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時々更新mn日記

( 2009/05 ← 2009/04 → 2009/03 )


[ 時屋 ]
時屋(ときや)


29日の日、久しぶりになにもない休日なので、今日は映画を見に行こうと張り切って出かけたのですが、初めに寄った小田急デパートで買い物を始めたら、映画はさておき、とりあえずいま必要と思っているものを買うことにしました。

久しぶりの買い物なのですが、欲しいものは大体決まっています。が、いざどれにするか決断を迫られると、どちらにするか、決めかねるものも出てきます。二つくらいまですぐに絞れるのですが、それから先が・・・

売り場をいくつか回って、また他のお店に行ってと、時間がかかります。途中小田急デパートの地下一階にある「スパッソ」で680円均一のスパゲッティーをいただきました。昼飯です。ここのスパゲッティーはM、L、LLの大きさにかかわらず同じ料金なので、若い方はLLを頼みますし、LLを二人で分けるという手もあります。

さて、朝の十時前から来て、大体の用事がすんだのが午後三時過ぎ。歩き疲れたので甘いものでも、と小田急ハルクの並びにある「時屋」で甘いものをいただくことに。ここはどら焼きが有名でジャンボサイズも売っています。

私も甘いものが好きなので、今日は「ミニ三種」を選んでちょこっとずつ食べたい物をいただきました。あんみつ、お汁粉、葛餅です。贅沢な気持になって帰宅しました。





2009/04/30(木) 晴れ


[ 風呂場の修繕 ]
風呂場の修繕


最近別荘の修繕の仕事が始まりました。外部の軒先や土台の交換などが主な仕事の予定でしたが、いざふたを開けてみると、それ以外にも修理しなければならない所が出てきました。中でも風呂場の壁や天井は桧材を用いていますが、一部が腐ってしまい、直すことになりました。現況の材の大きさなどを工務店さんに教えていただき、同じものを探してみましたが、昔と違い見つかりません。新しく作るか、張り替える部分を広げるしかないと思いました。

とりあえず壁の補修分を納めました。

言われた材は、本実加工された12ミリ×90ミリの羽目板。16ミリ×108ミリの壁材でした。いずれも桧材です。前者は無節、後者は一等材(節あり材)です。たぶん二十年くらい前に作られたものだと思うので、その頃には材の種類も豊富で、在庫を持っていたところも多く、すぐに間に合わせることができたのですが、今は既製品として作っておくだけの余力がなくなってきています。もちろん住まい作りのスピードから考えると「注文を受けてから作る」でもよいと思うのですが、何せリフォームは限られた時間内に仕事を終わらせないといけないので、どの材料を選択して、どのように納めるのか、このあたりは請負った方の実力になります。

さて、どうなりますやら。

それはそうと、感じることがあります。

木材製品は、もともと自然の木を相手にしているために、サイズに関してそれを作った会社任せになっていることです。規格を統一することも大事です。以前信州の木材協同組合でこの試みがなされましたが、杉やカラマツなどの樹種を超えて、長さ、厚み、幅、本実加工の場合は実際の利き寸や、裏の反り止めなどを同じく作っていました。これは便利だなと思っていましたが、この場合はこの協同組合自体が潰れてパーになってしまいました。作る所を超えて同じ規格を作ると消費者に近い方は便利だと思います。

フローリングの厚みも最近は15ミリのものが増えて使いやすくなってきました。仕上がりまでの高さを計算するのが楽になってきたのです。


2009/04/29(水) 晴れ


[ 疲れが取れました ]
疲れが取れました


4月に入ってからもかなり忙しくしていました。4月18日の支部総会を終了して、肩の荷が降りたせいか、ぐっと疲れがでて25、26日は家でゆっくりしていました。何よりも良く眠りました。昼寝、夕寝、早寝に朝寝でかなり回復してきました。顔もよく眠ったせいですっきりしてきたといわれています。

さて、ゴールデンウィークも間近です。皆さんはどこかに出かけますか。私はいまだ未定です。今年は混みそうなので遠出は控えようかと考えています。近場でゆっくり、が基本です。その前に仕事を片づけなければなりません。連休中に仕事をされる方がいらっしゃるので、そのための材料を用意していく必要があります。大体手配を終わって入荷を待つばかりですが、昨日は夕方になって「頼むものを間違えた」とお客さんから連絡があり、おさめたもので間に合わせることができるか、否か、午前中の連絡待ちです。納めてしまったものを使えるのなら、一番楽なのですが・・・

さてさて、先週後半に親戚のお通夜が二件ありました。親戚のおじさんやおばさんがどんどん年を取っていきます。自分も年をとったことを実感させられるひと時です。



2009/04/28(火) 晴れ


[ トイレで歌は歌わないように ]
トイレで歌は歌わないように


気持ちを開放するのに歌を歌うことがあります。お風呂の中で歌を歌うことが多いのですが、トイレでも歌っているそうで、そちらは注意を受けています。

またこのところ朝起きると事務所で西郷輝彦の「赤い花」か、叶修二の「素敵なやつ」を聞いてから仕事にかかることが日課のようになりました。15、6歳ころに聞いていた歌です。

歌を聴いていたのは、二十代のころまででしょうから、その頃までに覚えたものを口ずさんでいることになります。最近のものはわかりませんし、古いものでも吉田たくろうなどはテンポがずれていて口ずさむことはありません。たくろうも40年近く前の歌ですものね。

流行歌といわれた時代から青春歌謡、フォークソング、南沙織や山口百恵くらいまでが歌を聴いていた年代になりますから、そのくらいまでの歌や、また「テレビっ子」の走りですので昭和の30年代のテレビの主題歌はよく知っています。カラオケなどない時代には仲間で集まると、よく歌ったものです。三年前の寒梅会の島先生を交えた「5期生の集い」では6人で居酒屋で飲みながら二時間も歌ってしまい、カラオケ店へと次の足を進めたものです。お酒と歌は付いて回るものだと思います。そのせいか、私も材木を片づけながらよく歌っています。最近はですが・・・

それというのも、「YouTube」でいろいろな方がアップしてくれる歌と出会ってからです。仕事をしている際のBGMとして聞いています。昔出会った歌と再会しています。誰かがアップしてくれるおかげで昔の感動を思い返しています。青春時代がオーバーラップします。

これらに関しては、時折書くと思います。

それはそうと、こういう歌があったのです。昭和45年ころの京都のラジオから流れてきた歌です。松山恵子さんのものですが、題名はわかりません。この歌ともいつか、「YOUTUBE」で出会えるでしょうか。最後の覚えていた歌詞を書いておきます。

女一人の描いた夢は 過ぎた日の幸せでした
それもはかなく消えてゆく
大阪始発上りの列車 十時四十五分
ああ 哀愁の駅 十一番ホーム


2009/04/27(月) 晴れ


[ 鋼製束 ]
鋼製束


大引材を支えるものに床束があります。以前は木材で束にして使っていましたが、最近では金物を使うようになりました。鋼製の束です。基礎が「べた基礎」になったことと関係が深いと思います。

床下の高さが大体250ミリから360ミリくらいの所が多いので、この高さの鋼製束は使うことがあったのですが、今回672ミリくらいの高さがありました。幸い、金物メーカーの「タナカ」に680ミリまで対応できるものがあり、さらにバラ出しもしていただけましたので、使う本数だけ仕入れ用いることができました。かなり太いものでした。



鋼製束を使うようになって、木材の束を使うことが少なくなっています。木材はまっすぐなものばかりではないので、「短くすれば使えた」木材の使い道が狭まっています。


2009/04/24(金) 曇り


[ 玉突き ]
玉突き

最近聞いた話です。
N自動車の社員が解雇になりました。最近ではよくある話です。その社員の方の大半は関連会社の下請けに行きました。その下請けにいた契約社員が仕事を無くしました。

木材建材業界も少しずつ人が少なくなってきています。そのため仕事のやり方もかなり変わってくるのだと思います。

少し前まで、遠くの配達を運送屋さんや市場から紹介していただき、頼んでいましたが、そいうこともなくなってきましたし、また頼まれてもすぐに答えられなくなってきました。いままで仕事を頼んでいた方が「もう営業していない」からです。箱根の仙石原まで少ない配達がありましたが、人を頼むと足を出してしまうとのことで、最終的に工務店さんがその都度材料を持っていくことになりました。

材木も規格品だったものが、売れなくなってきて市場に在庫していないとか、国産材を使って製材してもらうとしても時間がかかるようになりました。仕事が決まればすぐに発注をかけて実際に使う頃までにある程度乾かしておきたいので、そんなことを考えると、手間ばかりがかかってしまいます。

少なくても納得した仕事をしたいと考えるとこの業界は奥が深いし、時間をかけないとならないのです。

さて、建材の規格品の床板や窓枠材、ドア材などを作っているメーカーも売れなくなってきて、そのカタログも一段と薄くなっています。さらに気の利いたところだと、廃番予定品を決め、たとえば今年の5月末であとは作りません、とカタログに載せてあります。

そこの会社も人は減らしているのでしょう。これからは今まで8日間でできたものが10日あるいは、14日かかることを前提にして仕事をしていかなくなりそうです。

いままでどこにでもあったと思われたものが、もうなくなってしまい、改めて作り直さなくてはいけないものになっています。気をつけたいところです。


2009/04/23(木) 晴れ


[ 広州市場のワンタン麺 ]
広州市場のワンタン麺


4月19日、日曜日に久しぶりに大塚に行って、「広州市場」のワンタン麺を食べました。ここのワンタン麺にはこだわりの塩を使ったものと醤油がありますが、今回は醤油にしてみました。あまりラーメンを食べない私でもここの細い面とワンタンは口に合うみたいで、大塚に来ると食べたくなります。

ここ大塚はその昔、まだ小学校六年生の時に同級生の青井君と四谷大塚進学教室で幾度か模擬試験を受けました。ある時、大塚の駅前で出雲から来たという不思議な紙を売っていました。その方は神隠しにあった少女の居所を探した、あるいは見つけたことで新聞に載ったと、口上で述べていました。一通りの話が終わると、5枚ひと組の紙を販売しました。ハガキを一回り小さくした半紙だったと思います。願い事を書いて火にあぶれば答えが出てくるというものでした。早速青井君が買い、そのうち二枚を私がもらいました。

家に帰ってから早速、「早稲田中学は受かりますか」と願い事を書いて、まだ練炭の堀コタツにもぐりながらあぶってみました。

すると、「努力次第」

という答えが出てきました。

努力の甲斐(?)あって、そこに行きましたが、なんとなく不思議でした。青井君の方は何と出たのでしょう。「何か出てきた」という話は聞いたのですが、中身は忘れました。私はその紙に違う願い事を書いて試してみましたが、「そんなことはわからん」と違う答えが出てきたのを覚えています。

さてさて、そんな思い出のある大塚ですが、今回は疲れ切った身体をリフレッシュするためにやってきました。その名も「リフレッシュ指圧センター」で二時間ほど休憩して疲れを取ってきました。



餃子の100円券をいただきました。


2009/04/22(水) 晴れ


[ 鼻隠の大きさ ]
鼻隠の大きさ


設計士の方の図面には、鼻隠の大きさが下屋が210ミリ、大屋根が180ミリと書かれてありました。そこでその通りの材料を用意しておきました。が、実際に使う段になって大工の棟梁が「上が大きい方が、いいんだよなあ」といいだしました。「そうすると離れてみたときに全体のバランスがいい」とのことでした。「そういえば、そうだよな」と納得しました。

私もこのところあんまり考えない仕事をしているので、その習慣が出てしまったようです。

以前にも、180ミリくらいの杉板で下地を作り、210ミリの破風板を使うように見積もりをしていましたら、「軒の出がないので、破風の大きさは150ミリにしよう」を工務店の社長に言われて「それではそのように」と小さくしたことがあります。実際に仕事をしている大工さんからは、「なんでこんなに小さくしたんだよ」と言われましたので、「社長の判断」と話しましたが、母屋材の大きさが90ミリ、屋根垂木の大きさが60ミリだったので、鼻隠しを母屋の下の方をカットして張っていました。大工にしてみれば、思わぬところで手間をかけたことになります。実際の仕事をする人の意見をうまく取り入れると「見た目もきれいで、気の利いたものができる」と思います。

さて、今回は、同じ大きさにしようということで決着しました。

2009/04/20(月) 晴れ


[ 中野支部総会開かれる ]
中野支部総会開かれる



さる4月18日、中野駅南口「三河屋」において中野支部定期総会が開催されました。出席者13名。昨年が12名だったので、今年も同じくらいの参加者でした。中野支部全体で25店舗しかなくなりましたので、いよいよ減少に頭を悩ませなくてはいけなくなりました。その反面支部的まとまりも生まれています。

尚今総会での審議事項はすべて了承され、また役員も改選されました。私も4年間にわたる支部長の座を降り、ホッとしたところです。




新支部長も一曲。


2009/04/19(日) 晴れ


[ 油断大敵 ]
油断大敵

工務店の社長さんに瓦屋根の瓦桟を頼まれました。通常15ミリ角ないし18ミリ角を使うことが多いのですが、「杉の二つ割を使う」と言われたので100丁ほどおさめました。それに先立ち、あるいはそれとともに、34ミリ×40ミリ材やラス下地材である12ミリ×80ミリなどをおさめました。さらに軒下換気口や外部の下地材をおさめました。

日が変わって

「この前の二つ割は歩が揃っていなかったなあ」と一人の大工が言い出しました。「同じメーカーでそろえたので、そんなことはないと思う」と私。よく聞けば、頼んだ人と実際に仕事をする人は違い、さらに下で材料を挙げる人と上で実際に使う人は違う人です。上の人は下から上がってきた材料を使うだけですから、「なんでこんなに厚みが違うのだろう」と思ったそうです。

幸い、同じ側に同じ厚みのものを使ったので、でこぼこなどはありませんが、材料を納めるにも、連絡を密にして「これは屋根ようだよ」とか「壁用だよ」とか話をしないと間違いのもとになります。
気をつけないといけませんね。
ちなみに二つ割は14ミリ厚、外部の下地材は18ミリでした。

2009/04/18(土) 曇り


[ 羽柄材・下地材のプレカット ]
羽柄材・下地材のプレカット


S邸の上棟が終わりましたが、この建物も構造材は工場で加工していただきました。

野地板はスギ板でしたので私が配達しましたが、屋根垂木、間柱、筋違、2階根太などの羽柄材もやはり工場加工していただきました。現場に材料を置く場所がありましたのでまとめてカットしてから運んでいただきました。

新築住宅をプレカットで建てて、羽柄材まで工場から手配してもらうことが多くなっています。

つい十年、二十年前までは、大工さんが材木屋の下小屋で構造材を刻み、気のきいた大工さんだと羽柄材は鼻隠材や広小舞などを削り、間柱を使う長さにカットして建前に臨んだものでした。屋根ができあがり、ひと段落すると造作材の加工に再び材木屋で削りものをしていました。

でも、もうひと昔、ふた昔前の出来事です。

工場生産では、前もっての打ち合わせが大切になりますが、それと同時に工場で生産されることによって大壁工法の場合には精度が上がります。今回の仕事では柱を2本だけ見せるところがありましたが、ここに関しては私自身が選んで工場に納めてそのヒノキの柱を使っていただきました。現在のところ、その柱には紙が巻いてありますので、どんな品物を選んだのかお施主さんにはわかりませんが、いいものです。ふた昔前には、大工さんを連れて一緒に市場に行き、1日かけて、材料を選んだものでした。一本で5から6万円になる柱を30本くらい選んだこともありますし、市場で100本ほど押しつけられたものを必死で売りさばいたこともあります。運よく2か所の新築で使っていただきましたが・・・


さてさて、工場生産が普通になると、それを建てるためのノウハウは工場が持つことになり、あるいは窓口になっていただく所の力が大きなものになります。2月、4月をプレカットで建てさせていただいた建物は両方とも下地のプレカットまでしていただきました。そこまでしていただいてもあまり間違いもなく、無事に上棟できる所に現在ではあります。そのレベルは確保できます。

そうなってきたので、手のかからない仕事をすることができます。

そこから自分のアイデア、やり方、ノウハウをその仕事にどう付け足すかは、その人の考え方次第です。仕事を簡単にすることはできる条件がそろいました。そこから先が職人の仕事であり、材木屋が出ていく所になります。そのために必要な知識を蓄えておきましょう。必要な時にスーっとでるように・・・


2009/04/16(木) 晴れ


[ 鳥貴族 ]
鳥貴族

中野新橋に比較的最近できたお店です。大阪が本店で100店舗くらいあるそうです。大半が大阪であとは京都と東京です。ここの名物はジャンボ焼鳥です。量があっておいしいです。全品280円均一というのも売り物の一つで、ビールや焼酎のお代りが増えてしまいます。
値段は均一ではないと思いましたが、「とり釜めし」もお勧めです。もっともこの前は注文したのに若いおねーちゃんに忘れられてしまい、食べそこないました。

中野新橋店は地下鉄中野新橋駅を降りてすぐの地下にあります。



2009/04/15(水) 晴れ


[ (仮)プロペラの家 ]
(仮)プロペラの家


さる4月10日、S邸がめでたく上棟されました。

二年ほど前から二世帯住宅として企画され、昨年夏ごろより本格的に動き出していました。志田建築設計事務所さまが設計を担当され、木材はわが社が担当することになりました。昨年12月に基本図面ができあがり、プレカットで建てるということで新東京木材プレカット部の都丸さんを交えて、初めて打ち合わせを我が家で行い、今年の二月になって再度打ち合わせ、さらにもう一回、それに加えて細かな変更を何回かこなして、上棟にこぎつけました。

当日は則ちゃんにもお手伝いをいただき、和やかなうちにお開きとなりました。







法的な規制もあり、耐火ボードも15ミリを中心に使うようになります。15ミリの構造用合板も使います。施主さんは柱をもっと見せたかったのですが、見せるところが少なくなってしまいました。
それでも、なるべく新建材を使わないように木材を使って住まいを建てようとしています。手間暇がかかりますが、その分だけ作る方に携わった方々の思いも深まろうというものです。
木造住宅は時間をかけて住む方の思いを形に表すものだと感じました。


2009/04/14(火) 曇り時々雨


[ 完成見学会 ]
完成見学会

(有)根岸建設のI邸の完成内覧会が4月11日、開かれました。木材を納める立場からすると、全部仕上がった所を見る機会は意外と少ないので、早速出かけてみました。この建物は狭小地に建てられたもので、またトステムのスーパーウォールを採用した都会的な建物です。坪数の少ない所にでも住まいを建てられるという証明のような建物です。ですから随所に工夫がなされています。床下の活用。壁に埋め込まれた収納。中でも階段の蹴込みの部分を引き出しにして収納スペースを作ったのは久しぶりに見る景色でした。昔の建物には随所に大工さんのアイデアが盛り込まれていましたが、それを思い出しました。




さて、見学を終えると、そのまま昼飯を食べに行きました。中野の北口にある「クスクス」へ。ボリュームもあり、野菜も盛りだくさんのハンバーグとオムライスでした。




2009/04/13(月) 晴れ


[ 「キクマツヤ」があった ]
「キクマツヤ」があった。


中野駅の北口に中野ブロードウェイがあります。そこの一階に「キクマツヤ」という紳士服を売るお店があります。とにかく安いこと、品ぞろえが豊富なこと、一度ご来店ください。掘り出し物がありますよ。

さて、4月5日に八王子を訪れた際、JR八王子駅から斜めの道を通って八日町の方向へ行った際、右手に「キクマツヤ」がありました。八王子店でした。せっかくなのでちょっと寄り道して中へ入り、買いませんでしたが物色してみました。

そんなこともあり、一週間後12日には、中野店を訪れ、ズボンを買ってしまいました。


2009/04/12(日) 晴れ時々曇り


[ 根太の加工 ]
根太の加工

床の根太や外部の根太材に桧材を使うことがあります。40ミリ×45ミリないし、45ミリ×45ミリを使います。最近ではほとんど米栂材でしたが、桧を使いたいという要望がありました。新築だけでなくリフォームの仕事でもそう云われたので、材料を仕入れてみました。桧を製材している所はあまり大規模な工場ではなく、こじんまりとしたところで製材しています。その関係もあり、また本来の使い方からもそうなのですが、乾かして使うことや使う時になって使う大きさに加工して使うことが普通です。

今回仕入れたものは40ミリ×45ミリですが、サイズを測ると45ミリの方が48ミリありました。46ミリくらいのものもありましたが、使いたいサイズは45ミリです。大引きの上に根太を転がし、15ミリのベニヤを貼って、その上に60ミリの畳が入ります。今の住宅は計算づくですから、48ミリでは不都合が起こります。そこで、45ミリに厚さを決めることにしました。



100本ほど加工して6本ずつに結束しました。3650ミリで使えるものと1820ミリや910ミリにカットして使うものを振り分けて結束しておきました。
これでリフォーム現場で使う分も新築の現場でも使う分もできたと思ったのですが、今朝、違う工務店さんに少しですが、持っていかれました。もう少し削っておいた方が良かったみたいです。


2009/04/11(土) 晴れ


[ 完成内覧会 ]
現場見学会

さる2月に上棟したI邸の完成内覧会が開かれます。

このお宅は、道幅4M、面積8坪という狭小地用の住宅です。もともとリフォームと新築の両方を頭において進めてきましたが、建てなおしを決意され、今回の完成を迎えました。明日になりますが、お時間のある方はぜひお寄りください。(有)根岸建設様がお待ちになっております。




2009/04/10(金) 晴れ


[ 夜桜見物 ]
夜桜見物

まとまった仕事が始まりました。リフォーム仕事も少しずつ決まっています。容器も良くなってきたので今夜は夜桜見物です。車を中野坂下のコインパーキングに入れ、神田川沿いを昔の日本閣あたりまで散策です。この川をはさんで西側が中野区、東側が新宿区になります。その新宿よりのところに桜の木が花をつけ、川面に枝を伸ばしています。昼間の風でかなり散り、満開をやや過ぎていますが、それでも花の数も多く、目を楽しませてくれます。のんびり見物して広い空き地に出ると新宿の高層ビルの左側に満月。幻想的な月が浮かんでいました。






2009/04/09(木) 晴れ


[ お天気に誘われて ]
お天気に誘われて


4月5日はよい天気でした。桜の花も満開を迎え、私たちも車からの花見をしようと思っていました。
まずは、近くの栄町公園へ行きましたが、今日は通行止めになっていました。仕方なく山手通りから早稲田通に向かい、まずは小滝橋の神田川沿い、続いて高田馬場から穴八幡へ抜けて神楽坂へ。四谷へ出て御堀端の桜を見ながら、先日仕事をした九段南へ。ここの駐車場に車を止めて、靖国神社へでも行こうかと思いましたが、裏道の駐車場も満車でした。かなり走りまわって駐車場を探しましたが、見つからないのでここをあきらめて、千鳥が淵へと車を進めました。桜も満開でしたが、人も目一杯でした。人に酔いそうだねと話しながら、神保町から小川町へ。さらにお茶の水へ出て、先日行った湯島聖堂や神田明神の前を通りながら、今度は播磨坂を目指します。途中の小石川植物園を右に見て播磨坂を車は登っていきます。車道と車道の間の分離帯の所に人が遊べるくらいのスペースがあり、この遊歩道にも桜の木が満開。車道と歩道の間も満開の桜で埋め尽くされています。ここの桜は見事でした。

さてさて、次は、駒込にある「六義園(りくぎえん)」へと車を進めました。7、8年ほど前にこの近くを二か所ほど直しましたが、その時一度は六義園へ来ようと思っていました。幸い、その時に直した住まいはまだそのままでした。駐車場を探し当てていざ中へ。


少し前までライトアップが行われていたという「しだれ桜」はご覧の通り。もう時期を逸していました。




回遊式の庭園をのんびり散歩してきました。吹上茶屋の所のある桜がきれいでした。




六義園は人工的な庭園というよりも自然をそのまま残した庭園で、季節を楽しむには良い場所だと思います。しだれ桜は終わっていましたが、もうすぐ今度はつつじの季節になります。

さて、ここを後にすると千石、護国寺、目白通りと中野に向かいました。学習院あたりの桜を見、車は新青梅街道へと向かいます。が、途中から渋滞がひどくて動かなくなってしまったので、新青梅の桜並木はあきらめて、中野通りへと走りぬけました。ここの桜の木は背があまり高くなくて、また道幅も広くないので左右の桜の木が上部で合体しています。そのトンネルをくぐって中野駅に向かいました。


一旦家に帰ってきた後、八王子に向かい、愛ちゃんのお誕生会に出席。荒井由美の実家も見てきました。



2009/04/06(月) 晴れ


[ 40年前の春 ]
40年前の春



春になりました。桜の咲く季節になりました。今からちょうど40年前には東京ではなく、京都で桜を見たことになります。御所だったでしょうか、それとも下宿近くの鴨川べりだったでしょうか。いえいえ、多分まだ桜に関心のある年頃ではなかったと思います。春の陽気に誘われて、下賀茂植物園には行ったと思うのですが、もう記憶も定かではありません。

以来、桜の季節はたくさん来ましたが、京都で桜を見たのは10回とありません。桜の季節には京都は観光客で混んでいるからです。それでも訪れた平安神宮や平野神社の桜は見事なものだったです。量が違います。圧倒されますよ。あと記憶にあるのは円山公園あたりでしょうか。春になるとなんとなく気分が高揚してくるのがわかります。自然に身体が動き出します。

40年前もそうでした。大学入学、独り暮らし、下宿生活、など私にとっても門出でした。出会う人すべてが初対面の方ばかりで、人の名前や顔を覚え、話をしたり、下宿に泊まりにいったりしていました。

それからもう40年も経ちました。

信じられないくらいのスピードで時間が過ぎていきます。1969年。大学に入学してから40年が過ぎています。


2009/04/04(土) 晴れ時々曇り


[ たまには餃子で ]
たまには餃子で


このところ、のんびりすることもなく、過ごしてきました。遠出をすることもなく、外食も記念日以外は控えめ。家ですき焼きでもと思ったのですが、たまには餃子もいいかなと、思い立ち、新宿まで行ってみました。「餃子の大陸」でもよかったのですが、新宿の西口で降りた関係から「老辺餃子舘」にしました。ここの餃子は中の餡の種類が多く、閉じ込められたスープの味も格別です。蒸し餃子や水餃子は皮の形で中身が分かるようになっているので目でも楽しめます。






男性用の生ビールの器が重いので、一杯だけにしました。

2009/04/03(金) 晴れ


[ くつば緑友会のHPがリニューアルされました。 ]

つくば緑友会のHPがリニューアルされました。

「住まいを作るなら」
あなたはどうしますか。
それに対する答えの一つがここのホームページに書かれています。
さらに十数年にわたる地道な活動をその成果を、この更新版では最新にアレンジしています。

「私たちの理念」 「私たちの活動」 「木材店が書いた本」に加えて今度アップされた「手がけた物件」では、木造住宅の良さをビジュアル化しています。住まいとは何なのか、本物の住まい作りはどういうものなのか、が伝わってきます。

実際の話として私のところでは、これだけのものはできませんが、プレハブではない住まい作りがあることをまず認識してください。
次に自然のものを用いて、それを人間が手を加えて出来上っていく住まいは感動を呼びます。
それが実際の生活の中でも余韻として残り、住んでいく人の頭の中に記憶され、大切に住まわれていくものとなるでしょう。
住まいはその中に家族それぞれの歴史を作り上げていくものとなるでしょう。

私も自宅を作っておいてつくづく良かったと思うことがあります。まず自宅作りに参加できたこと。自然素材を使えてこと。良い職人さんに巡り合ったこと。
本物の木の床や天井。珪藻土の壁。それらを見るたびに落ち着いた空間に住めることに感謝しています。

自分の力でできることはごくわずかです。多くの人の力を借りてなんとか人生を生きています。人は助け合いながら生きていくものです。今回普段地道な活動をしている「つくば緑友会」のホームページが更新されました。一人でも多くの方々に見ていただいて、住まい作りの「あなたなり」の次なるステップにしていただければ幸いです。

2009/04/01(水) 曇り時々雨


( 2009/05 ← 2009/04 → 2009/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


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