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時々更新mn日記

( 2007/05 ← 2007/04 → 2007/03 )


[ 追加、変更、数え違い。 ]
追加、変更、数え違い。


新築であれ、増築であれ建築の仕事には細かな変更がたくさんあります。追加で発注を受けたものはたいてい急ぎです。大工が失敗する場合もあるし、現場での設計変更もあります。施主が引き違いの扉を一本引きに変更したいと言ってくる場合もあります。現場では仕事は進んでいますし、工期も決められています。一日のランニングコストが20万円かかるとすると、一日でも早く仕事を完成させないと請けた方もお施主さんも両方とも危機にさらされます。

追加の仕事には普段より緊張しているつもりです。

また、納めた材料が変更になり、違うものを追加で頼まれる事もあります。壁材の下地が耐火ボードであったものが棚をつける関係でベニヤ張りになりました。二回三回と追加になりました。当初11枚の予定だったものが14枚追加になって25枚になりました。こうなると先に収めた耐火ボードが「余るかな」と感じています。

そんな中、天井に張るケイカル板を配達しに行きました。天井を見上げて下地材の入っているところを見ながら数を数えなおすと、28枚必要。私が以前数えた時が24.5枚。持っていったのが25枚。
「あれー、3枚足りないわー」

かくして連休の最中に今一度配達する羽目になりました。仕事は慎重にしないといけませんね。


2007/04/28(土) 晴れ


[ 作り直し ]
作り直し


窓枠やドア枠を「トメ」にするか「縦のばし」にするかはお客さんの好みの問題であります。が、樹脂シート張りの建材メーカーの既製品を使うなら、その現場の図面をよく見て判断するのが良いでしょう。昨年行った現場では「縦のばし」にしたのですが、窓が低い位置についているところがあり、その部分の縦のばしにした樹脂シートが目に入ります。表面がシート張りで内部のMDFも見えてしまいます。きちっとした仕事が出来ていた現場だと思うのですが、興ざめでした。

内装材に本物の木を使っていたならば、見えた部分も本物ですから、違和感はなかったと思います。

さて、窓枠に本物の木を使っていただけるところがあります。今回は縦のばしです。材料を納めました。この現場はリフォーム現場で二階建ての住まいですが、今回骨組みだけにして間取りを変えています。築40年くらい経っていたと思います。柱も100ミリ角です。柱や梁を補強しながら仕事を進めています。外部の下地が終りサッシをつけ、その窓枠をつける頃になって、窓枠の幅が足りない所が出てきました。注文を受けた材料では「ちり」が少なすぎて、いま少し幅の広いものが欲しいと大工さんから言われました。改造仕事では柱が倒れていたりするのを補正しながら仕事を進めるので、計算上の大きさと実際に必要なそれに多少の違いが出てきます。

大工さんは発注者には「少し大きく作って置くように」と指示していたそうですが、監督さんは計算上に大きさで発注してしまったようです。監督さんに悪気はなく、又仕事にも熱心なのですが、大工さんとの相談も大事にしてもらいたいと思います。まあ、我が社にとっては窓枠分だけ余計に売上げが上がったことにあんりますが、仕事は一回ですっきり行ったほうが気分はいいものです。

縦のばしできれいに収まっています。
2007/04/26(木) 晴れ


[ 親子は似るもの ]
親子は似るもの


「段々親に似てきたね」
大野鐵男おじさんは従兄弟会の時にそう言っておりました。年をとるにつれて良くも悪くも親に似てきています。そういわれていい気持ちがするわけではありませんが、人から見ると似ているのだと思います。
私も久しぶりに遠くの材木市場に行くとそう言われます。どこの誰だかすぐにわかるというのは、ありがたいところもあります。

お誕生から二回目になりますが、愛梨ちゃんに会ってきました。生後2週間、真っ赤な顔をして泣いていました。姪に鼻と口が似ていると思うのですが・・・姪の赤ちゃんのときを思い出しています。



前列から母久江、祖母きの。後列左から茂助(きのの弟)、重文(省三の兄)、父喜平、祖父省三。
私の父母と祖父母がいっしょに写っている写真はこの一枚だけです。この写真のとき祖父省三が私の今の年(56歳)くらいでしょうか。
さて私は誰に一番似ているのでしょうか。
2007/04/25(水) 曇り時々雨


[ 技術の伝承 ]
技術の伝承


建築学校で数年学んで、自分で墨付けから刻みまで出来る大工さんがいました。まだ30代半ばですが、設計士の方の仕事をこなしていると聞いています。その人が数日間だけある仕事に手伝いに来ました。今まで貸していたアパートの一部屋を隣にあるオーナーの住まいと一緒にして広げたいという仕事でした。あらかた壊し終わった所で彼は手伝いに来ました。土台を入れ、柱を入れ替え、間柱を建て、床を作っていきます。材料を納め、翌日又少し材料を納めました。

現場で何か違和感を覚えました。杉の柱が逆さまに建っていたのです。

集成材が支配的な時代になって、又米栂のように大きな木からとった木材では上も下もありません。あるいはわかりません。上も下も関係なくなるとは民主主義の世の中の現われでしょうか。伝えないと伝わらない、ことを実感しています。

昨年の夏の事になりますが、72才になった電気屋さんは息子が後を継がないことがはっきりしたし、今ならやる気のある奴に俺のすべてを教えられるといっていました。いま少し若い頃は若い者に負けてたまるか、という気持ちで仕事に接していたため。教えるなどという気持ちはさらさらなく、かといって年をとってしまって何も伝えないまま仕事が出来なくなることに淋しさを覚えてきたのだと思います。人に教える、あるいは技術を伝えていく事に対して、それなりの対価があれば伝えやすいのだと思います。師匠と弟子とか、親と子とかそういった関係でない限り、伝わらないことが多くなっていくと思います。

私もこの仕事に30年もいます。移り変わりを見てきただけですが、伝えないと伝わらない、とにかく伝えてみようという気持ちがふくらんできました。


2007/04/23(月) 晴れ


[ 大野家従兄弟会 ]
大野家従兄弟会


昨年好評だった大野家従兄弟会が今年も開かれました。今年は一番長老である鐵男おじさんの米寿のお祝いもかねて開かれました。
大野家は私から数えると祖父の祖父にあたる井上文蔵・武藤サク夫妻が大野松太郎の両養子となってから、はっきりとした歴史を持っています。
その子供に清次郎、こま、波蔵の三子あり。こまは飯能の矢颪にある小島家に嫁ぎました。清次郎さんの家系は本家として今もあります。
私のところは波蔵の流れになります。長男が重文、次男が省三、三男が治輔、鐵男おじさんは六男になります。女性は、わか、はな、うめと続きすみ子さんが末っ子です。省三が私の祖父、父はその長男喜平です。すみ子さんは大正11年生まれ。父が大正12年生まれですから、親子で子作りしていたことになります。
今回の従兄弟会は波蔵さんの子供と孫で構成されていますが、孫の一番下が昭和27年生まれ。ひ孫である私のほうが一年早く生まれています。そんな関係もあって、波蔵さんのひ孫である私もこの会に参加させていただいています。
20人くらいの集まりですが、来年も集りたいものだと思っています。
2007/04/19(木) 晴れ


[ 愛梨ちゃんに会う。 ]
愛梨ちゃんに会う。


4月15日は、姪の子供に会ってきました。名前は愛梨ちゃん。この10日に生まれたばかりの女の赤ちゃんです。顔はお母さんよりもお父さん似かな。時々笑って、時々むずがって。夢でも見ているのかな。赤ちゃんは見ていて飽きないですね。
「おじさん、この児になんて呼ばれたいか、考えといた方がいいよ」と姪に言われてしまいました。が、ほんとにこの児からはなんと呼ばれるのが自然なのでしょうか。
少しだけ、抱っこして、又産着の中にすっぽり収まっている小さな手と握手して帰ってきました。小さな生命の誕生は人を和やかにしてくれます。愛梨ちゃんの無事な成長を祈っています。

2007/04/16(月) 曇り


[ 中野支部総会開かれる ]
中野支部総会開かれる。

去る4月14日土曜日中野駅南口「三河屋」に於いて、中野支部定期総会が開かれました。昨年の事業報告や決算報告に続き、今年度の事業案や予算案の検討が行われ、原案通り承認されました。また役員の改選も行われ、再び中野支部長になってしまいました。これから2年間、又お付き合い願います。

2007/04/15(日) 晴れ


[ 体調の変化 ]
体調の変化


朝晩は冷え込む感じの続くこの頃です。春先の気候は変化しやすく私も体調がすぐれません。疲れすぎて起きられなくなり、仕事を仲間に頼みました。気持ち良く請けていただけたので大変助かりました。3月下旬のことです。それから気を付けるようにしていますが、無理が利かなくなりました。というか無理をしなくなりました。細かい字を見る見積りはなるべく休憩を入れてゆっくりするように努めています。昨日も13階までだけど上げますか、といわれましたが、「勘弁してください」と1階において来ました。まあ、量はないのですが、あまりそういう仕事はしない方向でいきたいと思っています。

さて、昨日も小学校の友人に出くわして、「住まいはこの辺じゃないだろう?」と聞いたら、親の家で夕飯の仕度で来たとのこと。しっかりスーパーの袋を持っていました。何でも骨折して、病院から老人保健施設を転々としていた父親が6月半ばから特別養護施設に入れそうだとのこと。老いた母親は自宅で面倒見るとのことでした。

50代半ばに自分たちがなり、親の世代は80代から90代になりました。私のように二人とも送り出した者もいますが、二人をこれから見なくては行けない方も出てきました。同級会をしても親の介護を行っているものが増えています。その中で介護保険の適用やデイサービス、老健などは大変ありがたいとおもいます。家族の負担を軽減してくれます。それまで自宅で介護されていた方はほんとにえらいと思います。更に介護事業所などで働く方々も重労働だと思います。最低限今の賃金を5割増くらいにしていかないと、そこで働く人がいなくなると思います。

昨日と彼とは、老健は規則正しい生活をしてくれるけれど、特養はそういうことができない方だというのが前提だから、生活のリズムが狂うよ、と付け加えました。

でも、特養に入るメドが一人だけでも出来たのはラッキーだと思います。


2007/04/11(水) 晴れ


[ 木の何でも相談室 ]
木の何でも相談室


「日本木材総合情報センター」の「木の何でも相談室」が3月末をもって閉鎖となりました、と日刊木材新聞は伝えています。
この相談室の初代室長は筒本卓造さん。二代目が岡野健さんでした。両氏ともお目にかかったことがあります。
1989年に開設され、18年間に渡って受けた相談は約1万件。このうち木材建材業者からは7割、3割が一般の人だそうです。
この相談を通して岡野さんは「木というものはほんとに難しいものだ感じた」と話しています。「木の使い方ひとつとってもなぜ木表を出すのか、わからずに相談者とは膝を交えて話したことが何度もあった」と振り返っています。
なぜ木表を出すのでしょうか。
見た目が美しいからでしょうか。
壁にヒノキの板を縦張りした仕事で共木を表と裏を交互に見せて貼ってあった物がありましたが、こういう使い方はあまりしないでしょう。普通、方立てなどに使う場合でも表を見せます。敷居に使った場合木の癖の関係から木裏を見せて加工することもあります。その場合は大工さんが「木裏で加工するよ」とひと言付け加えてくれました。

いま、加工を頼んだ時に木裏で加工されているときがあります。又どちらが裏だか表だかわからない木が氾濫しています。頼む方も頼まれる方も気にしなくなっています。木を理解して使うことと気にしなくなったのは違うと思います。もうそういう捉え方は古いのでしょうか。
2007/04/07(土) 曇り


[ 2班の会合 ]
2班の会合


4月4日には中野支部第2班の会合を「第二力酒蔵」で開きました。この会合を最後に班長さんを次へバトンタッチします。少し肩の荷が降ります。この班の会合は私にとってはざっくばらんに色々な事を相談できる材木屋仲間で、2ヶ月に一度のこの集まりはいつも楽しみにしています。これからも楽しんで参加したいと思っています。

さて、この席上でも材木屋の現況が語られています。まず、場所を使っている割には、売上げが少ない事です。次に頼りにすべき大工・工務店に仕事がないことです。私の所でも大工さん直接の仕事よりも請負った方がいてその下請けで大工さんが入る仕事が増えました。又内装店の仕事も増えています。その仕事の特徴はひと言で云えば、「特定の材料しか買わない、使わない」ということです。請けた方の仕事の範囲が限られていて下地材、羽柄材がほとんどです。単価の安いものばかりといったほうが良いかもしれません。

大工さんがメインの時には、材料を刻む、加工するということが日常茶飯事でしたが、刻む事は年にいくつかに限られました。新築住宅を刻む事はここ数年全くありません。そこはプレカットに移行しました。又加工することもその量が少なくなりました。一人の大工さんが1日か2日来れば加工が終ってしまいます。加工は材料共で頼まれる事が多くなりました。その方が「いくら掛かるか」がはっきりして請求しやすいのだと思います。

これと同じことが住宅つくりの中で起こっています。「材工」といいますか、木工事も材料と手間のセットで考えるようになっているのだと思います。そして材工セットは材木屋のお店の中からは生まれません。工場加工が当り前になり、又工場生産品をたくさん使うようになると、一つ一つ、一枚一枚その違いを見せる木材をいとおしむように作ることなど「かったるくてやってられない」のでしょう。

材木屋さんも下小屋を縮小して土地の有効活用をはかることを真剣に考える時代になりました。そんな話に終始した日でした。ともあれ、ここの料理は美味しいものでした。又、食べに来たいと思います。

「第二力酒蔵」
中野駅北口 03−3385−6471
2007/04/05(木) 晴れ


[ 雨の日には ]
雨の日には

夕べからの雨で桜の花も散ってしまう事でしょう。今週末の「さくらまつり」は葉桜ですね。
さて、雨の日になると仕事の内容がぐっと変わってきます。
大工さんが中心だった頃は、雨が降ると「下ごしらえ」と云って我が社の下小屋で削り物をする事が多く、その材料を出すのに忙しい思いをしたものです。そして3日間くらいは加工していきました。敷居、鴨居、廻縁に押入材など。見えるものがたくさんありましたので、そういう仕事がありました。大工さんは雨でも休む事は少なかったのです。
最近では、加工するものもほとんどなく、雨だから加工にくるということは無くなりました。そこで私としては、事務仕事を行うことになります。あるいは下小屋の片付けをしようかと思っています。今日はその両方を頭に入れて動き出すつもりです。あとは今日に予定している配達が現場におけるかどうかです。多少雨に濡らして良いものであれば、持っていきますが、あまり濡らしたくない物や明日の配達で間に合うものなどは、今日は遠慮したい所です。雨の日は、寒い思いをするだけでなく、効率も悪いからです。


2007/04/03(火) 雨


[ 材木屋の仕事 ]
材木屋の仕事


私の所の仕事は大まかに考えると、材料の手配と配達です。材料を探したり、その材料の単価や納期がどれくらいなのかもその中に入るでしょう。基本的に受身の商売です。私のほうから大工さんを使って仕事を頼む事も少しはありますが、来ていただいて売る立場です。

ところがここ十年で買っていただく方の中身が変わってしまいました。大工さん中心から内装業者への販売が増え、技術を直接持っている大工さんへの売上げは減っています。大工さんの数も減っています。このことは加工する材料に表れています。以前は下小屋で加工した際に出た鉋屑や木くずの量がここ半年で激減しています。それまでは月に2万円ほどはゴミ代として出ていました。が今年に入ってから月4千円ほどまで落ちています。

以前は新築でもリフォームでも材木屋で刻んだり、加工していましたが、その部分は工場生産に変わっています。新築はプレカット工場へ、造作材は専門の加工屋さんへ流れていきます。新築の仕事は図面がある程度しっかりしていれば、見積も出来ますし、仕事が決まれば留意点がはっきり出され、それをクリアーしないとプレカット加工へ進みません。構造材や羽柄材の加工は段階的に進むので安心感があります。

それに対して造作材の加工は不安が残ります。大工さんが自身で加工する方は加工する技術もありますし、材料を見る眼もあります。材料の癖を見極めながら適材適所に材料を振り分けていきます。造作材の加工を頼まれる時が多くなりましたが、この場合材料の手配と加工の双方を加工屋さんに頼む事になります。
樹種やサイズだけでなく、
どこ使われるのか、
どういう風に使われるのか、
によって加工する範囲が変わります。それをあらかじめ図に書いてFAXしていただける方はいいのですが、「口」づたえで済ませる方もいます。これが間違いの元になります。頼む方と頼まれた方、さらに実際に作る人が分離しているのでクレームの原因になります。そのため、図面で欲しい、というふうにお願いしています。最も材料そのものが悪い場合も増えてきました。特に長さや幅の仕上がり寸法がまちまちになり、3700ミリ材など長いものばかりを短く木取ることが出来ずにありあわせで加工するためです。大工さんが直に加工していたときには、短くなった切れ端も短く使う所に用いて、無駄が少なかったのですが、最近の注文は「欲しいものを欲しいだけ」になった分だけ加工元に無駄が増えてきたように思います。現場で出るゴミは減ったかもしれませんが・・・

材料を自分の目で確かめて加工することは、確かな仕事の第一歩です。周りに加工屋さんがなくなり、それが出来なくなっています。自分の目で確かめて材料を納めるということが少なくなりました。自分では平均点以上の材料を選びますが、材料共で加工屋さんに発注した場合、削られる木材を指定したり、選んだりということは無くなります。見えないところのものであればまだ良いのですが、見えるところのものは発注先を選ぶようにしています。


2007/04/02(月) 晴れ


[ お花見 ]
お花見


今年は二月が暖かくて、3月に入ってから寒い日が続くという変な年でした。そのせいか桜の花もいつになったら咲くのかな、と思っていましたら、時期が来て近くの藤神稲荷も満開です。

そこで4月1日には上野公園へお花見に行きました。地下鉄に乗って上野駅まで行き、西郷さんの顔を拝んで、桜の通りを二人で歩いてきました。右も左もお花見客ばかりで、昼前だというのに宴会が始まっています。この日は気温も20度を超え、暖かいというより暑いといった感じです。久しぶりに人ごみの中を歩いてきました。上野動物園へ行くとか、精養軒でご飯を食べるという予定でしたが、あまり混んでいるので上野は早々に引き上げ、浅草へ向かいました。

浅草へは一年に一度か二度ほど来ます。
早速昼ご飯を食べるために「すき焼のちんや」に入りました。まもなくすると世田谷の三國屋さんご夫婦が入ってきました。全くの偶然ですが、並んですき焼を食べました。三國屋さんは「ちんや」は初めてとのこと。美味しいすき焼でお腹が一杯になりました。おなかが一杯になれば少し歩こうということになり、仲見世から浅草寺の境内を二天門へ抜け、隅田川公園へ。こちらの桜もすばらしく、川には屋形船も繰り出されていて、桜、桜の一日でした。



上野公園


墨田川公園

2007/04/01(日) 晴れ


( 2007/05 ← 2007/04 → 2007/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


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