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時々更新mn日記

( 2009/01 ← 2008/12 → 2008/11 )


[ 根岸建設の餅つき ]
(有)根岸建設の餅つき


今年も(有)根岸建設の餅つきが12月28日に行われました。今年は昨年と少し違って弥生町3丁目町会との合同開催です。一応一部が町会、二部が根岸建設という形になっていました。
町会の方は町会長をはじめ、婦人会の皆さんがお手伝いに来てにぎわいました。参加者も200人を超えました。
午後二時を過ぎるころから根岸建設関係の方々が交代で餅を付き夕暮れを待って解散となりました。風も少なく暖かい日和の中、大人も子供も餅つきを楽しみました。






2008/12/30(火) 晴れ


[ 良いお年を ]
よいお年を


今年も押し詰まってきました。今年は皆様にとりましてどんな年でしたか。良い年でしたか。私にとっては良い年になるように十分努力したつもりです。それでも体力は落ちましたね。ピークを過ぎた感じがします。

以下、今年のイメージはこんな感じです。















新年は8日より営業いたします。
皆様、良いお年を迎えください。

2008/12/29(月) 晴れ


[ 今年一年は ]
今年一年は


みなさんにとりまして、今年一年はどんな年でしたか。
仕事に関しては、昨年末より厳しい時代が続き、大工・工務店の仕事が減ったことが一番の特徴でしょう。そのせいで売り上げも減少しています。木造住宅がらみの仕事が減り、マンションリフォームや店舗関係に仕事が中心になりました。そのことにより売れていくものは限られた種類のものになりました。さらに木材だけを売っていくことでは売り上げに貢献できなくなりました。建材や住宅機器の販売や施工がらみの仕事を私たちがこなせるかが売り上げの分かれ目となります。

今年は石油価格の変動の大きさに振り回された一年になりました。各建材メーカーも価格改定を行い、カタログを新しくした途端に今度は仕事がなくなりました。物がだぶついてモノの値段が下がる傾向にあります。輸入されてくる品物に関してはさらに円高が追い打ちをかけるでしょう。

来年は「瑕疵担保」の問題もありますのでより一層「町場」と云われる工務店・大工は仕事を取ることが難しくなるでしょう。

我々材木屋の行先は道が狭くなるように思います。しかしながらそれでも一般のユーザーは「無垢はいい、木材は良い」といいます。このギャップを埋める位置に行けるなら我々の可能性は開けてくると思います。

「幾度か辛酸を得て 志 はじめて固し」

2008/12/28(日) 曇り


[ 平等な社会 ]
平等な社会

先日、キャッシュカードでお金をおろしたら、出てきたお札の向きが裏返しでした。あるいは下を向いていたり上だったりバラバラの経験をお持ちではないでしょうか。コンビニなどでお釣りをいただいたときにも裏向きでいただくと何か変な気持になります。昔の友人のHさんは人にお札を渡す時には必ずお札を表にして上下も揃えます。お札の向きが変だと私はこの人を思い出します。お札が人の手によって渡されるのであれば、いつでも向きを同じにすることができます。人には機械では出来ない仕事ができます。これは人間の優位性です。そのことを放棄してしまう人が多くなりました。あるいは気にしない人が増えました。こうして美しいという感覚がなくなっていくのでしょうか。それともこれは上も下もない、表も裏もない平等な社会の入り口なのでしょうか。

日本の木には上も下もあります。木表も木裏もあります。下を向けて使うことはありません。表を見せて使うことも基本です。水はけを良くするために木裏を使うこともあります。壁材として共木を裏、表と交互に使うこともありますが、これは意匠で共に理由があってのことです。より美しく見せるための工夫です。

今年は格差が一層広がった年でした。楽をしてお金を儲ける人もいれば、仕事を奪われてしまう人も増えました。いくら仕事をこなしてもグローバルな世界では報われないことも解ってきました。個人の力など微微微力に過ぎません。それでも人には人にしかできない仕事をこなしていかなければならないのだと思います。

私たちの望むものは、生きる苦しみではなく、
私たちの望むものは、生きる喜びなのだ。(岡林信康)

大学の先輩の歌が脳裏に浮かんできました。


2008/12/27(土) 曇り


[ 簡単な仕事 ]
簡単な仕事


仕事には簡単そうに見えてそうでない仕事があります。あるいは簡単な仕事などないのかもしれません。だいぶ前のことになりますが、一枚の図面を(有)大工さんからいただいて見積もりを頼まれました。50坪近くある二階建ての住まいで上下同じ様な間取りでした。部屋毎に見積もる部分は二倍すればよいし、構造材に関しては柱の数や桁の数も普通に拾えばよいかな、と考えていましたが、どこかに違和感も感じていました。おおざっぱに拾っていくと中央にある階段の位置が一階と二階では少し違って見えました。そこで平面図をコピーして一階と二階の図面を階段部分を合わせて日に透かしてみたら、何と一階と二階では、建物が45センチずれていました。

これは自分では拾えないと、大工さんに詳しい図面をもらうように依頼して、プレカット工場へ見積もりを依頼しました。二階の柱を受ける梁が9メーターの450ミリとか7メーターの390ミリ(いずれも集成材)などという大きさになりました。梁のすぐ横を梁が通る形になりました。構造材だけで普通の住宅の倍近くかかりました。

仕事は甘く考えているとしっぺ返しを食らいます。簡単な仕事などないのです。力抜けば抜いた分だけ自分のためにならなしでしょう。簡単そうに見える仕事ほど慎重に対処したいですね。

2008/12/26(金) 晴れ


[ クリスマス ]
クリスマス

子供の頃には家族そろってクリスマスケーキを食べるのがこの時期の楽しみの一つでした。ケーキ屋さんにあらかじめ頼んでおき、イブの日に食べていました。アイスクリームでできたケーキの時も一度ありました。

さて、それから40年、50年と過ぎて今年は麻布十番の鉄板焼き屋「桜漫亭」でディナーをいただくことにしました。順番に出されてくるお料理にはアシスタントのおねーさんが一つ一つ説明してくれます。このような食事は「帝国ホテル以来かしら」などと話しながらいただきました。中でも鱈の白子焼き、鮑や牡蠣の鉄板焼きはグーでした。メインのお肉をいただく頃にはおなかも一杯になりました。初めていったところなので不安もありましたが、ちょっとずつ美味しいものを食することができました。鴨肉の付け合わせとして出された「インカのめざめ」なるジャガイモも甘みが強いものでした。

さて、ここを出ると、少し歩いてみることにしました。六本木ヒルズへ向かい、東京タワーを遠くから眺め、さらに東京ミッドタウンへと足を運びました。23日は人の出が多くそれに酔ってしまいそうです。それでも行ったことのないところへ行けて、良いクリスマスになりました。


記念に一枚とってもらいました。


料理はこんな感じです。


けやき坂です。ヒルズに人も車も一杯です。


タワーには50の数字が見えます。この後、ネオンの色が変わりました。


スターライトガーデンです。正面には東京タワーも見えます。


2008/12/25(木) 晴れ


[ マンションの最上階には ]
マンションの最上階には


オーナーさんが建てるマンションの最上階には、たいてい自宅が入ります。下の階は賃貸にして最上階が自宅です。そのような所には和室を造ることも稀ではありません。するとそこだけ仕事が取れることがあります。
「他のところはわかるけど、ここだけ見積もってよ」などと工務店の社長に言われ、平面図を元に木拾いなどしています。ただほんとに平面図と手書きの立面図だけで材料の概算見積もりを出すことになります。

「床柱は桧の絞り丸太」「壁は珪藻土」「地袋や物入れも作るけど仏壇置き場もある」といった感じです。図面に書かれていることを中心にして拾っていくのですが、わからない所もたくさん出てきます。今回も内法材で鴨居や方立てが杉、しかも敷居も杉と書いてありました。もちろん敷居溝には堅木を入れると書いてあるので問題ないのでしょうが、人の足が乗ってしまう場所だと、なんだか気がひけます。桧が嫌いなのか、杉が好きなのかなどと考えを巡らせながら見積もりを進めました。

6畳一間に床の間がついて材料だけで50万円くらいになるので決まるとありがたいと思っています。



2008/12/24(水) 晴れ


[ 直送 ]
直送、直葬


市場や材木屋の在庫品から配達せずに工場などから現場まで直接運んでいただくことを「直送」と言います。枚数が多かったり、特殊なものであれば、また現場が広ければこの方法をとります。運賃は掛かりますが、手間を省略することができるので便利です。この場合の留意点は荷受人さんがしっかりしていること。配送する人の電話番号を聞いておくなどするとトラブルが少なくなります。以前耐火ボードの直送を平塚まで頼んだ時に、現場には入れないと言って「降ろさない」というトラブルになったことがありましたが、電話のやりとりだけであいだに入った問屋さんと幾度となくやり取りの結果、なんとか降ろしていただきましたが、意思の疎通を起こしやすいので楽そうに見える仕事でも緊張感は必要です。

さて、最近はこの字も見かけるようになってきました。「直葬」です。当て字でしょうが、葬儀も簡単になってきました。それでいいのだと思いますし、自分はその方法で納得ですが、いざ送る方としてはなかなかこれとるのは勇気が要ります。

祖父母の葬儀は自宅で行いました。座敷にあった荷物を倉庫や下小屋に片付け、祭壇を飾り、親戚の人が座れる分だけ座布団を借り、台所では近所の奥さんが入れ替わりで手伝いをしていただいて、あわただしかったことだけ覚えています。夜中も誰が訪れても良いように店は開けっ放しで、それこそ「通夜」でした。今から30年も前のことです。

母親は66でなくなりましたが、64歳で末期のがんにかかり、最後の三ヶ月は死を待つ状態でした。そのため、いつそういう事態になっても良いようにあらかじめどこでどのような葬儀を行うか話し合って、葬儀屋さんも決めていました。その日はやってきました。阪神淡路大震災の年の秋のことです。

父の場合はそれから十年後突然やってきました。脳梗塞や心筋梗塞を経験し、介護保険の利用や老人保健施設を経て、病院に入院中でした。その日の昼間にお医者さんと相談して「そろそろ経管栄養も考えないといけませんね」「合わせたい人がいたら病院にいることもお知らせしておいた方がよいでしょう」

とりあえず父の兄弟に連絡して、私は仕事へ戻りました。その夜十時過ぎに危篤の連絡が入り、病院に駆けつけましたが、帰らぬ人となりました。その病院でも葬儀社の方を紹介していただきましたが、私は母親と同じにしたいと思い、十年前にお世話になった葬儀社に連絡をさせていただきました。夜中の十二時を過ぎていましたが、その病院まで駆けつけていただき、詳しい打ち合わせは「明日の朝」にしてその場は終わりました。

次の日、日取りや葬儀場を決め、親戚を初め各方面に連絡いたしました。ただ同級生の方には連絡を遠慮しました。父親も小学校の同級会を毎年のように開いていましたが、そのたびに少なくなり、また一番熱心にまとめていただいていた方もお亡くなりになっていたので、ここへは事後報告にさせていただきました。生前「飲み食いだけは、しっかり行うように」と言っていましたので、気をつけたつもりですが、どれだけできたのかわかりません。

私の場合、父親の時は母親と同じようにということですぐに行動に移れましたが、何回も経験できることではないので、あらかじめどういう葬儀を行うのか、あるいは喪主を決めておくと次の一歩が確実になるでしょう。

2008/12/23(火) 晴れ


[ たまには気楽に ]
たまには気楽に


12月20日は、中野区立神明小学校6年3組のミニ忘年会。ここ3年吉祥寺「玄品」での開催でしたが、私はここは初めて。フグを食べるというよりは話をすることが目的ですから、いつもながらにぎやかにやってきました。途中、体調不良で欠席したM君に電話して現況を聞くと「今日は良いみたい」とのこと。男連中は彼の体調不良を心配するのですが、女衆はM君の体重が減ったことも「ダイエットになってよかった」と、暢気なもの。女性の方が長生きするのがわかるような気がしました。気楽に、気軽にお酒が飲めて酔いが回りました。



2008/12/22(月) 晴れ


[ 「れれれ のおじさん?」 ]
「れれれ のおじさん?」


一週間ほど前、方南通りを夜に車で走っていたら、一軒のお店を見つけました。赤信号で止まった時に目にしたその看板には「牡蠣祭り」と書かれていました。「今度食べに来ようね」と話し、その場を離れました。
先日、昨日も忘年会だったし、今日は留守番もしてもらったので久しぶりに外食しようということになって、「この前見たところに行ってみよう」という話で、地下鉄を方南町で降りました。確かこのあたりと思った所まで来ました。店の看板とメニューは出ていましたが、「牡蠣」に関する文字が見当たりません。まだ五時半で時間が早いからかな、と考えている所で、突然、「大野さん」と声をかけられました。その人は歩道に落ちた銀杏の葉っぱを竹ぼうきで掃いていました。風が吹くたびに銀杏の葉は落ち、なかなかまとまりません。突然だったので誰かと思いましたが、見覚えのある方でしたので、「何、なさっているのですか」と声をかけたところ、「道を履いているんだよ」と一言。「れれれ のおじさんみたいだ」と思いました。

その方は中野十四日会で一緒だったことのある関さんでした。この方とは香港へ行った時に同室だったこともあり、「何年ぶりになりますかね」と声をかけました。そしてしばらくして「この前見たとき、牡蠣祭りって書いてあったのですが」と聞いたところ、「先週やっていたね。今日もカキフライならあるんじゃないか」と。私たちはてっきりこのお店は牡蠣の専門店かと思っていたのですが、じつは居酒屋風のスナックでした。入るか、入らないか躊躇しましたが、「ここは何を食べてもおいしいよ」と言っていただいたので中に入ることにしました。まだ時間が早く火も付けたばかりでしたが、入らせてもらい、まずは生ビール。関さんが注いでくれました。きめ細かな泡が口の中にあふれました。おいしいビールでした。「毎日、管も洗っているからね」

「あれれ、関さんはここで働いているのか?」私の中に疑問が生じました。やがてお通しとして「八寸」が出されました。塩辛やブリの照り焼きがちょこっとずつ載っていました。なかなかおいしいものでした。聞けばこのお店は関さんの同級生の方が開いていて、時間がある時には手伝っているとのことでした。カキフライや烏賊のすり身のピザなどを頼み、飲んでいると、関さんは途中から「お客になるぞ」と言ってビールを飲み始めました。来店した方々とも親しく気軽に話をし始め、いつもの穏やかな関さんがそこにいました。私たちも何品か食べ、お勘定を済ませたころ、「大野さん、飲んでいきなよ」とビールを渡され、ごちそうになってしまいました。

お店の感じはうるさくもなく静かでもなく、女将さんは「女性一人でも入ってこられるお店を目指している」とのことでした。実際女性の方も多く来店しておりました。方南町へ来たら、一度訪れてみてください。関さんがビールを注いでくれるかもしれません。

お店の名前は、「すてふぁにー」03−3316−6390
です。
2008/12/21(日) 晴れ


[ これなーに ]
これなーに






「長さ14センチくらいで、このミカンの空き缶に入る大きさの木材を作ってください」と頼まれました。幼稚園でクリスマス用に空き缶に飾りつけをするのですが、その際、空き缶の横に穴を開けたいとのこと。空き缶をそのまま横にして穴をあけるために釘を打つと缶が潰れてしまいます。そのため、この木材を中に入れて釘を打った時に缶がへこまないように補助するものだったのです。45×60ミリの木材を少し加工するとちょうど缶の中に入ることがわかって、それで作りました。最後に面を取って、ペーパーでこすって仕上がりです。

楽しいクリスマス会になるといいですね。





2008/12/20(土) 晴れ


[ 今日は朝から ]
今日は朝から


今日は朝から、引っ掛け業者の話が続きました。公金を使い込んで訴えられている人もいれば、他の材木屋を引っ掛けていることがわかって出入りを断られたもの。極めつけは引っ掛けたガラス屋から殴られた人の話でした。そいつは材木屋、大工、金物屋、水道屋、畳屋とあらゆる業者に迷惑をかけています。

仕事を取ってくるのがうまい業者さんですから、仕事を取ってきてはいろいろな業者に流しています。わが社に来ている大工さんも、ある仕事が決まり、「お施主さんと直に全部、大工に任せていただけるなら、やりますけれど、お宅が仕事を取ってその下請けではやりません」と答えたそうです。彼に請け負わしてしまうと、大工や下職に支払いが滞ることがわかっていたからです。

そういう人は言葉巧みで、人当たりも良いので、信用してしまう方が多いようです。また、Aという畳屋を引っ掛けたら、Bという畳屋を探し出し、そこを引っ掛けると次から次へと業者を見つけ出してくるのです。そういうすばしっこさを持っています。H畳店の主人も「ふんづかまえてやる」と息巻いていますが、さてどうなりますやら。

こういう話を聞くにつけやっと歳末らしくなりました。もっと楽しいことで「らしさ」を見つけたいですが、「引っかかるなら、寝てた方がいい」と、今日来た大工は言っていました。まったくです。

2008/12/19(金) 晴れ


[ マンションリフォームの見積もり ]
マンションリフォームの見積もり


17日は朝からの雨が冷たく、風邪をひいてしまいそうな陽気です。年末が近くなったので、今年中に支払わなければならないものは、今日でお支払いし、あとは集金を残すばかりです。

今日は来年の一月には、アパートが一つ空くのでそこを直すことを考えていました。現状を把握し、どのように直すかを考えていたのですが、今とあまり変わらなくなってしまいました。水周りのサイズを割り振っていくと、ユニットバス、キッチン、トイレ、洗面台などの位置や大きさが大体決まり、残りが部屋になります。配管もやり変えようと思っているので解体から考えていくと自分が考えている金額では出来そうにありません。かなり節約しなくてはいけなくなりそうなので、いったん休憩です。

予算が十分にあれば、好きなように出来ますが、それは無理な話です。最近マンションリフォームでもほんの一部しか直さない気持ちがわかります。でも中途半端に直して失敗しているのも見かけますので、ここのところはよく考えたいと思います。また、どんなによく作っても賃貸物件ですので入る方次第。さらに賃料も相場以上は取れません。上手に直せてすぐに人が入ってくれるとよいのですが・・・

2008/12/18(木) 晴れ


[ 本物の力 ]
本物の力


大学生の時、下宿生活をしていましたが、そこは昭和初期に建てられた京間の8帖で大した荷物が無かったせいか広々としていました。床は畳で木材の建具にはガラスがはめ込まれていました。外壁は下見板で木製。内部は真壁作りで塗り壁でした。冬ともなると隙間風が入ってきましたが、蒲団にくるまって過ごしていました。若かったせいもあり、居心地が悪いということはありませんでしたが、いま住みなさいと言われたら、しり込みするかもしれません。それでも壁や建具を手で触っても、木でできていますから鉄やアルミのように冷たくありません。

それから10年がたち、マンション暮らしになったことがあります。初めに住んだ所は床は畳、壁はクロスでした。息苦しい感じがしました。また冬場になると窓に水滴が溜まり、新聞紙を窓の下部に張り付けていた記憶があります。
次の所は床はフロアーで、壁はクロス。窓は掃き出し窓したのでベランダへ出るのは楽でしたが、冬場は窓から部屋の温度が下がっていくのがわかりました。また合板のフロアーでは足が冷たくなり、スリッパは欠かせないものになりました。
次の所は床は無垢のフローリングでしたが、壁は外壁に面した所はコンクリにクロスの直張り。窓は二重サッシになっていましたが、壁から冷気が感じられました。結露はありませんでした。

そしていま住んでいる所は、無垢のフローリングにペアガラスのサッシ。壁にも断熱材を入れて壁から熱が逃げないようにしています。足も寒くありませんので冬場になってもスリッパを履き忘れて過ごしています。

こう考えると少しは進歩したようです。

それというのも本物の力です。冬場になって感じることを書きましたが、床が暖かいだけでも血圧の上昇などは和らいでいると思います。

この間、設計士の方と我が家で打ち合わせをした時に30ミリ厚の床材が醸し出す「深み」や珪藻土の壁やスギ板の天井など、安心感を漂わせる住まいに仕上がっていることを確認できました。
あとは、「太めの柱を建てて、梁を見せたいですね」と言われました。私もいつかはそういう住まいを建ててみたいと思っていましたので、同感ですとお答えしました。本物は伝えていかないと伝わらないので、伝える努力も怠らないようにします。

2008/12/17(水) 雨


[ 後退する力 ]
後退する力


この頃心がけていることは定期的に動くことです。仕事で動かされているのもいいのですが、自ら動くことも必要だと感じています。それというのも何もしていないと筋肉が落ちるのが早く、いざつけようと思っても今度はなかなかつきません。前進する力は弱くなり、後退する力が強くなっています。

さて、木材市場でも木材が売れません。特定の材木しか売れなくなってきています。まず新築住宅の減少並びにこれを建てるのに「プレカット」になったためにプレカット工場を経由するものが増え、工場を併設していなければ量的に伸びることがなくなっていること。まして下地材まで工場加工するものが増えるとこの傾向は減ることはないでしょう。工場を併設していない木材市場で木材の売り上げが下がるのは当然でしょう。

第二に、大工・工務店の高齢化により、自らが加工する力を持っている大工の減少、並びに建材商品の整備化は早く仕上げるというニーズに応えることができ、あえて木材を使用しなくても代替品で間に合うようになっていること。

さらにお客さん自体が木にこだわりを持たなくなっていること、ないしは木の文化がわからなくなっていること。

木を扱う我々でさえ、木を使うために適した寸法のものを探し、樹種を決め、製材して加工して一人前にしても、十分な利益を得ることができるかどうか不安があります。おさめた商品がクレームのもとになってしまうこともあります。

もちろん、材料をおさめて、大工さんが取り付けをし、完成してお客さんに喜ばれ、それが5年10年を経て、もっと味わいのあるものに変化して価値あるものになり、「あの時これを作った大工さんの腕は大したものだった」と改めて感心することもあります。時々昔材料をおさめたところへリフォームで再び訪れることがありますが、真壁の内法が隙間なくおさまっていたりすると嬉しくなるものです。

さて話を元に戻して、木材市場は木材の売り上げの低下で四苦八苦しています。二トントラックに荷物を満載しても2、30万円くらいにしかならないものですから、木材は先ず安いものです。したがって利益率を下げるとやっていけないものになります。材料が右から左へ動いていた時はともかく、量的に動かなければ利益が出ない商品なので、高く買っていただかないと循環できない商品です。まず、木材を使っていただきたいですね。手間も暇もお金もかかりますが、日本の文化を残すためには日本の森からの贈り物を使うことを常に心がけていなければ、始まりがないように思います。前進する力は弱く後退する力が強いこの頃です。



2008/12/16(火) 晴れ


[ マルホンでサンプルを ]
マルホンでサンプルを

久しぶりに新宿のパークタワーへ行き、6階にある「木材どっとコム」ことマルホンのショールームで、杉とヒノキの床材のカットサンプルをいただいてきました。
最近はどんな木が売れ筋ですか、と受付の方に聞くと、落ち着いた色合いのウォールナットやカリンがよく出るとのことでした。
また、国産材ではと聞くと、山桜かクリでしょうか、と答えていただきました。このショールームには世界中の木のサンプルがあるといっても過言ではないでしょう。

さて、私のほしいものは杉とヒノキ、特に塗装してあるものとしていないものでどう違うのかお客様に見てもらいたいと思っていました。あいにく杉は無塗装品しかサンプルありませんでしたので赤味と赤白をいただいてきました。


左が「節ありの赤白」、右が「節ありの赤味」いずれも無塗装品。


左が「上小節の無塗装品」、右が「上小節の白木用オイルワックスを使用したもの」


同じ階には、国産材のフローリングを扱っているビービーウッドジャパンのカタログも置いてありました。無垢の木を扱うのには手間がかかりますが、かけた分だけのことはあります。






2008/12/15(月) 曇り時々雨


[ 京都から来た便り ]
京都から来た便り


京都にいたときの先輩で大学の先生をしているTさんが日ごろ大学生と日本近代史を勉強するさい、「日本近代史で学生に最低限伝える三つの事実」について書かれた話を目にすることになりました。ちょうどNHKドラマで「篤姫」が終了し、その最終回では幕末から明治への移り変わりを描いていましたが、テレビでは出てこない事実もたくさんあります。

以下、とりあえずいただいた原文をそのまま載せます。

第一は、安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で、つばぜり合いの結果現場に指、鼻、耳の一部が大量に落ち、また襲った方も興奮して同志討ちを始めたという事実。

第二は、1877年西南戦争の際、西郷軍壊滅の際の死体の陵辱、両軍ともに死体への切り込み、あるいは政府軍の肝試しとしての人肉食いの事実。

第三は、1944年のレイテ戦の際、、大量の餓死者、人肉食いの事実。これは戦争とか「武士道」などというものを美化させないために、最低限大学生に伝える事実である。とくに、日中戦争以降の軍人・軍属の戦死者数の約60%は餓死・病死者であったという事実は、必ず伝えるようにしている。(50%という説もある)


第一も第二も初めて聞きました。驚きと同時にこれは調べてみる価値があるとも感じています。第三は有名ですね。戦争は弱い者から死んでいきますから、けがや病気で弱くなると死ぬ確率は増えます。弾にあたって即死というのは少ないのです。私にはもちろん戦争体験はありません。私の父も終戦時の二等兵で昭和20年に入隊して九州の太刀洗で終戦を迎えたと聞いています。その間、死人を見ることも人に向けて鉄砲を打つこともなかったといいます。ただ、終戦になって帰ってきたとき実の母親が本人だと気がつかないくらいやせ細っていたとのことでした。またあと戦争が1、2週間延びれば朝鮮半島へ渡っていただろうとも話していました。このあたりはわかれ道です。

則子の父親は、初年兵で配属されたところが2,26事件のいわゆる反乱軍の方で、その関係ですぐに中国大陸へ。一度帰国してから再び南方へ。終戦は樺太で迎えたといいますから、戦争の話などしたくなかったでしょう。

さてさて、大岡昇平さんの「レイテ戦記」も読まなくてはなりませんね。戦争が楽しいのはそのことで金儲けをする人だけです。


2008/12/14(日) 曇り時々雨


[ 夜へ急ぐ人 ]
夜へ急ぐ人


物まねで中島マリさんが以前、ちあきなおみさんの「夜へ急ぐ人」を歌っていました。不思議な歌だと感じていたのです。又このような歌は、ちあきなおみしか歌えないとも思っていました。ちあきなおみは旦那である郷鋭治さんが亡くなってからテレビに出ることも歌うこともなくなった歌手です。もう伝説的なところにいる人です。「喝采」は有名ですね。私の友人にデビュー当時のちあきなおみが大好きで下宿の部屋にポスターを張っている人がいました。「雨にぬれた慕情」や「四つの願い」「X+Y=LOVE・・・」などを聞いていたその人やその頃を思い出します。

さて、このところ見積もりをしながら、南沙織を聞いていたり、朝の景気づけに西郷輝彦の歌を楽しんだりしているうちに、ユーチュブで「夜へ急ぐ人」までたどり着きました。

夜へ急ぐ人がいりゃ 
その肩止める 人もいる
(中略)

私の心の深い闇から おいで おいで 
おいでをする人 あんた誰


わけのわからない歌詞です。この歌を作ったのは誰かと気になっていたら「友川かずき」でした。マイナーなフォーク歌手です。この人の代表曲はこの「夜へ急ぐ人」ですが、もうひとつをあげるとすれば、「生きているって言ってみろ」です。

首切りにあった派遣社員の方々、就職氷河期の学生さん、
「生きているって言ってみろ」

元気を出さないといけませんね。
逃げてもダメです。

2008/12/13(土) 晴れ時々曇り


[ 設計士に説明 ]
設計士の方に見ていただきました。


木造二階建ての打ち合わせを、設計士の方としました。おおよその図面も完成し、プレカットで加工することも決まり、新東京木材のプレカット部の都丸さんを交えて、打ち合わせをしました。その際、設計士の方に使用する予定の木材を見ていただきました。

土台=桧。桁・胴差し=ベイマツと杉。柱=杉と桧。屋根垂木=米栂45*60。筋違=45*90。野地板=杉13*180。間柱=杉27*105。根太=米栂。下地床板=15ミリ構造用合板などなど。

構造材や下地材では使用する木材の種類は多いのですが、樹種は少なくてあっという間に説明が終わってしまいました。

次の機会では造作材です。

2008/12/12(金) 晴れ


[ 年をとると ]
年をとると


よく年を取ると子供に帰る、と言いますがこのところ年を取り始めたので子供まではいきませんが、十代に聞いた歌を聴くことが増えています。


小学生の時にはじめて覚えた歌が「愛ちゃんは太郎の嫁になる」でした。中学生になると歌謡界では橋、舟木、西郷のいわゆる御三家という時代が来ます。「月刊平凡」や「月刊明星」という本が売れていて買ったり、立ち読みしていたのを思い出します。歌番組も「ロッテ歌のアルバム」でしたか、日曜日のお昼に玉置宏の司会で有名な番組がありました。御三家の中では圧倒的に舟木一夫派でした。初期の歌はいまだに愛唱歌です。が、すこし遅れてデビューした西郷輝彦の方がかっこいいのでそちらの方にも首を突っ込んでいました。

ネットから西郷輝彦の年譜を追うと
1964年「君だけを」「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」「17才のこの胸に」「君と歌ったアベマリア」「わが青春」
1965年「涙をありがとう」「恋人ならば」「星娘」「星と俺とで決めたんだ」「この虹の消える時にも」
1966年「涙になりたい」「星のフラメンコ」「傷だらけの天使」「初恋によろしく」「恋人を探そう」

これくらいまでが黄金期でしょうか。このあたりまでは大体わかります。これから考えると3年くらいが歌手としても絶頂期で、その後は俳優としてテレビに出ていくことになります。
でも私の中ではやはり歌手ですね。西郷輝彦の曲名をみると、「君」「星」「涙」「恋」わかりやすいですね。「君だけを」で爆発的に売れて一気にスターダムへ。続く「チャペルに続く白い道」から連続ヒットして御三家を確立していきます。「明星」だか「平凡」だか忘れましたが、「君だけを」に続いて「チャペルに続く白い道」を出した頃には「西郷君も歌がうまくなった」とある評論家が書いてありました。「君だけを」と「チャペルに続く白い道」はデビュー前に同時録音したものですから、評論家の言うことはいつの時代でも当てにならないものですね。

2008/12/11(木) 晴れ


[ 栗田工業(有) ]
栗田工業(有)


中野区弥生町3丁目にある地元密着型の左官屋さんです。我が家のリビングの壁に珪藻土を塗っていただいた左官屋さんです。技術的には素晴らしいものを持っていると思います。それは完成から5年の年月を経た今でも全く変わりなく、穏やかな壁が存在しているからです。最近では左官仕事だけでなく、リフォームの仕事を仲間に紹介したりしています。技術のあるところは残していきたいですね。


栗田工業(有)はこちらから探してね。
東京都左官職組合連合会

2008/12/10(水) 晴れ


[ (有)丸清塗装店 ]
(有)丸清塗装店(まるせい)


近くのペンキ屋さんです。
ペンキは材料を保護するために使うものですが、単純に上から塗ればよいというものではありません。現場に合わせた対応ができることが一番大事です。その意味でははっきりとした哲学を持っているので、その点安心感があると思います。以下のようなチラシを出しています。



2008/12/09(火) 晴れ時々曇り


[ 気をつけたい季節 ]
気をつけたい季節



今朝の冷え込みは一段と厳しかったですね。お客さんに「寒いですね」と挨拶したら「懐も」と言われてしまいました。風が冷たくて肩が凝りそうです。そんな時は耳を上、横、下と引っ張って血行を良くし首を回したりしています。

さて、東京土建中野支部のある分会の方が首になりました。表向きは組合費や健康保険料の未払いだと思いますが、この方は有名な未払い者で、お金にだらしないことでも名の知れた方でした。たぶんもっと大きな問題を起こして組織を追われたのだと思いますが、それは想像の域を出ていません。その人は普段は杉並のK建設を独立した人の所や中野のH建設の仕事をしていますが、途中で仕事を投げ出す癖もあり、ちゃんとしない人でした。息子が仕事を始めるようになってから、少しは真面目になったかな、と思っていましたが、やはりとんでもない奴でした。

そのN君をこの夏、たまたま使った工務店が普段使っているS君も未払い業者だと知りました。「類は友を呼ぶ」でないといいのですが・・・

このところ仲間と話すといきなり来社して掛け売りをお願いするものが出てきているといいます。それも最近は手が込んできて「今までは○○材木店で買っていたけれど、今度はお宅でお願いしたい・・・」などと、さも取引があったかのようなことを言ってきたとのことです。その方は言われた材木店にすぐにメールして、そうでないことを確認したようですが・・・

材木店が減少して材木を買うところが限られてきています。初めから掛け売りを要求してくるところにはとくに注意が必要です。懐の寒い季節です。風邪だけでなくおなかも壊さないようにしたいものです。

2008/12/08(月) 晴れ


[ 久しぶりに ]
久しぶりに



久しぶりに上高田運動公園でテニスをしました。土曜日に抽選で当たった方がいてお誘いをいただいたので二時間参加。一人200円で2時間遊べます。青天の中しかも風もなく多少眩しさと闘いながら球を追いかけてみました。気持ちよく走った後はひと風呂浴びてテレビ観戦。石川遼君を見ていました。夜は十四日会の忘年会。今回は中野新橋の中華料理店「皇華飯店」。おいしい料理屋さんなので中野支部で利用したこともあります。次から次へと出される料理を平らげていたら、本当に満腹。夜中まで満腹感が持続して寝付かれませんでした。

さて、久しぶりにテニスをはじめたので足、腰と言わず疲れが残るようになりました。ストレッチも多少するのですが、温泉に入ってボディケアも受けたい気持ちになって日曜日には「おふろの王様花小金井店」へと行きました。光が丘店もありますが、こちらの方が広くて整体を受けるところも数があるのでこちらでのんびりすることにしました。ここでのお気に入りは寝湯。腰かけている椅子の背中にお湯が流れる設備もいいです。あまり長く入るほうではありませんが、のんびりして体を休めて帰ってきました。


2008/12/07(日) 晴れ


[ アパートの一室が空いて ]
アパートの一室が空いて



アパートの一部屋が空いたので、見に行きました。女の人二人で住んでいたので部屋はきれいでした。お風呂の大丈夫、トイレも問題ない。照明器具もちゃんとつくし、クロスも汚れていませんでした。畳の表替えは必要だとしても、あとは掃除をすればいいくらいだと自分は思い、不動産屋の担当の方とも話し合ってそうしました。次の入居者の方もすぐにきまり住み始めたところ、水道の蛇口から水が漏れるようになったという話が来ました。続いてインターフォンが壊れているとの連絡がありました。

実はこのアパートはすぐそばにありません。何かあったらそのすぐ近くの畳屋さんに修理などをお願いしていました。今回もお願いしたところすぐに対処していただきました。この方は東京土建中野支部若宮分会の方ですが、気持ちの良い方で畳の表替えをはじめ、内装工事をお願いしています。今回も仲間の方に連絡して対処していただけましたので大変助かりました。こういうつながりを一つ持っているだけで安心感が生まれます。良い人との出会いは人生を豊かにします。


2008/12/05(金) 曇り時々雨


[ 12月に入って ]
12月に入って

早いもので今年も最後の月になりました。
忙しい工務店は2社くらいで、あとはのんびりしています。日を追うごとに厳しくなる予感がします。工務店さんも仕事を無理して取っているところは支払いができなくなっています。初めから赤字覚悟で始めると実際に赤字になります。マンションリフォームで部分的なリフォームをしていると、次から次へと悪いところが出てきて、3万円や5万円の予備費ではすぐに底をついてしまいます。

床鳴りを直すのにクッションフロアーをはがしベニヤを取り除いて根太を補強などして床鳴りを直すと大工が一人としても材料費や仕上げのクッションフロアーも張りなおさなくてはなりません。部分的な補修でもそれ以上のお金がかかります。

さて、12月に入って、今年は喪中葉書がたくさん届きます。親を失う方が多く、また仕事を引退したというお知らせも増えました。その反面、子会社の社長になったというお知らせもあります。私はいま中学生や高校生に交じってテニススクールに通っていますが、彼らから見てお父さんとお爺さんの中間点で頑張っています。「このレッスンは大野さんには無理かな」などと言われながらも、とりあえず走って、無理そうな時はお水タイムにしています。

風邪をひかないようにしたいですね。

2008/12/04(木) 晴れ


[ 見た目、塗装、好み ]
見た目、塗装、好み



八畳の座敷にフローリングを敷き、その上に畳を敷きたいという話がありました。またリビング床をヒノキのフローリングにしたいという話もあります。

一つは座敷です。欅とか松の板目の類では廊下のようになってしまうので杉とか桧の板を張ることを検討しました。あるいは松なら柾目のものを考えてみました。大工さんも杉あたりなら見た目も良いかな、と話していました。そう考えて次の課題である畳のほうに移りました。なんでも客さんが言うには、寒い時期には畳を敷いて過ごしたい、そんな話をしたそうです。そこから連想すると取り外しができることが条件です。そうなると畳の厚さも30ミリくらいの薄いものを考えた方が良さそうです。どこかにしまうことまで考えるとサイズも900角くらいになります。琉球畳のようなものを想像しました。ただ、外したときと敷いてある時にできる段差を解決するためにどちらを基準として床を張るのかも考えておかねばなりません。

さらに無垢の木は収縮します。現に二年ほど前にメープル材を張った所はかなりの隙間ができています。もちろん湿度によって少し戻ったりしていますが・・・これを考えると杉を使う場合注意が必要です。下張りもしておいた方が安全になります。

そして塗装です。どういう塗装にするのかもありますが、塗装する費用も見ておかなければなりません。時間がかかります。現場で塗装するとなると、埃が舞っていては仕事になりません。現にお客さんの要望で床に桧のフローリングを張りたいという話がありますが、現場で塗装するのをペンキ屋さんが嫌がって「塗装品で探してくれ」という話もあります。塗装品で商品として出ているものもありますが、それらはたいていは受注生産品になります。

そんなことを大工さんと二人で話していたら、床も出来上っていたものの方が良いかな、ということになり、建材メーカーを当たることになってしまいました。大建工業の桧のフローリングを床に張って、その上に同じく大建工業の12ミリか15ミリの畳フロアーを置く形で見積もりを出すことになりました。

仕事をする方からすると、クレームは怖いし、時間がかかりすぎて工期が延びるのも避けたいし、と考えていくと建材メーカー品に頼るようになります。いろいろな選択肢はあるのですが、お施主さんの方に「これを使いたい」という強い想いがなければ、そこへなかなかたどりつけません。楽な方と言っては問題があるでしょうが、便利な方に進んでしまいます。

便利ばかり追求すると本物へは辿りつけません。

2008/12/01(月) 曇り


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[ 管理者:大野満生 ]


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