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時々更新mn日記

( 2009/09 ← 2009/08 → 2009/07 )


[ 御一新 ]
御一新


8月29日には、久しぶりに二人で中野駅まで出て、用事を済ませたところで「餃子の王将」へ入りました。私は餃子と天津飯を注文していただきました。皆さんは天津飯はお好きですか。私は今を去ること40年近く前に、食欲が落ちると、これを食べて元気になっていました。東京の天津飯は甘酢掛けですが、京都で食べたそれは塩酢味です。もちろんそちらを頼みました。そんな懐かしい味についお腹いっぱいになるまで食べてしまいました。



こうなると苦しくて、続いてお酒を飲むとか、デザートでも食べようか、という気持ちになれなくて中野駅前でへたり込むことにしました。ちょうど長妻昭の街頭演説が始まったところで石に腰をかけて聞いていました。結局30分も聞いてしまったのですが、その中の話によると、官僚というのは自分たちの権限や権力を維持するためには何でもするというか、自分たちを特権の中において守ることに躍起なのだということがよくわかりました。そいう意味では、30日夜の衆議院選挙の結果は良いものだと思います。

時代や形は違いますが、今から140年ほど前の明治維新の時も結果としてサムライの世界が終り、四民平等の世の中へと移りました。力関係からしたら徳川幕府の方が強く、また支える人たちのレベルも高かったかと思いますが、一度権力が移行すると、社会変革が起こります。版籍奉還、廃藩置県などサムライの特権は狭められて行きました。この明治政府の行き着いた先は官僚制国家ですので、「御一新は、こんなものだったのか」と嘆いた小説がありましたね。サムライの時代は終わりましたが、代わって登場したのは官僚の時代でした。

今回の選挙の結果は、この官の時代を終了させる大きな一歩になるのではないかと思っています。人間が入れ替わり古い時代の人がいなくなり、官から民へと権限が移っていくことで歴史は前進するのだと思います。

2009/08/31(月) 雨


[ 桧の枠材 ]
桧の枠材


改造の仕事で一か所だけ桧材を用いて障子を入れる枠を作りたいという話がありました。大工さんによれば木表だけでなく、57ミリほど木裏も見えてしまうので、そういう材料を探してほしいということでした。裏まで節のない材料を要求されることはあまりなかったのでわが社にある材料をひっくり返してみても、とれません。

そこで市場へ行き、探したところ、運よく材料は見つかり、それを使っていただくことにしました。鴨居、敷居に方立てが二丁。見えがかりは、節なしで行きたいという依頼をこなすことができました。助かりました。





2009/08/28(金) 晴れ


[ 荷物の整理 ]
荷物の整理


ここの所、空き時間ができているのでこの時間を利用して本を読んだり、荷物を整理したりしています。修行を経験しないで、親の職業を手伝うことから始めてからでも30年の年月を経ることになりました。

ほとんどお得意さんに仕事を教えていただきましたが、こんな講習会にも行きました。その場所では父を知っている方もおり、声をかけていただいたことを今頃になって思いだしています。



さて、母親の実家の写真も出てきました。今から50年近く前に新築祝いしたときに写したものだと思います。静岡県富士宮市にそれはあります。幼いころ夏休みといったら、ここで過ごしていました。後ろには富士山を背負い、雄大な景色の中で過ごしました。川で遊び、畑でナスやキュウリをもぎ、おやつにはトウモロコシをほうばっていました。



(左の松の木は今は枯れてありません)

母親が亡くなってからも年に一度は訪れます。顔を出す程度になってしまいましたが、自分にとっては懐かしい場所の一つです。

さてさて、荷物の整理をしていると自分の幼いころのものや学生時代のもの、それ以降のものに大別されます。年数としては働いてからが一番長いのですが、仕事の関係のものはある程度時間を経ると捨てているので、思ったよりもありません。そんな中から小学2年生の夏休みの宿題が出てきました。絵日記ですね。母親がとっておいたものでしょうか、古い洋服を入れる箱から出てきました。




こういうものは捨てられません。自分が死んだら処分してもらうことにします。
そういうわけで荷物の整理は少ししか進みません。

家には人生が詰まっています。住まいにはその人やその父や母の匂いが残っています。自分も大切に育ててもらったのでしょう。そういう気持ちを自分が大切にすることで、次の世代にもその気持ちを伝えたいですね。つながりを媒介する住まいは大切なものだと思います。

なんとかここまで生きてきた、戦争を知らない58歳です。



2009/08/27(木) 晴れ


[ 売れ行き不振 ]
売れ行き不振


今年の前半は好調だったと思いますが、後半に入って不調です。とくに木材の売れ行きが目立って良くないです。木材問屋さんに聞いても、同じ答えが返ってきます。私も木材を担ぐというよりもベニヤを持つ、運ぶといった仕事が多く、肩よりも腕が痛くなります。

それでも今期は黒字になりそうです。

仕事が細かくなって、大工さんが日替わりでやってきます。板を何枚か削っていったり、根太を削っていったりしています。今日は白ポリランバー合板を割いています。半日までいることはなくなりました。





さて、そんな折、昨日は、「おがくず」を求めていた方が見えました。当初カブトムシを育てるくらいかな、と思っていましたが、馬場に敷くためのもので、安定した数量がいるそうです。「もう都内にそれだけ曳く製材所はないでしょうから、奥多摩あたりに聞いたら」と言いましたら、「すでに4か所回って断られた」という答え。秋川とか奥多摩あたりに行って聞いてもだめでした、との答え。そこまで行ってだめならば、千葉県か茨城県までいかないと可能性が薄いのでは、と話してみました。

今から十年くらい前までは東京にも200近くの製材所と800くらいの材木屋さんのお店がありましたが、今では、がくんと減っていると思います。木材やベニヤ類を買うところとしては「ホームセンター」が当たり前になりました。日曜日に買いに行けて便利です。ベニヤのカットなども安い価格で割いてくれます。便利だと思います。日本の木が少ないのが気にかかります。

ただ、日本の木を売ることは、割が合わないのでしないでしょう。材木屋でさえ、日本の木を使うことは「手間暇がかかって」大変なのですから、よほど長期的な視野に立つか惚れ込んでいないと使えません。ただし、使いこなすと味わいのあるものになります。

先日、岡山県の佐用町で豪雨による土砂崩れで風倒木が下まで流されてきて被害を大きくしました。5年ほど前の台風被害で倒れた木をそのままに放置しておいたものも流されてきたと聞いています。私が生まれる前の戦争で、木は切られ供出され、その後に経済林として「杉」が植えられ、それが保水力の少ない山を生み出しているのが、遠い原因になるのでしょうから、江戸時代に木を植えた日本人から見えれば、「なに、バカなことやっているんだ」とお叱りがあっても普通です。

この60数年もまた反省すべきことは多くあります。

さて現金の売り上げも金額が少なくなりました。「不況になると5の付くお金が増える」と言っていた父の言葉が思い出されます。今日も5千円でお釣りの売り上げでした。



2009/08/25(火) 晴れ


[ 夜店市 ]
夜店市

恒例となった川島商店街の「夜店市」には二日間とも行ってきました。お好み焼や焼きそば、焼き鳥にビールと定番ばかりですが、飲みながら食べていました。家に帰るとお腹が満腹で、もう何もする気になれずに、テレビを見てはそのうち眠ってしまうという生活でした。
「腹八分目」という言葉の重みを感じています。






(定番となった上州屋の海鮮焼きそば)



さて、川島や神明のお祭りもあっという間に過ぎてしまい、子供のころのように「十分に楽しい」気持ちにならなくなりました。こちらのパワーが落ちています。





2009/08/24(月) 晴れ


[ 春木さんからの手紙 ]
春木さんからの手紙


8月21日は、新東京木材池袋市場で「鮎まつり」がありました。少し遅れて行きましたが、参加者も少なく、鮎とビールばかりが目立つ一日でした。ラストの全落コーナーでも建材類は売れていきますが、木材になるとさっぱり声が出なくなります。「木材も必要な分だけ買う」時代になってしまいました。

さて、ここの所、事務所の書類や倉庫の整理を始めています。もう不要となったものを処分してスペースを確保したいと思っています。その中から当時中野支部長さんだった春木隆平さんからの手紙が出てきました。

それは今から18年前になりますが、組合で主催した「年代別フリートーキング」への参加者を「十四日会から選んでほしい」というものでした。この年の春に十四日会が発足して、その発会の時に中野支部長である春木隆平さんにもお越しいただいて「親睦も大事だけど、単なる飲み会に終わらないでほしい」というお言葉を頂戴していました。当時私が会長だった関係もあり、30代の集まりに、窪寺、伊藤、大田各氏にお願いをし、40代の部には大野が行きました。

さてさて、その手紙の中には「材木屋の近未来」に関する私見も書かれています。曰く「材木屋は現在の30%もあれば十分」「大工の平均年齢が50に届こうとしている。あと20年もしたら大工は激減。売り先がなくなる」「材木屋に従業員が集まらなくなってきて、商売というより、単純肉体労働者としての稼ぎ・・・」などハッとすることばかり。

将来像の一つとして「キッチンと風呂専門のリサイクル屋として生き残っては・・・」と結ばれてありました。

この二十年で材木屋さんも多様化しています。不動産業をメインとするところ、工務店化する所、リフォーム業者化する所などです。すべての所がうまくいっているわけではありませんが、業態を変化させたところの方が元気があります。得意なところを作って伸ばす以外に木材を使うことがなくなりました。最近行ったリフォームの仕事でも全体の金額が二百万円ほどでしたが、木材・建材の部分だけでは十万円くらいでした。ユニットバス、キッチン、洗面化粧台、トイレと間口を広げていかなければ、売り上げが伸びません。もちろんこれにつれて「技術」「ノウハウ」が必要となってきますが・・・

さて、「年代別フリートーキング」に参加させていただいたので、その報告を春木さんに行い、またそれに関してお手紙をいただいたのですが、そちらの方は今回出てきませんでした。春木さんは当時小脳が委縮する病気をされていて、今から8年ほど前に他界されていますが、一通の手紙によって、昔のことが蘇ってきました。この手紙が残っていたことはある意味「歴史の偶然性」です。



2009/08/22(土) 晴れ


[ 売り地 売家 解体現場 ]
売り地・売家・解体現場


中野新橋あたりでも、売り地や売家の看板が目立つようになりました。借金であったり、相続であったりして、土地や家を手放す方が増えています。ここ一年近くの景気の低迷で我慢しきれなくなっているのでしょうか。無理に無理を重ねた結果、楽になっていくようです。もちろん本当に楽になるわけではありませんが・・・

父も一つの土地から出発して6か所の土地を手に入れ、建て替えなどしてアパートとして貸したりしながら、売買して3か所残りました。残った所は私と兄妹で分け合いましたが、今現金があれば買い時なのでしょう。土地は不動産屋さんに集積していきます。

さて、近くの解体現場でも大体片付いてきました。壊すのにも一カ月くらいかかっていました。





2009/08/21(金) 晴れ


[ 川島夜店市 ]
川島夜店市

今年も恒例の「川島夜店市」が8月21日、22日に開催されます。42回を数えます。初回のころは高校生だったのですが・・・



催し物も充実してきました。遊びにおいで。


2009/08/20(木) 晴れ


[ 時期はいつなのか ]
時期はいつなのか



老後を見据えて住まいを直そうとすると、50代のうちに済ませておくのがいいと思います。60歳を過ぎるとサラリーマンなら年金生活に入っているかもしれません。現金を持っていた方が人生が気楽になります。また、50代であれば、新しく出来上がった住まいでの生活にも慣れるのではないかと思います。私ごとですが、テレビやビデオに始まり、洗濯機など、ここ数年間で新しくしたものに関して、基本のことは覚えていますが、より高度な機能は使うこともなく、また使いこなせません。マニュアル片手にその時できたかと思えば、次の時点では忘れています。だんだん面倒臭くなって、自分に必要な所しか使わなくなりました。これは年をとればとるほど増えていくものだと思います。

そうすると、自分の意見が言えて、新しい生活になっても順応できるうちに住まいを建てるなり、直しておくのが良いのではないかと思います。

60才を過ぎる頃からの生活では、夫婦二人で住むのか、子供や孫と一緒に住むのかで大きく違います。二人だけの生活ならば広い住まいは必要なくなります。そんな時なら建築家の天野彰さんは「減築」を薦めます。二階家を平屋にした減築した住まいを直した経験もあります。あるいは1階と2階を別世帯にして、平行移動で住める住まいにされたお宅もありました。現在の私の所では二人の生活だけですので、大きな住まいはいらないと考えて今の住まいを作りました。

なお、天野彰さんが来る9月6日の「ビフォーアフター」に匠として出られるそうです。興味のある方はご覧ください。



2009/08/19(水) 晴れ


[ ヒダ木材 ]
ヒダ木材


茨城県つくば市北条にある「ヒダ木材」のHPがリニューアルされました。一段と深化しています。
代表者である肥田さんは、「材木屋が住まい作りをする訳」の中で、個人的な体験を踏まえたうえで、木の住まいの優位性を語ります。

以下そこから引用です。

木の家は、そこに住む人の健康さえ護る。
そんな気の家をお客様の立場に立って企画立案し、
自信を持ってお薦めできる「木材」を使って責任施工しよう。」と・・・

もともと弊社には、
父の代には建設業の免許も取得していまいした。
親子三代にわたる「木」に対するノウハウがありました。
良い製品を入手するルートも確立していました。
熟練の大工さんや協力業者の人脈・取引もありました。
私には「建築施工管理技師」の資格がありました。(のちに、建築資格取得)

現在、弊社は「木や土などの自然素材を用い、住む人が健康で快適に暮らせる、頑丈で長寿命の家つくりを企画提案。責任施工しています。

私は家は買うものではなく「造る」ものだと確信しております。


引用が長くなってしまいましたが、これからの材木屋が生き残るための一つの道を示していると思います。肥田さんは頑張っていますね。

さて、まったくの余談ですが、肥田さん奥さんと私の家内の後輩であるIさんは、産院で一緒だったこともあり、それとなくつながっています。その後輩とは十年ほど前にお目にかかったことはあるのですが、それっきりだったものでお顔を忘れていました。

今から一年半前に、眺望の湯「ゆらり」という日帰り温泉の廊下にいるとき、中学生の娘を連れた彼女は私に「大野さん」と声をかけました。私は「誰だろう」「どこの人だろう」「中学生の子供を持つくらいの年齢の人に知り合いはいない」など頭を働かせていたのですが、「松本さんも来ていらっしゃるのですか」という一言を聞いて、「ああ、嫁さんの知り合いか?」と安堵し、「もうじき出てくるよ」と話し、4人でしばらく話をしました。私がIさんのフルネームを言うと、あちら側も安堵した模様。

それにしても旅先でいきなり知らない子供連れの女性に声をかけられると驚くものです。驚きつつも良い思い出となりました。


2009/08/18(火) 晴れ


[ お盆休みは ]
お盆休みは

毎年お盆休みは遠出をしていたのですが、今年は高速道路均一千円が利いて込みそうなのでやめました。それでも毎年行っている母の実家には顔を出しました。母はすでに14年前に他界しておりますが、母の兄や妹がおりますので、年に一回顔を見せに行っています。こちらもいつの間にか60歳が近くなってしまいました。おじさんやおばさんが年をとるのも無理はありません。母の両親のお墓は大石寺(たいせきじ)というところにあります。大石寺が大きくなるに従って従来あった墓所から現在の墓苑の方に移されました。それまでのお墓は土葬でしたので、「これは誰それの髪の毛だろう」といった生々しい話も聞いています。私が小学生の時だったと思います。

現在のところに移ってからは一族の墓が固まってあるのでお参りする方は楽です。実はこの大石寺には赤木圭一郎のお墓もあります。以前お参りしましたが、今回行ってみたところ「わからなく」なってしまいました。また来た時にゆっくり探すことにします。

さて、今回は込むことを予測していたので、まず精進湖にとまり、お墓参りしてから箱根で一泊してきました。箱根神社へは、恐らく十年ぶりで階段を登ってみました。かなり歩くのが厳しいので、もう少し減量しないといけませんね。



箱根で泊まった後、御殿場にある「時乃栖」でステーキを食べ、満腹で帰ってきました。



16日には新宿へ出て久しぶりに映画を見ました。その後「大陸」で餃子をいただきました。エレベーターで4階に上がると「大陸」はありますが、店内ががらりと改装されていました。以前は食堂風でしたが、レストランに進化した感じです。「いつ改装されましたか?」と聞くと「二年半前」との答え。そんなに来ていなかったんだと、びっくり。時間の流れは速いです。





2009/08/17(月) 晴れ


[ 夏休み ]
夏休み


8月2日の根岸建設のイベントも無事に終了し、鍋横のお祭りも人込みであふれていました。高円寺の阿波踊りの連がいくつか出ていました。




7月31日の土用の丑の日はウナギで精をつけ、8月1日は餃子を食べて元気になりました。



例年この8月には、三か所のお墓参りに行きますが、父母の眠る小平霊園と則子の父親の眠る上尾に行き、残す所は母親の実家となりました。8月12日よりお盆休みをいたしますので、その期間中に行ってこようと思っています。静岡県の富士宮なので地震の影響などがなければ良いのですが・・・

もう夏休みになります。
8月16日までお休みさせていただきます。





2009/08/11(火) 晴れ


[ すのこを踏み台に変更 ]
ベランダのすのこを踏み台に変更


自宅のベランダに敷いていた簀(すのこ)を踏み台に変更することにしました。
5年ほど前に、桧の板で作りましたが、板の側の白い部分がもろくなっていました。





解体して、下小屋に置きました。



腐れかけた部分をカットして、使うことにしました。


削りなおして、防腐剤を塗ってから、ビスで留めました。


完成です。



こんな感じで使っています。



2009/08/10(月) 曇り時々雨


[ 豊かさの感覚 ]
豊かさの感覚


私は今58歳。今から5年ほど前に自宅を改装しました。高齢者になっても住むことのできる住まいにしました。マンションリフォームです。

今振り返ると設計者との打ち合わせや自分たちの希望を出してみるというこの段階が一番大変であり、また楽しいものでした。自分たちの希望を全部とりいれて見積もりをすると、たいてい予定していないくらいの金額になり、今度はそこから何を諦めて、何を残すかという作業になります。私たちの場合、ベランダに屋根をかける、など外回りのものは全部なくしました。また業者の選択にしても設計士の方に紹介していただいたところをやめ、自分たちが中心になって進めていくことにしました。こういうことができたのも材木屋をしていたからでしょう。

さて、設計士の方との打ち合わせでは、自分たちの所有物のリストをだし、リフォームした住まいで使いたい物のサイズを一覧表にしました。ベッド、タンス、テーブルに椅子など普段必要なものの大きさを設計図の中に書きこんで、実際の生活をイメージしました。夏と冬では使うものに変化が起きます。たとえば私は寒がりなので、コタツが欲しいタイプです。カーペットを敷き、その上に炬燵を置いてテレビを見るといったスタイルです。それまでの生活ではそのようにしていましたが、今度の所ではそうすると部屋が狭くなってしまいます。

そこで炬燵を使う生活をあきらめました。高齢者になってからの住まいは自分自身が身軽になることが必要です。またそれにつれて自分たちの生活も変化させていくことが必要です。人生に必要なものは案外少ないものだと思います。そういう気持ちが最近大きくなっています。

2009/08/07(金) 晴れ


[ 8月の朝 ]
8月の朝


梅雨が抜けきれないような天気が続きます。たまに暑い日があったかと思うと、曇りか雨が続き、夏らしさがありません。今日はお墓の掃除に小平霊園まで訪れましたが、あいにくの雨模様。それでも半年くらい来ていないので伸びた木を切って掃除をしてきました。私の親戚にはまめなおじさんが二人いてくれるので、除草剤をまいてくれたり、植木の手入れなどは普段はお任せっきりですが、それでも高い所のことは、私もします。

この半年間は忙しかったのでしょうか。お墓に来ませんでした。年齢が上がるとともにおっくうになる面があります。そこできちっと定期的に来ることの大切さを感じるようになりました。一週間前には島先生がなくなられました。その二日前には島先生の夢を見ました。また、若くして亡くなった方々の夢も見ました。人が亡くなっていく夢を立て続けにみました。どこかで弔わないといけないという思いにかられた所だったので、この場所ですっきりしたいと思っていました。

私も年齢が上がり、たいていのことはやり尽くしているとは思うのですが、もうひと踏ん張りしようかと思っています。

7月はテニスが10日くらい出来て、楽しい日々でした。おかげで少し動けるようになってきました。「動けるうちは動いていた方が良いよ」と叔父さんから言われました。父はこの叔父さんのことを「おっちゃん」と呼んでいたのですが、何かの本に「兄弟の一番下の弟」をこう呼ぶと書かれていたので、そういう意味だったかと今頃になって思いだす次第です。

話が飛んでいますが、マンションリフォームも終わり、不動産屋さんに見に来ていただきました。また近所の同レベルのリフォームされたマンションにも行ってみました。その結果、自分の所は「うまくいった方かな」という印象を持ったので自己満足中です。ここが決まれば次のことも考えたいと思います。不動産屋さん曰く「最近は単価の安い風呂なし物件が人気です」とのことでした。男性だけでなく、女性の方でもそういう物件を探している人が増えているとのことです。お風呂はどうするのかと尋ねましたら、「スポーツジムヘ入会する」のだそうです。それなら月一万円で、風呂もサウナも使い放題になります。いろいろ皆さん考えますね。参考になりました。

いよいよ8月に入り、決算月です。赤字になるのか、税金をかなり払うのか、微妙な情勢ですが、集中して事に臨みたいと思います。



2009/08/03(月) 晴れ


( 2009/09 ← 2009/08 → 2009/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


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