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時々更新mn日記

( 2009/10 ← 2009/09 → 2009/08 )


[ 9月の売り上げは ]
9月の売り上げは


政権交代があってから、一カ月が経ちました。

9月のわが社の売り上げは良いものではありません。まず仕事が細かいことです。続いて大工・工務店が振るわなくなっていることです。この二つが特徴的でした。ガス屋、水道屋、電気屋、鳶、などが持ってくる仕事が多くて、大工・工務店の仕事が少なくなっています。買い上げゼロ円の工務店さんが増えています。

ここの所、目につく仕事は季節柄「床暖房」工事が多いです。ガス屋さんがらみの仕事はほとんどこれです。もっともわが社は下地だけですが・・・
工務店さんの仕事もやはり床暖房が絡んだものが、多いですね。
水道屋さんのものはユニットバスがらみです。
鳶さんのものは住まいを半分解体して、壊した所を直す仕事で、外部のサイディングを買っていただいております。
仕事をしている所はそれなりに、得意分野を売っています。

さて、材木屋は、建材ばかりが売れてもどこか嬉しくありません。木材を使っていただけると初めて喜びがわきます。その分野が狭まっているのが残念なのですが・・・

5年に一度、十年に一度というお客さんが現金で買いに来て、「まだ頑張っているね」などと声をかけていただくと、もうひと踏ん張りしないといけないかな、などと思ってしまいます。大工さんが高齢化して、材木屋さんも同様で、安心して仕事を続けていく地盤が崩れています。ここ数十年のツケがすぐにでも回って来そうな感じです。最近の大工さんは大工さん直(じか)の仕事が取れないので、ガス屋や水道屋の下職化しています。

いままでのやり方が通用しなくなっています。

「木材は高いか」という議論がありましたが、高価なシステムキッチンやユニットバスの出現でそんな議論はなくなりました。
「下小屋料をとれるか」などという話も、加工材を納めるようになってなくなりました。建材メーカーの出来合いのものが標準になってしまいました。
どんどん変わっていきます。

変わることを恐れてもいけないし、変わっていけばいくほど、変わってほしくないものが見えてくると思います。見直されてくるものがあります。一部の愛好家にしか育てていただけないと思いますが、木材そのものの魅力に訴えるしかないのだと思います。床暖房の住まいも良いですが、杉や、桐やあるいは桧の本物の木を床に貼った住まいでは、あえて床暖房にする必要性が薄いと思います。本物の木には、そういう力があると、住んでみてそう思っています。


さて、今度の山形行きでは、米沢の街は直江兼続ブームで潤っていました。上杉神社では、私も直江になってみました。今の世に兼続が生きていたら、兼続ならどんな知恵を出すのでしょうか。





2009/09/30(水) 雨


[ 寒河江のサービスエリアは ]
寒河江のサービスエリアは


山形へは9年ほど前に、蔵王に行った帰りに通り道として通ったことはありますが、それ以外個人で来たことはありません。昨日の飯坂温泉から、今日の目的地は米沢の北にある赤湯温泉ですが、その途中に寄り道をしたいと思っています。

車は福島飯坂から東北道に乗り、村田から山形道へと入ります。やがて山形のジャンクションを経て西へと進みます。途中の休憩にと、寒河江のサービスエリアで止まりました。ここは山形県唯一のサービスエリアだとのことです。ここにはさくらんぼのソフトクリームをはじめとして季節の果物が並んでいます。ジュースやジャムもありました。山形県は果物の豊富な所で、今の季節だとブドウやナシにラフランスなど、お土産用に販売されていました。やはり買ってしまいますね。パン屋さんもありました。安達太良高原のSAにあったのと同じパン屋さんでした。高速道路の休日1000円でSAは潤っていました。





さて、ここを後にすると、月山へと車を進めました。彼女は夏スキーできたとこがありますが、私は初めてです。姥沢口の駐車場を目指します。ここから15分ほど歩くと、リフト乗り場へたどり着きます。ここで名物の「イモ煮込みうどん」を昼飯にいただき、リフトに乗って姥ガ岳の登山口へ。ここまで来て振り返ると、下には月山湖、遥かかなたには山並みが続きます。そして反対側は姥ガ岳。さらに右前方には月山が緩やかなカーブを描いて横たわっています。お月さんを半分にしたようななだらかな山です。

昨日の寝不足がたたり、歩く元気すら失われていましたが、リフトに乗り、山の空気をお腹いっぱい吸い込むと気分がさわやかになり、「少し歩こうか」という気になりました。体が疲れていてもその時こそ体を動かせば気持ちがリラックスできる、スポーツの効用ですね。

歩くつもりはなかったので、普通の靴しか用意していませんでしたが、せっかくここまで来たので、もう少し高い所まで上がることにしました。リフトを降りたところから、一段と高い所まで来ると、景色は違って見えます。さらにもうひと上がりするとさらに違う景色に出会います。努力と前進。経験しなくてはわからないことがたくさんあります。山の端ではコウヨウが始まっていました。


姥沢口の駐車場から見た月山。紅葉が始まっています。


左に見える影がリフトです。ここで降りると、姥ガ岳が目の前です。黄色がきれいでした。


登山の方も数多くいました。


一段高い所から見た景色です。月山湖が写っているのですが、わかりませんね。


「姥ガ岳の頂上まで登れば鳥海山が見えるよ」の誘惑もありましたが、まだ一時間ほど歩かなくてはならないし、そういう装備もしていなかったので、ここは引き返すことにしました。月山ICから高速に乗り、赤湯温泉を目指します。山形ICで降りて一般道を行く予定です。休憩とガソリン補給を兼ねて、寒河江のサービスエリアで一休みすることにしました。車を置いて、トイレ休憩し、売店へと入りました。するとどこかで見た様な光景で、「上りも下りも同じように作ってあるんだ」と思ったら、則ちゃんが「人も一緒だよ」と。そうでした。ここはサービスエリアは一つで、真ん中にあるガソリンスタンドで車は仕切られており、人は自由に行き帰りが出来ます。場所が集約されていてうまく作られていると感じました。

ガソリンも補給してここを後にし、、赤湯温泉に着くころには、日が暮れかかっていました。


2009/09/28(月) 晴れ時々曇り


[ 首がつながる ]
首がつながる


連休を利用して、飯坂温泉へ一泊、その後山形県へ入り、まだ見ぬ国へと行ってきました。その飯坂での事。
予定よりも早く着いてしまったので、旅館の女将に「どこか、見学場所はありますか」と尋ねたところ、まず摺上川ダムを教えていただき、そこまで行ってきました。飯坂温泉から車で30分くらいの所です。このダムは今から三年ほど前に出来上がり、このダムができるまでには36年の年月がかかったとのことです。このダムにより、豪雨時も下流の水位を32センチ下げる効果がある、とダムの管理事務所に書いてありました。


さて、ダム見学をしてその近くの日帰り温泉「もにわの湯」に入ってきても、まだ時間が早かったのですが、ここはゆっくりすることにして、旅館に戻り、マッサージを頼みました。食事前に二人で、男の方を頼みました。目の不自由な方がいらっしゃって、則ちゃんは色々と話をしながら、マッサージを受けます。私は寝てしまう方なので、話をすることは少ないのですが、則ちゃんが話しているのを聞きながら、三人で会話をしていました。

その方は50歳くらいでしょうか。住み込みで働いているとのことでした。ここ飯坂温泉も今年はインフルエンザの影響もあり、団体客が少なくなり、この連休も家族連れが増えているので、マッサージを頼む方でも夜の十時くらいまでしか稼げないとのことでした。「食事前に二人出来て、首がつながる」と話していました。この按摩さんは腕は確かでした。「家に何もしないでいると、気が晴れないので、盲人の卓球をしている」とか、一年くらい前から、ここ飯坂から仙台まで一週間に一度「パソコンを習いに行っている」と話してくれました。えらいものだと思いました。

マッサージが終ると、私が支払ったお金を指で確かめ、そのうち一枚を小さく畳んで、別の場所にしまっていました。おそらく旅館へ置いていくのでしょう。自分の手元に残るものは少なくなります。

さて、翌朝食事前に、街中にある「さばこ湯」へ行くことにしました。「朝の6時から開いているので、そちらの温泉の方が気持ちがいいよ」と昨日のマッサージの方が教えてくれたからです。朝から、飯坂の街を散策です。私以前ここに来たことがありますが、街を歩くといったことは初めてでした。「鯖湖湯」を目指して歩くと飯坂の名家である堀切邸跡が見えてきました。明治の初めから昭和の終わりにかけて、堀切家、中でも堀切善次郎さんは1929年から東京市長(まだ東京都になる前の話です)を務められ、戦争中には、早稲田中学の校長も務められました。
この堀切邸跡も、一部を公開し、足湯などの設備も作って観光客を呼び寄せるための一つの施設に生まれ変わろうとしています。町おこしの一環なのでしょう。

この坂を下った所に「鯖湖湯」はありました。200円を支払って中に入ると古くは日本武尊が入ったという温泉は50度くらいあり、熱いものでした。私は掛け湯をまず足にして足だけ浸けていました。街の人が三人くらい入っていましたが、じっと耐えています。そこへホスト風のお兄ちゃんが入ってきて体を洗い、それを終えるとおもむろにホースを湯船まで引っ張って水を入れてぬるくしました。そこで私も湯船につかることが出来、肩まで浸かって出てきました。体は真っ赤でした。

鯖湖湯のあたりは飯坂のメインストリートの一つなのでしょう。なまこ壁の蔵やラジウム卵を売っているお店。足湯もあれば、昔の街並みが残っています。この後、八幡神社へ行き、その近くにある「八幡の湯」も場所だけ確認してきました。(鯖湖湯よりも八幡の湯の方が、熱いそうです。地元の方はこの熱さがいいと言っていましたが・・・)

思わぬところで散策ができ、のんびりした気分でここを後にすることができました。帰りには旅館から「ここへ寄れば、梨がいただけますよ」と言われて、お土産付きで、山形へと向かうのでした。


摺上川ダムです。


ダムから下を眺めると

ダムの下にある「もにわの湯」です。


「鯖湖湯」です。昔は「佐波子」と書いたそうです。




2009/09/26(土) 晴れ


[ こんなものがない ]
こんなものがない


つい少し前まであったと思ったものがなくなっています。

改造の仕事で玄関から部屋に抜ける廊下の部分に「ツキ板のピーリング」を張っているお宅があります。部屋の入口の扉も同質材でできています。出入り口を変えるので、扉を三枚作り変えなければなりません。現場を見に行くと、75ミリ幅のピーリング材が使われていました。おそらく「セン」だと思うのですが、無塗装品であれば、「タモ」でも「マガシロ」でもよい、とのことで問屋さんに探していただいたのですが、返事は「ない」とのことでした。

少し前まで、カタログにも載っていたし、実際手元にあるカタログにも、カットサンプルは載っていました。

所が、ネットを使って調べたりしても、やはりなさそうです。以前作っていた所の在庫なども聞いてもらいましたが、返事がありません。僅かに「朝日ウッドテック」に芯が「MDF」仕様の塗装品がありました。これを使おうかということに、一旦はなったのですが、これだと溝の部分が「R状」になっていて、既存の「角溝」との違いが際立ってしまいます。

ということで、この線はあきらめました。

今まですぐに揃っていたものが、なくなっています。建材メーカーは売れなくなって商品のアイテムを整理してきました。あるいは木材であってもすぐそこの市場にあったものがなくなっています。頭を切り替えないと大怪我しそうです。

政界では新しい政権ができて、その一歩を踏み出していますが、その成果が出るまでには半年一年かかるでしょう。それまで持ちこたえることができるのか、不安です。

わが社に来てくれる大工さんも高齢化が進みました。自分も還暦近くになってしまったので、人のことを言える立場ではありませんが、「今まで10日でできた仕事が二週間かかる感じです」。そうなればなるほど、大工は木を選んで、自分で加工して、取り付ける、といった仕事ではなく、単に取り付ける部分だけ担当する人になり、それができれば間に合う時代になるのでしょう。



2009/09/18(金) 曇り


[ 60歳と70歳の間 ]
55歳と70歳の間


少し前になりますが、山城新伍がなくなりましたね。70歳でした。54歳で再度離婚して、一人暮らしの十数年間。ラストは特養でした。

山城新伍といえば、我々の世代では、「白馬童子」か「風小僧」ですかね。「木の葉が騒ぐ 風が吹く おいらは風の子 風小僧・・・」

これはテレビですが、映画では、「不良番長シリーズ」あたりでしょうか。1960年代半ばに何か事件を起こしてからは2枚目から2枚目半のスタンスで笑いをとっていました。「喜劇・ギャンブル必勝法」とか、「大穴 中穴 へその穴」あたりは見ていますが、その後の「仁義なき戦い」あたりが東映時代のラストでしょうか。その後、テレビの司会者として活躍し、そちらの方が皆さんには印象が深いと思います。テレビで活躍されたのが、35歳から55歳くらいまでだと思います。

さて、山城さんも、だんだんテレビに出られなくなって、あるいは少しずつ年をとるようになってきて、服装がいつも同じであったりするのが気にかかっていましたが、70歳近くになってテレビに出たのを見たときには、すぐにわからないほど年をとっていました。60代は女の方は健康的になってきますが、男の方は、至ってだらしなくなるようです。気をつけましょう。



2009/09/17(木) 晴れ時々曇り


[ 「木と暮しのふれあい展」 ]
木と暮しのふれあい展


来る10月3日、4日の両日都立木場公園におきまして、「木とくらしのふれあい展」が開催されます。アトラクションや苗木のプレゼントもございますので、ぜひご来場ください。







2009/09/15(火) 曇り時々雨


[ 雅樹雅(あじゅが) ]
雅樹雅


この字を見て「あじゅが」と読める方は通です。

「あじゅが」は清里にあるバリアフリーの小さな宿です。体の不自由な方やお年寄り、車いすの方を受け入れてくれる数少ない宿の一つです。
昨年ここに下見に来て、今年行くことにしました。


部屋から見える庭には。コスモスやバラが咲いていました。


無垢のフローリングに腰壁が回ったワンルームタイプです。


天井も木が見える作りです。寝ころんで節を数えることもできます。

「あじゅが」は、看護士とコックのご夫婦で経営されている所です。看護士さんがいるので年寄りを連れて行っても安心感があります。また食事は通常のものを加工して刻み食やミキサー食にしていただけます。


野菜のお寿司です。


ミキサー食になると、こんな感じです。


まだ若いご夫婦なので十分行き届かない所もありますが、こういう宿作りにチャレンジしていく姿勢は立派だと思います。もうちょっとなんだけれどなー

12日は雨。13日はよい天気でした。「まきば公園」や「清泉寮」からは富士山も見えました。八ヶ岳もきれいでした。









2009/09/14(月) 晴れ


[ トク得大セール ]
トク得大セール

9月11日は、新東京木材池袋市場におきまして、「トク得大セール」が開催されました。第7回を数えるそうです。当日は、この時期としてはかなり大勢の方が参加され、盛り上がりを見せました。






さて、木材や建材の売れ行きは、今までひと月で売れていたものがひと月半からふた月かかるようになっています。それだけ売れていくスピードが落ちでいます。コンスタントに出るということがなくなっています。ずーっとヒマだったのですが、ここの所三日間はいつもより忙しいくらいで、在庫が一気に減ってしまい、あわてて仕入れをしている始末です。木材も梱包で買うものは少なくなっています。梱包で買うものはほとんど配達していただいているので、細かな足らない材料だけを自分で引き取りにいっています。
新建材も店へ配達してもらうものがほとんどです。ボードやケイカル板などは「店入れ直送」をお願いしています。

このためもあり、わが社で活躍する車はほとんどが軽トラックです。仕事の大半が狭い現場への少量配達ですので、それに適しています。その反面、サイディングであるとか、3尺×10尺のベニヤなどは2tトラックでないと運べません。現場が狭い場合などは「担ぎこみ」もあり苦労します。「担ぎこみ」で思い出すのは、5年くらい前ですが、埼玉県の大宮のお屋敷の改造の材料を運んだ時のことです。入り口はアーチ状になっていり、乗用車は通れますが、トラックは入って行きません。そこで道路に止め、一人で中まで運びました。入り口から住まいの建っている所まで到達するのが大変で、運び終わるまで二時間半かかりました。

さて、さて、ここ数日間で材料がはけて、置場に凸凹ができたので少し移動して、月曜日に来る材料が置けるようにしておきました。来週は予定がぎっしり詰まっています。全部はこなせないでしょうが、シルバーウィークに向けてもうひと頑張りしたいところです。



2009/09/12(土) 雨


[ だれが山を守るのか ]
だれが山を守るのか

河津千代著
リブリオ出版
1998年8月出版

今から十年ほど前に出版された本です。表題にある通り、「だれが山を守るのか」がテーマです。この本の端書きに

日本人は、たきぎやきのこを取りに行く場所を「山」と言い慣わしてきました。「山」と言えば「森」のことでした。
その山が、今荒れています。水源林さえ、守れなくなっています。山の守り手である林業が、自立できなくなっているためです。
そこで、なぜこうなったのか、どうすればよいのかを考えてみました。


とあります。

林業の危機が叫ばれてから、久しい時が流れています。改善されることなく危機は進行しています。作者の河津千代さんは1935年埼玉県の秩父の生まれです。本業は西洋の古典の翻訳家ですが、生まれ育った秩父は山国です。そういう関係から「山が荒れ、森が消えていくことに早くから危機感を持って」いたと書いています。あとがきには「林業といっても、みなさんには、自分たちと関係のない、遠いもののように見えるのではないかと思います。しかし、日本の国土の三分の二は森林です。その森林を守る産業が、林業です。ですから、私たちは、水や空気から海産物に至るまで、林業の恩恵を受けて暮らしているのです。それをみんなが当たり前だと思っている間に、林業がどれほど救いのない状態に陥ってしまったかを、みなさんにぜひ知ってほしいと願っています」と書かれています。

河津さんの結論は、自然のテンポを相手にする林業は「公共事業」でなければ成り立たない。森林は一つの社会資本(公共の財産)であるとして認め、国土と環境を守るために「社会が将来への投資」を行うしか残されていないといいます。

今、木を植えたとしても、それが無事成長して森林としての機能や用材として利用されるまでには、50年かかります。私にとっては、孫のそのまた孫の世代の話になりますが、そこまでを一つのサイクルとして見通すと国が取り組むべき問題だということがわかります。まして台風で倒れた木の始末もできていいない現状では、国が主導しなければ何も進まないと思っています。

おいしい空気を吸い、水を買わないで飲める国を目指すのがよいと思います。

またこの本の中では、もっと奥深い話がたくさん出てきます。たとえば人の問題です。
高齢化に対応して、ボランティアの導入なども扱っています。

「ボランティアでやれることは、実際小さなことかもしれません。しかし、一度でも山仕事を経験した人は、森林に対する意識が変わります。生活態度も変わります。頭でわかっていることと、皮膚感覚でわかることの間には、大きな違いがあります。それが大切です。」(P133)

拙い引用ですが、経験を通して次の時代に伝えていくことは大切だとこのごろ思っています。

さて、私の家では、子供のころ(昭和31年まで)は、竈で火を起こしていました。みそ汁もご飯も下ごしらえをして出来上がるまで時間がかかります。幸い井戸はありましたから、水はすぐに汲めましたが、水道の蛇口を捻れば水が出る時代ではありません。つい50年前の話です。(かなり前かもしれませんが・・・)冷蔵庫も洗濯機も炊飯器もありません。その日にできたものをその日のうちに消費する時代でした。
材木屋でしたので、お風呂はマキで沸かしました。大工さんが刻んだ材木の残りを鉈でカットしてくべて沸かします。こちらは昭和50年ころまで続きました。

話がそれましたが、日本の小中学生もたとえばこういう経験をさせたら、どんな感想を抱くでしょうか。アフリカにでも行って生活をする。泉に水を汲みに行く所から始めて、一日を暮らすために何をどうすればよいかを経験させることです。そうすれば水のありがたさもわかるし、日本での現在の生活の表面的な高さはわかるし、日本の水が何故奇麗なのかもわかるかと思います。それをこれから維持するためには、森林を守らなければいけないことを理解してもらえるのではないでしょうか。

今日は、車を運転していても、あるいは歩いていてもイライラしている人にたくさん会いました。自分もその一人になっているかもしれません。今の日本の暮らしは、格差社会といわれるようになってしまっています。これを縮めるのは容易でないと感じますが、縮める方向でしか日本の再生もないのだと思っています。

話を元に戻しますが、読みやすい本でした。漢字にはルビが振ってあります。麻生総理でも大丈夫です。




2009/09/10(木) 晴れ


[ ぱっとしない商況 ]
ぱっとしない商況



ここの所、毎日のように営業の方が見えています。それも建材の業界ではなく、また木材の方でもなく、なのです。昨日は経営相談する方、おとといはインターフォンの会社でした。そして今日は印刷屋さんでした。印刷物一般を扱い、卸している所だと話していました。「カレンダーもやっています。何かございませんか」と言われたのですが、「もういつもの所に頼んじゃったよ」と話すと「いつ頃来ましたか?」の問い。「お盆の後に。いつもは10月ごろなのだけれど…」
そういえば今年はお盆の後に来て「早いな」と感じたのですが、そういう事情があったのかも。

今まで来たことがない営業マンが毎日のように訪れています。

ぱっとしないまま今年の後半は過ぎていきそうです。



2009/09/09(水) 曇り


[ 祭礼終了 ]
祭礼終了


去る9月5日、6日は弥生町1丁目、2丁目のお祭りでした。
今年は大した雨に見舞われず、比較的天気の良い日に当たりました。その前日の4日に日は中野新橋では「カラオケ大会」、弥生町1丁目では恒例の出店で賑いました。一丁目の方は町会が中心になって行うもので、金田一町会長以下のまとまりも良く、子供であふれていました。



中野新橋では、4日が「カラオケ大会」5、6日が「盆踊り」です。盆踊りはなかなか新しい踊りが増えずに、東京音頭や炭坑節など4つの曲を繰り返しながら進めていきます。「21世紀音頭」も流行らなかったですね。「カラオケ大会」のトリは今年も石又材木店さんにいた坂本さんでした。




さて、今年もお祭りが終了し、ようやく仕事が始まりました。いずれも改造仕事です。一階を全面的に直すものと、水回りだけを直す所とあります。床の張り替えや床暖房の仕事も決まりました。先日パナソニックの営業マンが訪れて、トイレの商品である「アラウーノ」を薦められました。トイレから入ってキッチンや建材類を売ること。そういう切り口でないと建材類が売れなくなっています。あるいは木材を使っていただくためにも、特徴のある商品を扱うことになるでしょう。仕事の量は減少していきます。仕事の中身を変えていかないと売上が上がりません。




2009/09/08(火) 晴れ時々曇り


[ 新しい期にはりました。 ]
新しい期に入りました


わが社は8月末の決算ですので、9月1日から新しい期に入りました。

8月の売り上げは自民党並みの激減でした。それでも一年間を通してみると、売り上げは前の期と同じくらいか若干伸ばしていると思います。その結果、黒字を計上するようになると思います。税金分は今は現金があるのですが、10月末に収める時まで残っているかが、今のところ心配です。なんとか仕事を増やして、また利益の上がる仕事をしていきたいと思っています。

さて、8月31日は、「新宿ピカデリー」まで映画を見てきました。「二十世紀少年 最終章」です。月曜日の夕方ということもあり、天気も悪かったのですいていました。ネットで券を買った関係で台風の中行きました。空想映画ですので無理もありますが、楽しんでみてきました。また自分も二十世紀少年だったことを再確認してきました。

この映画の副題は、「ぼくらの旗」といいます。我々にとって「ぼくらの旗」は木材になるのでしょう。これが最終兵器です。この兵器(?)はなくなることで、あるいは使われなくなることで地球の温暖化を進めます。また森が減ることでおいしい水も飲めなくなります。人類によい影響は与えません。

もちろんそんな単純な話ではありませんが、ぼくらの旗を取り戻すは必要でしょう。





(一番スクリーンでは、もう少し後ろの方が見やすいと思います。)


2009/09/02(水) 曇り時々雨


( 2009/10 ← 2009/09 → 2009/08 )


[ 管理者:大野満生 ]


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