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時々更新mn日記

( 2009/03 ← 2009/02 → 2009/01 )


[ 川島商店街のサイトができました。 ]
川島商店街のサイトが開設されました。

川島商店街のサイトが一月に開設されました。これから商店街にあるお店が紹介されていくと思いますが、大正8年創業の「大石製麺店」や昭和2年創業のパン屋「サンエトワール」などこの商店街の歴史を感じさせるお店も載っています。もう3世の時代に入りましたので、サイトを作るのも良いと思います。

こちらから

2009/02/25(水) 曇り時々雨


[ はらドーナッツ ]
ドーナッツ


最近、食費にかけるお金が少なくなったせいか、十貫坂上にあるパン屋「ミルクロール」では、午前十一時の開店時にはいつも行列ができます。ここは主婦を中心にしたパートさんで作って売っているので「安くておいしい」と評判のお店です。一つのパンが50円から80円。100円を超えるものは稀です。そのせいもあっていつも行列ができ、売り切れがおこります。我が家で買い求めて食べても一食につき120円くらいしかかかりません。ありがたいパン屋さんです。

さて、そことはかけ離れているのですが、1月25日に新規開店したドーナッツ屋があります。「はらドーナツ中野店」です。神戸の老舗豆腐店、原とうふの投入とおからを使用した素朴なドーナッツです。クリスビーなどよりもしっかりした作りなのでたくさんは食べられませんが、おやつとして安心して食べることができると思います。




2009/02/24(火) 曇り時々雨


[ 志を高く ]
志は高く

若い方と接していると、自分の若いころを思い出すというか、仕事に関して云えば、「志の高さ」を感じます。その反面、昔からお世話になった方が年老いていく姿とか、「お年を召されたなあ」と感じてしまうとなんだか悲しいような情けないような感じになります。その両方を毎日体験する年になりました。

ここのところ、仕事が忙しく流れ作業でこなしています。言われたものを用意して、お届けしたり、直に持って行ってもらっています。こういう時は不思議と普段来ない方とか、現金のお客さんが見えたりして、余計に頭が混乱してしまいます。流れ作業の中にあってもそのお客さんの要望にお応えできる知識や商品の提供を心掛けようと思います。つい、あるものを右から左と考えがちですが、ここは一呼吸おいて、仕事を進めていきたいと思います。

さて、2月21日と22日には、十四日会の旅行で山梨まで行ってきました。石和温泉に泊まり、ワイナリーの見学や西湖の「いやしの根場」、忍野八海などを見て回りました。私以外の方は土曜日の午前中に東京の多摩産材の製材工場見学をしてきました。東京の木材を使おうとする工務店さんや設計士の方と連携するためにも製材工場を見ておくことで材木屋として参考になることはたくさんあったと思います。


私は電車で石和駅に降りました。


笛吹川の由緒となった、「笛吹き権三郎」の碑です。この川沿いに石和温泉郷があります。


西湖にある「いやしの根場(ねんば)」から見た富士山、今年は雪が少ない気がします。


十四日会旅行。「いやしの根場」での記念写真。

2009/02/23(月) 晴れ時々曇り


[ 2月17日 ]
2月17日


2月17日は父の命日、19日は祖父の命日なので、2月15日の日曜日には、小平のお墓に行ってきました。この日もかなり暖かくて梅の花が開いていました。この墓地は昭和35年の春の彼岸に父の名で建てました。今思えばなぜ祖父の名で建てなかったのかと思います。最初の仏さんは父のすぐ下の妹で、私にとっては叔母さんに当たります。私が生まれる前に亡くなっていますので、私は全く知りません。この仏さんがいたので、ここ小平に都の霊園ができたときに申し込んでお墓を持つことができました。そのため、霊園の入り口から近い所に墓所はあります。子供のころは西武電車に乗ってくるのが楽しみでした。親戚のおじさんやおばさんも若くて、また来るのは大抵春の彼岸か、秋の彼岸ですので出店も出ていて子どもにとっては楽しみがありました。

子供の時には楽しみがたくさんありました。


この子も今年就職です。こんな時代もありました。

2009/02/18(水) 晴れ


[ 木材が売れない ]
木材が売れない

売れていくものと売れなくなったものとの差が広がっています。

特に木材は使用するサイズがかなり狭まっています。同じものしか売れなくなりました。新築住宅は構造材から羽柄材まで、プレカット工場で用意することになり、木材業者の持つ役割はますます減少していきます。

一方、リフォームの現場では、必要な部材を必要なだけ発注されます。材料が余ってごみになってしまうことを嫌います。そのため、内輪に発注され、こまめに追加されます。この手間がかなりかかります。ある程度ゆとりを見て材料を入れておいた方が、結果的に安いと思うのですが、そうする人は稀になりました。

実行予算に余裕がないのでそうなってしまうのだと思います。今見積もりをしている住まいも第一回目の打ち合わせをした段階で見積もった金額でもすでに予算をオーバーしています。これから削ることになりますが、その反面すでに追加するものも決まっています。追加されるものを考慮しながら削ることになります。かなり落とさないと予算に見合うものにならないでしょう。担当が木材だけなので多少気は楽ですが・・・・

さて、一昔前のように大工さんが手刻みをする時代が終了して、工場生産が当たり前になったために、木材市場を通る木材の量が大変減少しました。そのため市場から木材を引き取り、我々が大工さんに木材を売るルートは小さくなりました。必要性が少なくなりました。木材だけで木材問屋が生き残ることが難しくなっています。より大きなところに吸収されていくか、ないしはもっと個性的な所や隙間で残っていくしかないようです。これは我々仲買といわれる材木屋も一緒です。

ここ二十年間で建築に重点を移した方々は、材木業者として「木材を売る」ということについて真剣です。住宅全体についても責任を持つことになり、そのプレッシャーも重くなっていると思います。そうでない所は従来の延長線上で仕事をしている所は木材の売り上げが落ち、その分を建材や住宅機器で穴埋めしていなければ、仕事を続けることができない所へ来ていると思います。

さてさて、こんなことを書いていたら、東京中央木材市場のイベント「樹魁」の案内が「新東京モック」から来ました。このイベントを通して国産材のPRや木造住宅に係る情報の発信をしていくとのことです。今年大きく問題になるのは、「住宅瑕疵担保履行法」と「長期優良住宅」だといわれていますので、これらについて教えていただくためにも、こういうイベントに参加すれば勉強になると思います。時間に余裕のある方は、2月28日土曜日、浦安にある木材市場に行かれて、講演と木材市場の見学をしてこられるとよいと思います。この市場は木材の種類や量が半端でなく多い所なので、ぜひ一度は見てきたいところです。木材は見て覚えるのが一番だと思います。

2009/02/17(火) 晴れ時々曇り


[ 住人あれこれ ]
住人あれこれ


二件たまっていた家賃が一件は追いつき、もう一件も半分いただき、少しゆとりができました。あとは売掛金の回収に力を注がなければなりません。


さて、アパートやマンションの住人も様々です。

Eさんは母親と二人暮らしの息子さんでした。息子といってもすでに50代。京都帝国大学を出た方でした。そのお母さんも京都の方で、年に何回かは宮内庁からお菓子が届けられる家柄の方でした。「なんでこんなに狭い所へ」と思いましたが、本人は「こちらの方が落ち着ける」とおっしゃっていました。今の私なら、この気持何とか理解できます。このお母さんが十年ほどしてなくなりました。Eさんは独り暮らしへ。隣には同年代のご婦人が住んでいました。
ある日、二階に住んでいたEさんがグラスライトを突き抜けて一階に落ちて血だらけでした。なんでも雨が降ってきたので隣の洗濯物をしまおうとして落ちたという話でした。間もなく引っ越されました。

Fさんは若い女の子で20代前半。あまりここに帰ってこなかったので近くに住んでいたお兄さんが心配してこのアパートの寝泊りしていました。時たま帰っていたようですが、その時には妹に会えません。お兄さんはこのアパートに寝泊まりして入口に中から髪の毛を一本つけておいたそうです。朝になってこの髪の毛が切れていたので、夜中に帰ってきたみたいだと話していました。この女の子は間もなく男の方とどこかに行きました。

Gさんは職人さんで、普段は良い方なのですが、隣の学生さんが時折友達を連れてきては騒ぐので夜中に包丁を持って行って隣へ怒鳴り込んでしまいました。両方とも出て行っていただきました。

Hさんが引っ越してこられました。片方の足の悪い女の方でした。気持ちのよい人で礼儀も正しくて、「足が悪くなかったら」すぐにでも誰にでも紹介できる人なのに、などと母が言っていました。数か月して結婚が決まり、引っ越されました。

Iさんには建て替えのために半年前から引っ越していただくように話していました。お手紙も書きお願いしていました。が、その方のボーイフレンドなる方からお怒りの手紙をいただきました。それでも何とか期日には出ていただきました。が、部屋に入ってびっくり。トイレの中は排泄物の山でした。

Jさんは不動産の資格を持つ人でした。おめでたい名前で、一見するとどこかの重役のような風貌です。その頃でもう五十は過ぎていたと思いますが、マンションを転々としていた方でした。その方がウチにも来てしまいました。口は上手く、優しい言葉で事細かに話をします。が、この方の特徴は入居したとき以外お金を支払わないことで名を馳せた方でした。念書を書いていつまでにいくら払うといっては、その期日前に来てもうちょっと待ってくれとか、いくらにまけてくれとかいうのですが、結局払わずじまいで出ていきました。最近見かけませんが・・・

みんな十五年前二十年前の話です。


2009/02/16(月) 晴れ


[ たまには映画を ]
たまには映画を

遠出や外出することが少なくなってしまいました。右ひざが痛かったり、手首や筋を痛めてしまったこともその要因です。
そこで、たまには映画を見に行きたいと思いました。先日「K―20」を見てから、また映画を見たくなっていたのです。そこで「二十世紀少年第二章」を新宿まで見に行くことにしました。ところが私が考えているより、はるかに混んでいたので、これをあきらめ、小田急で買い物。「すずや」でとんかつを食べ、追分団子を買って帰りました。

60歳を超えれば、ひとり1000円で見ることができます。まだその年までちょっと間がありますが、安い娯楽になります。現在は二人で行って夫婦割引を使います。座席指定のない所だと一人1000円ですが、今回予定したピカデリーなどでは、二人で2500円です。席を決めてゆっくり見られるのもありがたいことです。

夕方からは中学生や大学生に交じってテニススクール。何もかも忘れるようにして走ってきました。何とか他のスクール生に迷惑をかけずに一時間半過ごせました。仕事で疲れたのと違い、スポーツのそれには爽快感がプラスされます。気持ちが良かったです。

ただし、明日か明後日には、疲れがどっと出ると思いますが・・・



久しぶりの「すずや」でした。トンカツはおいしかったのですが、トン汁が今一歩。こちらはお勧めできません。

2009/02/12(木) 晴れ


[ 難しいこともある ]
難しいこともある


占いで「晩年はすごくいいが寿命は65歳」といわれていた母が亡くなったのは66歳の時でした。母との最後の会話は「(病院から)もう帰れ」で、父親とのそれは「お酒が飲みたい」でした。映画やドラマのようにはいきませんね。最も父親が入院している今となっては最後の方の時に「冷酒なら出せるけど」と言ったら、「ひやは身体に悪い」と拒否されました。

人生もこの年まで来ると、「あとはどうとでもなれ」という気にもなってきます。とりあえず今のところ人生でやり残していることはあと二つあります。簡単にできるようでもあり、難しいようでもあります。体力をつけておかないといけませんね。

さて、工務店さんの請負金額が伸びないので、工務店の社長の立場から言うと、「大工を使えなくなった」と言いますし、大工の側からすると「連続して仕事がない」になりました。鉄筋鉄骨の現場は、間仕切りや天井はケイテン屋、床は床屋が行ったりして大工の出番が少なくなりました。請負している方から言わせると「その方が足を出すことが少ない」とのことです。7日に棟上げした現場も、12日にならないと材料が入らないので大工さんは三人のうち二人はお休みでした。こちらは大工さんの年齢が高かったので良い休養になったかもしれませんが、大工さんも連続して現場には入れなかったり、その反面工期は決まっているのでせかされたりして、大変な思いをしながら、仕事をしています。大工が仕事をリードしていた時代が終了してしまった結果でしょう。

さてさて、この一ヶ月間ある問題で時間を割かれてしまいました。寝ても覚めてもではないですが、どこかにこの問題がこびりついていて頭を悩ませていたのですが、いろいろな人の力で一歩ずつ前に進んできました。この間学んだことは解決に向けて努力する人と放棄してしまう人では人間的な魅力に大きな違いが出てしまうということです。

難しいこともあります。が一歩一歩解決へ向けて努力する人は素晴らしいです。

2009/02/11(水) 晴れ時々曇り


[ タクティー ]
タクティー



たまっていた家賃を半分だけ支払っていただいたので、今日は週末の疲れも手伝って外食することにしました。中野駅近くの「クスクス」あたりと思ったのですが、行くのも帰るのもかったるいので、中野新橋の「タクティー」しました。ここへはランチを食べに来たことはあってもディナーはなかったので豪華夕食しました。お勧めのコースを一つずつ頼んでビールを飲んできました。前菜は少し物足りませんでしたが、鯛のカルパッチョや牛ヒレのワイン煮などはおいしいものでした。食べ物のレベルは高いと思います。それに加えてそれなりの雰囲気もあるので、良い店だと思います。

中野新橋にも、おいしいものを食べさせてくれる所は皇華飯店とか、とり花とか、タベルナパパとかあり、よく行きますが、雰囲気がないのが欠点です。その点そういうものを持っている所です。難点を云えば、お店が表通りにあるのにわかりにくいことでしょうか。中野新橋の駅を降りて左に行き、神田川を渡り、「ヴォーノ」を過ぎて「香港屋」の隣です。


2009/02/08(日) 晴れ


[ 材木屋は末端の商売 ]


材木屋は末端の商売だと母は言っていた。大工さんにはいい人もいればそうでない人もいます。成功していく人もいれば、失敗してしまう人も数多く見てきました。職人さんで良い仕事をしてもそれがそのまま良い生涯につながっていく人は稀です。材木屋はそういう人を相手に仕事をしています。とりあえず私のところでは、そうしてきました。

だから、派手なように見えて地味な商売をしなさいといわれてきました。父と母は力を合わせてお金をためては土地を買い、一階には下小屋、二階にはアパートを作り、二階のアガリで借金を返し、あるいは固定資産税を充当しながら、なんとかここまでやってきました。新たに買ったり、またその反対に売ったりしながら、ここまでやってきました。その上りのおかげで私は大学へ行けたし、今でもアパートの上りがあるので多分のんびりとした生活をさせてもらっています。

そのアパートでもいろんなことがありました。

警備員だったAさんは、同僚と二人で住んでいましたが、仕事を辞めたくなったのか、仕事場に出なくなりました。心配した上司や同僚が捜しましたが見つかりません。一緒に住んでいた人とは夜勤で交代で寝起きしていましたので、「ここに帰ってきているのは間違いない」ということになりました。ある時、一緒に住んでいた人が「人の気配がする」と言ってうちに来ました。恐る恐る部屋のかぎを開けて中に入ってみると、人はいませんでした。しかし、押入れを開けると小さくうずくまった彼がいました。「気の小さい人」でした。


塗装工だったBさんは、独身の50代。40代半ばからうちのアパートの住人となりました。当初は手間も良く、実入りも良かったので、近所の居酒屋などで学生さんに奢るくらいの人でした。だんだん時代と共に手間も下がりました。そんな折、足をけがして数か月休んでしまうと、アパート代をためるようになりました。遅れ遅れで支払っていましたが、手間も良い時の半分になり、生活が苦しくなったようでした。それでも何とか落ち着いてきていました。数年後ある時から「中国語を話す姪」なる人が家賃を持ってくるようになりました。そして数ヵ月後、そこからBさんは家賃をためるようになりました。年齢も上がり、痛風も出て一年半分の家賃をためたところで出てもらいました。


東京で暮らしたいと思ったCさんは、20代前半です。部屋は汚しっぱなしで何度注意しても治りません。家賃を幾度か溜めては返し、返せば生活が苦しくなってしまうので、またためる、その繰り返しです。二年ほどで親元に帰りました。いなくなってから借金取りが二か所から来ました。「引っ越したので行先はわかりません」と告げるとそのまま帰りました。私の方は精算して足りない分を本人に請求して、振り込んでもらいました。


美容室のオーナーであるDさんは30代半ば、美人の奥さんと小学生の娘二人の4人暮らし。収入もあり、仲の良い家族でした。引っ越してきて一年もしないうちにつつましい生活に変わりました。人に貸した多額の現金が戻って来なくなったからです。引っ越しの際に小学生のおねいさんから「お世話になりました」と言われたときには言葉を返せませんでした。今頃どうしていますかね。ちゃんとした人だったのに…

人間ちょっとしたことで人生が変わります。良い方に変わることは少なく、悪くなるのに時間はかかりません。ここのところでいっぺんに景気が悪くなりました。若い人も都会で暮らすにはお金がなく、将来も見えないのでしょう。それでも多くの人がそうするようにきちんとしないと、その先はもっと見えません。今また新たに家賃の滞納が始まりました。きちんとしましょう、逃げてばかりでは何の解決にもなりません。とりえずお金はないのでしょうけれども・・・

今日は節分。気持ちを切り替えるには良い時だと思います。心の中にある「鬼は外」です。


2009/02/03(火) 晴れ


[ 値段ばかりになってきました。 ]
値段ばかりになってきました。


マンションのリフォームでも二十年前は見せる柱があり、その場所では105角を使い見せました。和室を作ったということです。それが今では和室であっても柱を見せるということはなくなりました。いわゆる大壁工法が一般的になりました。その結果柱は見えませんから、その隠れてしまう柱の大きさは105ミリから、90ミリ、72ミリへと小さくなりました。それが今では60ミリが基本で、65ミリや45ミリというものもあります。ケイテン材の大きさが65ミリないし45ミリなので、そちらを目印にして耐火ボードを貼り、幅木をつけたものが枠の大きさになります。柱や間柱の大きさが小さくなったので、使う木材の体積も減りました。木材は体積で換算されることが基本ですので、小さな木材を使えば、安くなります。マンションの内部などは力のかかる所はありませんので、小さな木材でも力には影響がありませんが、見た目はか弱いものになってしまいました。

さらに安くするために大工を使わずに、内装業者を用いるようになってきています。仕事は簡単になってしまいました。確かに早くできますが、出来上がったものに物足りなさを感じています。それは私の感覚的なものでしょうが、リフォームの時など返って手がかかると思います。大工が作るものは「個」に対応しているものだからです。

そんなことを考える時代ではなくなったのでしょうか。

2009/02/02(月) 晴れ


( 2009/03 ← 2009/02 → 2009/01 )


[ 管理者:大野満生 ]


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