[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2008/05 ← 2008/04 → 2008/03 )


[ 眠れぬ夜もあります。 ]
眠れぬ夜には

このところ早寝の習慣がついてしまし、寝付くのは早くなりましたが、夜中に起きてしまうことも増えました。そんな時は眠れぬまま考え事をしています。本でも読みたいときもあります。ビデオ映画でも見てスカッとしてみたくもなります。

さて、このところお客さんが来るたびに「忙しいですか」と聞くことにしています。答えは誰もが「ノー」です。6月の仕事、5月20日過ぎの仕事、連休明けの仕事と少しずつ仕事は決まっていますが、今月の仕事が少ないのです。3月より4月が仕事がないという方ばかりになっています。我々の顧客である工務店さんや建築業者に仕事がないということは、我々もかなり危機的な状況になっていると思います。

今日は三十日です。支払いに来てくれるお客さんも多くありましたが、「仕事が少ない」「仕事したけれどお金を3分の1しかもらえない」など、苦しい台所事情も話してくれます。私も安全な仕事をしたいのですが、それだけでは売り上げが足りず、ちょっと無理をすると、今度は支払いが滞るという経験をしています。もらえないお客さんも大変ですが、滞っている間は現金で支払いします、と言ってくれる人はまだいい方なのでしょうか。なかなか難しいことになっています。

また、こんなことも考えました。中野の材木屋さんの全体としても売り上げがたとえば50億円だったとしましょう。組合員が26社。材木屋さんとして機能している所が18社。そのうち、上位2社で売上の6割を占め、上位7社で9割近い売上になります。残り11社で1割を占めます。このような偏った構成になっています。こうなると、上位2社ないし、7社にだけ売ってあとは切り捨ててしまった方が仕事を進めていくうえで、楽になるのでは、と思います。この傾向はすでにかなり前から起こっていて大手の建材問屋では囲い込みが進んでいます。建材メーカーでもそうです。

売り上げ確保だけを考えるとそれが一番いいのではと思います。そうしたいのでしょうね。

眠れないときには、ろくなことを考えないのがよくわかりました。綾小路きみまろのCDをいただいたので、それでも聞いて気楽に過ごすことにしましょう。ともあれ、4月は終了です。明日からは五月。気持ちを切り替えて落ちた体力の回復から始めたいと思います。

2008/04/30(水) 晴れ


[ 一進一退 ]
一進一退


4月の売り上げはあまり大したことがありません。天候に恵まれなかったせいもありますが、3月末で仕事が一段落して、その後の仕事が取れなかったためだと思います。今見積もりをしているものは、5月の20日過ぎないし、6月に入ってからのものになってしましました。これから月末を迎え、ゴールデンウィークが終了するまで、のんびり過ごすことになりそうです。これは私にとってはありがたいことでもあります。体調を少し戻したいところです。

さて、我が家の玄関では君子蘭が咲きました。母のお兄さんである上野の伯父さんが、富士宮の田舎に行った時に伯父さんが「もってけ」と言ってくれたものです。あれから三年を経て今年は大きく咲きました。勢いがあるものはいいですね。



2008/04/28(月) 晴れ


[ 父の言葉、祖父の言葉 ]
父の言葉、祖父の言葉

父は祖父の22歳の時の子供。私は祖父が50歳の時の孫にあたります。父と子は年を経るに従って似てきますが、若い時は反発ばかりです。

祖父は15歳の時に飯能から米屋の丁稚奉公に出され、20歳の時にお金があれば米屋を出したのでしょうが、お金の都合で八百屋になったと聞いています。中野区城山町47番地に店を開きました。30歳前には中野坂上に支店を出しました。八百屋だけではなく、何でも扱う雑貨屋でした。この二つの店で成功し、多くの家作を持ちました。
しかし第二次世界大戦に入る直前、統制にあって八百屋を閉めました。それから祖父は飯能の田舎で手伝いをさせられたとのことです。まだ祖父の父が健在で、祖父の兄が戦争にとられたために代わりに農作業をさせられたのだと思います。店を出して働いたのは17、8年くらいになります。
東京では父を先頭に一つ下の妹、三つ違い、五つ違いの弟がいましたが、父と妹の二人が家を仕切っていたように聞いています。ただこの妹、私にとってのおばさんの話はほとんど聞いたことがなく、わずかに聞いたのは、戦後になって、進駐軍から、いろいろな物資をもらってきて、家を助けてくれたということぐらいです。昭和24年に亡くなっていますので、わたしは会ったことがありません。

さて、祖父の記憶は私が小学校に入ってからになります。今の私の年くらいになってからです。その時の印象は「大酒飲み」です。これは身近に証言してくれる人が多くいます。則子さんのお母さんがよく知っていたのには驚きました。近所で有名なひとだったようです。それはさておき、お酒を飲み始めたのが32歳になってからだと言います。それまでは仕事一筋。医者が嫌いで、旅行も嫌い。たまに出かけるといいたら、近所の子供たちを引き連れて、浅草あたりへ遊びに行くことくらい。それも若い時だけで、私が知る限り、田舎に帰る以外にどこかに出かけたという記憶がありません。ぐでんぐでんに酔っ払って私が肩を貸して家まで送って行ったのをよく覚えています。もちろんお駄賃をもらいました。

このおじいさんの最後は以前にも書きましたが、スイカを二個買って持って家まで帰る間に転んで額を打ち、救急車で春山外科と云う所に運ばれたのが入院の最初で、それから急に衰えて次の年の2月19日に亡くなりました。この年のお正月に年始に行ってお酒を注ごうとしましたが、「酒はもうやめた」といってその時は飲みませんでした。私達が帰ってからこっそり飲んでいたそうです。なくなった時肝臓がはれていました。
葬式のとき飯能の宗隠時のお寺さんは、「労働は神聖なり」「お天道様と一緒に働く者が一番偉い」の言葉を紹介してくれました。私も言い方は違っていましたが、聞いていました。働くことが好きで、その後の一杯はもっと好きで、と云う人でした。こういう生き方もいいかなとあこがれていましたが、私の体力では、これは実践できません。

さて、父も終戦の年に徴兵検査の結果、入隊し、九州の太刀洗で終戦を迎えました。もう少し戦争が長引けば朝鮮半島へ行っていたかもしれないとよく話してくれました。鉄砲を実戦で打ったことがない、とか、死人に出会わなかった、とか言っていました。ただ、東京に戻った時にはやせ細っていて実母が本人だと気がつかなかったといいます。

そんな父も親戚の力を借りて材木屋を開くことになりました。時流に乗って成功し、後を継いだ私もあんまり苦労せずにここまで来ています。わが社も危なくなった時期が何度もありますが、そのうち一回は宇都宮徳馬さんに助けられたと聞いています。具体的には何も知りませんが・・・
また、材木屋を始めてしばらくしたときに、渋谷の神宮前か表参道あたりの材木屋さん(奈良木材さんか?)の近くのお寺さんの住職さんに呼び止められ、いろいろと云われたそうです。
「坂道に住んでいるとその土地は手放すことになるだろう。しかし運は悪くないので努力するように」と。その通り、後年自宅を手放すことになりました。

そんな父の口癖は「材木屋に学問はいらない」と云うものでした。「祖父が32歳までお酒を飲まなかったので33歳から飲み始めた」と云うのもありました。前者は私に向けられたもので材木屋をやっていくのに役に立たない学問はいらないというものでした。今でも万葉集などを読んでいるので、これが建築雑誌やもっと実務的なものが好きだったなら、こういう言葉にならなかったかもしれません。

亡くなる少し前に、「この子は器用だから」と言ってもらえたのが無性にうれしかったのを覚えています。

こうなると私も言葉を考えておかねばなりません。修也にこの前出会った時に、何かいい残そうと思ったんですが、あまりに私に似ているので何も言えませんでした。
2008/04/24(木) 曇り時々雨


[ 巾木 ]
巾木

床と壁や建具を仕切るものに巾木があります。
15年ほど前なら、本物の木で厚みが24ミリか34ミリ、幅も75ミリないし90ミリくらいのものを巾木として使いました。ラワン材が主なものでした。建具の枠をタモ材にしたところなど、巾木や廻り縁も当然タモ材を使いました。長さを部屋ごとに拾ってくれる人ならいいのですが、全部4メートル材で拾うとそこだけがかなり値段が上がってしまいました。タモなどの無垢材は長さが長いほど高く、短いものほど単価が安くなるためです。
またこのころの巾木は、ボードを張る前に先に付けました。そのため厚みもそこそこありました。ところが、建材メーカーの品物が増えると使い方は後付けとなり、厚みは半分になりました。今は9ミリが標準で、7ミリもあります。幅も90ミリから75ミリへ。さらに今ではもっと小さくなって57ミリが標準です。45ミリくらいのものを使う方もいます。高さが短くなって厚みの減るのですから、当然安くなります。

さて、お客さんから厚みが9ミリで幅が90ミリの巾木を探してほしいといわれました。何でも隣の部屋にいま90ミリが使ってあって、続き間にするため、同じものを探してほしいという話でした。なければ同等のものをと言われました。
少し前なら、大建工業や松下電工のカタログに載っていたのですが、最新版ではなかなか見つかりません。しかも色がダーク色だと言われていました。そのため、建材メーカーの営業マンなどにも声をかけ、探してみました。
松下電工のマッシフというシリーズに巾90ミリの巾木を見つけました。色はミディアム色でしたが、とりあえず見つけたのでお客さんに話をして注文してみました。所がすでに廃番になって入り、この道もあきらめざるを得ませんでした。
そこで、今度は松下電工の巾木で110ミリのものを落として使ってもらうことで、何とか解決しました。

段々と不況色が濃くなってきて、メーカーも今までの商品を維持することができなくなってきそうです。500ページのカタログを作っても売れないものが多くなり、それが廃番になっていく日も近くなりました。カタログに載っているからと言っていつでも揃うという時代ではなくなったようです。たかが巾木でしたが、いい勉強になりました。

2008/04/23(水) 晴れ


[ 支部総会終了 ]
支部総会終了

中野支部総会が4月19日に開かれ、無事終了いたしました。私のミスで決算報告書の明細に記述ミスがありました。これは再度直したものを皆様に、お送りする予定です。金額は間違いなく書かれています。会計の亀山さんにも迷惑をかけてしまいました。

さて、この一週間前から風邪をひいてしまい、また疲れもたまっていて、休憩が多くなりました。仕事をする時間を短縮している毎日です。何もしないと体力が落ちてしまうので、身体を動かすことも必要です。昨日は40分ほど散歩しました。街を歩いていると新緑が目に入るようになりました。生き生きとした色合いに力強さを感じます。

さて今日は、ミスばかりの一日でした。クローゼットの取っ手を忘れたり、キッチンパネルを積むのを忘れたり、極めつけは、ドアの枠材の色が頼んだものと違っていました。いやいや仕事をしているとこんな風になるのかなと反省。私ばかりが悪いのではありませんが、こうなるのは、どこかに油断があるのでしょう。そんなことを思うと、失敗したときには素直に謝るのが一番だと思います。そこで理解が得られれば、後の処理が早く確実なものになると思うのですが・・・

何とか支部総会が終了してほっとしている所です。今年一年副支部長、会計に迷惑をかけないように過ごしたいと思います。

2008/04/21(月) 晴れ


[ 4月の雨 ]
4月の雨

このところ雨の日が多いと思います。3月末の花見のころに雨が多いのを記憶していますが、4月の半ばはもっと天気に恵まれていた気がしています。と云っても18日は一日中雨。お客さん出足も良くありません。こんな日はゆっくり休憩をとることにします。パソコンに向かったり、ゴミ片付けをしたりします。また少しでも体を動かすように材料を移動したりしています。

見積もりをすることもあります。昨日の夕方には無垢のフロアーの見積もりが入ってきました。これから建てる鉄筋の建物のオーナー部屋の床板です。床板も一番安いものか、かなり高級なものに分かれています。

タモの集成材でカウンターを作る話もあります。ランバー合板で下地を作り、15ミリ×600ミリ幅の集成材を張りたいそうです。長さもあるので、「たぶん狂ってしまう」旨を伝えました。昨年春に稲城市で作ったカウンターは見事に反りました。両面塗装をかけてから取り付けないと狂うと思います、とお伝えしたのですが、そうしなかったためか、やり直しになりました。アイカの既製品のカウンターに変更です。

最近音楽を聴くことが少なくなりました。映画も見ていません。出かけることも少なくなっています。そんな中、本は読んでいます。古代史や万葉集に絡むものが増えています。いま山内のり江さんの「人麻呂と妻」を読んでいます。万葉集の中の人麻呂の歌、人麻呂関係の歌が頭の中に入っていて縦横無尽に引き出されていきます。歌の解釈も従来のものを超えていると思います。稲岡耕二氏や折口信夫さんの成果を踏まえていて非常に落ち着いた文章です。普通の主婦が書いたものとしてはレベルの高いものだと思います。もちろんずっと研究されていたのだと思いますが、私より少し年代が上の方です。万葉集上一番の難解な歌とされている

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本(額田王)

の歌も難なく読みこなしています。世の中には力のある方がいるのだと教えていただきました。

また、あるとき本屋で五木寛之を立ち読みしました「雨の日には車をみがいて」以来ほとんど読んでいませんでしたが、立ち読みしていたら高倉健の話が載っていて、何でも健さんとは車屋さんが同じだったので面識があったそうです。健さんはどういう人かというのが載っていましたが、「雨の日にポルシェを飛ばして大阪まで行って帰ってくる」そんな人だそうです。私も朝早く目が覚めたので車を飛ばして帰ってくようなことをしましたが、雨の日と云うのは全く考えませんでした。

今日は雨。閑です。
明日の支部総会の準備でもしましょうか。

2008/04/18(金) 雨


[ 自分に腹が立つ ]
自分に腹が立つ


このところ雨の日だけは忙しく、配達したり引き取りをしていたら、風邪をひいてしまいました。5日ほど休みました。と言っても昼間は動くことも多く、その分夜は早く休みました。汗をかいては着替えをし、多い時には一晩出7回着替えましたので、この間の洗濯物の数と言ったら数えきれません。

そんなこんなでなんとか仕事に復帰して材木を担いでみたら、「ウゥウゥ」やけに重たいものがあり、これはやめておこうと後回しにしました。何度も担ぐと息も切れてきて自分に腹が立って来ました。
毎日少しずつ材木を担ぎ、身体を動かしているつもりですが、体力が落ちています。

そんな中、愛梨姫のお誕生会が開かれました。一歳になりましたので、一升餅を背負わせて歩かせてみました。一歩二歩進んだところで転んでしまいましたが、歩き方やお座りから立ち上がった時のバランスのとり方など、私自身が参考になりました。小さな子供のいる風景は明るくて空気がなごみます。



2008/04/16(水) 晴れ


[ 花見 ]
花見

4月5日は井の頭公園で花見をしました。もう桜の季節は終わりを迎えることになりますが、この日は土曜日とあって多くの花見客で賑わっていました。ここへ来るのは二年ぶりくらいになるでしょうか。桜の季節ではなかったと思いますが、若葉が美しかったころ池の周りを歩いた記憶があります。

さて半年ぶりに小学校の友人とお酒を飲みました。少し遅れて行ったら、場所が確保されており、段ボールの上にブルーシート。さらにダンボールでテーブルまでできていました。みんな気がきくな、と思ったら、前に人が終了してそれこそ居抜きで場所を貰ったとのこと、こんなこともあるんだ、と感心しました。

みなさんの近況は孫が出来た人が一段と増えたこと。次の世代が着実に育っています。逆に親の世代は姿を消しつつあります。さみしい気もしますが、これは現実です。そうしながらみんな年をとっていきます。

それでもみんなで元気に飲んできました。





2008/04/08(火) 雨


[ わが身ひとつはもとの身にして ]
我が身ひとつはもとの身にして


だいぶ春らしくなってきました。体がだるくなっているので春の到来です。
体を動かしたくなってきましたね。でも夜はまだ寒いです。

一日一日が瞬く間に過ぎていきます。しかもその一日のうち何をしたかという成果を感じることなく過ぎていきます。昼間動くと夜は眠くなってしまいます。さらにお酒の力で寝てしまいます。

忙しい時の方が集中してやりたいことがやれます。この一週間は時間が余りすぎていて返って時間を持て余しています。

年をとるのはあっという間ですね。15年くらい前にいま70歳になっている方が話していたことが実感できる年になりました。「足が悪いので、耐火ボードを二階へ上げるのは断っている」とか「最近体調が不良で、医者通いしている」など寄り合いの席で何気なく聞いていたことが、いま我が身にも降り掛かってきました。

重たいものを持たり、荷揚げの仕事をすると必ず筋肉痛になります。こんな時若い時分は元気があったのだと改めて感じている所です。自分は変わらないでいたつもりですが、いつのまにか時の流れをともに違ってしまったのでしょうか。変わることが自然なのですが、かなり変わったのだということをそろそろ感じなくてはいけない年になったようです。


月やあらぬ 春は昔の春ならず 我が身ひとつは元の身にして

2008/04/04(金) 晴れ


[ うちの奥さんの主張 ]
うちの奥さんの主張


先日、世田谷にある小川木材様までおじゃまして、「適材適所の会」の「木育」を受けてまいりました。
講師の方のお話が終わり、うちの奥さんに「何か言った方がいいよ」とけしかけたところ、和室についての彼女の考え方を披露しました。

それは、50歳を過ぎた住まいつくりにおいて、いわばこれから老人になっていく方の生活様式は布団よりもベッド、堀コタツよりも椅子、といった風に洋風に作った方が実際の生活がしやすいという話でした。実際ベッドから起きて顔を洗うにも平行移動の方が楽だし、トイレも洋風、食事も椅子の方が座ったり立ったりするときが楽です。それでは足腰が衰えると思えるうちは自分でストレッチなどして筋力を衰えさせないようにすれば済むことです。
さて彼女自身も自分のお母さんが遊びに来てもいいように和室の部屋を作った経験があります。しかし実際に泊まりに来ると彼女のベッドを占領し、畳に布団では眠らなかったとのことです。
そこで、和室はもともと多目的に作られているものだから、若い夫婦や小さな子供むけの住まいの場所として宣伝し、作ってもらうのが良いのではないかと話しました。
朝起きて蒲団をたためば、空間が広がり子供の遊び場として使えます。蒲団をたたむことで筋肉も鍛えられるという効果もあります。
柱を見せれば、そこで毎年背比べができます。私が子供時代を過ごした住まいにも、背比べをした痕跡がありましたし、今の住まいでもそれをしています。そうなると和室に使う柱は高級品でなくとも用が足ります。節や割れは自分の家ならあまり気にならないものです。
もちろん他人さんのお宅ではお施主さんの理解がなければ作れません。クレームになるかならないかは紙一重です。私の家の床はほとんどが杉材ですが、施工中に物を落としたり、引っ越し中に傷がついたりして凹んだり、擦った跡があります。また極端に部屋が乾燥すると木が痩せてすいてきます。これなどは部屋の湿度をあげてやれば治ります。凹んだところには水をたらせば少しは元に戻ります。ただふつうのところに水をたらせばシミになるかもしれません。でも暖かさでは優等生です。
木をその良さで話をするか、悪い所をあげて語るかでその評価は大きく違ってしまいます。人間と同じです。木を見せて使って木目の美しさを体験してください。木にも室内環境が劣悪にならないように気を使って下さい。木も同じ生き物ですから木にも悪いことは人間にとっても良いことではないのです。

材木屋をやっていると木の欠点ばかりが目につきますが、欠点ばかりで評価してはいけないことを強く感じています。その上で木の欠点を上手に隠してくれる大工さんの力を再認識したいです。昔の大工さんは欠点を個性に変えるだけの力を持っていたと思います。もちろん今でもいます。数は少なくなっていても・・・

2008/04/03(木) 晴れ


[ 越井木材工業株式会社 ]
越井木材工業株式会社

防腐・防蟻処理木材で有名な越井木材工業へ行きました。中国木材の鹿島工場の近くにあります。東日本木材防腐部です。
見学日は、工場が休みの為、動いていないラインの見学が主なものになりましたが、動いていない分だけゆっくり見せていただいたことになります。

ここで作っている防腐木材は、加圧注入処理されたもので、水溶性薬剤「セルボーP」(JIS K1570BAAC)は、安全で環境に対して負荷の少ない薬剤だということでした。以前防腐木材といえば、重金属を含んだもので作られていたので、例えば廃棄する場合でも別途に処理する必要がありましたが、今ではその必要もなくなりました。薬剤の安全性ということで比較に出されたのが砂糖でした。砂糖も摂取しすぎると害になりますが、通常の範囲であれば体に害を及ぼすことはなく、この薬剤もそのレベルのものだと話されました。害のあるところで長時間は働けませんから。

木材を腐らせないということでは、防腐のシステムは住まいを長持ちさせると思います。木材は水分によって腐りやすくなります。それを防ぐという意味では、土台、大引、束、根がらみ、根太などに使うと有効でしょうと、越井木材では薦めております。



2008/04/02(水) 晴れ


[ 4月になって ]
4月になって

4月になってガソリンは下がりましたが、値上がりしたものも数多くあります。身近なところでは小麦製品や牛乳、ビールに醤油。後期高齢者制度の発足で、いままで扶養家族だった75歳以上の方も保険料を支払うようになりました。この名前が悪いということで通称名を「長寿医療制度」と言いなおすようですが、中身は変わりません。1月から3月の景気の景況感も悪化です。住宅産業の場合は昨年の改正建築基準法以来、住宅の着工戸数は増えることなく推移しています。この先順調に着工されたとしても、底辺まで回ってくるにはかなりの時間がかかるように思います。私ども底辺が潤わないということは格差が広がることにほかなりません。

今年に入って毎月末近くになると仕事量が減り、ボーっとしている日が幾日もあります。忙しい日が二週間も続くと、またのんびりとした時間を過ごしています。忙しい日と暇な時の差が激しいこの頃です。

2008/04/01(火) 晴れ


( 2008/05 ← 2008/04 → 2008/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy