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時々更新mn日記

( 2008/09 ← 2008/08 → 2008/07 )


[ 橋本愛蔵商店行き詰る ]
橋本愛蔵商店行き詰る


木材建材販売の問屋である(株)橋本愛蔵商店が行き詰まり自己破産することになりました。この問屋さんは新宿木材市場株式会社の中にあり、木材では鶴が島市場、建材は鶴が島と世田谷の北沢にあり、私にとっては、北沢は引き取りやすい場所でした。建材類は何でも在庫してある問屋さんでしたので、急ぎのものや特殊なものでもすぐに間に合うという便利や問屋さんでした。
それが、長年の収益低迷に加えて、昨年来の市況低迷と販売不振が重なり今回の事態になったと云われています。取引先の倒産に絡んでの連鎖倒産などではないので、事態は余計に深刻です。

これでまた一つ仕入れ先を失ったことになります。
また、同日ポリ合板の問屋である「エール産業」もつぶれました。この業界は一段と小さくなっていきます。


2008/08/30(土) 晴れ時々曇り


[ 納期短縮 ]
納期短縮

仕事をしていて注文をいただいたものが欠品しているものが増えています。注文して、納期を確認し、欠品しているので納期の短縮をお願いして、あるいは他の会社で注文しているものでまだ実際に使うまでに時間のあるものを探していただいて工事に間に合うようにお願いすることが増えています。

夏休み前に、頼んだフロアーは欠品中とのとこと。最短で20日。それを何とか探してもらって夏休み明けの18日に入荷するように手配できました。そこへ18日に追加の注文をいただき手配したところ、再び欠品で納期は9月の3日。問屋さん数件にダブって頼んでみましたが、「在庫は一束もありません。欠品中です」とのこと。納期短縮をかけてもらい、納期9月29日になり、さらに26日中に問屋に入荷するとのこと。だいぶ縮まりました。この間、お客さんには少し工事を遅らせてもらい、フロアーの入荷に合わせていただき、無事納品できました。

が、フロアーの製造日は、8月10日。
夏休み前です。誰かが抑えていたのを回したのですかね。

さて、フロアーを無事納め終わったら、リフォーム用の框を追加で注文されました。また欠品中とのこと。納期短縮をかけています。

2008/08/27(水) 晴れ時々曇り


[ 立秋を過ぎると ]
立秋を過ぎると


ここのところ急に涼しくなっています。22日の池袋市場の「鮎まつり」や23日の昭和会の「納涼会」など暑気払いという感じではなくなってしまいました。22日夜から行われた近所の川島商店街の夜店市も涼しくて「カキ氷」が売れないといった現象が起こっていました。この夜店市も今年で41回を数えますが、この夜店市の時だけは昔日の人通りになります。



川島町に隣接する中野新橋では22日は「素人カラオケ大会」23日は「盆踊り大会」が行われます。カラオケ大会には喉に自信のある方が大勢参加されます。見に行った時ちょうど、タレントの松村邦弘さんが飛び入りで参加され、歌はうたいませんでしたが、掛布の物まねなどして観客を沸かせていました。




この松村さんとは以前マンションの部屋が隣だったことがあります。その時のエピソードを一つ。
朝起きてドアを開けたら、廊下に人が寝ていてびっくりしたことがありました。当時弟子がいて、その若い男の子が「先生、昨日は帰ってこなかったので、ここで待っています」とのこと。当時は弟子がいたのですね。(今もいるかも)
運転手さんが高級車で迎えに来ていました。今はそこにも住んでいないとのこと。様変わりですね。

さて、23日には、昭和会の納涼会で横浜中華街での食事会でした。まずは「横浜大世界」で二胡の演奏と「変わり面」という伝統芸術を楽しみました。二胡の演奏の時は足をぶらぶらさせていた子供も、「変わり面」で顔が変わるたびに身じろぎもせず見ていました。子供の集中力はすごいですね。このあと「聘珍楼」でコース料理を楽しみ、無事に中野新橋に帰ってきました。中華街に行ったのは7年ぶり。この日は土曜日とあって人通りも多くありました。以前来た時と比べると、衣料を売っているお店など若い人向きに変化しているようです。





2008/08/24(日) 曇り時々雨


[ 新聞の見出し ]
新聞の見出し


最近の日刊木材新聞の見出しにはこんなものが多くなりました。
8月22日付 「ロシア産丸太62%減」「08年1月から6月主要外材入荷」

8月23日付 「セブン工業 構造用集成材の製造から撤退」「SPF製材価格急上昇」「杉KD製品の値上げ要請へ」

などです。価格が上昇しているものが多いことと品不足あるいは荷物が集まらないなどを訴えるものが増えています。
これら木材に対して建材類は値段を上げますというお知らせが多くなりました。断熱材などは約2割の値上げ。フロアー材なども1割の値上げです。仕入れ価格が上がってもそのまま小売価格に転嫁されるわけではありませんが、仕入れをするたびに上がって行く姿はまさしくインフレ。「見積もりの有効期限は1ヶ月」にしていますが、実際に話があって仕事が決まるのは半年先くらいが多いので、お客さんには「すぐに仕事が決まれば、この値段でいいですが、延びるようだとまだ高くなると思います」と話すようにしています。
ところが見積もりが高いと仕事は決まらないことが多いので痛し痒し、です。
単価の問い合わせが増えたこの頃です。

2008/08/23(土) 曇り時々雨


[ 夏休みの旅行 ]
夏休みの旅行

今年は信州と飛騨です。
2008年8月14日 
中野を経ち中央高速へ。豊科インターで降り、大王わさび工場へ。クリアーボートに乗る。八面大王の足湯に浸かったのち、常念へ。そしてクラーレットへ泊まる。フランス料理のフルコース。肉がおいしかった。信州牛か。


大王わさび農場にて


クリアーボートも見えます。


水車小屋も見ました。


穂高温泉卿の中にある八面大王の足湯です。お湯は熱めです。


4年前にも来た「そば処常念」でお蕎麦も。


クラーレットから見た安曇野の景色です。


2008年8月15日 クラーレットから沢渡経由して阿房峠を抜け、新平湯へ。奥穂高まで行き、ロープウェーに乗りました。眺望は良くありませんでした。
この日の夜は、新平湯にあるペンション「飛騨野」0578-89-2619です。夕食は飛騨牛のヒレ肉です。


一度行きたかった新穂高のロープウェーに乗りました。


残念ながら曇りで眺望は良くありませんでした。


2008年8月16日 福地温泉を車で通り、平湯トンネルから乗鞍へ。ホウの木平へ車を置き、乗鞍へ行きました。下は晴れていたのですが、上の方はさすがに雲が多く、眺望は良くありませんでした。ホウの木平で「コスモス園」に入る。カートに乗って一周。20年前からこの園を開いているそうです。コスモスは可憐な花です。そのあと、飛騨の大鍾乳洞へいきました。ここを見学した後、松本へ戻りました。今夜のホテルは「ホテル花月」松本城の近くです。夕方散歩をして松本城へ。ライトアップされたお城も綺麗です。盆踊りを行っていました。縄手通りを経て、「木曾屋へ」で夕食。ラストオーダーにどうにか間に合いました。


乗鞍高原の畳平です。一度来たことがあると思うのですが・・・


同じく畳平。


畳平から少し登って、「魔王園地」です。


ホウの木平にある「コスモス園」です。冬場はスキー場ですが、この時期はコスモスがきれいです。


< href=http://www.syonyudo.com/>飛騨大鍾乳洞に行きました。併設されている「大橋コレクション館」にはお宝がたくさんあります。中でも昨年盗まれ、再び戻ってきた金塊にはびっくり。

岐阜県を後にして松本へ戻り松本市内のホテル「松本ホテル花月」0263−32−0114へ泊まりました。夜は松本城まで散歩して「木曽屋」で夕食。


2008年8月17日 中町商店街を見学居た後、松本を後にしました。


蔵・シック館です。酒屋さんを移築ため杉玉が残っています。


中町商店街です。

夏休みの旅行は終了です。


2008/08/18(月) 晴れ


[ 暑い夏 ]
暑い夏


夏が暑いのは当たり前でしょうが、今年の夏は一段と暑い気がします。水分をたくさん摂って、こまめに着替えて仕事をしています。閑だった7月に比べると、店舗の改装、マンションリフォーム、住宅改修とそれぞれ二つずつ始まり、忙しくなりました。そのため新規のお客さんの話も「とても手を出せない」のでお断りしました。

8月は決算月ですが、今年は赤字も覚悟です。しかし計理士さんによれば「なんとか、トントンくらいになりそうです」とのこと。「でも売掛金が増えていますね」と指摘されています。景気の動向を反映して支払いがゆっくりになっています。わが社も規模を縮小できればいいのですが、これ以上は難しく悩みどころです。そこへきて仕入れ先が一社減ります。この影響はかなり深刻で急ぎの仕事はこなせなくなります。

商品の値段はこの秋一段と値上がりします。暑い夏の後にはもっと根をあげそうな秋が待っているようです。体力を落とさないように御飯だけはしっかり食べておきましょう。


2008/08/09(土) 晴れ


[ マイセット ]
マイセット


流し台や吊戸棚のメーカーにマイセットがあります。良いものを安価に提供していただける会社なので、アパート・マンション関係の流し台に最適です。またその種類の豊富さから吊戸棚や玄関収納も、よく頼まれます。結構便利に使える会社です。
そう
「これで いいのだ」



2008/08/07(木) 晴れ


[ 昼間の暑さに比べて ]
昼間の暑さに比べて


昼間の暑さにくらべて夕方からは風も涼しくなります。窓を開けて風を入れるとエアコンは使わないで済みます。我が家は四方に窓があり、風の通り道を作ってあげると気持ちの良い風が身体の上を流れて行きます。おかげで早い時間に一休み。また飲み直してゆっくり眠っています。
3日の日も日中少し外にいただけで背中がじりじり焼けて痛いくらいでした。これなら熱中症になるなと云う気がしたので頭と首を冷やしました。4日の今日は今日で汗が自然とわきだすような陽気で着替えの回数が増えています。
明日は今年二回目の土用の丑の日。精をつけましょうか。

2008/08/04(月) 晴れ


[ 氷川の社 前にして ]
氷川の社 前にして


氷川の社 前にして
南に富士の 高嶺見る
我が神明の 学校よ
春は紅白 花匂う

果てしもわかぬ 武蔵野や
学びの道は 広けれど
教え守りて 己がしし
行くべき方に 進むべし

我等がやがて 双肩に
担うべき世は かたくとも
鳩の和みと 誠もて
明るく強く 生きゆかん


高野辰之作詞
信時 潔作曲

中野区立神明小学校の校歌です。

8月2日のミニクラス会の中で校歌の一番は出ましたが、二番以降を知っている方は根本君一人しかいなくて気になりました。そこで昔のアルバムを引っ張り出して書き出してみました。そこには作詞家と作曲家の名前も書かれておりましたので、そのお二人を追って行くと一人は「朧月夜」「春の小川」などを書かれた高野辰之さん。もうお一人は数多くの校歌や社歌も手掛けた信時潔さん。ともに有名人でした。さらに中野神明小学校のHPも見つけました。この中にはこの歌詞に加えてメロディーも流れています。

誠もて 明るく強く 生きゆかん  です。

2008/08/03(日) 晴れ


[ 阿久悠物語 ]
阿久悠物語

テレビで9時から始まった「阿久悠物語」を見てしまいました。
いつもその頃には両方の眼がお休みなさいを告げますが、見始めたらつい最後まで見ました。明日は土曜日だし、まあいいか、といった軽いノリでした。

阿久悠さんは昨年の8月1日に亡くなっています。戦後を代表する作詞家です。モップスの「朝まで待てない」を皮切りに「白いサンゴ礁」「ざんげの値打もない」「また逢う日まで」「友達よ泣くんじゃない」「ピンポンパン体操」から「宇宙戦艦ヤマト」まで幅広く歌を作っています。これも「阿久悠」と思えるくらい幅広いものがあります。

さて、今回の話は日本テレビが1971年秋に始めた番組「スター誕生」を通して1978年くらいまでを描いています。この素人参加番組「スター誕生」には阿久悠さんは企画及び審査員として参加しています。かなり辛口の審査員でした。この番組から森昌子がデビューし、桜田淳子、山口百恵と続きます。この三人が同じ年齢だったことからは「花の中三トリオ」として売り出し、「スター誕生」の名は不動のものになりました。阿久は作詞家ですからいろいろな人に詩を提供しています。しかしながら結果として山口百恵には一つも作りませんでした。このあたりを 伏線にして話は進みます。1976年二人の女の子が合格し、ピンクレディーとしてデビューします。「ペッパー警部」に始まり、「SOS」「カルメン77」そして「UFO」へ。
1978年の大みそか。日本レコード大賞はピンクレディーの「UFO」か。「UFO」なら阿久悠は「北の宿から」「勝手にしやがれ」に続き三年連続の受賞。山口百恵は「プレーバックPARTU」「コスモス」でその対抗馬の一人にいます。さらに百恵はレコード大賞の後の番組「NHK紅白歌合戦」ではトリを務めることが決まっています。
結果は「UFO」が大賞に選ばれ、ピンクレディーも阿久悠も頂上に上がります。壇上に上がり祝福を受ける阿久悠たちと紅白の準備があるからと云って会場を去ってゆく百恵を描いてこの物語は終わりました。その後ろ姿にある種のオーラを描いて・・・

さて、阿久悠さんの代表曲は何になるのでしょうか。いろいろありますが、個人的には「青春時代」「津軽海峡冬景色」、いえいえやはり、「UFO」なのだと思います。


2008/08/02(土) 晴れ


[ 八月朔日 ]
八月朔日


夏本番になりました。

八月一日から食料品の値上げが一段と高まりました。7月31日の夜にスーパーに行くと明日からの値上がりした値札に変わっているものがかなりありました。牛乳、卵、ハムなど我が家で毎日消費するものが値上げです。これは効きます。今年になってから値上げの嵐に巻き込まれています。ガソリンが上がって車の走る数も減っていると思います。仕事も減り、外出も減り、外食も同じです。私も家で食事をする機会が増えました。

さて、1日付の朝日新聞には生活面に「雇われずに生きる」という特集があり、今回は「一人親方、建設不況に泣く」です。仕事が少なくなってきた今、手間賃が安かったり、労災も自分持ちが当たり前になったりしている現実がそこにあります。仕事をする人の条件が悪くなると、そこに材料を納めている私たちにもしわ寄せが大きくきます。単価の切り下げや支払いの遅延、もっと進めば支払っていただけないことも出て来ています。

また同じ1日の朝日新聞には、「介護人材 どう確保」と題する特集が載っています。介護の現場で人手不足が深刻になっています。介護保険制度が開始されて10年近くになりますが、亡き父もこの制度にはお世話になり、義母も今お世話になっています。老健や特養を少し見てきましたが、仕事がきつい割に報酬が少ないと思います。誰もが感じていることです。介護の仕事に就こうとする人たちはそれだけやる気に不足はないのですが、現実には報酬や休日など不満と不安は大きなものがあると思います。たまに土、日に特養に行きますが、職員さんの数が平日より少ないといいます。また年度替わりの時期では退職する人が出て一時的に職員さんの数が減ります。そうすると入所者に対するサービスは自ずから低下します。限られた職員の数では手が回らないのがよくわかります。

世の中で働く人が一杯いっぱいで生活しています。日本から余裕という言葉が消えて行きそうです。
2008/08/01(金) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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