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時々更新mn日記

( 2008/02 ← 2008/01 → 2007/12 )


[ ベニヤは便利2 ]
ベニヤは便利2

ラワンベニヤが環境問題にさらされると、針葉樹を用いた合板ができてきました。誕生から二十五年以上たっていると思いますが、私が売った記憶は二十年くらい前からです。が、このベニヤはねじれを生じやすく、あまり好きではありません。木造住宅も3階建てが出来るようになると1階を建て終わったら、2階の床を先に並べ、それから2階、3階と建てていくやり方が生まれました。作業の安全性からです。そうなると床も壁の屋根もベニヤだらけになりました。木造軸組みで建てたとしてもベニヤを張ってベニヤの力で耐力壁を作るようになりました。こうなると木造軸組み工法というより軸組み壁式工法といったものに変化したように思います。

ここ数年でプレカット工場経由の木造新築住宅の割合が8割を超え、羽柄材のプレカットまで行うことが通常となりました。屋根材のベニヤのカットも行われ、もちろんタルキや間柱などもカットしていただけます。さらに根太材を省略する工法も通常になりました。15ミリのラーチ合板や24ミリ厚ないし28ミリ厚の合板を使うことも増えました。ラーチ合板は安くて使い勝手の良いものとなりました。



再び「つくば緑友会」の作成した「季のある住まい」82ページを揚げると、ここに示された1階の根太や2階根太の部分は最近やり方では省かれることになりました。ますますベニヤの使われる所が増えています。この根太レス工法ではいくつか留意しなくてはなりません。先に床の高さをはじめに決めるのでお風呂やトイレなど排水の絡むところに支障がないかどうか、また後からの改造で間取りを変える時など、不都合が出る場合もあります。

さて、こうなると木材の使われる部分は少なくなってしまいました。もちろん杉材を用いた合板などもこれからできてきて使われるとは思いますが、根太材である36*45、45*45、45*105ミリの木材の部材は新築住宅では使われなくなりました。便利なものがますます使われていきます。早く作れるものが好まれていきます。これを「安くてよい住まい」というのでしょうか。ベニヤの寿命が住まいの寿命になりかねません。構造材を大きな部材を使ってしっかり建てることが大事なことになりそうです。

2008/01/30(水) 晴れ


[ ベニヤは便利 ]
ベニヤは便利

ベニヤは便利な商品です。戦前からあったのでしょうが、私がこの商売についた30年ほど前(昭和50年代)には、ラワンベニヤが主流で、しかも使い始めてからそんなに時間がたっていなかった頃だと思います。コンパネと呼ばれる型枠用の合板を床下地に使うようになっていました。それが屋根の下地に使うようになり、やがて外装下地にも使うようになりました。
内装用としてシナベニヤやランバー合板もありましたが、こちらは当時は主に建具屋さん関係の品物でした。
そして針葉樹合板ができ、今はこれが全盛です。

さて、30年ほど前を思い返すと、屋根下地の野地板は杉板の9ミリないし12ミリ厚を使っていたと思います。当時は屋根材は瓦かトタンが主なものであり、コロニアルになるにつれて12ミリのコンパネや下地用のベニヤになったと記憶しています。また床下地材も和室はスギ板だったものがコンパネに変わりました。洋間の床の仕上げ材としては1*6のフロアー材が多く、続いてカーペットやクッションフロアーだったと思います。まだ今と違ってフロアーの下地にベニヤを敷くことはせず、また床下の断熱材も使うことは少なかったと思います。その分フロアーの厚みは15ミリを使うお客さんも多くいました。またカーペット下地なども21ミリくらいのベニヤを使っていました。今と違って、仕事は大工のものであり、良いものを提供するという心意気がありました。
また、物入れや押し入れの内部もベニヤを張って仕上げました。床は9ミリないし5.5ミリ。壁は4ミリベニヤ。天井は3ミリ厚などといった具合です。そのほかクロスの下地に4ミリベニヤを張ることも多かったように記憶しています。今はこの部分はほぼ耐火ボードになりました。そのほか、戸袋の中とか、軒裏などにもベニヤを使いました。この部分は現在では防火の関係もあり、今は使いません。
その頃圧倒的にベニヤを使ったのはとび職の人たちでした。基礎の型枠にベニヤを使いだし、町場の工務店の仕事の下請けとして○○組とか△△土建などといった人たちがたくさん買っていかれました。町場から仕事が減った現在ではこの部分の売り上げはほぼなくなりました。

30年前の住まい真壁と呼ばれる柱が見える構造が主流で、洋間であっても柱は見せていました。それが大壁と呼ばれる柱の見えない住まいつくりに変化してくると内部は耐火ボードで固めた住まいが主流になりました。


2008/01/29(火) 晴れ


[ 日本の木を使うのか ]
日本の木を使うのか

少し前の話になりますが、日本木材総合情報センターで聞いた話になりますが、「日本の木材だけを使って住まいを建てたい」という方がいらっしゃって、これにどう対応したかを教えていただいたことがありました。何軒かの材木店を回って、その後木材総合情報センターにたどり着き、そこから紹介されたところは浦安にある「中央木材市場」だったそうです。その後の話はお聞きしていないのですが、今自分がそう言われたなら、何をどこまでできるのか、考えてみたいと思います。
まず、住まいに使う木材の構成を構造材、造作材、羽柄材(下地材)に分けて考えましょう。
造作材になるものとして、好みはありますが、杉や桧があります。ケヤキ材や青森ヒバ材などもありますから、造作材に国産材を使うことは比較的容易いと思います。ただし、タモ材などを使いたいという希望があると、これは北海道産なのか、ロシア・中国材であるのかの判断は難しいところです。
さて、構造材ですが、土台、胴差し、母屋、柱などは国産材(杉や桧)で賄えますが、梁材が難しいところです。現在では梁には米松材がほとんどです。プレカットの工場では加工に適したものが優先されますので米松材ないし集成材(米松やレッドウッドなど)を用いることになります。そのほか国産材を探すと地松ないし杉になると思います。
わが社でも今から二十年ほど前までは、梁といえば地松を使い、大工さんがわが社の下小屋で手刻みしていました。良い地松が手に入りにくくなってから、また手刻みの仕事がなくなってからは松を使うことはなくなりました。市場に標準的な在庫として存在しなくなった時点から使わなくなったと言えるでしょう。もちろん今でも岩手県あたりに行けば地松の梁を使うことがあると思いますし、そこから材料を引っ張ってくれば用意することはできます。ただ十分乾燥した材ではないと思います。あとは杉や桧の集成材になるでしょうか。梁は荷がかかるところなので強度が要求されます。杉の集成材を使うとなると梁背が大きくなることも考慮しなくてはいけません。
次に下地材ですが、どんなものがあるか思いつくまま書いてみますと、屋根タルキ、野地板、筋違、間柱、大引、根太、床下地、野縁、胴縁などですが、今この中で私が国産材を使っているといえるのは、間柱くらいです。タルキ、筋違、大引、根太は米栂材が98%。野縁材にいたっては100%赤松材です。野地板は以前は杉材でしたが、今はほとんどがベニヤ材。床下地についてもスギないしエゾ材だったものがほぼ100%ベニヤになりました。ベニヤがラワンなのか、ラーチ合板なのかの違いはありますが・・・もう少しすると国産のスギを使ったベニヤ材がわが社まで普及すると思いますが、まだ使ったことはありません。見積もりしたくらいです。

さてこうしてみると国産材を使うことが減っています。その理由の一つに例えば下地材の筋違や根太に杉材を使うとすると、強度の点で不安が残ります。また施工する方にとってもビスが入りすぎたりしてその材の柔らかさが欠点になります。さらに節で曲がったり折れたりするリスクを考えると現在の米栂材は優れています。梁に使う米松材も優れていると思います。並材を乾燥させることで強度の高いものを作りだしあっという間にシェアを獲得しました。売れていくものにはそれだけの理由があります。

さて、これは先ほどの造作材で話せばよかったのだと思いますが、床や壁・天井の仕上げ材として杉や桧、あるいはヒバなどでも国産材はあります。無垢のフローリングや羽目板材として商品化されているものがあります。節のあるなしで雰囲気は違いますが、日本の木の目の具合は柔らかいです。自宅の床・壁・天井には主に杉材を使い、天井は節のないもの、床は節のあるもの、壁はその中間くらいのものを使いましたが、4年がたって経年変化しています。多少傷がついたりしていますが、時間の流れが楽しめます。目が楽ですよ。

今の私には、国産材だけで住まいを作ることはかなり難しくなっています。柱や桁。あるいは大引や間柱材などで人工乾燥された材は使いますが、たとえ人工乾燥されていても野縁や筋違などには使いずらいのが本音です。増やす努力はするけれども、全面的には使えません。これが現在の適材適所になるのでしょうか。

今これを書いていたら、鉄骨のベランダの床の張り替えの話が出ました。樹脂製のデッキ材にするか、桧の板をしかもできれば30ミリくらいのものを使ってもらいたいと話しましたが、イペなどウッドデッキに使う材料を使ってもよいかと思いました。選択肢を広げれば、相手は値段で判断するのか、環境に配慮するのか、日本のものを使ってみようと思うのか、いろいろと考えていただけると思います。



つくば緑友会「季のあるすまい」82ページより転載。

2008/01/26(土) 晴れ


[ 寒い朝 ]
寒い朝

ここのところ朝の冷え込みがきつくて起きられません。そこそこ断熱にも力を入れた住まいに住んでいても朝は寒くてエアコンをつけてしばらくしてから起きます。いつのころからこんなことになったのでしょうか。
住まいの方はひやっとした感じはないのですが、それでも寒く感じます。やっと起きて事務所に到達するとここはもっと冷えています。築40年を超える木造住宅は冷たくなっています。ガスストーブを入れて暖をとること30分。やっと動き出します。この間メールを見たり、新聞を読んだり、お客さんが見えれば材料を出します。
この事務所にも寝起きしていた時期があります。約一年間、父母の自宅を作りかえるときに、自分の住まいに父と母に住んでもらい、私はこの事務所で寝起きしていました。風呂屋食事は父母ととっていたので多々寝ていただけですが、あまり寒かったという記憶がありません。まだ40歳前でしたので元気があったのでしょうか。今の年なら「とてもいられない」「エアコンつけっぱなしで寝る」といった具合になりそうです。
今現在事務所でガスストーブを付け始めて一時間が経過しましたが、部屋の温度は12度です。足元の方はもっと寒いです。もう少し温まったら、体を動かして一汗かいてこようと思っています。
寒さが気になる今年の冬です。

2008/01/25(金) 晴れ


[ 自分の住まいができるまでの流れ ]
自分の住まいができるまでの流れ

50歳を回った私たち二人は、そろそろ自分達の住まいを考えていました。分譲マンションをいくつも探していましたが、そんな折、私たち家族が所有する3階建てのマンションの3階部分が二つ空きました。二つ併せて約60平米です。この部分をリフォームして終の棲家を作ることを思い立ちました。
そこで先ず、知り合いの設計士の方に相談して自分達の希望を入れた平面の図面をいくつか書いていただくことにしました。2003年の6月の初めだったと思います。二週間に一度のペースで打ち合わせをし、二つほど気に入った図面が残りました。それと平行してキッチンやユニットバスなどのメーカーのショールームへ日曜日になると足を運び、住まいを構成する部分について知識を頭に入れました。妻の希望は、「床暖房は要らない」「風通しの良いこと」「キッチンで二人が作業できること」などでした。私の希望は「ゆったりとした寝室」「広めのトイレ」「収納スペースが多いこと」などでした。
そのうちから二つのポイントであるキッチンと寝室の位置から我が家を考え始めました。東西に細長い建物だったので寝室を東に持ってくるか、西に持ってくるか。その結果キッチンないし居間はその反対側に来ることになります。勿論中央にキッチンを持ってくるという提案もありました。設計士の方の書かれたものは希望を叶えてくれるのですが、何となくスッキリしません。それは我々の意見を大事にしてくれてすべて叶えてくれるからです。逆説的な言い方ですが、施主として自分が意見を述べる方になってみて感じることは、意見を言っているほうでもどこかでそれに優先順位をつけているということです。私たちの住まいの場合はキッチンでした。ここの位置と大きさが決まる事で居間の大きさや今まで使っていた家具の配置が決まり、寝室の大きさやクローゼットの併設場所など平面図が出来上がりました。
今度はこれをもとにして設計士の方に見積をお願いしました。眼一杯希望を入れた見積もりはやはり金額的に大きくなりすぎて、そこからどれとどれを優先して、後からできるものは今回やらない事にしました。また同時に自分たちがメインとなって住まいづくりに参加し、サブとして設計士の方に就いていただく事にしました。そのため実際に施工する方も私どもで選びました。私は材木屋ですから大工さんとの取引があります。その中から選ばせていただきました。こうして施主、設計士、施工者の3者による住まいつくりが始まりました。設計士の方には細かなチェックをしていただきました。施工者の方からもその時々でアドバイスをいただきながら進めていきました。私たちも出来るだけ現場に出向いて関わりをもつことにしました。そのせいもあって住まい作りはスムースに進みました。2004年の1月には無事引越しを終えることが出来ました。
今回私が材木屋であったことが自宅つくりに有利だった事は否めません。材料の手配は自分でできるのですから、どういうものを作りたいのか、誰に作っていただくかを考えればよかったからです。それでも自分たちも参加して住まいを作ったことで細かい失敗は気になりませんし、満足感のある住まいつくりができました。オンリーワンの住まいに対して、今度は私たちが愛情を注いで住まいと共に楽しい人生を過ごしていきたいと思っています。


2008/01/24(木) 曇り


[ 減量できない ]
減量できない


少し前ならすぐに痩せたのに何をやっても体重が落ちなくなりました。運動すれば瞬間的に落ちますが、食事をとれば元に戻ります。食事の量を減らしたつもりでも、それくらいでは体重が落ちなくなりました。少しずつ栄養がたまり始めて未消化のまま体内に残り血となり肉になってしまいました。こうなると減量は厳しいものとなります。
以前は少し仕事をしすぎれば、体重は落ちました。おかゆにしたり玄米ごはんをゆっくり食べることでも目方が落ちました。今は食欲の方が勝ってしまうせいか、落ちません。かなり長い時間をかけて体重を落としていきたいと思っています。
もうおなかいっぱい食べる、などということは夢の中だけになりました。


2008/01/23(水) 雪


[ 新聞から ]
新聞から


昨年10月半ばまで忙しくて自分の身体が持たないと感じていましたが、それ以降忙しいということはなくなりました。

今日の木材新聞にジャパン建材が取引先の販売店(3006社)から集計した今年の1〜3月の需要動向予測結果を公表したことが載っていました。
それによれば、今年1〜3月の販売店から見た工務店の需要予測指数(増加するというものと減少するというものの差)はマイナス59.6ポイントと平成4年4月に調査を開始依頼最低水準の予測となった、としています。
同様に主要メーカーによる今年1月から3月の販売予測では合板、木質建材、窯業・断熱住宅機器などすべての部門で減少を予測するものが多く、新築・リフォームの両方にブレーキがかかっていることが反映されたとしています。
仕事が全くなくなることはありませんが、従来のルートの終了を感じさせる事態です。

一方で、同じ木材新聞では、中国木材の堀川社長が広島に国産材製材工場の構想を明らかにしたと書かれてあります。中国木材は米松材製材の大手の会社ですが、米松と杉材を張り合わせたハイブリット・ビームや杉の集成材なども作っております。外材の供給状況が厳しさを増していく中で、国産材は長期的に見て資源として有効です。ここに目をつけ広島県でも県内の国産材のB材やC材など曲がりや欠点のある材を使用していくための製材工場を計画している、としています。
大きくなっていく会社は、益々大きくなるために次の構想を打ち出していきます。立派なことですね。この会社は広島県から出発し、佐賀県の伊万里に工場を作り、昨年には茨城県の鹿島に製材工場を始動させました。鹿島工場には、見学に行く予定があります。楽しみですね。
2008/01/22(火) 曇り


[ 三回忌 ]
三回忌

父が亡くなってから早いもので二年近くになります。1月20日には父の三回忌を行いました。小平霊園にお寺さんをお招きして無事終了しました。一年ぶりに親戚の叔父さんや叔母さんのお目にかかり、また新しい家族にも来ていただきました。なかなか親戚で集まることもなくなりました。
当日は寒さが一段と厳しくなる予想でしたが、昼ごろにはお日さまも顔を出し、思ったより寒くなかったので、こちらとしては一安心でした。親の三回忌を無事に終えたことで私も一安心したところです。



2008/01/21(月) 曇り


[ 今年の新年会は終了です ]
今年の新年会は終了です


17日には、新宿アイランドタワーで鮨とカニの食べ放題。18日には椿山荘で組合の新年会。二つとも無事に終了してこれで今年の新年会は終了です。
以前はもっとあったのでしょうが、付き合いは狭くなり、あとは仲間と飲むかぐらいです。このところ会っていない友人と一杯かわしたくなっています。このところの話題は親の介護、それが終わった人は自分自身の定年や病気のこと。そちらの話題が増えました。奥さんが病気とか旦那を亡くしたとかいう便りが届く近頃では、やり残したことはないのか、気になるときがあります。

士也母 空應有 萬代尒 語續可 名者不立之而

名は立てなくても良いのですが少しは社会貢献しないといけませんね。


2008/01/19(土) 晴れ


[ 昼飯は ]
昼飯は


私は朝はパン食が基本ですが、昼はその時々によって食べるものが違います。家で食べる時ならご飯、おそば、うどんといったものになりますが、買ってきて事務所で食べることが多いのです。
そうなると、今日は何を食べようかと思案を巡らします。土曜日の昼なら外食でお蕎麦屋、すし屋のランチなどもいいですが、平日となると何時電話がかかってくるか、それも気になりますので、事務所に買ってきてそこで食べます。一番多いのがセブンイレブンのお弁当。サンエトワールや高木のパン。サボテンのとんかつ。松屋の牛丼。たまには上州屋の弁当なども食べます。
いまから数年前までなら、この選択肢はもっとありました。お弁当屋さんももっと個人商店がありましたし、ラーメン屋や蕎麦屋などの数も今より多くありました。が、ここへきて商店の数が大きく減りました。今残っている所は比較的大手のチェーン店だけになりました。同じ味ばかりになりました。
家庭料理ならその時々の素材で味付けにも変化を持たせることもできます。作り手がわかっているので安心して食べることもできます。選択肢の少なくなった時代には家庭でまとまって食事をすることが一番よいのかもしれません。私は則ちゃんのおにぎりが好きです。


2008/01/18(金) 曇り


[ 支部新年会 ]

中野支部新年会


中野支部では恒例の新年会を平成二十年一月十三、四日の両日箱根湯本温泉「ホテルおかだ」において開催しました。昨年に引き続いて「おかだ」の特別室を利用させていただき、ゆったり過ごしてまいりました。
今回は三十代から八十代までの年代の方が参加されましたが、大先輩からは貴重なお話をたくさんお聞かせいただき、大変為になったばかりでなく、若い方々にとっても幅広い年代の方々とゆっくり話をする機会を作ることができ、泊まりがけで行った意味を見出し、とてもうれしく思っています。緩むところは緩み、羽を伸ばすところは十分に伸ばして大いに英気を養ってきました。
さて今年は子年。ネズミ算という言葉があるように繁栄の年といわれております。が、年初より景気の動向が思わしくなく、急速な変化が予想されます。材木屋から人がいなくなり、得意先にも変化が押し寄せてきています。仕事のやり方も今まで通りが通用しなくなるように思います。支部内でも交流を深め、知恵を集め協力できる体制を考えなくてはなりません。できればそれをより広い範囲に広げたいと思います。
なお、宴会では舩越元副支部長に中締めをお願いし、今年一年の奮闘を誓いあってお開きといたしました。締め所はしっかり締める中野支部でした。今回は行きも帰りも全員揃って行動したことで支部としてのまとまりを感じた新年会になりました。ご出席いただきました皆さんお疲れさまでした。





2008/01/17(木) 晴れ


[ 赤松の小割がない ]
赤松の小割がない


赤松はロシア材です。新潟県や富山県に丸太で入ってそこで曳いたり静岡県の天竜あたりで製材して主にタルキや加工同縁、サン木になって市場に製品として入って来ていました。下地材です。そのほか造作材として敷居や鴨居に使う内法材、廻り縁材、量はあまりありませんでしたが、枠材などもありました。また小割と呼ばれる21*30や24*30のサイズのものがありました。私がこの世界に入った30年ほど前の話です。今から25年ほど前に当時ソ連邦といった現ロシアにイギルマという会社ができ、そこで製材して製品として日本にも輸入されるようになりました。
タルキのサイズは、現在関東地方では30*40がほとんどだと思いますが、その頃は35*40や32*38などもありました。また歩切れ材と言って表示されている寸法より小さなサイズのものもありました。タルキは関西へ行けば41*41だったと思いますし、名古屋でも少しサイズが違ったと記憶しています。
さて、昨年富山に研修旅行に出かけましたが、赤松材も丸太で入荷するものが減り、盤で曳かれたのもの=半製品として輸入されるものが増えていました。また丸太で輸入されてもその丸太の大きさは選木されたものばかりでなく、直径の小さなものまで曳くようになったとのことでした。そして製材されるものは、下地材ばかりになり、造作材を製材している工場の数は減り続けています。赤松の内法材などはアパート敷居や鴨居によく使いましたが、アパートもマンションになり、大壁の仕様になると使われなくなりました。廻り縁や付け鴨居も同じです。ただし小割はその名の通り小さなもので扱いやすさがあり、格子に使ったり受け桟に使ったりと便利なものでした。
それがこのところへ来て製材されるものが30*40や20*40ばかりになり、改めて24*30を曳いてくれるところがなくなりました。その結果、赤松の小割は市場から姿を消しているそうです。改めて製材してくれるところは「ないよ」と市売問屋さんはいいます。国内にある製材業者は減り続けています。自分が使いたいと思うサイズのものは自分で作りださないといけない時代に変貌したのでしょうか。

2008/01/16(水) 晴れ


[ 「適材適所の会」 ]
「適材適所の会」

1月15日の朝日新聞の朝刊の東京版に「進む森林荒廃に警鐘」「啓発へ適材適所の会」という記事が載っていました。写真付きで紹介されている写真には世田谷の小川木材の小川典洋さんが写っていました。存じ上げている方でした。

そこには木について勉強してみませんか。国産材の理解を深めてもらおうと、首都圏の材木店らが参加。啓発活動に取り組む組織「適材適所の会」を設立する。木に関するセミナーの開催や、木と触れ合うイベントなどを通じて、荒廃が進む国内の森林の現状を知ってもらいたいと期待する。

と書かれてありました。
こういう人が出てくるとこちらも元気がもらえます。
記事の全容はこちらから。



読みにくいかもしれませんが・・・雰囲気だけでも。

2008/01/15(火) 曇り


[ アサヒ堂書店 ]
アサヒ堂書店


中野新橋にある「アサヒ堂書店」が昨年末で閉店しました。今の店長さんを含め、3代にわたりお世話になりました。今から40数年前から、折にふれて雑誌や書物を買っていました。が、このお正月に旅行から帰ってきたら、閉店していました。中野新橋の駅から少し離れたところにある本屋さんなので、夜遅くまで店を開けていましたが、それでも売り上げが落ちていたのでしょう。

中野新橋には、今一軒本屋さんがあります。こちらの本屋さんはこれから売り上げを伸ばすのでしょうか。答えはすぐにイエスとは言えません。本屋さんの売れ筋だった雑誌類はコンビニにその売り上げを持っていかれ、新古本はインターネットで買うことが当たり前になりました。こういう私もネットで欲しい本を見つけ、それが1冊1円だったりすると飛びついてしまい、送料と手数料を払っても安いと考えてしまいます。新刊本でどうしても欲しいものはアサヒ堂を通して買っていたのですが、それもできなくなってしまいました。無くなるとやはり不便です。中野坂上や新宿に出かけたときに買ってくるのも手ですが、交通費がかかります。近所で買えるならそこを利用するのが賢い方法だったはずです。

でもその流れは現実には崩れています。材木屋も同じです。ホームセンターに押され気味です。土日に営業していないのが致命的でしょうし、ホームセンターは特定の商品が滅茶苦茶安いです。この部分では私たちもホームセンターを仕入れの一つとして活用しないといけないのでしょうね。

ともあれ、戦後に育ってきた個人商店は、店主の高齢化とともに無くなってしまいます。個人が築き上げたノウハウは何処に行ってしまうのでしょうか。そういうものは次の世代につなげていきたいですね。

2008/01/11(金) 晴れ


[ 仕事は ]
仕事は

今日は1月8日、七草まで休んだ大工さんもようやく仕事に復帰しました。
今年はどんな年になるのでしょうか。昨年の12月は仕事も少なく、月半ばにしてほとんど体を動かさなかったと思うのですが、今年もまとまった仕事は少なく、細かな仕事を積み重ねていくことになりそうです。
間取りを変えたり、耐震工事絡みのものが主体になると思います。私の会社のレベルでは木造の新築はほとんどなくなりました。鉄骨の内部造作も昨年は前半こそありましたが、後半では全くありませんでした。
今年はどうなるでしょうか。
仕事は昨年の建築基準法の改正絡みで確認が降りてこなかったものが出始めると思いますが、これは基本的にプレカット工場へ行ってしまうものでしょうし、それにつられて出てくる仕事がわが社へ来る仕事になると思います。

2008/01/10(木) 晴れ


[ 年賀状 ]
年賀状

今年もまた多くの年賀状を頂きました。
今年の特徴は、私の年齢を反映してあと幾年で定年ですとか、仕事辞めましたということを書かれた方が多くなりました。
家族の写真が少なくなって裏はペットの写真ないし絵が多くなりました。
そのほか、喪中葉書がたくさん来たのも特徴的です。
親がいなくなり、家族が自立し、自身は仕事が終了するという目まぐるしいところに差し掛かりました。30数年仕事をすると次の段階に移行しなくてはならないようです。

2008/01/09(水) 晴れ


[ 正月は ]
正月は

昨年の暮れから正月休みを取り、三日の日まで行きつけのペンションで過ごすことにしました。といってもひとつは河口湖、いまひとつは清里です。親の介護からほぼ解放されて自分の時間がとれるようになりました。その反面体力もし始め、時間を楽しんで過ごすことも有意義だと感じています。あまり考えずに気を使わなくて済むところに行ってきました。
31日には「FUJITEN」リゾートで富士山を見ながらスキーして、その後は「ゆらり」でお風呂につかってお正月を迎えました。
1月1日も西湖から富士山を眺めたり、「いやしの根場」を散策して日の光りの温かさを体に受けてきました。「いやしの根場」ではお昼にそばをいただきましたが、この松翁というお蕎麦屋さんの本店は中野区上高田。これには驚きました。
その夜、清里のペンションへ行き、翌日ペンション主催の餅つきを手伝ってから「キッズメドウズ」へ。
二年ぶりのスキーでしたが何とか滑ることができてひと安心しました。3日の日には須玉から20号線を甲府まで走りましたが、富士山の形の美しいこと。昔の旅人もこの景色を見たのだなあと思いながら車は甲府昭和から中央高速へ滑り込んでいくのでした。





2008/01/08(火) 晴れ


[ あけましておめでとうございます ]
新年明けまして
おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今年は30日から休みましたので、長い正月休みでした。
休んでいたせいか、体の動きがよくありません。
少し前までは31日まで働いて、1月7日まで休みというのがこの業界の常識でしたが、暮れに銀行が休みになると仕事も終了し、年明けの月曜日から仕事を始めるというパターンが定着し始めています。
以前はよく材木屋さんの前を通るとタルキや板材で店の前を飾ったものですが、それも見かけなくなってきました。わが社でも下小屋の一部にタルキを飾っているだけになりました。古き良きものが時間の経過とともに失われていく気がします。

こんな感じのものです。
お近くの材木店では見かけたでしょうか。


(新里材木店の年賀状から転載しました。)


さて、どの業界でもそうだと思いますが、少しずつ世代交代して古い人がいなくなり、新しい人が入ってきてその業界を活性化していきます。また、私の身の回りでも頼りにしてきた叔父さん達がだんだん年をとり、頼りにしてはいけないところに来ています。いつの間にか頼るほうから頼られる方に移行してしまいました。
私もそろそろ年齢的に自分で行うよりも人に動いてもらえるようにならないといけないように思いました。
未来ある人に伝えていく、次の世代へのつながりを意識してこの一年を過ごしてみたいと思います。


2008/01/07(月) 曇り


( 2008/02 ← 2008/01 → 2007/12 )


[ 管理者:大野満生 ]


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