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時々更新mn日記

( 2007/02 ← 2007/01 → 2006/12 )


[ タベルナパパ ]
タベルナパパ


中野新橋駅前にある第六鶴水ビルの地下1階にオープンしたスパゲッティー屋さん。若い夫婦とその母さんで経営する家族的なところです。地下1階にあるためあまり混んでいません。ゆっくり食事をとることが出来ます。ランチはビーフシチューやポトフなど。夜はスパゲッティーがメインです。ワインが美味しいとのことですが、まだここでは飲んだことがありません。

外食して感じることですが、全体に塩気が多いですね。つい先日も久しぶりに香港屋に行きましたが、味が濃かった感じを受けています。お酒に合うように作っているのか、若い方向けなのだろうと思いますが、自分の舌が薄味に慣れてしまっているみたいです。

さて、中野新橋商店街もお店の廃業が続いています。フォトショップなかむら、ジーンズショップ摩耶、焼き鳥石川、居酒屋ひょうたん、アイチヤモータース、ラーメン蔵、スナック幸などです。その中で新しく出来た「タベルナパパ」の健闘を祈ります。



2007/01/30(火) 晴れ


[ 大工の腕 ]
大工の腕


昔は手で削り物ができて、墨付けができれば、一人前だと思われていた。水車や周り階段を作らせて見ればその腕前はわかる。昔でも出来ない人は多かった。それでも仕事は共同作業なので仕事はあった。料理するにも下ごしらえ、煮物、焼き物と担当が違うように大工それぞれに見合う仕事をこなしてくれれば住まいは完成した。真壁で建てた住まいは、建てるまでの墨付けや刻み、柱を手で削って仕上げたり、間柱を使う長さに切ったりと下ごしらえに時間をかけた。そして建前。
建て方には大勢の人の手を借りる。屋根垂木を打って野地板まで貼れるとひと段落。雨が降ってきても多少大丈夫。筋違を打って外部はラス下地を、内部は床下地をつくり、柱には貫や胴縁を入れていく。柱も見えるので内法材も見える。雨が降ると大工は造作材や階段材の下ごしらえに材木屋を訪れる。
造作材を取り付けてラスボードを張れば大工の仕事は大体終了。これで坪7万円くらいの手間になったのか。

いまは、プレカットで建てて、下地材も工場で加工して取り付けるだけ。柱は見えないし、間柱も柱と同じサイズで、胴縁など打たない。外部はベニヤを張って後はサイディング屋さんへお任せ。床の下張りをして出来合いのドア枠を取り付け、窓枠も同様。天井の下地を組んでボードを張り、壁はボードを直貼りに。階段はプレカットするので大工が刻まない。窓枠もジャストフィットが流行りだ。最後に床の仕上げ材を貼り、巾木をつけて終了。これで坪単価8万円くらいになるのか。

昔は大工が終ってから一ヶ月くらい下職が仕事をしていたが、今は大工が終ればクロスを貼って、電気屋や水道屋が器具付けに来て終了。工期は短くなってきている。

さて、住まいつくりの全体がプレハブ化して大枠では何処のメーカーで建てても大工が建てても作られたものに大差がなくなっている。何処で差がつくのだろうか。無垢の床板や壁材を貼らしてみるとその差は歴然とする。上手い人とそうでない人の差は作ったときばかりではなく、時を経るごとに大きくなる。父の住まいの和室の内法などを見ると「上手く出来ているなあ」といつも感心する。文化を感じることが出来る。反面、床を張りなおさせた現場もあった。なれた大工がやらないときれいに収まらない。
昨年桜の床板材を20坪ほど納めた現場は、専門の床貼り職人が来て納めていった。この手もあるのかと感心したが、これでは職人さんが仕事に誇りをもてないのではないかと感じている。腕のよい職人がいるうちは仕事をしていたい。


2007/01/29(月) 曇り


[ 木材市場の行方 ]
木材市場の行方


大工の高齢化や大工自身が元請から下請けに転じるようになって、町の中の材木屋もその役割を変えようとしています。従来の顧客である大工の減少は本来の仕事である住まいを作るという事が少なくなり、リフォームがメインになりました。一方新築住宅は、ハウスメーカーや建設会社のシェアが大半になりました。木造住宅は又プレカットで建てられるものが85%に及んでいるとのことです。
私の会社を例にとって、売り先を例えば、「大工、会社、内装店、下職」と区分けするとして、それぞれ「15%、45%、20%、20%」くらいの売り上げ比率になると思います。「会社」と書いた所はプレカットで建てて下地材を収める所。あるいは鉄筋鉄骨の内装材を収める所で、建材メーカーの造作材をいただけない所です。
「内装店」と書いた所は店舗やマンションリフォームを専門的に手がける所です。仕事に波がありますが、使うものが決まっていて材料を在庫しておくのは楽です。
「下職」とかいた所は従来大工の下で下職といわれていたところですが、今風に云えば協力業者になりますが、水道屋、ガス屋、クロス屋、屋根屋など自身で仕事を取ってきては大工を使ってリフォームなどを手がける所です。今では大工の方が下職と書いた方が正確かもしれません。

さて、売り先が大工さんの時代は、下小屋で刻んで、内部造作材を加工して木工事に関するものは何でも材木屋を通して買ってくれましたが、先ず大工さんが仕事をとることがなくなりました。昔のようにお客さん=施主さん直の仕事がなく、設計段階、見積の段階で振り落とされたりして仕事が回ってこなくなりました。必然的に新築住宅からリフォーム中心になっています。リフォームの場合木材を大量に使うことは稀です。間仕切りを変更したり、お風呂やトイレを直すなど水回りが中心になります。又内部の造作材も建材メーカー品で間に合わせるようになっています。あまり使われなくなった構造材や桧の造作材などは我が社の在庫品から姿を消しつつあります。

売り上げの中心は下地材になりました。木材では30*40、20*40、36*45などです。コンパネや耐火ボード、ラーチ合板などの在庫量が増えています。次に建材メーカーの床板や窓枠材、ドア材などが取れるかどうかで、売り上げが決まります。新築住宅はプレカットされ、現場へ直に納めます。内部の造作材も同じように出来ます。外部のサイディング工事をいただいた場合も現場で行います。下地材を中心に在庫すれば良い時代になりました。従来のように木材の在庫をたくさん持つ時代ではなくなりました。

これに輪をかけたのが、加工屋さんの廃業です。材木を使うときに使う用途に合わせて無駄なく使うという仕事が出来なくなりました。加工する材料を吟味するということが少なくなってきています。

これらから考え合わせると、材木屋がリフォーム業や建築業に乗り出すことでしか材木を適宜に使うという仕事をこなせなくなっています。木材を使う市場は縮小すると思います。実際私のところを考えても材木の仕入れは15年前と比べて約5千万円は減少していると思います。年間ベースの話ですが、木材は私たちのルートは確実に減っています。これを現すかのように木材市場は確実に売上げが少なくなっています。新東京木材商業協同組合を例にとって見ても市売りや木材の部門が減っています。特に問屋さんは昔の売れていた時代を経験しているだけに「こんなはずじゃない」という感覚が残っていると思います。組合員の減少でこの傾向はまだ増えるでしょう。

実際、材木屋のほうも材木一本で食べていけなくなり、売るものを変化させて生き残ってきています。不動産業を母体としたり、アパート経営者であったりします。これに加えて建築業に乗り出した方もかなり増えました。設計士を兼ねる材木屋もあります。リフォーム工事部を併設している所もあります。自分の所を考えても木材3割、新建材6割、その他1割くらいの割合になっていると思います。これを又別の比較でプレカットの仕事やサイディング工事など私の会社に材料を降ろしたり積み直したりしない仕事と在庫して配達する仕事と区分けしてその売り上げだけを比較して考えると4割対6割くらいになっていると思います。利益率は前者は1割に満たないものが多いですが、売り上げには貢献しています。

これらを考え合わせると力を入れる所はプレカットの仕事を取る、工事物件の仕事を取る、新建材の仕事を取る、などになるでしょう。ここをクリアーしないと木材を使う仕事まで辿り着かなくなった感じを持っています。材木屋も回り道をしないと材木を売ることが出きなくなりました。


2007/01/28(日) 曇り


[ 赤松が無い ]
赤松が無い


ロシア材の赤松の良材が市場に入ってこなくなりました。おまけに値段も高騰しています。ホワイトウッドもそうですが、合板の値上がりが一段落したら今度は赤松です。赤松などロシア材は30*40や20*40、あるいはサン木として商品化されています。よく出る品物で代替品になるものがまだありません。杉を使っていた時代もありますが、それは二十年前の話で、あとはLVLになるかケイテン材を用いるかです。
1月26日には新東京木材商業協同組合の中野市場に於いて記念市が開かれましたが、赤松関係は量も少なく、下地材はほぼ売り切れたようです。私も付き合いました。無ければ困るものだし、いずれは売れるものですから、それにもっと値段が高くなりそうなので仕入れをしました。
今日はその買った品物を入れる場所を作っています。私の所の販売量からすればもう二ヶ月分は確保してありますが、又買ってしまいました。安定的に品物が確保され単価も落ち着いていると商売がやりやすいのですが、この一年は仕入れに追われました。
更に気になるのは材料の品質が落ちていることです。ロシアで曳いているものはカビが生えているものが多く、腐っているものもあります。グリーン材は買えなくなりました。KD化されたものでも水が入って腐っているものもあります。材木は「生もの」ですからその管理は大切なのです。
ともあれ、今回赤松材を仕入れました。値段も上がりましたので来月からは徐々に値上げをしたいと思います。

2007/01/27(土) 晴れ


[ 金物屋の廃業 ]
金物屋の廃業


近くの金物屋が2軒ほど廃業します。近くにあった日曜大工コーナーも年令を理由に昨年末に店を閉じました。少量多品種の在庫を必要とする金物屋さんはホームセンターに食われて売上げ減の一途をたどっていました。大工さんに仕事が無くなり、又忙しい大工さんはホームセンターなどを利用するようになってきたのでこの廃業には必然性があります。
街の中から小売店が消えて明かりのともっていない街並みになってきました。夜道は暗くひとの気配の少ない町になりそうです。


2007/01/26(金) 晴れ


[ 京都のホテルで耐震偽装 ]
京都のホテルで耐震偽装

耐震偽装がまた発覚しました。今度は京都駅前のアパホテルなどです。このホテル実は昨年12月の9日に泊りました。寒梅会の集まりで行く際に泊りました。いくつか他のホテルをあたりましたが、一杯なのでここに決めたのです。一泊込み込みで一万円丁度。まあ安くないですが、腹も立たない金額です。部屋の中もコンパクトながらゆったりできるように工夫されていて京都タワーホテルなどよりも落ち着きます。近くにコンビニもあり、駅前の利便さも魅力です。
が、今回のように耐震性に問題あり、と発表されてしまうともう泊れませんね。私が京都で暮らしていた1969年から1973年の間に地震は数えるほどしか経験しませんでしたが、阪神大震災のような大きな地震がやってくる可能性もありますので、あまり高い建物や細長いビルなどは恐いです。更に昨年6月にわかっていたのならもっと早い対応が出来ただろうにと考えてしまいます。

2007/01/25(木) 曇り


[ 解体屋が忙しい ]
解体屋が忙しい

昨年の秋には、ボードの荷揚屋さんの数が足りなくて大変だったと言うくらいマンション建設があったようですが、その傾向はまだ続いています。今は解体屋さんが忙しく、このあたりでも古い住まいは壊されその後にマンションが建つ傾向にあります。交通整理をする旗振りのおじさんも人手不足で、なかなか思うように集らないとのことです。
木造住宅も新しく建っています。しかしその大半はハウスメーカーのものです。町場の工務店さんで新築住宅を手がける所は本当に少なくなりました。見かけたり、携わる事がなくなりました。先ず新築の住宅で我が社にくるものは元請が大工さんの上にいたり、会社で請けてきて建てるものばかりで、大工さんが直接請けてくるものはなくなりました。又階数の高いものは鉄骨か鉄筋になり、これの内部造作を納めることも増えました。
今木造はプレカットで建ててという風に構造材は工場から運び、材木屋が納めるものは下地材が中心です。今この下地材の値上がりが続いています。北洋材、ホワイトウッド、栂材などです。仕入れるたびに値段が上がっていきます。2月からは小売りの価格を全面的に値上げしないと利益率が又落ちそうです。

2007/01/22(月) 晴れ


[ 古稀 ]
古稀


「古来稀なり」が古稀の由来だと聞いていますが、我が社のメインの大工さん達
も古稀を迎えた方々が多くなりました。十年前は還暦を迎える方が多く、還暦大工という言葉が流行りました。大工さんなど技術者は増えることなく減りつづけています。若くて馬力のある大工さんはいなくなりました。従って仕事が取れても大工が手配できなくてあきらめたり、上手い大工を使えなくて仕上がりが良くなかったり、など仕事をする人をどう確保できるかが要になりました。「大工さんを世話にてくれれば材木を買うよ」といわれることもあります。仕事の中味と仕事の場所、工期などに余裕があればどの大工さんでもよいのですが、そんな美味い仕事はそんなにないので特定の大工さんを頼みます。その人があいていなければ断る事になります。
材木屋として仕事をしていく上で大工さんは悩みの種になりつつあります。仲間同士で貸し借りする日もそう遠くないでしょう。ただそうすると材木屋の数を減らしても良いことになりますが・・・


2007/01/16(火) 晴れ


[ 部材別木材使用量の割合 ]
部材別木材使用量の割合(試算)


1月6日の日刊木材新聞に「在来工法における部材別木材使用量と割合(試算)」として一つの表が載っていました。
それによると例えば柱でしたら製材品(無垢材)対集成材では、使われる木材の対比はほぼ半分ずつ、国産材と外材を比較してもほほ半分です。土台は製材品対集成材では78%対22%。これを国産材と外材でみると28%対72%と外材が多くなります。土台では外材の無垢材、つまり米栂材の注入土台がメインである事がわかります。
梁桁になると製材品対集成材は78%対22%で、これを国産材と外材でみると5%対95%で圧倒的に外材です。桁には杉材を使うこともありますが、梁は圧倒的に米松になっている現状が良くわかります。
続いて羽柄材・下地材については製材品・集成材・合板という分け方をしており、それぞれ、66%・11%・23%としている。これを国産材対外材とすると36%対64%となる。
更に造作材においては、製材品対集成材の割合は97%対3%、国産材対外材の割合は64%対34%と試算しています。造作材において国産材が多いのが目立ちますが、この部分に建材メーカーの「造作材」を羽柄材のように「合板」として加算して考えると合板が一番多い割合になるのではないかと思います。

以上を自分の仕事と照らし合わせてみると、柱は集成材か桧か杉。土台は注入を基本として桧もある。梁は米松、桁は米松か米栂か、杉。羽柄材はタルキ・根太、筋違が栂。破風板下地と間柱が杉。30×60や33×72、27×105・120がホワイトウッドで集成材の場合もある。天井や壁の下地材が赤松といった所でしょうか。造作材は過半が建材メーカー品で、後は集成材、栂材、ラワン材、桧材といった所でしょうか。
プレカットの仕事をすれば柱、土台、梁、の在庫は必要なくなるし、羽柄材までカットして床を合板で行えば、材木屋が納めるものは天井下地と壁下地に耐火ボードくらいになるのだと思います。そうすると、木材を在庫したり、配達する事よりも仕事を取る力であったり、営業力をつけるほうが肝心になります。

そこまでいくと、今度はもう少しレベルアップした住まい、あるいは木材を見える所に使った住まいを提案できるのではないかと思います。昨年関わった住まいのほとんどが壁・天井ともクロス張りでしたが、床に本物を使った所がいくつかありました。あるいは階段にタモの集成材を用いた所がありました。腰壁にベイヒバ材を貼った所もありました。木の目のものは少し使うだけでもオリジナリティーが感じられオンリーワンを演出できます。それが又住む人にとって愛着のあるものとなるのだと思います。愛着のもてる住まいを作るのが材木屋の仕事の一つだと思います。


2007/01/15(月) 晴れ


[ 年頭にあたって ]
年頭にあたって


喪中につき新年のご挨拶を控えさせていただきました。又、新年会への参加も中野支部新年会へは行きましたが、後は控えさせていただきます。

さて今年は8日まで休みましたので9日からの営業です。新たな仕事はまだ見えていません。小さな改造仕事を始めたばかりです。年々仕事をする事が大変になっていると感じています。特に昨年夏前から資材の値上がりが続き、合板、建材類、外材などは一割以上のアップになっていると思います。特に合板は5割くらい上がったものもあります。この結果、新たな見積に関してはすべて新しい価格で入れさせていただきます。そうなると果たして仕事を持続的に取っていくことが出来るのか懸念される所です。

又売上げは確保できたものの利益率は落ちる傾向があります。仕事が取れても利益がないということも頭に入れておかなくてはなりません。その意味では今年は現状維持を目指すことになるかと思います。現状を維持するためには、採算に合わないところをカットし、仕事の中味を変化させる必要があるでしょう。

1月12日付の日刊木材新聞には、「木構造計画」という会社が横浜市に木造住宅の構造躯体を施主に直接販売する共同店舗を開設した事が載っています。これによりますと施主から住宅の図面を受け取り、構造計算を実施した上でニーズにあった構造材を支給するとのことです。工事の請負業者の紹介やその他の建築資材の調達支援、各種コンサルタントなども手がける、と書かれています。材木屋としては「構造材を先ず売る」という方向が第一に追求されなければならないと思います。プレカット加工するにしてもそう思います。例えば柱材。現状は集成材がまだ多いようですが、住友林業のように桧材にこだわるとか、それも産地を指定して作っていくなり、そうした方がより愛着のある住まいつくりが出来ると思います。そういう提案する力をつけたいと思っています。

又このところ材料を納材するにしても建材メーカーの規格化された枠材や床材が増えています。これらを売って売り上げが上がることは仕事ですから嬉しいのですが、木材は使われなくなっています。自然から生まれた製品を我々人間はどう使うのか、もう一度考え直して見たいと思います。木材を使わなければ、木材の市場はなくなってしまいますし、製造元はもっと厳しい状況に追い込まれます。木材を使うこと。さらにどういう木材を使おうかということを頭の中にいれて仕事を進めていきたいと思います。

2007/01/13(土) 晴れ


[ 私がこの仕事についた頃 ]
私がこの仕事についた頃


私がこの仕事についた30年前(昭和50年)はまだ町場の大工、工務店さんが力を持っていたときでした。材料代のほうが手間よりも高く、従って大工さんも仕事の中味によって木の種類の選択や材料の太さ、大きさを変えていました。例えば柱の大きさを105ミリにするのか120ミリの角にするのか、あるいはもっと小さくして100ミリ以下にするのかなどです。木の種類も桧を選択するのか、それとも米栂材なのか、などです。もちろん手間のかけ方も違いました。木材と木材を繋ぐ仕口も違います。
当時わりと高級なつくりといえば、土台、柱は桧で、梁が地松。太さは120ミリでした。和室が2部屋くらいはありましたので、吉野の桧か、尾鷲桧の柱の役物を使っていました。1本1万5千円から8万円くらいまで等級別に値段がありました。また床の間も作りましたので、床柱も1本10万円以上するものを売っていました。和室の柱は見えるので大工が鉋で一生懸命に仕上げていました。この柱を見せる真壁つくりによって、大工は削る技を身に付けて行きます。

真壁つくりから、柱を見せない大壁つくりへ徐々に移行して行きました。今事務所がある建物は昭和39年に作ったもので1Kの風呂・トイレ無しのアパートが併設されていますが、柱を見せる真壁つくりです。節だらけの柱を用いていますが、味わいはあります。杉や桧の柱が適当に使われています。柱を見せるということは内法材や廻縁などもみえる事になり削ったり取り付けたりする技が必要です。

さて、和室が少なくなり、大壁造りが主流になってくると、柱は通直材を要求されます。木の種類よりも真っ直ぐで、同じ大きさのものです。機械加工が出始め、やがてこれが主流になる段階で乾燥もいわれるようになりました。こうなると無垢の木では対応できなくなり、集成材が一番もてはやされます。同様に造作材におきましても昭和50年頃はラワン材が全盛期で、安価で大きな巾の材が取れて真っ直ぐで使いやすいというものでした。少し高級品になるとスプルース材でしたが、どちらも今では希少価値になってしまいました。大経木が少なくなると板をはぎ合わせた集成材は多くなり、現在ではこれなくして無垢の木は考えられなくなっています。

私が仕事についた頃は石油危機のすぐあとですが、米栂材とラワン材がたくさん売れた時代でした。そして大工さんに力がありました。仕事はこなしきれないくらいありましたし、木材販売だけで「食えた」時代でもありました。



2007/01/11(木) 晴れ


[ 箱根で新年会 ]
箱根で新年会


新東京木材商業協同組合中野支部では、今年も箱根で新年会を開きました。今年は、「ホテルおかだ」の12階で、10名参加です。参加者の数が少なくなって淋しさもありますが、元気を出すために羽根を伸ばしてきました。




2007/01/10(水) 晴れ


[ 2007年を迎えました。 ]
2007年を迎えました


2007年を迎えました。今年は休みが連続した関係で本日9日より営業開始です。10日間も休んだお蔭ですっかり身体がだれています。これを直すのにしばらくかかりそうです。昨年は忙しいばかりの年でしたが、今年は仕事があまり見えていません。さてどんな年になるのでしょうか。

昨年の特徴はまず売り先が広がったこと。次に仕入先が少なくなった事。最後に商店街の中でも店仕舞いをする所が増えてきた事。全部同じことのそれぞれの言い方なのですが、お店を張って商売をする所では経費的に成り立たなくなっている所が増え廃業する所が増えています。昨年でいえば、畳屋さん、銘木屋さん、製材業者、加工屋さん。材木屋さんもそれにプラスされるかもしれません。商店街の中でも、写真屋さん、食べ物屋さん、洋服屋さんが減っています。逆に増えているのは整骨院に花屋さんなどです。私が住んでいる中野新橋商店街や川島通り商店街などは昭和30年代に全盛期を迎えた所です。その頃から活躍している方々が引退する時期に差し掛かっています。引退して廃業した後にはお店ではなく、普通の住まいになっています。お蔭で商店街は歯抜け状態。盛っている所が少しとそれ以外はさっぱり。日本を象徴するような状態です。小売店の数が今どれくらいかしりませんが、急速に減っていると思います。

我が材木屋業界も同じで売上が減る傾向にあります。売り先の数は変わらないかもしれませんが、売り上げを伸ばすという元気は少なくなっています。それでも売るものを変え、物販だけでなく建築や住宅に手を伸ばし、工事物件を意識的に請負うなど仕事の中味を変化させながら売り上げの維持をしていく傾向にあります。仕入先は減る傾向にあります。小さな製材業者は淘汰される傾向にあります。大きな製材工場は合併を重ね、あるいは業務提携してより大きくなり、ハウスメーカーやプレカット工場あるいはホームセンターをターゲットにして製品を作り納めています。この流れは止まりません。その結果、よく使われる商品は大量に生産され、又消費されますが、少し個性的なものを要求されると、それに対応するには時間とお金が今まで以上にかかります。私がこの仕事に関わってから30年が経ちます。ドンドン変わっていくのが実感できます。でもこれでよいのか、本物を伝えなくてはと思うこの頃です。どんな風に変化したかを書いてみたいと思います。



2007/01/09(火) 晴れ


( 2007/02 ← 2007/01 → 2006/12 )


[ 管理者:大野満生 ]


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