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時々更新mn日記

( 2008/03 ← 2008/02 → 2008/01 )


[ 今年は寒い ]
今年は寒い

今年は寒いですね。我が家の電気代が一万円を大きく超えて14000円になってしまいました。大体8000円から9000円の間で推移することが多いのですが、かなり増えています。これは朝起きるとエアコンをつけ、寝る前にも一時間から二時間部屋を暖めてから寝ているので、これらの行動が大きく影響しているのだと思います。
昼間は日当たりが良い部屋はエアコンなど使わずに過ごせますが、日のあたらない部屋は寒くなります。そこでエアコンを使うことになります。テレビのコマーシャルでCO2の削減できるエアコンなどが紹介されていますが、使わなければもっと削減できるので、日のあたる部屋はありがたいものになります。

さて寒いのは気温だけではありません。仕事も少なくて寒い状態が続いています。仕事量がないですね。その反面材料は工業製品を中心に値上がりしています。
木材も良材が少なく、そのあたりの材料は高くなっています。

2008/02/28(木) 晴れ


[ サイディングのミニ勉強会 ]
サイディングのミニ勉強会


新東京木材建材課で、サイディングについてのミニ勉強会が開かれました。講師はクボタ松下電工外装の方お二人とサイディングの施工業者である「(株)アイ・ビルド」さんのお二人、計4人でした。

クボタ松下電工外装では、サイディング、屋根材、雨樋の三種類を販売しています。その中のサイディングでは、「光セラ」「セラ」「普及品」の三種類を売っています。今回ここ時期に講習会を開いたのは、「JIS規格の改正」により、サイディングの厚みに変更があったためです。普及品のサイディングの厚みは12ミリでしたが、今回の改正により最小の厚みが14ミリになりました。これは「安心で良質な住宅ストックの形成が求められる中、住宅外壁の一層の性能向上と長寿命化を図るためです。」厚みを変えたことで強度や耐久性が増し、遮音性や断熱性にも今以上の性能が期待されます。

実際に工事を担当する「アイ・ビルド」さんからは施工時に関する留意点の説明を受けた後、施工を含めた値段の価格差について大体の目安を教えていただきました。

14ミリ品で70万円。
16ミリ品で80万円。
セラで   90万円。
光セラで 120万円。

光セラはクボタ松下電工外装の特許商品でセラミックコートの上に光触媒コーティングをしているので、色あせしにくい、汚れにくいといった特徴をもっている商品であるとのことです。初期使用はかかりますが、お手入れなしできれいが続くので結果的にお得とのことです。(でも初期費用が高いです)

さて、話はサイディングの張り替えに及び、10年以上前からアスベストを含んでいないものに切り替わっていますが、それ以前のものを解体するとアスベストを含んだものであることが考えられ、その処理料金は、通常の廃棄物の処理が1立方12000円から15000円だとすると、その3倍はかかるだろうというお話でした。

あるお客さんがお彼岸明けに、アスベストを含んでいると思われる天井材を解体するという話が来ていますが、天井を作るより、解体する費用の方が、大きくなってしまいそうです。

さて話を元に戻すと、クボタ松下外装では、従来の12ミリ品もこの先10年間は受注生産するとのことでした。リフォームなどで一部はり替えなくてはいけない場合など、納期に時間はかかりますが、覚えておいても損はなさそうです。


2008/02/27(水) 晴れ


[ 体調不良も少し解消 ]
体調不良も少し解消


2月17日は父の命日、2月19日は祖父の命日、2月21日は赤木の命日と、毎年このあたりは忙しくなります。それに加えて寒かったり暖かかったりで気温の変調は体にこたえます。
さて、2月23日には、「タベルナパパ」でランチをいただき、そのまま仕事を終えて帰宅し、テレビ三昧の日を送りました。
チャンネルNECOで旧日活の映画を上映していたので、3本ほど見てしまいました。
「拳銃無頼帖 抜き打ちの竜」「男の怒りをぶちまけろ」「幌馬車は行く」の3本です。1960年2月、5月、8月の映画です。その頃の日本は美しいですよ。やくざ映画っぽいのに言葉使いは丁寧だし、今普段に使っている日本語と比べても比較にならないくらいきれいです。50年くらいの年月が経って、日本語は乱れ、景色は殺伐としたものになりました。この五十年で日本は何を失ったのでしょうか。

さてさて私も五十代も半ばを過ぎて、先も見えてくると怖がっている時間も惜しくなります。最近、何で疲れるのかと思い悩んでいましたが、「年」だということに気が付きました。金曜日と土曜日に三階まで荷上げをしたところ、土曜日の夕方と日曜日の夕方に筋肉痛が起こり、「あれれ」という感じを持ちましたが、それも年です。もうそろそろ年相応に生きていかなければなりません。若いという所を脱却する時期がきたようです。自分らしさを強調して生きていかねばなりません。50代は忙しいです。

話を元に戻すと、「男の怒りをぶちまけろ」のワンシーンでは、新宿伊勢丹の前にある新宿日活が映ります。そこでは当時上映されていいた石原裕次郎の「赤い波止場」の主題歌が聞こえてきます。車が通過するシーンでBGMのように使われています。赤木の映画の中に裕次郎の歌声が聞こえてちょっと得した気分です。

2008/02/24(日) 晴れ時々曇り


[ 理事会、役員会、2班の会合 ]
理事会、役員会、2班の会合

10年くらい前と比べると、外出の機会も減り、会合も減っています。昼間の仕事を終えて夜の付き合いや飲み会をこなすことで明け暮れていましたが、だんだんと体力もなくなり、食欲も減ってきて、それに見合うように夜出かけています。
2月はのんびり過ごしているせいもあり、あまり外へ出ません。仕事が5時に終わると、まっすぐ帰宅し、夕食をとり、テレビを見て寝るだけの生活です。
そんな中、2月22日には、中野駅南口「三河屋」において2班の会合が開かれました。時節柄商売の話や久しぶりの会合だったため、皆さんで顔を合わせて和やかに話を進めましたが、そのなかで理事会の話などもさせていただきました。理事会は年に10回ほど開かれていますが、この一年はあまりうれしくない話題が多く、困ったものです。現状については2班の方にお話をしました。また来週の火曜日には、役員会が開かれます。そこではもっと突っ込んだ話をさせてもらいます。

さて、さて、そうはいっても今回は久しぶりの2班の会合。楽しく飲んで食べてきました。今回は三河屋でしたが、このお店では、初めて煮つけを食べさせていただき、また、にぎりもつまみました。昼を「富良野ラーメン」で過ごした甲斐があったというものです。今日は午前中は暖かかったですが、昼過ぎから風も出てきて、雲行きも怪しくなってきました。明日は寒いという予報です。風邪をひかないで4月を迎えたいです。

2008/02/23(土) 曇り


[ もぬけの殻 ]
もぬけの殻

今朝ほど、お客さんである大工さんが見えて「支払いを待ってほしい」と言われました。なんでも今まで行っていた会社に連絡がつかなくなったので、行ってみたら「もぬけの殻」「事務所はきれいになっていました」とのこと。
まあ、わが社への借金は3000円に満たないので「いつでもいいよ」と言っておきましたが、これからの二ヶ月ないし三ヶ月はこういった問題が起こってくるのではないかと思います。そういう意味では、姉歯の責任は重いです。禁固5年に罰金180万円ではとても追いつかない重さです。
一人不心得者がいると、まじめな人が馬鹿を見ますね。
仕事の量が少なくなり、安定した金額を稼げなくなってきている昨今、確かなところにしか売れなくなっています。

2008/02/22(金) 晴れ


[ 住友林業が・・・ ]
住友林業が国産材100%住宅

さる2月16日付の日刊木材新聞に、上記のことが載っていました。これまでも住友林業では、国産材100%の住まいを作っていましたが、それは梁に北海道産のカラマツやトドマツを用いていましたが、今回発売したものは、桧の構造用集成材を梁や大引の採用し、耐力面材のクロスパネルにも桧を用いたとのことです。剛床パネルはカラマツ、とのことです。
立派だと思う反面、国産材といっても無垢の材料で住まいを作る、またベニヤ板を使わないで作るということは、もう無くなってしまったのかと思うと昔の住まいの方が本格的だったと思う次第です。10年20年前に作った住まいを超える住まいを住友林業が作る日は来るのでしょうか。それはもちろん、わたしどもがそういう住まいを今後作れるのか、ということを表しているのですが・・・


2008/02/21(木) 晴れ


[ たかがごみ袋されどごみ袋 ]
たかがごみ袋、されどごみ袋

組合で記念市などの案内のときに戴ける「ごみ袋」があります。45L用が10枚入っています。厚さ0.03ミリの表示があります。触ればわかりますが、これくらいの厚さがあるとゴミを入れても破けてしまうことはあまりありません。
それがごみ収集業者のものだとこの厚みが0.02ミリになります。少し詰め込みすぎたり、とがったものが入ると破けてしまいます。触ればペラペラで、「これなら破けるのも仕方ない」と理解できます。ゴミをたくさん入れられないように薄くしているのでしょう。
厚みを薄くすれば、それだけコストがかかりません。安くて済みます。
たかがごみ袋でも、背景に売ったり、配ったりする方の気持ちが出てしまいます。安いだけのものを提供しようとすれば、すぐに壊れてしまうもので間に合います。
ちなみに川島商店街がイベントなどで使っているごみ袋は0.04ミリになります。これだとかなり丈夫です。


2008/02/20(水) 晴れ


[ お客さんと話をしていて ]
お客さんと話をしていて

今年の一月に入ってから仕事が少なくなってきていることを如実に感じます。一言でいえば、動きが悪い、ということです。職人さんも仕事をするよりも仕事をとる方が忙しくて、その日暮らしになりつつあります。ただでさえ、1月2月は仕事が少ない時なのに、暇だといいます。大工職はまだありますが、左官職は特にひどいといいます。今の住まいつくりでは、壁はクロスが主なものですし、風呂はユニットバスになってしまい、左官屋さんが出る幕は、玄関のタタキか、珪藻土を塗る住まいくらいになってしまっています。仕事がなければ、生活もできなくなり、仕事の継続や技術の伝承なども無理になります。このままでは職人として生きて行く人は少なくなります。

またまた話題は変わって
町の中の消防団に入る方が少なくなってきています。弥生町でも定員35名のところ30名で5名足りません。先日消防団に入っている方々は中野新橋の駅前で勧誘活動を行いました。勧誘活動はなかなかうまくいきません、とのことでした。
さて、いざ火事という時にあなたは対応できますか。たぶん火よりも煙で目があかず、また煙を吸い込んで命を落とす羽目になります。火事になったらまず逃げることです。姿勢を低くして煙を吸わないように、とのことでした。
消防団の方は、単純にふだんから家の中で訓練しておけばよいといわれます。それは、目をつぶって姿勢を低くして家の外に出てみることだといいます。あなたはそのようにして自分の住まいから出てくることができますか。試してみてください。

このようなことを考えると住まいの内装に関しても関心を寄せる必要が出てきます。カーテンや衣類なども燃えても有害物質を出さないものにしていかなければなりません。また、家具もそうです。また家具は逃げ出す際に邪魔にならないような配置も考えると良いと思います。
乾燥している日が続いています。気をつけましょう。

2008/02/19(火) 晴れ


[ 東京マラソン ]
東京マラソン

日曜日の朝はゆっくり寝ていますが、それでも8時過ぎには目が覚めます。今日は東京マラソン開催ということもあり、どこかで見に行こうという話になりました。はじめは新宿の出発地点付近を考えていましたが、スタートのサインをテレビで見てしまったため、これからでは間に合わないと判断して、とりあえず銀座に繰り出すことにしました。

銀座は人でごった返していました。ボランティアの方や警備の方に加えて見物する人の数も半端ではありません。三越横の「ユア指圧センター銀座店」あたりに行けば見えるかと移動しました。ここからだと浅草に向かう方々と浅草から戻ってくる人たちの両方が観戦できます。聞けば、早い方は浅草を過ぎ30キロ地点もクリアーしてあと10分もすれば目の前を通るとのこと。それならばと、しばし待っていました。車いすの方が通り過ぎ、しばらくすると先頭の方が・・・

反対側の車線には数多くのランナーが次々と走っています。総勢3万3千人。16万人に及ぶ申込者から、抽選で選ばれた人たちです。私たちはここから地下鉄に乗って、浅草に向かいました。浅草ゆきの地下鉄内では応援の叔父さんに出会いました。仲間が走っているとのことで、抽選漏れした彼ら3人は、仮装して応援に回っているとのことでした。その方々も日比谷で仲間を応援し、今度は浅草へ向かうとのことでした。その中の一人と則子さんが話を始めました。その方は今回抽選でもれしてしまったために走れないとのことですが、ホノルルマラソンは走ったことがある。マラソンを始めて20年。昨年は出ることができたが、今年はだめ。足にICチップをつけて走るので個人の記録は正確に測れる。いくつかの関門があり、時間内にそこを通れないと失格となり、回収車に乗せられる、など。思わぬ収穫の話を貰い、浅草へ。こちらも人で埋め尽くされていました。


(浅草の神谷バーあたり)

軽く応援したところで、まずは、腹ごしらえ。「ちんや」ですき焼き定食。初めの肉とラストのそれがめちゃめちゃうまい。その間の肉はグラム600円から800円くらい。これなら川島商店街の「肉の松本」の1000円の肉の方がおいしいかも・・・などとぜいたくな話で盛り上がり。仲見世から浅草寺へ。花月から六区へ散歩。途中「花やしき」の「beeタワー」を見ながら、甘いものを手に入れて、ふたたび銀座へ。

こちらはもうだいぶすいていました。ただいまの時間午後二時半。走っている方々は9時10分から走り始めているので5時間以上が過ぎています。銀座の地点から500メートル南にいくと35キロの関門があるとのことです。そこでそこまで見に行くことにしました。まだまだ走っている人はたくさんいます。すでに疲れ果てて歩いている人もいます。ランナーらしい人も行ければ仮装第一の方もいます。銀座シネパトスを過ぎ、歌舞伎座を過ぎると35キロ地点が見えます。ここまで来たら何だか様子が変です。ランナーを車道から歩道の方へ引き入れています。ランナーたちは足につけたICチップを切られ、これ以上走らせてくれないようです。どうやら時間内で通過できなかったようです。私達が見たすぐ後に松村邦洋さんがタイムアウトで回収車に向かっていました。

このころから気温は下がり、風も出てきて寒さが一段と厳しくなった気がしました。このような中で走り終えた人は立派ですね。朝の暖かさが嘘のような一日でした。

後から聞いた話ですが、白川建設株式会社の岩崎茂さんは4時間台で完走したとのことです。立派ですね。


2008/02/18(月) 晴れ


[ 見積もりはあるけれど ]
見積もりはあるけれど


電話での単価の問い合わせや見積もりはあるけれど、仕事が決まる確率が落ちています。朝現場へ行く前に立ち寄ったある大工さんは「たぶん決まらない」と言い終えていきましたし、「もう一度見積もり直し」だという大工さんもいます。そんな中で夕方来た大工さんは、「月曜日に配達行ける?」と言ってきました。少しでも当たりがあると助かったと思うようになってきました。
そんな中、「今年の10月くらいの仕事なのだけど、いくらくらいになる?」という見積もりがあります。「コンパネが1300円から1800円」「タルキが450円から500円」「良材は高くなるとおもいます」
「断熱材はもちろん高くなるよね」先方さんから言われました。石油価格の高騰でたぶん「2割くらいは高くみておかないと、まずいのでは」と私。

何か大雑把な見積もりになってしまいました。

今なら仕事は少ないし、材料も揃っているので、仕事が決まればすぐに用意することができます。が、4月の声を聞いてあちこちで仕事が出てくるようになると、仕事が決まった場合でも材料の手当が出来ない場合も予測されます。良材は少ないし、問屋さんも在庫を抱えていませんし、製材するところも減っています。材料が何でも構わないものなら良いのですが、自分たちのところまで仕事が来るということはそれだけしっかりとした仕事が望まれているわけですから、不確かなことはできません。仕事が決まれば、早めに手当てをしなければなりません。

以前のように注文を入れておいて、材料を市場や問屋に預けておくという方法もとれなくなってきました。今年は材料が安定的に供給されることのありがたみが、わかる年になるかもしれません。

2008/02/16(土) 晴れ


[ 切符 ]
切符


昼間に時間が余るようになってきたので、身辺整理を始めることにしました。仕事の書類で10年を経たものやダンボールで保存してある雑物など捨てても良いものを処分してみようと思っています。昨年はかなりの数の洋服を処分しました。サイズが違うので着られなくなったものや毎日来ていて古くなってしまったものなど捨てました。その延長上でも今度は物入れの天袋にあるものを引っ張り出して捨てるものと今少し確保しておきたいものなどを分けることにしました。

そんなことを始めたらすぐに、昔のレコードや喫茶店のマッチ、それに汽車の切符などが出てきました。懐かしさに駆られ、眺めているうちにいくつかについては残しておこうかと思ったのです。先日「ちい散歩」したおり、水上印刷の話をしましたが、水上君といった富山立山の旅。広島から山陰の旅。あるいは京都の旅の切符の片割れが出てきました。もちろん全部ではありませんが、それを見ていると記憶の違いに気づかされます。それを少し紹介しましょう。

まずはじめに富山、立山の旅。昭和37年7月21日付の切符が残っていますので、中学二年生の時です。富山の親戚の家に泊まり、翌日室堂まで行き、立山の山小屋で一泊して帰ってきた記憶があります。富山城跡で写真を撮ったことや山登りでは一緒になった方々が新潟の方で新潟地震の模様を話してくれたことをぼんやり覚えています。




次が中学三年生の終わりの春休み。名古屋まで国鉄で行ったのですが、豊橋から名鉄に乗った記憶があります。(ちい散歩に書いた)ところが切符を見ると名古屋まで国鉄を使っているので、豊橋で新幹線を降りて特急に乗り換えて名古屋に出たのだと思います。(ちなみにこの時始めて新幹線に乗りました)。名古屋から近鉄を使い大阪から京都に行って、京都駅前の法華倶楽部という所に泊まりました。中学生3人と見知らぬ方二人の相部屋でした。仁和寺で撮った写真が一枚残っていますので、一日京都見物をして次の日の夜行で新潟を目指します。弥彦神社を見学して15時発の特急「とき」で上野に戻ってきました。




さて、その次が高校一年生の夏休み。夜行で広島まで行き、原爆ドームや原爆資料館を見学。宮島へ渡り、厳島神社の鳥居のところまで歩きました。そして岩国の錦帯橋へ。その夜の夜行寝台で鳥取へ。砂丘を見学した後、松江城と小泉八雲の旧宅跡へ。出雲大社を見学した後に夜行で大阪へ。神戸の三宮へ出て須磨駅まで行ったのでしょう。その日のうちに名古屋から夜行寝台に乗ったことがわかります。大阪から名古屋までは近鉄を使ったのでしょうか。かなりの移動距離でした。夏だったのでげっそり痩せて帰ってきた記憶があります。




学割に加えて周遊券をフルに活用していきました。今となっては良い思い出です。

おまけをふたつ。

ひとつは昭和42年8月15日。早稲田高校歴史研究部の夏合宿で、京都へ行きました。高校二年の夏です。宇多野にあるユースホステルに泊まり、市内見学。夜は大文字の送り火も見に行きました。この年は修学旅行でも京都奈良へ行き、高校三年生の時にはやはり歴史研究部の夏合宿で飛鳥の地をおとずれ、橘寺に泊まり、ここを拠点として石上神社から山辺の道。飛鳥寺や酒船石。多武峰から石舞台古墳など縦横無尽に歩きました。箸墓古墳などは上に上った記憶があります。40年前はだれでも入れる所がたくさんあったと記憶しています。この地と太宰府あたりはあと数回は行きたいところです。


続いて、同志社に受験の行った時の切符も出てきました。行きは大阪駅まで買っておいて京都で途中下車。帰りは定期券で出ましたので切符が残っています。ここで受かって京都暮らしになりました。仲間や人に恵まれた4年間でした。当時煙草はやらなかったのですが、いくつかマッチが出てきました。上から「工芸喫茶わびすけ」の裏表。ここはコーヒーにミルクが入っているのでそれは嫌な人はあまり来ないです。
「やぎ」は八木さんと。「夜の窓」は川隅君と。「柳月堂」と言ったら丁野君や田村君でしょうか。「フランソア」は一人でしみじみ。
あとは「トリオ」「東天紅」「モナミ」に「芝」このあたりはよく通いました。「ほんやら洞」は安田君と。丁野君とは二日に一度はあっていましたから、いろんな所へ行っていたと思います。丁野君の下宿の近く、はじめは出町柳の付近。次が内藤塾の近辺。山科に行ってからは「ソレイユ」その辺が定番だったでしょうか。ふとしたことで昔のことが思い出されてきます。



2008/02/15(金) 曇り


[ ちい散歩 ]
ちい散歩

足腰が衰えないように歩くことを始めています。

先日も、自宅を出発して神田川沿いを歩いてみました。中野長者橋から淀橋に向かいます。このあたりには高校の同級生の水上印刷があります。ここへはよく遊びに来ました。鉄道の模型を持っていて、それを部屋の中で走らせたり、社員用に置いてあった卓球に興じた記憶があります。彼と小学校からの同級生である田巻君とは三人で幾度か旅行に出かけました。中央線の韮崎の親戚で泊まり、小海線に乗って佐久へ、さらに高崎経由で新宿まで戻ってきました。そのほか、富山県の立山に登ったり、京都・奈良見物。広島の原爆ドームから岩国の錦帯橋。そして山陰へ。松江城や鳥取砂丘へも行きました。中学生から高校生にかけてです。すべて鉄道の旅です。奈良へ行った時などは新幹線で豊橋へ。名鉄に乗り換えて名古屋へ。そこから近鉄で八木へ、などと鉄道の乗り継ぎも楽しみの一つでした。

さて、水上印刷を後にして、神田川沿いから十二社の通りに出て、さらに青梅街道を横切り○○通りへ。ここら辺には建具屋さんや材木屋さんが何軒もあったところですが、道路拡張で取られてしまい、風景が変わってしまいました。やがて春山外科を横に見ながら、大建工業のショールームへ。サンプルをいただこうかと思ったら今日はお休み。そこから大久保へ歩き始めました。このあたりは韓国料理店が立ち並び、ハングル文字がいたるところに見受けられます。明治通り方面へ歩くと昔直した現場が・・・その並びには(株)太田さんの日曜大工コーナーが。そこを過ぎ明治通りを北へ向かいます。戸山高校学習院女子高等学校の前へ。このあたりは高校時代おなじみの処。確か反対側にはボーリング場があったはずです。学校帰りに偶に寄りました。諏訪町を過ぎたところに「えぞ菊」というラーメン屋があったはずですが・・・やはりまだありました。木造の家の一階にあった記憶ですが、10階建てのマンションの一階になっていました。ここでお昼にしました。ここへ来るのは30年ぶりくらいだと思います。早稲田通沿いにあるお店の方には二十年くらい前に入ったと思いますが・・・
昔なじんだみそラーメンは、美味しく食べることができました。昔私は食が細かったものですから、「食べることが出来た」所や物は、継続して食べてきました。久しぶりにもやしのたっぷり入った懐かしい味を食べることができました。すぐ近くに100円ショップを見つけたので、しばし店内へ。あんなものやこんなものまで100円です。街の商店街が必要無くなるのがよくわかります。

ここを後にすると明治通りから早稲田通りへ出ました。高田馬場を目指します。早稲田から高田馬場へは通学路でしたのでよく歩きました。最も40年も前の話です。20代のころに通った居酒屋も、すし屋もなくなり、レストランの喫茶店も跡形もありません。早稲田松竹という映画館はまだありました。何を上映していたのかわかりませんでしたが、現在立見の看板が出ていました。さらに馬場方面へ向かいましたが、ここで少し寄り道。信号を渡って(株)阿部材木店へ。さらに笹井木材さんへ。裏通りを経て高田馬場へ出ました。途中「円らく高田馬場荘」にも出会いました。中野には「円らく中野荘」があります。高田馬場駅を更に小滝橋方面へ歩きます。このあたりもラーメン屋がたくさんあります。またお店が途切れません。商店街を歩くと時間のたつのを忘れます。小滝橋のところから再び神田川沿いを歩くことにしました。春になれば桜の花で川沿いがいっぱいになるようです。広めに作ってある沿道は歩きやすくまたベンチも所々にあります。そんな折、真向いに高い建物が二つ見えます。ここは「日本閣」の跡だと思い、そちらに足を進めました。その建物にある上島珈琲店で一休み。ここのコーヒーは懐かしい味がします。京都にいる頃、といっても卒業間際に京都駅前にお店が出来た記憶があります。コーヒーの味とともに一緒にいた友人の顔が浮かんできます。

さて、大分歩きました。ここからタクシーで帰ろうかと思いましたが、せっかくなので家まで歩くことにしました。東中野の駅に出て山手通りへ。このあたりを歩くことはほとんど記憶にありません。車で通り過ぎるだけでしたが、歩いてみるとその景色が頭の中に埋め込まれていきます。やがて亀田材木店が見え、そこを過ぎると中野坂上です。教文堂書店で立ち読みをして山手通りを下っていきます。今はダイソーになったビルを過ぎると中野長者で有名な成願寺があります。このお寺には入ったことがなかったので、早速中へ。境内は割と広いところです。お参りをして外に出ました。目の前には昨年12月半ばに開通した高速道路の地下トンネルへの入り口が見えます。インターの名は「中野長者橋」。高島平まで引き取りに利用しましたが、一時間かからずに戻ってこられました。所要時間が半減しました。

何とか自宅に戻ってきました。彼女の万歩計は2万歩を超えていました。たまには散歩も良いものです。

2008/02/12(火) 雨


[ 板目と柾目 ]
板目と柾目

付け框を頼まれました。

框は玄関などの上り口につける化粧の横木ですが、一昔前なら框の大きさは60*120ミリとか90*150ミリとかいうサイズで小口から見たら長方形になります。しかし近年では床の下地ベニヤを張って、最後に仕上げのフロアーを張って行く施工法に変わり、そのため、框の形状も変わってきました。またリフォーム工事の場合、現在あるフロアーの上から仕上げ材のフロアーを張ることも多くなってきましたので、玄関などの上がり口では「リフォーム框」と呼ばれるものを使います。


(松下電工のカタログより転用)

今回頼まれたものは、タモ材で1800*14*120のものと1800*10*150というサイズでした。各一丁ずつでした。これを組み合わせて先の図のように直角にして使います。正面に見えるところが板目。上の部分が柾目。そうなって木らしくなります。既製品ならベニヤ下地に突き板なり、シート張りしているものですから板目や柾目はすぐに作れます。
ところが、今回頼まれた板目のものはそのまま使うと不都合が生じることがわかりました。厚みが薄く、それに引き換え幅が広いために板目の部分が膨らんでしまうのです。板目の部分が曲がってしまい、うまく取り付かないだけでなく、取り付けてもクレームが起こります。
そこで、この板目のものを止めて柾目のもので作り直し納めさせていただきました。自然の存在する「木の形」としてはよほどの大木からとらなければこういう形になりませんが、それよりもクレームにならないことを優先させました。

そいうわけで板目の材料はまだ私の手元にあります。上下に引っ張られてまがったまま、次の使い道があるのか下小屋で遊んでいます。





2008/02/08(金) 曇り


[ 同じものを作る所が有利に ]
同じものを作る所が有利に


昨年の建築基準法の改正により、確認申請をする際の審査の厳格化が実施され、これが昨年後半に住宅着工数の減少となって木材業界、建築業界を直撃しております。1月にはどこのテレビ局でも取り上げられ、話題となりましたが、その後もその状況は続いているわけで、解決していません。少し回復の兆しは見られる、とは云っても良い訳ではありません。この「官製不況」により、つぶされてしまう所も多く、一段と吸収や合併が進むのでしょう。

さて、一つ一つの住まいを大事に作る立場の方からすれば、確認申請する時に添付する書類が増えることは大変なことです。書類を作るのに必要な時間は今までよりも掛かります。それに対する対価をいただかなくてはならないでしょう。木造2階建てでも構造計算が義務つけられると、それにかかわる人件費は頂くようになるでしょう。
それに対して、同じものを作る所は、資料をコピーして残しておくだけで次のものに転用できます。あるいは、パソコンの中にデータを入れておいて、それをプリントアウトすれば、よくなります。同じものを作る所が有利になりました。

住まいは同じものを作らない=オンリーワンが基本ですが、これからはますます、コピー商品になるのでしょう。「これは私の仕事です」とか「あなたのために作りました」などというのは流行らないのかもしれません。

2008/02/06(水) 曇り


[ 削ってある木材が好まれる ]
削ってある木材が好まれる


仕事量が昨年と比べてかなり落ちているこの頃です。遊んでいる職人も多く、また仕事があっても2、3日で終わってしまうものが増えています。
すぐに終わってします仕事が多いせいか、ここのところ木材は加工してあるものを大工さんでも欲しがります。数丁の材料を削るのに材料を木取りして、機械で削って、手で仕上げてなどとしているより、加工してあるものを幅を割いて使う方が仕事が早くなります。
もちろん、加工材として注文を受けているものもありますが、急に必要になる木材も増えています。そんな時には大工さんでも加工している木材を持っていきます。
たとえば、メルクシパインの集成材。杉の24ミリ厚の板。桧の15ミリ厚の加工板。そして一番多いのが栂の加工材です。25ミリ厚*150ミリとか、25ミリ厚*110ミリ、そして巾木に使う材料も出ます。
一等材ではパインのツーバイフォー材やカナダツガの45*90なども出ます。あとは30*40ミリの通称タルキを加工しておいたものが割と出ます。大きさは25*35ミリくらいになっていますが・・・

今加工してあるといいなと思っているものに樹種は問わないのですが、15ミリ厚、18ミリ厚、20ミリ厚で幅90ミリから180ミリくらいの板状のものがあると使い勝手が良いかなと思います。

段々と加工してあり、すぐに使うことの出来る商品、部材として使えるものが要求されています。

2008/02/05(火) 晴れ


[ 市工舎の仕事 ]
「市工舎」の仕事

いろいろな設計士の方がいる中で、ご自分で大工仕事までこなす一級建築士の方に市工舎さんがいます。普段は設計の仕事を行っていますが、リフォーム工事や耐震工事など直接施工を伴った仕事が出ると、わが社を使ってくれ、ご自身も大工仕事までします。
昨年夏から秋にかけていくつか仕事をいただきました。中でも和光市のリフォーム工事ではお施主さんが住みながらひと部屋ずつ直していくもので、順序良く仕事を進めていくことを要求されるものでした。
解体に始まり、順番に必要なものや人を段取りして進めていきました。材料も建材類はちゃんと品番を書いたものをいただき、発注してくれましたので、二度手間もなく、スムースに進められました。改造仕事なので予想された材料ばかりでは収まらずに追加も出ましたが、何とか工期も遅れずに仕事が終了しました。
ご自身大工仕事が好きで、「0.5人工」くらいなら働けます。というだけあってよくうごかれます。
こういう設計士の方なら、おすすめです。


2008/02/04(月) 晴れ


[ 若い大工さんはいませんか ]
若い大工さんはいませんか

「若い大工さんはいませんか」
建設会社や工務店の社長さんからよく質問を受けます。
答えは「限られた人しかいません」ということになります。
実際若い大工さんは少ないです。
私の父の代には綺羅星のごとく存在した大工さんも還暦大工はおろか古希大工になってしまいました。馬力という点では若い方に劣りますが、仕事は確実で安心感があります。これは勿論私の感覚です。それだけ私も年をとったということでしょうか。
もう4年半前になりましたが、自宅を直した時には、若い人に実際の仕事を頼みました。それは、若い人の方が早いということや若い人に経験を積んでもらうという意味がありました。
結果は正解だったと思います。

さて、実際若い大工さんがいなくなってみると、今の材木屋の仕事も小さくなるばかりだと思います。
山の木を育て、伐って、それを活用して、都市の中に「住宅」という、いま一つの「森」を作り上げるという壮大な仕事の中に材木屋はいますが、上から下まで全体的に細りました。この先は心ある人たちによって地道に繋げていくしかないのだと思います。最近できた「適材適所の会」や「東京木材ネットワーク」、あるいはそれ以前からそういう運動を続けている「つくば緑友会」それらは元をただせばごく普通の材木屋が行っていたことでもあり、手仕事を大事にしていた大工そのものにほかなりません。

若い大工さんにも、本物の木を使う機会を増やしてやりたいと思うこの頃です。

2008/02/03(日) 雪


[ 二月はのんびりと ]
二月はのんびりと


農繁期と農閑期があるとすれば、今は後者です。二月はのんびりしたいと思います。このところ体力が一段と落ちています。力仕事をしていないのでまず筋力が落ち、仕事が少ないせいで緊張感にかけているのがそれに拍車をかけています。まあ、有体にいえば中年から老年に体が変化しているのだと思います。もう少し年をとると身体が楽になるのだと思いますが、今その最中だと思います。痩せなくなってきたり、あちこちに痛みを覚えるようになりました。
月、火、水と働いて、水曜日の夜にテニスに行ったり、夜に会合や仕事が入ったりすると金曜日の朝が起きられなくなりました。それが土曜日になることもあります。そのこともあって今週は夜の7時、8時、9時に就寝しました。大体8時間睡眠をとりましたので、昼間も元気に動けています。私にはこのくらいのペースが似合っているようです。
また、スキーやテニスをすると丸一日以上たたないと筋肉痛が出てこなくなりました。でも体を動かして遊びたいです。
さて、こんなわけで、二月はいろいろと予定もありますが、なるべくキャンセルして静養に努めたいと思います。
一週間くらい前の朝日新聞に藤原正彦氏が書いていましたが、年をとってくると体力がなくなる。その代り情緒力が増す、とありました。播磨坂の桜はあと何回見ることができるのだろうか、嵐山の紅葉を今年も見ることができるのだろうか。もののあわれと言いまますか、命をいとおしむ気持ちが年を経るごとに大きくなっていくのを感じます。愛ちゃんも無事に成人を迎えられるだろうか、などといらぬ心配をしています。
さてさて、そんなことよりもっと身近なことに気を配らなければなりません。体力回復が今月の課題です。

2008/02/02(土) 曇り


[ 1月の仕事は ]
1月の仕事は


1月は仕事をする日数も少なく、大した売り上げになりませんでした。

そんな中、中古の住宅を買われた方が間取りを変え、床を直す仕事がありました。築25年のそのお宅は、床を壊してみるとプレカットで建てられたもので、プレカットで建てられた住まいもリフォームする時期に入ったかと思いました。
さて、この仕事はこの現場近くの電気屋さんが初めに持ってきたもので、その近くの設計士経由で工務店さんが受け、職人さんが現場で仕事をしています。最近の仕事は工務店さんや大工さんが直にお施主さんからいただくものが少なくなりました。
この現場の場合、請け負ったのだ工務店さんでした。しかし設計士さんも入っていますので何を使うのか、基本的なところに関しては指示があります。初めに仕事を持ってきたのが電気屋さんですので電気屋さんが自分で関われる仕事は電気屋さんがします。
この仕事で一番大変だったものは設計士さんの指示が遅く、大工の仕事が止まってしまうことです。
床下地材を張り始めたら「床下に断熱材を入れてほしい」とか「仕上げ材の厚みを12ミリから15ミリへ変えたい」とか、あと知恵を活用されると、大工さんは二度手間になるし、材料を納める方も急にせかされます。その上、監理料として「これくらいは確保してください」と自分の取り分だけは先に要求されてしまいますので、この仕事をまとめあげる工務店さんは「大変だ」と感じます。
仕事は直に取れないといけませんね。
設計士も自分で施工できるところを頼んだ方が良いと思っています。
2008/02/01(金) 曇り


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[ 管理者:大野満生 ]


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