状の宛名を800枚ほど印刷され、その一人一人に一言コメントをしてくださる方でした。喪中で越年する方々にも寒中見舞いを書かれ、その中でも一言コメントをいただきました。ずっと続けておられました。この成果が「寒梅会」として続いているのだと思います。








会場の様子



祭壇です。


プロジェクターで島先生の写真や寒梅会の写真が流されていました。この写真は講義中のもののようですが、私たちの時にはほとんど授業がありませんでしたから、この写真には違和感があります。


同志社副学長である西村先生の弔辞です。


奥様からのお礼の言葉です。


参加した五期生です。


お孫さんからの献花と、好きだったお酒。それに加えて五期生からたばこのプレゼントです。授業中もたばこが切れることがなかったですね。またあの頃はマッチですから、先生は使ったマッチを元のマッチ箱に写す癖がありましたね。どのくらいたばこが好きかといえば、5期生で嵐山の「花筏」で会合を持った後、タクシー二台に分乗して京都駅まで戻り際に、「わしは、こっちに乗る」と言ってタクシーに乗りました。一台は禁煙車だったのです。もちろん、車中でもお吸いになっていました。


ラストは、歌でした。
酒とたばこと阪神タイガースのお好きな先生でしたから、「六甲おろし」でもよかったかもしれませんが、この場は「今日の日はさようなら」になりました。


「真理は寒梅に似たり、あえて風雪を侵して開く」
校祖「新島襄」言葉です。同志社大学の今出川校舎で写してきました。経歴を見てもどこまでも同志社のお好きな先生でした。


2009/10/05(月) 曇り


[ 三条京阪から四条河原町へ ]
三条京阪から四条河原町へ




東海道53次の終点、三条大橋から東山を望む。




昔入った喫茶店では、「六曜社」と「フランソア」が残っていました。
「夜の窓」「築地」「築地館」「ミューズ」などなくなってしまいました。



南座の真上に満月。今日は十五夜でした。



ラストに寄ろうとした「静」はお休みでした。


来るたびに変わってしまう京都です。今回は土曜日の夜とあって、カップルが多かったですね。あと目立つのは、中国人の方ですね。「成田ナンバー」の観光バスも幾台か見かけました。

2009/10/04(日) 晴れ


[ 衣替え ]
衣替え



10月に入りました。
先日、衣替えを行いました。半袖のものをしまい、長袖やセーター類に加えて冬物一式を出しました。普段これらは物入れの天袋にしまっております。それでも、足りない時は洗面所の棚にしまったり、クロゼットに吊るしっぱなしのものもあります。昨年くらいから「もう要らない」と判断したものを積極的に処分していますので、少しずつ衣類はなくなっています。
残りの人生に必要のないものは衣類に限らず、処分しています。

さて、お客さんの所に、集金に行ったり、請求書をお配りしたり、あるいは社長さんにお会いしたときにお話をするようにしています。その中で特徴的なことは、「見積もりをして、合わないものは断っている」「仕事は決まってしまったので、行うが、予算がないので、見積をし直してほしい」「うちの出した見積もりを、中身も見ないで、その82%でやるからと言って取られてしまった」「今は辛抱だと思っているので、予算に合わない仕事は取らない」などと、社長さんのご意見は苦渋に満ちたものがあります。

わが社にとっても、仕事をいただけなければ、売り上げはゼロ円ですし、みすみす赤字になることが分かっていて仕事をするのも気がひけます。それでも結局しなければいけない仕事は、するので、そのために削れる所は削り、ランクを落として見積直しをしたりしています。見積直しをしていると、不思議に初めの見積もり時に見落としてしまったものが見つかります。「しまった」と思いますが、これはよそから入れてもらおうと、鷹揚に考えるようにしています。

この傾向はまだまだ続きそうです。

さて、お隣さんの立て替えの工事が、はじまりました。先日境界線を確定しました。集成材を用いた木造の三階建ての予定だとのことです。練馬の業者の方が元請けだそうです。地質調査をした結果、地盤改良が必要になりそうだ、と話されていました。地盤を改良するとそれだけ余計にお金がかかるので、建て主さんは、大変だとこぼしていました。住まいを建てるのは、一生に一度あるかないかですので、しっかり建てたいでしょうが、その支払金額が増えていくのでつらいところです。

でも多分行うでしょう。わが社の土地の方もお隣さんが建てる前に壁を直さないとみっともないくらい、汚くなっています。わが社の通りも古い住まいがなくなって、新しいものに入れ変わっています。私の所も「衣替え」が必要な時期になりました。



2009/10/03(土) 曇り


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[ 管理者:大野満生 ]


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